韓国日記 その1 (2000年4月2日〜)


4月2日
 12:40成田発の大韓航空便でソウルへ。座席が、飛行機の一番前から5番目。ここは普通、ファーストクラスの席ではないかと思うのだが、需要が無いのか、エコノミー席になっていた。
 天気は悪くないように見えたが、飛んでみると回りは雲で何も見えず、テーブルに置いたコーヒーカップの中身がこぼれるほどの揺れが続いた。こんなのは初めてのことだった。
 機内で韓国の入出国の紙などに記入する時、「職業」のところでふと考えた。今までなら迷わず会社員と書き込んだけど、今は違う。フリーター?無職?と考えることしばし。あ、そうだ、学生でいいんだ。韓国での連絡先も、下宿がまだ決まっていないので、大学にしておいたけど、入国の時、何も言われなかった。
 空港からホテルまではいつもどおり地下鉄を利用。ホテルまで約1時間。今回は大きなスーツケースを持ってきたので、階段の昇り降りが大変だった。バスかタクシーにすればよかったかもしれないけど、わずか600ウォン(60円足らず)で来られるのだから、安い。
 ホテルのフロントでいきなり、岡本さんと対面。わざわざホテルまで来てくれたのだった。日本で買ってくるよう頼まれていたものを渡したり、電話や下宿のことをきいたりした。
 それから、4月2日から4日の2泊3日で韓国に来ているヒッポのメンバーに会いに南大門市場近くのホテルへ。横浜のメンバーを中心に18名で来たそうで、出発前に連絡をしてくれたヨモ、それからジュゲムなど知った顔と韓国で対面。一緒に食事をして、ホテルで話をして再見。
★左:南大門市場の食堂にて手前左がヨモ、奥右ジュゲム。★
★右:ホテルで。横浜でフェローをしている福田さん家族と。★

