愛の伝道師

 

 「何かしら、これ?」

るびいは郵便受けに届いた一通の封筒を見て呟いた。

ピカピカと銀色に光り輝くその封筒は、今まで見たことの無い素材で作られており、見る角度により微妙に色彩を変化させている。

 宛名は「るびい様」と書かれているが、差出人には何やら見たことのない文字が並べられている。

 どうやら、またしても宇宙絡みの事のようだ。

るびいは、その封筒を持ってツボックを訪れた。

玄関に立ち、ツボックに封筒を見せた。

「お〜お〜お〜!」

 その封筒を一目見たツボックは、その場で地面に頭が付くほどひれ伏した。

「ど、どうしたの?ツボックさん」

 ツボックは地面に額を擦り付けながら、ただ「うへへ〜」と言うだけであった。

封筒を差し出するびい、足元でひれ伏すツボック、まるで印籠を差し出す水戸黄門と町人の図である。

「ツボックさん、頭を上げて、黄門ごっこでもするつもり!」

 ツボックの奇行に業を煮やしたるびいは、少し強い口調で言った。

ツボックは恐る恐る顔を上げると、その封筒を見上げながら言った。

「る、るびいさん、そ、その封筒は、恐れ多くもバルカン大司教の公式書簡です」

「まあ、そんなお偉いお方が私ごときに何の用かしら」

 ビリッ

るびいは封筒の口を切った。

「ぎゃ〜!」

 ツボックが悲鳴を上げた。

「お、恐れ多くも大司教様の封筒を、こうも簡単に破るとは、地球人とは何と破天荒な民族だ」

 るびいは封筒の中に指を入れて便箋を摘み上げると、空の封筒をポイッと棄てた。

「うわわわ〜!」

 ツボックは慌てて両手を出し、地面に落ちる寸前で、その封筒を受け止めた。

「だ、大司教様、失礼いたしました、不躾な地球人をお許し下さい」

 このツボックの狼狽ぶりを見て、るびいは思った、バルカン大司教というのは、相当な権力者のようだ。

「もういいでしょ、ツボックさん、これ読んで」

 るびいは、ツボックに便箋を見せた。

ツボックはスクッと立ち上がると表彰状授与式のような格好で便箋に目を通し始めた。

 瞳孔が左右に行ったり来たりして、文の最後に到着した時ツボックは呆然として、固まってしまった。

「どうしたのツボックさん、何が書いてあるの?」

 るびいはツボックの肩を激しく揺すった。

ハッと我に返ったツボックは興奮した口調で語りだした。

「るびいさん、落ち着いて良く聞いて下さい、凄い事になりました、あなたはバルカン大司教の御前叙勲式に招待されました」

 ツボックの話によると、帰星したタペルが政府高官にるびいのハーブティーの話をしたらしい、それが人づてに大司教の耳に入り、叙勲に選ばれたという事だ。

4年に一度のバルカン叙勲に選ばれるのは全宇宙でも僅か23人、るびいさん、あなたはその名誉ある23人の一人に選ばれたのですよ」

 目を輝かせ、鼻息も荒く、歓喜の興奮に酔っているツボックに対し、るびいは困惑していた。

 今まで、宇宙人絡みの事ではドタバタの連続である、どうせまた何かとんでもないアクシデントに巻き込まれるのだろう。

「ツボックさん、私、それ辞退させて頂こうかしら」

 ツボックの驚きは尋常ではなかった。

「え〜!もったいない、この機会を逃すと叙勲のチャンスなど二度と訪れないですよ」

「でも、叙勲の意味が良く分からないし、あんなハーブティーが勲章に値するなんて、到底思えません」

 ここに至り、ようやくツボックの興奮も収まったようだ、意味深な表情をしてとつとつと語りだした。

「るびいさん、以前、話したのを覚えていますか、バルカン人は感情を忘れた民族です、あなたの愛情のこもったハーブティーはバルカン人が忘れた愛という感情を呼び覚ますのです、その事に甚く感激した大司教がるびいさんを叙勲に選んだんです、あのハーブティーは地球人にとっては単なる飲み物かもしれませんが、バルカン人にとっては歴史を変える可能性のある貴重な液体なんです」

 口角泡を飛ばすように演説するツボックであったが、るびいの気持ちは向かなかった、何だか銀河の果ての宇宙人が勝手に盛り上がって、自分を茶番劇に巻き込もうと企てているように思えた。

