大学学生時代の旅行記

大阪1999年11月
ふと思い立って、大阪までヒッチハイクの旅を敢行。用賀インターから出発し、
24時間かけて大阪へたどり着いた。寒い11月の空の下、手を挙げて何時間も車を待つのはつらかった。
若者のセダン7人乗り、パルプ運びのトラック、お姉さんの軽自動車、おじさんワゴン、お兄さんワゴンの5台に乗り継いだ。
みなさんにはとても親切にしていただいて感謝しています。
突発的に企画した一期一会という言葉をモットーにしたこの旅はとても思い出深い。
人間の優しさにふれ、自分も人に感謝されるようなことをしていきたいと思うようになった。
アメリカ 2000年2月-3月
アメリカサンディエゴで語学学校INTRAXに入学し4週間学んだ。暖かく季候のよいところだった。
その間グレイハウンドバスでラスベガス、グランドキャニオンを訪れた。その後ロス、サンフランシスコ、
ニューオーリンズに行った。そこから知り合いのいるノースカロライナを経由し、
いとこのいるワシントンに足を運んだ。最後ニューヨークへいって日本へ帰国した。
初めての海外旅行。自分でお金を貯めていっただけに、達成感が大きかった。
井の中の蛙は大海にでて、地球は一つ、人間は一緒だと思えるようになった。
とても大きな成長をしたと思う。自分にも自信がついた。
タイ 2000年8月
夏休みに友達のヒロキとタイに8日間行った。初めてのタイの熱気と喧騒に驚いたの覚えている。
バンコク、アユタヤ、チェンマイとまわった。チェンマイではトレッキングツアーに参加しタイ北部の山岳地帯を
象に乗って散歩したり、大きな滝にうたれたり、大自然を肌で感じた。タイ人によく間違えられた。バンコクでは
カオサン通りは全国のバックパッカーたちが安宿を求めて集まってくる。夜遅くまで音楽の鳴り響くこの通りは
どこにも見られない異様な空気の流れる通りだった。帰国日空港の近くの屋台でタイ人のおっちゃんの
おごりで飲ませてもらった。最後に食べたタイ風すき焼き(タイスキ)は辛すぎて食べられなかった。

カンボジア 2000年11月
秋の商学部デーを利用してタイ、カンボジアに行って来た。旅行を決めたのは3日前で思い立ってすぐチケットをとり飛んだ形となった。
タイに降り立ったときあの熱気と喧騒が迎えてくれた。バンコクからカンボジアとの国境まで電車で行き、
そこからトラックの荷台にのってアンコールワットのあるシェムリアップという町まで10時間かけていった。
トラックの荷台からみた大きな満月は夜道を明るく照らしてくれた。あの道の感じは今でも忘れられないシ−ンの一つである。
『地雷を踏んだらさようなら』という映画をみてアンコールワットを訪ねてみたいと思った。実際目の前に行ってみると
そのとてつもない大きさと重圧感にただただ呆然とするしかなかった。すごかった。こんなモノが地球上に存在すること自体考えられないほどだ。
ベトナム 2001年11月
姉の強い希望があって一緒にベトナム旅行をすることになった。ベトナム雑貨や料理は女性に人気がある。まず、ハノイから入り、
フエ、ホーチミンを訪ねた縦に長いこの国をバスのみで縦断した。とりあえず、東南アジアのどの国に行っても現地人と間違えられる。
ベトナムはフランスの植民地だったので町並みにはヨーロッパ的な石造りの感じが見られるし、
パンやコーヒーがすごくおいしい。一つ東南アジアといっても隣接しているにもかかわらずそれぞれの
文化の違いを感じることができる。この国で22歳の誕生日を迎えた。ある食堂で自分が誕生日ということを伝えると、
隣のテーブルの人たちが一緒に飲めよと誘ってくれて、結局ビ−ルやつまみをおごってくれた。
旅の一番の醍醐味はやっぱり出会いだ。
ハワイ 2001年12月
商学部のラドウのメンバー13人でホノルルマラソンに挑戦。思ったより肌寒く夜は長袖を着用したくらい。パールハーバーでは
ちょうど真珠湾攻撃の追悼式典にかち合い、日本人としていてもたってもいられない気持ちになった。
13人でのコンドミニアムの暮らしはいろいろ大変だが、みんなで自炊したり夜話したりするのがとても心地よかった。
ハワイスタジアムで見た、5万人の観衆が集まったハワイ大学のアメフトのゲームはとても興奮した。
ハワイのゆったりと流れる時間がすごくよくて、いつまでもいたいと思った。
ドイツ2002年2月
卒業旅行として、高校、大学と一緒だった友人と三人でドイツスイスイタリアを回った。
ドイツではフランクフルト、ライン川、ハイデルブルグ、バーデンバーデンを訪ねた。イメージ通り、ビール、ソーセージ、
ポテトはとてもおいしかった。バスにポテト禁止のマークがあったのには笑ってしまった。バーデンバーデンのバーで
中年のおじさんに話しかけられ仕事場を案内してもらうことになった。はじめは躊躇したが結局ついていくことにした。
世界的に有名なオーケストラの経営者で、その練習スタジオを見せてくれたのである。素敵なコンサートホールだった。
彼の弾いたパイプオルガンの音には鳥肌が立った。その後またビールをおごってもらい、とてもお世話になった。
ドイツ語は難しく結局乾杯(チュース)しか覚えられなかった。

スイス
スイスはドイツからイタリアに渡るのに通っただけという形になってしまった。途中ルサーンという町によったが、
湖とその背後にそびえるアルプスの広大さには圧倒された。自然ときれいに調和された感じの町であった。

イタリア
旅行の最大の目的は、世界最高峰といわれるセリエAのサッカー見ることであった。
ミラノでインテル対ACミランのミラノダービーを見た。ダフ屋で買うことができなんとか超人気の試合を見ることができた。
初めて見るセリエにかなり圧倒された。三階席からは発煙筒が投げられたり、
得点シーンではみんな前に流れ込んできたりとJリーグとは比べものにならない興奮だった。もっとたくさん見たかった。
ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマとまわった。安いピザとパスタ、ワインで毎日満足だった。




geocities japan

メイン / コミュニティ / アベニュー / e-list / 街角広場
インフォメーションセンター / 検索 / ヘルプ / ガイドライン