4月3日
 なぜか、花粉症が治らない。朝からくしゃみはでる、鼻はつまる。
 大学に電話をすると、すぐに来いということで、11時に大学へ。すぐにクラス分けの試験。試験といっても、講師の先生と1対1で、自己紹介とか、どこで韓国語を習ったかとか、どうして本大学を選んだのかとか、を韓国語で説明して、それから中級クラスのテキストの1ページを読んで設問に答えて、最後に、その場で先生が作った筆記試験をして、おしまい。筆記試験は何かの裏紙に、先生が書いたもので、4問。自己紹介、ホームステイの経験について、今までの職場について、勉強終了後の計画、の4つ。
 自己紹介はアンニョンハセヨ、から始まって、年は37才でお誕生日は7月28日・・・私は写真を撮ること、コンピュータが好きなの。と、ヒッポのテープのノリで書いてしまった。
★左:大学の教室で試験を受けるの図。セルフタイマーで撮りました(^^;)。★
 試験を提出したら、あとは来週の月曜、開講する時にくればいいということだった。大学内の銀行で学費を払った。申し込み時に払ったお金は、ちょっと多めに送っておいたんだけど、1ウォン単位で余分に払った分を差し引いてくれた。
 下宿も、もしできれば紹介してほしいと言うと、学生を当たってくれたようで、日本から来ている学生で、下宿が空いているという人を紹介してくれた。しかし、その下宿は韓国人がほとんどということなので、一応候補からははずすことにした。韓国人の友達はヒッポだけでもたくさんいるので、できるだけ他の国の人がいるところがいい。
 午後2時、一度ホテルへ戻る。昼食用にコンビニでサンドイッチを買った。1440ウォンは日本円で考えれば安いけど、やはり、高いような気がする。
 午後4時、HANAさんと連絡がついて、ホテルで会う。頼まれて買ってきたものを渡して、携帯電話を契約。ホテルの並びにはたくさんの店があるのだけど、HANAさんは絶対011がいい、というので、016とかの店は無視して011の店へ直行。本来、外国人登録が必要で、料金を引き落とす口座も必要なのだが、両方ともHANAさんの名前を貸していただいた。ものの30分で、使用可能なヒュデポン(韓国語ではこう言うが、最近はハンドポンということが多いようだ。)が僕の手に。加入料50000ウォン、電話機30000ウォン、保証金16000ウォン、その他込みで99000ウォン。
★左:携帯電話を買って、番号を決めているところ。携帯電話の店は、どこに行っても林立しています。★
 午後7時、果川の、以前にホームステイしたホンシルの家へ、夕食を食べに行く。これで5年連続で訪問している。フェローのモモ、メンバーのマリアンヌとジプシーも来て、みんなで乾杯。アッパーと子供は会社と学校から帰ってきてないようだった。
★左:ホンシル宅にて。向かって左より、マリアンヌ、ジプシー、モモとおなじみの面々。★
 ホンシルオンマの料理はとても美味しくて、ご飯のおかわりまでしてバクバクと食べていると、オンマも、僕がたくさん食べてくれるから嬉しいと言ってくれて、なんだか、とっても嬉しい。
 自己紹介アルバムを見せたりしていたら、マリアンヌがマレーシア語の自己紹介を教えてほしいというので、教えてあげた。まさか、韓国へ来て2日目でマレーシア語を話すことになるとは思っていなかった。
 地下鉄が無くなる前に帰らないといけないので、10時30分頃には家を出る。ソウルの地下鉄は12時前に終わってしまうので、気をつけないといけない。
 帰りの地下鉄の中で、いきなり携帯が鳴った。誰だろうと思ったらモモからで、別れ際にPCバン(インターネットができる店)のことで、息子さんに聞きたいと言ったのを、すぐに連絡をくれたのだった。
 モモの息子さんと話してみると、昼にHANAさんから聞いたとおり、PCバンに自分のパソコンを持っていき、10BASEのLANでつないで、インターネットにアクセスできるらしい。スピードも速いし、1時間1000ウォン程度らしいし、プロバイダの契約もいらないので、ベストかもしれない。連絡用には携帯があるから、家に電話をひく必要もなくなるし。
 12時前にホテル着、今日から電話が使えるはずの岡本さん宅に電話してみたが、でないか、話し中かで、たぶん通信のテストなのだろう。
4月4日
10時半からのフェローミーティング、ちょっと遅刻して11時頃到着。SADAが終わったところのようで、アンジュセヨ。20人くらいのフェローが集まっていた。それと、慶州で行われた合宿から来た、八戸のポエム家族が来ていた。娘さんが紙しばいをして、そのきれいな英語を聞いて思い出した、昨年秋の青少年フォーラムでアメリカのホームステイの話をしていた女の子だ。その時僕も、ロシアの話をしたキリンの応援団で、同じ舞台上にいたのだった。
★左:紙しばいをするマリンちゃんと、家族。。★
★右:フェローのニコちゃんも一緒に記念撮影。すごいぶれてます。★

 それから、ニコちゃん、モモ、ドナ、リュウ、オドリ、コド、クレオパトラとおなじみのフェロー、それから、昌原からわざわざ来たというスカーレットもいた。
 みんなの話を聞いていると、韓国語の中にいきなり「きいろいポスター」とか「ともだち」とか出てくるし、ニコちゃんが先月日本に来た時の話をすると、「はるちゃん」の名前がでてくるし、今夏の青少年交流の名簿が配られると、その中にはよく知っている名前がたくさんあるし、おもしろい。
 1時過ぎまで話は白熱し、そのあと近所でみんなで食事(さば定食)。スカーレットに、お正月にファミリーで撮った写真(ドラゴンとドラゴンのところに来た韓国の子が写っている)を見せると、ああ、この子ね、と納得。僕の左に座った人がたまたまヨンシミ。この前、横浜のチェミがステイした家のオンマである。チェミからもわかちゃんからも話は聞いていたけど顔は知らなかったので、隣に座ったのは偶然だけど奇遇。さらに、右隣に座っている人にアルバムを見せていたら、護国寺・ハオハオFのツーメイ、ヤンピン達を見て、「あ、この人は家にステイしました。」と。ヤンピンの紙しばいで何回も見ていたオンマに、こんなところで会うとは。
★左:ツーメイ、あっくん、ヤンピンがステイした家のオンマ。今は昌原でフェローをしているそうです。★
左から、ヨンシミ、クレオパトラ、ドナ。★右:左からヨンシミ、クレオパトラ、ドナ。★

