大学生も暇じゃない

4度の偶然
 Tゼミへ。
しまいしまいと思いつつも遅刻する私。
Tゼミの3年と4年は全員その前のゼミ関連の授業に出ているのだが、
私だけとっていない。
最近はほとんどTゼミに顔を出さないので、
おそらく私が到着する前からゼミは始まっているに違いない。

 今日の3年生の発表は非常に良かった。
私の研究にも役立ちそうなものだった。

 その後バイトで都立大学へ。
帰り道、
渋谷駅で降りようとするとD会のOか氏にバッタリ会う(日吉の図書館に行っていたそうだ)。
一緒に渋谷駅を歩いていると、
SゼミのY樫氏にバッタリ会う。

偶然が続くものだと思いながら、
またあるかもしれんと思い渋谷を歩いているとツタヤで元D会のY本さんにバッタリ会う。
偶然が連鎖した(このページを見ていて全員をわかる人は1人もいまい)。

渋谷駅の書店でマンガを買う。
金ないしマンガなど買わなくてもいいのだが、
出版不況のご時世に講談社の売り上げの80%を占めるマンガが売れなければ講談社学術文庫も現代新書も打ち切られる恐れがあるので、
学術的貢献をしていると考えると随分いいものだと思いながら電車に乗る。
すると、
渋谷駅を出て少しして私の前の席が空く。
「マンガなぞ読んでいるのに座れるとは、随分いい日だ」と思いながら家路に向かう私であった。 2004年10月05日 00時03分37秒

石野卓球
 日曜はT研究所関連の塾長杯卓球大会がある。
我々はその準備をしたり、
大会運営をしたり、
卓球サークルとかに所属している卓球の達人達の前で貧相な卓球の腕前を披露したりした。

 終わった後体育の先生方と飲む。
O倉さんが飛ばした後眠りかけていた。
非常に楽しかったということである。

先生方は3次会に行き、
もしかすると6月についで徹夜している可能性もあるのだが今回は流石に疲れがたまっていたので私は帰らせてもらった。 2004年10月04日 14時01分32秒

川崎市で4000円
 今日は車を出して川崎市市民ミュージアムへ。
目的は「21世紀の本居宣長」展を見ることと、
今日行われるそれ関連の講演を聞くこと。
川崎市市民ミュージアムはアリーナ、陸上競技場などと一緒にあり、
土地が広い分駅から遠い。
というわけで車が便利なのである。

到着。
駐車場に車を入れようとすると、
「満車だから待っててください」と言われ待つ。
「この美術館が満車なんてことあるのか」と思いながら(満車になった理由はあとでわかる)
長いのでエンジンを切ったりしているとエンジンがかからなくなる。
「やばいぞ!」と思いながらも自分では直せないので後ろに並んでいた車のデューク更家に似た運転手の人に見てもらう。
すると「バッテリーがおかしくなってるから、JAF呼んでどうこうしたほうがいいね」と言われる。
「講演迫ってるのにJAFもへったくれもあるか!」と思いながらガチャガチャやったら直った。
「接触が悪くなってたみたいだね」と言われる。

とりあえず駐車して講演を聴き、
展示を見た。
非常に良い展示だった。
卒論に関係するということで図録、
置いてあった雑誌、
本居宣長が作った物をまねて作ったという飴など色々と買った結果、
入場料など含め4000円くらいかかる。

 美術館を出ると、
遠くで歓声が。
何があるのかと思い行ってみると、
川崎フロンターレのユニフォームを着た人々が続々現れる。
「さては」と思い進むと、
川崎フロンターレの本拠地等々力陸上競技場があった。
今日はJ2の試合だったようだ。
競技場の周りはフロンターレのサポーターだらけ。
その中に私がFC東京のユニフォームなど着て現れたら命が危ないだろうなと思いながらその場を後にした。
来年はフロンターレとも戦わねばならぬ。

 帰り道であえて今まで使ったことのない道を使ってみたところ、
そろそろ曲がろうと思ったところが右折禁止でその後ずっと右折路がなかった。
というわけで妙に長いドライブとなった。 2004年10月02日 22時37分23秒

内定式なんてでねぇ!
ここ最近はSゼミに出ないくらい忙しかった。
Tゼミを理由を見つけては休もうとしているのとは対照的である(Tゼミの人誰も見てないから言っちゃえ〜)。

昨日はR会のP氏と久しぶりにラーメンJへ。久しぶりに食べたら厳しい戦いだった。

その後D会関連の作業。
終わった後D会の人々と飲む。
I川、N野両氏が一女に「一女に人気のある四男は誰か」を聞いたところ、
「N原さん」という返事が返ってくる。
N野氏の少ない怒髪が天を突き(N野氏も見てないだろうから言っちゃえ〜)、
「よりによってN原に負けるなんて、
こんな屈辱は初めてだ」と「辱められた」などと言いながらN原氏を攻撃するのであった。
その面白さはとても小生の稚拙な文章では表現できない。

一男U田を攻撃しようとして私がついだ飲み物が梅酒かと思ったらウーロン茶だったり、
力尽きて倒れた二男H野を救出しようとして私が飲ませた飲み物がウーロン茶かと思ったら梅酒だったりした。

今日は学校へ行き、
Tゼミの院生に会って卒論の話をしたりした後竹橋にある東京国立近代美術館の琳派 RIMPA展へ。
非常に面白い展示であった。
RIMPA? リンパ腺?などという人はセンスがかけらもない。

美術館に入ろうとすると、
美術館のすぐ近くに大量のスーツ姿の人々を発見。
格好からして明らかに内定者。
竹橋、圧倒的に男が多いなどからM新聞の内定者と予想された。
そいつらが美術館に入ってきた。

琳派展はT新聞が創刊120周年で行う企画。
それにM新聞が行っていいのか?と思いつつ展示を見る私であった。

ちなみに私は内定式には出ていない。
いくら一匹狼の私とはいえサボったのではない。
会社の方針で内定式がないのである。
つまらん儀式のための拘束などないのは非常によい反面、
同期になる人に未だあったことがないのが不安ではある。

明日は久しぶりにドライブ。
2004年10月01日 18時10分00秒

眠いとか言っている場合ではない
 この二日はとにかく忙しかった。
ウェブ公開できないのと、
2日間をまとめて更新するのは面倒なのとで省略。

 今日は初めてまともに授業のため学校へ。
Sゼミサブゼミに出る。
3年生が真面目に話し合っている中、
院生のF野さんHまさんとだべる。
「雨天人類学」「災害人類学」など新たなジャンルの学問が生まれる。
3年のO合に「チゃゲアスの大ファンなんです!」と言われてちょっといい日。

 帰り道、
バッタリT研究所の3年のT辺に会い、
一緒に帰る。
帰り道の途中でどこかに消えていたF野さんが現れ、
先ほどしていた学問の話の続き。
「自宅人類学」なる学問も生まれる。

私は院生同士が話している内容が専門的過ぎてわからないと感じることがよくあるのだが、
今日の私とF野さんの会話を聞いているT辺もきっとそんな感じだったのだろうと思いながら電車に乗るのであった。

 イチローが最多安打の新記録まで残り3。
とはいえイチローのことだから、
次の試合の第3打席あたりであっさり決めてしまうのではないかと私は踏んでいる。

犠打の世界記録保持者川相でさえ、
世界記録の直前は信じられないようなイージーミスのバント失敗を連発した。
当たり前だが、
そう考えるとイチローはやはりすごいのだなぁ。

 サッカーユース日本代表がベトナムを破り、
8強入り。
高校時代から23歳以下代表に選ばれ、
多くの試合に出場した平山は確かに怪物である。
4年後も22か23なので、
オリンピックに出られる。

だがふと気づいた。
中田は20歳にして98年のワールドカップ予選では司令塔として活躍した。
小野も19歳でワールドカップ初出場を果たした。
月並みな表現だが、
彼らはやはりすごいのだなぁ。 2004年09月30日 02時12分27秒

 日曜は東京六大学野球K-Rを見に行く。
「雨だから中止かな?」とか思いつつ行ったら40分ほど遅れて着き、
N野氏やD会の面子が来ていたのだが席がなかった。
仕方ないので「4年だしいっか」と思いながら観客席の上のほうの偉い人たちが座る席で見ていたらO部の下級生に見つかり、
下のほうの応援席に連れて行かれる。
そんなことをやっていたらT研究所のH田さんやO倉さんがいて、
合流。

 試合はひどかった。
エラーで出したランナーをエラーで帰すという、
典型的なダメ試合。
こちらも攻めながらそのような失点を重ねると追い上げムードはなくなる。
さらに敗戦処理投手まで打たれて目も当てられなかった。

 試合後、
H田さんとO倉さんと飯を食ったりした後別れてバイト。
その後家族と、
うちの親父の仕事の付き合いがあるイスラエル人と飲む。
こんなことを書くとY樫氏に「あんたのとこの家はどうなってるの」とまた言われ兼ねないのだが、
実は私もどうなっているのかよくわかっていない。

 ここ最近疲れがたまっていたこともあって、
帰るや否や寝た。
そのため今日は非常に体調がいい。 2004年09月27日 11時54分34秒

2004年09月27日 11時46分01秒

授業開始だが授業はない
 今日をどのように過ごそうか考えていると、
D会のT田氏から「急遽大事な用ができたのだが、人が足りないので暇だったら来てくれ」という連絡が入る。
学校へ。
すると他にもD会の同期の男達が呼ばれて駆けつけていた。
D会の同期の男達は義理人情に厚く、
急な呼び出しでも駆けつける江戸時代の侠客のような人々である(基本的に暇しているというのもあるが)。

というわけで一日D会の人々と時間を過ごした。

 近鉄がオリックスに吸収され、
来年からのチーム名はオリックスバファローズになる。
憎きオリックスをバファローズと呼ばなければならないこと、
たった48勝しかあげていないチームに吸収されなければならないことが屈辱であるが仕方ない。

そして長い間近鉄の本拠地として使われてきた藤井寺球場は2005年をメドに取り壊される予定らしい。
藤井寺球場には数回行った事があるが、
汚く狭く不便。
近隣住民に配慮してトランペットなどの使用は禁止だった。

出入り口は一箇所しかなく、
東京ドームのようにホームアウェイで入り口が違うということはなかった。

スコアボードは12球団の本拠地の中で唯一電光でなく、
選手名の表示が木の板だった。
選手名のストックがない場合は職員がその場で書くという凄いもので、
「右投手に対し左の代打を送ったところ、
ピッチャーが左投手に交代。
それを受けて代打の代打で右打者」
というような時は選手名が追いついていなかった。
その中にストックのない選手がいようものなら大変なことになった。

両翼90mしかない(現在の野球規則では両翼は最低95mとされており、福岡ドームなどは100mある)藤井寺は異様にグラウンドと客席の距離が近く、
試合前の練習で選手に声をかけたら振り向いてくれた記憶がある。

「藤井寺球場について興味があるようでしたら、
文藝春秋から出ている今週のNumberをお読みください」 2004年09月26日 00時25分34秒

夏休みが終わり
 夏休みは家でレポートを書いたり料理を作ったりしていたらいつの間にか終わっていた。
19時からのテレビを食事しながら見るためには30分くらい前から料理を作り始め、
19時ちょうどに出来上がるようにしなければならない。
これがなかなか難しい。
料理を作るというのは大変である。

将来所帯を持ったとしたら料理は先に家に帰ってきた方が作るというようにしようと思っているのだが、
一匹狼なので結婚できるかどうかが果たして疑問である。

 孔子『論語』を読む。
「礼節をわきまえよ」「親を大切に」「和を大事に」など、
日本人は儒教の表面的なところは理解しているが本質的なところを全然理解していないという事を感じていたので、
図書館で偶然手に取ったこともありその聖典をじっくり読んでみた。
すると、
孔子は聖人と言われているが実際はそうでもないのではないかと感じた。
「古来の尊い教えは全て散逸してしまい、
残っているのは古来の教えを受け継ぐ私の言葉だけだ」と自慢気味に語ったり、
意訳すると「私の教えは天の考えを受け継ぐ素晴らしいものなのに、
なぜ世の君主は受け入れないのだろう」と不満のはけ口的な言葉も残っているからだ。

他にも「政治に効果的なのは正しい心。これさえあれば民の心は休まるのであり、法律など意味を成さない」
「親が死んだ後も最低3年は親の考えが間違っていたことを指摘しないこと。それが親孝行というものだ」という言葉があったりと、
極めて理想的、封建的、保守的。
 
 秦の始皇帝は儒教を嫌い、
有名な焚書坑儒(儒教の教えを焼き、儒者を生き埋めにした)を行って政策にはもっぱら韓非子の考えを採用した。
韓非子の考えは性悪説の流れを汲み、
人間は放っておけば悪いことをする醜いものであるから情けなど無用。
人を動かすには法律を厳しくして、
成功すれば褒章、失敗すれば罰を与えることが一番効果的だというもの。

その結果秦は中国史上初の全土統一を成功させるわけだが、
その厳しすぎる政策により一代で秦は滅びる。
孔子も韓非子も一長一短だが、
2000年以上前にできた思想なのだからどちらも凄いということはできる。

だが「和を大切に」と唱えた孔子の思想が戦乱の長く続いた中国においてそこまで受け入れられなかったというのは想像に難くない(だから孔子は「教えを広めて回っている」と称して自分の意見を取り入れてくれる君主を探して中国全土を旅して回るのだが)

 私の卒論のテーマは「儒教などあんなおかしな思想を信じちゃいかん」と唱えた人についてなので、
いつか儒教とも戦わなければならない日が来ることだろう。 2004年09月24日 23時51分50秒

秋分の日でよかったっけ?
 ハッピーマンデーが適用されてからというもの、
祝日はほとんど月曜になってしまった。
だが12月23日など、
いくつかの祝日は平日のまま残っている。
S教授によると、それらは天皇の誕生日であったり、
秋分の日であったりと動かせない日だからだという。
だが旧敬老の日など、
もともとその日に意味があったのに経済活性化のために伝統を無視して日を変えてしまった日もある。
S教授によると、
そういった伝統を知る者を政府に登用しないのはおかしいとのことである。
書くことがないのでそんなことを書いてみた。

 のんびり起きた後バイトをし、レポートを作り、
Eの黒ビール片手にFC東京ー浦和レッズ戦をテレビ観戦。
ヴェルディに7−2で勝って首位の浦和に1−0で勝ったので、
非常に気分が良い。
試合内容はここに書いても誰も面白くないので省略。
エメルソンと田中達也を見事封じ込めた茂庭らDF陣に拍手を送りたい。 2004年09月23日 22時02分14秒

9月なのに猛烈に暑い
 今日は朝から学校に行ったり、
D会関連の仕事をしたりして過ごす。

 もう夏休みの終わりが近いということで、
この夏休みの自分を評価してみよう。
今回の夏休みは今までにないほど引きこもっていた。
卒論をやっていたこともあるのだが、
携帯の電源を切っていたりしてあえて誰にも会わないことが多かった。
やってみると、
意外とできた。
よく考えるともともと私は一匹狼なのである。

 この夏休みで一番影響を受けたのは小熊英二というK大の助教授かもしれない(この人は物凄いスピード出世をした人なのだが、
経歴はこの場においては省略する)。

この人は家にテレビを置かず、
携帯電話も持たないという。
本人曰く「浅薄なコミュニケーションは求めない」とのことで、
「自分が成長する手ごたえがあれば、淋しいなんて感情はなくなる」と言っていた。
今まではあまり納得できなかったのだが、
今回は妙に納得できたので真似してみた。

 あえて誰にも会わないことが多かったので、
逆に人に会ったときはその人の尊敬できる点がよく見えた。
旅行やら合宿やらでSゼミの人と会うことが多かったのだが、
Sゼミの人は皆行動力があって、
自分の考えをしっかり持っていて、
素直に尊敬できる人たちである。

わかってはいるつもりなのだが、
やはり人のありがたみというのはなくなってみて初めてわかる。

そんなことを本当になくなる前に感じられたということだけでも、
多少なりとも成長できたかという夏休みであった。 2004年09月23日 00時08分47秒

ゼミ合宿
19日からSゼミのゼミ合宿に出かけた。

長野県諏訪に現地集合する。
3男を乗せた車は3連休の大渋滞にはまり、
とても集合時間に間に合わないという連絡が入る。
Hまさんや院生は今回は参加しないという話を聞いていた。
つまり、
集合時間になった時点でいたのは私と先生を除いて十数人が全員女性、
学生で男は私だけだったということである。
それはまるで女子高の修学旅行を引率する添乗員とそのおまけの若手社員といった感じ。

今回も学術調査を中心としていろいろと見て回った。
諏訪大社に行き、
御柱祭りを見て、
信州そばを食べ、
夜は飲んだという感じである。

夕食に鯉が出た。
鯉だということを言ったところ、
「鯉!?」と女性陣が驚きの声を上げる。
最近の若い人は鯉を食べたことがないらしい。
長野県は海がない分、
鯉とか鮎とか川の魚はよく食べるようだ。

2日目は御柱の里曳きに参加する。
里曳きとは神聖な木を山から切り出して、
村の人みんなで縄をつけて運ぶという神聖な行事である。
私はなぜか村の偉い人に目をつけられ、
「もっと腰を入れなくちゃ」とか言われる。
相当力を入れて縄を引っ張ったところ、
手の皮がむける。
村の人たちは軍手をしていた。
そして先生はすっかり村人に溶け込み、
村人しか着られない祭の法被まで着ていた。

3日目は昼に馬刺しが出る。
馬刺しは山梨や長野ではよく食べられているらしい。
3日目に合流したT田さんという研究者の方が「馬を食べるのはかわいそうという声があるけれど、
牛を食べるのはかわいそうという声はない」
という話をされる。
確かに。

現地解散となり、
先生と別れた後バスに乗って駅に向かう。
3年の男たちは車ですでにいなくなっていたので、
女性だらけの中で私の居場所がない。
というわけでバスが来るまでその辺の畑をうろうろしていると、
ものすごい量のイナゴを発見。
私が一歩踏み入れるたびに大量のイナゴが飛び跳ねる。
こりゃ面白いやと思い早足で歩き回ったりしていると、
私が来たので逃げたところ見事蜘蛛の巣に引っかかってしまったイナゴを発見。
ちょっとかわいそうだったが、
自然の摂理なので仕方ない。
なかなか見ないめちゃくちゃでかい蜘蛛だったので、
記念撮影。

駅から電車に乗り(3連休の最後ということで自由席は席がないほど混んでいた)、
すんなり帰りたかったのだがD会の用があったので学校へ。
用が終わった後I川氏に誘われたので彼らと飲む。
2004年09月21日 19時29分24秒

何だか前向きな日
 アマゾンで1928年に出版された『のらくろ漫画集』が¥38,900で売っているという夢を見る。
買おうかなとか思った直後に目が覚めた。
自分の見た夢ながら、
突っ込みどころ満載。
1、のらくろは1944か45年に軍によって連載を止められているが、
連載期間は10年に満たない。
というわけで1928年に単行本化されているわけがない。
間違いない!

2、のらくろ初版本はマニア垂涎の品なので、
¥38,900という価格にも大いに疑問。
そしてそれをアマゾンが取り扱うはずがない。
取り扱ってヤフオク。

 のらくろは野良犬黒吉(略してのらくろ)が猛犬連隊に入り、
時にはドジをしながらも大活躍する話。
ちょうど日本が日中戦争に突入する時期で、
中国をイメージしたと思われる豚軍など、
色々な動物の軍隊と猛犬連隊は戦う。
「西洋列強からのアジア諸国の解放」を謳った大東亜戦争なので、
「最初はいがみ合っていた中国と日本だが、和解し西洋列強と力をあわせて戦う」ことを連想させる猛犬連隊と豚軍との和解シーンなどもある。

戦後出された復刻版においてそのシーンはカットされた。
我が家にあるものにも豚軍は敵としか描かれていない(しかもそのシーンも相当カットされている)。
戦後の検閲がどのようなものだったかを物語るシーンとして興味深い。

「漫画が戦争や検閲にどのように関わっていたかに興味があるようでしたら、
夏目房之介の書いた『マンガと戦争』をお読みください」(Sゼミの人しかわかりませんね、ハイ)。

というわけで、
戦前に出されたのらくろは欲しい人はもっと高い値出しても買いたいものなのである。

 余談だが、
私が今でもたまに使う「これはうまい。いくらでも食べられる」などの口癖はのらくろがマンガの中で使っていた台詞である(誰もわからんが)。

 今日は何したとか面倒になったので全部略。
タイトルの意味とかも省略。 2004年09月17日 23時45分50秒

光文社『VS』
 電車の中吊り広告で「スポーツの見方が変わる」というキャッチコピーがあり、
何かと思えば光文社から新しいスポーツ雑誌が出るということだった。
これは画期的なことである。
なぜ画期的かはいくつか理由がある。

 講談社子会社の光文社はJJ、CLASSYなど女性ファッション誌を中心にやっており、
書籍では『最驚!ガッツ伝説』などの本を出している。
それがスポーツ雑誌という全く新しいジャンルに進出したわけだ。
光文社は「カッパの本」という書籍のシリーズがあったのだが、
そちらはあまり売れず縮小された。
以前光文社の社員の方にお話を伺ったとき、
今後は雑誌だけでなく『江戸三百藩 最後の藩主』など光文社新書に非常に期待しているという事を言われた。

だが雑誌の強みを生かしてスポーツ分野を開拓するという方向になったようだ。
まずそれが一点目。

 出版社というのは長年不況知らずの業界だったため、
何の規制もなくとも競争という意識が他の業界に較べ著しく低い。
そのためスポーツに関する本、雑誌はBBM(ベースボールマガジン)社か文藝春秋のNumberに任せるという暗黙の了解のようなものがあるようだ。
それが出版不況になってから状況が変わり、
集英社がSportivaを創刊するなど競争の意識が生まれた。
だがSportivaは取材の力がNumberやBBM社にまるで及ばず、
スポーツ記事だけで勝負できない分をマンガなどでつないでいる。

今回創刊されたVSは「スポーツの見方が変わる」というくらい取材や記事に力を入れたもののようだ。
少し読んでみたが、
Numberと遜色ないくらい質の高い内容だった。
マンガなど一切なく、
内容も濃くて面白い。
雑誌の中の広告もイタリアの時計メーカーや銀座のお店など、
相当質が高くて低俗な感じが全くしない。

虎ノ門書房でも一番目立つところに平積みされており、
買ったら雑誌のロゴ入りポンチョまでくれ(あまり使えなかったが)、
宣伝にも力が入っている様子。

この雑誌が成功したら、
Numberとのスポーツ誌の熾烈な競争が起こるかもしれない。
今までせいぜいマンガ雑誌だけだった出版競争がスポーツでも起こり、
業界が活性化する可能性がある。
それが2点目。
非常に楽しみである。

 そんなことをD会のI川氏に熱く語ったのだが、
来年から銀行に勤めるI川氏はまるで興味がないようだった。 2004年09月17日 00時13分37秒

T大戦
 学校に行く。
するとバッタリI藤氏に会い、
昼を食す。
ここ最近健全に引きこもっていたので、
ゼミや専攻以外の人に会うのは久しぶりだった。

 その後T大へ。
受験で落とされた系の恨みつらみは一切無いのだが(受けてないし)、
この大学はあまり好きじゃないしすごいとも思わない。
電車に乗っていて「こいつさえねーな」と思うやつはたいてい駒場東大前駅で降りる。
野球をやらせると、
思わず他大学にもかかわらず応援したくなるほど弱い。

そんなことはどうでもよく、
T大の史料編纂所(史学研究において日本最高峰)で資料を借り、
コピーする。
Tゼミ院生のS田さんにバッタリ会う。
何枚コピーしたか、
どのページをコピーしたかをいちいち申請しなければならないとかで、
非常に面倒だった。

大量のコピーをとっていると、
小銭が切れる。
両替はしてくれないらしいので、
仕方が無いので自販機のある校舎へ。
時間が無いのでダッシュ。
60円のまずいメロンソーダを飲んでくずす。

T大はそんな試練を私に課しつつも、
無事に必要書類をコピーし終えた。
私はT大との戦いに見事勝利したわけだが、
今週末、
K大野球部には同じ勢いで見事2連勝といってもらいたいところである。

 その後表参道へ。
清水伸さんの個展へ。
清水伸さんとは私の父親の大学時代の友人で、
私の名前はこの方からいただいた。
プロフィール(公式HPがないので終わった個展から失礼)http://www.gaden.jp/yamaguchi/2003/030428.htm

初日の今日はレセプションが行われた。
ギャラリーで酒を飲みながら個展を鑑賞するという初の経験をする。
レセプションの最中、
「吉田」とか「伸」と呼ぶ声が良く聞こえる。
だが「吉田」と言われて当てはまるのは今回はうちの父親であり、
「伸」と呼ばれて当てはまるのは清水さんだったりと、
呼ばれるたびに「わしか?」と思いつつも違うという変な日だった。

2次会まで行われ、
父親たちは旧交を暖めていた。
私は二次会のロシア料理店のウォッカで地味に弱っていた。 2004年09月16日 00時46分20秒

院試は大変だ〜!
 なぜか早く起きた後、
学校へ。
Sゼミ院生のHまさんと会って卒論の相談。
私の入っている二つのゼミは性質が異なる。
その二つの性質の良いところをつなぎ合わせて卒論にできれば良いのだが、
それが難しい。
難しいが、できることだ。
と小林秀雄のように言ってみたいところである。

Hまさんと別れた後図書館に行くと、
S村氏やら日本史学専攻の友達に会う。
彼らは皆大学院入試を一週間後に控えているとのことで、
今年は院試を受ける人も多くて大変そうだった。

そういえば大学入学前は大学院に進学し、
将来は教授になって大して働きもせずに給料をもらおうとか考えていたものだ。
その道がいかに大変かを知ってからは路線変更したが。

 明日はT大に乗り込む。
とはいえ別に喧嘩をしに行くわけではなく、
資料を借りるだけである。
仮に喧嘩をしても、
見るからに弱そうなT大生には勝てそうな気がするが。

関西のK大学はその昔アメリカンフットボールで社会人にも負けなしだったし、
今もそこそこ強い。
それに比べT大学は野球をやらせればエラーで自滅、
ボロ負けと何もいいところが無い。
そのためどうもT大はすごい学校だと思えない。
だいぶ主観的、一面的な見方だが。 2004年09月14日 22時18分07秒

バッシー
 東京六大学T大ーM大は、
先発松家が自責点3ながら8回に捕逸など痛いミスが出て、
8−7で敗れ待望の勝ち点をあげることはできなかった。
春優勝のM大相手だから良くやったといえばよくやったのだが、
ミスから敗れるのは実にもったいない。
そして、
K大には速やかに2連敗してもらわなければならない。

 縫合の糸を外してもらう。
驚くほどあっけなく取れた。
痛くもなんとも無い。
歯医者さんに感謝。

 モブノリオ『介護入門』を読む。
とはいえまだ途中だが。

驚いたのは、
芥川賞選考委員の評価が低いこと。
文藝春秋9月号を読むと、
「私はこの作品を推さなかった」と言っている委員が多い。
モブ氏が文中で多用している朋輩に「ニガー」とルビを振った表現を「田舎臭い」と酷評している委員さえいた。
私も何度と無く使用される朋輩、YOなどの表現があまり好かなかった。

以前はどうだったのかと思い棉矢りさ、金原ひとみ両氏の作品についての論評を見てみた。
すると、
おおむね高評価。

評価が高くない委員もいたが、
「強く推す理由も無いが、
受賞に反対する理由は無い」
という意見が多かった。

『介護入門』がぎりぎりで芥川賞入選となったようだが、
石原新太郎氏に至っては「今回の候補作はいずれも、いかにも軽くて薄いという印象を否めない」と酷評。

ちなみに他候補は舞城王太郎氏の『好き好き大好き超愛してる』など。
この作品は酷評されていた。
私も読んだわけではないが、
いかにも酷評されそうなタイトルである。

ちなみに、
4分の3くらい読んだのだが棉矢、金原両作品に比べ面白くない。
特に最初の昆虫がどうのとか言いながらところどころ朋輩、YOなどの表現が使われたときはどうしようかと思った。

この作品は身の回りに実際にあったことがモデルの私小説である。
介護という今まであまり取り上げられてこなかったテーマを独特の文章表現で独自のものにした今作品であるが、
今後モブ氏が連続してヒットを出せるかというと疑問である。
実際に経験した「介護」について書いたら面白いテーマだったので取り上げられたという印象がぬぐえない。
こう言うと悪いが、
介護経験を通じて感じた介護士や親戚への怒りなどをそのまま書いたという感じがして、
小説の体をなしていない感すらあるのである。

現にモブ氏のインタビューで彼は「小説のつもりで書いていません。めちゃくちゃ書きました」とはっきり明言。

そしてやはりこの作品が第一作目だった。
インタビューを読んだが、
あまり作家としてやっていく気もないようである。

「体をなしていない論文を書いている奴に小説になってないとは言われたくないだろうな」
とか思いながら論文執筆に励む私であった。 2004年09月13日 21時31分03秒

ドライブドライブ
 うちの親父が出かけるので駅まで送ってほしいと言うので車を出す。
駅までは近い。

帰ろうとしたところ、
ガソリンがあまり無いのに気づく。
ポイントカードがあるのでENEOSで入れようとしたところ、
環状八号線にあるガソリンスタンドはどこも見にくく、
入りにくい。
入ろうとしたらもうすでに時遅しだったり、
入れるだろうと思ったら「セルフ」と書いてあって
「セルフなんて入れられるわけ無いじゃん」と入らずすごす。

というわけで、
ガソリンスタンドに入るだけでだいぶ南下する。
しかもだいぶガソリンが少なくなってきたので、
ENEOSではなくESSOで入れる。
ポイントたまらず。
だがそこのスタンドは親切だったのでよし。
ちなみにENEOSはFC東京のスポンサー。
というわけで私はガソリンはENEOSである。

 その後少し出かけ、
帰りに犬のえさを買おうと西友に寄ったところあまりに行列していたので断念する。

 明日は抜糸。 2004年09月12日 19時49分41秒

サッカー
 今日は母親と味の素スタジアムにFC東京ーヴィッセル神戸の試合を見に行く。
母親は年季の入ったサッカー馬鹿である。
今のJリーグチームが日立、日産、古川電工などの頃から応援していて、
メキシコオリンピックの銅メダルの頃を知っている日本でも珍しいサポーターに違いない。

 試合は開始2分、
いきなりPKを得て、ケリーが決める。
その後同点ゴールを許すも、
またもPKを得て(しかも今度は神戸DFがレッドカードの一発退場)リード。

とはいえ決めたのはPKだけと、
きちんと決めたゴールは1つもなかった。
そんなこともあり、
後半開始から一人足りない相手に防戦一方。
そんな中、
最近スーパーサブとしてゴールをあげている阿部吉朗が投入される。

とはいえ防戦一方は変わらず、
この局面打開には攻撃的MF宮沢投入しかない、
原監督は何やってるんだと思った直後に阿部がカウンターからゴール。

その直後に宮沢投入。
すると、
今まで散々防戦一方だったのにあっけなく攻撃一方になる。
これほどの選手をスタメンで使わないのは絶対におかしいと思いつつも、
宮沢のおかげで後半はヴィッセルに反撃のすきすら与えず、
安心して見ていた。
というよりも宮沢の活躍をもっと見ていたかった。

 そんなわけで帰宅。

 FC東京の試合のボールボーイ(ピッチの外に出たボールを拾ったりする人たち)は今日は地元都立高校の学生だった。
他にも試合前のグラウンドで少年サッカーチームが練習をしたり、
少年サッカーチームを試合に招待したりと、
Jリーグの地元密着の運動は凄い。

アルビレックス新潟もチームが出来た当初は全く人気がなかった。
それを地道なPRのおかげで今では日本一の熱狂サポーターを持つチームに変えた。
プロ野球にもそのような地道な運動が必要なのかもしれん。
プロ野球がしていないとは言い切れないが、
オーナーが上からモノをいうだけではダメなのは間違いない。

 そして、
ヴィッセル神戸の選手の名前が発表され、三浦知良の名前が呼ばれた時、
それまでブーイングばかりだったFC東京のサポーターから拍手が沸き起こった。
敵とはいえ、
日本サッカーを長年にわたり支えてきたカズに東京サポーターも敬意を表したわけだ(多少主観が入っているかもしれん)。
 
今年を除いて、
巨人ファンは選手会会長として働いてきた古田に今まで敬意を表したことがあっただろうか?
プロ野球に求められるのはそういった視点かもしれん。 2004年09月11日 23時40分34秒

やはり若干更新
 今日は起きたら10時くらいで、
学校へ行ってD会関連のことを少しやる。
歯が痛いのが治りきっていない。

 さて、
こんな世論だからあえて問う。
本当に2リーグでやっていけるのか?

最近になって多くの野球ファンが、
プロ野球のためには合併反対、
1リーグ反対と言っている。
私も1リーグなどありえないと思う。

だがここで敢えて問いたい。
多くのファンは合併、1リーグ反対を本当にプロ野球発展のために唱えているのだろうか。
言い換えると、
強い巨人が大好きなファンにとって、
近鉄がオリックスに合併されることなどどうでも良い話題だったのではないか?

野茂、石井、大塚、ローズとスター選手を契約のトラブルから次々と放出してきた近鉄にファンは愛想を尽かしたから、
吸収合併をお願いするほど収入が激減したのではないのか?

3年連続最下位と勝てないオリックスに仰木監督とイチローの黄金時代を知るファンは失望し、
応援しなくなったのではないのか?

すなわち、
ファンの声が届いて現状が維持されたとして、
来年以降も近鉄とオリックスがパリーグの5位と6位を占めていたら結局ファンは応援しなくなるのではないのか?

それでもこれだけ合併反対、
1リーグ反対の声が起こっているということなので、
今後に、
ファンの熱い思いに期待したいところである。 2004年09月10日 23時07分03秒

そろそろ寝よう
 今日は卒論を書いたり、
またもはねるのトびらのビデオを見たりしてすごす。
あとは図書館で卒論関係の本を十冊ほど借りたくらい。
つまらん日記だ。 2004年09月09日 23時42分18秒

出血&熱血
 昨日の夜から歯茎が出血し始め、
止まらなかったが放っておいて寝た。

朝5時ごろ一回目覚める。
口の中が気持ち悪い。
血は体の外に流れ出すと、
多くの流失を防ぐために凝固してドロドロになる性質がある(血餅〔けっぺい〕という)。
口の中に血餅が溜まっていたのである。
眠いので放っておいて寝た。

すると朝、
布団と枕と着る物と口の周りが血だらけになっているのを発見。
血餅が口の中に留まりきらず溢れたのだった。
何も知らない母親が見たら救急車を呼んでいたに違いないくらいの出血ぶりだった。

というわけで歯医者へ。
止血するも止まらないので、
またも2針ほど縫う。
ようやく止まる。

 サッカー日本代表のインド戦を見る。
うちの母親曰く、
「日本はマンツーマンディフェンスをするタイプのチームに弱い」とのことで、
インドは中盤は支配されているもののゴール前でのディフェンスは相当堅い。
そのためゴール前でのチャンスは作るものの、
点が入っていない。

攻めながら点が入らないとリズムが悪くなることが多いので、
現在あまり流れが良くない。
面倒なので試合が終わる前に今日の更新を終えるが、
勝ってくれということだけである。
とりあえず1点は取った。

そしてTゼミの同期がこの試合を見にインドまで行っている模様である。 2004年09月08日 21時55分59秒

歯が痛い
 親知らずを抜いた後が腫れ上がり、
痛む。
幸いにも今日は出かける用事がなかったので、
家にいる。
とはいえ何もしないと痛いだけなので、
こんなこともあろうかと昨日借りておいたはねるのトびらのビデオを見る。

ロバートは秋山で持ってるな。
馬場さんは髪の色は奇抜だが「馬場さん」以外の面白いコントがない。
あと一人は名前もわからん。

北陽虻川のキャラクターは群を抜いている。
ドランクドラゴン塚地の一発ギャグは普通に面白い。

そんなことを思いながら笑っていると、
いつの間にか痛みは引いていた。
昔から言われているが、
笑いは身体に良い。
『ワンピース』のウソップの台詞を借りると「効力は身をもって実証済みだぜぇっ!」という感じになる。
とはいえ腫れは引かないので、
さっさと引いてくれという話である。 2004年09月07日 20時37分14秒

歯が痛い
 今日はついに歯医者である。
親知らずが抜かれる。

いきなり「麻酔の注射4本打つからちょっと心臓が圧迫されるかもしれないけど、
そうなったら言ってくださいね」
と言われる。
「マジですか」とか思いつつ次々と注射が打たれ、
麻酔される私。

私の親知らずは一部だけが外に出てきていて、
残りは歯茎に埋まっている。
それを取り出すためにウィーンと音を立てる機械が登場。
「まずは表に出ている部分から取り除くから、
歯を切断します」と言いながら歯が切られる。
焦げ臭いにおいがする。
虫歯知らずで虫歯の治療をしたことがない人間なので、
歯医者は経験がなく普通に怖い。

だが何とか乗り切る。
歯医者さんに感謝。

私のような症状はあまりないらしく、
研修医らしき人たちが見ていた。
その中で歯医者さんが「今表に出ている歯を切ったから、次は歯茎の中の歯を掘り出します」
と研修医に一つずつ説明しながら治療する。
つまり、
私の口の中がどうなっているかの実況中継が行われつつ進んだということである。

「今ここに見えるのが何とか(忘れた)神経で、これ切ると麻痺しちゃうから切らないように」とか言うのが聞こえ、
「頼むから切らないでくれ!」と私は心の中で叫ぶ。

縫合。
歯医者さんが「縫い合わせとか糸の切り方にもやり方があって、今やるから見ててね」
と言いながら縫っていく。
「じゃあやってみよう」と研修医に糸を渡す。
「渡すな!」と思いつつもなすがまま。
きゅうりがパパ(三田のZ行かないとわかりませんね、ハイ)。
「いやそうじゃなくてね、こっち側に立って……」
とかいうのが聞こえ、
「マジですか」とまたも心の中で叫ぶ。

そんなこんなで治療は終わったが、
今回抜いたのは右奥歯の2本だけ。
次は左奥歯2本を抜かなければならない。
嫌だなあ。 2004年09月06日 22時55分59秒

日曜なのに雨。
 太宰治『津軽』を読み終える。
昭和19年発表のこの作品は、
太宰治が生まれ故郷津軽を初めて時間をかけて旅行したときの記録である。
S教授が「実に面白いね〜」とおっしゃっていたので、
ぜひ読みたいと思っていた本である。
旅行記とはいえ堅苦しいものではなく、
他の作家の作品について聞かれて、
「他の作家を馬鹿にして自分の作品の良さを主張するなど一番やってはいけないことだが、そのやってはいけないことを、私は、やっちゃった」というように書いていたり、
途中の道で買った一匹丸ごとの鯛を旅館でそのまま焼いてくれと頼んだのに、
切り身になって出てきた。
そのことは今でも腹立たしいという表記があったりと、
遊び心と素直な気持ちが溢れている。
(ちなみに上記文章はスペースの都合上若干本文を変えた)。

いかにも太宰らしい文章だった、
などと立派なことを語れるほど太宰に詳しくないので、
そのようなことを言うのはやめておく。

 ただいまツタヤがレンタル半額ということで、
TBSドラマ『砂の器』をレンタルして見る。
このドラマは最初のほうは見ていたが、
後半は就職活動が忙しくなって見ていなかった。
結末を知り、
安心する。

主人公和賀の栄光は砂でできた器のように儚くもろいものであった、
そういう意味で『砂の器』というタイトルがついているということに実はしばらく気づかなかった。
そんな馬鹿は私だけだろうか。 2004年09月05日 21時42分36秒

法事
 今日は親戚が集って法事。
私の親戚は実はたくさんいて、
日本全国にいる親戚の家を回っていけば日本一周ができるのではないかという勢いである。
その複雑さは地下鉄の路線図並みである。
うちの親父が親戚史上初めてその親戚路線を整理し、
路線図を作り上げることに成功。

親父はそのような偉業を達成したせいか、
法事が終わって親戚で喫茶店に行ったときは熟睡していた。
親父がこのページを見ていることは知っているので(親父のパソコンをいじったらこのページがブックマーク登録されていた)、
親父の話はこれくらいにしておこう。
誰もわかんないし。

 今日はヤマザキナビスコカップを見に行きたいと思っていたが、
雷雨で断念。
サッカーの応援というのは結構体力を使い、
いい運動になる。
そこでサッカーの代わりとしてデューク更家式エクササイズをしながらテレビ観戦。
浦和レッズが強いということである。 2004年09月05日 01時25分03秒

14飲み
 D会の1年生と飲む。
3年前、
14飲み(いちよんのみ、と読む)という1年生と4年生が一緒に飲むというものがあり、
当時一年生の私はこれが4年生か〜とか思いながら飲んでいたのだが、
いつの間にか4年生の側になってしまったわけである。

一次会は一年生とだいぶ楽しくやる。
2次会は一年生が次々と倒れたせいもあるのか、
一年生と飲むというより4年で飲むという感じになっていた。
いつの間にか4年も泥酔続出。
I川氏がトイレで苦しそうな声を上げるのを聞いて、
全然知らないおっさんが「これ塩水だから。これ飲むとすっきり吐けるよ」と親切にしてくれる。
塩水がいいなんて話は初めて聞いた。

I川氏はメガネを破損させる、
飲み屋のあるビルの床を家の布団と勘違いするなど飛ばしていた。

 その後も泥酔の皆さんと時間をすごした後帰宅。
酒と昨日食べ過ぎた揚げ物のせいで気分が悪い。 2004年09月04日 09時19分51秒

9月も9月
タイトルに意味はない。

 今日は家でごろごろした後、
学校へ。
D会関連でいろいろとやったあと、
Sゼミ院生のHまさんに会ってこの前のドライブで立て替えてもらった高速道路の料金を払う。

その後一緒に大江戸線に乗り、
別れて帰宅。
の予定が、
渋谷の書店で立ち読みをしていたら井の頭線が人身事故で(しかも死亡事故)ストップ。
京王線がいかに止まらない電車であるかは以前書いたとおり。
珍しいものを見たものだと思いながら帰宅。

