愛の存在証明

 

 日曜日の昼下がり、るびいはパティオで植物の世話をしていた。

彼女はガーデニングを趣味とし、特に薔薇を好むが、植物全般に造詣が深い。

冬から春先に掛けてはパティオでの植物育成に力を入れ、愛情を持って多種の植物を育成している。

春の陽光が明るく射すパティオの中、るびいは霧吹きでハーブの葉に水を掛けた。

惜しみない愛情を掛け育てられた彼女のハーブは質が良く、ハーブティーに用いると滋養強壮に効果が高いと評判であった。

「ピンポロロ〜ン」

 玄関の呼び出しチャイムが鳴った。 

るびいは作業を中断すると、手を洗い、急ぎ足で玄関に向かった。

ドアを開けるとツボックが立っていた、すっかり春らしくなったこの時節、彼は薄手のセーターにジーンズという軽装であった。

「るびいさん、突然、すいません」

ツボックは、口早に挨拶を済ませると、キョロキョロと扉越しに外の方を伺い、ササッとドアを閉めた。

人目を気にしているように見える。

「何か、あったの、ツボックさん?」

すると、ツボックは突然、両手を胸元で結び言った。

「お願い、一つ下さい」

 るびいは訳が分からなかった、先ほど見せた人目を気にするような行動、さらに、今の懇願。

「何が欲しいの?ツボックさん」

 るびいの問いかけに、ツボックは顔色一つ変えることなく冷静に答えた。

「パンツを、一枚下さい」

 るびいはこの一言を聞いて、ツボックの人格を疑った。

突然来て、レディーの下着を欲しがる男、なんと、お下劣。

「ハァ?、ツボックさん、何言ってるの、そんな冗談、私、嫌いです!」

 ツボックはるびいの憤怒した表情が理解不能であった。

(過日のるびいさんの言動を正確に再現しているのに、何故、彼女は怒るのだろう?)

 ツボックは必死になって思考を巡らせた。

(何故だ、何故だ)

 間もなく、ツボックは怒りの原因を突き止めた。

(そうか、分かったぞ!言語が正確ではなかったのだ、地球大百科によると、女性用の下着はパンティーと言う、女性のるびいさんに対して男性用の下着を求めた事は、大なる過失なのだ)

誤りを正直に認め、正確な地球語を使おう、そうすれば、きっとるびいさんの機嫌は良くなるはずだ、そう思ったツボックは、努めて大きな口を開け、はっきりと大きな声で喋った。

「るびいさん、僕は女性のあなたに対し、大変失礼な事を言ってしまいました」

 この、一言を聞き、るびいの顔に安堵の表情が戻った事は言うまでも無い。

「正確に言い直します、パンティーを下さい!」

 るびいは、足を滑らせ、転びそうになった。

この、るびいの動作を見て、ツボックは更に困惑した、まだ、何か不足しているようだ。

 彼は過日のるびいの行動を、もう一度、振り返り、思い起こした。

(そうか!、顔だ、顔を赤くしなければいけないのだ)

ツボックは息を止め、顔を赤くしようと試みた。

 10秒、20秒、30秒、時間の経過と共に、ツボックの顔は次第に赤くなってきた。

やがて、1分も過ぎようとした頃、彼の顔は食べごろの林檎のように真っ赤になった。

 これくらいで良いだろう、そう思ったツボックは、閉じた巾着袋の口を開くように、上下唇を一気に離すと、大声を出した。

「パンティー下さい、使用済みも可とする!」

 もはや、るびいの怒りは頂点に達した。

「今日のツボックさん、何か変、もう、帰って!」

 るびいは、そう言いながら、ツボックの二の腕を掴み、もう片方の手でドアを開くと、力を込め、彼を押し出そうとした。

ツボックはドアの端にコアラのようにしがみつき、叫んだ。

「違う、違うんです、誤解しないで下さい!」

「実は、この前から変な女につけられていて、その女、最近は家の周りをうろつき、僕の家の中の様子を窺がっているんです、そのうち押し入ってくるのじゃないかと思って心配で・・・それで、女物の下着を干しておけば、少しは安心できるかと・・思って」

