2月2日 その5


 同じ塾から何人も聖ジャンヌを受けに来ているはずだけど、あいにくあたしの受験する教室には知っている顔はひとつもなかった。

 受験番号の書かれた紙の張られた席について、参考書を開く。文字を目で追っていても、なかなか集中することができない。教室の中を見回すと、ほとんどの子はあたしと同じように参考書やノートを開いて目を落としていた。でも、なかには友だちと同じ教室になれたのか、小声でおしゃべりしている子たちもいる。教室の入り口からは、新しく到着した受験生たちがつぎつぎと入ってきた。

 女子学園を受験したときに感じたように、みんなあたしより勉強ができそうに見える。家を出るまでは、絶対合格して見せるって思っていたのに・・・。だんだん自信がしぼんでいく。

 もし落ちたら・・・。じわじわと忍び寄ってくるその考えを振り払おうとして、あたしはなんとか参考書に集中しようとした。でも、目はうつろに文字の上を滑っていくだけ。

 考えてみたら、こんなに大勢の知らない人の中でひとりぼっちでいるというのは、あたしにとっては生まれてはじめての経験だった。幼稚園に入ったときも、小学校に入学したときも、まわりには知っている子の顔があった。たまたまだけど、東武文理を受験したときも、女子学園を受験したときも、同じ塾の教室の子がいて、ずいぶんこころづよく感じたものだった。

 でも、いまはあたしひとり・・・。

 しばらくすると、あたしはただ座っていることに耐えられなくって、立ち上がってトイレに行くことにした。教室を出ると、通路に立った制服のお姉さんが、待ってました、みたいな感じで近づいてきた。

「おトイレ?」

「・・・はい」

 うなずくと、お姉さんはわざわざあたしをトイレまで連れていってくれた。用をすませて出てくると、おどろいたことにトイレの外でずっと待っていてくれて、教室まで連れて帰ってくれた。

「・・・ありがとうございました」

 お姉さんにお礼を言うと、あたしは自分の席に戻った。

 

 試験の始まる時刻が近づくと、おしゃべりしていた子たちの声もしだいにやんで、教室の中は重苦しい沈黙に包まれた。だれかがえんぴつを置くコトリという音さえも、大きく響いてくるような気がする。

 あたしは参考書を読むことをあきらめた。黒板の上の、ふつうの学校なら時計があるはずの場所にかけられた十字架をぼんやりと見つめる。

 なにもしないでいると、振り払っても振り払っても、またあの考えがじわじわと心の中からわき上がってくる。

 もし落ちたら・・・。

 もし落ちたら・・・。

 パパやママの悲しむ表情まで想像されてくる。あたしは頭を振って、懸命にその考えを追い払おうとした。でも、だんだんと耐えられないほどの緊張感が襲ってくる。あたしはこの場から逃げ出して、どこかに消えていなくなってしまいたいような気持ちになった。

 

 その時、教室のドアが開く音がして、みんないっせいに背中をびくっと震わせた。問題用紙を抱えた何人かのお姉さんたちをしたがえて、ねずみ色の修道服の女の先生がしずしずと教室の中に入ってきた。あたしは、思わずいすに座り直して、背筋を伸ばした。

「みなさん、ごきげんよう」

 先生がにこにこしながらあいさつしてみんなの顔を見回したけれど、緊張しきった生徒たちからは、ぼそぼそと小さな声でしかあいさつが返ってこなかった。

「・・・おはようございます・・・」

 あたしもいちおうあいさつしたけれど、口の中がからからで、舌がはり付いたようになっていたので、ほとんど声にならなかった。


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