未知のウイルス
「ゴホン、ゴホン、喉が痛い、体がだるい、頭がフラフラ〜」
何かの病気になったようだ。
ツボックは医療用トリコーダーで全身を精査した。
「な、何だ?これは!」
トリコーダーのモニター画面に「unknown」と表示されている。
バルカン製のコンピューターデータベースに登録されていない未知の病気のようだ。
「こ、困った〜」
考えてみれば、衛生概念が極度に発展したバルカン星は惑星全体が無菌室のような環境である。
原始的で不衛生な地球という惑星の環境で、バルカン人がバイ菌に侵されない事のほうが不自然だ。
ツボックはパジャマのままフラフラと玄関を出ると頭を押さえながら、千鳥足でるびいの家へ向かった。
隣のるびい家までの僅か数十メートルの距離が、何万キロもの道のりに感じた。
それ程、ツボックの体は憔悴していたのである。
玄関の呼び出しチャイムを押す、るびいが出てくるまでの数十秒の時間が数時間に思えた。
るびいを待つ間、ツボックは玄関ドアによりか掛かっていたが、やがて、立っている事も出来なくなった。
るびいが出てくると、ツボックはバラのイラストの入ったタイルで作られた美しいポーチの上にバッタリと伏し気を失っていた。
「まあ、大変!」
るびいは、ツボックの体を抱き起こしながら、額に手を当てた。
顔色を一目見て、病気と推測したのだろう。
「凄い熱だわ、お医者さんに連れて行かないと・・・」
どれくらい時間が経ったのだろうか、気がつくとツボックはビニール貼りの手術台のようなベッドに寝かされていた。
るびいさんが何処かの病院へ連れて来てくれたのだろう。
だが、その部屋は、沢山の医療機器が置かれ、ベッドの上には無影灯(むえいとう)が設えられ、壁はステンレスが貼り付けられている。
地球の病院の一般的な診療室というよりも、手術室、あるいは最先端医療の研究室と言った雰囲気である。
ベッドの側には白衣のドクターとマスクを着けた背の高いナースが立っていた。
るびいは、少し離れた所に立って心配そうに様子を窺っていた。
「ようやくお目覚めか、バルカン」
そのドクターの声質と嫌みがかった口調はツボックの聞き覚えのあるものであった。
まさかと思いつつ、ツボックはゆっくりと声のする方に顔を向けた。
「あ!Dr.マッポイ」
ドクターの顔を一目みたツボックは驚きの声を上げた。
ツボックが驚くのも無理はない、Dr.マッポイは地球人の医者であるが、大のバルカン嫌いである、しかも、現在は宇宙艦隊所属、ここに居る訳がない。
「今日は全くついていない日だ、最初の患者がバルカン人とはな」
Dr.マッポイは極めて人間性の強い人物であり、論理的思考意外認めないバルカン人とはイデオロギーが全く合わない、その為、彼がバルカン人を診察する時は、終始嫌みを言い続けるのである。
「君のような冷血漢の体に入ったインフルエンザウイルスに同情するよ」
ツボックの体を侵していた未知のウイルスはインフルエンザだったようだ。
病気の正体が分かっても、DR.マッポイは苦虫を噛み潰したような顔をして、嫌みを言い続け治療しようとしない。
「君達の緑色の血を見るとぞ〜とするね、まったく!」
見かねたるびいはベッドの側に立つと、ツボックの顔を覗き言った。
「ごめんね、方々探したんだけど、宇宙人を診てくれるお医者さん、この人だけだったの」
ツボックは少しだけ顔を持ち上げると、咳き込みながら言った。
「ゴホンゴホン、いいんです、Dr.マッポイは口は悪いけど腕の良い医者です、ありがとう、るびいさん」
マッポイは二人のアイコンタクトを遮る様に言った。
「じゃ、さっそく治療に入ろう、ナース、ナノプローブを用意してくれ」
ドクターの指示を受けたナースは袖を捲りながら言った。
「了解、ナノプローブスタンバイ」
そのナースの腕は金属で作られたマジックハンドのようであった。
その金属の腕には幾つかのチャンバーがあり、その中から鋭い針の付いたチューブがスルスルと伸びだしてきた。
その光景を目の当たりにしたツボックは驚愕し、悲鳴を上げた。
「ひえ〜!お、お前は、ボーグのドローンか?」
ボーグとは全ての個体を一つの集合体と考える特殊な社会を営む宇宙人で、数々のサイバネティクインプラントを体に埋め込んだサイボーグである、そして、同胞を増やすため異星人を襲い強制的にインプラントを施し肉体を改造する。
その科学力はバルカン星をしのぎ、全宇宙で最も恐れられている種族である。
「そうだ、ツボック、お前のような煩悩漬けのバルカン人にはボーグドローンのナースがお似合いだ!」
Dr.マッポイは強い口調でそう言うと、サッとナースのマスクを剥がした。
ついにナースの顔が曝された、顔の半分を機械で覆われたその顔を見たツボックは再び驚愕した。
「お、お前は、セ、セブンオフナイン、な、何でお前がナースなんだ!」
ナース、いやセブンオフナインは感情のない能面ような顔をして、ジリジリとツボックの元に歩み寄った。
「私はユニマトリックスO1の第三付属物−セブンオフナインだ、臀部を露出せよ」