「日記が長い」という指摘を受けたので今日は短めに仕上げる。 2004年09月02日 22時21分04秒

美術館めぐり
 去年海外に一緒に行ったT田君に招待券をもらったということで誘われていたので、
上野の美術館へ。
東京都美術館の「よみがえる四川文明」展。
中国は専門ではないので四川と言われてもピンと来ないのだが、
とりあえず行ってみた。
四川文明とは最初の国家と言われる殷周の頃に成立した文明で、
その後秦が中国全土を制圧した後消え去ったということだった。
非常に面白かった。
誘ってくれたT田君にはこの場を借りてもう一度お礼を。
ありがとう。

 その後東京国立博物館へ。
今日から本館がリニューアルオープン。
前はひたすら展示物が並んでいたが、
リニューアル後はすっきりしていて見やすかった。

終わった後近くのT大学へ行ってみる。
T田君はこのあたり在住なので、
ついでにT大学のキャンパスを案内してもらう。
国立大学は広かった。
図書館の中にはなぜか赤じゅうたんが敷かれるなど、
豪華。
だが京都のK大学のほうが豪華と個人的には感じる。
江戸時代と同じで、
やはり政治の中心は東京でも文化の中心は京都なのだと感じる。

京都のK大学にはもう一度大学に通う機会があったら通いたいと思ったが、
T大学に通うなら今私の通っているK大学でいいやと感じる今日この頃である。 2004年09月01日 21時32分34秒

自動車でGO!
 今日はSゼミ院生のHまさんとドライブに出る。
私は免許自体は2年の秋に取ったのだが、
家が駅から近いこともあってほとんど乗っていない。
自動車に関する協会から免許を取ってから一年間無事故だったことを表彰されたのだが、
それは一年で2回しか運転していないからに他ならない。

というわけで、
たまには運転するべということで車を出す。

日吉までHまさんを迎えに行く。
Hまさんを拾った後、
川崎市民ミュージアムで「日本の幻獣」展〜未確認生物出現録〜を見る。
江戸時代の千葉県印旛沼に突如出現し、
見回りの役人ら13人を即死させたという怪物に関する資料などが展示されていた。
他にも人魚、河童、鬼、件(くだんといい、疫病など厄災を予言するといわれている)などが展示されていた。

 その後第三京浜に乗り、
三浦海岸へ。
魚を食す。
海鮮丼を頼み、
それと一緒に秋刀魚の刺身など頼もうとすると、
板前が出てきて「これでも相当色々入れましたよ。かつおもホタテもシャコも鯵も入ってますし。量も大盛りにしておきました。もしそれでも足りないようでしたら作りますが」
といわれる。
何か悪いことでもしたかと思ったが、
よほどそのどんぶりに自信があるものと解釈し、
注文はやめる。
確かにそのどんぶりは他にもタイ、まぐろ、中おちなど色々と入っていて、
どれもおいしく、
量もあり、
マグロで出しをとって岩のりを入れた吸い物がつき、
ここでなければ食べられないなと思われるものだった。
さらに巨峰などサービスしてもらい、
実に満足。

 その後Hまさんに運転代わり、
鎌倉へ。
鎌倉を快適に飛ばした後横浜に戻り、
赤レンガ倉庫など見た後Hまさんと別れ帰宅。
楽しかったということである。

運転に関して私見を小林秀雄風に述べると、
相当間があいてしまってからまた運転することは難しい。
難しいが、
出来ることだ。
という感じになる(え?わからない?)。

わからない人は小林秀雄の『本居宣長』を読めという話である。 2004年08月31日 21時49分19秒

久々に学校
 旅行だったり学校が閉鎖期間だったりで、
だいぶ学校に行っていなかった。
というわけで久々に学校に行き、
Y村氏に会う。

Y村氏と図書館で卒論に関する資料を調べたりする。
雑誌データベースをいじったり、
実際に雑誌を調べたりしてその日をすごす。

Y村氏が帰った後も私は黙々と論文を読む。
という割にはあまり読めていなかった。
しかもバカなことに、
「基本が大事だ」と思いながら戦前に書かれた最初の最初の論文を読んでいたのだが、
その論文に書かれていたのはその後の定説となる考えで、
今では議論などする必要もなく当たり前に言われているものだった。
道理でどこかで読んだ内容だと思った。

 帰ろうとすると、
Tゼミの先輩で今ではI大学で助教授をしている研究者の方にバッタリお会いする。
その方が新潮社から出した本が爆発的に売れ、
歴史関係者以外にもだいぶ名前が知られているTゼミ出世株。
私の卒論の話などし、
「僕は思想がやりたいんですが、
院生の方に『思想は若いうちは扱いにくいし、
卒業論文ではとても考えが煮詰まりきらないからやめたほうがいいよ』と言われて少し卒論のテーマを変えました」
ということを話すと、
「思想は若いうちこそやったほうがいいです。
丸山真男の思想史の本だって書かれたの彼が23とかの時だし、
若いから無理ということはそんなにない。
私も『そんな若いうちはやめておいたほうがいい』と言われて雑誌に論文を発表しなかったことを今では後悔しているし」
ということを言われる。

だいぶ勇気付けられると共に、
その方は大学4年になっても未だにできていない研究方法を大学入学前からできていたようなすごい方なので、
どこまで信じてよいものかとか思いつつ図書館を後にした。 2004年08月31日 00時58分33秒

気づいたら8月も終わりかけている
最近あっちに行ったりこっちに行ったり、
それでいて家にいたりといろいろとしている。
家にいるときはもっぱらだらだらし、
出かけるときはいつの間にかその日が終わっているという感じがする。
来年からはこんなにだらだらする暇もないだろうから、
金はなくともバイトもせずただだらだらしている。

人間心理とは不思議なもので、
暇ができたらやろうと思っていたたくさんのことを暇ができてみるとやっていない。
「就職活動終わったら何するつもり?」と聞かれて
「就職活動のときくらいしか仕事とか抜きで企業の人に会ったり、
立ち入りに許可のいる会社の中に入ることはできない。
だから行きたい会社に決まった後もしばらくは就職活動しようかと思う」
とか言っていたが、
6月に決まって以降まったくしていない。
新聞の秋採用も申し込まなかったし。

そう考えると、
決まらない決まらない言いながら6月まで就職活動をしたのは社会勉強という面では非常に良かったのかもしれない。

そんなこんなで、
明日からは卒業論文執筆のために図書館にこもろうと思うところである。 2004年08月29日 22時05分23秒

今日何したかなぁ
 最近腹が下ったり、
なぜか異様に眠くてひたすら眠ったりする生活が続いている。
思うにバリ島で飲んだ生水が当たったり、
バリ島の過酷な調査旅行での疲労が今頃出たのではないだろうか。
私は物凄い量の酒を飲んだ後、
一緒に電車に乗った人と別れた直後から記憶がないということがよくある。
誰かといるときは意地でも記憶が飛ばないようにと身体が気をつけているからだと思われる。
今回も団体行動の最中に具合を悪くしては全員に迷惑だと思って団体行動が終わるまで実は具合が悪いのを後ろ倒しにしたのではないかということが考えられた。

ちなみにバリ島で生水を飲んだとか言うと不注意のように思われるが、
お寺でお祈りをする際に聖水が渡され、
それを飲まなければならない。
先生は「飲むふりでいいよ」とおっしゃるのだが、
時たま物凄い量の水を渡されるので嫌でも水が口に入ってしまうことがあるのである。

 今日は学校で調べ物をした後高円寺の阿波踊りを見に行く。
この度ゼミの調査でこの町を調べるので、
その事前調査をした。
詳細はここに書いてもつまらないので省略。
たくさん人がいたということである。 2004年08月26日 22時26分25秒

八校戦
 23日は八校戦の応援やらに行く。
八校戦とはS蹊やらM蔵やら私立の8高校が戦う陸上競技の大会で、
今年は私の母校S蹊が主催ということだったので、
その手伝いなりがあった。

私の代が卒業したあたりからS蹊高校陸上競技部は目に見えて弱くなっていったのだが、
今年はいっそうひどかった。
学校対抗のリレーがあったりするのだが、
S蹊だけ出場しなかったりで。

私は同期や後輩と久しぶりに会ったり、
大会の手伝いをしたりする。
M蔵高校陸上部出身のY竹も来ていた。

そんなS蹊なので今年も最下位かと思ったら、
M蔵を抜いて7位だった。

 その後同期や後輩と飲む。
焼肉を食いに行けば肉の上に新しい肉を乗せるなど、
毎回毎回問題を起こしてきた後輩K堀は健在だった。
留学していたとかで飲みから現れたが、
そんなこんなで飲みを大いに荒らした。
卒業してから早4年たつのだが、
皆変わっていない所は変わっていなかった。

部長のM上氏に誘われM本氏、M村、I藤、T橋とラーメンを食してから帰宅。
この日一日でだいぶ太ってしまった。 2004年08月25日 23時44分09秒

抜粋
 だらだら書きすぎて面白いところに行き着くのに時間がかかってしまうので、
面白いことだけ抜き出して書く。

 初日は少し遠い村に行き、
そこで神に捧げる踊りを見る。
観光客などほとんど来ない、
まさにその村のための祭。
そのため村向けに微妙にエンターテインメント化していた。
悪霊を百獣の王の神が追い払うという踊りなのだが、
その途中でコントのような部分があった。
しかもそこで登場したのがなぜかオカマの役。
オカマが客席の男をステージに上げ、
一緒に踊るという演出があり、
何とそこでS先生が連れて行かれる。
先生は当初嫌がるも、
最終的にはオカマ相手に華麗なダンスを披露した。
我々ゼミ生はそれを見ておおはしゃぎ。
現地の人「あの人君達の先生だろ?」
私「そうそう!」
現地の人「君はいいのか?」
私「俺はいいよ」
とそんな会話をする。
私はインドネシア語がわからないが、
言葉など通じなくとも会話できた。

 その後もコントは延々と続き、
村人は笑っていたがインドネシア語のわからない私は何言ってんだ状態だった。
だが突然オカマが下品なネタを披露(動きでわかった)。
どうやら下品なネタというのは世界共通らしい。

 2日目、
今度は町の劇場で同じような踊りを見る。
先生ということで最前列に席が取ってあり、
ありがたく座らせていただく。

劇中で、
サルに扮した役者が登場。
サルはのみを取るしぐさをする。
そして客席に下りてきて、
私の隣に座っているY樫氏を捕まえて同じしぐさをする。
圧倒される私。
その後サルはY樫氏にバナナを渡していた。
大爆笑。

 買い物をする。
インドネシアでは買い物は取引で、
交渉して安くしてもらってナンボだと聞いていたので私は作戦を立てる。
その作戦とは「秋山好古式会話」というものである。

日露戦争時、
日本騎兵軍を率いていた秋山は開戦前、
軍事施設の偵察でロシアに乗り込んだ。
ロシアの役人が色々な軍事施設を見せた後秋山に感想を聞いたところ、
秋山は「一回見たくらいじゃわかりゃせんよ」
と故郷松山の訛りの入った日本語で答えて相手を面食らわせ、
会話のペースを握ってしまったという。
ちなみに秋山はフランスに留学していたのでフランス語がぺらぺらで、
ロシア人はフランス語で話しかけたのに日本語で返されたのでだいぶ面食らったらしい。

他にもこの軍事施設だけは見せられないと渋る役人に
「前を通って挨拶しないわけには行かないじゃろう」と日本語で言いながら全部見て回ってしまったとか、
日本大使館員とトラブルを起こしたドイツ人大使が文句を言いに大使館に乗り込んできたときは日本人大使の宴会に参加させてうやむやにしてしまったという逸話もあり、
その豪快な人柄がロシア人にも大いに愛されたらしい。

話が逸れてしまったが、
具体的にはこうやった。
ちなみに店員はずっと英語である。
私「これいくら?(英語)」
店員「いくらいくらです」
私「高えよ!これでどう?(日本語)」
(紙に金額を書いて示す。大抵言われた金額の3分の1くらい)
面食らう店員「無理ですよ!」
私「じゃあこのくらい(日本語)」
(半額くらいを示す)
考え込む店員。
私「じゃあ2個買ったら?(英語)」
店員「だめです」
私「2つ買うんだよ!TwoだよTwo!(日本語英語混合)」
店員「それならこの価格でもいいです」
私「じゃあその価格で1つ(英語)」
店員「2つじゃないの?!それは無理ですよ」
私「じゃあほかの店行くよ(英語)」
出ようとする私。
店員「待ってください!その価格でも……」
私「OK?」
店員「……O.K……」
私「買った!(日本語)」
店員と握手する私。

そんな感じで、
空港の免税店でも2つ買ったら10%OFFと書かれている製品を1つで20%くらいまけさせた。
日本人観光客になれていて多少日本語が出来ようものなら私の格好の餌食になった。

あまりにやりすぎて、
「これ以上安くしたらボスに首切られちゃうの」と泣きつかれたりした。 2004年08月24日 21時40分11秒

帰国
 この数日間日記を更新しなかったのは、
何を隠そうインドネシアのバリ島に行っていたからである。

バリ島と言うと
青い海、
広がる砂浜、
バナナボート、
常夏の楽園
などを思い浮かべる人が多いかもしれないが、
それは甘い。
断じて甘い。

今回バリ島に行った目的は、
Sゼミ指導教授のS先生が学術調査でバリにいるので、
もしよければおいでとのことでついていったのである。

というわけでしたのは
学術調査!学術調査!学術調査!
である。
観光など1つもしていない。
何だつまらないと思った人は、
甘い。
断じて甘い。
実に有意義で、充実した時間であった。

前置きだけでだいぶ長くなってしまったが、
初めての体験をたくさんした。
それを列挙してみると次のようになる。

1、海外フィールドワーク
2、バイクに乗る
3、インドネシア人と化す
4、スカートをはく
5、右手だけで生活する
6、バイクにひかれる
7、新たな価値観をたくさん与えられる
8、激辛を経験する

それでは一つずつ見ていこう。

1、S教授の専門は文化人類学で、
東南アジアの民族芸能などいろいろなことを研究されている。
今の時期バリ島は日本で言うお盆のような時期に当たり、
先祖が帰ってくる。
そのため先祖を迎えるべく色々な祭礼が行われる。
我々はそれらの祭りを見て、
カメラを回し、
詳細なメモを取った。

それこそ観光客はまず行かないような、
バリ島中心部から車で2時間かけてたどり着く村の祭りを見たりした。
そのくらいになると村人以外の人はほとんどおらず、
外国人など実に珍しい。
私がカメラを手に祭りを見ていると、
子供たちが近寄ってくる。

よくドキュメンタリーなどでアフリカなどの奥地にある村に西洋人が現れ、
子供たちが西洋人を取り囲んで彼の持つものややることを興味深く見つめるというシーンをやる。
それと同じことを私がやった。
子供たちは私のカメラや動作を興味深く見ていた。

2、インドネシアは交通量が多い。
バイクがたくさん走っている。
バイクに関する規制はゆるく、
ノーヘルメットでも何の問題もない。
日本の感覚だと信じられないが、
四人家族全員が一台のバイクに乗っているという事もある。
「事故起きたら一家全滅だな」とか思いながら見ていた。

というわけで私も車の運転手のバイクの後ろに乗せてもらい、
快適だった。

3、バリ島にはヒンドゥー教の影響が強いところや、
そうでもないところとある。
だがどこでも神々への信仰は強い。
寺院を訪れてお祈りをした時、
そこにいたTOY STORYの顔がバラバラになるおじさんのおもちゃのようなバリ人が何者だこいつという目で私を見ていたが、
合掌のポーズをしたところおじさんが笑顔に変わった。
「これは使える」と察した私はその後寺院でもホテルでも、
町でも会う人会う人に合掌するようになった。

こちらが合掌すると、
向こうは間違いなく笑顔で合掌し返してくれる。
そうすることでいとも簡単に友好関係を築くことが出来るようになった。

合掌は「おはようございます」「こんにちわ」「ありがとう」「ごめんなさい」などの意味を含み(と私が勝手に解釈)、
場面に応じて使い分けることで、
言葉が通じなくてもいとも簡単にコミュニケーションが取れた。

私は仏教徒なので神仏を信仰する、
拝むという発想はよくわかるのである。
宗教は違えと拝む気持ちは大切。
1つの宗教に固執するより色々な宗教の良いところを理解していければ戦争はなくなるのではないかとか感じたり。
マハトマ・ガンジーも進んでヒンドゥー教とイスラム教の壁を破ってインド人の心を1つにして、
見事インド独立を成し遂げたではないか。
とはいえガンジーも結局ヒンドゥー教原理主義者とでもいうべき人の銃弾に倒れるわけであるから、
宗教というのはそう一筋縄ではいかないのかもしれない。

というわけで合掌、
英語(結構通じる)、
地球の歩き方に載っているわずかなインドネシア語、
ジェスチャーを駆使して結構コミュニケーションできた。
バリの人に手で仰ぐしぐさをしながら「暑いですね」と言ったら返事が返ってきたし。
バリ人と一緒に祭りを見ていたらすっかり現地人と化していたこともあった。

4、バリの寺院に入るには、
サロンと言われる正装をする必要がある。
それは巻きスカートのようなもので、
スカートなどまさに初体験である。
しかもそれは軽く縛るだけで、
極めて不安定なものであった。
先生や現地の人はすっかりなれているのだが、
私は常に下半身に不安を抱えつつあちこちを回るのであった。

5、インドネシアなどヒンドゥ文化圏では左手は不浄の手とされている。
右手で食事をし、
左手でトイレの処理をする。
先生によると、
そのように分けておくことは衛生面では理にかなっているとのこと。

だが私のような生活に常に左手がないと困る人間には結構大変な環境である。
油断すると気づいたら左手でフォークを使っている。
というわけで頑張って右手ばかり使う生活を心がけた。
これが結構大変(右利きの人間にはわかるまい)。
先生曰く「左手で食べ物をさわろうものなら『こいつ人間か?』という顔をされる」とのことだったので気をつけたが。

ちなみにキリスト教でも左手はあまり良いものではないようで、
左手で書いた左右反転している字は「悪魔の文字」と言われ忌み嫌われていたらしい。

私としては左手を否定されるのは人格を否定されたような気がしてあまり気分が良くない。

6、最終日、
先生方は先に帰り、
一緒にいたSゼミの他の4年生はもう少し滞在するので途中で別れ、
私だけで行動する時間が若干あった。
そこでレンタサイクルを借り、
街を快適に飛ばす。
道路でバイクの後ろについて信号が変わるのを待っていたところ、
バイクの前の車が突如バック。
それに合わせバイクが後ろを確認もせずにバック。
私の乗っていた自転車の前輪を巻き込む。
前輪破損。

あの時は本当にまずいかと思ったが、
破損したものの何とか走ったので何とかなった。
バリ島で自転車を走らせるのは明るいうちだけにしましょう。マジで。
暗くなると本当に危ない。
今回自転車を破損させて捨てただけで済んだのは本当に奇跡かもしれない。

7、旅先というのは毎回色々な価値観や考えを与えてくれる。
今回一番学んだのは、
合掌が日々の生活に当たり前に取り込まれていることの素晴らしさであった。
普段生きていて忘れがちな日々、周りの人、食べるものなどへの感謝の心を大切にしようと思った。

8、初日昼、
午前中の調査を終え昼を食す。
私はナシゴレンというインドネシア風焼き飯を注文する。
今回ガイドをしてくださった。バリ芸能研究会事務局の方(日本人)が手で食べるのを見て、
私も手で食べる。
うまい。
その勢いで食べていき、
小さな皿に載っている赤いものを食べる。
「手で食べる時のコツは、全部の指を使って食べ物をつかんで一気に口に入れること」
と教わったのでそのように一気に口に放り込むと、
それは付け合せの唐辛子であった。
激辛。
激辛。
マジ激辛。
もう少し辛さが少なければ「辛い〜!」とか叫んで笑いにもなるのだが、
あまりに辛すぎてリアクションも取れず、
哀れみばかり誘ってしまいろくな事がなかった。

その後しばらく水ばかり飲んでいたが、
辛さが引くのには短くない時間が必要だった。
石川啄木風に言うと「水飲めど水飲めどわが口楽にならざりし。じっと手を見る」という感じだった。

ちなみにインドネシアには辛いものも多いが、
サテという焼き鳥のようなものにピーナツソースをつける料理もある。
そちらは甘い。
「名古屋で食べた味噌カツを思い出す」と言うと、
愛知出身のY樫氏が「系統は似てるかもね」という。

 他にも先生がオカマダンサーにさらわれて舞台に上げられたり、
Y樫氏がサルに扮した役者にとっ捕まってのみを取られてその後バナナをもらったり、
車にバイクがかすったり、
私が「空港内の免税店は全て固定価格ですよ」とごねる店員に
「まあいいじゃないか」と言って安くさせたりと話のネタは尽きないのだが、
長くなってきたので今回はこの辺で筆を置くとしよう。 2004年08月24日 13時43分13秒

家族旅行
に行ってきた。
静岡の三島の辺りに行ってきた。
温泉入ったり、
うまいものを食べたりしてきた。
今日は天気が良くなかったが、
昨日は美術館に行ったりした。

家族のことを書いても面白くないし、
そもそも私が書きたくないので内容は省略する。
どうせお盆であまりこのページを見ている人もいないだろうし。

そしてまたしばらくこのページを更新することが出来なくなる。
理由は更新再開時にでも書くとしよう。 2004年08月17日 20時09分48秒

終戦記念日
 昨日の女子サッカーやらで寝たのは3時近い。
また、
最近色々と疲れがたまっていて、
起きたところお昼近く。
8月15日には高校野球を見ながら黙祷するのが恒例なのだが、
テレビをつけた頃には黙祷が始まっていた。

「人の命は地球よりも重い」という言葉があるくらい、
人命は尊いものである。
その人命を平気で大量に失わせるもの、
それが戦争である。
狂気と言わず何と言おうか。

そんな狂気の舞台である戦争で、
自分の家族や仲間を殺した敵には憎んでも憎みきれない思いがするというのは理解できる。

イラク戦争でアメリカ兵がイラク人捕虜を虐待した心境も、
理解できなくはない(だからといってしていいというわけではない。)

結果として報復が報復を生む。
浄土宗を開いた法然上人の父親は武士をしていて、
勢力争いをしていたライバルに突然攻められて暗殺される。
「必ず仇をとってみせます」と言う法然に虫の息で「報復は報復を生むだけだ。やめなさい」と諭したという。

マハトマ・ガンジーも非暴力を貫き、
最終的にはインドの独立を勝ち取った。

報復しないことは非常に大事。

話が逸れてしまった。
戦争犯罪というものがよく言われているが、
昔社会学の授業で「犯罪とは異常な感覚ではない。むしろ正常な感覚である」と習った。
人を殺すことが正常な状態と化している戦争において、
捕虜虐待などの戦争犯罪が行われるのは当然といえば当然である。

戦争という異常な状態が更なる異常を生み、
人命が粗末に扱われる。
戦争はないに越したことはない。

その一方で仮に北朝鮮が攻めてきた場合、
誰が何と言おうと自衛隊を中心に戦争をしなければならない。

夏目漱石の小説『坊ちゃん』でも、
話し合って解決しないから戦争はなくならないのだという下りがある。

戦争などしなくていい世界になればいいのだが、
中東の問題など話し合いでは解決しないことがたくさんあるのも事実。

 今日は買い物に出かける。
東急ハンズでビアサーバーの実演販売を眺めていると、
サーバーで注がれたビールを一杯もらう。
「このビアサーバー、何が凄いってガスを使うので空気に触れないで濃厚な泡が作れるところです(以下略)居酒屋並の美味しさです」
と言われ、
ビールの注がれる瞬間がもう一度見たくなって
「もう一回見せてもらっていいですか?」
と聞いたところ、
結果的にサーバーで注がれたビールを2杯もらう。
決してビールを2杯飲みたかったから言ったわけではない。
そのサーバーで注がれたビールは泡が濃厚で、
美味しかった。
¥3,980-

 そんなことをしながら帰宅。 2004年08月15日 22時30分42秒

開会式
結局5時を過ぎ、
明るくなってタイの選手団が入ってきたあたりで眠りについた。

 翌朝は11時頃起き、
昨日の夜は暇だったとはいえくだらない文章を書いたものだと思いながら出かけ、
明後日以降の旅行に備えて買い物したり。
お盆休みということでだらだらしたり、
くだらないことを考えたりしている。

私はいつも忙しくしていて、
もっと暇があればいいのにとかよく思っている。
その一方で、
暇があるから何かいいかというと、
くだらないことを考えたりしている。
暇があることが有意義かと言うと、
微妙である。

何だかんだ言って、
忙しい忙しい言いながらも打ち込んでいる何かがないと私はダメなようである。
お盆休みが終わったら卒論の鬼と化そう。 2004年08月14日 22時53分24秒

開会式は始まるまで長い。始まってからも長い。
 アテネオリンピック開会式が行われている。
日本選手団は登場したのだが、
最後の最後まで見るべきかどうか悩むところである。

 就職活動は終わったものの、
C新聞の秋採用だけは応募しようと思っていた。
だがD会の合宿の出発前日にエントリーシートを書こうとして、
「簡易書留で送るように」という文字を発見。
それまでもいろいろあったのだが、
結論だけ言うと、
断念した。
これで本当に私のすべての就職活動が終わったことになる。

なぜ当初は新聞業界を目指していた私が新聞に興味をなくしたのかというと、
新聞の限界を感じたからということと、
自分の新聞への適性のなさを感じたからである。

反戦左翼のA新聞はイラク人質事件が発生した際、
何が何でもイラク派兵反対世論を作りたいために論理的でないめちゃくちゃな人質解放論を展開した。
人質解放前日の社説など実にひどい。
そのめちゃくちゃぶりを隠すために人質解放直後の社説は「良かった。本当に良かった」
などの理論まるでなしの感情論でごまかしていた。

世界で唯一1000万部発行していながらリーディングカンパニーと言われていないY新聞が果たして世論を反映しているのかというと、
大いに疑問がある。
というのも、
プロ野球の編成問題であのオーナーが独善的な意見を言いまくり、
プロ野球をめちゃくちゃにしているからである。

オーナー会社ということは、
いわばオーナーの私物である。
オーナーの考えが変われば社論も変わるといわれている。
あれだけ世間ずれしたことを言うオーナーの新聞会社には行きたくないと思ったから応募していない。

M新聞は本当につぶれる危機だとささやかれている。
徹夜で取材する場合、
AやY新聞は社の車を用意し、
2〜3人でチームを組んで行うらしい。
それに比べ、
Mは一人で、
しかも車も用意してもらえないらしい。
それだけ取材費もないらしい(初任給にしてもAやYより5万くらい安い)。

その一方で、
社説を読むと政治的なこと抜きに、
純粋に社会悪に対し怒っている感じがする。
その記事内容はいいと思うのだが、
お金のなさから朝刊のページ数がAやYより多い日だと10ページ以上少なく、
内容の薄さ、
記事の幅のなさは否めない。

多くの新聞社は2〜5にんでチームを組んで取材するらしいが、
Mは個人体制らしい。
そのため事件に対し速やかに動くことができ、
4年連続新聞協会賞を受賞している。

新聞協会賞とはその年のもっとも大きなスクープを載せた新聞に贈られる、
新聞社にとってもっとも名誉ある賞。

見方を変えると、
経営の苦しいM新聞にとって新聞協会賞はよりどころ、
心の支えになっていると言える。

だが、
今年はUFJの巨額赤字を挙げたN新聞が新聞協会賞をとるだろうといわれており、
そうなった場合M新聞はどうなるのか大いに関心が集まる。

N新聞は「私の履歴書」などの非常に質の高い文化面にかかわりたいと思っていたが、
経済に対する高度な知識などが必要とされるため、
貧相な知識しか持たない私には無理だった。

S新聞は右翼と言われるが、
その記事は決してイデオロギーの塊ではなく、
説得力のあるものに仕上がっている。
だが以前森元首相が神の国発言をしたとき「宗教は人それぞれであり、別に問題ない」という社説を展開した。
それはそれで考え方としてありだと思ったが、
受け入れられるかどうかは大いに疑問だった。
というわけでSにも応募していない。

C新聞は地元中部日本で圧倒的なシェアを誇る。
東京本社ではT新聞を発行している。
T新聞のシェアは60万部だが、
東京の地元密着記事を載せていたりして実に面白い。
そして安い。

実はC新聞は世界中に特派員を配置させていて、
その取材体制は全国紙に負けないどころか、
全国紙が書けない記事を平気で書いたりする。
国内に関しても記事の質は非常に高く、
なぜ東京の人間がT新聞をとらないのか私は不思議でならない。

ただC新聞にも弱点はあり、
政治ネタに弱い。
政治に真っ向から立ち向かうYやAに比べ、
Cは権力を茶化したりする感じがする。
Yが菅直人の発言の矛盾を真っ向からつこうとするのに対し、
Cは「いろんな考えの人がいるんだし、そんなに一生懸命にやらなくても……」という感じの社説を載せている。

とはいえ記事の質が高かったことと、
T新聞に配属されて東京の地域密着記事を書きたいということから私はC新聞を志望していたのだが、
最終面接で面接官とまるで考えが合わず、
名古屋まで行ったのにジ・エンドであった。

 さて、
新聞記者の適正として私は正の三要素と、
負の三要素があると感じた。
正の三要素は
・好奇心
・行動力
・正義感
だと思う。
まだ知られていないものを誰よりも速く知りたい、
人の言うことじゃなくて自分の目で知りたいという気持ちがなければ新聞記者は務まらない。
そして社会悪に怒り、
正義のために悪をなくそうという姿勢が求められる。

その一方の負の三要素は
・ミーハーさ
・目立ちたがり屋精神
・無責任さ
だと思う。
好奇心と言うと聞こえはいいが、
要は流行をいつでも追っているミーハー人間であることが記者には重要であるということだ。
記者の原動力はスクープを挙げて誰よりも目立ってやろうという目立ちたがり屋精神である。
記事が面白くなれば何でもいいため、
平気で事実を誇張したり捻じ曲げて載せる。
大病院で医療ミスがあった時、
「同じミスがまた繰り返されてしまいますよ」と言いながら放っておいてほしいと言う医療ミスの被害者家族への取材を繰り返し、
平気で家族の気持ちを踏みにじる。

以前M新聞の支局長の娘がネットの書き込みがきっかけで殺されたとき、
支局長は「自分が取材する立場だったらお願いしただろうから」と言って記者会見を開いた。
だが悲しみにくれる姿は記者会見にならなかた。
私が取材する立場だったら、
とてもそんな残酷なことはできないと感じたものだ。

記者の無責任な正義感のおかげで、
苦しむ人が少なくないという現実がある。

政治家やスポーツチームの監督などは、
一切マスコミの言うことに耳を貸さないという。
マスコミというのは勝手にいろいろ言いまくって責任は一切取らない。
政治に提言はするが、
仮に政治家がその意見を採用して失敗したとしても責任は一切負わない。

新聞に限らず、
マスコミというのは無責任なものである。
私には平気で人の心を踏みにじる厚かましさと無責任さ、
目立とう精神が足りなかった。
流行を追うのは馬鹿みたいだと思っているのでミーハーさも足りなかった。

これだけ書いたのにまだすべての国が入場しきっていない。
空も明るくなってきたしやはり寝ようかなぁ。 2004年08月14日 05時00分08秒

久しぶりに更新
 ここ最近は合宿なり旅行なりで、
出かけてばかりであった。
外出先でも日記を更新する時間と技術がなかったため、
更新していないのをお許しいただきたい。


 今日はサッカーのために起きようとしたものの、
起きることが出来ないどころか11時頃起床。
起きた頃には那須がクリアミスしたとか、
小野が2得点したとかそんな情報が入ってきただけだった。

 家族と買い物に行く。
家族と買い物に行く場合、
私の着る物は妹の許可を得ないと買うことが出来ない。
マジで。
なので私は何も言わずに「着てみて」と言われた物を着て、
「いいね」と言われたものを買う。

そんな感じで買うものを買い、
帰宅。
今日はそれだけ。
これからアテネオリンピックの開会式。 2004年08月13日 21時25分19秒

年はとりたくないものだ
 昨日までの過激な3泊4日の合宿の疲れが抜けず、
今日一日は出かける予定もあったのに療養。
衰えは隠せない。

 とまぁ暇なので、
最近思ったことでも書いておこう。

IT業界の技術の進歩は実に速く、
Dog earと言われているらしい。
それと似た状況にあるのが現在の日本サッカーである。
98年のワールドカップが終わったとき、
新聞で左サイドの相馬は30歳、
井原は35近くなるが彼らのレギュラーは変わらないだろうと新聞に書かれていた。

だが02年のワールドカップで左サイドを務めたのは違う選手であり、
センターバックを務めたのは森岡であり、
宮本であった。

02年の不動のレギュラー戸田は現在代表に呼ばれておらず、
西澤明訓も消えた。
松田も代表ではあるが控えにいる。

他にもシドニーオリンピック予選のエースFW平瀬、吉原など中澤と同様A代表で活躍してもいい年齢になっているのに、
出てきやしない。
その分玉田や、
大久保などの若手が育っている感じ。

西澤が消えたのに対し、
同い年の久保が現在エースストライカーなのは少し面白くもある。

その昔中田が出てきた直後に中村や小野が出てきたときも驚いたが、
どんどん新しい選手が出てきているようだ(さすがに中田中村小野を超えそうな選手はまだ出てきていないが)。
近いうちに「坪井なんて選手もいたね」とか言われてしまうのだろうか。

「IT業界と日本サッカー会のつながりについて」という論文がかけそうだが、
こんな研究異議がなさ過ぎて誰もしていないことだけは間違いない。
どちらかというと就職活動の筆記試験の作文のほうが使えそうなネタである。

暇だったので本当に適当に書いた。
文章になっていない。 2004年08月10日 18時57分01秒

ここ最近何をしていたかというと
D会関連で合宿に行っていた。
D会がどのような組織かはこのページにおいて公開しないことになっているので、
秘密である。

一言でまとめると、
大いに楽しかったということである。
初日の夜は3時過ぎまで飲み、
部屋でT田氏が力尽きて熟睡しているのを確認した直後から記憶がない。
気づいたら朝だった。

他にもいろいろあった。
以下省略。 2004年08月10日 00時15分53秒

学校行くこと多いなぁ
 今日は学校に行き、
D会関係の作業。
実は今日以外にもD会関連で作業していたり、
D会の人々と飲んだりしていることは多いのだが、
D会の詳細をウェブ公開できないと言う原則がある以上、
公開していないことも多い。
そのためたまに公開すると、
D会の人間でない限り書かれている内容を理解できない→更にD会について書かなくなるというスパイラルに陥る傾向あり。

というわけで(どういうわけだ)少しは書く。
D会2年のT本が冬のソナタの話をする。
「ユジンは本当に最悪ですよね。
僕見て頭にガツンときましたもん」と言う。
「ガツンとじゃなくてカチンとでしょ」という突っ込みをもらいつつ話は進む。
T本は体育会にも所属しており、
まさか冬のソナタなど見ているとは思っていなかった。
だがまさかの展開になったので私も
「確かにユジンはきついな。サンヒョクがかわいそうだ」とか合わせる。

そんなこんなで妙な議論が交わされるのであった。

 結構遅くまで作業をして、
友人の友人が結婚して子供を産んだとかいう話を聞いたりしてから帰宅。 2004年08月06日 00時40分59秒

今日も暑いことこの上ない
 今日はたいして日記に書くような面白いことがなかったので省略。

吉村昭『長英逃亡』を読んだ。
江戸時代、
幕府の政策を批判したところ捉えられた蘭学者高野長英が牢から逃げ出し、
日本全国を転々としながら最後は役人に捕らえられる話。

語学の才能に秀でていた長英はその才能を鼻にかけ、
周りの蘭学者には実力を認められつつも嫌われていたという。
それが牢に入れられたことで自分を見つめなおし、
生まれ変わった彼は人格者となって牢名主(模範的な囚人は集団牢内の治安を取り締まる役割を任ぜられた)にまでなる。

だが長英は自分の才能を天下国家のために使いたいという思いが強かったため、
部下に命じて放火させ脱獄する。

江戸時代、牢屋の近くで火事が起きると囚人は一時的に釈放され、
3日後に指定された場所に戻ってくると刑が軽くなるという決まりがあった(切り放しと言う)。
その代わり戻ってこなかった場合にはどれほど刑が軽かろうとも捕らえられて死罪となるのが決まりだった。

それなら誰でも逃げるだろうというのが現代の感覚であるが、
江戸時代の治安維持はものすごい。
現代ならプライバシーの侵害となるような物凄い立ち入り捜査は当たり前に行われており、
国の境には関所があり、
関所の近隣住民には関所破りをするものがいれば通報するよう命令が下されていた。
通報して捕らえられれば褒章、
逃げられれば罰が課せられた。

というわけで逃げることはほぼ不可能で、
実際に江戸時代を通じて逃げられた囚人はほぼゼロらしい。

その厳重な包囲網の中を長英は町医者時代や牢名主時代に世話した侠客などに助けられながら逃亡していく。
もちろん協力者は本人はもちろん、
家族さえも罰せられる。
それを承知の上で協力する江戸時代の侠客とはすごい人々である。

ちなみに侠客とはゼミの教授曰く「良いヤクザ」という人々で、
最近の時代劇では丹下左善がそれに当たると思われる。

5年にわたる逃亡の後、
逃げ切れなくなったと思った長英は硝酸を顔にかけ、
やけどさせて顔を変える。
人相書きとは似ても似つかぬ顔になったことで一安心と思われたが、
匿名で発表した彼の著作があまりにもすばらしかったため、
このような著作が書けるのは高野長英しかいないということで足がつき、
役人に殺されてしまう。

吉村氏の著作はもはや事実と言えるくらい史実に基づいた内容になっている。
その研究ぶりは見事である。
吉川英治の『私本太平記』などはだいぶ史実と異なり、
あとがきに「『私本太平記』と史実」という史実との違いを説明するコーナーさえ設けられている。

私が言いたいのは、
どちらも文学作品として素晴らしいからいいではないかということである。 2004年08月05日 00時35分29秒

日途中ながら
 2日はD会関係で学校に行き、
一日中肉体労働。
家に帰って体重を量ってみたところ、
全然痩せておらず凹む。

 そして今日、
アジアカップがやっている。
日中戦争時に日本軍は重慶を爆撃したらしく、
重慶のスタジアムでは常に日本に対するブーイングが鳴り響いている。
東京新聞によると、
さすがに中国も反省しているらしく、
「政治とスポーツを一緒にするな」という建設的な意見も出ているらしいが。
ここで中国批判をしても何の意味もないのでやめておく。

 今日の私の注目は鈴木である。
私の知る限り、
この選手はFWとしての身体的有利さを何も持っていない。
足は遅くて玉田のようなドリブル勝負はまず無理。
平山や久保ほどヘディングがいけるわけではない。
田中のように周りを生かすのがうまいわけでもない。
強烈なシュートを打てるかというと、
そうでもない。
唯一の武器は何度倒されても怪我一つせず立ち上がる身体の丈夫さくらいか。

ではなぜ使われているのかというと、
おそらく天性の運の良さである。
02年度ワールドカップで同点となる日本初得点を挙げたのは鈴木である。
「ここで点取らないと負ける!頼むから点とってくれ!」
と誰もが祈るような気持ちで試合を見ている時、
よくゴールを挙げる。

彼の出場試合数における得点数は他のFWに比べダントツで少ないが、
そのほとんどがそのような重要なゴールとなっている。

彼のような選手をある意味本当に決定力のある選手と言うのだろうか。

というわけで、
延長前半に玉田がゴールをあげたあとの鈴木には何の期待もしていなかった。
そして予想通りゴールを挙げていないのはおろか、
まともなドリブル突破すら一つもしていない。

そして今日のヒーローは玉田と中沢である。
これだけのブーイングの中を、
是非とも中国を破って優勝してもらいたいところである。 2004年08月03日 21時37分49秒

ちょこっと更新
 ここ最近家に帰るのが遅かったため、更新せずに眠ってしまうことが重なった。
更新できなかったことを遺憾に思います(と官僚的責任逃れ答弁をする)。

 最近太ったと妹に言われ、
確認してみると確かにそうかもしれんと感じる。
私は結構食べる。
今までは部活なりいろいろと運動する機会があったので、
多くカロリーを摂取してもその分使用することができた。
だが最近はほとんど運動していなかったため、
カロリーが脂肪として蓄積された。
というわけで減量に励む。

 日曜は自転車で学校に行くという偉業を達成する。
高校時代はツーリングが趣味といえるほどよく自転車を乗り回していて、
我が家には10万位する自転車もある。
それを久しぶりに出してきて、学校に行く。
1時間半、15キロほどで学校に到着。
六本木通りを歩くと渋谷から六本木まで30分以上かかるのだが、
自転車だとあっという間に到着。
駅から学校までの微妙に面倒な距離も、
自転車だと目と鼻。

だがさすがにずっと自転車は身体に来る。
帰りは結構疲れていて、
足はガクガク。
今のところ筋肉痛にはなっていないのだが、
明日あたり来るのかと戦々恐々としている。

普段も魚しか食べない食生活はいいとして、
甘いものは当分の吸収されにくい朝だけにして、
とるのも果糖を中心に、
10時過ぎたら食事も控えめに、
夕食は全体的に控える、
食事も野菜を中心にして低カロリー油控えめ、
ヘルシア緑茶を飲む、
カテキン大量摂取などの手を打つ。

 文学部社会学専攻のK教授はダイエット日記のようなものをウェブ公開していて、
それを見ると非常にまめである。
痩せるためにはこんなにもしないといけないのかとダイエットの大変さを身にしみて感じつつ、
夜の空腹感を眠ってごまかす今日この頃である。
続きはまた今度。 2004年08月02日 23時33分52秒

サッカー日和
 今日はひたすらボンヤリする。
一体何やってたんだろうというくらいボンヤリする。

 さて、今日のクライマックスもサッカーである。
諸事情によりPK戦しか見ていないのだが、
凄かった。
川口が凄かった。
楢崎の地位も危ないな。
というわけで今日も感動の勝利となったのだった。

