わがまま姫

「また、わがまま姫?」
「そう。検診の時間なのに、嫌だ嫌だって頑張っちゃって。
まったく困ったもんだわ」

病院の長い廊下で、二人の看護婦が話していた。噂の主は、
第三病棟の問題児、エリカ。3ヶ月前に入院して以来、
食事をまずいと言っては床にぶちまけ、カーテンの開閉だけのために
看護婦を呼び付けとわがまま放題。二人ともエリカには、ほとほと
手を焼いていた。おかげで彼女についたあだ名は「わがまま姫」。
今や彼女の病室から呼び出しコールがある度、ナースステーションでは
「またぁ?」というため息が流れる。
「そりゃ、同情しないわけじゃないけどね」
「なんとかしたいよね、ホントに・・・」
二人は廊下の端で考え込んだ。


看護婦を追い払ったエリカは、ぼんやりと窓の外に目を
向けていた。子供たちの元気な声が聞こえる。楽しそうな
笑い声を聞いていると、エリカはたまらない気持ちになり、
看護婦を呼んでカーテンを閉めさせようと、コールボタンに
手をのばした。と、そのとき、病室のドアがすっと開き、
小さな男の子が顔を出した。

「おねえちゃん、どうしてわがままばっかり言うの?看護婦さんが困ってるよ」

男の子は勝手に病室に入ってくると、エリカの目を見てそう言った。

「・・・そんなのあんたに関係ないでしょ!」

エリカはパジャマ姿の男の子に、怒って言い返した。
私が看護婦に何をしようと、この子に関係ないじゃない。
学校帰り、突然バイクに突っ込まれて私の運命は変わって
しまった。そんな私の気持ちが、誰にわかるって言うの?
あの日以来、私はすべての希望や可能性をなくしてしまった。
そんな私の小さなわがままくらい、一体なんだって言うのよ!
エリカは心の中でそう叫びながら男の子に言った。

「あんたになんか、わかんない。私の足、もう動かないのよ!」

怒鳴るエリカの顔を男の子はキョトンとした表情で見つめた。

「なーんだ、それだけ?」

男の子の無邪気な声にエリカは一瞬気をとられた。
「だって、歩けなくたって出来る楽しいこと、いっぱいあるじゃん!
ゲームだって出来るし、アニメも見れるよ。」
クリッとした目でエリカを見つめる表情は、真剣そのものだ。
「・・・そうね・・・そうかもね」
エリカはなんだか笑いと涙が同時にこみ上げてくるような、妙な気分だった。
「このペンダントあげるから、もうわがまま言っちゃダメだよ!」

エリカの手に強引にペンダントを握らせると男の子は
「じゃあね」と出ていってしまった。「あっ、ちょっと!・・・」
呼び止めようとしたエリカは、ベッドの上でバランスを崩した。
手にしたペンダントが外の光を受け、キラッと光る。その瞬間、
エリカは心に重くのしかかっていたものが、少しだけ軽くなった気がした。

「どうしましたぁ?・・・あらそのペンダント、まさか!」
やってきた看護婦は、エリカのベッドに駆け寄り、ペンダントをもぎ取った。
「これ、武くんの・・」
青ざめた顔で看護婦が呟いた。
「そう、武くんって言うんだ。あの子。もう随分長くいるの?」
エリカはちょっと嬉しそうな声で聞いた。だが看護婦は顔を曇らせ、少し躊躇して、
「武くん・・・、あなたの前にこの部屋にいたの。でも、もう一ヶ月以上前に亡く
なったのよ・・」
「!?」
エリカは言葉を失い武のくれたペンダントを見つめ、両手で
ギュッと握りしめた。しばらくそうしていたが、静かに顔上げ、
ペンダントをかざしてにっこりと微笑んだ。

 微笑むエリカの顔を、ドアの隙間から看護婦たちが嬉しそうに覗いていた。
 隣りで、武も一緒に「やったね!」と小さくガッツポーズを決めた。



                村井さだゆき「空を見上げて」より