「ツボックさん、悪いけど、私、やっぱり・・・・」

 ツボックがるびいの言葉を遮るように言った。

「るびいさん、あなたは愛の伝道師になるのです、そして、宇宙の歴史にその名を残すのです!」

 愛の伝道師という言葉に一瞬、ロマンを感じたるびいであったが、気持ちは動かなかった、以前の雪合戦の事が宇宙人に対するイメージを決定的なものにしていた、一時は宇宙人に拉致される危機を体験したるびいである、勲章が貰えるとはいえ未知の異性人の中に自ら進んで入る気持ちにはならなかった。

「ねえ、ツボックさん、大司教様から勲章が頂ける事は名誉な事なんだけど、そこへ行く危険の方が大きいように思うの、本当にごめんね」

 るびいは、そう言うとツボックに背を向けスタスタと家の方に歩き出した。

ツボックはるびいの背中を見ながら独り言を言うように呟いた。

「そうですか、じゃ、副賞も諦めるんですね、仕方ないな〜」

 副賞という言葉を聞いたるびいの耳がピクッと動いたかと思うと、90度方向転換しツボックの元に駆け寄ってきた。

 ツボックはるびいに背を向けて家に入ろうとしていた、状況が逆転したようだ。

「ねえねえ、ツボックさん、副賞て何?」

「叙勲者にはご褒美として副賞が与えられます、珍しく貴重な物品です」

「物じゃなく、お金で頂けないかしら」

「貨幣というものは、その惑星によって異なります、ですから、受賞者が自分の星で換金する事になります、今までの例ですと宝石または天然記念物ですね」

 るびいの目が輝きだした、そして一歩前に進んで言った。

「どれくらい頂けるのかしら?」

 ツボックは両手で60センチ四方ほどの正方形を作りながら言った。

「これくらいの箱に一杯ですね、以前、ダイヤモンドを貰ったオカンパ人のケスは、それで無人星を一つ買いましたから、地球の貨幣に換算すれば1兆円ぐらいでしょうか、でもいいです、断り状を送っておきますから」

 ツボックは肩を落とし玄関ドアを開き中に入ろうとした。

「待って!」

 るびいの手がドアのノブをがっしりと掴んだ。

「それ、お受け致します、謹んで、おほほほほ」

 突然の180度意思転換、ツボックは唖然として言った。

「でも、さっきは断るて・・・」

 るびいは口の前で両手をあたふたと動かしながら早口で答えた。

「よ、良く考えて見れば人類初の名誉ですもんね、それに素敵な大司教様に会ってみたいの、きっとかっこいいおじいさまなんでしょうね、決してお金に目が眩んだ訳ではありませんことよ、おほほほ〜」

 落ちていたツボックの肩がピンと持ち上がった。

「そうですか!良かった、大司教様もさぞお喜びになられますでしょう、では、さっそく返礼を送っておきますね、式次第は後ほど送られてくると思います」

 るびいは天にも昇るような気持ちで家に戻った、おそらく本当に地面に足が付いていなかっただろう。

「一兆円、一兆円、ルンルン、ランラン♪」

 

何日か過ぎ、いよいよ式の日が訪れた。

るびいは、愛情を込めてハーブティーを淹れ、保温用ポットに注ぎ、そのポットとティーカップをピクニック用のバスケットに入れた。

そして、お花の発表会に着る高価な着物を着付けし始めた。

「よいしょ、よいしょ」

 和服の着付けというものは中々大変だ、帯が苦しい。

「一兆円のためよ、私、頑張る!」

苦労して着付けが終るころツボックが訪れた。

「わ〜、るびいさん、とっても素敵ですね、では庭に出ましょう、そろそろ迎えの宇宙船が到着します」

 二人が庭に立っていると、やがて蜃気楼のように空気が歪み、目の前に黒い球体が現れた。

 お茶セットを手に持ち、優美な着物に身を包んだるびいはその球体を見ながら言った。

「ねえ、ツボックさん、これ、宇宙船なの?」

「はい、これは、A地点からB地点までのワープにのみ使われるシャトルです、地球の乗り物に例えるなら列車ですね、自由に宇宙を移動する事は出来ません、これは大司教の宮殿に移動するのみです」