平井堅風に言うと、
瞳をとじて
試合を描くよ
それだけでいい
という感じである。

近々またサッカー場に行こう。 2004年07月31日 22時51分46秒

松井がいい
 今日は大学に行き、
昨日集め切れなかった卒論関係資料を借りる。
それでも丸山真男『日本思想史研究』を借り忘れたのに気づいたのは渋谷駅であった。
また行かないと。

 そんなことはいいとして、
その後R会のP氏とラーメンJへ。
あまりの暑さのせいか、
普段は行列の出来ているJも空席が見られた。
最近からだの調子が良くないことが多かったので、
軽めにする。

その後Tでだべる。
久しぶりに会ったので色々と近況報告などしあった。

バイトに行くP氏と別れ、
家でなでしこジャパンを見た後23歳以下代表戦を見る。
大久保が見事なゴールを決めただけでなく、
平山が久しぶりにゴールを決めた。
そして高松も身の危険を顧みない見事なダイビングヘッドを決め、
田中も狙い済ましたゴールを決めた。

FW4人の活躍だけでなく、
今日私が注目したのは松井である。
私の知る限り、
23歳以下代表には中田や中村俊輔のようなラストパスを出すタイプがいない。

23歳以下代表の得点はドリブル突破からのシュートや、
センタリングに合わせるという形が多い。
だが今日の最初の2得点は松井のパスから生み出されている。
最初は中央からのパスで、
2点目はショートコーナーから平山が頭で合わせた。

それ以外にも松井の持ち味であるドリブルでもいい動きをしていたし、
非常に良かった。
ラストパスを出せる選手ということで小野が招集されたのだろうが、
小野の場所はあるのか?というくらいの松井の動きだった。

 今日のFW4人はそれぞれの持ち味を生かした、
見事な活躍だった。
大久保は松井のパスを見事にトラップして処理し、
GKに反応させる間もなくゴールを決めた。

平山は190cmの身長とその跳躍力を活かし、
見事なヘディングでのゴール。
前半に見せたゴールポスト直撃のシュートもゴールこそ決まらなかったものの、
非常に良かった。

高松は途中出場でいい動きをする。

田中はレッズでエメルソンにゴールを量産させたそのパスワークで高松に得点を挙げさせ、
隙があると見るや自身もゴールを挙げた。

というわけで久しぶりにサッカーを見ながら笑いつつ感動の涙を流したのであった。
あと石川がゴールを決めれば今すぐ昇天しても良いくらいであった。 2004年07月30日 21時48分58秒

これ以上耳はでかくならない
 学校へ行く。
知られていないが実は私は仏教徒で、
7月の終わりは寺にこもって修行でもしようと思っていた。
そのときに剃髪でもしようと思っていて、
どうせ剃るならと思って髪は伸び放題だった。
だが時間がとれず、
行くことはできなくなる。
ということでまずは髪をまともにしようと思い、
とりあえず電車に乗り込む。
ボサボサだったのだが、
どうせこれから切るし、
それまで誰にも会うことはないからいいやと思っていた。
すると、
社会人として働いているゼミの先輩(本人希望により匿名です)にバッタリ会う。
「よりによってこんな日に」とか思う。
「ビックリして耳がでっかくなっちゃった!」
と言っても面白くないので言葉を控える。

 髪を切り、
卒論の資料を収集し、
大学院生専用の机で勝手に勉強し、
諸事情で北千住に行く。
今日は足立区の花火大会が行われていた。
毎年7月の第4木曜日に行われているようだ。
ちなみに北千住に行ったのは花火大会が目的ではない。

すると、
私がいつもお世話になっている大学学生課のI川さんにバッタリ会う。
だいぶ耳がでっかくなる。

一度あることは二度ある、二度あることは三度あるという諺はまんざら嘘ではないなと思う。
というのも、
最近電車の扉に挟まれてひじを強打したり、
机の角に頭をぶつけたり、
雪駄を履いていたら小指を踏まれたりと連続で同じようなことが起きていたからである。

そいやこの前I原氏にバッタリ会ったのもこの一環かもしれんとか思いながら帰宅。

レアルと市原の試合を見る。
9番の林はいい選手だと思うが、
キャプテンの阿部を欠いた市原がレアルに善戦するなどあってはならないので、
どちらも応援せずに見ていた。
するといつの間にか熟睡しており、
とんねるずのみなさんのおかげでしたに変わっていた。 2004年07月29日 23時02分32秒

映画
 今日はこのページを見ている人はまず知らないであろう友人と新宿でスパイダーマン2を見る。
私はなぜかスパイダーマンという青と赤のヒーローが好きである。
FC東京のチームカラーも青と赤である。
私の通っている大学の旗も青と赤を基調としている。
どうも私は青と赤に縁があるようだ。

内容は非常に面白かったが、
まだ見ていない人もいることが予想されるので省略。
スパイダーマンは苦労が多いということである。 2004年07月27日 22時44分30秒

歯医者怖い怖い
 親知らずが変な方向に生えているため、
歯医者に行ってみてもらう。
吉村昭氏の文章風に言うと、
私は虫歯などしないため歯医者に行く機会はほとんどなく、
矯正したとき以来、
数年ぶりの診療台であった。
という感じになる。

レントゲンを取ってもらい、
見てみると衝撃写真が。
普通下の歯は下から上に生えているが(当たり前だが)、
私の親知らずは何と2本とも真ん中に向けて真横に生えていた。

「こりゃ抜かないとまずいね。
こんだけ曲がって生えていると一本一時間じゃすまないな。
腫れるだろうから抜いた後2日は何もできず、
腫れも一週間はひかないだろうね」
と言われる。

しかも前後一週間をあけるためにはどうしても時間がとれず、
9月になるまで抜けそうにない。
困ったものである。

 それにしても横に向けて生えているとはものすごい違和感である。
今流行のギター侍風に言うと、
「『こちらは3枚歯で、切れ味も良く、今売れています』って、言うじゃな〜い。
でも、アンタ電動ひげ剃り使ったことあるのかよ、残念!
Bカメラの女子店員斬り!」
というくらいの違和感である。

わからない人はエンタの神様を見ろという話である
(街を歩いてて思いついたので無理やり使ってみた)。 2004年07月26日 22時25分19秒

日曜日
 昨日のナビスコカップFC東京VS柏レイソルの試合はひどかった。
FC東京は土肥、茂庭、加地、今野、石川、徳永を日本代表もしくは23歳以下代表の試合に取られており、
不動のレギュラーが6人も欠けるという有り得なさ。

というわけで聞いたこともない選手がたくさん出場していた。
宮沢は久しぶりに先発出場するも、
70分に足を痛め途中交代。
試合はドローで、
FC東京は無事にナビスコカップ予選を1位通過。

 今日は23歳以下代表の試合をEの黒ビール片手に見る。
Eの黒もやはりうまい。
黒は国産に限る。
外国の黒など飲めたものではない。
もちろん好みはそれぞれだが。

話がそれたが、
平山、大久保、田中達也、石川と超攻撃的布陣を敷きながら点が取れなかった。
大久保とかいい動きをしてるのにダメだなぁ。
オーストラリアの高さに対抗するためには平山が積極的に動く必要があると思うのだが、
どうも平山は大久保や田中に比べ動きが消極的に見えて仕方ない。

そして今野がいないといかに中盤が弱くなるかを実戦で思い知らされた。
五輪最終予選で唯一全試合フル出場している今野は目立たないが、
ファウルをすることなく相手のボールを奪う技術においては坪井にも匹敵するのではないかと思っている。

そして今野の最大の武器、それは目立たないを通り越した「存在感のなさ」ではないかと思う。
今野は実は相当得点能力が高い。
そして良く見てみると、
コーナーキックのときに前線のFWにはしっかりとマークがついているのに、
今野はフリーということが良くある。
今野に気づいていないのだろう。
そこをしっかり決める。
一時のFC東京が何とか負けずにいられたのは今野が得点を挙げまくったからだ。

 というわけで帰ってきた今野に期待したい。 2004年07月25日 22時26分10秒

夏バテ、熱中症、冷房病。
 冷房のオフタイマーを入れ、
毎日暑くて目が覚めるころの4時にオンタイマーを入れて眠った結果、
快眠。
快眠過ぎて起きたら後研究室に行くため10分後には出ないといけない時間で、
ダッシュという結果になる。

無事に間に合う。
暑かったので教職員談話室に入り、
備え付けの水をもらう。
そこのおばちゃんと「今日は33℃らしいわよ」「だいぶ涼しいですね」とかそんな話をする。
33度でもだいぶ涼しいとかいって感覚が麻痺している。
私の部屋の冷房は常時28度にしているが、
それでも涼しすぎると感じることさえある今日この頃である。

研究室での作業は今日が最後。
今日も良く働いた。
帰ってきた大学院生のY岡さんが飛ばしていた。 2004年07月22日 20時48分21秒

外は暑く、中は寒い
 今日もゼミの研究室へ。
すると京王線が「電車に投石があったので、
止まっています」というアナウンスが。
止まったおかげで電車は混みこみになる。
更に「急病人を運ぶため、止まっています」というアナウンスが。
以前掲示板で盛り上がったように、
京王線が止まる、遅れるということは非常にまれ。

坂口安吾の小説『堕落論』風に言うと、
「ゼミに遅れるという大変な危機感に襲われながらも、
京王線が遅れるという稀代の経験に立ち会ったということで、
私は一種の快楽のようなものを感じていた」
という感じになる。

K持さんは遅延証明を持って行ったら許してくださった。

 その後諸用で常磐線に乗る。
すると大変な偶然だが、
H会のI原氏に会う。
「ええぇええぇ〜っ!」という感じ(茨城在住だということを後で知った)。
この男にはT研究所関連で色々と世話になった。
この男が指名手配犯となって私の元に助けを求めてきた場合、
この男の罪がよほど腑に落ちないものであったらかくまうかもしれん。

今私は吉村昭著『長英逃亡』を読んでいる。
幕末、
政争に巻き込まれ永牢(終身刑)にされた医師高野長英が脱獄し、
逃亡する話。

江戸時代脱獄は重罪で、
脱獄を企てたというだけで死刑は確実であった。
脱獄は幕府の威信に関わるということでその追及は執拗で、
逃げ切れた囚人は限りなくゼロに近いらしい。
幕府の何十もの包囲網の中を、
長英は以前世話した侠客に助けられながら逃亡していくという話。

逃亡犯を手助けすることは重罪ということをわかっていながら、
江戸時代の侠客というのは依然世話になった人のために平気でそんなことを買って出る。
凄い人たちだ。
その辺は読み終わったときにでも書きたいと思う。

話が逸れてしまったが、
今の時代そんな誤った判決を出されることはまずないだろうし、
百歩譲ってあったとしても、
この男が私のところに逃げてくることはないなと思いながら帰宅。 2004年07月21日 22時09分06秒

宵越しの金は持たねぇ!
 今日も研究室でバイト。
今日は良く働いた。

作業中、
大学院生のM島さんに「M島さんの好きな歴史上の人物は誰ですか?」
と聞いたところ、
「仕事にしちゃうとあまりそういうこと考えないなぁ」と言われる。
自分の好きなことをしたくて大学院に進学しても、
好きと仕事はやはり別物らしい。
というわけでやりたいことより向いていることを仕事に、
というのが私の持論である。

 その後友人のK頭、S本両氏と飲む。
4時間ほど飲んだ気がする。
というわけで今日稼いだお金のほとんどはなくなるのであった。  2004年07月20日 23時59分07秒

3連休終わるのは早かった。
 今日も犬の散歩に出向く。
私が綱を持って近づくと、
犬は大興奮。
人間の言葉にすると「今日もつれてってくれるのか兄ちゃん!最高だぜ!さあ早く連れてってくれ」
という感じであった。
「飼い主を兄ちゃんとは何事か」とか思いつつ連れて行く。

ある程度歩くと、
私の内定した会社(実は近いところにある)の前に着く。
犬が建物に小水をかけようとする。
「この馬鹿モン!」と言いながらやめさせる。

適当に歩いていったところ、
どこを歩いているのかわからなくなる。
気温は上昇する。
約2時間してやっとこさ家に着く。
犬は実は老齢のため、
前半の勢いはどこへらやで後半はだいぶ弱っていた。

 その後少し出かけたり、
中野に行ったりして今日は終わり。 2004年07月19日 19時59分34秒

酷暑
 今日は犬を動物病院に連れて行く。
椎名誠氏によると、
犬は散歩をライフワークとしているところがあるらしい。
我が家の犬も例外ではない。
最近散歩に連れて行ってもらってなかったようで、
大興奮で私を引っ張っていくのであった。

診察を終え、
まっすぐ帰ろうとするもなかなか帰ろうとせず、
暑かった。
明日早く起きられたらちゃんと散歩に連れて行こうかと思う今日この頃である。

 新選組!を見る。
今日は池田屋に乗り込む、
所謂池田屋事件であった。
だが佐藤浩市扮する芹沢鴨を失った新選組の連中の殺陣の貧相なこと。
遊んでるのか?と思うくらいであった。
だいぶつまらん。 2004年07月18日 21時36分35秒

酷暑
 今日は犬を動物病院に連れて行く。
椎名誠氏によると、
犬は散歩をライフワークとしているところがあるらしい。
我が家の犬も例外ではない。
最近散歩に連れて行ってもらってなかったようで、
大興奮で私を引っ張っていくのであった。

診察を終え、
まっすぐ帰ろうとするもなかなか帰ろうとせず、
暑かった。
明日早く起きられたらちゃんと散歩に連れて行こうかと思う今日この頃である。 2004年07月18日 21時35分48秒

3連休初日
 今日は図書館で本を借りたり、
家で卒論を書いたりして過ごす。
今まで何をやっていたんだと思うほど卒論は進んでいない。

 その後新宿でT研究所関連などの人たちと飲む。
多くの人が社会人になっているので、
会うのが久しぶりという人も多かった。
楽しかったということである。

 合計5時間ほど飲んでいて、
新宿駅で別れるときにSゼミ院生のハマスターキートン(Sゼミの人でわかる人だけ笑ってください)にバッタリ会う。
私がマギーさんだったら間違いなく
「ビックリして耳がでっかくなっちゃった!」と言うくらい驚く。
江戸時代風に書くと
「驚異」である。

名前を忘れたが、
現代語訳すると「私が湖の近くを歩いていると、
巨大な怪獣が出現した。
怖かった」
と書かれている史料があった気がする。
その史料でも「怖かった」の部分は
「恐怖」となっている。
たった二文字からでも書いた人の気持ちを読み取る、
それが歴史学なり。 2004年07月18日 02時22分51秒

誰かが10000踏んでる!
 ここ最近更新していなかったのは、
一言で言うといろいろあったからである。

 水曜。
いろいろやることがあり、
S教授の1,2限連続の授業に2時間ほど遅刻。
その授業は文学部社会学専攻の進級条件科目で、
社会学専攻の2年生がかなり出ていた。
というわけで席がなく、
思い切り遅れてきたくせに先生の目の前に座る。
ゼミでもないくらい先生がすぐ近くにいた。

授業後、先生に
「ではこのあとゼミナール委員からゼミの説明があるということなんだけど、
もう準備はできてるかな吉田君?」
といきなり振られる。
「俺が知るわけないじゃないか!」と思う間もなく
「見てきます」と教室の外へダッシュしたのはいうまでもない。

先生にとって、
私は3年でありゼミナール委員であり、
4年であり大学院生であるようだ。
自分でも思うが、
何て便利なやつ。
「柳沢」とか言われる悲しき性である(わからない人は6月上旬の日記を参照すべし)。

外に出ると、
Sゼミ3年でゼミナール委員のH尾が準備をして待っていた。

その後Tゼミの研究室で作業。
終わったあと、
皆でお茶。

その場にいなかった大学院生のY岡さんの話になり、
同じく院生のK持さんが「前Y岡君と飲んでいたら、
酔ったY岡君が『K持さん、投げてもいいですか?』と聞いてきた。
僕も酔ってたから『あぁいいよ〜』と答えたら投げられた」
と驚愕の事実を話す。

さらに同じく院生のM島さんが「飛んできたK持さんの腕が僕の延髄を直撃した」
とさらに驚愕の事実を話す。
笑うしかない我々学部生であった。
ちなみにY岡さんは柔道経験者。

 その後Sゼミのサブゼミに出席。
後期課題の進め方を話し合う。
終わったあと前期納会。
3年のY橋がPE'Zを聴くということを知り、
熱く語ったりする。

4時間くらいいて、
解散。
4年と一部院生は軽く2次会をして解散。 2004年07月17日 00時02分27秒

金を稼げ
 今日もTゼミの研究室で働く。
大学院生のY岡さんにやたらといじられた。

 その後中庭でのんびりしていると全K連のN波氏に会い、
だべる。
共通の友人のM浦氏が最近音信不通で、
公務員試験を受けているようだがどうなったのかを推測する。

 その後Sゼミ。
3年Y村の渾身の発表に私の頭脳は耐えられず、
パンク。
ごめんY村。

 終わった後帰宅。
家でAの黒ビールを飲みながらサッカー日本代表戦を見ていると、
宅配便が届く。
「このいいところに宅配便とかいってふざけてるの!?
いい加減にしてよ!
大体何時だと思ってるの!」
とか怒鳴りつけてやろうかと思ったが、
腰の低い関西商人のような宅配員が「すみません。近くに寄ったもので。
夜分遅くに失礼いたしました」
と非常に丁寧だったので許す。
対応は丁寧に。 2004年07月13日 21時41分38秒

アカデミックなバイト
 今日はTゼミの研究室で研究史料を扱うバイト。
黙々とこなす、
予定だったが大学院生のY岡さんが飛ばす。
というわけでいろいろありのアルバイトとなった。
お金がもらえるので私は何の不満もない。

というか最近お金がなさ過ぎて、
夏を越せるかが深刻な問題となってきた。
というわけで今日は家で黒ビールを飲む。
黒ビールは最高である。

 私は断然黒ビール派である。
とはいえGのような外国ものの黒ビールはまずくて飲めたものではなく、
Aのような日本産黒ビールがうまい。
今日はKの黒を飲んだ。
お腹にたまった。

Kの黒でないほうは取り扱っていない店はない有名銘柄だが、
黒はよほど大きな酒屋かデパートの酒売り場でないと見ない。
つまり黒の方はおいしくないということである。

普通が有名でも、
黒だとおいしくないということは良くある。
例えば高級ビールの代名詞Eは高級料亭などに良くおいてあり、
Eを店で飲むのはよほど景気のいいときと決まっている。
だがそれの黒は黒でないほうに比べてあまりおいしくない。

 数年前、
Eがついに黒を出すということで黒愛好家が殺到し、
発売してからしばらくEの黒は手に入らなかった。
だがやっと手に入ったEの黒を飲んでみると、
Eのおいしさに比べて普通の黒ビールで幻滅した覚えがある。

その点Aの黒は黒でない銘柄がない分、
黒本来のおいしさを感じられる一品に仕上がっている。
黒はAにしておけば間違いない。

ちなみにAは青島ビールも扱っており、
中華料理には紹興酒か青島ビールである。 2004年07月13日 00時11分05秒

京より帰京
 祇園祭が来週の土曜日から始まる。
祇園祭の際、
町を練り歩く鉾というものがある。
今日から鉾が作られるということで、
我々はそれらの作られる様子を見学。
だいぶSゼミチックな民俗学的。

 その後も神社に行ったりして帰京。
楽しかったということである。 2004年07月11日 20時11分11秒

夏のヒナタ
 今日は雨が降る。
そのためいい具合に暑さが緩和され、
すごしやすくなる。

 京都にあるK大学へ。
なぜそんなところに行ったかは省略。
何せでかい。
医学部、薬学部に大学病院が隣接。
学部もたくさんある。
驚いたことに総合博物館(入館料500円)もある。
アマゾンの熱帯雨林の調査結果が子供にもわかりやすく展示されていた。
大学内の博物館などW大の演劇博物館か、
関西のR大のアートギャラリーくらいしか知らない。
そしてそれらの博物館とは比べ物にならないくらい広かった。

学食に行く。
いくつかあり、
我々が行ったのはカフェテリア。
入ると、
席に通され、水が出てくる。
きちんとした格好をした店員が注文を取りに来る
学食というよりレストラン。
それでいてパン、サラダつきのランチが525円。
うまい。
母親はコーンポタージュスープ135円に感動していた。
私の通っているK大のキャンパスにあるカフェテリアとは次元が違った(そっちもそっちでうまいんだけどね〜)。

キャンパスは広いだけでなく、
きれい。
100周年記念の時計台が完成したのが去年12月。
その中にはサロンとか高級レストランとかいろいろあって、
学生だけでなく偉い人たちにも対応。
タクシーの運転手が「K大に比べたらT大なんてクソ食らえです」
と言っていたのに大いに納得。
東京の人間は知らないだけで、
K大学の評判、人気は関西ではものすごく高いという話に説得力が生まれた。
生まれ変わってもう一度大学に通う機会ができたら、
何が何でもこの大学に入ろうと思った。

学部別で建物が分かれており、
文学部の建物に入る。
奥のほうに「関係者以外立ち入り禁止」という張り紙があったので
「関係者だよ」
と言いながら入る(昔ゼミ関係でK大所蔵書を調べたことがあるのは事実)。
学部別書庫があり、
入ろうとしたが土曜は休みだった。

 そのくらいでここに書けるような話題は終わり。
2004年07月10日 21時59分22秒

2日目
 昨晩夕食時、
ふと気づくと蚊がいる。
その蚊はありえないくらいお腹が膨れていて、
相当の血を吸ったことが予想された。
あまりに血を吸いすぎて飛べなくなってしまったようで、
飛ぼうとしては飛べずに困っていた。
私の血をたんまり吸ったためにこうなったということは容易に想像できた。

映画「インディージョーンズ最後の聖戦」では
ヒロイン役なのか悪役なのかわからない女性が落ちた聖杯をとろうとして死ぬ。
度を過ぎた欲望というのは身を滅ぼすものだということを思いつつ、
頭にきた私により、
その蚊には死をもって償ってもらった。
飛び散る(私の)鮮血。

 今日も暑かったが、
噂によると東京はもっと暑かったようだ。
今日どこに行ったかとかはここに載せても面白くないので省略。
2004年07月09日 22時21分15秒

京都
 家族旅行で京都に行く。
準備等で前日3時ころに眠りながらも7時半には出発とのことだったので、
何とか起きたところ行きの新幹線は爆睡。

 京都は暑いところである。
文献が何だか忘れたが、
昔の著名な旅人の日記にはその暑さが「地獄の釜の油」と形容されている。
だが暑いことは暑いものの、
昨日の東京のようないやらしい暑さではなかったので過ごしやすい。

 私はお寺の天井に頭をぶつけるなどの悲劇を経験するも、
阿弥陀如来のお情けか軽傷で済んだ。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
2004年07月08日 21時59分32秒

暑さに完全にやられた
 高校時代は猛暑の中も練習に励んでいたが、
図書館にこもったりの最近はすっかり暑さに弱くなった。
今日はだいぶ弱っており、
チラッと視界に入った知り合いにも挨拶し損ねたりした。

 1,2限の授業に出る。
その後喫茶店Pに行ったりする。
S会のY村氏と全K連のS井氏と台湾に行こうという話が進んでいて、
今日その続きを話すべくS会の部室に乗り込む。
するとI藤氏もいる。
I藤氏も拉致することが決定。

 その後Sゼミの3年生主体のサブゼミに出る。
先生に後期からサブゼミに顔を出すよう言われているのだが、
何をしろともいわれていない。

先生は去年の忘年会でも「吉田君は国文学専攻から来たんだよね?」とおっしゃった。
OB会では3年のT田に「どこにお勤めですか?」と聞いたらしい。

何を言いたいのかと言うと、
先生は私を3年と思っていやしないかということである。
Sゼミの4年はゼミの途中からゼミに出席するのが最近普通になっているが(それは就職活動などによるものと思われる)、
私だけ頭からいる。

ゼミでは大学院進学を希望しているゼミ員が教授や大学院生との間を取り持つ仕事をすることが多い。
TゼミではM辺氏がその役割を担う。

Sゼミは皆就職なので、
そのような役割を担っているのは私の気がする。

サブゼミでは3年生より一年長くやっていることをいいことに、
偉そうに3年生の発表にコメントをしたりしている。

昨日は卒論発表をした。

先生のご都合に合わせて私は3年生から大学院生までの役割を担っている気がする。

 その後3年のU田と帰っていると、
中央線が停電でストップ。
我々は帰りの電車を求めてあっちこっちへウロウロさせられるはめになる。

「停電」「人身事故」
ひどいものになると「線路に人が立ち入った」「小動物と衝突した」などの理由で(小動物って何?しかも2回経験した)いとも簡単に止まる、
それでいてろくな保障もしない、
朝はラッシュ、
定期券は高いなどの最悪電車、
それが中央線。

いやになるぜ全く。 2004年07月07日 22時16分18秒

暑い暑い
学校に昼から行き、
卒論発表の準備をする。
その間にもいろいろとやることはあり、
疲れた。

Sゼミで卒論発表。
結論だけいうと、
私の卒論はダメダメだということである。
悔い改めて明日から真面目にやろう(と一ヶ月くらい思ってはいる気がする)。

ゼミ後、
3年のU田をいじったりしてから院生のHまさんと大学付近の定食屋で飯を食う。
そして今大学にいる。
明日は一限あるし、そろそろ帰るとしよう。
2004年07月06日 20時40分57秒

日本の暑い一日
 昨日はサッカーEURO2004決勝を見る(モーニングコールを頼んだF田が寝ていたので自分で起きた)。
とはいえ決勝だから見るという以外に理由がないので(言い換えるとポルトガルもギリシャも別に応援していないので)、
5時過ぎた後半はきつかった。

ポルトガルの猛攻を防ぐギリシャの堅い守りが凄いと思ったが、
ふと気づくと眠っていて見逃した場面もいくつかあるはずだ。
FC東京の試合なら終わった後勝ったなら勝利の余韻に浸り、
負けたら悲しみにくれるのだが、
激戦の余韻しかなかったし、
あまりに眠かったので寝た。
というか後半は早く終わってくれ状態で、
観客の乱入に誰よりも怒りを覚えたのは私のはずだ。

 Tゼミに出る。
M辺氏が卒論発表で激闘を繰り広げていた。

 その後、
D会のT田、I川、N野、K宿、K藤、K苅各氏と飲む。
ハゲの話になったので私が自分が禿げていないのをいいことに
「ハゲなんて人類の敵に決まってんだろっ!」と言ったところ、
髪を気にしているN野氏が抗議してくる。
そこで韓国人並のトークバトル。

解説:「韓国人は口が出るが、日本人は手が出る」という言葉があり、
喧嘩の際日本人はすぐ殴り合いに発展するのに対し、
徹底的に罵声を浴びせて相手を罵るのが韓国式。

最終的には「昔からお前とは合わないと思っていたが、
やっぱり合わないわ」という結論に達する(結論があったのか)。
最近笑っていいのかいけないのかわからないネタを提供しがちでいかん。

というわけで、
昨日は人間として最低だったなとか思いながら起床。 2004年07月06日 10時13分55秒

眠いが耐えなければならない
 今日は私が80年以上生きるとしたら、
たぶんその中の何気ない一日として忘れられてしまうような日だった。
人生は無駄な時間の塊である。
それでいて、
人生に無駄な時間などない。

 さてこれからEURO2004の決勝が行われる。
2時を過ぎると自然と眠ってしまうので今までまともに試合を見たことがないが、
決勝だけは見るべく備えているところである。
万が一眠ってしまったとしても、
Sゼミ3年のF田にモーニングコールを頼んだので大丈夫なはずだ。

 弱いものの味方の私としては、
当然ギリシャを応援する。
今EURO2004を特集しているスポーツグラフィックNumberを読んでいるのだが、
ギリシャなどほとんど取り上げられていない。
今やっているスーパーサッカーにおいても、
番組の選んだベストイレブンの中にギリシャの選手は一人もいない。
すごいことだ。
ギリシャ!ギリシャ!ギリシャ! 2004年07月05日 02時25分51秒

君はテレビっ子
 今日のタイトルは原宿の歩行者天国での下積みを経てデビューしたTHE BOOMのデビュー曲のパクリ。
THE BOOMは「島唄」と「風になりたい」くらいしか多くの人には知られていないが、
その2曲が今でも時たま流れることがあるため今でも知られるバンドである。

余談だが島唄や風になりたいから入った人はTHE BOOMの初期の「過食症の気味と拒食症の僕」などを聞いたとき、
そのくだらなさにカルチャーショックに近いものを受けるに違いない。

 今日は中野でひたすら漫画を読んだりした後家に帰り、
Jリーグオールスターサッカーを見る。
今日のMVPはそう、
見事な先制点を決めたFC東京の石川である。
強力な左足を身につけた石川に敵なし。

 その後はビートたけしのこんなはずでは!の昆虫特集を見て、
ウォーターボーイズを見る。
妻夫木君が若い。
この映画で高校生役の妻夫木君を初めて知ってそのイメージが抜けないせいか、
オレンジデイズとかに出ていても未だに私の彼の呼称は妻夫木君である。

話は変わるが、
ウォーターボーイズのドラマ版の主人公は森山未来のはずである。
彼は私の知る限り「さよなら、小津先生」「世界の中心で、愛をさけぶ」など高校生役しか見ていない。
「世界の中心で、愛をさけぶ」のドラマ版の高校生時代の朔太郎役は山田何とかのはずだ。
彼は「FIREBOYS」の大吾役などを見ているせいか、
実年齢がいくつか知らないが「世界の〜」での高校生役に違和感があって仕方ない。
というわけで昨日のドラマは見ていない。

 配役の違和感と言えば新選組!に触れないわけには行かない。
東京新聞にも書かれていたが、
佐藤浩市と鈴木京香くらいしか演技で魅せられる俳優がいない。
その二人も佐藤浩市扮する芹沢鴨の暗殺とその愛人役の鈴木京香の自殺によっていなくなった。
どうなる新選組。

 新選組といえば、
一昔前、
新選組の記述は「新撰組」が正しいようだという風潮があった。
それが現在では「新選組」ばかりで、
新撰組はほとんど見ない。
どうなっているのだろう。 2004年07月04日 00時04分22秒

乃木神社
 今日は所用により乃木坂へ。
時間が出来たのですぐ近くにあった乃木神社へ寄ってみる。
乃木希典を奉った神社である。

乃木希典は悲劇の将軍である。
日露戦争で陸軍将軍をしていた乃木は、
ロシアのたてこもる旅順攻略戦で攻撃に失敗し、
2万を超える死者を出す。
第一次世界大戦で毒ガスなどの大量破壊兵器が使われる前においては驚異的な数字である。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』では、
乃木は最低の将軍として描かれている。
その責任を感じていた乃木は、
明治天皇崩御の際夫人と共に殉死。
そのことが重要な意味を成すのが夏目漱石の小説『こころ』。

 さて、
日露戦争100周年を迎え、
だいぶ新事実がわかってきた。
最近言われているのが、
乃木は大本営の命令に振り回されたというものである。

旅順攻略は当初全く予定されていなかったのが、
海軍の攻撃がうまくいかなかったなどの理由から急に乃木に命令が下された。
乃木は見事な書(今日見てきた)や詩を作るなど人格者ではあったが、
戦争は実に下手だった。
いわば野球選手にサッカーをやらせるようなもので、
そんな急な作戦変更に対処し切れなかったようだ。
詳しくはまだ読んでいない。

 歴史を見ると、
時代がまさに求めていたというような人物が現れる一方で、
運がなかったとしか言いようがない人物も多くいる。
前者が坂本竜馬のような人物だとしたら、
後者が田沼意次などに当たる。
田沼は商業経済を積極的に進めるなどあの時代において先見的な政治家だったが、
浅間山の噴火や飢饉など自然災害に悩まされ続けて政策はことごとく失敗した。
そのせいで今も悪名高い政治家にされていてかわいそうである。

 話が逸れてしまったが、
乃木に愛想をつかした同僚の児玉源太郎が指揮をとったことで旅順は陥落し、
日本軍は辛くも勝利を得ることが出来た。
その結果ロシアに打撃を与えることに成功し、
日露戦争は日本有利になっていく。
だが児玉が指揮を執ったという事実は国民に知らされていなかったため、
終戦後、
乃木は旅順の英雄として称えられることになる。
英雄として称えられながらも、
自分のせいで多くの日本人が死んだことに乃木は誰よりも責任を感じていたということは想像に難くない。

 そんなことを思いながら乃木坂を後にした。
学校には行ったものの、
後は何もここに書くようなことはなかった。 2004年07月02日 22時15分10秒

授業がないと楽でいいや
 今日は授業がない。
と、このようにタイトルと本文で同じ内容を繰り返すのは無駄な気がする。
エントリーシートに志望動機と自己PRを書かせながら面接で一番最初にそれらを聞くのと同じである。
面接でエントリーシートに書いたことしか答えない学生は落とされると聞いた。

とはいえエントリーシートを提出した段階と面接の段階で志望動機や自己PRが変わっていることはよくあるので、
その辺は難しいところだとも思う。

ものすごくいい志望動機があっても聞かれなければそれまでだし、
いい人材だと思われていても一つの質問の受け答えでめちゃくちゃになることもある。

就職活動とはつくづくご縁だということである。

Sゼミ院生のE藤さん、
3年のH田、N津と飲む。
うまい焼酎を飲む。
その後E藤さんの罠にはまり、
あることないことしゃべらされた気がする。

 木曜に飲むのは帰りの電車がすいているのでいい。 2004年07月02日 01時16分11秒

急に寒いのマジ勘弁
 最近暑さのため明け方4時くらいに目が覚め、
また寝なおすため快眠できない日が続いていた。
そこで上半身裸にして薄い布団を用意したところ、
それでも4時半に目が覚め、
さらにおなかが冷えた。

 今日はS教授の授業に初めて出た。
何せ一限なので、
いろいろな好条件が重ならない限り出られないのである。
今回は教授に渡さなければならないものがあり、
他のマイナスを補って余りある条件があったので出られた。
だがここ最近快眠できないゆえの睡眠不足で寝やがった。
この授業は社会学専攻の進級条件科目なので、
この授業をとらないと3年になれないということで授業にはやや緊張感が漂っていた。

ビデオを見て感想文を提出するのだが、
他の学生の書く感想文の量が多かった。
だが私はとらなくても卒業できるので、
出さなかった。
必死に書く2年生を横目に『マネーボール』など読んでいた。
最近はテレビも見ず、
新聞も読まず、
本を読むか酒かコーヒーを飲んでいる気がする。

 その後学校で卒論を書いたりしていたら時が経ち、
帰り道。

駅で、
元D会のN山さんに偶然会う。
実は来年同じ会社になる予定なのでそのことを言ったところ、
「そこに偉い人たちいるから挨拶しとけ」と言われ、
いきなりあいさつ回り。
あぁ驚いた。
PE'Zのアルバム「極月」が著作権とかいろいろな問題で販売、
レンタル共に禁止になったときくらい驚いた。
PE'Zを知らない人は目覚ましテレビを最後まで見ろという話である。 2004年07月01日 01時46分23秒

将来とは、仕事とは?
 今日はSゼミに出て、
3年のU田をいじっていたとかそんなことを書いていたものの、
Sゼミ以外の人に面白くないし、
途中で消えたので最近思ったことを書いておこう。

 あまり公にしていなかったが、
私は出版社に内定をもらった。
とはいえ営業要員なので、
多くの人がうらやむ編集とは程遠い。
そしてもちろん会社名はウェブ公開できない。
ヒントも与えられない。
ご了承ください。

 今日R会のK林氏やT内氏とも話していたが、
出版とは腐った業界である。
最近は7年連続赤字と出版不況が騒がれているが、
それまでは戦後直後でも赤字を知らない右肩上がり業界だった。
そのため改善などまるでされないまま時がたっていた。
プロ野球の状態に近い。

転職が容易な、
異様なまでに横のつながりが強い談合業界であり、
トップ3社でも社長は世襲制が当たり前。
3社ほど出版社にOB訪問したが、
「いい加減な会社」「風通しが悪い」という話が返ってきた。
出版社というのは最大手の○ーニングを出している会社が唯一社員1000人以上で、
あとは大手でも300人ぐらいが多い。
そのくらいの規模でも風通しが悪いというのは、
相当問題だろう。

新卒採用はするものの、
必要な人員のほとんどは転職者で埋まる。
某I出版社は、
新卒採用募集はかけたもののよほど優秀でない限り新卒を採るつもりはないらしい。
私は出版社の筆記試験で落ちたことがないのだが、
一番エントリーシートで落とされたのもこの業界である。

 結構多くの新卒が本を作りたいと言うが、
転職者がいるし、
技術や経験を必要とするので会社は本を作らせるつもりは毛頭ない。
では何をやらせるのかと言うと、
職種を分けていないところでは営業、
編集で採ったところは漫画や雑誌をやらせる。
その二つは若いアイデアが必要とされるからである。

 以前ゼミのOBで大手出版社に勤める方のお話を聞いた。
その方は雑誌の定期購読の営業をしているとのことだった。
「やりがいは?」と聞いたところ、
「ない」というお返事をいただいた。
「希望を出しても反映されない」とのことだった。

3000人近い志望者の中の5人に選ばれて憧れの出版社に入ったのに、
やりがいのない仕事をするというのに何か違和感を感じた。
はっきり言って雑誌の定期購読よりもやりがいのある仕事のできる会社はいくらでもあるはずだ。
やりがいとは何だ、
仕事とは一体何だとか、
そんなことを考える今日この頃である。

とはいえ「雑誌編集はこんなに楽しい仕事はない、
給料をもらわなくてもいいと思った」というお話も聞いたので、
将来的にはそれにかかわれたらいいとも思う今日この頃である。 2004年06月29日 22時34分14秒

にちようくらいゆっくりしたい
 今日はまずバイト。
簡単なものなので2、3回FC東京の応援でもすればなくなるくらい稼ぐ。

 その後東横線沿線をウロウロする。
東横線在住のHまさんを召還しようかと思ったが、
Hまさんとて暇ではないことが予想されたのでやめておく。

家に帰り、
ごろごろして今日は終わり。
明日のゼミが面倒くさい。
こんなことを言うと「先生がお怒りですよ」と3年のN澤がうるさいことを言ってきそうである。 2004年06月27日 19時54分05秒

サッカー日和
 今日はさいたまスタジアムに行く。
埼玉に恨みつらみは別にないが、
高校時代、
埼玉在住者はそれだけで馬鹿にされていた気がする。

受験生時代、
「W大の社会科学部は受けないの?」
「受けないよ。だってだ埼玉だもん」という会話を耳にしたことがある。

はなわは「だんだんだん……埼玉」という歌を歌っていた気がする。

K大の付属高の志木高は塾高よりレベルが高いものの、
埼玉というだけで不当な差別を受けているという噂を聞いたことがある。

改めて言うが、
埼玉に恨みつらみは断じてない。
行くとしたら我が家からやや遠いくらい。

 今日埼玉に出向いた目的は、
FC東京ー浦和レッズの試合の応援である。
会場に着いたのが試合開始直前ということもあり(駅からのシャトルバスが30分も走るとは)、
何と自由席が完売。
そこで泣く泣く指定席へ。

「よければ自由席一枚あまってるから売りますよ」という人がいたのだが、
「アウェイに入りたいんです」といったら「ホームなんでダメですね」となる。
鶏口となるも牛後となるなかれとはこのことだ。

さてアウェイの席に行ってみると、
予想はしていたのだが周りは浦和レッズのサポーターばかり。
いまはアルビレックス新潟にその地位を奪われたとはいえ、
かつてJリーグ一を誇った浦和レッズの熱狂サポーターはいまも健在であった。
「こりゃ血が流れるのも覚悟しなければならんな」と思いながら試合観戦。

プロ野球と同じで、
応援が一番熱いのは自由席。
私が座ったのは指定席だったので応援するに至らず。
というか周りは浦和サポーターばかりだったので、
うかつに応援しようものなら袋叩きの恐れがあった。

試合は前半終了間際にオウンゴールで先制点を奪われる。
後半も三都主のゴールで2点のビハインド。

後半、
宮沢が投入される。
盛り上がるFC応援席。
宮沢の絶妙なフリーキックに今野が頭で合わせて一点を返す。
盛り上がる私。
頭を抱える隣の席の浦和サポーター。

流血も覚悟したが、
隣は子連れだったので穏便に済ます。

 浦和の地面を揺るがす熱狂応援のせいでFCは最後まで主導権を握れず、
ファンタジスタ宮沢も何の活躍も出来なかった。
ちなみに試合は5万7千人くらいの入場者があった。
そのうちFCサポーターの席は1万もなかったと思われる。
甲子園球場の阪神以上だと感じた。

 その後国立競技場へ行き、
S会のI藤氏と早慶サッカーを観戦。
オリンピック代表でFC東京の強化指定選手の徳永や、
国見高校の全国制覇を支えたメンバーを擁するW大に対し、
K大は付属校上がりばかりであった。
I藤氏は「日本とシンガポールくらいの実力差だな」と分析する。

試合は予想したとおり、
W大に押されっぱなし。
そして前半30分くらいについに先制点を奪われる。
さらに後半も追加点を奪われる。

だがK大の逆襲はこの後起きた。
個々の実力は劣るK大だが、
チームプレーでW大の攻撃を断ち、
粘り強く攻める。
そしてついに一点を返す。

さらに徳永がK大ディフェンダーの危険なタックルを受け、
負傷退場。
おそらくスパイクの歯が当たっており、
2002年ワールドカップ予選のアンリのように、
Jリーグや国際試合なら一発退場に違いなかった。

K大に徳永に負傷させる選手がいるという驚きを感じた一方で、
FC東京の試合に出場している徳永の負傷を心配し、
それでいてK大のチャンスということも感じ、
複雑な心境に陥る。

試合は後半ロスタイム、
K大が同点ゴールを決める。
物凄い盛り上がりを見せるK大応援席。

さらに逆転か?!と思わせるシュートを放つなど、
引き分けではあったが勝ちに等しいものだった。
W大の攻めは強烈であったが、
大会MVPに選ばれたK大GK前川が神がかりファインセーブを連発。
2失点に押さえた。