セブンオフナインは、その鋼鉄の腕でツボックの腰を掴み、俯けに寝かせようとした。
腕から伸びたナノプローブは、何かの軟体動物のように不気味にウネウネと動いている。
その先端に装着された針は物凄く太く、直径5ミリほどもあろうかと思われた。
強制的にツボックの体をひっくり返そうとするセブンオフナイン、無影灯の光に照らされ危険な輝きを見せる太い注射針。
かなりの苦痛を伴う医療行為が施されようとしている事は明白だ。
ツボックは両手足をバタバタと動かし、あらん限りの力で抵抗した。
「え〜い、往生際の悪いバルカン人だ!」
マッポイが加勢し、ツボックの体を俯けにした。
それでも、ツボックは抵抗を止めなかった、まるでクロールをするように両手足をバタバタと動かし暴れ、叫んだ。
「ボーグのナースはやだ、地球人の可愛い看護婦さんが良いんだ!」
セブンオフナインはツボックのパジャマズボンとパンツを同時にムンズと掴んだ。
状況から考え、尻に太い注射針が刺される事は子供でも推測できる。
ツボックはパジャマズボンを脱がされまいとし、必死になって両手でズボンの端を掴んで抵抗した。
全体重を掛け体を押さえ込むマッポイ、ズボンを下ろそうとするセブンオフナイン、暴れ回るツボック。
何かの格闘技の攻防のような光景が永延と続いた。
サイボーグのセブンオフナインは除いて、ツボックもマッポイも大汗をかいていた。
「抵抗は無意味だ」
「諦めろツボック!」
セブンオフナインとマッポイが交互に叫ぶ。
その声に恐怖心をあおられたツボックは更に激しく暴れだした。
バタバタバタバタバタ。
意地になって暴れる続けるツボックは二人係でも抑える事が出来なくなってしまった。
セブンオフナインもマッポイも根負けし諦めようかと思った、正にその時。
ガシッ!
誰かがツボックの両手首を掴んだ。
「ツボックさん、大丈夫よ、私がついててあげるわ」
手首を掴んだのはるびいであった。
すると、どうした事か、先程のまでの恐怖心が急に薄らいできた。
るびいに腕を握られている事が、ツボックに何らかの精神安定をもたらしたのであろう。
先程までの常軌を逸した抵抗が嘘のように、ツボックは大人しくなった。
力を入れガチガチになっていた筋肉も今では豆腐のように軟らかくなっている。
これが愛のなせる技だという事にツボックが気づくのはかなり後になってからである。
るびいはツボックの両腕をそーと持ち上げると、頭の両脇で抑えた。
「今よ、やって!」
るびいはそう叫ぶと同時に腕に力を込め、ツボックの手首をベッドに押さえつけた。
セブンオブナインはこの期を逃さずと、一気にパジャマズボンをズリ下ろした。
ぺろん。
遂に、ツボックの白い尻が剥き出しになった。
ブツッ!
太い注射針がツボックの尻に突き刺さった。
「ギャ!」
ツボックは一瞬悲鳴を上げたが、その後、スーと伏し動かなくなった。
緊張の糸が切れたのか、あるいは注射が相当痛かったのか、理由は定かではないが、彼は再び気を失ってしまったのだ。
どれくらい時間が経ったのだろうか、気がつくとツボックはるびいの家のソファーに寝かされていた。
側には地球人のドクターと若いナース、そしてるびいさんが立っていた。
何故か三人とも大汗を掻いていた。
ドクターはハンカチで額を拭きながら言った。
「薬を飲んで安静にして下さい、一両日中に熱は下がるでしょう」
ドクターとナースは疲れ憔悴した様子で部屋を出て行った。
るびいは二人を見送るため玄関まで二人の後を追った。
ツボックが耳を澄ましていると、ドクターとるびいの会話が聞こえてきた。
「お手数掛けました先生」
「今度は小児科医を呼んで下さいね」
ツボックは訳が分からなかった。
暫くするとるびいが部屋に戻って来た。
「る、るびいさん、Dr.マッポイとセブンオフナインは何処へ行ったのですか?」
るびいは、不思議そうな顔をして言った。
「そんな人、最初からいないわよ、そう言えば、うわ言で言っていたわね、ボーグはやだとか、可愛い看護婦さんが良いとか・・・」
この時、ツボックは始めて気がついた、今まで見ていたのは高熱が原因による幻覚だった事に。
「ツボックさん、とても歩けそうになかったから、ご近所のお医者さんに往診に来て頂いたの」
そこまで言うと、るびいは頬をプクッと膨らまし、笑いを堪えるような表情をした。
「それにしても、ツボックさんて、注射が嫌いなのね、大変だったのよ」
地球人の前でとんでもない醜態を晒してしまった。
ツボックは気になっている事を思い切って聞いてみる事にした。
「あの〜、見たのですか?・・お尻」
笑いを堪えきれなくなったるびいは、遂に吹き出してしまった。
「ぷひゃひゃひゃひゃひゃ」
この時、ツボックは副交感神経の興奮を覚えた。
しかし、何世紀も感情を抑圧してきたバルカン人にとって、それが恥ずかしいという感情である事に気づく事は容易ならぬ事であった。
ツボックはポカンとして、天井を見つめていた。
おしまい