 てっきりハムナ・パスが迎えに来ると思っていたるびいは拍子抜けしてしまった。

タペルのようにライトエスカレーターに乗り、優雅に宇宙船に乗り込む自分を想像していたのだった。

 ところが、るびいを迎えに来たのは窓も入り口も無いのっぺりとしたただの丸い球である、巨大なボーリングの球にしか見えない。

「入り口がないけど、どうやって乗るの?」

 ツボックはその球体に片足を突っ込んだ、すると、どうしたことかツボックの足はまるで沼にでも入り込むかのように、その球体ににゅるりと滑り込んだ。

「さあ、るびいさんもどうぞ」

 ツボックに促され、るびいも着物の裾を捲くり、足を突っ込んだ。

「あれ〜!」

 一瞬、体全体が底なし沼に落ちるような感覚がした後、るびいの体は完全に球体の内部に入り込んだ。

 中は三畳程の広さで、中央に丸いテーブルがあり、その周囲にベンチが設えられていた、遊園地にあるティーカップのような雰囲気である。

 ツボックはそのベンチに座ると黙って前方を見つめていた。

能面のような顔で黙して前方を見つめるツボック、まるでるびいを無視しているようであった。

「あの〜、ツボックさん、いつ動き出すの?」

「もう、動いています」

「へ〜、全然揺れないのね」

「バルカン製の半重力装置は完璧です」

 このような会話をしていても、ツボックの顔の皮膚はピクリとも動かず、ただ唇だけがパクパク動いている。

 スーパーマリオネットでも眉毛ぐらいは動くように出来ている、この時のツボックはマリオネットよりも無表情だ。

 るびいは次第に不安になってきた、本当にこのままバルカン星に行っても良いのだろうか。

「ねえ、ツボックさん、今日のツボックさん、何か変」

 るびいは、そう言いながら、きちんと膝に置いてあるツボックの手に自分の手を重ねた。

そして、その膝を揺すりながら言った。

「ねえねえ、何か話して」

 ツボックは相変わらず無表情で前方を見つめている。

るびいは、ツボックの心理を探った、普段からポーカーフェイスなバルカン人だけど、今のツボックは明らかに尋常ではなかった、あんなに興奮していた叙勲式なのに、嬉しくないのかしら。

あ!ひょっとしたら。

「ねえ、ツボックさん、副賞のご褒美はツボックさんにも分けてあげるわ、100万円くらい」

 ツボックの顔が横を向き、るびいに視線を合わせた。

やっぱり、ツボックさん、お金の事が気になっていたんだわ、私が独り占めするのじゃないかと心配していたんだわ。

 だが、この後ツボックは意外な事を言った。

「僕は・・・お金なんて・・いりません」

 どうやら、るびいの予想は外れたようだ、るびいは単刀直入に聞いてみる事にした。

「あの〜、ツボックさん、何か怒ってるの?」

 ツボックは俯きながらボソッと言った。

「大司教様は全てのバルカン人が憧れる人です、一生に一度はそのお姿を拝みたいと、皆、願うのです、でも、実際、お姿を拝めるバルカン人はごく僅か、この私ですら拝めない現人神(あらひとがみ)を地球人が拝めるなんて、何か間違ってます」

 るびいはようやく悟った、そして、俯くツボックの顔を覗きこむようにして言った。

「ツボックさん、それって嫉妬という感情よ」

「嫉妬?」

「そう、ジェラシーとも言うわ、あまり良い感情じゃないわね、でも、この場合、ツボックさんがジェラシーを感じるのも無理ないわね」

 ツボックは顔を上げた、気のせいか、その顔には少し明るさが戻ったように見えた。

ツボックの気持ちを察したるびいは、ツボックを勇気付けようと大司教の話題を持ち出した。

「でも、ツボックさん、それほど皆が憧れる人なら、写真とか肖像画とかあるんじゃないの?」

「あります、でも、それは300年前の物です、メタモルフォーゼされてからのお姿は外部に公表されていません」

「メタモルフォーゼ?公表されてない?」

 るびいは嫌な予感に襲われた。

「全宇宙のあらゆる修行地で徳を積んだ大司教様は最終修行地として暗黒大星雲を選ばれました、その星雲の有毒ガスに耐えれるよう、自らの体を作り変えられたのです」

 るびいの予感が現実の物として近づいて来た。

「ど、どんなお体におなりあそばしたのかしら?」

「幸運にも謁見出来た者の話によると・・・」

「話によると?」

「身の丈は3メートル程で全身が粘液に覆われており、手と足は合わせて八本、それぞれに無数の吸盤があり、口は大きく突き出しており、時折黒いアンモニアガスを噴出されるという事です」