前半盛り上がっていたW大応援席が後半は静まり返っていた。

試合後、
I藤氏と飲む。
世間話などした気がする。
私は黒ビールを一杯、
ハーフ&ハーフを一杯飲んだだけだがほろ酔い。
さすがに一日サッカー二試合は疲れる。 2004年06月27日 00時17分32秒

暑いが仕方ない
 今日は大手旅行会社関連の出版社の面接。
面接の際渡すエントリーシートをまだ書いていなかったのだが、
昨日は疲れて眠ってしまった。
だが寝坊しないようにと神経を使いすぎた結果まったく熟睡できなかった。
仕事は早く終わらせるに限る。

 その後学校に行き、
授業に出る。
第一校舎の隠れエレベーターに乗ろうとしたところでTゼミ3年のF野にばったり会い、
一緒にエレベーターに乗る。

F野が先に下り、私が降りようとしたところで扉が閉まり、
はさまれる。
F野に笑われる。
「笑ったな〜っ!」と言うと、
「ここは笑ってもらったほうがおいしいですよ」と返してくる。

私はF野をTゼミの笑い担当にしようとしているのだが、
本人は拒否している。
これだけ笑いを理解していながら笑い担当にならないとはもったいない逸材だ。

ちなみにSゼミの院生のF野さんとはまったく関係ない。
有名な時計メーカーの創業者と社会学の教授の関係と同じである。
そしてSゼミ3年のU田の高校の同級生である。

 今日は一日スーツだったが、
昨日ほど暑くなかったので何よりである。 2004年06月25日 23時24分33秒

日々スポーツ
 水曜日。
文学部の一部のゼミ対抗のバレーボール大会が行われ、
3年生が中心のところが多いのに私はSゼミとして年甲斐もなく出る。
メンバーが男ばかりのOゼミに準決勝で敗れたものの、
我々は来ていたメンバー全員が出ながらも4位と健闘する。
3位になれば賞金5000円がもらえたものの、
後半は疲れきっていた我々であった。

 その後蒲田で飲む。
3年のU田が飛ばし、
それに付き合った私もだいぶ飛ばす。

飲んだ後ゲームセンターに行き、
3年のF田と太鼓の達人を競う。
だが音楽をやっているF田に私は敵と思ってもらえなかった。
太鼓の達人は初めてやったが面白かった。
だが、負けるたびに「もう一回だ!」
F田「俺音楽やってるから負ける気しないっすよ」
「いいからやるぞ!」……敗北の繰り返しで、
私の財布はだいぶ涼しくなった(1プレイ200円、同時プレイ400円ってマジですか)。

 翌日は文学部の代表としてゼミ対抗ソフトボール大会に出て、
他学部のゼミと戦う。

 初戦は勝つも、
2戦目は敗れる。
初回に5点とった我々は勝ちを予感するも、
その裏に敵は2点、
その次の回に2点を取られる。
それに対し我々はゼロ行進が続く。

私もノーアウト満塁で打席が回ってきて、
センターに抜けるかという痛烈なライナーを放つもセカンドにキャッチされ、
戻れなかった2塁ランナーN澤氏が憤死。
追加点のチャンスを逃す。

その後敵は先発したピッチャーより遥かに球の速いピッチャーを登板させる。
なぜこのピッチャーを最初から使わなかったのかと謎という感じ。

だがそのピッチャーを攻め、
満塁のチャンスを作る。
そこでN澤氏が満塁ホームラン。
なおも追加点のチャンスで私はサードファウルフライに倒れる。

最終回に5点を取り、
勝負を決めたと思われたその裏、
敵はピッチャーN澤氏を攻める。

結論から言うと、
逆転サヨナラ負けを喫したのであった。

 この二日間で学んだことは、
私はバレーボールはやっても野球はやるなということである。 2004年06月24日 22時23分36秒

明日はバレーボール
 昨日いつ眠りについたか全く覚えていないのだが、
気づいたら6時半に全裸で布団の中にいる自分を発見する。
暑いので冷房をつけたところ、
1時間後に全裸ゆえ寒くなり目が覚め、
服を着て窓を空ける。
するとその一時間後、
暑くて目が覚める。

 Sゼミ。
特にここに載せるような面白いことはなかった。
その後院生のM谷さん、Hまさんとどんぶりやに入る。
M谷さんが突如おごると言い出し、
ワインなど飲む。
ご馳走様です。 2004年06月22日 22時43分11秒

豪放磊落
 日曜は大学の体育研究所が主催のバレーボール大会。
我々体育研究所とつながりのある学生はその手伝いをする。
大会は日吉で行われ、
私は実況中継を担当する。
盛り上がっていた。
だが本当の盛り上がりはこの後にやってくるのであった。

 大会後、
体育の先生らとお好み焼屋で打ち上げ。
隣の席が超巨大なお好み焼を作る。
こちらも負けてられるか!と思うも
ひっくり返すのに失敗したときのリスクを考えて簡単にひっくり返せるサイズにする。
「守りに入ってしまいました」と言うと、
向かいに座っていたO倉さんが「お好み焼で攻める必要はない」と名言を残す。

 その後、
I先生に連れられて私とI野さんで元住吉の先生行きつけの居酒屋で二次会。
緑茶割を3〜4杯呑んだ気がする。
「今日の大会は〜」
とか話していると、
普通に深夜1時を回っていた。

2時くらいに店を出た後、
先生行きつけの健康ランドへ。
要はスーパー銭湯である。
サウナに入っては出て水風呂につかり、
水風呂に使った後サウナに戻るということを繰り返す。

私とI野さんが上がって3階の寝るとこにいくと、
I先生はすでに高いびき。
我々も眠りにつく。
ちなみにその時点で午前3時。

午前7時、
起床。
先生未だ起きず。
先生の布団がなく、
それどころか先生は上半身裸状態。
よく風邪を引かないものだと思う。
ちなみに1次会からここまで私は一円も払っていない。
全部先生持ち。

私の座右の銘の一つに豪放磊落という言葉がある。
小さなことなど気にしないでほうがいいということから座右の銘にしているのだが、
私は小心者だからかなかなかそうも行かない。
豪放磊落というのは先生のようなのを言うのだろうなと考えたり。

朝風呂。
その後先生とI野さんとわかれ帰宅。

 すごい日であった。
家に帰らないと普通汚いものだが、
風呂には入っていたので頗る清潔であった。 2004年06月21日 23時45分06秒

OBKAI
 今日はSゼミOB会。
たくさんのOBに会う。
その昔OB訪問した方や、
いろいろな人に会った。
I楯さんは先ほど田植えを終えたばかりというような格好で現れた。
相変わらず飛ばしていた。

 一次会は中華料理店だったが、
二次会は居酒屋。
OBの方のお話を聞いたり、
いろいろ。
OBの方がいろいろなところに就職していて面白かった。

 三次会は一部有志にてカラオケ。
「このイニシャルの人にはごうかプレゼントを差し上げています」という張り紙があり、
そのイニシャルにHまさんがビンゴ!
我々は菓子をゲットする。
T田が美声を披露したり。

 というわけで久しぶりに中央線の終電に乗って帰宅。 2004年06月20日 02時10分22秒

リニューアル
 S会のT内を私のHPのリニューアルに付き合わせる。
さすがS会のHPを一手に管理するT内、
私の知らない技術を多々使用して私のHPはだいぶ変わった。
私だけではとてもこんな風には行かなかっただろう。

 ありがとうT内。 2004年06月18日 23時33分06秒

自由が丘
 今日は授業はないが、
学校へ。
I藤氏と会って昼を食す。
I藤氏は就職活動において同じ業界を目指す仲間ということでよく情報交換をしたりした。
だが私が志望する業界を変えてしまってからというもの、
会うことはほとんどなかった。
久しぶりに会ったが、
昔の恋人に会ったような気がした。

 その後私の知り合いのH田さんに誘われていたので、
O部のY村氏と自由が丘で肉を食す。
なぜこの3人かはページの都合上省略。
O部の3年生のS藤という部員の話で盛り上がったりする。

秋こそはK大野球部の優勝を、
と言いつつも稀代の駄目監督のK嶋氏が優勝監督とか呼ばれて任期が延びるのも困るなという話もしたり。

 そんなこんなで夜は更けていった。 2004年06月18日 00時08分32秒

風が強い日
 最近夜が眠れず、
朝が遅い。
その結果1,2限に出られず、
ダメ人間だ。

 5限の時間、
3年生メインのサブゼミに出る。
というか正確には、
サブゼミを行う院生のY口さんに渡すものがあったので顔を出したところ、
帰ろうとしたところで院生のE藤さんに捕まって出席させられたのである(5限は授業があったのに)。
 
 その後帰宅。 2004年06月16日 22時31分36秒

卒業アルバム撮影。
 今日は日吉で体育の授業に潜入し、
バレーボールをやる。
久しぶりにからだを動かしたところ、
筋肉痛。

 その後学校へ行き、
卒業アルバム撮影。
M谷さんが色々演出していた。

 その後P氏とJ郎に行く。
大量の麺と豚肉を食ってやったという達成感はあったものの、
うまかったと言えるわけでもなく、
疲労感は残り、
よくわからない不思議な感覚に陥る。

 喫茶店Tでだべったりした後、
Sゼミへ。
熱くて眠くて最悪だった。

 その後帰宅。 2004年06月16日 00時38分24秒

読書週間
 今週を読書週間にした。

 今日は卒業アルバムのゼミ撮影のため学校へ。
M辺氏がスーツを着ているのを3年ぶりに見た。
思わず写メールを撮る。

 その後ゼミ。
卒論発表。
たいした準備もせず、
文献も読んでいなかったので頭の中だけで考えていたことを発表したところ、
「こんな卒論出されたんじゃ単位あげれないよ」と言われる。
その後も痛烈批判の嵐。

だが先生は頭ごなしに叱るのでは反発するだけの私がどうすれば一番やる気を出すかをよくご存知なので、
一番やる気が出る叱り方をされる。
と言うわけで明日から卒論の鬼と化す予定。

 その後帰宅。 2004年06月14日 23時45分22秒

今日は一円も使っていない
 今日は祖父が家に来て、
私が四国で買った地酒を飲む。
今の時期しか手に入らない無ろ過生酒である。
普通の酒は製造工程でろ過や加熱処理をするのだが、
今の時期はどういう理由かそれらの工程を省いたものが若干出回る。
生ビールが加熱処理ビールよりうまいのと同様に、
生酒のほうが遥かにうまい。
というわけでわざわざクール宅急便で送ってもらった。

うまかった。
それに加えて祖父は酒豪である。
付き合っていたらだいぶ飲んだ。

昼間からそんなことをしていたらいつの間にか夜になっていて、
夕飯になったならなったでまた飲んだのでだいぶ飲んだ。

家からは新聞を取りに行く以上の外出をしていない。 2004年06月13日 23時35分42秒

蒲田の治安がよくないというのは本当だった。
 今日はS会のY村氏やS会の人々と六旗の下にを見に行く。
六旗の下にとは、
東京六大学の応援団が集まって応援歌とか校歌とかを演奏したり歌ったりするそれはそれは楽しいイベントである。

何がすごいかというと、
それらの演奏やらを一大学一時間とか平気でやることである。
3時開演なのだが、
9時ころ終わる。
その昔ずっといて「長えぇ〜!」と思った記憶がある。

とはいえK大は今年は最初の最初だったのですぐ終わり、
S会が納会とかで会場を出たので私もついでに出た。

その後蒲田へ。
Sゼミ3年のF田の所属するサークルが演奏会を行うとのことなので、
行く。
18時とだけ聞いていたので、
やべ〜遅刻しそうだとダッシュで行ったら18時開演ではなく18時開場だった。

だがその分いい席だけは確保できる。
Sゼミ院生のHまさんが来る。
他にもTゼミの先輩のF原さんとか、
知り合いに会った。
F原さんはそのサークルのOBで、
大きなサークルのようだ。

演奏はかなりレベルの高い感じで、
さぞかしハードな練習を積んでるんだろうなと思わせるものであった。

ゼミにいなかったり、
いても寝ていたり、
発表の準備が終わってないとかで発表しなかったりのF田が何に情熱を注いでいるかが伝わってきた。

唯一の問題は、
クラシックを聞いていて心地よくなってくると、
眠くなるということである。
眠る環境としてはこの上なく最適だが、
眠るとせっかく来たのにもったいないというジレンマ。

 終了後Hまさんとつけ麺大王に行き、
ビールとつけ麺とギョーザ。

10時ころ店を出ると、
いきなり風俗店の客引きが絡んでくる。
しかも他の町のそれよりくどくてしつこい。
店の数も多いし(熱心に調べたわけでは断じてない。断じて)。

「蒲田は学校からもそう遠くないし、
家賃も安い。
でも治安がねぇ……」という友人の言葉が説得力を感じさせた。

そしてなぜか牛丼屋が少ない。
以前蒲田に寄る機会があったとき急に豚丼が食べたくなり、
探したのだが一軒もなかった。
蒲田在住の2年次のクラ友S谷氏に確認までしたのだがなかった。

どうせ住むことはないからいいのだが。 2004年06月13日 01時00分33秒

教室内は禁煙
 昼に学校に行き、
S会のY村氏とS会の部室で飲む。
四国に行ったときに買った、
四国の県外不出の酒を買えたので(というか前回の四国行きの収穫はそれとうどんくらいだった)飲んだ。
うまかった。

 その後久しぶりに5限に出る。
その前に図書館にいると、
Sゼミ3年のH田にバッタリ会う。
学校で飲んでいたという話をしたところ、
「おかしいですよ」とごく普通な批判を受ける。
だがその昔仏文学科の教授が、
「教室には禁煙とは書いてあるけど禁酒とは書いてないもんね」と言ってめったに手に入らないというワインをゼミで飲んでいたという故事に基づいていただけである。

 久しぶりにゼミ以外の授業に出た後帰宅。 2004年06月11日 21時28分46秒

もう少しこまめに更新しよう
 昨日ピンボールとか3時くらいまでやっていたため起きたらズームインはおろか、
情報ツウさえも終わっている時間だった。

 文藝春秋のスポーツグラフィック Numberを読む。
以前の号で「あなたは何型フォワード?」という紙面企画があった。
質問にYES、NOで答えていくと最終的に誰かに当てはまるというものである。
例えば「あなたは中山雅史型です。
高い技術があるわけではないが、そのガムシャラさがチームにやる気をもたらし、
上司もその動きを高く評価するでしょう」
などである。

私もやってみたところ、
「柳沢敦型」と出る。
「そこそこ技術もある。
何をやらせてもうまい。
だがこれという強い武器がない器用貧乏」
嬉しくない評価である。
だが就職活動という己の人間性のみで勝負する世界において、
つくづく自分がそういう人間であると思い知った。
柳沢でもたまにはゴールを決めるということを思い知らせたい今日この頃である。

ちなみにFC東京は柳沢みたいなFWばかりなので、
ボランチの今野が点を取っている。
何かおかしい。

 サッカーといえば、
私は田中達也を大変尊敬する。
なぜなら彼は自分の役割を忠実に果たし、
それでいてFWの嗅覚を失わないからである。

FWには2種類ある。
9番と11番である。
9番は一番相手ゴールに近い位置におり、
一番点を取るべき人。
私の見る限り久保、大久保、高原など。
「俺にボールをよこせ!目立ちたいんだ!」というタイプが向いていると思われる。
たぶん彼らは遠慮という言葉を知らない。

11番は点を取るというよりもポジションを取ったりして、
点が取れる動きを作るが時には自分もゴールを決める人。
鈴木、柳沢など、
「自分でもいけるけど俺によこせ!という奴がいるのならそいつに決めてもらおう」という考えを持っているタイプが多いかと思われる。

エメルソン、永井という2人のFWを擁する浦和レッズにおいて、
田中の役割はエメルソンにラストパスを送るということが多い。
だがエメルソンが故障したとき、
田中は自らゴールを挙げた。
23歳以下日本代表でのゴール量産は周知の通り。

エメルソンという似たタイプのFWと組んでいながら、
お互いがうまくすみ分けている。
両雄が並び立たなくてもおかしくない。
チームのために相手の良さを伸ばし、
それでいて必要ならば自分が点を取る。

私も前者までなら何とかできるとは思うが、
後者になると疑問符がつく。
彼はそれだけ難しいことを平気でやっている。
凄い。
昔のカズもそんな感じだった気がする。

 今日は授業はなかったが、
ちらりと学校に行ったりして帰った。 2004年06月10日 21時50分32秒

このページも近々リニューアルを予定
 午前中、
家からすぐ近くのところにある会社の面接。
面接待ちしている学生の中に、
スーツの背中の部分がズボンに一部入っているのがいる。
だらしないことこの上ない。
この学生が選ばれて自分が落ちたら凹むだろうなぁとか思いながら面接。
専門出版社なので、
他の出版社と違い自社出版物についての質問は全くなかった。

 その後自動車メーカーの説明会。
受付で私の前に並んでいたのは、
安田大サーカスのペットボトルを10秒で空ける人に体系とかが似ていた。
安田「ID忘れちゃって」
受付「お名前いいですか?」
安田「○○○○です」
受付「○○×○さんですか?」
安田「いえ、○○○○です」
受付「そのようなお名前はないんですが」
安田「予約していないんです」
受付「そうですか」

一定以上太ると思考回路はダウンするのだろうかとか思った。

今日はそんなこんなで終わり。 2004年06月10日 01時19分20秒

品川回転寿司
 今日は品川で大手旅行会社系列の出版社の会社説明会&筆記試験。
最初の最初の挨拶で社員の方が「耳やお身体の悪い方はサポートさせていただきます」と手話で挨拶を行う。
面食らったが、
これが旅行社の社員なのだと感じる。
ある意味感動。

 その後ついふらふらと開店寿司に寄ったりしてからゼミに出る。
だいぶ寝る。
良くない。

 終わった後3年と帰る。 2004年06月08日 23時03分54秒

暇といえば暇
 火曜は久しぶりにスーツを着なくていいのでラク〜な格好で学校に行ったところ、
スーツでも問題ないくらいの気候だった。
腹立たしい。

今まで就職活動のためゼミに遅れて出席することが多かったが、
久しぶりに頭から出る。

その後先生を交え食事。
今までは4年生と大学院生が中心だったが、
昨日は3年生が来る。

今まで中華料理屋が多かったので先生が「アンチ中華が良い。K八にしよう」とおっしゃってK八へ。
その店は日本酒や焼酎が豊富なお店で、
私もつい焼酎を頼む。

結構食べるものを頼み、
結構飲んだところで他に用事があり遅れていた3年のM嶋がやってくる。
先生が「M嶋が食べるものがない。吉田君何か頼んで」
とおっしゃり、
私は魚を頼む。

 その後もHまさんが泡盛を頼んだり、
色々な日本酒が注文されたり、
私が「ビールは黒だよ」とか言いながら注文したりした結果だいぶ飲む。

気づくと4時間ほどたっている。
E藤さんが壊れてヘンな動きをしていた。

その結果だいぶ高くつく。
先生の一万円と院生の5000円がなかったら、
我らは破産するところだった。

その後解散。
3年のU田に「全然酔ってないですね〜」
と言われるが実はだいぶ酔った。

家にかえるや否や布団にもぐりこみ、
気づいたら10時半くらいだった。

4年と一部院生で「いきなり4時間3500円じゃ次から3年生は来てくれないのではないか。
次はもう少し控えましょうな」と反省会。 2004年06月02日 20時57分05秒

四国道中記
 この週末はまた四国に行ってきた。
土曜は香川県で筆記試験。
最初の面接では合計100人以上いたが、
筆記試験に呼ばれたのは30人ほど。
一緒に面接を受けた人は誰もいなかった。

 香川でうどんを食った後、愛媛へ。
翌日愛媛で筆記試験と面接。
筆記試験はもともと時間がたくさんあったことと、
わからないものはどんなに考えてもわからないので、
あまりに時間があまった。

 その後面接。
集団だったが、
他の人はどうやら皆愛媛出身でUターン就職を目指している模様。
こういうと失礼だが、
新聞を地元就職の手段の一つくらいにしか考えていないか、
就職活動をなめているとしか思えない奴らばかりだった。

隣のD大の学生は「今日のうちの新聞社が出している新聞で気になった記事は?」
と聞かれて
「新聞とってないのでわかりません。
お金もかかりますし」
とかぬかした。

そいつは「面接では1分程度の自己PRを求められるので、考えておいてください」と面接前に言われていたにもかかわらず
聞かれて「え〜っと」を繰り返していた。

「お前など今すぐ出て行け!」と言いたかったが、
面接官はもっと言いたかっただろうから私はこらえる。

他にも「パワフルさやかとは私のことです。(中略)バレーボールサークルで鍛えたこの身体を見てください!」
と笑いだけはとっていた志望者もいたり。
身体を鍛えていることだけはわかったが、
自分にどんな能力があり、
それが会社でどう活かせるのかがまるで伝わってこなかった。

こんなことを言うと自慢のようでいやなのだが、
あらゆる新聞社出版社一般企業を受け、
落ちまくり、
最近になってようやく通るようになってきた私とは次元が違うと感じた。

「自己責任についてあなたの意見を聞かせてください」という質問がきて、
私は「もらった!」と思う。
自己責任論は卒業論文で取り上げる予定で、
人の言っていない意見を言う自信があるからだ。
「考えのまとまった人から手を上げてください」といわれたので、
最後にビシッと決めて印象に残そうと思い、
私はあえて他の意見が出尽くすのを待つ。

他の意見が出るものの、
D大の奴は最後まで手を上げない。
そこで私がおもむろに手を上げ、
理路整然と自説を述べる。

その後のD大の奴の「かわいそうだと思います」
とかいう感情論は話にならなかった。

その後も「君はアルバイトのことを何も書いていないけど、何かアルバイトの経験は?」と聞かれておもむろに
「Y電気でファックスを売るアルバイトをしました。(中略)売り上げが良かったので社員の方に『社員にならない?』と言われました」
とエントリーシートに書いてないPRになることを言ったりした。
面接で新しいアピールポイントを述べられることは大きなプラス。

愛媛出身でないのは私だけだったようなので、
志望の理由を聞かれた。
単なる地元愛ではなく、
全国紙ではなく地方紙に行きたい具体的な理由と、
色々と新聞を見た結果愛媛の新聞にしたということとその具体的理由、
自分の経験に基づく提案などをする。

後半は私にばかり質問が集中していた気がする。

その一方で、
東京からわざわざ出てくる私のようなガツガツ人間は地元ののんびり風土に合わないのではないかとか、
色々と悩みは尽きない。
というのも、
順調に進んだ場合香川の新聞と愛媛の新聞の最終面接、
東京の大手出版社の一次面接がかぶるからである。
最良の選択とは何か考える日々である。

 実はその帰りの飛行場に行くバスに乗ったところ、
元D会のM内さんにバッタリ会った。
四国の大学で学会発表があったそうで。
超偶然。 2004年05月31日 22時42分12秒

石川交代に思う
 ただ今サッカー23歳以下代表がトルコと戦っている。
後半になって石川直宏が投入され、攻撃だけでなく守備でも高い貢献をした。
だが古傷を痛めたらしく、
あっけなく交代してしまった。

 石川は最終予選までは背番号7の不動の右サイドバックであった。
だが最終予選では使われることは少なかった。
石川のスピードや精度の高いセンタリングは確実にチャンスを作るため、
相手チームは以下に石川を抑えるかで戦術を大きく変える必要がある。
万全の石川対策をしたところ、
何と石川が出場しない!
となると相手チームは緊急の戦術変更を余儀なくされる。
敵の緊急変更した戦術がなじんできた頃、石川が投入される。
するとまた戦術を組みなおす必要が生まれる。

というように石川をいつ使うかで様々な可能性が生まれる。
彼は「実力があるからこそ出ない」という不思議な使われ方をしていた。

FC東京の石川を見続けている私としては、
マークが何人つこうと振り切るスピードを持つ石川を是非ともフル出場させて欲しいところ。

ついに彼は背番号が14に降格した。
そして今日故障。
不遇としか言いようがない。
自分がライターであったなら彼に密着した記事なども書きたいと思う今日この頃。 2004年05月26日 21時00分31秒

たまには更新しよう
 今日はまず学校へ行き、S会のY村氏と飯を食ったり。

Y村氏といえば、
以前私が去年の授業で一緒だったYさんという人とバッタリ会い、
話をしているときにO部のY村氏が現れた。
私とは1年の時からの付き合いなのでよく知っている仲だが、
O部のY村氏は今では泣く子も黙るO部主将である。
その威圧感は知らない人にとっては相当なものである。
Yさんが「じゃあ授業行くね」と逃げるように去っていったのが印象的であった。

ちなみに今日昼を食ったY村氏とは別人である。念のため。

 今日はその後面接を受け、Sゼミに出没。
その後先生を囲んで食事。
I楯さんが飛ばしていた。

焼きそばに誰も手をつけず、
残っていたので先生がI楯さんに「じゃあ残りはI楯君一口でどうぞ」
とキラーパス。

I楯さんは鳩に豆鉄砲という表情をしていた。

その後帰宅。 2004年05月26日 01時16分35秒

台風が近づいているらしい
 去年の6月に台風が来たのが38年ぶりとかだったのが、
今年早くも台風が沖縄に接近しているらしい。

 今日は面接。
人事部長とか幹部が3人で、
何を言ってもクスリともしないし、
目は合わせない。
「わしはロシア人と会話してんのかっ!」とか思いながらも聞かれたことに答えた。

 面接が延びたため午後行く予定だった別の会社の説明会に行くことができず、
帰った。 2004年05月19日 20時30分50秒

もう細かいことはいいよ
 今日は中小だが、
日本で唯一の事業を行っていたりする鉄鋼業者を訪問。

その後学校へ行き、
Tゼミ。

終わったあとゼミを卒業されたK見さんとH川さんとH井さんとM辺氏とN澤と飲む。
焼酎とか日本酒とか、
やたらと高いものを飲んだ気がする。

その後カラオケ。
一言でまとめると、
H井さんはすごいということである。
多くの人はいったい何の話やらと思うところだが、
その場に居合わせていたTゼミの人なら誰もが納得するに違いない。

H井さんが熱唱を終えた時N澤がボケーッとしているので、私が
「貴様聞いているのか!」
と突っ込んだところすかさずM辺氏が
「N澤は自分の歌にしか興味ないからな」
と核心を突く。
そこにK見さんが
「確かにそうかもしれん」
とさらに突っ込む。
窮地に追い込まれるN澤。

私はH井さんに「何がおかしいんだ」とマイクで殴られるなどのアクシデントを経験する。

そんなこんなで夜は更けていった。 2004年05月18日 02時17分49秒

木曜は授業はない。他の日はあっても出ない。
 ここ最近日記を書くことはおろか、
掲示板に書かれたことに返信すら出来ないくらい忙しかった。
何しろここ数日の平均睡眠時間は3時間というところであった。

 今日は授業はないが、
人に会って新聞をもらった。
神奈川県でしか手に入らない新聞である。
この新聞の何が凄いというと、
徹底的にローカルネタを取り上げることである。
今日の社説は「川崎市の市民ミュージアムは東京や横浜の観客も呼ぶべきだ」であった。

公明党の神崎代表が未納発覚よりも、
平塚市にある病院の設備がどうなったとかそういったネタが大きく扱われる。

スポーツ面のベイスターズ、Fマリノスの取り上げられ具合は読売のジャイアンツに対するそれ以上である。

ちなみにここも受ける。
私に内定を。

 そして私は明日から四国に飛ぶ。 2004年05月13日 22時55分40秒

眠い
 この前大リーグのNYヤンキースVSアスレチックスの試合を見ていたところ、凄いピッチャーが現れた。
身長190cmのアンダースロー投手である。

アンダースローは日本名を下手投げといい、
日本人ピッチャーが始めた投球法といわれている。

バスケットボールやバレーボールほどではないが、
野球のピッチャーも背が高い方が有利なことがある。
背が高ければ高いほど上から投げられるため、
角度のあるボールが投げられる。

それに対し背の低い投手は角度のあるボールを投げることができず、
バッターにしてみれば打ちやすいということになる。
背が低いのならその不利点を利用し、
出来る限り下から投げてやれば逆に角度のあるボールが投げられるというのがアンダースローである。

アンダースローは腰にかかる負担は普通のピッチング(オーバースロー)より大きい分、
ピッチャーの命ともいえる肩への負担はオーバースローの半分で済む。

また上から下への力を利用して投げるオーバースローと違い、
アンダースローは手首のひねりなどを利用して投げる。
そのためシンカーやカーブといった変化球が投げやすい。

だいぶ昔の阪急足立、山田久志、
一昔前の西武潮崎、
ホワイトソックス高津のようなピッチャーが魔球シンカーを武器にしているのにはそういう理由がある。

背が低く、手先の器用な日本人が得意とする投げ方だ。
マンガの世界だが、
ドカベンの里中などその典型に当たる。

 ではなぜ最近アンダースローの投手はロッテ渡辺や近鉄川尻くらいしかいなくなったのかというと、
フォークボールが全盛の時代だからである。
上から下への力を利用して投げるフォークボールはアンダースローには向かない。

それに対し大リーグはフォークボールをひじや手首に負担がかかるとして嫌う傾向があり、あまり投げたがらない。
野茂や佐々木が大リーグでいきなり成功した裏には大リーグにフォークを投げるピッチャーが少ないという事情もある(もちろん彼らのフォークボールは一級品で、
大リーガーといえど慣れたからそう簡単に打てるというわけでもないのだが)。

また、アンダースローは右投手なら左打者、左投手なら右打者に致命的に弱いという欠点がある。
オーバースローの比じゃないくらいボールが見やすいのだ。
だから去年の早慶戦で、
左打者だらけのW大に対し右下手投げの合田が先発と知った時、
大敗を覚悟し現にそうなったのである。

話が逸れてしまったが、
大リーグにはアンダースローが結構いる。
中学や高校で「正しい投げ方」を教わらないので自由に投げていることも影響しているようだ
(日本の野球教育はフライを両手で取ることから始まり、
徹底的に正しい投げ方、打ち方を教えられる。
その結果大リーグに較べ変則投法、変則打法の選手が驚くほど少ない)。

また逸れたが、
私が驚いたのは小さなピッチャーの投げ方の代名詞であった下手投げを190cmの選手がやっていたことである。

日本のアンダースローピッチャーは腰を落として出来るだけボールを投げる位置(リリースポイントという)を下にし、
地面すれすれのところからボールを投げる。
190cmのそのピッチャーがそんなことをしたらさぞかし腰に負担がかかるだろうと思ってみていたら、
ほとんど腰を落とさずボーリングのようにして投げた。

腕が短い日本人はリリースポイントを下にするためには出来るだけ腰を落とす必要がある。
だがリーチが長い西洋人はほとんど腰を落とさなくても、
長いリーチだけで十分リリースポイントを下に出来るのだということが判明。

「野球とベースボールは違う」という格言に改めて納得。

ちなみにそのピッチャーは右投手のため、
右バッターを討ち取るべくマウンドに立つも結局フォアボールを出し、
バッターが左の松井になったところで降板させられた。

代わっていなかったら松井のホームランを期待できたのだが、
左の強打者に右アンダースローを投げさせるなど、
野球を少しでも知っていれば絶対にしない(ピッチャーがよほどいい場合を除く)。

知らないのはK大のK嶋監督くらいである。 2004年05月08日 15時55分56秒

たまには更新しよう
 GWの間は妹が借りてきた宇多田ヒカルのCDをMDに録音してずっと聞いていたため、
頭の中でfor youがtravellingである。

 今日は地方新聞社の東京支局に行き、新聞を売ってもらう。
その後学校へ。
色々な人に会い、だべったりしていた。
バッタリSゼミのH田氏に会い、癒された後必要な書類を提出。

 その後R会のP氏とラーメンJへ。
そちらでもやたらと知り合いにあった。
授業がないのでにんにくを投入してもらった結果、
会う人会う人ににんにく臭いと思われていたら損である。

 図書館でエントリーシートを書いたり、新聞を読んだりした後帰宅。
今週もやること多すぎ。
他何かネタがあったような気がするものの、忘れた。 2004年05月06日 21時59分25秒

ここ最近の私
 月曜は誰もが知っている会社の子会社の説明会。
子会社は敬遠していたが、意外と悪くないことがわかる。
なぜ敬遠していたかというと、
「子会社はぬるい」という話を聞いていたからである。

「巨大な親会社があるからつぶれることはまずない。
そのせいでのんびりした社風のところが多い。
親会社から上司が天下ってくるため、課長くらいまでしか出世を望めない」
と聞いていたからだ。

最近不祥事隠しで外資系会社の援助を打ち切られた某車メーカーは、
子会社とは違うが巨大財閥によって守られていたためぬるま湯体質が長く続いていた。
現在も同じ財閥の会社が金を出し合い、
必死になって経営再建をしている。

私はぬるま湯、ナアナア体質が嫌いなのでそういった会社には行きたくないと思っていた。

だが、そこまで関連の強い子会社というのは今の時代少ないようだ。
ラグビーの強い鉄鋼会社は社内カンパニー制というものをとっており、
同じ会社でも別会社に近いところがある。

社内カンパニー制とは何かというと、
パソコン事業は黒字だがエアコンは赤字の電気メーカーで例えると、以下のようなものだ。

普通会社はパソコンの黒字とエアコンの赤字を相殺し、
黒字が多かったら黒字、
赤字が多かったら赤字と計上する。

だが社内カンパニー制度は社内でパソコンの部門、エアコンの部門と別に分けて利益計上する。
つまり赤字黒字が明確になるわけだ。
そして赤字はその部門で埋めなければならない。
儲けていない部門の赤字のために儲けている部分の黒字が使われるという弊害をなくしたもの、
それが社内カンパニー制度だ。

それによって社内のモチベーションが上がるらしい。

話がやや逸れてしまったが、
ここで言いたいのは子会社、関連会社も悪くないということである。
親会社の圧力や影響はだいぶなくなっている。
むしろ親会社のノウハウを活かせたり、
親会社の名前を社名の一部につけてブランド力を持たせたり、
それでいて親会社の悪いところは排除したりしている。

その一方で「○○(親会社の名前)の製品は嫌いだから頼まない」と言われることはあったりらしい。

 ITの会社なので、
パソコンがたくさん置いてあるのが見えた。

 月曜はその後ゼミ。
帰り道の渋谷駅で、勧誘らしき男に絡まれているR会のHしを発見。
救出する。

 火曜は高校で同じ部のM内氏と共に、
出版社のOB訪問。
「人事の方がどうぞ私服で来てくださいとおっしゃっていましたが、面接の時はどうされましたか」と聞くと、
「人事にだまされちゃいけないよ」といわれる。

 水曜はその会社の面接。
早いもの順で面接ということで、
9時15分までに来いとのところを8時40分に行ったら一番で面接だった。

700人が面接を受けるとのことだったが、
内定は出して5人なのでまぁ無理だったなという感じに終わる。
無念。 2004年04月28日 21時40分02秒

今日はやや寒いな。
 学校へ。
S会のY村氏に神奈川新聞をもらう。

 その後D会のK宿氏に会い、
いろいろと話を聞く。
既に内定をもらっているK宿氏に、
「そんなことを言っているから内定をもらえないんだよ」と散々にダメだしを食らう。

大いに参考になる。

 その後帰宅。
京都の新聞社からの筆記試験の受験票が関西の人々には届いているようだが、
私の元にはまだ届いていない。
大問題だ。 2004年04月24日 18時14分52秒

授業だ
 水曜日は実は1,2限と5限を履修しているのだが、
単位が足りていることもあって5限しかでなかった。
しかも5限は初めてでて、
巨漢外国人女性教師(だが日本は高校生の時住んでいたらしく、日本語ぺらぺら)のハイテンションに圧倒された。

 その後図書館に入ろうとすると、
D会のT田I川両氏にバッタリ会う。
「今日飲むから」と言われ、
「筆記試験の勉強しないといけないんだけどいいのかなぁ」と思いつつも行く。

で、飲む。
T田氏が俗な話で飛ばしていた。
流石に9時で上がったが。 2004年04月21日 23時20分00秒

今日も更新しておこう
 学校へ。
私服で学校に行くと、
もう就職活動が終わりかけているかのように思われるが、
現実は逆である。
私の場合エントリーを少なくして新聞社一本に絞ったので、
会社に行くことが少なくなったのである。

 Sゼミ。
3年生の発表を聞く。
すると終わりの数分で、
突如として卒論の今まで思いつかなかった仮説を思いつく。

忘れないうちにガーっと書き込む。
その結果、最後の方は3年生の発表をあまり聞いていなかった。
許してくれ。

 その後、

Sゼミで先生も交え飲む。
その日初めてお会いした院生の方が、
昔のバイト先のO川さんという人に似ているなと思いながらお名前を聞いたところ、
O川さんという名前だったのに驚く。

飲む。
院生M谷さんがファッションについて、
学部生によって説教を食らう。

他にもいろいろあったのだが、
またもSゼミの内輪ネタになりやすく、
面白くないので省略。

 そんなこんなで夜は更けていった。
4年生が忙しいこともあり、
いつもなら場所を移しての二次会orカラオケとなるのだが、
解散だった。

Y樫氏に「先生に握手してもらったら直後にあった二次面接通過した」という話を聞いていたので、
私も先生に握手してもらったりしてから帰宅。 2004年04月20日 22時44分32秒

引きこもり反対
 学校へ行く。
新聞社一本に絞ってエントリーも増やしていないため、
結構時間はある。

 ゼミ。
去年は発表が多く、大変だったが今年は聞いて時たま質問したり、意見を言ったりするだけでよい。
楽でいい。

逆に「来週の発表が〜」と叫ぶ3年生は大変だな〜と思いながら、
ボンヤリ発表を聞いていた。

みな通った道である。
頑張れ3年生。

ゼミが終わった後雑談と課していると、
いつの間にか4年はほとんど帰っていて主に3年生と帰った。

「Tゼミのベッカム」ことM辺氏は今日はおとなしく、
笑いをとっていなかった。 2004年04月19日 22時07分37秒

たまには更新
 ずっと更新が止まっていたのは、
猛烈に忙しい日々を送っていたからである。
とても公開できないことばかり続いたからではない。

 今日は大手出版社の筆記試験。
出版社は本が大好きな人間が行くところなので、
試験でも「松本清張が1954年に書いた、
時刻表を駆使して犯人を追い詰めていく、
現代の推理小説の原型となった作品の名前は何か」
などの出版に関する問題がでた。
残念ながら松本清張作品は『砂の器』くらいしかわからないので、
答えられず。

さらに安倍幹事長の名前を
「安部 晋三」と書いたことが悔やまれた。
他にも文章を読んで
日本語の間違いや誤字脱字をチェックしたり、
「あなたはゼミで講演会を企画しました。講演をお願いしていた人も快諾してくれました。

ところが、
その人がうっかりして同じ日の、同じ時間に別の講演を引き受けてしまいました。
講演のお礼などの条件は同じです。

あなたはあなたのゼミの講演会でその人に講演してもらうため、
その人にお手紙を書き、
説得してください(依頼する人はあなたが選んでください)」

という問題もあった。

ちなみに出版社において執筆依頼、
講演依頼などの「手紙を書く」という問題は頻出。
いかに説得力のある文章を書けるか、
手紙を書く上で必要とされるマナーを身につけているか、
誰に依頼するかのセンスなどがわかるからである。

というわけで決まった答えなどなく、
出来たのかどうかはわからないところである。

 試験会場でバッタリ会った高校時代同じ部で、
SFCに通うM内氏と、
I藤氏で飯を食った後帰宅。

結局浦和レッズー大分トリニータを見てしまった。
田中達也、エメルソンの快速FWコンビの破壊力は凄まじく、
4-1で圧勝だった。 2004年04月18日 19時22分50秒

病気
 朝方起きたら布団が一枚しかかかっておらず、
風邪を引いた。
就職活動を始めてから、
定期的に病気をしている気がする。

 コンサル系の会社の筆記試験。
コンサル系とは何をしている会社かというと、
ホストクラブにたとえるとわかりやすい。

ホストクラブとは接客のプロ集団である。
彼らの接客技術やノウハウを、
教えて欲しいという接客業の人に教えてあげたり、
依頼主の種類に合わせた、
一番良い接客スタイルを提案したりすることでお金をもらう。

現にカリスマホストと言われる零士氏は、
接客コンサルタントとかそんな名前の肩書きを持っているはずである。

お客さんの問題を解決するということで、
ソリューションビジネスとも呼ばれる。

ちなみにコンサルの会社の多くはIT技術を使ってソリューションを行う。
今日受けたところもそんな感じ。

 筆記試験はてっきり能力テスト系かと思っていたら、
本格的なIT関連問題がでた。
A,は三井住友系のコンサル会社で……
Aに入る会社名を書け。
など。

知らない。

 その後学校へ。
大学に入ると、
献血車が来ている。
「献血をお願いします」と呼びかけている人々を見ると、
D会とS会とO部の人々である。
「うわっ全員知り合いだ」と思ったが、
やはりつかまった。

仮に自分が呼びかけている側であったら、
私のような知り合いは絶対に捕まえなければならないだろうなとか思いながら、
血を抜かれることに。

大学に入ると、
R会のK松を発見。
「いいところにいるじゃないか君」と言い、
献血者に拉致。

 その後病院に行き、
授業に出て帰宅。 2004年04月09日 20時47分35秒

私服登校
 今日は成績証明書や在学証明書をもらうため学校へ。
パソコンを打ったりした。

 その後明日の面接が行われる会場を下見しに大手町へ。
一時間くらいグルグルした気がする。
下見してよかった。

 ちなみに外国語学校の授業はどうやら今日からだったようだが、
学生証をもらっていないのに(受付に話をしに行ったら、いきなり今日からと言われた)いきなり今日からとか言われても、
予定が狂うので帰った。 2004年04月07日 20時25分39秒

学生服オランダ式
 今日は損害保険の会社の面接。
この会社は雰囲気が良く、是非とも内定をもらいたいと思っていた。

面接へ。
「大学生活で何に力を入れましたか?」と聞かれ、
「ゼミとD会の活動です」と答える。
まずはゼミのことを具体的に答える。
だが、そのあたりからおかしくなる。
「いや僕が聞きたいのはそういうことじゃなくて」
みたいなやりとりが行われ、
しどろもどろ。

