ツボックのワールドカップ観戦
「今から、非常に重要な事があるので、家に来て下さい」
ツボックがるびいに電話を入れた。
「重要な事て、何かしら」
るびいが、ツボックの家を訪れると、彼はTVを拝みながら、何やらぶつぶつと唱えていた。
「あ!るびいさん、遅かったですね、ささ、早く、僕の手を握って、パワーを貸して下さい」
「パワー?」
「この前の雪合戦のように、ふたりで念動波を増幅してドイツまで送るのです」
「え!」
「サッカー世界一を決める試合です、念力を使って日本を勝たせるんです」
「ちょ、ちょっと待って、ツボックさん、それは卑怯よ」
ツボックの目は血走っていた、よほどのサッカー狂なのだろう。
「何を言うのですか、るびいさん、今の日本の実力では首位に上がるのは難しいです、日本が負けても良いのですか!」
るびいは、興奮するツボックをなだめるように言った。
「まあまあ、落ち着いて、今回は初戦だから成り行きを見守っても良いんじゃない、どうしても勝たせたいなら、後の二戦で念力を送れば良いでしょ」
なるほど、論理的である、ツボックの興奮は治まり、大人しくTVを見始めた。
論理的に諭されると、きわめて落ち着くのがバルカン人の特性であった。
「後半が始まりました、一点ビハインドのオーストラリア、どの様な作戦を立ててくるのでしょうか」
「ボール支配率はオーストラリアが圧倒的に高い、じりじりと日本のぺナルティーエリアに寄って来ます」
「当然、日本のデフィンスラインは下がる、オーストラリアのオフェンスは上がる」
こうなると、日本にはカウンターのチャンスが増える。
オフサイドラインぎりぎりから飛び出す、高原、中村、幾つかシュートを放つがゴールを決める事は出来ず。
こう着状態が続いたまま、20分が過ぎた。
オーストラリアも度々、決定的なチャンスを掴んだが、川口のファインセーブにより得点にならず。
焦りだしたオーストラリア、ラフなプレイが目立つようになって来た。
明らかに足を狙うようなスライディング、背中を突き飛ばすバックチャージ。
イエローカードが噴出するが、おかまいなし、30分を過ぎた頃、そのラフプレイは頂点に達した。
オーストラリアの巨砲、マーク・ヴィドゥカが蹴ったボールがディフェンスの要宮本の左肩を強襲した。
肩を押さえたまま蹲り動かない宮本、心配そうに身を乗り出すジーコ監督。
宮本は苦悶の表情を浮かべながらタンカでピッチから運び出された。
どうやら左肩関節を脱臼したようだ。
アクシデントか故意に宮本を狙ったのか、それは分からない、しかし、胸突八丁でボールを蹴った事は誰が見ても明らか。
主審は胸のポケットに手を入れ、カードを出そうかどうか迷っているようだ。
結局、カードは出なかったが、日本人サポーターはもちろん、試合を観戦に来たギャラリーも、このプレイをきっかけに雰囲気が変わった。
「観客が騒ぎ出しました、一部でブーイングも起こっています」
「お〜と、どうした事か、宮本がピッチに戻って来ました、左腕を三角巾で吊っています、これでサッカーが出来るのか?」
「主審が駆け寄って来ました、宮本の背中を押し、ピッチから押し出そうとしています、そして、ジーコ監督を呼びました」
顔を真っ赤にして主審に抗議するジーコ、宮本を間に挟んで主審と議論を始めた。
主審を押しのけピッチに入ろうとする宮本。
顔を左右に振り、何かを否定する主審、ついにレッドカードを取り出し、宮本に向けた。
「お〜、大変な事が起こりました、宮本が退場です」
ジーコは両手を上げ、なにやら呟くと、踵を返し主審に背を向けた。
主審はジーコの後を追い、レッドカードを差し出した。
「なんと!ジーコも退場、どうする日本」
日本は残り試合時間10分を10人で、しかも監督不在で戦わなければならなくなった。
必死のオーストラリアは全員攻撃を仕掛けてきた、ディフェンスにはゴールキーパー以外誰もいない、十字砲火のように放たれるシュート、日本のディフェンスは全員ぺナルティーエリアに入っている、賢明にボールを追い出す日本だが、サイドラインを割るのが精一杯、すぐさまスローインから波状攻撃に移行するオーストラリア、このままではゴールを決められるのは時間の問題。