 やっぱり、あの人の小説はいつもこうだわ、必ずHかグロテスクなエピソードが入るの。

「あの〜、ツボックさん、それってタコ妖怪じゃないの」

「徳の低い地球人にはタコ妖怪に見えるかもしれません、でも地球人も良く言うでしょ、人は見かけで判断してはいけないと」

「そ、そうね、タコ妖怪じゃなく大司教様ですよね」

 まあ良いわ、タコ妖怪にでも何でも会ってあげるわ、だって1兆円頂けるんですもん。

この時のるびいの考えがいかに甘いか、彼女は後に身をもって知る事になる。

 

 30分ほど経っただろうか、突然、宇宙船の内壁の一部に小さな穴が開いた、そしてその穴は見る見る大きくなり、人が通れる程になった。

「着きましたよ、るびいさん」

 ツボックはそう言いながら外に出た。

るびいはお茶セットの入ったバスケットをしっかり握ると、ツボックの後に続いた、そこは眩い程の白い世界だった。

 床はもちろん、壁から天井まで全て純白、そして、何処に光源があるか分からないが、物凄く明るい光に包まれていた。

「ここは、宮殿の来賓専用スペースポートです」

 ツボックにそう言われ、辺りを見渡すと、るびいが乗ってきたのと同じような黒い球体が幾つか置かれていた。

 間もなく、頭上から眩い光が射し、その光輪の中から二人のバルカン人が舞い降りてきた。

「るびいさん、僕はここまでです、後はあの二人について行って下さい」

「え!ツボックさん、一緒にいてくれないの?」

「大司教様に謁見できるのは受賞者のみです、僕はここで待っていなければなりません」

 たった一人でタコ妖怪に会わなければならない、るびいは言いようの無い不安に襲われた。

「でも、言葉も通じないし・・・・」

「大丈夫です、バルカン科学技術省が開発した宇宙言語翻訳コンピューターが同時通訳してくれます」

「良かった・・・でも、やっぱり不安」

 光から現れた二人のバルカン人はるびいを挟むように横に立った。

良く見ると、二人とも同じ顔をしており、しかも、それはツボックとそっくりであった。

 るびいは、二人の顔とツボックの顔を交互に見つめた。

「なに、これ、どういう事?」

不安に満ちたるびいの心境を察したのだろう、ツボックはるびいの両肩に手を掛け諭すように言った。

「るびいさん、安心して下さい、その二人のバルカン人はホログラムです、外惑星からの大事な来賓に不安を抱かせないようにとの大司教様のご配慮です」

「そんな事されると余計に不安になります」

 ホログラムの二人のバルカン人は両脇からるびいの腕を掴み上昇を始めた。

「あ!るびいさん、最後に良く聞いて下さい」

 何か言い忘れた事があるようだ、ツボックは慌てて天高く昇り行くるびいに向かって叫んだ。

「バルカン製の翻訳コンピューターは無機物質は化学式で翻訳されますから気をつけてくださ〜い!」

 言語を有する知的生命体は銀河だけで37969ある、したがって固有名詞を全てデーターベースに入れると、膨大な情報処理能力が必要となる、そのためバルカン製の翻訳コンピューターはサーバーの負担軽減のため、無機物質は全宇宙共通の化学式で翻訳するようにプログラムされている、これはバルカン独自の方法で、他の惑星からの訪問者には理解しづらいが、幼稚園で既に化学式を教わるバルカン人にとっては都合の良い方法なのだ。