面接が約2週間ぶりという悪条件も重なり、
一番ネタとして使えそうなD会の話をし損ねる。

私という人間の独自性、魅力を何も伝えることなく終わる。
普通にブルー。

気分転換に、
日吉で新入生向けオリエンテーションを行っているS会の元へ。
Y村氏に「じゃあこれを着て」と、
学生服(D会の正装)を渡される。

午後はずっとD会の手伝いでオリエンテーション関係の仕事をしていた。

 就職活動中ということをしばし忘れていた。
だが、ここ最近家にこもりっぱなしで身体を動かしていなかったので、
久しぶりに身体を動かしたことは大いに気分転換となった。

明日からまた頑張る次第である。 2004年04月06日 21時32分47秒

昼のうちに帰ってこよう
 でないと夜が冷える。

 今日はあんまり広報宣伝をしていない大手印刷会社の2次面接。
泣きたくなるほどウェブテストができなかったので、
絶対に落ちたと思いその会社の採用HPを「不採用」フォルダに移したくらいだったのだが、
なぜか通過だった。

グループワーク。
個人発表の後全体討論という形。
最初の個人発表では周りに「勝った!」と思えるものができたが、
全体討論をした結果私の主張はだいぶ変化した。
ちょっと悔しかったが、
何人かで討論して意見がどんどん変わっていくのが面白かった。

グループディスカッションでは目立とうとして全体の和を乱す奴がよくいるらしいが、
今回のグループは和気あいあいといった感じで、
非常に良かった。

 その後学校で学生証のシールをもらったりした後帰宅。
ゼミ合宿や試験があって今まで受け取れていなかった。 2004年04月05日 22時22分21秒

久しぶりに更新
 ここ最近更新しなかったのは、
一言で言えば忙しかったからである。

 昨日今日は新聞社の筆記試験があった。
新聞記者という仕事は何をしているのかがわかりやすい。
また、かっこいい新聞記者という憧れだけで志望する輩が少なくない。
「給料がいいから志望する」と言うけしからん奴らまでいる。

 というわけで、募集人数に対し物凄い数の志望者が集まる。
そいつらをふるい落とすため、
相当難しい筆記試験が課される。
真面目に新聞記者を志望する私のような人間にしてみれば迷惑な話である。
気をつけなければ真面目に新聞記者を志望していても筆記試験でふるい落とされてしまう。
どんなにやる気ややりたい仕事があっても、
筆記試験ができなければエントリーシートさえ見てもらえない。

というわけで必死こいて筆記試験対策をし、
昨日今日の試験に臨んだ。

通過の場合、火曜夜から水曜にかけて電話がかかってくる予定。 2004年04月04日 20時40分09秒

今日更新早くな〜い?
上記のような口調は今も使われているのだろうか。

 今日はラグビーの強い鉄鋼メーカーのリクルーター面接。

就職活動をしていない人のために説明すると、
面接というのは基本的に人事の人がやる。
面接の回数を重ねると、重役が出てきたりする。

だが企業によっては多すぎる志望者を人事の人だけでは捌ききれないため、
社員の人が最初に面談をすることもある。
その人が人事面接に通すかどうかを決める。
最初、もしくは2回目くらいに面接を行う人事以外の社員をリクルーターと言う。

以前リクルーター面談を受けた商社は完全に雑談だったが、
今回はゼミの内容や会社に興味を持ったきっかけなどを聞かれた。

リクルーターの人がクラ友に似てるなとか思いながら面接を受けた。
面接ではあったが、仕事の説明なども受けた。
リクルーターの方のしっかり話を聞こうという姿勢が好感触。

 その後学校へ行き、学割証明をもらう。

生協の前の通り道に掘っ立て小屋ができていて、
驚く。
まだ見ていない人は見てみるといい。

一体何故に造られたのかなどを是非聞いてみたかったのだが、
今日は土曜なので、
私がゼミやらでいつもお世話になっている学生課のI川さんは不在だった。 2004年03月27日 18時13分32秒

引きこもり系
 今日も7時に起床した後引きこもって問題を解いたり。

 その後I藤氏に会っていろいろ話し合い。
久しぶりに新聞を取りにいく以上の外出をした。
桜がほんの少しだけ咲いていた。

 昼にジャストを見ていると、「K大卒業生が選ぶ理想の上司トップテン」というコーナーがあった。
何人か知り合いが写っていた。 2004年03月25日 23時11分00秒

引きこもり系
 今日も一日家にこもって書類を書いたり作文を書いたり。
家からあまりでていない。
新聞を取ったり、牛乳配達に料金を払ったり、
宅配便を受け取った時に玄関から出たくらい。 2004年03月24日 22時24分15秒

マウスが復活
 我が家のパソコンは接触不良がおきるのか、マウスのコードを抜いてから差し込むとマウスが動かなくなることがある。
前はソニーのカスタマーセンターに電話し、サポートセンターの人の指示に従ってカチカチやったら直った。
今回もパソコンを動かした際にそうなり、
電話しようとしたら今回はなぜか直った。

 ここ数日はR会の追い出しコンパに出たり、
一日中家で筆記試験の勉強をしたり、
面接を受けたりしていた。

スポーツ新聞の面接を受けた。
「御社の○月○日の記事がですね、、、」というように話をすることができ、
これは言った方がいいかなということを質問に積極的に絡めることができた。

だが、「君はうちの新聞を購読していないの?」
と聞かれ、
「はい」
と答えた際に何かチェックをつけられていた。
その後「でも気になる試合のあった後や、もっと知りたいと思うスポーツの試合があった後は必ず買っています」とフォローするも購読していないのは致命的くさい。

ちなみに会社によってはスポーツ新聞の方が全国紙よりも高い給料が出る。
銀行員よりサラ金業者の方が儲かるのと同じ原理、
と言ったらスポーツ紙の関係者に怒られるに違いない。

 他にも鉄鋼メーカーの説明会に出たり。
そこで一緒になった、茨城か通っているというM大学の学生と帰り道で妙に会話が弾んだ。

 今日は家から出ず問題集を解いたりしていた。 2004年03月23日 21時10分29秒

マウスが復活
2004年03月23日 21時01分53秒

内輪ネタ満載のゼミ合宿2日目
 朝食に焼津名物黒はんぺんが出る。

 昨日のテキスト購読の続き。
午前午後とやったので、だいぶ弱る。

 その後「藤守の田遊び」という、
国に重要無形文化財に指定されている豊作祈願やらの田楽を見に行く。
5時間もやっていた。
5時間ぶっ通しで見るのはゼミ合宿ならではか(どんなに面白いとしても、5時間やれば普通は途中で帰るからね)。

11時少しに宿に帰り、また飲む。
Sゼミ4年以上で一番俗悪でなかったH田氏が実はたばこを吸うということを知り、
KABAちゃんが元DOSだということを知った時並みのショックを受ける。

K野(三年のほうね)がラーメン屋の店員にいそうだとかそんな話をしつつ、
そんなこんなで夜は更けていった。

 夜が明け、解散した後軽く飲み物を片付けたりしていたら20分しか眠れず、
せっかくのベッドは全然活用できなかった。

 その後帰る。
Hまさんに卒論のことでアドバイスを頂いたりしながら鈍行に揺られ東京へ。

帰宅した後は普通に熟睡。
ここ3日の平均睡眠時間は2時間くらい。 2004年03月18日 22時24分31秒

更新再開だが、きっとSゼミの人しか面白くない
 Sゼミのゼミ合宿で静岡へ。
朝10時に「これ速達でお願いします」とエントリーシートを提出したりする必要があった。
現地には13時に着く必要があった。
ゼミ員の多くは鈍行で行くと言っていたが、
郵便を出してからだと間に合わないので新幹線となった。

場所は焼津。
着いて少しすると、いきなりテキスト購読。
4時間くらいやった。
別にそれはいいのだが、
ずっと胡坐もしくは正座で座っていたのがきつかった。

夕食は焼津らしく、天然南マグロの刺身やマグロかぶと焼きが出る。
私は主食が魚なので、感動する。
それらを食べたあと、今すぐ死んでも別にいいとか思った。

 その後先生含めて飲む。
宿備え付けの浴衣があったのでそれを着たりしているとY樫氏に「そうゆう格好をしてるとまさに番頭ね」とか言われる。

鮪を食しながら「ここに日本酒があったら最高ですね」とか言っていたので「番頭は日本史専攻じゃなくて日本酒専攻なんでしょ?」と言われる。

2時くらいまで飲んでいた後、快適なベッドで寝た。

実は20人いる3年生はいくつかの大部屋だが、
4年生3人、院生2人、教授は個室だった。
そちらはベッドであったりと非常に快適であった。 2004年03月18日 21時57分01秒

ここ二日何してただろう
 今日は基本家から出ず、
文字を書いたり。
ゼミ合宿が近いのと、
エントリーシート提出締め切りが近いのとで一杯一杯。 2004年03月14日 18時57分08秒

S会VSD会再び
 申し訳程度に更新。
昨日は面接を受ける。
言いたいことは全部言ったので二次面接にはいけるだろうと思っていたら、
今日連絡が来て落とされていた。

またもS会とD会の合同飲み会があった。
まぁ荒れていた。
相変わらずS会のI藤氏(うちのページに最近よく出てきたI藤氏とは別人)は飛ばしていた。
またも謎の戦隊ノレンジャー(ハイ、内輪ネタです)が結成される。

 2次会が流れで行われる。
そこにはD会の人間の死体がぞろぞろ打ち上げられていた。
結構ひどかった。

「1人1000円ね。いいよ倒れてる奴らは飲んでないから、払わなくていいよ。
あとはうちが払っておく」
と言って会計を済ませる。
そして今日、財布を確認したら紙はレシートしかなかった。
就活金がかかる。

 久しぶりに二日酔いになった私は今日は家で一日おとなしくしていた。
この前のテストであまりに算数ができなかったので、算数を勉強したり、部屋を片付けたり、
企業からの資料をきれいにファイリングしたり。 2004年03月12日 22時43分13秒

家で暇を作れ
 今日は家から基本的に出ず、
就職の書類を書いたりして過ごす。

書いた書類をコピーしたりしたくらいしか家から出ていない。
家だと集中できないので大学でやるという人もいるが、
大学に行くと往復2時間半くらいかかるのでその時間を勉強したりしているとその分お得。
というわけで基本的に家から出なかった。 2004年03月09日 21時22分43秒

築地
 今日は商社の面接で築地へ。
そこの会社は、筆記ではなくまず面接から入る。
しかも最初の最初の面接は人事ではなく営業の人がやるという変わったところ。
しかも「あなたをサッカー選手にたとえると、ポジションはどこですか?」とか聞かれたと会社案内に書かれていたので「ボランチですね」とか答えようと思いつつ面接へ。
面接というよりも、ほとんど雑談だった。
2次に呼んでもらえるかどうかわからない。
なぜならエントリーシートに書いたことはまるで触れられなかったから。

 10分ほどで終わり、すぐ近くにあった築地本願寺へ。
築地本願寺は親鸞上人が始めた浄土真宗のお寺。
親鸞さんは初めて僧が結婚することを認めた。
というか自分が結婚したかったらしい。
彼の教えは「欲望に忠実であれ。自分が欲深い人間であるということを悟り、阿弥陀如来の教えにすがれ」
というもの。
「悪人正機説」として有名。

だが親鸞聖人の偉大なのは、欲望に忠実であれといいながらも自身は質素倹約を心がけ、
弟子も取らず布教も全くといっていいほどしていないところ。
親鸞などと呼び捨てにできない偉さがある。
偉大な宗教家というのは本来そういうものであり、
弟子に倹約を命じ、殺人を指示しておきながら自分はメロンを食べているような宗教家はインチキの極みである。

 時事通信社で今日から始まったアテネオリンピックの写真展示を見た後帰宅。 2004年03月08日 21時39分54秒

眠い眠い
 今日は下丸子にある会社の説明会(といえば就職活動経験者はどこかわかるはず)。
電車に一本乗り遅れ、遅刻のピンチ。
乗り換え案内で調べてみると、
井の頭線が次にくるのが10分後、多摩川線が10分待たないと来ないとのこと。

そこで気づく。
大江戸線は一番来ない時間帯でも7分すれば絶対くる。
いくらワンマン運転の多摩川線とはいえ、10分以上間隔があくことは東京近辺の電車においてはありえない。
ということは、と調べなおしてみると、

私の乗っている電車が多摩川駅に着くのが11時32分。
11時34分発の多摩川線があることが判明。
乗り換え案内だと34分発には間に合わないから次の電車に乗れと言っているだけだった。
というわけで多摩川駅に32分につくや否やダッシュしたところ、
34分発の電車に乗ることができ、
無事に説明会には間に合った。

このネタを自己PRで「状況対処能力が優れています」とかで使えないだろうかとか考えた。
このページを見ている就職活動経験者の方、どなたか意見をお願いします。

その後学校に出て、パソコンを打つ。
見渡してみると、スーツだらけだ。
2004年03月06日 17時10分59秒

今日も寒い
 またも病気との戦いを強いられた結果、ここ数日は家にこもっていた。
寒さは嫌い。
転勤するとしても南がいいとか思う。

 今日は出版社の面接。
専門の歴史についてやや熱く語った結果向こうも乗ってきて、
「では続きは次のときに」とか言われる。
口では何とでもいえるので半分信じておこう。
一緒に面接を受けたT波大学の学生が「実家も茨城だから東京のどこに何があるかわからないんですよ」と言っていた。
茨城から就職活動とは大変だ。

 その後学校に行き、I藤氏と会って就活のお話。
この後外国語学校で一緒のMさんとTさんと飲む。
2004年03月04日 17時19分24秒

今日も病院
 またも具合が悪くなり、
大学近くのS胃腸病院へ。

 その後OB訪問。
ゼミのOBで新聞記者の方にお話を聞く。
なかなかつかまらない記者の方と1対1でお話ができて、有意義であった。

 OBの方とお別れした後渋谷に出る。
MDコンポを買い、家まで電車に乗って持って帰るという偉業を達成する。

 明日は初面接。 2004年03月01日 22時18分05秒

今日は一日家
 まだまだやることが終わっていないので、今日は大して更新できません。

仮面ライダーストロンガーのこととか書いている場合じゃなかった。 2004年02月28日 20時37分28秒

週末
 今日は○ザエさんのキャラクターを起用したCMでもお馴染みの物流の会社の説明会。
会社のビルの中に託児所があり、子煩悩な社員は預けた子供を休み時間に抱っこしに来るとかそんな話を聞く。
古くからの大企業はまだまだ日本企業的なところが強く残っていて、社員を大切にする風潮があるようだ。
○ザエさんのキャラクターをCMに起用するという発想が出るという社風。
大企業だが堅くはない様子。

 その後学校へ行き、教授にあってお話。
終わった後帰宅。
ひたすらエントリーシートを書く。
こちらは終わらん。 2004年02月27日 22時33分17秒

風邪からの帰還を果たす
 昨日の夜にはだいぶ良くなった結果、
夜12時からケーブルテレビでやっている仮面ライダーストロンガーとか見てた。
仮面ライダーストロンガーはバッタがモチーフであることが多い仮面ライダーの中で唯一カブトムシがモチーフであり、
仮面ライダーが基本は風力をエネルギーにしているのに対し1人だけ電気をエネルギーにしている。
ちょっと異色のライダー。

いとも簡単に敵の罠にはまったりしているが、敵があまりに間抜けなので毎回死なないで済んでいる。
敵もストロンガーを催眠ガスで眠らせておきながら「眠っている相手を殺すような卑怯な真似はしない」とか言っている間に逃げられている。
どうも敵の怪人たちも仲が良くないらしく、仲間割れらしきことをしょっちゅうしている。
みんなダメということだ。

 今日は商社の会社説明会で築地へ。
「ホームページにOB訪問を受け付けるOBの名簿をアップしておくのでどうぞアクセスしてください。
なおうちの会社は実力主義なので、OB訪問受付が多かった社員ほど給料が良くなります」
という話に驚く我々。

その会社は大手ではない(といってもベンチャーと言うほど小さくもない)が、大手ではないからこそいろいろとできるのだという話を聞いた。
また、「都合のいい話ばかりするのは汚いので、うちの会社のこれからの課題も教えます」と言って問題点、改善すべき点も教えてくれたあたり誠実さを感じた。

見方を変えると、課題を見せてもそれを補って余りあるくらい業績がよいのだということをアピールしているともとれた。
また見方を変えると、業績の良さの裏に仕事のハードさがあり、そのことは言われたが社員の人たちはあまり仕事をハードなものとは感じていない様子。
「責任ある仕事を任されているからあまりきついとか辛いとかは感じない。
商社マンというのは自分で仕事を創っていくものだから、辛いと思う仕事も面白いものに変えてしまう」とのこと。

 終わった後銀座まで歩き、通りかかった時事通信社のビルに寄った後銀座でちょっと高いネクタイを買って帰宅。 2004年02月26日 20時58分37秒

東山魁夷
 今日は新宿にて損害保険の会社のセミナー。
説明会は既に出たし、その会社について新たに知ることはないのだが、
社員との座談会形式なので社員の生の声が聞け、
また人事の人に顔を売っておく関係から出てみた。
内容はウェブ公開はしにくいものが多いので省略。
まとめると、この会社すごいということである。
業績もすごいが、働いている人がすごい。
是非内定をもらいたい。
保険についてわからなくても、この人たちとなら一生懸命仕事ができると感じる。

 その後横浜へ行き、横浜美術館の東山魁夷展へ。
明日までということもあり、何と1時間待ち。
しかも強風。
「日本画は好きじゃないけど東山魁夷の絵は好き」
という人も多く、東山魁夷の人気を物語っていた。
だが入ってからの展示は実に良かった。
R会のP氏にバッタリ会ったりした。

 満足して帰宅。

 関係ないが、花粉症になったらしい。
鼻水が出るし、目が痛い。
花粉ごときに苦しむとか考えると鬱である。 2004年02月23日 18時13分16秒

強風時々暴風雨だったが、家からほとんど出ていない。
 今日はひたすらエントリーシートを書く。
第一志望のところもあり、誤字は許されないので神経を使い、
めちゃくちゃ疲れた(それでも1つ誤字を犯し、修正液を塗る羽目になったが)。

 家に父親の仕事の関係の元後輩が来たり、祖父が来たり。

 また明日から出かけないといけないので、時間がない。 2004年02月22日 22時53分21秒

久しぶりに学校
に行き、S会のY村氏と会って飯を食ったり。

 その後大手町へ行き、先日説明会を受けた会社の筆記試験を受ける。
実は急に昨日電話がかかり、今日の筆記が決まった。

 最初の文章読解問題(要は高校時代の国語ですな)は楽勝。
むしろ時間が余り、読解の文章が卒論の参考文献に使えそうなので書名を机にメモったりしていた。

だが数学になると急激に苦戦モード。
高2で数学を捨てたことが悔やまれた。
とはいえできないものはできないのだから仕方ない。

 その後渋谷で本を買ったりして帰宅。 2004年02月21日 19時43分22秒

久しぶりにスーツを着ない日
 昨日はS会のN川さんと会い、
エントリーシートの内容を見てもらう。
ついでに就活のお話聞いたり。

 その後うちの妹と芝居を見に行く。
堤真一と深津絵里が出ていた。
コメディーで、非常に面白かったがその割にストーリーが複雑で、
3時間半(途中で休憩も入った)もあったのでだいぶ弱った。
深津絵里はすごい。
声の大きさがすごい。
誰よりも大きな声を出し、それでいて最後まで声の大きさを保ち続けていた。
テレビと舞台ではまるで別人というくらいに演技が違う。

 3時間半もあったので、終わった後帰宅は12時近かった。 2004年02月21日 08時19分46秒

説明会続き
 学校へ行き、本を買い、必要なことをした後大手新聞社へ。
エントリーシートを取りに来いと言われていたので受け取る。

 その後新築マンション分譲を手がける会社の説明会へ。
平均年齢27歳、史上最速8年目にして東証一部上場を果たしたというすごいところ。
社長のお話を聞く。
「大きい会社だと、若い人になかなかチャンスが巡ってこない。私は若い人こそ力を発揮して欲しいと思う。だからこそうちの会社は若い人にどんどん仕事をしてもらうようにしている」
とかそんなお話だった。
交通費とお土産をくれる。
そんな会社は初めてだったが、業績が相当好調らしくそんな投資もできるのだと思う。
これで今日の説明会に出席した人のうちの何人かは将来ここの会社でマンションを購入することになるだろう。

 その後下丸子に行き、
毎日のように日経新聞をにぎわせているデジカメの会社へ。
実は卒業論文で、私の主張を証明する好例がこの会社のため、ぜひとも取材をお願いしたかったのだが断られる。

 と、それは真の目的ではなく、OB訪問。
社員の許可がなければ会社内に立ち入ることもできない社内に入れてもらう。

食堂で社員の方のお話を聞く。
食堂はいすの色が違っていて、座っている人も安そうな色の椅子には同じ作業服を着た人々が座り、塗ってある高そうな椅子にはスーツを着た人が座っていた。
いわゆるブルーカラー、ホワイトカラーというやつだと感じる。

 業績が相当好調でありながら日経新聞が発表した環境経営ランキングで一位を獲得したこの会社についていろいろと聞くことができ、
有意義だった。

 その後R会のK林、T中、P、M浦氏と会って飲む。
P氏以外全員リクルートスーツ。
やはり話題は就職活動関係になりやすい。

「江戸時代のお酒」というものを注文してみたところ、
単なるどぶろく(日本酒を精製していないもので、少しは精製してあるにごり酒以下。江戸時代の農民や木こりがよく飲んでいた。好きな人は好き)で幻滅する。 2004年02月20日 11時41分47秒

初筆記試験
 今日は午前中、日本最大手だがそこまで知られていない印刷会社の説明会。
R会のM田氏とP氏がいた。

 その後教育関係の教材を作っている出版社の筆記試験。
最初のうちは時事問題のようなものが出るが、その後出版社特有の変な問題が出てくる。いくつか紹介。

「3種の神器」のような3つの何かを考えてください。
私の回答「三粘食品」:納豆、オクラ、もずく。
「飛行機はなぜ空を飛べるの?」という子供の質問に答えてください。
恥ずかしいので回答の公開はやめておく。ご了承ください。
他にもヘンな問題が続き、そのたびにヘンな回答をする。

 あとは英作文、和訳など。
恥ずかしいことにあまりできなかった。

合否は2週間後くらいらしい。

 同じ試験を受けていたI藤氏とお話をした後、帰宅。 2004年02月16日 20時35分24秒

一日二つは疲れるぞな。
 今日は説明会二つ。
午前中は田町に本拠地のある、某電機メーカー。
英語会社名はアルファベット3文字だが、日本名はいかにも日本の会社という感じのとこ。
それ以上は明らかにわかってしまうので言わないでおこう。
結論から言うと、この会社は合わないと感じた。
全体説明会の後の社員や内定者の座談会で若干最初に受けた印象は回復したが、
よほど日程と心に余裕がない限り受けないだろう。

 ちなみに今日はK大文学部の試験日。
せっかく田町にいるので、大学まで試験会場の様子を見に行く。
だが「文学部の試験は日吉で行います」という貼り紙あり。
うへぇ〜!(私に何の被害もないので0,5へぇ)

 午後は最近CMをよく見る、こちらもメーカー。
「私服でいいです。ジーパンスニーカー大歓迎」とメールには書いてあったが、会場は赤坂プリンスホテルだし
そんな格好で行ったら明らかにおかしい所だった。
環境経営を理念の一つに掲げ、説明会も「HP見ればわかるようなことはこの場では説明しません。今必要だという人のために別のスクリーンで放映するので、必要だと思ったらそちらを見てください」
と無駄がない。

社員座談会の人々もいい感じ。
ついでに「爆笑問題を起用している御社のCMを、こんなに御社の名前をテレビで見るのは初めてってくらい最近よく見るんですがあれは戦略ですか」
と聞いてみる。
「あの機種は社長の思い入れがあって、宣伝費は使えるだけ使えって指令を出しているので今はたくさんCMしていますが、3月にはなくなります。うちの宣伝はテレビより日経新聞とかがメインですから」
とご回答いただく。

こちらの雰囲気はだいぶ良かった。
内定をぜひもらいたいと思った。
こちらの会社に較べると、
午前中の会社など「ナイトガンダム物語」のキュベレイの前のヤザンに過ぎなかった。 2004年02月15日 19時59分27秒

OBを訪問しろ!
 今日もOBを訪問する。
今日は建設会社で、堅実経営で知られるがあまり関東では知名度の高くないところ。
会社に興味があったと言うよりは、今日お会いしたOBの方と面識があったからというのが訪問の動機。
志望動機や自己PRの文章を見てもらったところ、
「これじゃ全然伝わってこないよ」と散々にダメだしを食らう。
だが今まで見てもらった人は私という人間をわかっている友達が多い関係から、彼らは先入観(バカの壁に近いがちょっと違う)を持ってしまっているため彼らからは出てこない指摘もある。
そこのところを指摘してもらえたのが良かった。
そこを直せればよい文章が書ける。
私の心情は『スラムダンク』で沢北に圧倒的な力の差を見せつけられながらも笑った流川のそれに近い。

 その後学校へ。
ゼミ合宿の届出用紙をもらい、就職課で調べものをし、生協の組合員割引で大量に本を買い込み、置いていなかった分は田町駅前で購入して帰宅。 2004年02月12日 22時18分55秒

休みか。
 今日は某就職サイトの主催する就職イベントがあり、私は現在世界第二位の規模を誇る自動車メーカーの説明会を聞く権利が当たったものの、それを証明する葉書がどこを探しても見つからなかったので行かなかった。
というわけで、家でパソコン打ったり勉強したり。

T大学のY倉氏が彼のホームページで新聞を書いており、そこで自分の主張を述べていることに刺激を受け、私も時々自分の主張とかを述べることにした。

 ただ今サッカーU−23の対ロシアフル代表戦が行われている。
20時半現在同点で、ディフェンスは身体を張っているし、相当頑張っている。
パスやトラップなどにおいて小さなミスはあるのだが、それらを補って余りあるプレーぶりである。
彼らにA代表にないものを見るのは私だけではあるまい。
それは「若さ」だろう。

やり直せることは若さの特権であり、仮にこの試合がボロ負けだとしても彼らはいろいろなものを得ることができるはずだ。
だから若い彼らには結果を恐れず一生懸命にやってもらいたい。
また、そういう気持ちが就職活動中の我々にも求められているのだろう。

 今(20時52分現在)、平山が投入された。
就職活動において、受かる学生というのは身体からオーラを発していると昨日の講演会で聞いた。
この男が発しているようなオーラを私も身につけたいところである。 2004年02月11日 20時56分17秒

昨日は諸事情により更新できず
 昨日は一日家でパソコン打ったりメール読んだり文字を書いたりした後、某出版社主催の就職関係の講演会へ。
事前に提出して添削をお願いしていたエントリーシートの出来が悪いと散々叩かれる。
だが周りの人に見せても「いいんじゃない?」みたいな答えが多かった中において、どこが悪いということを具体的に叩いてもらえたので大いに参考になる。

 講演会が終わって帰ろうとすると、講演会に来ていた2年次の語学のクラ友のO西氏にバッタリ会い、一緒に帰る。
話しながら地下鉄に乗り込むと、その方面はO西氏の家の方面である一方、私の最寄り駅とは逆であるということが判明。

 そんなことをしながら帰宅。 2004年02月11日 14時29分17秒

一日二つは疲れる
 今日は会社説明会×2。
午前中は芝浦の方で、某就職サイトの会社の社内事業が発展して会社になったという不動産会社の説明会。
「私服でいいし、予習とか一切してこなくていいですよ」とのことだったので何の会社かすら知らないで臨んだ。
高校時代の同じ部で、SFCに通っているM内氏に会った。

 大学に向かうと、説明会に来ていた知り合いのK然氏と偶然一緒になって大学へ向かう。

「あの説明会、実は選考を兼ねてて、目をつけた学生には後日電話が行くらしいよ」ととんでもない情報を教えてもらう。
確かに何の必要もなく自己紹介とかさせられた気がする。
就職活動につきもののデマかもしれないが、本当だとしたら油断させておいて大人って本当に汚い。
○通ばりの青田刈りか!?

「内定を辞退しに行く時コーヒーをかけられるらしい」 
など就職活動に噂はつきものである。
常識で考えればそんなことありえないのだが、重複内定が出る頃にはつい信じてしまうくらい学生側は萎えているということだろう。
仮にそんな会社があったとしても、いくら終身雇用の時代は終わったとはいえそんな会社には少しでも勤めたくない。

 学校で時間が経った後、トップが指示すれば一気に社論が変わるという噂のある、だとしたら驚異的に非民主的な某全国紙の説明会。
結構知り合いに会った。
なぜか前行った会社と違い、私服やアウトローがいなかった。
1人体育会か応援団らしき学ランがいただけ。
ボタンを見るに、うちの大学だった。

 友達のS本氏と帰り、その会社のある大手町付近の地理に詳しくなろうということで(大手町付近はオフィスが集中しており、会社かけ持ちをする際は電車を使うより歩いた方が早いことも多い)東京駅を目指すも、
道を間違えて神田駅から電車に乗ったりして帰宅。 2004年02月09日 20時41分10秒

栄養について考える会
 昨日はSゼミの人々と品川で待ち合わせて、栄養について考える会。
名前は立派だが、要はケーキ食べ放題。
K野氏とM谷さんが来る。
品川プリンスホテルに向かう。

 後は読者のみなさんの想像に任せたいと思う。
一言にまとめると、甘いものはうまいということである。
もう一言加えるなら、みんなよく食べるということである。
2004年02月09日 13時18分47秒

今日のサッカーは楽しい
 今日朝4時に起きようとしたら(日によっては起きる)、何と暖房が壊れていることが判明。
だが無事動いてくれたので朝がやってくる。

 飲む予定がなくなったので、今日は一日家で筆記試験の勉強やらエントリーシート書いたり。

 今はサッカー日本代表戦をやっている。
今日はだいぶ楽しい。
なぜなら、得点がたくさん入っているということは当然だが、
今日の試合は私が応援しているFC東京の選手がたくさん出ているからである。
GK土肥が先発出場。
今、茂庭と加地が投入された。
頑張れFC東京。 2004年02月07日 20時26分54秒

他大学とも交流することがとても大事ですね。
 6日は学校へ。
エントリーシートを書いたりいろいろとこなす。

 その後早稲田の方へ。
同じ業界の就職を目指す人々で、交流したり内定した人の話を聞いたりする会。
いろいろとためになる話を聞く。
その一方で、「まだ筆記対策がその程度じゃ9割落とされる筆記を通過できないよ」と厳しいコメントも頂く。

 交流会に参加していたI藤氏と、交流会で知り合ったW大のN川、S木両氏とラーメンを食した後帰宅。 2004年02月07日 11時08分10秒

研究室
 今日はゼミの研究室でバイト。
大学院生がたくさんいる。
雑談などしながら働く。
石川啄木の名前が出てきたので「『働けど働けど暮らしは楽にならない』と歌を詠んでいる彼ですが、実際のところ彼はほとんど働いておらず、遊んで借金ばかり作っていたんですから彼は偉いんですかねぇ」と言うと、
院生のY岡さんに「少なくともお前よりは偉いよ」とキツい返しを食らう。

 その後も作業は続き、午後に解散。
今日は中等部の入試が大学の校舎で行われているそうで、キャンパスに保護者の方々が溢れていて妙なキャンパス風景だった。 2004年02月05日 23時03分34秒

港区を歩いて制覇しろ!
 今日は昔体育の授業で一緒だったA野さんが、私がノートを貸したお礼におごってくれるということで渋谷へ。
おごってもらう。

 その後散歩が趣味のA野さんと共に代々木公園を歩く。
ひたすら歩く。
代々木公園を出た後、原宿方面へ向かい、明治神宮へ。
お参り。

 それから原宿を歩き、表参道へ出た後、外苑通りを歩いて六本木通りへ合流。
六本木通りを歩いて六本木ヒルズへ。
極めて行き当たりばったり。

 六本木ヒルズをブラブラした後、六本木通りをひたすら歩き、35分をかけて渋谷へ到着。
六本木ヒルズから渋谷は35分も歩けばいけることが判明する。
渋谷駅に着いたところで別れる。
 
 A野さんと待ち合わせをしたのが昼の12時で、別れたのが17時半。
途中ハーゲンダッツに寄ったり公園でのんびりした時間を除いても、5時間くらいは歩いていた計算になる。

港区制覇までは行かなかったが、相当歩いたことは間違いない。
二人で「ウォーキングウォーキング」とか言いながらひたすら歩いていた。

 さすがにちょっと疲れた。 2004年02月04日 22時26分55秒

歓迎会&追いコン
 一日エントリーシートを書き、最後出そうとしたら手ごろな大きさの封筒がないことに気づく。
文房具屋へ。
封筒を買い、郵便局へ。
封筒を書き、エントリーシートを取り出したまさにその時、私の手から薄い2枚の髪は滑り落ち、雨で濡れる郵便局の地面へ。
うへぇ〜〜〜〜〜!!!!!!!
(20うへぇ)
大急ぎ手当てするも、負傷は隠せない。
だが速達で送らなければならないほど急いでいたので、仕方なくそのまま提出。

 その後Tゼミに新しく入ってくる2年生と、3年生の顔合わせ。
そういえばゼミ代だった私は説明なりをこなす。
うちのゼミはみんなしっかりしているので私がとりわけしっかりする必要もなく、楽なものである。
新たなゼミ代も決まり、無事に私はその役を降ろされる。

 その後先生もまじえ飲む。
ゼミの4年生の追いコンも兼ねるということで4年生も来る。
Zろくで飲む。
楽しくやる。
我々がゼミ合宿で出てきた朝鮮人参入りの酒の話をしていると、それを聞きつけたZろくのご主人が「これは本当に手に入らないよ」と言いながら超巨大な朝鮮人参の入った酒を出してくれる。
興奮する我々。
大いに効きそうな味がした。

 2次会は4年生を中心にカラオケ。
H井さんが長渕剛の歌を歌っている時、実は隠し持っていたブルースハープを取り出して生演奏を見せる。
大変驚く我々。
普通にめっちゃよかった。
 
 その後もうちのゼミではないのに2次会までついてきたI伏氏が軍歌を歌ったり、M辺氏がゼミ同様ブレイクしたり、とにかくすごかった。 2004年02月03日 10時41分33秒

みなとみらい線が開通
 昨日はその後D会のI川氏に横浜に来るよう言われていたので、向かう。
I川氏始めD会の面子で飲む。
楽しくやる。
Y内がK宿氏を「冬の合宿では2女にコールを振られて嬉しそうに飲んでいたのに、今日は全然飲んでないじゃないか。何だそのざまは!」と痛烈批判。
結果的にはY内が血を見る。
U田が笑いを誘う。
だがN野氏がU田に対し「2年と4年の格の違いを見せつけてやる!」とモルツのフルビンを空ける。
どういう流れか私もフルビンを空ける。
というか正確には空けさせられる。

 その後桜木町駅まで歩く。
なぜか買い物カートが途中の道にあり、なぜかI川氏がそれに乗る。
D谷がそれを押す。
桜木町でカラオケ。
T’z氏が笑いを誘う。
飲み会で血を見たY内はカラオケに着く直前に急激に泥酔と化し、連れられてカラオケに入る。
その後テーブルの上で熱唱していたのだが、本人曰くそのことを覚えていないらしい。
笑う。

 4時半過ぎ位に「そろそろみなとみらい線の始電が出るんじゃない?」とN野氏が気づく(というか今回集まった目的は「みなとみらい線の最初の電車に乗る」だった)。
だが誰も始電の正確な時間を知らず、とりあえずみなとみらい駅に向かう。
どのくらい歩いたであろうか。
5時少し過ぎくらいに着く。
乗る。
だが普通の東横線。
幻滅する。

 元町駅に着く。
山下公園に行く。
ほとんど人がいない。
しばらくそこで歓談。
だが海に面していて、また朝6時頃で、山下公園は憩うには余りにそのときの環境が厳しすぎた。

 その後しばらくして電車に乗り、人々とわかれて帰宅。
ほとんどの人が電車を降り、残ったT○と自由ヶ丘で特急の待ち合わせをしていると、新しい車両が来たので乗る。
感動。

 朝8時半とかに帰宅したためあまりに眠くて眠る。
気づいたら15時半になっていた。 2004年02月01日 17時39分18秒

久々に学校から更新
 今日は新聞社のセミナーに出かける。
何人か知り合いに会う。

 幹部の方の講演があった後、質問タイム。
T大学の学生が「講演の内容は表面的過ぎて全然聞いた意味がなかったので、ぜひとも他の全国紙と御社の違いを詳しく教えてください」と
挑戦的な質問をする。
幹部の方は「私の話したことで充分他社との違いはわかったと思うのですが」と答える。
だが学生は食い下がり「わかりませんでした」と返す。
険悪な雰囲気が流れる。
私も質問したいことがあったのだが、「私の話したことで〜」と返される恐れがあったり(実のところ一部寝た)、時間がなかったり小心者だったりしたので黙っていた。
もう一人質問したK大の学生がいたが、彼は率先して手を上げたくせに自分の言いたいことがまとまっておらず、「え〜」とか「あの〜」を繰り返し、司会の方に「何を言いたいの?」と聞かれるなど、さえない質問タイムだった。

 以前某全国紙に勤務するOBの方によると、新聞記者というのはどの人も個性が強すぎて普通だと埋もれてしまうとのこと。
そのせいか学生の側も先日の損保に比べて
よく言えば個性が強い、
可もなく不可もなく言えばアウトロー、
悪く言えばちょっと非常識じゃないかというのが多かった。

 その後学校へ出る。
大手新聞社の多くは首都圏に集中しているため、学校から近くてよい。
その点立川とか国分寺とか、もっと遠くにある大学は大変そうだ。
2004年01月31日 18時40分50秒

今年最後の授業。
 昼に学校に行き、夏休みに一緒に海外に行ったK藤さんに就職に関する話を聞かせてもらう。

 その後外国語学校の授業。
その授業は試験時間も授業。
終わった後授業が一緒のメンバーでルノアールに行き、K大学卒業生のAさんにパフェをおごってもらう。

 授業が一緒のTさんと電車で帰っていると、1年時のクラ友K頭氏に呼び出され三田まで戻る。
でもって飯。
就職活動の話とかをする。

 明日は専門紙だがもはや普通紙と言われつつある全国紙のセミナー。 2004年01月30日 22時48分51秒

諸事情により2日分
 試験終了から一夜明け、ひたすらボケーっと過ごす。
するとOB訪問をお願いしていたゼミの先輩から連絡が入り、OB訪問が決まる。
8時に待ち合わせ、いろいろと有意義なお話を聞かせていただく。
ちなみにその先輩は日本最大手の印刷会社勤務で、その会社は最近は印刷に限らずパンなどの包装パッケージ、液晶、ICチップなども手がけている。
だがそれらのノウハウは印刷によって培われたものであり、印刷というモノづくりの精神は生き続けているということであった。

 その後帰宅。 2004年01月30日 22時41分26秒

試験を多く抱える平均的大学生には嫌味かもしれん
 3限試験。
ゼミの先生だけに単位が取れればいいというものでもなく、内容も問われた。
だが内容もそこそこだろう。
中途退出が不可になる試験終了10分前にちょうどなったくらいの時に書き終えたため退出できず、
何を持ち込んでも良いとのことだったのでこういうこともあろうかと持ち込んでいた文庫本を読んでいた。

 5限も試験。これで試験終了。
去年試験+レポートが合計19個という地獄の日々を乗り切ったことの効用がここにおいて現れた。
その後帰宅。
だがあまりに渋谷駅からの電車が混んでいたため、渋谷で買い物をしたりして時間をずらしてから帰宅。

 ゼミ員のM辺氏が、昨日の必修の哲学の授業があまりできなかったとかで「俺に哲学など必要ない。俺が哲学だ!」と暴走していた。 2004年01月28日 22時47分57秒

試験
 自慢じゃないが秋学期になって一回くらいしか出ていない授業の試験を受ける。
S会のY崎さんの「人は勉強しないでいくつ単位を取れるのか?」という鉄腕!ダッシュのような企画を行うことになる。
先生の機嫌がよければCくらいはもらえるのではないかという答案を書く。

 その後ゼミの先生に会い、ゼミ合宿の話をする。
そのついでに、ゼミ員のA見氏が実はゼミ員必修のレポートを出していないことが判明。
彼は上がれるのか。

 先生の研究室を出たあと、バッタリ去年の語学のクラ友のMり氏とS木氏にあい、一緒に帰る。

 明日で試験は終わり。明日は試験2つ。 2004年01月27日 15時57分17秒

試験期間だから学校から少し人が減っていた。
 OB訪問で京橋へ。
有意義な話を聞かせてもらう。
飯もおごってもらう。
 
 帰りがけ溜池山王へ行き、日枝神社にお参り。
宝物館があり、入ってみると床が鴬張りになっている。
鴬張りとはその昔の防犯対策で、床の上を歩くと鶯の鳴くような音がするという仕掛けになっている。
静かに歩けば歩くほど大きな音がするという仕掛けになっており、
かの有名な石川五右衛門もこの仕掛けによって捕まったと言われている。
床の板が張り替えられており、とてもよい音がして
面白かったので床の上をグルグルした。
 その後学校へ行き、同じくマスコミ志望のI藤、F原両氏とお話。
夜も食す。

 その後帰宅。 2004年01月26日 21時32分27秒

のどかな日曜日
 今日はTOEICを受けに下高井戸へ。

 下高井戸〜三軒茶屋を東急世田谷線という電車が通っている。
昭和30年代の面影を今に残すこの電車に、せっかく下高井戸に来たので乗ってみた。
今は変わったが、ほんの数年前まで車両は木造、運賃は乗る時車掌に渡すか料金箱へ入れる式、
走る沿道には畑が広がる、
のんびりのんびり走るので自転車で飛ばしまくったら実は自転車の方が速い(実はこのあたりは私の元地元である)、
という、レトロの極みな電車である。