 そんなこんなで、2時に弘大入口で岡本さんに会うことにしていたが、こちらのほうが面白そうだし、夜には持ち寄りもあるそうなので、そのまま残ることにする。下宿はどうなるのか?という心配もあるけど。
 フェローミーティングは食事から帰ってからも続き、みんなが帰ったのは4時過ぎ。金曜にはリュウの家で説明会があるので、来て紙しばいしてね、と誘われた。嬉しいが、それまでに家は決まっているだろうか?
 5時からニコちゃんと一緒に持ち寄りに行くことにしていたが、急にニコちゃんのご主人が明日から日本に出張することになり、そのためニコちゃんは遅れていくということで、僕はニコちゃんが書いてくれた1枚のメモをたよりに、一人で出かける。メモを見ると行き先はノウォンで、さっきもらった、ソウル近郊のファミリー一覧には出ていない。どこだろう、と思いつつ行ってみたら、朝会った、八戸のポエムの家族がステイしている家での持ち寄りで、サダリーもいた。みんなが、一人で来たの?とびっくり、あとから来たニコちゃんも、すぐわかった?すごーい、韓国人だもんね・・・。僕も我ながら、あのメモだけで迷わず来られるのはすごいと思った。(^^;)
 サダはまずSing Along! Dance Along!で、これが記念すべき、今回僕が最初にしたサダ。それからロックマイソウルの足バージョンとか、ソウルのだっちゅーのバージョンを僕とポエムの家族中心にして、あとは普通に、How are you my friend、てをつないで、Charming Sale March、ウルトラマンジャンケン、震源地、をした。ちょっと日本と違うところもあるけど、ほとんど同じで、子供たちもすごく元気に踊る。(オンマが6人位、子供が10人位、いただろうか。アッパはポエムの主人のジャズだけ、高校生以上チョルムニ以下はいなかった。)
 メタ活も、エディションのその子と日韓のカバジン、どれもサダリーがすごく歌うのでびっくり。
 アンジュセヨで、僕は紙しばいの記念すべき第一回目をした。それから、ポエムの娘のマリンが英語でタイトル、手紙を中国語とフランス語、空港をドイツ語、パパが帰ってきたところを英語で歌った。これも、サダリーがほぼ一緒に歌ってて、すごい、すごい。そういう僕も、それなりの波で歌っていて、すごい(^^;)。ジャズも韓国語の空港、マリンの妹のアンちゃんはタイ語のタイトル、ポエムはロシア語の空港、と歌った。
 韓国の子も、みんな日本語と英語で自己紹介。英語でやっても、最後が「ありがとう」になったりするのが、日本の子が英語でやっても最後が「カムサムニダ」になるのと同じでおもしろい。あと、好きなものがポケモンだったり、あだ名がイーブイ(ポケモンの中の1種)だったりするのも同じ。
 夕ご飯はビビンパブで、各自ご飯の入ったどんぶりに、好きな具とコッチュジャンを入れて、混ぜて食べる。マシイッソヨ。
★左:持ち寄り。★
★右:夕食のビビンパブ。マシイッソヨ!どんぶりにご飯と目玉焼きだけ入っていて、あと、テーブルの上の野菜とかコッチュジャンとかを好きなだけ入れて、ごま油をいれて、混ぜます。★

 話をしているうちに、メンバーの一人が、この2月に国立のエクレア家族とエナック家族の家にステイしたことが判明。どちらも僕の知っている家族で、やはりこの世界はせまい(^^;)。
 サダリーの息子(10才)はずっとゲームボーイカラーで、ポケモンをしていた。「ッシ」が何かと聞かれて、「タネ」と答え、次は「イサハン」とくれば、これは「フシギダネ」のことだと、ピンときた。彼がやっているポケモンは日本語版なんだけど、けっこう、言葉には困らずにやっているようで、まわりで覗き込んでいる子達も、一緒に「アッサー」と騒いでいる。
、  10時前に家を出て、地下鉄で帰った。ホテルの前の屋台で、鉄板の上で焼いているお菓子を買った。500ウォン。それと、コンビニで500mlの牛乳、850ウォン。それに、移動に使った地下鉄代約1600ウォン、計3000ウォンが今日使ったお金のすべて。たった300円ですんでしまった(^^;)。


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