「え!何?良くきこえませ〜ん」

 少し遅かったようだ、るびいはツボックが叫んだ事が良く分からないまま、二人のホログラムに腕を掴まれ、遥か上空の光の輪の中に吸いこまれてしまった。

 まばゆい光に一瞬目がくらんだるびい、気がつくと、そこは今までの場所とは違い暗く湿り気の多い陰湿な空間であった。

 るびいをエスコートしていた二人のホログラムはいつの間にか消えていた。

「ここは何処?」

 暗やみに一人ぼっちのるびいは、不安でドキドキしながら、キョロキョロと辺りを見回した。

暗闇に目が慣れてくると、ようやく見えなかった物が見えてきた。

 足元に赤い絨毯が敷かれていた、自分の足元からその絨毯の先を目で追う。

「あ!あんな所に」

 100メートル程先に、巨大なタコがその触手をゆらゆらと動かしながら鎮座している。

「あ、あれがタコ妖怪、いや大司教様なんだわ」

 良く見ると、その触手はるびいに向かっておいでおいでをしているようだ。

「よし、行くぞ!銭のため、いや愛を伝えるため、いざ向かわんタコ妖怪へ」

 と、気合を入れたものの、るびいの足は鉛のように重かった。

10メートル、20メートルと進むに従い、タコが次第に大きくはっきり見えてくる、そうなると、当然の事であるが足取りが更に重くなる。

「が、頑張れ自分、もうすぐ一兆円よ」

 自分で自分を励まするびい。

大司教まで、たった100メートルの距離だが、100キロもある道のりに思える。

 るびいの足どりを重くしたのは大司教の異様な姿だけではなかった、大司教の排出するアンモニアガスである。

 近づくに従い、ガス濃度が増す。

「い、息が苦しい〜」

 頑張って50メートルまで距離を詰めたるびいであったが、とうとう、その場でダウンしてしまった。

 立ち込めるアンモニアガスの中、赤い絨毯の上に倒れこみ、半ば意識を失いかけているるびい、と、その時であった、心の奥底から声が響いてきた。

「るびいさん、頑張って、もう直ぐです」

「ツ、ツボックさん、テレパシーなのね、私がピンチの時は、いつも助けてくれる、ありがとう、私、頑張るわ」

 るびいは、腕に力を込めると、むっくりと起き上がり、ふらふらと歩きだした。

「ゴーゴーるびい!イケイケるびい!」

 自分で応援エールを合唱しながら必死で前進を続けるるびい。

ついに10メートルまで近づいた。

 80パーセントは超えていようかと思われる湿度、アンモニアガス、精神的緊張、それらの相乗効果で、るびいはすでに汗だくであった。

 着物の襟は肩まで捲れ、入念なメークも殆んど剥がれ落ちていた。

腕にも力が入らず、お茶セットの入ったバスケットはズルズルと引きずられていた。

「や、やっぱり、こうなったか、だいたい、たかがハーブティー一杯で一兆円もらえるなんて虫の良い話しがあるわけない、この小説、どんな終り方するのかしら、まさかビックリカメラでした、なんて終り方しないでしょうね、そんな終り方したらツボックさん許さないから」

 呪いの呪文を唱えるようにぶつぶつと独り言を言いながら、歩くるびい、ついに5メートルまで近づいた。

「よし、やった、一兆円いただきいい〜!」

 るびいがそう思った正にその瞬間、大司教がそのタコくちびるから大量のアンモニアガスを噴出した。

ブオ〜。

「きゃ〜!」

 アンモニアガスの圧力と臭気に襲われたるびい、アッパーカットを食らったボクサーのように、その場で仰向けに倒れてしまった。

バタン。

「う〜ん、苦しい〜、ツボックさん、ごめん、応援してくれたけど、100万円、あげれそうにありません」

 その時、またしてもテレパシーが聞こえて来た。

「頑張るんです、るびいさん、努力は人を裏切りません」

 どこかで効いた事のあるセリフだ、しかし、この一言がるびいに最後の力を与えた事は間違いない。

「こ、これがあるから息苦しいのよ」

 るびいは着物の帯を解き、肌襦袢一枚になった、すると、どうした事か、今までの事が嘘のように体が軽くなった。

 るびいは残り5メートルの距離を一気に駆けた。

そして、大司教の前にバスケットを放り出すようにして滑り込んだ。

 大司教は一本の触手をるびいに差し出し、何やら訳の分からない事を言った。

「ちゅ〜ちゅ〜、ちゅちゅちゅるるる〜」

 翻訳コンピューターが同時通訳を始めた。

「クルシュウナイ、チコウヨレ」

 お前が苦しくなくても、私は苦しいわ!

そう言いたい気持ちを抑え、るびいは言った。

「このたびは、名誉ある勲章を授けて頂き、まことにありがたく幸せに存じ上げ奉りまするうううう」

「ウイヤツジャ、ウイヤツジャ」

 大司教はそう言いながら、二本の触手をるびいに伸ばして来た。

「ぎゃ〜」

 触手に抱き寄せられ悲鳴を上げてしまった。

放せタコ妖怪、刺身にして食うぞ!