 乗ってみると、結構変わっていた。
下高井戸と三軒茶屋の両駅では自動改札のようなものができていた。
だがその辺はやはり世田谷線、お金もしくは回数券を客が入れるのを
駅員が見てるというものであった。
自動で扉が開くとか、お金を入れなかった場合通れないといったハイテク機能はやはりなかった。

 またバスカードのような機械処理式カードが導入されるなどややハイテク感を漂わせていたが、
途中で乗ってきたおばあちゃんは紙の回数券を車掌に手渡しするなど、変わらないところは変わっていなかった。
沿道の家は電車からよく見える位置に洗濯物が干してあったし。

 豪徳寺の井伊直弼の墓を見た後世田谷城址公園を訪れ、帰宅。
のんびりが移ったのか私の試験勉強は遅々として進まないのであった。 2004年01月25日 21時15分11秒

セミナー
 今日は保険会社のセミナーへ。
ウェブなので実名は伏せるが、他の保険会社ではまず見ないようなCMをやっているところ。
そんなCMを作るセンスと、12月の合同セミナーから相当自由で堅苦しくない感じは漂っていたが、
実際行ってみるとビックリした。
人事の方は全員ノーネクタイ。
内定者懇談会に来ている内定者もほとんどが私服。
グループ課題を課されたが「みんなで雑談でもしながらやってください」とかいわれる。
「自然体の自由な雰囲気」「うちの会社のいいところは勝手にやりたいようにやらせてくれるところ」とか
そんな言葉をいろいろな人から何度となく聞く。
「この会社すげぇ……」と心から思った。
私は型にはまるのが苦手なので、
損害保険だったら好き勝手にやらせてくれるというここしかない!と思った。
他は時間の無駄なので受けない。
ここがダメなら損害保険はきっぱりとあきらめる。 2004年01月24日 22時04分17秒

試験期間は授業開始ベルのなる時間が違うって知らなかった。
 起きて新聞を読んで5限の予習をして昼を食してから学校へ。
ゼミの教授の研究室に行き、ゼミ合宿のこととかを話す。
結構面倒なことがわかる。

 その後5限。
英語ディスカッション。
それなり。
今回のテーマは「日本はより多くの外国人の日本国籍取得を許可するべきか否か」
我々のチームは反対。
本当なら賛成派になりたかったのだが、仕方ない。
「日本人のアイデンティティの根源である日本文化、言語を守るためには誰でも日本人になれてしまうのは良くない」という主張をする。
終わったあとのディスカッションのまとめでイギリス人講師が「なぜそんなにも文化や言語を頑なに守りたがる?文化や言語というのは変化しているものだよ」と言う。
知っている。
だが反対意見を言わなければならないのだから無理やり作った。
だがゼミの教授によると、
あえて反対意見の根拠を考えることで新たなものの見方ができる。それがディベートの目標の一つ。
ということなので、目的は果たされたといえる。 2004年01月23日 22時08分20秒

補講日
 今日は四ツ谷の消防博物館へ。
先日江戸の火事に関する発表をしたので、そのついでに江戸時代の消火についての展示がある消防博物館を見に行こうということになったのだった。
江戸時代の火事の様子を表した模型がある。
江戸時代の消火は破壊消火という、周りの家を壊すことで延焼を防ぐものだった。
そのため破壊された家の下敷きになって火消しに助けられている町人の模型などもあり、よくできていた。

 その後学校へ。
生協食堂にビーフストロガノフカレーというメニューができていて、頼む。
実は去年の夏休み海外に行ったA澤氏がリクエストしたものらしい。
それを頼み、待っていると目の前に煮魚が。
私は魚が主食なので「その魚は何ですか」と聞くと「カレイの煮付けです」と答えが返ってくる。
「じゃあそれも」と言い、煮魚だけではおかしいので白米も頼む。
会計の際にふと気づく。
カレーとカレイ。
うへぇ〜!(10うへぇ)
しかもカレーに煮魚、白米、お茶、おまけに買ったタリーズのコーヒーと、
完全におかしい組み合わせであった。
しかも結構量があったのでP氏と共に出た4限を熟睡する。
履修の関係で履修しようと思っていたが履修していない授業なので別によし。

 今日は犬用毛布を買って帰宅。
だがうちの親が別の毛布をあげていたので、しばらくは人間が使うことになりそうだ。 2004年01月22日 21時11分11秒

眠い
 のんびり起床した後、学校へ。
3限はないので5限だけ。
放送業界を志望しているというS原氏とあっていろいろと話す。

 その後5限。
来週試験。

 終わってから帰宅。
今日は帰りに買おうと思っていた犬用ブランケットを買い忘れ、
明日には新しい号が発売されるので何が何でも今日中に読んでおかなければならなかったモーニングを読み忘れるなど、
忘れてばかりの日であった。
すまんうちの犬。 2004年01月21日 21時17分47秒

今日も卒論発表を聞け!飲み、食い、歌い、そして笑え!
 20日にやったことを全てタイトルにまとめてみた。

 3限の試験は完全にヤマが外れ、卒論に書こうと思っているネタとかをズラズラと書いてお茶を濁す。
単位来い。

 5限のゼミでは卒論発表を聞く。
来年から入ってくる2年生が来て、ゼミ合宿とかの話。
その後ゼミ打ち上げ(以下はおそらくSゼミのゼミ員しか面白くない。取り上げられている方も怒らないでくださいね)。

 E藤さんが「俗悪だよ」を連発する。

 M谷さんに「新ゼミ員の写真を撮ってください」と頼まれ、2女の写真を撮っていると周りに「やらしーな〜」とかいろいろ言われ、E藤さんに「俗悪だよ」と罵られる。
今日の打ち上げの幹事だったのでお金を数えているとY樫氏に「吉田君は江戸時代の番頭みたいね」とか言われる。
喜んでいいのだろうか。

 2女に1人焼酎が好きな子がいたことで、年末の昆布焼酎事件(知らない人は12月9日頃の日記を見てください)が蒸し返される。
その結果被害者のF野さんの前で、HまさんI楯さん始め加害者の間で罪の擦り付け合いが行われる。

 一次会が終わった後、I楯さんが店を出ようとして間違えてトイレや従業員の部屋に行こうとして(甘太郎田町店の2階に行ったことのある人はわかるはず)大爆笑を誘う。

 2次会はカラオケ。
Y口さんによってF野さんがダメ王国の家来にさせられる。
E藤さんが「ミュージシャンのF野さんには負けられねぇ」と言いながらカラオケを歌う。
その様子がY樫H田両氏によって「やらしい」と批判される。

 11時少しまでやったあと、解散。
実は結構酔っていたHまさんが解散した直後、歩道橋の壁に激突していた。
「弾き語りが趣味」と言いながらカラオケに行かず帰ったK野氏の処遇はゼミ合宿で、という話になる。

 こんなに笑ったのは久しぶりで、これが1月上旬に行われていれば間違いなくテレビ○京のエントリーシートの「あなたが最近一番笑ったことは何ですか」(そういう質問があった)という質問の答えになったのだが、
文章にしてみると結構様子を表わしづらく、それでいてその場に居合わせた人しかわからないと言うことに気づく。 2004年01月21日 10時20分06秒

卒論の発表を聞け!
 昨日朝6時から今までの続きを打ち始め、夜11時に15000字のレポートが仕上がったと言うことは既に述べた。
レポートの完成を受けて安心したのか、今日の演習の試験の勉強をしようと席に着いた直後に記憶をなくし、気づいたら布団の中にいて朝7時だった。
いつ寝たかなどはまるで覚えていない。

 というわけで試験。
思っていたよりできたのでよかった。
単位は来そうである。

 その後のゼミはレポートを提出した後、4年生の卒論の発表だった。
参考文献をレポートに記入し忘れたM辺氏はゼミの間こっそり参考文献を記入する、つもりだった。
というのも先生にこそこそやるM辺氏の姿はしっかりばれていたそうだ。
そろそろ我々も、卒論の構成を考えなければならない。

 ゼミが終わった後、ゼミ員のM辺氏と学校の近くのタパスタパスへ。
最近すっかり先生の助手と化しているM辺氏が先生に「これから私の授業に出なさい。バイトは休んで」と言われて「マジッすか!?」と叫んだ話とかに笑う。
その時一瞬だけM辺氏は風邪を引いた。

 とりあえずTゼミは終わった。 2004年01月19日 22時07分45秒

土曜日続き
 学校に到着すると、張り出しが。
今日はセンター試験のようだ。
で、ゼミナール委員会の説明会の会場と指定された場所に行ってみると、そこはセンター試験の受験者控え室になっていた。
場所が違うのかと思い、場所について書いてある掲示板の元に行こうとすると西校舎入り口に学生課のI川さんが。
「今日は西校舎入れないよ」といわれる。
さらに「この教室で説明会があるはずなんですけど、、、」と言うと、I川さんに「そこはセンター試験受験者控え室だよ」と言われる。
どうやら人が集まらなかったので説明会は何の連絡もなく、なくなった様子。
物凄い怒りがこみ上げる。

 その後図書館にこもったりした後、帰ろうとしたらバッタリ全K連のA野さんに会い、一緒に帰る。

 日曜は一日中レポートを書いていた。
家から一歩も出ていない。
窓を開けて外を見たり、庭の犬を見たくらいしか外と触れ合っていない。
引きこもりではない。
だがレポートは15000字の文字数となって無事完成した。 2004年01月19日 00時55分03秒

雪だ 雪だ 雪だ 雪だ 雪だ 雪だ 雪だ
 今日はゼミナール委員会のことで集まりがあるとのことなので学校へ。

 文学部やK大でない人のために説明すると、K大学には各学部の各ゼミナールから人を出してゼミナール委員会というものを作っている。
そこで他学部生の入ゼミをしやすくしたり、これからゼミに入る人に情報を提供したり、スポーツのイベントを企画したりしている。
先ほどゼミナール委員会は各学部のゼミから構成されていると言ったが、厳密には文学部には17の専攻があるうち、ゼミナール委員会に加盟しているのは社会学専攻、人間科学専攻の2つだけである。
理由はいくつかあるが、一番大きな理由は図書館の地下とかで研究してばかりであまりいろいろな人と関わりたくない人間が文学部に多いからではないかと私は推測している。
だがゼミに関する情報はゼミナール委員会が把握しており、学事センターに問い合わせても「ゼミナール委員会に聞いてくれ」という返事が返って来るそうで、
場所によっては情報が手に入らないという状態になっている。
というわけで他の15個の専攻にもゼミナール委員会を設立させるという話が出たようで、一応ゼミ代の私は学校へ。

 その続きはまた明日。To be continued... 2004年01月18日 00時41分34秒

風の谷のナウシカ
 午前中をレポートに費やした後、学校へ。
S会の委員長になったY村氏に会ってあるものを受け取る。
そこにO部の主将になったY村氏もいた。

 その後ラウンジでパソコンを打とうとすると、なぜかログインできない。
直射日光がガンガンに当たっていたパソコンがやられたらしかった。
というわけで使えるパソコンをゲットするべくラウンジをウロウロするはめになる。
そこでD会のI川氏に会う。
I川氏に「1千円貸して」といわれる。
なぜか聞くと、レンタルビデオの延滞金を払う持ち合わせがないのだという。
ビデオの延滞金も払えない人に金を貸すことは大いに不安を抱いたが、まぁ貸した。

 その後D会の部室へ。
K苅氏が「今日風の谷のナウシカやるから早く帰んないと」と言うと、
I川氏が「俺はちゃんと録画予約してある」と言い、
N島氏が「俺なんかちゃんとDVD持ってる」と
上には上がいるということを思い知らされる会話がなされる。

 5限に出た後帰宅。
今日は久しぶりに真っ直ぐ家に帰った。 2004年01月16日 23時24分25秒

レポート進んでないけどいいのかなぁ。
 今日は授業はないが、D会のY内が体育のI先生のバレーボールの授業に人が足りないので来てくれといわれ、行く。
今日で木曜は最後の授業。
行ったところ、Y内が来ない。
授業が始まって少ししてから来た。

 その後Y内と昼を食したりした後図書館に行き、本を読んだり眠ったりした後帰宅。
電車の中でメールを打つのに集中していたらうちの駅で降り損ねたりと、馬鹿なことをしていた。
レポートの提出は今度の月曜。
その日は演習の試験もある。
レポートが終わっていないため演習の試験は全く手をつけられない。
残り最低でも8000字。 2004年01月15日 22時13分16秒

水曜日
 今日はゼミの卒業生の方と仕事についていろいろとお話。
OB訪問ってやつですね。
その後授業に行くと、若干送れたため席がなかった。
だがP氏に席を取っておいてといったため、
席がある。
ありがたしありがたし。

 旧図書館にこもってレポートの構想を練る。
5限に出た後帰宅。
その後レポートをこなす。
とりあえずはレポートである。
それ以外は特にない。 2004年01月15日 06時02分34秒

メールは朝見よう
 というわけで時間を有効に使うためにちょくちょく更新を朝にするがご了承いただきたい。

 昨日は早起きしたまでは良かったものの、朝食後に眠くなり仮眠を取った結果2限に出損ねる。
さらに3限、4限も眠る。
ダメ人間ですね。
SゼミのE藤さんの言葉を使うと「俗悪だよ」。
調査中のE藤さんはまだ山形か。

 5限はSゼミ。
今日卒論を提出しているところを目撃されているというHまさんは、ゼミは体調が悪いということで欠席だった。
体調が悪い中這ってでも卒論を提出したのか、
それとも卒論を提出したからこそ一気に疲労に襲われ体調を崩したのか、
議論が分かれた。

 ゼミ後、先生含め皆で食事。
院生3人、4年生2人、3年生4人の少人数形式は来年度新ゼミ生が20人入ることでガラリと変貌する。 2004年01月14日 09時45分26秒

ラストサムライ
今日の内容はタイトルを見て想像がつくとおり。
すごかった。
特に渡辺謙がすごかった。
渡辺謙を前にしたら、主演のトム・クルーズは完全にかすんでいた。
渡辺謙おそるべし。
内容は私の拙い文章で語るより、見た人はよく内容を思い出して、
見てない人は実際に見てくださいって感じである。
個人的には長谷川(だったか)大村の命令を無視して砲撃を中止するシーンが良かった。
これまた見た人はよく内容を思い出して、
見てない人は実際に見てくださいって感じである。
というか全て良かった。
渡辺謙英語できすぎないか、とかそんな重箱の隅をつつくようなことはもはやどうでもよい。
歴史を題材にしているが、いつものように自分のページと言うことで歴史何たらを唱える気にもならない。
トム・クルーズ扮する大尉が最後の天皇の前に現れるシーンも実に良かった。
そして塩分を吸収した私のセーターはクリーニングに出さなければならないようだ。 2004年01月12日 22時38分08秒

日曜日
 今日は起きた後ずっとエントリーシートを書く。
無事に出す。

 妹の彼氏が来る。
後は家にいたりして特に何もしていない。 2004年01月11日 20時28分10秒

またも新年会
 家でレポートをやったりした後出かけ、同じ業種を志望するI藤氏と今度の月曜が提出締め切りのエントリーシートを見せ合う。

 その後図書館に行くべく学校に行くと、今日は福沢先生の誕生日とかで休み。
福沢先生に学問で裏切られるとは。
というわけで港区の図書館にいたり、喫茶店にいたりして勉強。

 その後有楽町に行き、夏休みに海外に行ったメンバーで新年会。
引率のO先生が飛ばしていた。
2次会はO先生行きつけの会員制バーに行く。
そういうところは初めて入った。
3次会もそんな感じのところ。
銀座万歳。
というわけで終電帰宅。 2004年01月11日 17時41分29秒

新年会
 今日は家でのんびりした後学校へ行き、ゼミの教授にあったりしてから授業。
大学は土曜の代替補講日なのだが、外国語学校は金曜の授業をやる。
というわけで5限があった。

 授業後、外国語学校の授業が一緒の人たちと飲む。
下は女子高生から上は元社会人まで、幅広かった(女子高生は飲んでいない。これホント)。
女子高生に人気の芸能人の話からドラマ、はたまた就職やビジネス、国際関係、公務員にまで話が及ぶ。
という感じの新年会となったのであった。 2004年01月10日 11時13分28秒

本当は休みなのに
 秋学期は木曜が休日になった。
と言うのに今日は月曜代替補講日のため、
よりによってゼミがある。

 その前にR会のP氏、W田、K藤と共にラーメンJ郎へ。
W田は初のJ郎。
1番最初に店に入ったのに一番最後に出てくるなど、苦戦していた。
さりげに私も苦戦する。
何せ私の席が一番隅の入り口からすぐ、というか入り口、みたいな席で(ラーメンJ郎三田本店に行ったことのある人ならよくわかるはず)、
座っていて猛烈に寒い。
うへぇ〜!(4うへぇ)。
そしてバッタリ去年の語学のクラ友のO西氏に会ったり。
最近はJ郎も女性客が増えたものだ。

 ゼミは何とかこなす。
だが今日の発表のさえなかったこと。
テキストの要約発表だけだったので、しかもレジュメ自体は去年のうちから出来ていたので内容も忘れていた。
別にさえる必要もないのだが。

 その後就職に関係あるガイダンスがあることをJ郎に並んでいる時にP氏に教えてもらっていたので、出る。
ゼミが若干延びたためやや遅れて着くと、席がなく前の方の講演者のすぐ近くで聞くことに。
そして席について話を聞いていると、
「それではレジュメを見てください」と言われる。
ふと気づくと、周りの人はみんなレジュメを持っているのに自分は持っていないことが判明。
うへぇ〜!!!(12うへぇ)。
1番後ろまで取りに戻るのは気まずいので取りに戻ることも出来ない。
その分ノートに書きまくって穴を埋める。
我ながらあの時間は集中していた。
「ちょっとぐらいの絶望も長い目で見りゃ極上のスパイスを味わえる(GLAY「サバイバル」)。
12うへぇもたいしたことなかった。

 その後ガイダンスに出ていたP、T中氏と共にキャンパスを後にする。 2004年01月08日 22時52分07秒

学校が始まり
 授業である。
早めに学校に行き、就職課に寄ったりする。

 その後授業。
それまで一応聞いていたが、何の前触れもなくいきなり眠る。
気づいたら授業が終わりかけていた。

 2コマとも出た後、帰宅。 2004年01月08日 08時43分12秒

ドライブ
 今日は家族で富士山までドライブ。
私はひたすら眠る。
さらに車酔い。
なかなか厳しいドライブとなった。
うへぇ〜!(3うへぇ)
と言うわけで今日は何もしていない。

 明日から学校の始まり。
授業に出るのは面倒。 2004年01月06日 20時13分27秒

正月気分は抜けず。
 今週から仕事始めというところも多いはず。
だが私はどうも正月気分が抜けず、のんびりと今日を過ごす。
その後エントリーシートのコピーをしたり、書店で本を買ったり、『あらすじで読む日本の名著』1を立ち読みしたり、
福袋を買ったりして過ごす。
帰ってきてからケーブルテレビを見ていたら実にくだらない番組がやっていて、そしてそれを見たり、
若手の貧相なアイドル系3人組が「ウルトラマンのテーマ」を熱唱するのを見てたりした。

 ケーブルテレビはくだらんと言いつつも見てしまいかねないので危険である。
その昔ウルトラマンが再放送されていて(厳密には今もやっている)、
ハヤタ(ウルトラマンに変身する人ですね)が食事中に変身しなければならなくなり、
変身する道具(正式名称不明。小刀くらいの大きさの棒状)を使おうとしたら変身できず、なぜかと思ったら間違えて食事に使っていたスプーンを使って変身しようとしていたとかそんなことに笑った。
ウルトラマンテンパリすぎである。

 そろそろレポートをやらなければまずそうだ。 2004年01月05日 18時45分43秒

寝正月の続き。
 今日は朝起きられず、うちの家族がラストサムライを朝一で見に行くとのことだったが行けなかった。
癪なので家で特別ロードショーのアメリを見ていた。

 その後またも親戚襲来。
飲んでいろいろな話をする。
酔って管を巻いているうちの親父が、実は田中邦衛に似ていることが判明する。
「北の国から」で五郎が酒を飲んでいるシーンがにわかに我が家に再現される。
お見せできないのが残念である。 2004年01月05日 00時55分41秒

寝正月
 今日は箱根駅伝とライスボウルを見る。
さらに親戚襲来。
もらうものをもらい、スポーツを見る。
駅伝は東海大学が追い上げるものの、駒沢が独走だった。
駒沢強い。
初出場の城西は二度の繰上げスタートを経験していた。
駅伝部創設による強化政策から3年、今後強いチームになることだろう。
予選会スタートで這い上がった亜細亜は見事三位になった。
亜細亜大アンカーの満面の笑顔でのゴールが印象的だった。

 ライスボウルとはアメリカンフットボールの日本一決定戦のことである。
今年は社会人代表でオンワード・スカイラークス、学生代表で立命館大学が出場。
大学日本一を決める甲子園ボウルで関東代表の法政大に50点以上の大差をつけて勝った立命館はここでも強さを発揮し、
オンワード・スカイラークスに10点以上の差をつけて勝った。
立命館はこれでライスボウル2連覇である。
強い。
明日も出かける予定はない。 2004年01月03日 21時34分25秒

竜馬がゆく
 今日は箱根駅伝を見る。
往路はどうやら復路に強い駒沢が制した様子。
2区で東洋がトップに立ったときは感動モノだった。

 その後近所の神社に初詣に行った後、ひたすらテレビ東京の新春10時間ドラマ「竜馬がゆく」を見る。
さすがに10時間も費やしている暇はないと思いつつも、さすが司馬遼太郎原作だけあって面白く、ほとんど見てしまった。
ちなみに坂本竜馬は明治になる前に殺されてしまっため、明治維新に関して功績を挙げた人で番付を作ると小結くらいの位置になる(横綱が西郷隆盛らしい)。
そのため全然有名でなかったのが、司馬遼太郎が小説で取り上げたことで坂本竜馬の名は一躍有名になった。
功績といえば薩長連合だけ、高校教科書では名前を覚える必要がないなどと言われるが、
薩摩と長州の手を握らせることがどんなに大変であったかは小説に書かれている通り。
つくづく明治を見る前に死んでしまったことが悔やまれる。
坂本竜馬は誰にでも、特に女性の人気が高い(個人的には坂本竜馬と同じような破天荒な人生を生きつつも竜馬ほど知名度が高くなく、竜馬以上に無鉄砲ともいえる人生を送った高杉晋作のほうが好きだが)。

 そして今回のドラマはキャストが良かった。
西郷隆盛を高島政宏はどうなの?と思ったが、結構いいどころかむしろ適役という感じさえ漂った(本人が西郷さんの役を適任と思ったかどうかは疑問が残るところだが)。
「武蔵」のお通役に米倉涼子を起用したどこかの局とは大違いだった。
その勢いでテレビ東京にもエントリーした。

 自分のページなので自分の書きたい通りに書いても別にいいのだということを改めて感じつつ、今回は筆を置きたいと思う。 2004年01月03日 00時34分11秒

2004年であります。
 今日は健康的に2時就寝ながら8時に起床。
その結果、実業団駅伝で中国電力がゴールした直後くらいに眠くなり、こたつで数時間睡眠。
気づいたら天皇杯サッカーも決着がついていた。
というわけで今日は家から一歩も出ず、エントリーシートを書いたりパソコンを打ったりして過ごした。

 明日は箱根駅伝がやる。
当たり前すぎてまるで気にもしていなかったのだが、箱根駅伝は実は関東の大学のみが出場する。
昨年は出られなかった大学の優秀な選手を集めて関東学連選抜というチームが組まれたのだが、なぜか惨敗だったので今年は全国学連選抜に変わった。
京都産業大学や明治大学、国学院大学といったチームから優秀な選手が出場する模様。
今年も往路は山梨学院が制するか。 2004年01月01日 23時01分43秒

今年も終わり
 今日は流石に家を出て、郵便局に行った。
すると休みだった。
足りない年賀状を文房具屋で買った後西友によると、
西友の方が年賀状の品揃えが豊富で安かった。
大いに後悔。

 年賀状は今日出しました。
届くのが遅いと思いますが、ご了承ください。
届かない人ごめんなさい。

 皆さん良いお年を。 2003年12月31日 15時53分19秒

30日
 今日は起きてから部屋を片付け、年賀状を書いたりして過ごす。
話によると今日は寒かったようだが、家から出ていないので知らない。
私は寒いのは大嫌いである。
寒ぶりや鍋料理がうまいくらいしか魅力を感じない。
家があるってすばらしい。
今日はこんな感じで終わることが予想される。 2003年12月30日 22時08分48秒

S会VSD会
 今日は私プロデュースのD会とS会の合同忘年会。
会場は三田キャンパス近くのZ六。
楽しくやる。
S会のI藤氏がはじける。
最後の方ではI藤氏を中心に謎の戦隊ノレンジャーが結成されていた(その場にいた人しかわかりません、ハイ)。
気づいたら3時間半ほどいた。

 今日の内容はその場に居合わせた人しか面白くないかもです。 2003年12月29日 23時35分44秒

更新が再開
 数日出かけていたり、パソコンが壊れたりしていたがこのたび更新再開となった。
ソニーのカスタマーセンターに電話したところ、言われた手順どおりに動かして直った。
年末ということで数日かかるかと思ったがあっけなく直り、ありがたいありがたい。

 今日は昼ごろ出かけ、人に会う。
その後帰宅。
直ったということで1日パソコンを打っていた気がする。
明日からもっと面白いことを書きます。 2003年12月29日 01時19分48秒

最後の授業、のはずだった
 私が布団がずれて寒さと戦っている朝8時頃、一本の電話が入る。
「こんな朝から誰だよ」と思いながら出ると、何とゼミの教授だった。
一気に目が覚める。
今日は休講という連絡だった。

 その後学校へ行き、R会のP氏とラーメンJへ。
完食。

 パソコンを打ったりした後、P氏と別れS木胃腸病院へ行き、インフルエンザ予防注射を打つ。
注射は痛い。
注射を打ってくれた看護婦さんに「私が初めて担当した患者さんが吉田君だったの〜」といじられる。
というわけで覚えられていた。

 その後帰宅。今日も寒かった。 2003年12月22日 22時43分59秒

トップランナー
 今日は先日応募したら何と当選したNHK「トップランナー」の番組観覧に行った。
ゲストはダイエーの和田。
小さなスタジオなので、近い。
撮影セットの中には今までの出演者のサインが書いてあったりして、テレビには絶対映らない貴重なものを見ることが出来た。
最後のバッター沖原を三振にしとめ日本一になった瞬間、
最初はファウルチップでまだ試合は終わっていないと思ったのでガッツポーズをするのが1テンポ遅れ、
思わず手を叩くというよくわからないことをしてしまったという話が出てくる(詳しくはOAをご覧あれ)
さらに司会の武田真治が「これはカットしてもらいます」と言った絶対オンエアされないであろう爆弾発言も飛び出すなど、面白い番組観覧となった。

 収録後、NHKのスタッフが番組のTシャツをくれた。
オンエアは来年1月29日深夜、NHK教育テレビ。 2003年12月21日 22時24分49秒

月曜日
 昼ごろ学校へ。
図書館で本を返した後ゼミ。
今日は半端に終わる。

 その後パソコンを打って帰ろうとしたら同じ専攻のS谷氏に会い、一緒に帰る。
Jリーグに詳しいS谷氏とJリーグの話とかをする。
しかも天皇杯の市立船橋VS横浜Fマリノスの試合でFマリノスのキーパー下川がボールをキャッチし損ねたことで同点ゴールが決まったことから、いろいろなゴールキーパーの話になる。
KスポのS谷氏も詳しいが、FC東京サポーターの私も妙に詳しい。
榎本、下川、真田、南、伊藤裕二、シジマール、ヴァンズワムといったJリーグで活躍しているORした名前が普通に出てくる。
全員の所属チームを何も見ずに言える人には大ぶたくらいはおごってあげたいところである。 2003年12月16日 01時45分50秒

寒い週末
 土曜日は学校に行ったり、R会の総会に出たりといろいろした。

 その後D会の人々や、三田学生課の方々と正装でないと入れないお店で(もちろん正装で)飲む。
学生課の方とお話をしていて地味にやられかける。
K大の学生課に就職することの条件には「酒が飲めること」が含まれている気がしてならん。
学生課の方はそこまで遅くはなかったが、我々は朝まで飲んでいた。
とはいえ私は力尽きて明け方は熟睡。

 日曜は朝帰宅し、11時に起きて新聞を読んだり、たまには真面目に予習をしてみようとするも、いつの間にか眠ってしまったりする。

 いよいよ年末にして就職活動準備やらで時間に追われている。
4年生に話を聞くと、あれはもうやりたくないという人が多い。
だがその一方で、自分についてよく考える機会になったりと、いろいろとためになったという話もよく聞く。
私も先日の説明会では生命保険会社が利益を求める株式会社ではなく、相互補助の精神に基づく相互会社であるということを社員さんに熱く語られて知った。
他にも日本経済を支える会社や、経済以外にもいろいろな会社や産業があることを知った。
というわけで私も就職活動を通じて自己を成長させることができるのではないかと楽しみにしている。 2003年12月14日 23時56分20秒

会社へ
 就職活動のため六本木へ。
エントリーした出版社の、自分達の出版物をもっとよく知ってもらいたいというフェア。
いろいろと勉強になった。

 その時専攻のU田氏がいて、昼を食しながらセミナーの話をする。
私は麻布十番から歩いて大学に行ったのだが、U田氏は麻布十番が大学から近いということを知らなかったらしく、
交通費を浮かせるためにわざわざ六本木から目黒まで行ったらしい。

 図書館にこもり、5限に出た後帰宅。 2003年12月12日 21時04分56秒

極寒の地ロシア
 今日は先週同様バレーボールの授業に出ようと思い、起きる。
すると猛烈に寒い。
一応荷物は持って家を出る。
学校到着。
すると全塾協議会役員選挙の投票所(三田キャンパスに通う人はわかるはず)に張っているS会のS藤さんに会う。
2限の時間張っている人が足りないということで、手伝う。
今日は泣きたくなりそうな寒さだった。

 数時間いた後、去る。
4限はP氏が発表の準備で出ないというので、そもそも私は履修していなかったので出なかった。
履修していないと切るのも簡単である。

 本当なら授業の時間の間、三田キャンパスの近くのS木胃腸病院へインフルエンザの予防注射に行く。
まず熱を計る。
すると37,4℃。
S藤さんにもらってお腹に貼ってあった貼るカイロのせいだと思い、剥がしてもう一度計ったところ、37,3℃。
どうやら風邪を引いたらしい。
数字を見た途端急に具合が悪くなった気がしたあたり、病は気からである。
そんなドジをやっていたので看護婦さんに笑われる。
というわけでインフルエンザの予防注射もへったくれもなく、風邪の薬をもらって病院を後にした。

 その後ゼミのS教授と会って卒論のお話。
その後Sゼミゼミ員選考があり、我々ゼミ生は面接を控える2年生の部屋に行く。
2年生は緊張している様子もなかったので私が「この面接でゼミ員半分に絞るってみんな知ってんですかねぇ」と嘘を言ったところ、2年生の表情に緊張が走る。
もちろん嘘だと言っておいた。

(以下に書かれていることはSゼミゼミ員しか面白くないです)
 面接が行われている間、院生のM谷さんのファッション改造計画が巻き起こる。
私が「セクシー系で」と言ったところ、皆賛同する。
具体的な着る物が考えられる。
自分で言い出しておきながら、セクシー系ファッションに身を包んだM谷さんの姿が私の頭から離れない(別にやらしい意味はない。Sゼミゼミ員ならわかってくれるものと信じたい)。 2003年12月11日 23時57分55秒

久々に平和な水曜日
 昨日は終電帰宅の上、急いで起きる必要もないので久しぶりに自然起床。
そうしたらここさいきん長くて6時間、短くて4時間睡眠の生活をしていたのが一気に8時間になったため、
逆に授業が眠かった。
さらに聞いているだけの普通の授業が久しぶりだったため、ノートをとる技術が衰えていることに気づく。
今日は授業の空き時間にゼミのテキストを読むなど、有意義に過ごすことが出来た。

 5限に出た後帰宅。 2003年12月10日 21時49分38秒

ゼミから今年初の忘年会へ。
 今日は合同の就職セミナーというものに二日連続で行く。
内容はここに書いても面白くないので省略。

 その後ゼミ。
切れ味鋭い発表をした昨日にくらべ、実はうつらうつらする。
 
 その後先生学部生と普段のゼミには現れない院生を交え忘年会。
F野さんが昆布焼酎(というのがあった)を頼み、出てくる。
F野さんがトイレに行っている間に、Hまさんがおでんの昆布を焼酎の中に投入する。
帰ってきて唖然とするF野さんに我々は「昆布が漬かっているみたいですよ」と嘘を言う。
まさか信じないだろうと思っていたら、実はF野さんは結構長い間信じていた。
昆布焼酎は茎わかめを液体にしたような味がした。

 他初対面の院生の方とも話が弾む。
私は教授と院生からなる野球チームに入れられることが決まる。

 その後2次会。
人類学の話をしたりと、有意義な時間を過ごす。

 さらにその後カラオケ。
大いに盛り上がる。
というわけで今年度初の忘年会は終電帰宅となった。 2003年12月10日 10時25分51秒

シューカツ&ゼミ
 今日はお台場でおこなわれる就職関係の巨大イベントに参加。
ちょくちょく知り合いに会ったりした。

 その後ゼミ。
4限の演習では予習していないところを当てられ、死んだ。
今日はオープンゼミのため2年生が結構来ていた。
ゼミでは発表。
逆説的内容だったが、先生はじめ周りを黙らせるだけの論理性を持っていたので発表は成功に終わる。
4限の不名誉を取り戻す結果になる。
その結果に満足してしまったため、その後のほかの人の発表は全く聞いていなかった。

 その後K見さんと帰る。 2003年12月08日 21時36分35秒

日曜日
 昨日スーツを着て行った就職活動合同セミナーでは「企業の方ですか?」とか言われた。

 今日は就職活動に必要なものの買い物でほぼ1日終わり。
明日はオープンゼミ。
明後日はゼミの忘年会。 2003年12月07日 17時54分36秒

地味に最悪な日
 今日は就職関係のセミナーのため、新宿へ。
同じチラシを持った、明らかにスーツを着慣れていないという感じの人に会い、話しかけたところW大法学部の人だったりして会場到着。
内容は面白くないので省略。

 昼休み学校でおこなわれるガイダンスに向かうため大江戸線に乗ろうとすると、意外と駅が遠く、さらに電車に乗りそこねて次が7分後だったりして、このままだと遅刻というペースになる。
遅刻するとガイダンスを受けられないと書いてあったので赤羽橋駅から徒歩7分(K大
発表)のところを飛ばしまくって4分で着かせ、間に合わせる。
だが遅れても普通に受けられた。
さらにいきなり全速力で走ったので器官がおかしくなり、ガイダンスの数十分間ずっとむせ続ける。

さらに学籍番号、誕生日などをマークしたあとで「それらは書かなくていいです」と書いてあるのを発見。

さらに
1、当てはまる(適性検査だった)
2、どちらともいえない
3、当てはまらない
だったのをずっと
1、当てはまる
2、当てはまらない
3、どちらともいえない
だと思ってマークしており、それらを消す作業が必要になる。

さらにその際答案用紙が破れる。

さらに「まだ用紙を出していない人早めにお願いします」と急かされる。
「破れちゃったんですけど大丈夫ですか」と聞いたところ、「何とかしておきますよ」と言われ一安心。

 その後P、T中氏と昼を食し、別れた後図書館で眠る。
授業は英語ディベートだったが、準備が昨日の1時半〜2時の30分しかやっていなかったため、準備不足を叩かれる。

 終わった後授業で一緒のE香さんと帰っていて私の姉、妹の兄弟の話になり「そんな小姑の多い家には嫁に行きたくない」とか言われる。 2003年12月05日 22時24分31秒

ハラミ会
 タイトルを見て「何だこりゃ!?」と思うのが普通だと思うが、この言葉の説明は後述。

 今日はゼミ説明会。
去年は各ゼミ男女1人ずつが説明に来ていたので、今年もそうだと思っていたら他のゼミは4人とかもっと多くで来た。
そこでもともと説明会に出向く予定の私とT水氏、M尾氏に加え、
偶然説明会場の近くの教室から出てきたM辺氏を拉致。
さらにT水氏に用だったらしきO氏も来たので出てもらう。
総勢5人という過激なゼミ説明となった。
自称悪人顔のM辺氏と就活を控えても未だに茶髪(確認したところ、説明に来ていた他のゼミ員も男で茶髪は私だけだった)の私と華やかな3女3人という、
3女が引き立つ説明会となった。

 その後授業は休講だったりしたので、M辺氏とずっとだべる。

 5限ではイタリア系アメリカ人の先生が「先日○ビキラーを使ったところ、プールのような匂いが充満してむせたがタイルの間のカビもきれいに取れていて感動し、写真を撮った」とかそんなことを言っていた。

 授業後、一緒の授業のE香さんと帰っていると、S会のN川さんから電話。
「これから渋谷で焼肉」ということで、行くことに。

 渋谷でH田さん、Y本×2、M間、M下、K野らと合流。
焼肉食べ放題。
さてタイトルの由来について説明すると、その昔焼肉食べ放題に行ったとき、N川さんがハラミを注文しまくったことから来ているらしい(その場に私はいなかった)。
で、N川さんはまたもハラミを頼みまくっていた。

 2時間肉を食べまくったあと、何とカラオケ。
しかも2時間。
ハラミでパワー全開のN川さんはカラオケでも熱唱していた。 2003年12月04日 02時33分57秒

大観衆の前での発表
 自然起床した結果またも2限は無理だった。というか出る気がない。

 学校へ。駅でゼミ以外では数ヶ月ぶりにA見氏に会う。
また「これから食い放題に行く」というP氏にもバッタリ会う。

 ゼミ。
今日はオープンゼミということで、何人か来ているだろうと思っていたら何と20人くらい来た。
そして今日は私の発表。
やや緊張したが、それなりに済む。
入退出自由だったため、私の発表が始まる前は結構人がいたのが、
発表の途中で鐘が鳴ったこともあってか、
終わった頃はだいぶ人が減っていた。
う〜む。

 今日は先生が会議ということで、食事とかはなしで帰宅。 2003年12月02日 21時49分23秒

雨のち雨のち雨(最近の私のお気に入りのGO!GO!7188の曲より)
 一度家を出て、早めに着いて今日の演習の予習を済ませる予定だった。
だが電車に乗って少しすると、演習のテキストを家に忘れたことに気づき引き返す。
というわけで全然早くに着くことは出来ないのであった。

 ゼミ。
今日も卒論発表を聞いているだけ。
らくらく。
ゼミのあとゼミ員と帰宅。

 その後明日のゼミの発表のレジュメを作ったりして今日は過ぎた。 2003年12月02日 00時09分04秒

寒いのか暑いのかわからない日曜日
 今日はY村氏と野球体育博物館へ。
Y村氏は「着る物がない」といって学ランで現れた。

 野球体育博物館では今日まで「早慶戦100周年記念 東京六大学野球展」をやっていた。
この前連敗を21で止め、その昔は70連敗もしたことがあるT大が一高だった時代、実は外国人チームを26対3とかで破ったという展示を見たりする。
軟式野球の大会では延長45回を記録したとか物凄いものもあった。
35回表に1点入ったので試合終了かと思いきやその裏同点に追いつき、結果として45回までいったようだ。

その昔Jリーグでは、チャンピオンシップなど大きな大会では延長になってもVゴール制を採用していなかった。
すると不思議なことに、延長戦でどちらかのチームが点を取ると試合が終わるまでにもう一方のチームも追いつくということが良くあった。
それと同じである。

 博物館には実況パワフルプロ野球が置いてあり、ホームラン競争モードというものがあった。
Y村氏とホームランの数を競う。
ある程度やるとコツがつかめてきたので、私は特大ホームランを連発してY村氏をやっつけるのであった。 2003年11月30日 20時32分42秒

土曜日
 今日はうちの祖父の弟子達の発表会。
説明すると、うちの祖父は邦楽という日本古来の伝統音楽をやっており(常磐津というやつですね)、弟子に稽古をつけている。
その弟子達の発表会があったというわけである。
ピアノの発表会と似た感じですね。
というわけで孫の私や母親は手伝い。

 一日は長かった。
その後帰宅。
明日はY村氏と野球体育博物館に行く可能性が高まっている。 2003年11月29日 22時26分48秒

寒い金曜日
 二日間の学校行かない生活を終え、今日は学校へ。
Y村氏と山食で昼を食す。
その後Y村氏と共に卒業準備委員会のお手伝い。
封筒に必要書類を延々と詰める。
ついでに一緒に作業していたS会の2女のN坂をいじる。
そんなこんなで作業は順調に進む。

 その後授業。
今日の授業も眠かった。
急行乗ったら寝過ごして隣の駅で目覚めたりして帰宅。 2003年11月28日 21時18分53秒

慶早戦100周年記念試合
 今年は慶早戦100周年ということで、記念試合が行われる。
ということで、睡眠時間数時間でありながら神宮球場へ。
H郷さんとMもとさんと体育会副理事のI先生がいる。
試合は西武長田、ダイエー和田の先発で始まり、巨人仁志、高橋由伸らも出場。
プロをこれだけ引っ張ってくるあたり、さすが成立してまだ70年たっていないプロ野球より100年の大学野球だと思う。
そして巨人を応援しない私は初めて高橋由伸を応援。
試合は本来ファーストのはずなのになぜかセンターを守っているH川がエラーをかましたあと長田が暴投して点を取られたりした。
だが社会人でプレーする選手がW大OBで元メッツの小宮山からホームランを放つなどし、結構盛り上がる。
守備の名手仁志はさすがプロ!というプレーを見せたが、同じプロの三木はエラーに暴投とろくなところがなかった。

