CRITICISM 15
14/10/02
FORTY LICKS
ROLLING STONES




 東京郊外、私鉄沿線の街にとある一軒のCDショップ。
店主は35歳。
30歳で脱サラして始めた店も、無事5年経った。
学生時代からバンド活動に明け暮れ、
大学卒業後は大手電機メーカーに就職。
忙しさからギターに触れない日が続き、
唯一の音楽との触れ合いは、通勤電車内での
ヘッドフォンカセットステレオのみ。
たまの楽しみは、残業の無い日に新宿タワーレコードに寄り、
好きなCDをまとめ買いすることぐらいだった。
29歳のときに女房に頭を下げて会社を辞めた。
自宅近くのテナントビルは、バブル崩壊の煽りを受けて、
10年前では考えられないような安いテナント料で、
2階の一室を貸してくれた。
都内に行かなくても、手に入るような品揃え。
そんな理想を掲げて、仕入れをする。
ストーンズ、クリムゾン、ツェッペリン、ジミヘン、クリームなどははもとより、
レイ・ヴォーン、ジョニーウィンター、カーティス・メイフィールドと
彼の愛したミュージシャンたちのCDが狭い店内を所狭しと並んだ。
彼にとっては至福の瞬間。
こんな店があればいいと長年思っていたものが、ここに実現したのだ。
しかし、テレビ音楽の全盛時代。
彼の理想が利益に結びつくことは無く、
店内の様相は変わらざる得なかった。
バイトで雇っていた女子学生の助言もあり、
彼の愛したミュージシャンたちのコーナーはどんどん狭くなっていく。
完全に無くさなかったのは、彼の音楽好きとしてのこだわりからなのだろうか。
店内にはテレビでよく見られる顔のポスターが並び、
人気歌手の新譜の発売日には、近所の都立高校に通う学生たちが
下校途中に立ち寄り、平積みにしたCDを買っていった。
当初は、女房子供を食わせるためには仕方が無い。
でもこれは仮の姿で、いつかまた元の店に戻すんだ、
という気概に満ちていた彼だが、世の無常さを知るたびに、
あぁこれでいいのかな、とも考えるようになった。
 
悠は16歳。
高校1年生。
しかし休学中。
1学期の途中から行かなくなった高校。
朝、家を出ても反対方向の電車に乗り、新宿や渋谷を徘徊するばかりだった。
やがて、学校からの電話で親にも昼の行動がバレ、
学校に行く、行かないで親と対立する。
母親との二人暮し。
母親のことは嫌いではなかったが、
母親が男友達を家に入れ、休日の昼間から酒に酔っていたり、
男と口論している姿は大嫌いだった。
幼い頃から嫌というほど見せ付けられてきた光景だったが、
16歳の初夏、悠は行動を起こす。
それは行動というほど勇ましいものではなく、単なる逃避かも知れなかった。
でも彼は自分の意思に忠実だった。
不安は山ほどある。
母親が悠を脅かすように、高校も卒業していなければ、
どんな人生が待っているのか、見当も付かなかった。
特別やりたい仕事があったわけではない。
秋も深まる頃、学校の事務室から、出席日数が足りなくなるが、
中退するか、留年するか近々決めてほしい、と電話が入る。
一番恐れていた電話だった。
中退しても、何もやりたいことは無い。
かといって、同じ高校で留年するのも辛い決断だ。
母親は何も言わなくなった。
自分で起こした行動なのだから、自分で処理をしなければならなかった。
からだに変調をきたす。
食べてもすぐに戻す。
夜は眠れない。いわゆる不眠症だ。
眠ろうとしても、不安に押しつぶされそうになり、いたたまれなくなって起き上がってしまう。
大学病院の精神神経科に通い、精神安定剤で眠る努力をする。
しかしそう簡単に眠れない。
主治医がくれた言葉は、死ぬな、先のことを考えるな、
この二つだけだった。
先のことを考えるな、この言葉だけを頼りにして
悠は留年を決めた。
だからといって、不安が消えるわけでもなく、眠れるようになるわけでもなかった。
眠れない悠はラジオに耳を傾ける。
金曜の深夜だけは好きな時間だった。
不自然にテンションの高いDJがロックの代表的な名曲を
次々にかけてくれる。
音楽、とりわけロックに興味があったわけでは無いのだが、
小気味良いテンポの曲たちは、何か自分に力を与えてくれるような気がした。
悠が好きだったのは、DJが読んでくれる訳詞だ。
ロックって以外に真面目なことを歌っているんだな、と思った。
ウォーク・ディス・ウェイのグルーブ感、天国への階段の甘美なほどの美しさ。
アナーキーインザU.Kの衝動、ハイウェイスターの疾走感…
今の自分が求めていたものってこんなものなのかな、と思うようになった。
ある金曜の晩、悠は美しい曲に出会った。
不覚にも曲名を聞き逃してしまった。
DJが訳詞を読む。
 
今の俺は自由だが もう時間が無い
信頼は裏切られ 涙だけが後に残った
命が尽きああと あの世でふたり共に暮らそう
野生の馬も 俺を引きずっていけなかった
野生の馬に いつか俺たちも乗ろう
 
悠には自分自身のことを歌っているように感じた。
そうたやすく、この場所からは逃げられないだろう
でもいつか、違う世界に行くんだ。
そう解釈した。
この曲の入っているCDがほしい。
だけど、曲名がわからない。
 
ローリングストーンズがデビュー40周年を記念してリリースしたベストアルバムを
ストーンズコーナーに置いて一週間が過ぎた。
これも結局返品かな。
そう思い始めていた。
近所のスタジアムで野外コンサートを行う女性歌手のコーナーを拡大したときは
地域での話題性もあり、想像以上の評判と利益が上がった。
10日前、彼の企画したストーンズ40周年コーナーは
バイトの女子学生の反対に逢い、実現しなかった。
今はその決断も正しかったのかな、と思える。
マスコミでは話題にはなっているが、この街で暮らす若者たちには関係ないらしい。
買いたい子達はみんな都内の大型店に行く。
この店も、置いてあるわけが無いよな、と思われてる店のひとつなんだな。
そう考えると、ここはコンビにか、と益々心は冷えていった。
いっそ割り切ってそういう店になっちゃおうか。
そんなことを考え始めていた。
最近夕方になると毎日店に来る少年がいる。
売り場を歩き回っているだけで、買わずに帰っていく。
最初は万引きかな、とも思ったが、センサーも反応しないし、
変わった子だなあ、と思っていた。
また、彼は自分から客に話しかけることはしなかった。
自分でCDを見つけたときの喜びを知っていたからだ。
ある日、意を決したように少年が問いかけてきた。
野生の馬がどうのこうのっていう、洋楽なんですけど知りませんか?
彼にはすぐに、ストーンズの Wild hosesだとわかった。
自然と笑顔がこぼれてしまった。
だけど、今彼の店にはベスト盤しかない。
最近はベスト盤しか売れなくなり、オリジナルアルバムを揃えているのは
僅かな人気歌手だけになってしまった。
本当ならば、この曲はスティッキー・フィンガーズというアンディー・ウォーホールが
ジャケットデザインをしたアルバムで聴いてほしかった。
これしかないんだけど、と彼がベスト盤を差し出すと、
少年は満面の笑みで、それでいいですとアルバムを買っていった。
スピーカーからあの曲が流れたとき、あの子はどんな顔をするんだろう。
そんなことを考えると、彼は少しだけ幸せな気分になれた。
 
 
 
今も病棟でひとり奮闘中のきみに送ります
TOP