と、言いたい所、グッとこらえたるびい。

「お、恐れ多くも、大司教様のような高貴なお方が私目のような下人に触れますれば、そのおみ手が汚れますゆえ」

 るびいは、大司教の触手の吸盤の一つを摘むと自らの体から優しく、かつ力強く引き剥がした。

 気のせいか大司教の顔がムスッと膨れたように見えた。

い、いかん、機嫌を損ねると褒美をもらい損ねる。

「恐れ多くも大司教様、これが噂のハーブティーでございます」

 るびいはバスケットからポットを出すとティーカップにハーブティーを注ぎ、大司教に差し出した。

 一口啜った大司教、暫く沈黙した、そして、その巨大な眼から大粒の涙をボロボロとこぼし出した。

「コ、コレハ・・・・」

 愛が通じたんだわ、私は愛の伝道師、これでバルカン人も愛に目覚めるの。

しかし、この後、大司教が言った事はるびいの期待を裏切るものであった。

「フクコウカンシンケイ、コウフン」

 大司教は感激という感情を、副交感神経の興奮という生体反応として理解したのだ。

「コレハ、ミゴトナ、フクコウカンシンケイコウフンヤクジャ、アッパレ」

「ホウビヲツカワス」

「エエルニオサン、マタハ、クロダイヤ、ドチラカヲ、エラブガヨイ」

 絵得る仁王さん?黒ダイヤ?

どちらも、るびいが聞いた事のない物であった。

 絵得る仁王さんて、きっと彫刻か絵画なんだわ、バルカン星では価値のある古美術かもしれないけど、地球ではきっと無価値ね。

「黒ダイヤ下さい」

 ご褒美の黒ダイヤの箱を受け取ったるびいは、深々とお辞儀をし、大司教から数歩後退すると、くるっと向きを変え大司教に背を向けた。

 その直後、大司教の触手がにゅーと伸び、るびいの首元から肌襦袢の間に滑り込んで来た。

「きゃ〜!」

 るびいは触手を力任せに振り切ると一目散に駆け出した。

すると、大司教は王座からニュルリと滑り落ちると、ネバネバした粘液を引きながらるびいを追いかけて来た。

「ルビイチュワ〜ン、アソビマショ」

「ぎゃ〜ぐわ〜ぎょえ〜!」

 悲鳴を上げながら必死に逃げるるびい、だがタコ妖怪の足は思いのほか速く、グングンるびいに追い付いてくる。

 もう少しで触手に捕まりかけた、その時、床に輝く光輪を見つけた。

「あそこから入って来たんだわ、よ〜し、えい!」

 るびいは、満身の力を込め勢い良くジャンプし、その輪に飛び込んだ。

ストン!