 試合は後半現役が中心となって試合が進んだ。
S鍋がピンチを踏ん張り、3−2で全K大が全W大を下した。
最後の方はお互い結構真剣だった。

 さらに面白かったのが、現役部員はもちろんのこと私が1年や2年だった時幹部だったO部の部員や、さらには何年前だってくらい昔のO部らしき人々がリーダー板に立っていたことである。
観客席では「これは昭和30年代にK大観客席で歌われていた応援歌である!」という戦前〜昭和30年代のにおいがする曲が流されたりと、だいぶ普段と違う感じがした。

 その後飲んだが、最近疲れのたまっていた私は2次会はほとんど眠っていた。 2003年11月27日 18時35分53秒

最近やや寒い
 今日はH川さんの講演会のビラ配りを教室で行うということで、K見さんと共に2限の史学系必修の授業へ潜入。
だが休講らしく、誰も人がいなかった。
我々が朝から学校に来た意味は何もなかった。

 その後昼休みに大学の外でビラを配る。
結構捌ける。
ビラ配りをするのは実に一年ぶりくらいだった。

 最近忙しいため、よく考えると先週の火曜日にゼミに出て以来水曜は5限だけ、木曜はなし、金曜は出ない、月曜は演習&ゼミ、火曜もゼミだけとだいぶ授業に出ていないことに気づく。
よろしくない。
そして明日から一週間ほどこのページは更新しない。 2003年11月18日 23時15分42秒

晴れの月曜日
 今日はゼミの先輩のH川さんの主宰する講演会のビラ配りのため久しぶりに午前中に学校へ。
授業で配る予定だったが、授業は小さい規模なのでたいして配れなかった。
そこで戦術を変更し、知り合いに会うたびに「もしよければゼミやサークルで配って」とビラを渡しまくる。
その結果結構捌けた。

 ゼミはH瀬さんとK見さんの卒論発表で終わる。
楽。
その後学校には遅くまでいて、飲んで帰った。
なかなか荒れていた。
酔ったM北さんがT’z氏に跳び蹴りを食らわせたところ、
T’z氏は吹っ飛ぶ。
吹っ飛んで倒れているT’z氏にM北さんはさらにスライディング。
T’z氏の股間を直撃。
悶え苦しむT’z氏。
そのまま彼はフラフラと家に帰っていった。 2003年11月18日 01時15分40秒

何もしない日
今日は何もしなかった。
ボケーっとしてた。
演習の予習も最低限しかしてないし。
明日ゼミがあるのだが先週勉強した分をまだ使っていないのでそれで行く予定。 2003年11月17日 00時04分52秒

秋は木曜日授業なし
 だが学校へ。
9時頃学校を出る。

 その後飲む。
久々に終電で帰った。
うちの駅は電車の車庫があるので終電でも確実に家に帰れる。
いつも思うのだが、終電がうちの駅に着いた後、結構な人数が降りている。
うちの駅は大して発展しているわけでもなくタクシーが捕まりやすいわけでもないのだが、彼らは下りた後一体どこに行くのだろう。
謎である。
駅付近で夜も営業している店がほとんどないので、時間をつぶせる場所はラーメン屋くらい。
終電を逃した後ということでいえば品川駅並みに使いにくい。
井の頭線ユーザーはくれぐれも終電をなくさないように注意しましょう。 2003年11月14日 01時26分14秒

晴れの水曜日
 ボーダフォン移行に伴い携帯アドレスが若干変わった。
一年間は旧アドレスでも受信できるということなのでメールが来る分には問題ないし、
送る方もそこまで変わるわけではないのでメールが来た時に若干代えてくれればいいかと思っていたところ、
母親に「良識ある人はみんなメールくれてるわよ」と言われ、行きの電車はメールアドレス変更メールを送ることに忙殺された。

 今日は諸事情により3限のゼミの教授の授業に出られず、授業中にキャンパスを歩いているとゼミの院生のN村さんに見つかった。
N村さんは心の広い方で、また私がなぜ授業に出られないのかをよくご存知なので「今の時期は仕方ないでしょう。頑張ってね」と暖かい励ましの言葉を頂く。 2003年11月13日 01時12分56秒

ゼミ
 日曜に火曜のゼミの準備をしていたら月曜のゼミの準備がまるで終わっておらず、昨日の12時から4時くらいまでボンヤリとやり、残りは朝8時に起きてギリギリまでやろうということにして寝たところ、起きたのは12時だった。
というわけでだいぶ苦しい状況でゼミに臨む。
だが奇跡的に結構ちゃんとやった部分が当てられ、次に当てられたところは時間の関係で来週になった。
ありがたい。
さらに我々の意見陳述は4年生の卒論発表が質疑応答など延々と続いたおかげでなかった。
火曜のゼミの代表のK野氏に聞いてみたところ、K野氏も来週発表で、先週のHまさんの発表が終わっていないことからしても私に発表の順番は回ってこないのではないかと言われる。
だが油断はならんということでただ今レジュメ作成中。 2003年11月11日 04時00分11秒

今日からまた寒い
 前日2時に寝て4時に起きたくらいなので、さらに今までゼミのレジュメ作ってたりで慢性的に睡眠不足だったので昨日はかえるや否や寝た。
5時頃一度目が冷め、パソコン打って風呂に入ったらまた眠り、起きた頃には昼を過ぎていた。
今日は一日家にいてゼミのレジュメ作り。
ちゃんとやっていれば終わっているはずなのだが、遊んでばかりいたため全然終わっていない。
ワンピースを見ながらのんびり作る。
実は明日の演習の予習も終わっていないので今日はまたも眠れるのだろうか。 2003年11月09日 22時40分51秒

踊る大捜査線
の青島のような日を送る。
というのも金曜は朝方2時頃までゼミのレジュメを作り、気づいたら布団の上で2時間ほど仮眠をとっていて、またその後レジュメ作りの続き。
踊る大捜査線The Movie(1の方ね)の青島のごとく、刺されても眠れるのではないかというくらい眠い日であった。

 学校に行く用があり、一日学校で過ごす。
D会で飲む。
とはいえもはや身体が酒を受け付けず、腹は痛くなるしで飲んでいる人を見てた。

 帰るなり眠った結果半端な時間に起きた。 2003年11月09日 05時26分37秒

平和な金曜日
 昼休みの就職ガイダンスに出るため昼休むが始まる頃に学校へ。
駅で私が1年の時のクラ友にしてT’z氏のゼミ員で、同じガイダンスに出るI田氏に会う。

 ガイダンス後、しばらくして授業。
英語ディベート。
今日は聞いていてたまに意見を述べたり質問をするだけ。

 授業後、同じ授業のMさんとTさんと飲む。
焼酎のお湯割り梅干入りというものを始めて飲む。
なかなかいける。
4時間ほど飲んでいたが、今日は大半がMさんのおごりであった。
社会人と飲むと一部おごり程度だが、定年退職の人と飲むと全額おごり。
ありがたい。
ごちそうさまです。
就職やら歴史やら4時間ほどいろいろな話をする。

 先ほど帰宅。 2003年11月08日 00時31分05秒

暖かい11月
 ゼミのレジュメ作りの結果5時に睡眠。
起きて学校へ。
今日は授業なし。
4限の時間Y村氏と山食。
その後図書館でY村氏の発表の資料を探す。
一階から地下一階まで動く。
いろいろ文献を見つける。

 その後帰宅。
今日もこれから夜が長い。 2003年11月06日 20時57分22秒

休みじゃなかったの?
 月火のゼミが終わると後は一日に1か2コマ聞いているだけの授業なのでタイトルの通り、水曜は週末気分である。
3限の時間は早めに教室に行って後ろの席を取り、発表の準備。
だが眠っていた。
5限は用事があったりして遅れていったところ、アメリカ人の先生がBuongiorno!(イタリア語)とか言ってきたのでイタリア語で返す。

 授業後は全塾ゼミナール主宰の業界講演会に出る。
AこことK林氏もいた。
今日はいつの間にか雨が降り出していた。
バレーボール日本−イタリアを見ていたら発表の準備を開始するのが大いに遅れたのだった。

 イタリア人のジローラモ・パンツェッタ氏によると、イタリアはバレーボールは強いがあまりメジャーなスポーツではないらしい。
やはりメジャーなのはサッカーだとか。
だが前回の世界王者である。
日本に当てはめると、そこまで一般的でない女子レスリングは世界に敵なしという状態(そうなのである)に近い。 2003年11月06日 03時45分06秒

誕生会
 ゼミなど授業をこなす。
3限のテストは乗り切れたものと信じたい。

 授業後、日吉へ行って日ごろお世話になっている体育のI先生の誕生会に出席。
6時スタートだったので私が着いた頃は既に始まっていた。
飲む。
三田の近くで買った先生のプレゼントにと用意した日本酒を渡す。
その後も飲み、楽しい時間を過ごした。
T島が急いで飲みすぎて器官にビールをいれ、むせて地面に吐き出していたのに笑った。
K元さんが私が着いた頃にはすっかり出来上がっていて、締めで先生のお言葉がある最中に袋を持ちつつT島に運びこまれてきた。
先生のお言葉があって一度締められ、私はゼミの準備があるのでそこで引き上げた。
地味に結構多くの人が死体と化していた。
残った人々は今も日吉で飲んでいることであろう。 2003年11月04日 23時31分43秒

学園祭のシーズン
11月1,2,3は学園祭が最も行われる日(だった気がする)。
なのに最終日という最も盛り上がる日は雨となった。
私はどこか行ってみようかと思ったがゼミの発表の準備を何もしていないことを思い出し、区の図書館にこもる。
だが寝てばかりであった。

 東京六大学野球ベストナインは9人中7人がW大の選手であった。
来年はほとんどが卒業しているということに期待をつなぎたい。
K大はクリーンアップが全員4年になる。
あとは投手陣と、そして何より監督でしょうな。 2003年11月03日 17時42分58秒

クラブ対抗
 N垣を無事に渋谷まで送り届けてから町田へ向かい、町田市立野津田競技場へ。
今日はR同の参加するクラブ対抗陸上競技大会。
とはいえ私は出ない。
見てただけ。
しかしみんな頑張っていた。
私もゼミの発表とか頑張らないとと思う。
大会が終わった頃はもう暗くなっていた。
もうそういう季節である。

 その後町田で飲む。
普通に飲む。
H本氏に攻撃される。
しのぐ。
K松が攻撃してくる。
睨みつけると、奴はひるむ。
逆に攻撃し返してやったら苦しんでいた。 2003年11月03日 11時44分31秒

長い土曜日
 学校へ。
D会の仕事。

 終わってからD会S局の面子でM好さんの家に行き、鍋。
テキーラという危険物質が持ち込まれたことで当初予定は一変した。
平和に終わると思っていたが倒れる者続出。
M好さん邸は大パニック。
私はN垣を連れてM好さんの弟さんの車で我が家まで送ってもらい、先ほど家に着いた。
N垣は我が家のトイレにこもっている。
いつ出てくるのだろう。 2003年11月02日 00時40分40秒

金曜日
 最近疲れがたまっているらしく、あまり動きがさえない。
このページもさえない。
授業も眠ってしまうのでさえない。
今日は一日仕事。
面白いことは何もなかった。
バッタリ会ったN澤に金を渡して栄養剤を買わせ、今日から神宮に乗り込むS会に差し入れをしたくらい。 2003年10月31日 23時57分55秒

暑いのか寒いのか
 久しぶりに4限に出る。
とはいえ猛烈に眠る。
授業が始まった頃は陸奥宗光の話をしていたのに、起きた頃は伊藤博文の話に変わっていた。

 その後業界講演会、講談社に出る。
いろいろと業界について知る。
講演会に出ていたスーさんことP氏と帰る。 2003年10月30日 21時58分39秒

週末
 月と火のゼミが終わると、後は一日に一つか二つの、ほとんど聞いているだけの授業になるので水曜は週末気分である。
というわけでのんびり3限を受けた。
また眠る結果ではあったが。

 5限は諸事情により出損ねた。 2003年10月30日 09時32分57秒

雨だ
 阪神と日本代表の敗北から一夜明け、授業へ。
ゼミ。
Y樫氏の発表のみで終わった。

 その後D連という中華料理店で先生を交え食事。
オフィス街の三田は5限終了直後くらいの時間は飲食店が空いている。
私達は2階の席に通されたが、最初は他に誰もお客さんがおらず静かなものであった。
さらに中国人の店長さんらしきおじさんがからんでくる。
左手で箸を使うH田氏に「左利きは頭いいといわれる。でも短命らしい」と言って笑いをとる。
他にも私の第2外国語がイタリア語という話をどこかで聞いていたらしく「謝謝はイタリア語で何て言うの?」とか絡んできた。
grazieだと教える。
その後もE藤さんに「まだまだ若いんだから大きくなるよ」とか言ったり、
その昔「客に鍼をサービスする中華料理店」としてテレビで紹介されたという話をしたところ(この店の4階には鍼灸院があり、本当にやっている)、「あれは嘘。テレビはすぐ面白がる。お客さん一人一人に鍼なんてやってられないよ」ともっともなことを言われる。
サラリーマンの残業が終わって混んでくると、流石に忙しくなったのかおじさんはその後あまり絡んでこなくなるのであった。 2003年10月28日 23時00分54秒

月曜日
 のんびり起床しゼミの準備。
インターン関係で企業の方とお話をしたりしてゼミ。
今回は共同発表だったが、一緒に発表するゼミ員のY氏作成のレジュメにおいて私の名前が信になっていた。
それは金丸の方である。
だが発表の方はつつがなく終わる。
その後のディスカッションもスムーズに行く。

 帰ってラグビーワールドカップ日本対アメリカを見る。
一時は二度ほど一点差に迫るも、またも力及ばず日本は敗れるのであった。
アメリカはフランスやフィジーに較べると力はあってもスキルが劣る感がしたので勝って欲しいところであったが、残念であった。
力の関東学院をパス回しで翻弄した大学ラグビー日本一決定戦の早稲田のようにはいかなかった。 2003年10月28日 00時05分38秒

久しぶりに更新
 ここ最近時間がなかったり記憶がなかったりで更新が滞っていた。
金曜日、学校へ行くと文学部のゼミナール委員会で講演が行われるため、そのビラを配るゼミナール委員でゼミ員のH田氏に会う。
「おはよう」と声をかけるも、「講演会のお知らせです」と普通に一般人と思われる。
だいぶ凹む。
講演は授業とかの関係で休み時間のほんの少しの時間しか聞くことが出来なかった。

 土曜日は塾長杯フットサル大会があり、その手伝い。
7月についで試合の実況をする。
大会は盛り上がる。
今日は行くまいと思っていたが終わった後の飲みに付き合った結果、夜遅く帰宅。
最近全く勉強できていなかったので今日のTOEICは申し込んでいたが受けなかった。
何の勉強もしないでいい点が取れるほどTOEICは甘くない。
 
 金曜に飲んだ結果帰りのどこかに忘れてきたかばんの紛失届けを警察に出しに行く。
派出所に行くと、誰もいない。
置いてある電話で警察署に連絡を取るも、対応が悪い。
警察に行くたびに警察は頼りにならないと思う。
警察署で届けを書いてから帰り、図書館に行ったりしてゼミの勉強をする。 2003年10月26日 20時34分44秒

ドライブ
 今日は仕事の関係でN垣と茨城の方までドライブ。
私は行きはナビをやる。
前回ナビをやったときは車に酔い、道は間違えると最悪だったが今回はまともなナビになる。
帰りは運転してくださいと言われ、半年ぶりに免許とって3回目のドライブをする。
一度対向車線のトラック野郎が車線をはみ出してきて、それをよけたところガードレールに激突しそうになるというアクシデントを経験するも、無事に帰ってくることが出来たのであった。 2003年10月23日 22時55分33秒

国内時差ボケ
それまで平均睡眠時間数時間だったのがゼミの発表を終えた結果、久しぶりにゆっくり寝て自然起床。
その結果時差ボケに近い感覚に陥る。
というわけで3限熟睡。
5限は出る。
来週月曜にはもう一つ発表があるのでそれの準備をせねばならぬ。 2003年10月23日 00時42分35秒

昨日から今日にかけて
見方によっては小説のタイトルになりそうな気がしないでもない。

 昨日は日本史のゼミ関係で朝から学校へ。
韓国の女子大の学生がK大を見学に来るということで、我々はそれに付き合うよう言われていた。
近世日朝関係史が専門のうちの先生と交流がある韓国の先生の教え子というつながりである。
朝6時半にゼミ(社学のほうね)のレジュメを仕上げた私は8時半に起床して学校へ。
M辺氏や、ゼミの4年生もいる。
K見さんは韓国に行ったときに買ったという韓国国旗を持ってきた。
案内が終わった後、なぜか我々は自己紹介させられる。
私は「ゼミの準備のためここ数日平均睡眠2時間です」とか言ってみるも韓国人にはイマイチ受けなかった。
英語でコミュニケーションをとろうとするも、私が話しかけた女子大生は英語が通じなかった。
韓国語履修者のK見さんは大活躍であった。

 その後3限を熟睡、4限の時間では喫茶店Pで作ったはいいものの人数分コピーしていなかったレジュメを刷ってホチキスで止める作業。
5限で発表。
無事に終わる。

 終わってからゼミの3年生と飲む。
ちなみにそちらのゼミは私以外全員女性なのだが、そしてパスタ屋がいいという私の意見は退けられなぜか串揚げ屋というサラリーマンな選択をする。
そこはそこで私が読んでいる雑誌『散歩の達人』で紹介されるほどなので美味しかった。 2003年10月23日 00時33分20秒

週の始まり
 昨日はレジュメを作らないとと思いつつ、気づいたら布団の上で朝を迎えていた。
その結果今日のゼミ(今作っているレジュメが関係ないほう)の準備が終わっておらず、大急ぎで課題のテキストを読んで臨む。
私はいつも早めにレジュメとか終わらせるので、直前でドタバタするのは久しぶりである。
だが所詮付け焼刃であった。
教授に小手先の理論は通用しない。
またゼミの混乱を招く。

 その後ゼミの4年生と帰る。 2003年10月20日 21時38分00秒

連合三田会
 今日は連合三田会という、日吉キャンパスを貸し切ってのK大の卒業生のお祭りが行われ、我々はその手伝いのバイト。
作業自体はたいしたことはしない。
福引という企画が行われ、我々はそこに配置される。
しばらく経つとO部の元幹部のY中さん、S会元幹部のI橋さんが現れ、ビールを渡される。
OBからの差し入れを断ってはいけないのでバイト中ではあるが飲む。

 バイト自体はつつがなく終了し、その後ひようらで飲む。
T屋という日本語のあまり通じない店員が働いている店。
コール禁止と書いてあるにもかかわらずコールがかかる。
その時連合三田会で久しぶりに集まったと思われる年配の方々もいた。
コールがうるさくなってきたので日本語の不自由な店員が「静かにしてください。年配の人間もいるんですよ!」と注意してくる。
年配の人間という日本語は明らかにおかしい。
さらに突き詰めて言うと、年配の人間がいることと静かにすることとの間に因果関係は成立しない。
そんなことは良いとして、飲む。
OBも続々参上する。
ただ飲む。
しまいには違う席で飲んでいた年配の方々と一緒に若き血を歌う。
このあとゼミの資料作りの続きがあって徹夜だとかそんなことを考えたり、また別にどうでもよくない?と思ったりしながら時間は過ぎる。
次々に倒れる。
店を出たとき数名が瀕死。
ゼミのレジュメ作りの続きをしなければならないのでそのような人々の処理は残る人に任せて帰宅。 2003年10月19日 23時28分53秒

受難の土曜日
明日が忙しいため、今日一日で全て終わらせないと明るい未来は来ないはずなのだが、
昼はJリーグ、夜は日本シリーズ、さらにラグビーワールドカップまでやったので遅々として進まないのであった。
さらにFC東京は引き分け、阪神はサヨナラ負け、日本も一時は一点差まで詰め寄ったが敗北だった。
これから調べた内容をレジュメにしてみる。
夜は今日も長いに違いない。 2003年10月19日 02時00分47秒

忙しい
 昨日は朝5時くらいまでゼミのテキスト購読&昨日の英語ディスカッションの準備に追われた。

 でもって英語ディスカッションであるが、なぜそんなに準備に追われたのかには事情がある。
1チーム5人で、4人が発表するネタを考えてきて1人がチームリーダーとしてそれらの要約を紹介、その後他4人が実際に自分の意見を述べ、それを元にみなでディスカッションというのがこの授業の流れである。
だが5人のうち2人がクラスのレベルを変更、1人が用事があって休みということで、
5人チームなのに2人しかいないということになったのだった。
その結果私が3人分の意見を考えるということになった。
補足すると、この授業では1つの大きなテーマに加え4つのサブトピックを考える。
環境問題というテーマならある人はゴミの問題から、別の人は経済発展の視点から意見を言うという形である(もちろん英語で)。
今回のテーマは消費税で、経済学部でもないのに頑張って3つの意見を考えるのは苦労した。
だが何とかディスカッションは成り立ち、安堵する。

 授業終了後、D会の面子と飲む。
N原氏の「吐けば治る」を聞き間違え「ハゲは治る?!」と聞き返したところ、N原氏のひんしゅくを買う。 2003年10月18日 11時33分51秒

忙しい
 昨日は朝5時くらいまでゼミのテキスト購読&昨日の英語ディスカッションの準備に追われた。

 でもって英語ディスカッションであるが、なぜそんなに準備に追われたのかには事情がある。
1チーム5人で、4人が発表するネタを考えてきて1人がチームリーダーとしてそれらの要約を紹介、その後他4人が実際に自分の意見を述べ、それを元にみなでディスカッションというのがこの授業の流れである。
だが5人のうち2人がクラスのレベルを変更、1人が用事があって休みということで、
5人チームなのに2人しかいないということになったのだった。
その結果私が3人分の意見を考えるということになった。
補足すると、この授業では1つの大きなテーマに加え4つのサブトピックを考える。
環境問題というテーマならある人はゴミの問題から、別の人は経済発展の視点から意見を言うという形である(もちろん英語で)。
経済学部でもないのに頑張って3つの意見を考えるのは苦労した。
だが何とかディスカッションは成り立ち、安堵する。

 授業終了後、D会の面子と飲む。
N原氏の「吐けば治る」を聞き間違え「ハゲは治る?!」と聞き返したところ、N原氏のひんしゅくを買う。 2003年10月18日 11時32分53秒

疲れた。
朝方3時くらいまでゼミの課題をこなし、4時くらいまで別のことをしていたら2限の体育は無理であった。
というか4限の授業も一部熟睡であった。
あくびばかりしていたので教授に睨まれた。

 ゼミの課題に取り組まなければならないので今日はこの辺で。 2003年10月16日 20時57分52秒

水曜日であります。
(タイトルセンス無いな)
 3限から入る。
今日は眠らなかった。よくやった俺!

 5限は英会話。
相変わらず先生は飛ばしていた。
今日の小噺は「クリスマスの近くなった日、私は授業で生徒と忍者について話していて、そこで黒板に手裏剣の絵を描いたところ、
それを見た私のボスが『クリスマスを彩る星の絵を描いたんですね』と誤解していた」とそんな内容だった。

 火曜までに300ページ近い本を読んで内容をレジュメにせねばならない。
ちょっと読んでみたが、大変難しい。
まだ50ページも読んでいない。
おまけに月曜は演習&もう一つのゼミのディスカッション。
なぜか忙しい。 2003年10月16日 00時47分04秒

結局2限は出なかった。
 というわけで3限から。
結局寝たことに変わりは無いのだが。
5限はゼミ。
来週は発表。
来週までに280ページ近い本を読んでレジュメをきらなければならない。

 その後学校内にて処々作業。
その後K本さん、K村×2、K保山、K各氏(Kばっかりだな)と蒲田の肉を食わせる店でしゃぶしゃぶを食す。

 終わって帰宅。 2003年10月15日 10時47分10秒

3連休の最後
 昨日は家にいたら台風かと思わせる豪雨になり、びっくりした。

 9月に海外に行った面子で集まる。
学生課のK田さんとO先生も参加。
ロシア料理店に行く。
やはり微妙に現地のものとは異なる。
ボルシチもビーフストロガノフも日本人向けにすると全部シチューとそんなにかわらない。
旅行で撮った写真を見せ合ったりして談笑。

 二次会へ。
盛り上がる。
I上が席を代わった際、彼が彼の目の前にある飲み物を持ってこなかったことに対しO先生が「わざわざストローを代えてもらってるんだから(諸事情により代えて貰っていた)ちゃんと飲まなきゃダメじゃないか」とダメ出し。
I上は動揺し、一気に飲む。
別に一気に飲まなくても、、、、、、とか思うがその辺は突っ込まない。

 11時少しに解散。
久しぶりに12時以降の電車に乗って帰ったが。月曜夜は空いていて座ることさえ出来たのであった。 2003年10月14日 09時44分27秒

忙しい日曜日
 今日はゼミの先輩のK見さんの引退試合を見にW大へ。
バドミントン早慶戦。
K見さんのもう一つのゼミの同期にして私の社学のゼミの先輩のHまさんとI楯さんもくる。
K見さんは最初ダブルスで登場。
強力なショットを連発するも、W大の選手は強かった。
善戦するも敗れる。
W大強い。
そのあとのシングルスも見たいところであったが、
海外に一緒に行ったW田氏の演奏会を見に行く約束をしていたので断腸の思いでW大をあとにする。
ダッシュと電車乗り継ぎで、40分かかるところを30分にして到着。
すると「R正大学の〜クラブの〜」とかいうアナウンスが。
聴いてみたが、段々事態が飲み込めてくる。
ホールを出てみるとW田氏がいる。
話しかけ、確認すると、やはり終わった後だった。
どっと疲れが出る。

 その後東京駅の東京駅ステーションギャラリーで「浮世絵とアバンギャルド展」を見て帰宅。 2003年10月12日 21時48分49秒

ミッシェル・ガン・エレファント
 今夜は豪華二本立て!(単に昨日の更新を忘れただけだが)。

 昨日はK崎、H野、I井と共にミッシェル・ガン・エレファントの解散ライブの整理、搬出のバイト。
私はミッシェルの相当なファンだが、というかファンなので本当なら客席にいたいところだったが諸事情によりバイトになった。
仕事は当初ステージ最前列で観客の上を通ってやってくる観客(ダイブという)を引き摺り下ろして後ろの席に戻す役の予定だった。
だが予想外のアクシデントによりAブロック(高い席)に紛れ込もうとするBブロック(安い席)の観客を抑える役に代えられる。

 ライブ開始。いきなりBブロックの沢山の人が人の上を通ってやってくる。
そいつらが物凄い数になり、大挙してAブロックを目指して押し寄せてきたのでフェンス付近で身体を張って止める。
そいつらは曲の合間に帰っていったので良かったが、その後も強行突破しようとするものを身体を張って止めたり、チケットをチェックしたりしていた。
人の上を通った後に落ちたのか、けが人続出。
警備員に運ばれるもの、脱水症状で倒れる者続出。
私のところにも「のどが渇いて死にそうなんです。水をください」とまるで空襲の被害を受けた人のような人がやってくる。
大半は救護室(外に用意してある)に運ぶが、「お金がなくて水が買えないんです。助けてください」と言ってきた人にはポケットマネーを300円ほど渡した。

 ライブの方はいきなり往年のヒットを連発するなど、非常に良いものであった。
アンコールでデビューシングル「世界の終わり」あたりを流したのには鳥肌が立った。
ライブも終わりに近づいた頃、前を見ると一人人が倒れている。
どうやら捻挫か骨折のようだが、「最後まで見たい」と言って彼はフェンスに寄りかかって最後までいた。
終わると、彼を運ぶ。
数年前実際にミッシェルのライブにいた私としては彼の気持ちはよくわかるので、「いや〜やっぱり最後までいたいですよね。僕も本当なら客としていたいですもん」とかそんな会話をし、彼と観客警備員の枠を超えたミッシェルファンとしてのつながりが出来る。

 バイトなのでライブ終了の余韻に浸る暇もなく片付け。
ミッシェルはジャニーズのようにライブ設備に凝っていないので結構楽。
かと思わせて観客を抑える用の鉄のバリケードを運ぶ作業が厳しかった。
雨の降っている外で物を片付けていると、クハラカズユキ(Dr.)がいるのを発見する。
バイトも悪くないと思う。

 11時少しに解放され、H野とI井は終電の関係から先に帰っていたのでK崎と帰った。
疲れるバイトだったが、ミッシェルの解散の場に居合わせることが出来たので大満足であった。 2003年10月12日 21時41分58秒

高校の集まり
 今日は高校の部の集まりがあった。
結構な人数が集まり、渋谷で飲む。
私は部長でも副部長でもマネージャーでもなかったのになぜか幹事である。
M垣が中ジョッキを片手に「ビールも飲めない男はダメですね」と言う。
巨峰グレープフルーツサワーを飲んでいた私が2杯目をビールに変えたのは言うまでも無い。
そしてそのドサクサにまぎれてH口とW辺の飲み物もビールにしてしまう。
二人は「ビールは苦手ですよ」とか言いながらも隣にM垣がいるだけに頑張って飲んでいた。

 その後カラオケ。
K堀が相変わらずの殺人ボイスを披露する。
終わりに近づく頃に部活で遅れていたT橋合流。
ボーリングへ行く。
私は最後でスペアが出て、K堀のスコアに僅差に迫ったが最後で力んだのかK堀にスコアで敗れたのであった。 2003年10月11日 01時26分05秒

休み
 今日は体育の先生にバレーボールの授業に人が足りないので来てくれと言われていたので出る。
行ったところ、すでにいた人は3人。
履修者ゼロ。
そのあと履修しているY内が来たので良かったが、
先生曰く「履修者名簿に名前が無い」とのことで履修しているのかしていないのか極めて疑わしい結果になった。
本人は履修していると思っているのだが先生は知らないらしい。
その後若干増え、3対3のバレーボールをやった。
バレーボールは本来6人チームなのでなかなか厳しかった。
授業中、いきなりカラスがバレーコート(屋外)に突っ込んできてあわや先生を直撃するところだった。
すぐ近くにある文学部心理学専攻動物心理学実験室で飼っているカラスが逃げ込んできたのだった。

 4限はまたもなかったのでP氏とラーメンJ郎へ。
昼は食していたがまぁ食えた。
久々のJ郎。

 その後N垣と帰り、今度は普通のラーメン屋に寄ったりした。 2003年10月09日 20時34分23秒

水曜日です。
 月曜と火曜のゼミを終えるとあとは一日1コマとか2コマだけなので、火曜が終わったときまるで一週間が終わったかのような錯覚をするが一週間はまだまだ続く。

 今日は3限から。
出るも寝る。
どうも身体がまだ授業用になっていないらしい。
演習やゼミのような緊張感が張り詰める授業は起きているのだが、他は出損ねるか寝ているかのどっちかな気がする。

 今日から始まった英会話の先生は相変わらずジョークを連発、「オーストラリアは自然が豊富で、オーストラリアだけに住むペンギンとかもいて、彼らはとてもかわいい。私の友人は3匹ほど撃ってバーベキューにした。とても美味しかった」とか言っていた(もちろん英語で)。 2003年10月09日 01時07分30秒

またもseminar
 昨日は起きたら2限に間に合わない時間だったので2限には出損ねた。

 その後5限にゼミ。
今度からもう一つゼミに入ったのである。

 ゼミ後、先生も交え三田にある中華料理店へ。
刀削麺というものを食べる(三田に通う人ならわかるはず)。
K野氏が「ジャスミン茶と、湯のみ3つお願いします」と注文したものの、連携ミスか2つしか中国人らしき店員さんは持ってこなかった。
すると注文を受けた店員さんが「湯飲みは3つ」と湯飲みを持ってきた方の店員さんに耳打ちしていた。
すると持ってきた方の店員さんが「間違えんじゃないわよ」みたいな感じで物凄く表情が曇ったのを私は見逃さなかった。
さらにその時その店員さんと目があってしまったので大いに気まずかった。

 というわけで卒論の話をしたり青島ビール飲んだりといろいろしていたら、5限が終わってから店に入って出たのは10時頃だった。
11時からの英会話にはギリギリ間に合った。 2003年10月08日 09時45分01秒

ぜみ
 昨日遅くまでゼミの発表&演習の準備をしていたところいつの間にか朝になっていた。

 ゼミのレジュメが全員分刷れていなかったのでKンコーズに駆け込んだところ、ひどく混んでいて、さらに備え付けのホッチキスが壊れていたりして演習には遅刻する。
さらに自分の席がなかったのはややショックであったが、演習自体はつつがなく終了してよかった。

 ゼミは一つ目の発表を無事に終わらせる。
二つ目の発表(といっても意見を述べるだけだが)では「こんな議論は意味がない」みたいなことを述べて混乱を招く。
そちらも無事に終了する。
追加もなし。
良かった良かった。
さらに来週は休み。

 K大は無事にT大から勝ち点を挙げたようである。
というかもはや当然のことのはずなのだが。
こうなったらいっそのこと負けて監督が変わればいいのにとか思ったが、そうは問屋が卸さなかった。
あの監督である限り優勝はきわめて難しい。 2003年10月06日 22時39分18秒

ゼミ
2003年10月06日 22時33分07秒

嗚呼忙しい
 今日は諸事情により学校へ行った後帰宅。
ゼミの準備。
果たして明日までに間に合うのか大いに疑わしい。

 東京六大学秋のリーグ戦はK大がT大に敗れた。
一時は4点リードされ、8回には3点リードしたのに9回裏2アウトから逆転サヨナラを喫したようだ。
ありえない。
9年ぶりの敗北である。
そして1イニングを投げて被安打1、フォアボール2つを出しているT大の控えピッチャーがドサクサにまぎれて勝利を手にしている。
彼は何者か知らないが、二度と勝ちなど手にすることはあるまい。
そしてこの乱打戦においてもM家は登板しなかった。
ブルペンで投げる彼は催促146km/hを誇るだけあってT大ブルペンでも1人ずば抜けて球が速いのだが、
今日でさえ使われていないことを考えると余程使えないのだろう。
防御率1.96を記録したこともある彼だがスタミナ不足と怪我に泣き、やはりT大のピッチャーに納まってしまったようだ。
明日は勝ちますように。 2003年10月05日 19時46分23秒

明るい未来を取り戻せ!
 月曜に発表が迫り、最近は図書館に缶詰だったり。
この週末で発表の準備がうまく行かなかったら私に明るい未来は来ないことが予想される。
というわけで発表の準備をしつつも、
全日程を調べて今日以外はどうしても無理そうだったので
神宮に行く。
先日T大の応援をしたので急に「T大ぶっつぶせ〜」とか言うのは大いに気が引けたが、
よく考えると私はK大の学生なので(キャンパスはT大の方が近いが)K大を応援する。
先に来ていたH郷さんらと観戦。
試合はいきなり3点を取られていたがN村がホームランを2打席連続で放ち、何とか勝った。
逆転ホームランの出たときのO部主将の嬉しそうだったこと。
逆にT大は勝利の拍手(T大が勝ちそうなとき、8回あたりに行われる勝利の舞みたいなもの)をやっている最中に逆転ホームランを打たれてかわいそうだった。
とはいえ勝負事に情けは無用である。

 明るい未来は今日明日にかかっている。 2003年10月04日 21時02分00秒

金曜日
 今日は授業はないが、図書館でゼミの発表の準備。

 その後外国語学校の入学式に出る。
外国語学校には4月入学と10月入学が有る。出たあとに気づいたのだが、4月に入学した私は入学式に出る必要は無いのであった。
道理で一度聞いたことのある情報を延々と喋っているわけだ。

 その後D会の面子と飲む。
I井がつぶれ、腕を組んで駅まで連れて行く。
なぜ1男と腕を組まなければならないのかとかそういう野暮なことは飲み会のあとにおいて議論の対象にはならない。
K本さんが大崎駅でダッシュしていた。 2003年10月04日 10時41分53秒

この下に書かれていることは田町駅付近にある某定食屋の状況を弾劾するノンフィクションである。
 今日は体育のバレーボールに出る。
夏休みにやったバレーでサーブが開眼し、今日もサーブミスは一回しかなかった。
暑くてバレー日和であった。

 その後時間は過ぎ、図書館で同じ専攻のU田氏に会って一緒に帰り、腹が減ったということで田町駅付近の出来たばかりの某定食屋(匿名にしても明らかにわかるのでやめておく)に入る。
すると料理が出てこない。
いつまでも出てこない。
後から来た隣の客が料理を食べ終わって店から出て行っても、我々の元に料理はやってこない。
U田氏はイライラし始める。
「あと十分しても出てこなかったらホントブチ切れっぞっ!」とか威勢のいいことを言いつつも絶対キレたりしない私に較べ、U田氏は実は切れていた。
散々待ったので店員に注文が入っているか、入っていないなら出るという旨を伝えると、あと10分とか言われる。
「出よっか」と私が言ったところ、「待ってください!あと5分です」とかぬかしてくる。
しかもその謝り方がなっていない。
貴様は事前研修で謝り方を習っていないのか!という感じであった。
U田氏は「誠意が無い」とひどくご立腹であった。

 そして料理は5分後に来た。
私は好物の秋刀魚を食べることが出来たので満足する。
料理が片付いたあと、私は店員にサービスのドリンクはどうなったかと聞く。
昔東急日吉の同じ系列の店に行ったときにソフトドリンク一杯タダ券をもらっていて、それを提示していたのである。
料理が出てこないくらいなので当然向こうは忘れている。
実は券は一枚しかなかったのだが、「すみません。何を頼まれましたか?」と向こうが聞いてきたので私はすかさず「山ぶどうジュース2つ」と感じよく答える。
U田氏は私のさりげないインチキに仰天する。
私は「外交において相手が譲歩してきた場合、つけ込むのは基本だよ」とかそんなことを言う。
表現はよろしくないが、国際社会では当たり前に行われていることである。

 その店は他にも料理の皿を客の頭の上を通して置く(みそ汁とかこぼれたらどうする気だ)、混んできたということで物凄く遠い席への転卓を要求する、私が出した40円のうち1枚が札の下で見えなかったので、30円と換算して4990円のお釣りを出す(常識で考えればわかると思うのだが。しかも店長が)、接客の日本語がおかしいなどありえないサービスを繰り返した(私はうどん屋と居酒屋、他いくつか接客業をしたのでその辺の目は厳しい)。
U田氏と「ここ二度と来ないな」と言って店を出る。
オープンしたてだが、オフィス街の田町に作ったのに地下で電波が入らないなどの有り得なさから近いうちにつぶれることであろう。
このページを見ている皆さんも三井住友銀行のATMの近くの地下にあるその店には行かない方がいいですよ。 2003年10月03日 00時55分09秒

怠慢な日本の私
 今日のタイトルが大江健三郎の著作のパロディだとわかる人は相当なものだと思うが、そんな人はまずいまい。

 今日は秋学期初の授業。
だが気づくと80分くらいたっていて、黒板が漢字で埋まっていた。
その後学生課がリニューアルしたということでお披露目式のようなものがあり、学生課の方には日ごろお世話になっているので出る。
O部とか全K連とかS会とか知り合いだらけだった。
学生課のK田さん曰く
「三田の学生は授業と共に動いている。というのも授業以外の時間にいる場所が三田には無いからだ。というわけで学生が授業時間以外にいることの出来る場所を学生課の中に作りたかった」
とのことでいすや部屋がたくさん設置された。
食べ物や飲み物が出て懇談。
テープカットが1時頃行われた。
だが式が終わった後も先日一緒に海外に行ったB場さんらと新たに設置された席で話していたりする。
その結果出る予定だった3限は出損ねたわけであるが、
学生課の意図を組み、早くも目的を達成したのであった。
というわけで今日は4コマのうち出たのは3コマ、
起きていたのは最後のゼミだけと怠慢な授業初日であった。 2003年10月01日 00時05分44秒

seminer
(綴り合ってるかな?)
 演習の予習を12時ごろ始めたところ、4時になっても終わらず、それでいてやったところも穴だらけという最悪な結果を生んだ。
演習をナメすぎた。

 昼ごろ学校に来てゼミの準備。
今日は発表。
何とか発表を終え、追加発表を課される事もなく、別のゼミ員が発表している間「無事終わった。眠くなってきたな〜。夜何食べたいかな」とか考えていたところ
先生の「質問ある人は?」という言葉でF原さんが「人口に関する発表のところなんですが」
と質問する。
人口のところって自分じゃん!と思う。
まさに晴天の霹靂。
しかも質問された部分は調べておらず、結局「そこは来週までに調べておいて」となるのであった。

 というわけで軽く資料を漁り、家に帰った後何せ4時に寝たので何もせず9時にさっさと寝た。 2003年09月30日 05時55分37秒

TOEIC
昨日はTOEIC準備のため久々に更新しなかった。

 TOEICを受けにS蹊へ。
受ける。
その後S蹊高校では文化祭をやっているとのことなので顔を出す。
私が卒業してはや3年、3年だった時1年だった代も3月に卒業したので制服を着ている人々に知り合いはもはやいなかった。
私がスレていた頃に反抗ばかりした先生にあったりする。
その昔ランニングしている時、途中の道にあった池に突き飛ばした(きれいに飛んで行ったが運が良かったのか水には落ちなかった)K堀という後輩が来ていた。
その後T永I早という1個下の後輩に会い、一緒に飯を食らう。
その途中の道でHしが自転車で軽快に通り過ぎていった。
声をかけようかと思ったが、時既に遅し、江戸時代の言葉を使って言うと遅かりしが由良之助だった。 2003年09月28日 21時14分10秒

暑いのか寒いのか
 今日起きたところ、とても寒い感じ。
とても厚着をしていったところ、暑かった。
何なんだ。

 今日は外語学校の授業が始まっていないので授業が無かった。
今週はまだ一つも授業が無い。
良い週である。
P氏とJに行く約束をしていたのだが、私は昨日から急に腹が痛くなり、よりによってJを食べることは毛頭不可能と言う連絡をしたところ、P氏も時差ぼけで寝坊したとのことなのでなくなった。
たまには身体を気遣ってやらないといけないのである。
もう若くないので。 2003年09月26日 22時39分24秒

今日も寒い
 昨日の予報では今日は最高気温27度とのことだったのだが、今日も寒かった。
バッタリS会のH郷さんに会い、半年間気づかなかったが実は同じ授業を取っていることが発覚し、そしてその授業が休講だったりした。
と言うわけで初日の今日は授業が無かった。
その時間P氏と駅前のカフェで出来た旅行の写真を見たりして過ごす。
私の行った先もすごかったが、P氏の行ったエジプトやらもすごかった様子。
続きは明日Jに並んでいる時にでも聞くことにしよう。

