学習院女子中等科・高等科


学校説明会 訪問日時:2002年10月5日

地図で学習院女子の場所を調べると、JR高田馬場駅からかなりの距離があります。といって地下鉄の早稲田駅からは逆戻りする感じでやはり近いとは言えません。そこで、ちょうど池袋に行く用事もあったので、池袋からバスに乗ってみることにしました。

ところが、大きな池袋駅の東口から出ると、バス乗り場がどこにあるのか案内板を見てもよくわかりません(/_;) さいわい、親切な西武バスの運転手さんが教えてくださって、サンシャイン方面に行く大通りの途中にある渋谷行きのバス乗り場を発見することができました^.^

バスですと、池袋から10分ぐらいで「学習院女子大前」のバス停につくことができました。そこからは徒歩数十秒で学習院女子の正門です。あとで説明会でもくわしくご説明があったのですが、日本で最古の鋳造で作られたという赤茶色の鉄製の門がとても風格があります。この門は学習院が神田で開学された時に建てられたものを移設したもので、国の重要文化財に指定されているそうでした。

そこからしばらく長い並木道を歩きます。始めのうちは右手に都立戸山高校の校舎が見えたりして、すこしごみごみした感じでムードが出ないのですが、しばらく行くと苔むした老巨木が立ち並び、学園らしい雰囲気がただよってきます。

この並木道はいったいどこまで続くんだろうか・・・と思えるほど歩いたころ、右手にグラウンドが見え、ソフトボール部の子たちが練習をしていました。そして正面から、高校生と思える3人組の生徒たちが歩いてきてすれ違いました。

その生徒たちが3人ともひざ上15センチぐらいにスカートを短くしていたのはびっくりです(@@) うち2人は茶髪っぽいです(^^;; なんだか学校のムードにそぐわない感じです(^^;;

ただ、その後の校舎見学や帰り道で何十人かの生徒を見かけたのですが、その中ではスカートが短い子は一人だけで、茶髪の子は一人も見かけませんでした。このように、来場者の目につくところに、おそらく学校側としてはあまり見られたくないかっこうをした生徒がなぜか折悪しくいるというのは東洋英和や跡見でも経験したことです(^^;;

説明会場の体育館は東京オリンピックの前に作られたという古いもので、ものすごく広いのに驚きます。開始20分前に到着したのですが、もうその広大な会場が半分ぐらい埋まっています。古い体育館ですので冷房はなく、あちこちでパンフレットや扇子で顔をあおぐ人がいます。

開始までだいぶ時間があったので、パンフレットをほとんど読みつくし、時間つぶしに会場にいる人たちの観察を始めました。意外だったのは、土曜日の説明会であるのに、子どもの数がとても少なかったことです。ほとんどはご夫婦づれかお母さまだけでの出席です。

お母さまがたの服装は、さすがに気合いの入ったスーツ姿の人が多いですが、若いママさんも多く、シャツブラウスにパンツというかっこうの人もいます。染めた髪がだいぶ伸びて半分黒くなり、「プリンちゃん」状態になった人もいます。事前に想像していたような超フォーマルな出席者ばかりでなく、おしゃれしてきてちょっと拍子抜けです。

定刻が近づくにつれ、あとからあとから来場者が詰めかけ、やがて広い体育館も、ほぼ満席となりました。学習院女子は年にたった1回しか説明会を開催しないので、出席者が集中するということもあるのでしょうけど、それにしてもすごい人数です。何百人か見当もつかないですけど、たぶん千名は軽く超えているのではないでしょうか・・・?

説明会の始めに、本校のブロックフレーテ・アンサンブル部による演奏がありました。舞台の幕があくと、夏服姿の10名の生徒たちがおり、モーツアルトのオペラ曲を演奏してくれました^.^ この部は全日本リコーダーコンテストにおいて、高校の部で金賞、中学の部で銀賞を受賞したそうです。さすがに一糸乱れぬ演奏ぶりで、とても完成度が高いと感心しました^.^

つづいて、科長先生(他校でいうところの校長先生)のお話がありました。科長先生は、「すべての話に先立ちまして、どうしてもお話しておかねばならないこと」として、はじめに9月に週刊誌で報道された学習院の不祥事についてのお話をなさいました(^^; 「これを本校に対する厳しい警告と受け止め」改善をはかって行きたいとのことでした。そして「ご心配をおかけし、心からおわび申し上げます」と謝罪なさいました。

わたしも週刊誌のその記事は読んだのですが・・・。一部の不心得者のしでかしたことですし、あえて説明会でおふれになることはなかったのではないかなあ・・・という気もしました。学習院女子を受験させようという保護者のかたたちは、「学習院しかない」という一本やりのかたが多く、不祥事があったからといって受験を取り止めるかたは少ないような気もしますので・・・。ですけど、それでもあえて傷口にふれ、謝罪なさったのはこの学校の誠実さのあらわれかな、という気もします。

