長者町の地名の由来

江戸時代の貝原益軒(儒学者、医者)が書いた「筑前国続風土記」によれば
現在の夜須町、三輪町、甘木市は夜須郡と呼ばれていました。
夜須郡は東西に分かれていて、三輪町の栗田より東を東郷、西を西郷と言っていました。
長者町という名前は、黒田長政が来たときに三並村の下に八並長者が居て
宅地の縁である故に長者町と名付けたと書かれています。
これより秋月へは二里、博多へは六里とあります。
この八並長者の名前はわかっていないそうです。
長者町の近くに味噌堤というため池があります。
これは八並長者が味噌粕を捨てたからという説と
ため池の土が悪く味噌のような土であればよいのにという説があるそうです。






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