愛ちゃんの憂鬱


「やっぱり宿題は茜ちゃん家でやろ?」
学校からの帰り道、愛子は一番の友達、茜に言った。
愛子が友達を家に呼びたくないのは、別に家が狭いとか、
部屋が散らかっているとかいうことではない。
愛子の母親は申し分ない。出版社に勤めていて、雑誌の
編集長をしている。仕事がら、いつもきちんとお化粧して、
言っちゃあなんだけど、近所のオバサンたちとはちょっとちがう。
ただ、唯一の欠点は、家事がまるでダメなこと。
だから愛子の家では、食事から掃除、洗濯、アイロンかけまで、
家事のいっさいを父親がやっていた。
そして、家事に専念するために、会社まで辞めてしまったのだ。
・・・専業主夫。
愛子はそんな父の姿を友達に見られたくなかったのだ。

そんなある日、学校で作文の宿題が出た。
「私の家族」・・・。愛子は自分の部屋で、鉛筆をもてあそんでいた。
『私のお母さんは、出版会社につとめていて、へんしゅうのお仕事を
しています。今度そうかんされる雑誌のへんしゅう長をまかされて、
はりきっているところです』
机の上の原稿用紙の文字は、ここで止まってしまっている。
『お父さんは・・・』
お父さんは・・・お父さんは・・・・書けない。
「なんでもっと普通のうちに生まれなかったんだろう」
なんだかとても腹が立ち、愛子は原稿用紙をぐしゃぐしゃと握りつぶした。

「なぁ愛子」
気分直しにと縁側で星を眺めていた愛子の横に、
いつのまにか父が立っていた。
「うちのお母さんは、料理は下手くそだし、掃除洗濯もしない。
だけど仕事じゃ一流なんだ。それはわかるだろ?」
愛子はチラッと「作文、見たのかな」と思った。
「なのに、いくら仕事ができても、女は家事が出来なきゃダメだ、
なんて言う人がいてね。おかしいだろ?」
それは愛子もそう思う。
「幸いお父さんは料理が得意だし、掃除洗濯も好きだ。
だからこれはお父さんとお母さんが相談した上で決めたことなんだよ」
それもわかってる。だけど・・
「愛子だって女のクセに、とか言われたらいい気はしないだろ?」
そういわれて愛子は思い出すことがあった。

愛子は少年野球のチームでショートを守っているが、
愛子のエラーで試合が負けたことがあった。
みんなにエラーを責められるのは仕方なかったが、中の一人が
「だから女には無理だって言ったんだ」と言ったのが、
今も愛子の小さな胸にささっていた。

「いいかい愛子・・・」父は続けた。
「お母さんは、そんな窮屈な考え方と戦ってるんだ。
だからお父さんも、一緒に戦うことにしたんだ。
お父さんにとっては、このエプロンは戦闘服なんだよ」
そういうお父さんの姿は、とても堂々としていた。
愛子はそんな父親がいつもより少しだけ素敵に見えた。

『それでもやっぱり私は、そんなお父さんが
あんまりかっこいいとは思えません』
愛子は作文の続きをこう締めくくった。
『でも、一度くらいみんなを呼んで、
お父さんのケーキを食べてもいいかな、と思いました』・・・。


                         村井さだゆき 「ほんの少しの勇気」 より