それから正門についてのご説明などがあったのち、本校の沿革についてのお話がありました。学習院は明治10年に神田に設立され、ことしで創立125年となるそうです。当初私立学校として開学しましたが、明治17年、宮内庁管轄となったそうです。

そしてその翌年の明治18年、女子のための華族女学校が設立され、男女別学となりました。学習院女子の前身のこの華族女学校からかぞえると、3年後の2005年で創立120年になるそうです。

この、我が国で最も古い歴史を持つ女学校の一つである華族女学校は、時の皇后陛下の「女子にも独自の教育を施す」という思し召しにより作られたものだそうです。当時はその理念は一言でいえば「良妻賢母」だったようですが、現代においては「その時代に生きるにふさわしい品性・知性」を身につけさせるということを教育理念となさっているようです。

そして明治39年、ふたたび学習院と合併し、学習院女子部となったのですが、大正7年にはまた分離し、女子学習院となったそうです。

そして昭和20年の終戦ののち、戦後の意識改革の中で、「いま思えばたいへんな決断だった」こととして、ふたたび学習院と女子学習院は合併し、「官立」から「私立」へと変換がなされました。そして「広く門戸を解放しましたが、皇族のかたが通ってらっしゃることに変わりない」学校として今日へといたっています。

なんだか学習院とくっついたり離れたりをくり返している様子が、男性の作った歴史に翻弄され数奇な運命をたどった女性の一生のようで、このあたりは興味深いお話でした。

つぎに進路についてのお話がありました。ことしの195名の卒業生のうち、70パーセント弱が推薦で学習院大、学習院女子大に進学し、30パーセント弱が浪人をふくめ他大学に進学したそうでした。「受験のための講習・補習はしていない」「中高は大学受験のためのものではない」「むしろ生徒一人一人の能力や個性をのばすことを最も大切な教育だと考えている」などのお話もありましたから、受験の際は学習院大学への進学を前提に考えたほうがよさそうです。

科長先生のお話の締めくくりとして、「子どもらしい好奇心と強い向学心を持つ子どもの入学を強く希望している」とのおことばがありました。

つづいて生徒課長先生より学校生活について、教務課長先生より入試についてのご説明がありました。入試についての変更点としては、いままで理社は問題用紙を同時に配られ、合計60分でおこなっていたのを、30分ずつに分けておこなうようになること。また、帰国子女の受験資格に若干の変更があることだけのようでした。

全科目の出題傾向としては、表現力というか、記述の力がだいぶ重視されるようです。また、面接は保護者同伴ですが、ボーダーで考慮される程度のようです。ただし、帰国子女は面接も重視されるそうでした。

1時間10分ほどの説明会が終わり、つづいて校内見学となりました。あらかじめ見学していい場所がかかれた地図が配付されていたんですけど、見られる場所にかなり制限がありました(^^;;

ぞろぞろと大勢のかたが順路にそって歩いていかれるのについていくと、はじめは室内プールでした。敷地がとてつもなく広いので、なんとプールだけの別棟の建物が建てられているというぜいたくさです(@@) プールの出入り口は黒山の人だかりでしたので、背の低いわたしはぴょんぴょんと飛び上がっても中の様子を見ることはできませんでした(^^;;

あきらめてグラウンドに行くと、土のグラウンドではソフトボール部が練習していました。グラウンドもものすごく広く、ソフトボールの試合を同時に2つしてもまだ余裕がありそうです(@@) それから引き返して、バレー部やテニス部などの練習を見ました。大きな声を出して練習していましたけど、ややおとなしめかな・・・という気がしました。

キャンパスはほんとにどこもゆったりしていて、都内の学校とはとても思えないぐらいです。中にはレンガ造り風の建物があったりします。

校舎は中1の教室を廊下側から見れただけでした。机やいすがびしっと整とんされており、白百合と同じようなお揃いの紺色のお座ぶとんもちゃんと並べられています^.^ そのほか、コンピューター室や実験室を外のベランダからガラス越しに見ることができただけでした(^^;;

図書館も独立した建物になっています(@@) 座席数がとても多いのに感心しました。また、レンガ造りの売店の建物もあったんですけど、中は記念品を買い求める人で身動きもできないほど混雑していたので、入るのをあきらめました(^^;;

帰り道、正門に向かうために並木道を反対向きに歩いていくと、来る時に感じたのとは別な、なんとなく幽玄な雰囲気のようなものを感じました。学園を守るようにそびえ立つ老巨木たちのかもし出す雰囲気だったのかもしれません。


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