 るびいは、このツボックの話を直ぐには信じなかった、しかし、疑うより信じろという格言を思い出した彼女は、ツボックをリビングに通し、腰を据えて話を聞く事にした。

「ツボックさん、落ち着いて、私にも分かるように説明して」

 ツボックはソファーに座り、るびいと向かい合った。

「つけられているのは本当です、でも、その女性とは会った事がないし、不気味なんです、何が目的なのかと思って・・・・」

 るびいは安心した、どうやら、ツボックの話は本当のようだ、ストーカーの事は別として、彼の人格は変わっていなかった。

「良かった、ツボックさん、変態になっちゃたのかと思ったわ、お茶でも入れて上げるわね」

 るびいは、パティオのプランターから、ローズヒップの葉を数枚摘みハーブティーを煎れた。

 それを彼女のお気に入りのブーケローズの模様の入ったクリスタルカップに注ぎ少量の蜂蜜を加え、ツボックに差し出した。

 ツボックはそれを一口含むと、何かに打たれたように、ピッと顔を上げ言った。

「この、お茶、美味しいですね」

 ツボックは目を丸くして、そのハーブティーを啜った。

「愛情を一杯掛けて育てたハープだから美味しいのよ」

 るびいは、ニコニコと微笑みながら嬉しそうにツボックがお茶を啜るのを眺めていた。

一気に飲んでしまうのはもったいないと思ったツボックは、少し残し、ティーカップを置いた。

「でも、ツボックさん、女物の下着を吊るしても効き目ないと思うわよ、相手が女性ではね、ムプププ」

 残念ながら、この時点においても、ツボックはるびいの発言の意味を理解する事が出来なかった。

納得のいかない顔をするツボック、額に?の字が浮かんでいるようだ。

 その時、玄関の呼び出しチャイムが鳴った。

ピンポ〜ン

 るびいが、玄関に出向くと、見知らぬ女性が立っていた。

見たこともない素材で作られた黒のロングドレスを着込み、胸には流星の形をしたブローチを着け、電子辞書のような機械を手に持っている。

身長は170センチほどで、驚く程スリム、髪はロングで肩の下まで垂れ下がっている、どのようなトリートメントを使っているのか、その艶はビロードのようである。

 顔は、これまた、どのような美白剤を使っているのか、絹のような美肌である。

何かの化粧品のセールスか、または、エステサロンの勧誘員か、それとも、アクセサリーの販売員、いずれにしても高価な物を買わされる、そう思ったるびいは、直ぐにドアを閉めようとした。

「いりません!」

 すると、その女性は、なんと、片足を突っ込み、ドアを閉じないようにして言った。

「トリコーダーの反応によると、ここにバルカンの個体が一体あるようだ」

 その女性は、片手でるびいを押しのけると、つかつかと家の中に入り込んできた。

その、腕力は強く、歩みは重機関車のように重かった、るびいは制止する術がなかった。

 その正体不明の女性は、手にしている機械を覗いた、それは、レーダーの様な働きをするもので、ツボックの位置を表示しているらしい。

「ここだ」

 女性は一言、そう言うとリビングに入り、その機械をツボックに向けた。

DNA照合、網膜スキャン、バルカン一般市民ID707−72451、ツボック本人と確認」

 ツボックはソファーから慌てて立ち上がり、その女性を指さし言った。

「き、君は、誰だ、何故、僕のIDを知っている?」

 その女性は、狼狽するツボックとは対照的に、極めて冷静であった。

「私は、バルカン星、第678セクション第9870セクター第672ブロック所属の一般市民タペル、IDは631−77987」

 ハッ!

