表彰式の後ホテルの部屋に戻り、荷物をまとめるとロビーに降りた。倉田さんがまとめてチェックアウトしてくれるそうだ。
「進藤くん」
 と、懐かしい声で名前を呼ばれた。
「…筒井さん!」
 友人らしい二人連れで、本人の卒業以来だった。
「ごめんね、捕まえてしまって。何だか出待ちみたいだなって我ながら」
 背後で塔矢と社が会話している。
「出待ちって?」
「ツボな芸人が楽屋から出てくるのをファンが待ち伏せすることや」
 なんでお笑い限定なんだよ。そう突っ込みたかったが、塔矢はあっさり納得している。
「見てたよ! ちょっと凄すぎて解説聞いても分からないところあったけど、凄かった!お疲れ様!」
 筒井さんは、拳を作って嬉しそうにそう告げた。
「これが、僕の後輩なんだって…僕が石の洗い方教えて、僕がNCC杯連れていった進藤くんなんだと思ったら、なんかもう…」
 眼鏡の奥で、ぶわっと涙が湧いて、「うわぁっ、ごめん!」。 そう焦って、筒井さんは、眼鏡を外すと腕で乱暴に目を拭いた。
「とにかく…嬉しいんだ。ありがとう」
 目元をわずかに赤らめて、はにかんで笑う。昔通り大きめの眼鏡を掛け直し、その途端鼻までずり下げて笑う。
「…俺こそ…見に来てくれて…」
「加賀も誘ったんだけどね、『進藤より自分のこと』って言って。加賀は…将棋のプロを、目指すみたいだ」
「…似合ってる」
「あは、そうだね」
 倉田さんが、呼んでいる。筒井さんは慌てて、引き留めてごめんと謝った。もう一度、最後に、ありがとうと言った。

 加賀ならなれるよ、と安請け合いしなかったのは、そんなものではないともう知っているからだった。心のどこかでは、それでも、呟くのだけど。
「進藤、あの人は?」
「中学の囲碁部の先輩。一緒に大会も出たよ。…一回、海王にも勝った」
 塔矢はまったく覚えていないようだった。
(マグレとはいえ、僕らはあの海王に勝ったんだから!)
 ——マグレ、なんか。
 ないよ。筒井さん。

 勝敗に付け加えるものがあるのなら、たとえば汗と涙とか。あの頃の。