大学、大学院生活を振り返って

1995年の3月に東京農工大学の合格通知が富山の実家に届きました。ちょうど、H jungle with T (浜田雅功)の"Wow Wow Tonight"とか布袋の"Poison"が流行った時期であり、その年の1月には阪神大震災、3月にはオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きた年です。親元を離れて一人暮らしをすることになり、期待と不安が入り混じっていたことをよく覚えています。

4月から大学生生活が始まりました。最初の3年間はよく遊びました。自分のHPでも紹介してありますが楽しみの一つのコンサート三昧、プロ野球観戦、東京競馬場での競馬観戦、後は麻雀漬け、夜通しのカラオケ。長い休みになるとサイクリング。青森から九州まで自転車で旅をしました。これはとてもよい経験だったともいます。3年生になりバイクの免許を取ってからは、東京周辺を走りまくり、首都高のきついカーブを馬鹿みたいなスピードで突っ込んだり・・・・。北海道に2週間ツーリングに行ったり。このころよく遊んだ友達の日記を見ると本当に無茶していたと思います。この楽しい3年間をともに共有した仲間には感謝しています。ありがとうございました。

そして4年生になり研究室に配属されました。希望の覧具研究室です。さすがにこのまま遊び漬けで大学を卒業しても悲しいことを悟りあえて忙しいだろうけど自分を鍛えてくれて、胸を張って大学を卒業したと言えるようになろうと思って希望した研究室です。大学院の修士までこの研究室にお世話になりましたが、この忙しさは予想を上回り多少後悔したかもしれませんが、それ以上に自分が成長できた喜びの方が大きいです。この研究室では本当にいろんな人に助けられました。覧具先生はもちろんですが、三沢先生、事務の甲野さん、研究室の相方の平田君、同期の松田君、また後輩たち。僕のわがままや、至らないところを補って助けてくれました。大学院を卒業し富山での就職のために研究室を離れることになり3月にお別れをしてきましたが、彼らと挨拶をすると、涙が込み上げてきて十分に言いたいことを言えずに別れてきて多少後悔していますが、ただお互いの目を見るだけで言いたいことはすべて伝わったと思っています。ただ、この別れは永遠のものではありませんし、今の自分に満足していては更なる成長はないと思います。そのために就職の道を選んだのであり、今度彼らに会うときには今以上に成長した自分を見せたいと思います。研究室の皆さん、本当にありがとうございました。

2001年3月31日  石正 光則