 どうやら、ツボックは何かを思い出したようだ、顔色が青くなった。

「タ、タペル、何故地球に来た、目的は何だ?」

 狼狽し早口で話すツボックと対照的に、タペルは極めて落ち着いた口調で話している、まるで何かの業務連絡のようだ。

「先日、クリンゴン星のカーンより、貴君の地球観察行動に不穏な動きがあると報告が入った、よって、このたびバルカン総司令部の命を受け実態調査に来たのだ」

今まで、黙って成り行きを見ていたるびいが口を開いた。

「ツボックさん、この人、誰?」

 ツボックは、るびいの方に向きを変え話し出した。

「驚かないで下さい、タペルは僕の妻です」

 その後、ツボックが語った事は、るびいの想像を絶する衝撃的な内容であった。

理想的社会を構築する事を論理的に追求したバルカン人は、遺伝子の解明に惑星規模で取り組み、数百年に渡る研究の結果、遺伝子の謎を全て解き明かした。

 そして、彼らは、優秀な遺伝子のみを子孫に継続するため計画的婚姻を行うようになった。

 最初は、ごく小規模なコミニュティーで試行された実験的プロジェクトであったが、そのプロジェクトは歯止めが利かず、今では惑星全体に拡大し、ついには計画結婚が法制化されてしまった。