 運が良かった、ちょうどツボックの目の前に落下した。

ツボックは両腕を出し、るびいを受け止めた、ちょうどお姫様だっこをする状態になった。

 大司教もるびいを逃すまいと、光輪に飛び込んだが、巨大な頭部が引っかかり、降りてくる事が出来なかった。

 天井に開いた穴からタコの触手が垂れ下がり、うにょうにょと蠢いている。

「ひ〜きもい」

 だが、ツボックは別の感情を抱いていたようだ、合掌しその触手に拝んでいる。

「大司教様のおみ足だ、ありがたや〜」

 るびいは、来た時のように黒い球宇宙船に片足を突っ込みながら、叫んだ。

「何言ってるのツボックさん、それ、変態ダコの足よ、早く逃げましょ!」

 るびいに急き立てられ、ツボックは名残惜しそうにタコ足を眺めながら宇宙船に乗り込んだ。

 二人が乗り込むと直ぐに宇宙船はポートを飛び出し、地球に向かいワープ飛行を始めた。

パイロットコンピューターが二人のDNAを探知すると自動操縦で発進するようにプログラムされているのである。

「ところで、るびいさん、その薄い布は何ですか、着物はどうしたんですか?」

「大変だったのよ、まあ、地球に帰ってからゆっくり話すわ」

 るびいは膝の上にご褒美の箱を乗せると幸せそうに微笑んだ。

「これで、私は超セレブよ、南の島を買って別荘でも建てようかしら」

 幸せそうなるびいと対照的にツボックは何故か暗い顔をして、あまり嬉しくないような口調で言った。

「良かったですね、ところで、箱の中には何が入っているのですか?」

 るびいは、ルンルンと弾んだ口調で答えた。

「黒ダイヤ♪」

 ツボックはビクッと顔を引きつらせ、ササッと身を引いた。

「な、何で、そんな物選んだんですか?」

「何でって、ダイヤよ、宝石よ、絵得る仁王さんより良いでしょ」

ツボックは右手を顎に添え、暫らく考えた。

「絵得る仁王さん?」

「あ!それは化学式のAl2O3、つまりサファイアなどの鉱物の事ですよ」

 るびいは、この時、始めて自分の選択ミスに気が付いた。

「え〜!じゃ黒ダイヤは?」

「バルカン星は無菌室のように清潔な惑星です、不潔な環境でしか生きる事の出来ない生物は殆ど死滅したため、今では数少ない不潔な生き物が大変貴重な生物財宝なんです、そのためバルカン星では一部の害虫に宝石の名前を付け珍重する習慣があるんです」

「不潔な生き物?害虫?ま、まさか・・」

 この時、るびいは半ば覚悟を決めていた、だが僅かでも望みを捨て去る事は出来なかった。

「うそ、うそよ!これは絶対ダイヤなんだから、珍しい黒ダイヤよ」

 そう言うと、ガバッと箱を開けた。

中から大型のゴキブリがシャカシャカと這い出してきた。

「ぎゃ〜!」「ぐぎゃ〜!」

 二人の悲鳴が3畳の空間に響き渡った。

るびは、慌ててツボックの肩に乗りかかった。

「る、るびいさん、仕方ありません、地球に着くまで、僕がおんぶしてあげます」

 出発地点と同じるびいの庭に到着した宇宙船は、その任を終え、ドロドロと溶け出し、跡形も無く消え去った。

 無数のゴキブリ達はシャカシャカと四方に散って行った。

るびいはツボックのおんぶから降りると、その場にへたりと座り込んで泣き出してしまった。

「え〜んえ〜ん、一兆円が〜」

 ツボックはるびいの横にしゃがみこみ、胸に掛けられた勲章を掴んだ。

「るびいさん、これがあるじゃないですか」

 るびいは、グスンと泣きながら俯き、勲章を見つめ言った。

「こんな物」

「るびいさん、良く見て下さい、これはダイリチュウムの結晶です」

「ダイリチュウム?」

「反物質です、これだけの結晶を反物質融合炉に放り込むと、地球全土の消費電力を100年分まかなえます」

「じゃ、高く売れるのね」

 るびいは涙目でツボックに問うた。

「地球はまだ核融合の時代ですから、無理です、反物質融合炉が発明されるには、後200年は掛かるでしょう」

 るびいは、がっくりした表情で黙り込んでしまった。

ツボックは暫らく沈黙し、るびいを見つめていたが、やがて口を開いた。

「ダイリチュウムは強力なエネルギー源ですから、一部の悪人に渡ると大変な事になります、大量殺戮兵器を作る事を目論んでいる軍事政権が支配している惑星もあります、そのためダイリチュウムの売買は銀河憲法で固く規制されていますが、闇ルートで横流しする悪徳ブローカーもいます、そのブローカーなら100億円ぐらいで引き取りますよ」

 るびいは、ツボックの顔を見ながら言った。

「でも悪い人に売っちゃうんでしょ、そしたら兵器になって・・・」

 その後のセリフはツボックが引き継いだ。

「100億人が犠牲になるでしょう」

 るびいは黙って俯いていた、ツボックは優しくるびいの体に手を添え、立ち上がらせると、玄関に向かい歩き出しだ。

「さあ、家に入って休みましょう」

 ツボックはリビングの椅子に憔悴したるびいを座らせると、ダイニングに向かい一杯のハーブティーを淹れ、るびいに差し出した。

「僕は、お金が無くても十分幸せです、ここにるびいさんが居るのだから」

 俯いてハーブティーを啜っていたるびいが、顔を上げた。

目は涙で充血していたが、いつもの愛くるしい笑顔が戻っていた。

そして言った。

「私も、幸せよ、ツボックさんが、ここに居てくれるから」

 

                                                 おしまい