「お〜、中田が、高原が、中村が、全員下がって来た、ぺナルティーエリアに入った、もはやフォワードもミッドフィルダーもない、全員ディフェンスだ」
残り試合時間は後5分、この5分を守りきれば勝ち点3だ。
「あ〜!高原がファール」
シュミレーションのように見える転び方だったが、先ほどの宮本の一件が審判の心象を悪くしてしまったのだろう、高原にはレッドカード、しかもPKを取られてしまった。
やはり本来フォワードの選手がディフェンスをするのは無理だったのか。
シュートするのはヴィドゥカ 、川口はいつものように微動だにしない。
睨み合うキッカーとキーパー、固唾を呑んで見守るサポーター、いつもより永い時間が経過する。
すると、観客席より何やらコールが聞こえてきた。
「こ、これは、どうしたことか、私、30年、サッカーの実況をやっておりますが、こんな光景は見た事がありません」
「キープ、キープ」
「ギャラリー全員が立ち上がりキープ(守れ)の大合唱です、オーストラリアのサポーター以外は全員、日本の見方です」
「もし、このシュートが決まれば暴動が起こるかもしれません、守ってくれ川口」
「蹴った、川口跳んだ、あ〜、読みが外れた、左にジャンプした川口に対しボールは右に飛んだ」
「な、な、何と川口、足を伸ばした、距離の足らないところはつま先を伸ばした、ボールは右足つま先の親指の先端に弾かれ、枠を外れた〜!」
「川口、正しく奇跡のセーブ、ミラクルセーブだ!」
誰もが日本の勝ちを信じた、次の瞬間、キューウェルが飛び込んだ、見事なダイビングヘッド。
「ゴール!」
主審のホイッスルが吹かれた。
これで1対1の同点だ。
三都主はゴールに飛び込むと、ボールを掴み、賢明にセンターサークルへ駆け出した。
思わぬ失点で1対1になってしまった、この試合を落とすと後が厳しい、残りの時間で、もう一ゴール決め、勝ち点3を取るつもりだ。
ディフェンスに回っていたフォワード陣は素早く、本来のポジションに戻った。
ギャラリー全員の応援を背に受け、まさしく電光石火の攻撃が始まろうとしていた。
しかし、日本のチームは重要な事を忘れていた、宮本、高原が抜けている事を。
攻撃のため、著しい前傾フォーメーションをとった日本、ディフェンスに大穴が開いてしまった。
オーストラリアがその隙を逃すわけが無い、MF の エマートンがインターセプト、鋭いスルーを出した。
受けたヴィドゥカ、ゴールへめがけ超特急ドリブル、日本のディフェンス追いつけない。
キーパーと一対一の勝負だ。
「お〜と、川口の様子がおかしい、右足を引きずっている、どうしたのだ」
先ほどのミラクルセーブ、川口はこの時、右足親指骨を骨折していたのだ。
激痛に耐えながら賢明に前に出て、シュートコースを塞ごうとするが、足が付いてこない。
川口、ばったりと倒れこむ。
ヴィドゥカは倒れこむ川口の横から、余裕でシュートを決める。
ピッチを這うように、ボールの後塵を追う川口。
日本にとってみれば、試合の流れを掴んだ事があだとなった、思わぬカウンター攻撃を受け、逆転負けをしてしまった。
無情のホイッスルが吹かれ試合は終了した。
直後、多くのギャラリーが警備員の制止を振り切り、ピッチになだれ込んで来た。
そして、ピッチに倒れこむ日本代表を起こすと、賞賛の嵐を吹かせた。
ジーコ監督とそのチルドレンは報道陣、日本のサポーターに囲まれもみくちゃにされた、中にはオーストラリアのサポーターもいる。
ピッチの上はまるでカーニバルのような状況になった、勝ったオーストラリアチームは横目で日本チームを恨めしそうに見ながらスタジアムを後にした。
「何ですか、これは?日本は負けたんでしょ、しかも負傷者を二人も出して、何で、皆、日本を讃えているんですか」
ツボックはリモコンでTVの電源を落としながら言った。
「それはね、日本のみんながサムライスピリットを発揮したからよ、皆、その魂に感動したの、スポーツてね、勝ち負けだけじゃないのよ」
ツボックは意味深な表情を浮かべて黙っていた。
このるびいの言葉の意味をツボックが理解したかどうかは分からない。
しかし、その後、彼はスポーツ観戦に念力を使わなくなった事は事実である。
おしまい