 バルカン人全ての遺伝子が惑星中枢の巨大なコンピューターに収められ、そのデーターを元に、最も優秀な子孫が生まれるよう、婚姻プログラムが組まれている。

 つまり、バルカン星での結婚は、全て統制化に置かれ、出生と同時にコンピューターが婚姻相手を選出するのである。

 選出された相手には市民IDのみが通知される、従って、ツボックがタペルに面識が無いのは無理からぬ事であった。

「え!そんな、じゃ、バルカン星には独身男性はいないの?」

 この質問にはタペルが答えた。

「我がバルカン星には、婚姻という概念は無い、しかるに独身も既婚も無い、コンピューターに選出された一対の♂♀が共同で任務を遂行するのだ」

 何とロマンの無いライフスタイルか、るびいがそう思っていると、タペルはツボックの方に歩を進めながら言った。

「ツボック、貴君は地球に来てから、るびいという下等ヒューマノイドと同一行動をしているようだ、その目的と意義を述べよ」

 下等ヒューマノイドという言葉を聞き、ツボックは激怒した。

「下等などと言うな!地球人は高等な生物で、特に、るびいさんは、選りすぐれた人類だ」

 ツボックが大声を上げたにも係わらずタペルは微動だにせず言った。

「このような狭い空間で、そのような大声を出すのは非論理的である、発声音量を60デシベルに保持せよ」

 るびいが、ツボックの側に寄ってきた。

「ツボックさん、この人、ロボットみたいで、怖い〜」

「典型的なバルカン女性です、危害を加える事はありませんから、安心して下さい」

 タペルはツボックに迫りながら言った。

「花見に行ったのは何故だ、渚に出かけたのは何故だ、その根拠を論理的に述べよ!」

 気のせいか、タペルの眼光が鋭くなったように見える。

「そ、それは、植物の調査と海洋生物の調査だ」

 タペルは更に、ツボックに詰め寄った。

「何故、るびいと行かなければならないのだ、通常の調査なら、一人で十分のはずだ!」

 まるで、刑事が容疑者を取り調べているようである。

タペルの態度に鬼気迫るものを感じたツボックは、るびいを自らの体に引き寄せ、しっかりガードすると数歩後退しながら、答えた。

「そ、それは・・二人の間に・あ、愛があるから・・・」

 タペルは更に更に詰め寄り言った、気のせいか目じりが吊り上り、語気も荒くなったように思われる。

「愛とは何だ?その愛というものの存在を証明せよ!」

 返答に困ったツボックは「う、う」と声にならないうめきを上げ、更に後退した、タペルは追い詰めるようにジリジリとにじり寄って来た。

 迫り来るタペルから逃げようと、後退する二人、ついに、背が壁に着いてしまった。

正に、猫に追い詰められた鼠の有様である。

「るびいさん、こうなったら致し方ありません、事は急を要しています、このような状況で、不本意でありますが、僕とここでキスをして下さい」

 ツボックはるびいの顔を見つめた、その目つきは真剣で固い決意が現れている、どうやら冗談ではなさそうだ。

「ちょ、ちょと、待って、ツボックさん」

 るびいは、ツボックの肩を両手で押し、顔を近づけられないように踏ん張った。

タペルは身を乗り出し、瞬きもせず二人の様子をジ〜と観察している。

「タペル見ろ、これが愛の存在証明だ、るびいさん、いざ、ちゅ〜を!」

ツボックは唇をイソギンチャクのように変形させ、るびいに顔を近づけた。

しかし、彼女は、顔を横に背け、ツボックの唇を避けようとしている。

「早く見せるのだ存在証明を!」

「るびいさん、さあ、早くチュ〜を!」

「早く、早く!」

「さあ、さあ、さあ!」

 口づけを急き立てるタペルとツボック。

「もう〜、いい加減にして!」

 ついに、るびいが切れた。

ドン!

 るびいは、ツボックの体を両手で強く押した。

「おっとっとっ、と〜」

余程強く押されたのだろう、ツボックは横にすっ飛ばされ、テーブルに脛をぶつけ、転んでしまった。

「痛て、て、て〜」

 床の上にしゃがみ込み脛を押さえるツボック。

タペルはツボックを見下ろし、冷ややかな顔をして言った。

「それが、愛の証(あかし)か?」

 ツボックは、テーブルに片手を着き、体を起こしながら悔しそうな表情を見せた。

「く、くそ〜」

 その時、テーブルの上のクリスタルカップが偶然目に入った。

「こ、これだ!」

 ツボックは、そのカップを取ると、タペルに差し出した。

「これを飲んでみろ、これが愛の存在証明だ!」

 タペルはカップを受け取ると、中を覗き臭いを嗅いだ、そして、いかにもバカにした表情で言った。

「これは、何だ? ただの植物抽出液ではないか、ふん!」

 だが、この後、誰もが想像し得ない事が起こった。

一口飲むと、タペルの体がブルブルと小刻みに震え、目尻から大粒の涙が零れ落ちたのである。

 タペルは指で、涙を拭うと、その濡れた指をしげしげと見て言った。

「こ、これは、いったい何が起こったのだ・・・」

 何世紀にも渡り感情を抑圧してきたバルカン人、心に何かを感じ、涙を流す事など遠い昔に忘れ去られた事なのだ、タペルが驚くのも当然である。

「それは涙だ、タペル、君は今、感動しているのだよ」

 タペルは指を見つめたまま呆然と立ち尽くしていた、ツボックは続けて言った。

「人間は、生きとし生けるもの全てに愛を捧げる尊い生き物だ、君が今飲んだ液体は物質としては単なる植物の抽出液だ、だが、るびいさんが愛情を注いで育てたハーブにより作られている、るびいさんの愛が込められているのだ、今、君は、その全人的な愛を感じ取り感激し、涙を流したのだ、これこそ、愛の存在証明だ!」

 タペルはクリスタルカップのブーケローズ模様をしばらく眺めていた、そして、静かにカップをるびいに渡し、言った。

「愛の存在証明、確かに受け取った」

 タペルはクルリと向きを変えると、リビングの窓を開け庭に出た。

そして、胸のブローチをポンと軽く叩き、それに向かって話した、そのブローチはトランシーバーの役目をするようだ。

「周回軌道上のハムナ・パスへ通信、一般市民ツボックの調査活動に問題なし、ツボックはこのまま地球に滞在する、タペル一名のみ回収せよ」

 間もなく、メタリックレッドの巨大な宇宙船がるびい家の上空に出現し、下部ハッチが開いたかと思うと、庭に向かい一条の光を照射した、その光は徐々に形をかえ、エスカレーターの様になった、タペルはそのエスカレーターに歩を進めた。

 ツボックとるびいは窓際で寄り添い、タペルを見送った。

音も無く、スーと上昇するエスカレーター、無表情で前方を見つめたままのタペル、しかし、彼女はハッチに吸い込まれる直前、ちらりと二人の顔を見た。

気のせいか、その顔には至福の笑みが浮かんでいるように見えた。

 

                                                          おしまい