ブロークン・ドリーム

店頭で売り物のバイクを磨いていた純一の肩を、貴之はポン! と叩いた。
「元気?」
「ごぶさたしてます!」
あわてて立ち上がった純一の頭がピョコンと下がる。それに笑顔で応えながら、
貴之はさりげなく店内を覗いた。目当ての人間、光弘は奥のテーブルでファミコンに
熱中している。思わず苦笑してしまった貴之に光弘が気付き、ヨッ! と手を上げた。

店の壁に、作業着を着た光弘とレーサー姿の貴之の写真が飾られている。
かつてふたりがチームを組んでいた頃の物だ。
今はこの店の従業員となった、純一と克二の姿も見える。

貴之は売り物のバイクにまたがり、光弘のファミコンを眺めていた。
そしていかにも思い出した! という風を装って、光弘に声をかけた。
「そうそう、耳寄りな話があってさ、いや、偶然
島さんにあってね。イイ若いのがいるって言うんだ」
「可愛い子か?」、とぼけた声で光弘が答える。
「なに言ってんだよ、ライダーだよ。まだ下のクラスだけどさ、筋はかなりいいって」
ついつい貴之の声は真剣になってしまい、光弘をじっと見つめた。
「そうか、ならメカは俺じゃねえほうがいいな。なんせ俺は
君という才能あるライダーを勝たせらんなかった男だよ」
ファミコンの手も休めず、光弘が答える。貴之はバイクのエンジンを
ふかすマネをしながら、「軽いカンジ」を意識して話し続けた。
「おっさん、まだ老け込む年じゃないだろ」

ファミコンに熱中している風を装いつつ、光弘もまた「軽く」答える。
「タカ。・・気にすんな。別に俺が辞めたのはおまえが負けたからじゃねえ。」
「だったら---」
「そういうお前こそどうなんだ」
貴之の声を遮って、光弘がたたみかける。
「どうって?」
「楽しいのかよ? 今の仕事。夢はあるのか?」
握り締めたファミコンの手を離し、貴之の目を見つめた。厳しい目だ。
「---あるさ! いつか独立する。青年実業家ってヤツかな」
「--- OK」
貴之の返事を聞き、光弘の表情が和らいだ。そして再びファミコンに目を向けた。
「そろそろいくか」とバイクを降りた貴之は、ふと、店の隅に積まれた
雑誌に目がいった。---レース雑誌だ!
「おっさん」
ニヤリと笑った貴之は光弘の腹をつかみ、
「少し腹出てきたんじゃない?」とからかい、嬉しそうに店を後にした。

数日後、宅配ピザ屋のバイクを押しながら、貴之は再び店を訪れた。
「おっさん〜! 頼む! やっちまったよ!」
見ると後輪がパンクしている。
「ハハハ、元レーサーのお前がこんなオモチャに手こずってるとはだらしねえなぁ」
愉快そうな光弘を真顔で遮り貴之は、
「笑い事じゃねぇんだ。30分過ぎたらタダになるんだ! 首になっちまうよ!」
と叫んだ。その瞬間、光弘の目つきが変わった!
「タイムは? あと何分だ!?」
「な、7分!」
慌てて時計を見て貴之が答える。「距離は?」「2キロ!」
光弘はパチンと指をならし、純一と克二に集合をかけた。

店内は一転して慌ただしくなった。水の入ったバケツを克二が運んでくるのを見て、
「時間ねぇんだ! いいから新品のチューブ持ってこい!」
と叫ぶ光弘。
「オイルチェック!」
まるでピットのような動きだ。テキパキと純一と克二に
指示する姿は、ファミコンオヤジとは同一人物には見えない。
タイヤがはまった。光弘は最後のボルトを渾身の力を込めて締める。
「よし、出せ!」

路上に貴之のエンジン音が響く。
「残り5分10秒!」
ストップウオッチを持った純一が叫ぶ。既にヘルメットを被り、
貴之は準備万端。克二がその前でフラッグを振った。
ひときわ高いエンジン音を残し、貴之は一直線に飛び出した。
光弘は、その背中に思いっきり手を振った。久々に味わう、充実感だった。


角を曲がった貴之はアクセルを絞り、バイクを止めた。ヘルメットを脱いで
荷台を開ける・・と中にはコーラが一本入っているだけで、
ピザなんてどこにも入っていない。貴之はそのコーラを取り出すと、
満足げに飲みほしながら、
「休憩終わりましたぁ。今から戻ります!」と携帯電話をかけた。

貴之を見送り、はずしたチューブをバケツの水につけていた光弘は
ニヤリと笑った。そこには、偶然パンクしたとは思えない、
綺麗な傷跡が一筋残っていた。



                 野尻靖之「ブロークン・ドリーム」より