 NHKの英会話 ドラマでリスニングは悪役のPaulが逮捕され、恋人の誤解は解け、主人公はワールドカップチームに選出され、と全て丸く収まった。
こんな茶番劇、と思っていたが実はAルクの教材としてこの番組が使われていることがわかった。
「実に面白い」とかいろいろ褒められていた。 2003年09月25日 22時36分35秒

寒い
 昨日で夏休みも終わりであった。
今日から面倒な授業に出たり、課題をこなしたり、ゼミに追われて生きなければならない。
昨日は学校に行ったところ、この秋一番の冷え込みとか聞いていたので冬着っぽく行ったらちょっと暑かった。
雨が降り出した頃帰ったらうちの専攻のU田氏に会い、一緒に帰った。
U田氏と話していると必ずゼミの話になる気がする。 2003年09月25日 10時43分44秒

三重殺
 夏休みなのに一般の人と同じ休み、寒い、試験近いから遊んでいる暇無いと三重殺になって今日は一歩も家から出ていない。
旅行の荷物を片付けたり英語の問題を解いたりして過ごす。

 NHKの「英会話ドラマでリスニング」は明日が最終回だった。
Paulの悪事がばれて共犯が逮捕されるところまでは読んでいたが、Paulは逃げて恋人の許に行き、わけがわからない恋人を前に一緒に逃げようと言って終わった。
さあどうなるやら。
それにしても前回までは「濡れ衣を着せられたManniが本当にかわいそうですね」と言っていた司会者(というのかな)の人がこの前の放送で「こうなってくるとPaulがかわいそうですね」とか言っていた。
どっちだよ。 2003年09月23日 20時13分22秒

台風はどこへ?
 今までだったら8時、遅くとも10時には起きる時間に寝たのに、時差ボケと疲れのせいか12時起床。
台風は東京を直撃することなく行ったようなので、東京六大学野球を見に行く。
土曜日は2試合目が雨天中止となったので土曜日の券ではいる。
厳密には中止になったR−H戦のみに土曜日の券が有効なのだが、何の問題もなく入る。
500円で2試合見ることが出来、お得(どういうことかこのページを見ている人に伝わっているだろうか)。
T−M戦を観戦。
私が着いた頃にはTが2点先制。
Tも粘るもピンチでS岡というとてつもなく守りの下手な男がエラーをかまし、同点。
その後お互い譲らず、9回表2死1,2塁のピンチ。
4番K本をレフトライナーに討ち取ったと思ったらレフトF熊が後逸、2点が入り勝敗が決した。
記録はヒットだったがどう見ても自責点0のT大K村がかわいそうだった。
隣の人が「次のK大戦は勝てるだろう」と言っていたのが聞こえた。
となりで応援していた私がK大生だとは夢にも思っていないに違いない。
今度のK大戦はどっちの側でも球場には行かないことにしよう。
余談だが私の家はT大の教養学部と近いため、電車に乗るとよくT大のO部らしき人々を見かける。 2003年09月22日 20時56分58秒

残り少ない夏休み
 帰国初日、飛行機の中で日本時間に合わせて寝ておかなかったので向こうの時間の深夜に当たる時間猛烈に眠くなり、こちらは昼だったのだが眠った結果夜は仮眠程度にしか眠れなかった。

 7時くらいにようやく眠れてから9時に起き、学校に行く用事を済ませてから東京六大学野球を見に行く。
T−M戦。
T大学生席でT大の学生以上にT大の応援をする。
先日『T大学応援部物語』という本が出て、行きの飛行機の中で読んでいた。
それによると観客が一生懸命応援してくれないとT大の黒服の下級生が怒られるらしい。
意味不明な理不尽さは私は嫌いだが、そういう世界に生きている彼らを否定はしない。
また今度のZONEというテレビ番組にも出演するらしく、T大応援部がちょっとブームである。
試合は2点を先制したT大が2本のホームランで8回に追いつかれたものの2アウト1,3塁一打逆転のピンチをしのいだ。
9回表のT大の攻撃が終了し、プロ併用日なので9回終了時引き分けかと思ったら9回裏にM大の4番K本にサヨナラホームランを打たれ敗れた。
残念である。

 その後R−Hも見ようと思ったが(雨ということで応援席最前列に通された)、エール交換直後に雨天中止となった。
雨天中止は初めてであった。
ちなみに私はT、R、Kは応援するがW、M、Hは応援しないと決めている。 2003年09月21日 23時35分35秒

明日から外国
のため10日ほど更新しません。
帰って掲示板を見てみたら広告だらけになっているのが目に浮かぶ。

 荷造りをしながら「クニミツの政」を見ていた。
話は市長選が舞台で、押尾学扮するおそらくクニミツが応援する候補者(大杉漣)が事故で内臓破裂の若者に偶然出くわし、血液が不足しているということで候補者は自分の血液を与え、その結果市長選立候補者合同演説を彼はドタキャンする。
「人の命を救えない者に政治家になる資格はない」と言って彼は疲労と血液提供のし過ぎから入院する。
演説に出なかった理由を「同情票などで当選したくない」と公表しなかった彼だが、彼によって命を救われた若者とその仲間が心を動かされ、選挙なんて行かないと言っていたのが全員彼に投票した。
候補者は「若者が選挙に関心を持ってくれただけでも今回私が立候補した甲斐があった。今回だめでも次頑張ればいい」と名言を残したので、
ここは落選でも十分話になるかと思ったが、激戦の末彼は当選した。
しかし彼は心不全のため、この世を去ってしまうのであった。
押尾学を始めとする彼の選挙事務所の人々は繰り上げ当選した候補者に「死んだ彼の遺志を継ぐため、手伝って欲しい」と言われ、その要請を引き受けて番組は終わった。
繰り上げ当選したライバル候補者は立場的には悪人の設定のはずだが、見ていて彼からあまりそんな風な感じを受けなかったのも大いに納得できる終わり方だった。
だがあまり面白くなかった。
繰り上げ当選のライバル候補者が私利私欲みたいな人ではなく、死んだ候補者の遺志を継いでと言える人だっただけにあまり面白くなかったのは個人的には残念である。

 大相撲ダイジェストで朝青龍ー高見盛の取り組みを見る。
高見盛は「ロボコップ」の異名をとる、思わず笑ってしまう動きが本人は真剣なだけに面白い。
負けると泣きそうな顔をして引き上げていくのも面白い。
昨日の取り組みでは負けた高見盛ばかりが映されていて妙な感じだった。
大相撲もまだまだ捨てたものではない。

 私が貴乃花をあまり好きになれなかったのは彼の勝ちのほとんどが寄り切りだったからである。
そりゃ派手に勝ったほうが見ているほうは楽しいが、いつもそういけるわけではないし、
そういうのばかり狙えば勝つことは出来ない。
野球のホームランばかりの近鉄のようなチームが勝つときは派手だが安定した強さを保てず、
1回表からバントの全盛期の西武がつまらないと言われながらも連覇を成し遂げたのと同じである。
そもそも寄り切りも大変な技術であることは間違いない。
誰がけったって入りそうに見えるPKも実は大変な技術である。
でなければあんなに外れない。
サッカーJリーグで日本人初の得点王になったレッズの福田はPKばかり決めて得点王になったみたいに言われた時期があった。
だが彼のPKを決める技術は天下一で、それを信頼していたからこそレッズはPKをとことん福田に蹴ってもらったわけであり、
PKの難しさは普通に得点を決める難しさに劣らないし福田の得点王に輝くほどの技術の高さに傷がつくものではない。

 話が逸れたと言うか何が話の筋なのかよくわからないが、仮に自分が力士だった場合ほぼ確実に勝ち方は寄り切りだし、野球の監督だったらまずバントを使って地道に攻めていくだろうから人の自分に無いものを求める理論で私は派手なチームや選手が好きだと言うことである。

 NHKの「英会話 ドラマでリスニング」が明日最終回。
簡単にあらすじを書くと、ロンドン・レンジャースのストライカーManniは彼の活躍を妬むライバルPaulによって麻薬使用の疑いをかけられ、逮捕されてしまう。
本人は潔癖を主張するがPaulの周到な罠によりどんどん彼は不利な立場に追いやられ、チームは退団させられ恋人にはうそつき呼ばわりされる。
そしてチームはManniを追い出したことでキャプテンになったPaul率いるロンドン・レンジャースがチャンピオンシップに臨むというところで前回終わった。
明日見られないので本を立ち読みしてエンディングは知った。
防犯カメラから事実がわかり、試合の後半から逮捕されたPaulに代わり投入されたManniは大活躍、チームは優勝、周りの信頼も取り戻しめでたしめでたしというもののようである。
だが経験から言うと、エースストライカーが退団してマネージャーはそれまで麻薬使用を見つけられなかったのは手落ちだとして監督から責められ、選手の一部はPaulのキャプテン就任に納得が行かず退団とそんなゴタゴタしているチームが
勝てるはずがない。
特に監督はエースストライカーに信頼を裏切られたと思い怒り、悲しみなどいろいろな感情が混ざり合って冷静さを失っているところがある。
指揮官がそんなチームが勝てるはずがない。
そもそも最初から防犯カメラの存在に気づけよという気もする。
結構めちゃくちゃである。
イギリスで放映されていたかいるからしいが、ドラマとしてはだいぶ厳しいものと言わざると得ない。
ちょっとシュールにして、疑いは晴れてManniはチームに戻ったもののうそつき呼ばわりしてしまった恋人の気持ちは離れ、二人は別れるくらいにすればドラマ的には面白いかもとか思う。
またはとばっちりを食らったマネージャーが監督と不和になって退団、Manniの恋人がマネージャーになるとかも面白いかもしれない。
ちなみにその放送は明日(今日)の夜11時10分から3チャンネルでやる。
見逃した場合は翌週の火曜昼12時10分から再放送をやるはずである。
イギリスなまりが入っていて英語としては聞き取りにくいところも多いがなかなか勉強にはなる。

 明日から10日も更新しないのでたくさん書き込んでみた。 2003年09月10日 01時38分09秒

明日から外国
のため10日ほど更新しません。
帰って掲示板を見てみたら広告だらけになっているのが目に浮かぶ。

 荷造りをしながら「クニミツの政」を見ていた。
話は市長選が舞台で、押尾学扮するおそらくクニミツが応援する候補者(大杉漣)が事故で内臓破裂の若者に偶然出くわし、血液が不足しているということで候補者は自分の血液を与え、その結果市長選立候補者合同演説を彼はドタキャンする。
「人の命を救えない者に政治家になる資格はない」と言って彼は疲労と血液提供のし過ぎから入院する。
演説に出なかった理由を「同情票などで当選したくない」と公表しなかった彼だが、彼によって命を救われた若者とその仲間が心を動かされ、選挙なんて行かないと言っていたのが全員彼に投票した。
候補者は「若者が選挙に関心を持ってくれただけでも今回私が立候補した甲斐があった。今回だめでも次頑張ればいい」と名言を残したので、
ここは落選でも十分話になるかと思ったが、激戦の末彼は当選した。
しかし彼は心不全のため、この世を去ってしまうのであった。
押尾学を始めとする彼の選挙事務所の人々は繰り上げ当選した候補者に「死んだ彼の遺志を継ぐため、手伝って欲しい」と言われ、その要請を引き受けて番組は終わった。
繰り上げ当選したライバル候補者は立場的には悪人の設定のはずだが、見ていて彼からあまりそんな風な感じを受けなかったのも大いに納得できる終わり方だった。
だがあまり面白くなかった。 2003年09月10日 01時02分44秒

眠い
 今日は明後日からの海外見学会に必要なものを買うべく母親と吉祥寺へ。
いろいろ買う。
母親曰く「姉や妹と着る物を買いに来るよりはるかに安上がりだから、たくさん買っていい」とのことなので特にいらなそうなものまで買う。
その後帰宅。

 そういえば13日当たりに免許を取って一年を迎える。
まだ2回しか運転していない。 2003年09月09日 01時37分00秒

残暑?!
 今日は大学主催の海外見学会の事前研修会があったのだが、寝坊して始まる15分前に目覚める。
目覚ましをかけてもその10分前に目覚める習慣がついている私だが、ここ最近夜型になっていたせいか8時半には起きられなかった。
1時間遅れで研修会会場に着いたところ、入り口付近に一ヶ月間イギリスに行っているはずのY田氏(私ではない)がいる。
『ダイの大冒険』でアバン先生が何の前触れも無くいきなり復活を果たしたときくらいびっくりする。

 研修会が終わってからK藤さんら行くメンバー+Y田氏でSゼリア。
食事代が一回当たり日本円で最低1000円はかかるというイギリスの物価高から抜けきっていないY田氏は、鴨のロースト880円などと高額料理を注文して周りを驚かせるのであった。
その後ゼミのレジュメを作り、渋谷の書店に行ったりしてから帰宅。 2003年09月06日 22時44分45秒

今日も暑い
 学校へ行き、ゼミの資料を作ったり。
ITCで先日とどいたメルマガをプリントアウトしてゆっくり読もうと思い、ITCに置いてあった裏紙をプリンターにセットしてプリントアウトを開始したところ、
途中で裏紙の向きが逆になっていたのに途中で気づいたが時既に遅しだったり、
インクが切れてやり直す羽目になったりした。
それにしても少し長い程度にしか思わないメルマガもワードに落とすと40ページくらいに達するので少し驚きである。

 ミッシェル・ガン・エレファントが突然解散を発表し、今日最後のテレビ出演とかでビデオにとって見た。
ミッシェルは高校1年くらいから聞き始め、初期から4枚目くらいまでのアルバムは全て買った。
その後全然聞かなくなった時期を過ごすも今年ベストアルバムを発売したのを期にまた聞くようになった。
あまり技術は高くないがうるさい系のロックは大好きである。
ブルーハーツ、ミッシェル、外国ではローリング・ストーンズあたりがそれに当たる。
最近は普通にレベルが高いので、モンゴル800とかもどうも上記のアーティストとは趣を異にする感がしてよろしくない。
あれはあれで好きだが。 2003年09月06日 00時27分53秒

ゼミの準備
 6時頃家に帰り、一度睡眠をとったところ起床は11時頃になった。
 
 そのあと学校に行き、ゼミのレジュメ作り。
春休みにやった分とこの前調べた分をまとめたところ結構形になり、満足。
その後ITCで印刷をしたり図書館でCDROMを見ようとしたらよくわからないことになり退散。 2003年09月04日 23時59分34秒

喜多方
2日夜、Y村氏と新宿駅で待ち合わせてムーンライトえちごに乗り、新潟を経由して喜多方へ。
朝からラーメン。
喜多方の名産の桐について紹介している美術館に行ったりしてから2回目のラーメン。
それから自転車で10キロちょいのところにある温泉に行き、入る。
自転車を借りた自転車屋のおばちゃんに「そんなとこまで行ったの!?」とびっくりされる。
そして3度目のラーメン。
その店につけられていたテレビで喜多方にあるほかのラーメン屋が紹介されており、われわれの行ったラーメン屋のおばちゃんが「あんな油ばっかりの肉しか使ってないラーメンが850円なんて」と文句を言う。
Y村氏と「仲悪いんだ」と笑う。

 その後新潟に出て、ムーンライトえちごに乗る。
我々は当然普通の席を買ったのだが、長岡を過ぎてもう誰も乗ってこないのを確認した後、私は空いていたグリーン車の席に移動。
シーズンオフだと駅員も見回りに来ないことは前回ムーンライトながらに乗ったときに知ったので、快適に眠る(私が移動したときY村氏は既に寝ていたので、起こすのも悪いと思い私だけグリーン車で眠る)。
朝5時に新宿でY村氏と別れ、かえって眠りさっき起きた。 2003年09月04日 12時18分13秒

これから喜多方へ。
夜行列車が23時9分発なので今日一日はのんびりした日であった。

 巨人戦の視聴率がどんどん低下しているという。
確かに阪神の優勝が決定的になった今、巨人の試合など面白くないのは明らかである。
「巨人戦はドル箱だったのが今やお払い箱」という記事があった。
スポンサーということで日本テレビがどこまで我慢するかが見ものである。
前半戦4番としてチームを引っ張った浜中がせめて日本シリーズには間に合うといいところである。
それにしても阪神は相次ぐ故障者の穴を補って余りある新戦力が台頭して埋めている。
広沢がここ数試合であんなに活躍するとは思わなかった。 2003年09月02日 19時32分18秒

明日から
Y村氏と夜行列車で行く0泊3日の旅。
朝8時とかに喜多方についても何をしたらいいのだろう。

 ゼミの課題をお盆明けには作ってメールで送るといったのだが、まだ何もやっていない。
一緒に発表するゼミ員に会うのが恐い。
そろそろやらないとまずい。 2003年09月01日 21時47分11秒

学校
 今日も学校へ行く用があり、いろいろこなした。
日曜の田町駅付近はオフィス街のため空いている。
普段もこのくらいならいいのにと思いながら日が沈んで寒くなり始めた田町付近を早々に引き上げるのであった。 2003年09月01日 00時32分36秒

末續
 昨日は明け方4時くらいに織田裕二の「寝てる人起きてくださーい!」という声で起き、その後末續が銅メダルを獲得した。
ただ織田裕二も疲れていたらしく、「いよいよです!」と言ったあとに男子800mが残っていたりした。
そして問題はTBSである。
プログラムとかをもらっているだろうから男子200mがいつやるかは百も承知のはずなのに、「男子200m、今夜11時半」といって放映を始めて延々他の種目とかを放映し続けた。
TBSに言わせれば「男子200mを含む世界陸上、今夜11時半」ということなのだろうが、もはや詐欺である。 2003年08月31日 11時27分50秒

バイト
 今日は生協の棚卸しのバイト。
棚卸しということでてっきり力仕事だと思い、軽装着替えタオルスニーカーと力仕事ルックで行ったのだが、やったことは生協の本の数と値段を調べて記録することだった。
生協はよく利用していても、そのようにじっくりと本を見てみると意外と知らない、興味深い本がたくさんあることに気づく。
特に語学コーナーでははじめて見た本がたくさんあり、仕事そっちのけで読みたくなったが仕事中なので我慢。
だがコーナーが法律に変わった瞬間興味を失うのであった。

 仕事は交通費はもちろんのこと弁当までついてきたので大いに満足。

 その後N○で飲んでいるということなので行く。
鏡月なる危険な焼酎が沢山存在する。
それによってやや危険な状態に追い込まれてしまった方が何名か見られた。
今日稼いだバイト代の半分以上を使うが、世の中pricelessなものだらけなので金を払って手に入るものなら使いたいところである。

 その後帰宅。
K野という強力な一年生が同じ方面なので、いろいろと話が弾み、満足して帰宅するのであった。 2003年08月30日 00時50分48秒

目黒区
 昨日はMもとさんらとバレーボール。
新潟でバレーボール合宿をして以来のバレーボールであった。
暑くて疲れたが楽しかった。

 その後帰宅して巨人阪神戦を見たりしてから夜。
末續が走るということなので待っていたが、女子七種とか全然関係ない種目を延々と放送され、いつまでたっても200をやらない。
だいぶ経ってから小谷さんの「今末續選手が競技場に入ってきました」という報告が入る。
ということはそのあとアップ→レースということがわかる。
私も陸上競技をやっている(いた)ので、そんなにアップが短いものではないことを知っている。
ということは後しばらく走らないということがわかる。
散々延ばしておいてそれは有り得んと思う。
大河ドラマ「武蔵」のお通役に米倉涼子を起用したくらい有り得んと思う。
それに200m走は水泳の200mと違い20秒足らずで終わるので、
寝た。 2003年08月29日 10時18分40秒

更新忘れた
夏休みということもあるのかあまり見られていないようなのでつい更新が滞りがち。

 昨日は学校へ行き、諸処作業。
昨日も暑かった。

 北朝鮮を巡る六ヶ国協議が進んでいる。
というより進んでいない。
核を放棄しろと言うアメリカに対し米朝不可侵条約を締結しなければ核開発推進すると唱える北朝鮮。
国際ジャーナリストの田中宇氏によると「小さいが強気の国」北朝鮮と話し合うことなどできるのだろうか。
とにかく平和的解決を望みたい次第である。

 北朝鮮が国として最低のレベルにあるということは疑いの余地がない。
朝鮮「民主主義」人民共和国を名乗りながら主席は世襲制という、最も民主主義を侵す制度が採られている。
愛国心発揚のために平気で嘘が書いてある国定教科書を使用し、「日本ばかりを悪いというが韓国にも悪い点はあるし、日本統治にも良いところがあった」と主張する本を青少年有害図書に指定する韓国でさえも一応民主主義に則って大統領は選挙で選ばれる。

 日本は問題だらけの国をすぐ近くに持ったものである。
島国でなければとっくに侵略されているに違いない。。 2003年08月28日 10時26分54秒

都市対抗野球
 今日は都市対抗野球の警備のため東京ドームへ。
警備をするのは仙台代表の七十七銀行で、対戦相手はさいたま市代表の日本通運だった。
午前中に行われた第一試合はとても空いていて、警備も楽だったらしいが七十七銀行は今年初出場で観客が多く、外野席まで一杯になって普段使われない4階席が開放された。
その大量の観客の誘導に苦労した。
さらに警備をした試合は18時開始で、観客はみんなビールを飲むのでコップがゴミとして大量に出て、その片付けにも苦労させられるのであった。
試合は初回に元K大野球部で私の入学する前にK大が全国優勝を成し遂げた時のキャプテン小河がエラーをしたりして3-1で敗れた。
試合後は大量のゴミ片付け。
嫌な疲労感が残った。
また「すいませんがこっちに来てください」と言ってきたO部のG藤(O部は都市対抗野球の手伝いをしているのだが、それは資金稼ぎのためらしい)に言われるまま行くもG藤自身が目的地を見失い路頭に迷ったりしたのが余計に私を疲れさせるのであった。 2003年08月26日 23時46分42秒

フランスは熱波が凄まじいらしい
今日はそれが対岸の火事ではないということを実感した日であった。
あれだけ空いていた江ノ島がさぞかし混んでいることであろう。
夏休みも終わりが近づいてきた。課題は終わっていない。 2003年08月26日 00時48分59秒

フランスは熱波が凄まじいらしい
今日はそれが対岸の火事ではないということを実感した日であった。
あれだけ空いていた江ノ島がさぞかし混んでいることであろう。
夏休みも終わりが近づいてきた。課題は終わっていない。 2003年08月26日 00時49分16秒

暑い
ので家。
流石に冷房をつけて寝たが、5時ごと暑くて目が覚めた。
急に猛暑である。
暑いとだらける。
ということにして今日は昼寝ばかりして何も有意義なことをしていないことを正当化しても仕方がない。
明日からまた学校に行って処暑作業せねばならぬ。
暑すぎて他に思ったことを書いたりする余裕もない。 2003年08月24日 22時03分23秒

八高戦
 今日は八高戦のため大井陸上競技場へ。
電車で寝過ごして流通センター駅から猛暑の中歩く羽目になったりしつつ到着。
Y竹に会う。
S蹊高校陸上競技部の面子にも会う。
試合の運営補助をやったが、あまりに暑すぎた。
死にそうだった。
I藤はヘンな日焼け跡を作っていた。

 大会は高校男子の部ではダントツの最下位確実と思っていたが6位だった。
中学女子の部に至っては2位(8つの高校のうちいくつか男子校なので女子の順位は3位まで)だった。

 私がS蹊高校陸上部だったときの部長と副部長のM上、O野と帰った。

 今日は暑すぎ。もう勘弁してください。 2003年08月23日 19時47分52秒

おまけ
最近「また阪神負けてる」という去年は良く使った言葉をまた使うようになってきた。

 甲子園はコントロール抜群の背番号11木野下と鉄壁の守備陣で最小得点差を守り抜いて勝ち上がってきた江の川がついに敗れた。
背番号11ながらずっと甲子園のマウンドに立ち続け、江の川の快進撃を支えた木野下には拍手を送りたい。

 100球以上投げた人間の肘は毛細血管が切れるので、その修復には3〜4日かかるらしい。
それに疲労もバカにならない。
そのため松坂のような怪物なら知らず、平安の川口も決勝戦では打ち込まれた。
一昔のような、いいピッチャーが1人で投げ抜いて勝ち進む時代は終わったようである。
そもそも東北もダルビッシュばかりが注目されるが、真壁という2年生も今日いいピッチングをした。
実はここまで結構継投で勝ち進んできた。
寺原を要した日南学園も優秀なピッチャーをそろえたが、あのチームは肝心の寺原が打ち込まれてジ・エンドとなった。 2003年08月22日 23時34分02秒

麻布十番納涼祭
 今日は学校の学生課に必要な書類を出した後、麻布十番で行われている麻布十番納涼祭へ。
東京六大学の吹奏楽部が毎日2校ずつパレードをやるのだが、今日はM大とT大だった。
明日がKとRである。
六本木ヒルズオープンもあって大盛況であった。
全K連のS井氏とN波氏に会ったりした。
どこに行っても出店と人だらけ。
すごかった。
そして大学に書類を入れたファイルを忘れたのに気づいて取りに戻り、その後帰宅。
2時間半くらいずっと歩きだったので疲れた。
だが面白かった。 2003年08月22日 22時50分02秒

更新が滞ったのは大事件があったからである。
 昨日は学校に行ったあと飲んでいた。
M輪という凄まじい人の力によって私は泥酔と化し、
気づいたら田町駅から電車に乗り込んでいて、
気づいたらS木氏に送ってもらってうちの駅で、
気づいたら駅の近くの路地裏で2時間ほど寝ていて、
気づいたら警官に捕まって「その自転車は君の?」とか聞かれた(深夜は自転車盗難の見回りが行われている)。
当然自分のだし別に悪いことはしていないのだが、警官に捕まると本能的に酔いが覚める。
てなわけで帰宅し、今日の午前中を二日酔いのため某に振った。

 その後学校に行くも学生課に提出しなければならない書類を家に忘れたりしてあまり意味が無かった。
今日は飲まずに家に帰った。 2003年08月22日 01時45分17秒

更新するの忘れてた
今日はNHKの英会話も見忘れるし、散々だ。
今日は昼寝してしまい生協に行く用を済ませ損ねたりしてから三田へ行き、T’zKふおF島Rい各氏と飲む。
場所はA太郎でお馴染みのI瑳であった。
T’z氏が最後の会計で3,500円払ったつもりが上と下の千円札に挟まっていたお札が実は5千円札で、あわや7,500円払いそうになって笑いを誘ったりグラスを落として割りかけたりして飲みを終えた。
何だかんだでいつの間にか8月も明日で20日。 2003年08月20日 00時53分34秒

Tるの屋
 今日は家を出ようとしたら財布が無いのに気づき、一生懸命探したが出てこず、一緒にJに行くことにしていたP氏を30分ほど待たせてしまう。
その後Jへ。
私とP氏は図書館に行く用があって学校に来た。
何を言いたいのかというと、Jに並ぶ人の少なさからしてJを食べるためだけに学校に来る人は結構少ないということである。

 その後一年時のクラ友のK頭氏と、その同僚で私の友達でもあるS本氏とTるの屋で飲む。
S本氏が日にちを間違えていて一時間近く遅刻するというアクシデントを抱えつつも飲む。
K頭S本両氏が飲むためだけに来たということを言うと、Tるの屋のおばちゃんは喜ぶ。
夏休みの月曜の飲み屋なのですいていた。
その後二人と別れ帰宅。

 財布は結構すぐ出てきた。 2003年08月18日 23時53分56秒

バラシ
 昨日の夜、ライブ会場のセットの撤収(業界用語で言う「バラシ」)を手伝うバイトをやった。
会場は日本武道館で、アーティストはビジュアル系のPといういまいちパッとしないバンドであった。
だが武道館でやるくらいなのだから、世の中広いものだと思った。
仕事は主に専門の人に「これ運んで」とかそんな感じでこき使われるもの。
一応終電までということだったが、聞いてみたところ「タクシーで送るので作業終了までやってください」と言われる。
ツアーなどで時間に追われている場合、こんなことはザラである。
と言うわけで2時半くらいまで作業。
その後タクシーで帰宅。
来週の飲み代くらいは稼げた。

 今日はその疲れからか良く眠り、その後英語をやったりしてもうこんな時間。 2003年08月17日 19時18分18秒

昨日はT中氏プレゼンツの江ノ島海水浴リベンジが行われるはずだったのだが、またも雨のため中止だった。
7月に行われた時は江ノ島観光は出来たのだが、昨日は暴風雨だった。
残念である。

 今日は一時間ほど論文を読み、英語をやったりしていた。
これから日本武道館でライブ会場の片付けのバイトをやる。
寒いし、終電で終わるかどうかもわからない。
できることならやりたくない。 2003年08月16日 15時38分53秒

 今日は祖父と妹と浅草へすき焼きを食しに行った。
高い店で、うまかった。
祖父は「もう肉はいいや」と言ったくせに私が肉を入れ、もう煮えたという頃になると何も言わずに肉を自分の皿に取っていた。
それは私の肉である。

 その後ブラブラしたりしてから別れて帰宅。 2003年08月15日 21時01分18秒

最近このページ見られてないな
ネットサーフィンがてらたどり着いた系の人が多い気がする。
広告メールが何通か来たし。

 今日は家族と踊る大捜査線を見に行った。
奇しくも会場は5年前の前作を見た会場と一緒だった。
そして物凄く混んでいたのも一緒だった。
前回は先並び組に便乗させてもらって速やかに見ることが出来たのだが、今回はそうも行かず、
立ち見ということなのでパイレーツ・オブ・カリビアンに変わる。
それはそれで面白かったので満足である。
アクションのシーンで画面の切り替わりがあまりに速過ぎて今何やってんだ状態になったりすることがあったのがやや不満であったが。
それと戦闘シーンで結構やられているはずなのに主要人物は傷一つ負っていないところがおかしいといえばおかしい気がした。 2003年08月14日 21時12分48秒

新潟
 今日まで新潟にいた。
昨日の夜から明け方にかけて缶チューハイ6〜7本を飲まされた結果、気づいたら布団の上で朝を迎えていた。
「大広間でヘンな姿勢で眠っていたあと、突然起き上がりいなくなった」らしいのだが何時に寝たかとか全く覚えていない。
てなわけで帰京となった。
楽しかった。 2003年08月13日 23時48分14秒

しばらく出かけていた。そしてこれからもまた出かける
 タイトルの通りである。
新潟にいた。
T○にジンの原液(アルコール度数40㌫)を一気させられた結果二日酔いになったりした。
Y内が「洪水で家を流されたインド人」や「中国の麻薬製造工場の爆発をリポートする中国人」というコントを披露したりした。
そしてまた新潟に向かう。 2003年08月09日 20時27分50秒

明日からしばらく出かける
 田町駅に降り立つと、Jフォンショップ田町店のJ−PHONEの青い看板がVODAFONEの赤い看板に変わっているのが見えた。
この暑い時期に寒色系のJ−PHONEから暖色系のVODAFONEに変わったのだから実に暑苦しくて嫌な感じである。

 あと特に書くことも無いな。
このページを見ていると思われる人のほとんどはここ最近旅行なり合宿なりがあるはずだし。
というわけで一週間ほど更新しない予定(厳密には更新しないことの理由にはなっていない)。 2003年08月05日 21時22分03秒

暑すぎる
 今日は英語をやったりゼミの課題をこなしたりとさくさくやるべきことをこなした。
学校で去年の専攻友のS村氏にバッタリ会ったりする。
図書館があまり快適でなかったのは非常に不愉快であった。
今のところ頑張って冷房をつけないで生活しようとしているのだが、暑さが桁違いである。
死にそうだ。 2003年08月04日 20時55分15秒

今日も暑い
 今日のザ・サンデーは現実から目をそむけるが如く、テレビ画面の隅のほうに「今週の巨人 ○日 ヤ○ー○巨 ○日 広○ー○巨……」と、まるで台風接近時の常時表示される台風情報のように淡々とスコアだけが表示されていた。ちなみに全部負け。

 タイガースが強い。
私がタイガースを応援するのは去年までセリーグのお荷物球団だったからである。
21年も生きていると弱いチームも時たま強さを発揮するのにお目にかかる。
20年近くBクラスに留まり続けたダイエーは常勝チームに変わったし、横浜も近鉄も優勝したし、ロッテも2位になった。
一時チーム創設以来初の2部落ちの危機にさらされたジェフ市原も今季は優勝争いに加わった。
そうゆう瞬間を見るのは実に気分がよい。
T大が東京六大学野球を制覇することは無いとは思うが。
ある意味悲願である。

 動物の進化の歴史は「必要は発明の母」の論理で行われている。
魚はオウムガイなどの強い生物に海を追われて川で生活していた時、必要なカルシウムを蓄えておくために背骨を発達させたらしい。
また洞窟の中で生活する魚に目が無いのは有名な話である。
何を言いたいのかというと、私が懸念しているのは将来ゴキジェットをかけてもスリッパで叩いても死なないゴキブリが生まれてしまうのではないかということである。
いくらゴキブリの生命力が強いとはいえ、流石に私の生きている間は生まれないと思うが。 2003年08月03日 23時30分15秒

OPAC
タイトルに意味はないし、またHりさんと関係があるわけでもない。
今日は思っていたより疲れていたようなので家でごろごろしながら部屋を片付けたりした。

 ジャイアンツの木佐貫が特集され、そこで原監督が木佐貫のことをべた褒めしていた。
だが裏を返せば去年はいなかった優秀なピッチャーが今年はいるのに勝てていないのは監督の能力不足だということになる。
自分で自分の首を締めているような気がした。
プロ野球の選手名鑑を見ていると、阪神タイガースは何となく若いチームな様な気がしていたがそれは間違いだった。
確かに井川や赤星は若いが、藪や矢野、伊良部、下柳などは34,5である。
八木に至っては38である。
ここ最近は連敗しているが、やはり暑さの影響であろうか。
頑張れタイガース。 2003年08月02日 20時26分36秒

京都から帰ってきた
 家族旅行で二日ほど京都におり、今日帰宅。
春は青春18切符を使って始発で東京を旅立ち8時間かけて京都に降り立ったものだが、新幹線は早かった。
明るいうちに出発して暗くなる前に東京に着いた。
詳しいことはウェブなので省略。
楽しかったということである。
それでも無理やり残念なことを挙げるとすれば、Y竹から「K松が戦いを挑んでいるので返り討ちにしましょう」という連絡があったが行けなかったこと、
S会が桜木町で花火を見ているということだが参加できなかったこと、
D会が飲んでいたのに参加できなかったことくらいである。
次の機会を待ちたいものである。 2003年08月01日 21時02分00秒

数日振り
土曜あたりから更新が止まっていた。
土曜はK大のキャンパス付近で三田納涼カーニバルというものがあり、そのお手伝いをした。
結構な賑わいを見せていた。
カーニバルの名の通りサンバチームとかいうのが来て踊っていたし。

 月曜、R同の前期納会に繰り出す。
飲む。
K松をやっつける。
Y竹は糞爺呼ばわりされていた。
クソジジイって漢字で書くとある意味えぐい。

 その後H間氏から「日吉でオールでカラオケ。お前が来るならやる。来ないならやらない」と連絡が入り、
Nか氏と共に行くことに。
最初の一時間くらいはH間氏&Nか氏お得意のTM Networkが続く。
ルパン三世のテーマが結構盛り上がる事が判明する。
モスラの歌が結構笑いを誘うことも判明する。
WINOの「太陽は夜も輝く」なんて誰も知らないことも判明する。
ハンター×ハンターの主題歌だったと言ってもわかる人の方が少ないに違いない。
てか私も見てないし。
その後もその調子で夜を明かす。

 というわけで早朝に帰宅し、寝て起きたら2時半で夏休み短縮営業となった生協に行きそこねるのであった。

 ちなみに明日から2日ほど家族旅行のため更新しません。
誰が見てるか知りませんが見てる方ごめんなさい。 2003年07月30日 00時30分52秒

ゼミの打ち上げ
 起きてから学校へ。
昼は喫茶店Pへ行き、ピラフなど食す。
長かった研究室籠りが終了する。
A太郎にて打ち上げ。
Pで食べ過ぎた結果打ち上げ中ほとんどお腹がすかないという悲劇を招いたものの、楽しく飲む。
I伏氏がピッチャー二つをコールもかかっていないのにひとりで直に飲む姿はもはや人間と思えなかった。

 その後解散。 2003年07月25日 22時35分06秒

バングラデシュ
 今日で研究室詰めも最終日。
午後から試験があるので今日の作業は午前中のみ。
すると私の所属していないS会のY崎さんに捕まる。
「何事もチャレンジだ」と東門を出てから少しのところにあるインド(バングラデシュ)料理店へ連れて行かれる。
そこはランチバイキング(¥900)があった。
食らう。
辛くないものもあったので大いに食す。
うまかった。
ただ店員は全員明らかにインド系だったのだが、「ナンくださ〜い」と全て日本語でやり取りしているのが気になった。
「実は北インド南インドなどの関係から、あの人たち同士も言葉が通じなくて共通語として日本語を採用しているのではないですか」とかそんな話をする。
Y崎さんに「J郎で言うとどのくらい食った?」と聞かれ「大ぶたくらいですかねぇ」と答えると「じゃあ大ぶたでいい」と500円でよくなる。
大ダブルと答えていたら700円だった。
ごっつぁんです!

 その後ハゲベッド氏と試験を受ける。
法学部の試験を受けるのは初めてであったが、去年体育で一緒だったA野さんに過去問を見せてもらったりしたので何とか単位は来そうである。
ハゲベッド氏と渋谷まで行き、そこで別れる。 2003年07月25日 00時44分20秒

江ノ島
 昨日T中氏より海に行くとの知らせを受け、集合場所の馬堀海岸に行くべく電車に乗る。
だが今日は頗る寒かったため、T中氏より新たに連絡が入り、江ノ島に変わる。
今朝になっても「海水浴」と言い続けていたのがやっと変わったのでホッと一安心。
片瀬江ノ島へ。
T中氏は既に来ており、ハゲベッドK林両氏も来る。
江ノ島の展望台へ。
○本テレビの天気などでよく出てくる「江ノ島・片瀬海岸」を撮影しているカメラが屋上に設置されている。
江ノ島を回る。
今日は寒かったため、人もまばら。
そのため客引きもすごかった。
江ノ島をぐるっと回ってから海岸へ。
T中氏は果敢にも海に突入する。
私も足だけ入れてみるが、水がとても冷たいのでそれだけで断念。
海水浴客が数名いた。
K林氏が帰った後、ハゲベッド氏のリクエストにより再び江ノ島に戻り、サザエを食す。
うまい。
その後解散。
雨が降ったりやんだりの良くない天気であったが、面白かった。
研究所に籠もる用事をサボってきた甲斐があるというものである。 2003年07月23日 21時13分08秒

研究室
にて作業。
作業終了後、先生、院生、学部生にてお茶。
H井さんが「暴走族って、赤信号だと止まるの?」と暴走族の言葉の意味を間違えて笑いを誘う。
その後H川さんと帰り、Bオフにて買いたい本を探したが無かったので立ち読みだけ済ませた。 2003年07月22日 20時24分46秒

歌舞伎
 今日はうちの妹と歌舞伎を見に行った。
なぜそんなことになったのかはウェブなので伏せる。
とはいえ昼の部(11時開演)なのに10時頃起きたため、家を10分で出るはめになる。
歌舞伎座へ。
I橋さんのHPを見ると俳優の名前や演目など非常に詳しいことが書かれていたりするが、私は歌舞伎は数回見たことがあるだけのほぼ素人である。
というわけで素人の必須アイテムの音声テープを借りる。
これは極めて何が行われているのかがわかりにくくなる歌舞伎を上映の最中に解説してくれ、「理解が10倍高まる」と言われているものであり、歌舞伎を素人にも広めるきっかけになったノーベル賞ものグッズである。
テープのおかげで楽しく見ることが出来た。
ちなみに歌舞伎は江戸時代の庶民の大衆文化や精神世界を見ていく上で重要なウェイトを占めるものであるが、それは卒論のテーマにでも回すこととしよう。 2003年07月21日 20時18分11秒

平和な日曜日
昨日は途中でコンビニに寄ったりしたので帰宅が深夜であった。
今日はあと一週間に迫ったTOEICの模試をする。
TOEICは試験時間が2時間とかなり長い。
1番苦しむ長文読解の頃には集中力がなくなっている。
集中力をいかに維持するかが勝負の分かれ目であろうか。
ちなみにK大の文学部の試験も英語は2時間であったが、辞書は使えるしほとんど大問1題で、時間が結構余ったことを覚えている。 2003年07月20日 21時43分03秒

またか
 今日は修理に出した時計を受け取りに二子玉川へ。
二子玉川は私の前の家があるところで、日吉からそんな遠くない。
というわけでN川さんに時間があるか聞くと、あるというので日吉に行って夜を食す。
その後私の所属するS会のMもとさんが池袋で飲んでいるということで、到着予想時刻は9時半くらいだったのだが3連休だし合流することに。
何名か増えて合流。
飲む。
酔いが回ったので壁に寄りかかって眠りかけると、
起こされる。
その後も飲む→眠る→起こされる→飲まされる→眠る→起こされるの繰り返しであった。 2003年07月20日 11時44分23秒

今日も研究室
である。
作業自体は別に大変ではないのだが、朝8時半頃家を出るのが1番苦痛である。
というわけで今日も作業。
一時期眠りかけるも何とか我慢。
M辺氏から電話があり、「レポート書いてて徹夜だから今日行けない。ごめんなさいと言っておいて」とのこと。
だが終わって皆でお茶を飲んでいる頃現れる。
その後M辺氏と帰り、帰宅。
渋谷で銀行に寄ったところ、一昔前に流行った汚い(主観である)メイクと髪の色をした女子高生らしきものを発見し、今もああいうのが生き残っているのだということを知る。 2003年07月18日 22時04分18秒

今日も研究室
にこもる。
主にやっているのは江戸時代に書かれた古文書を読解し、その内容を分類することである。
全てくずし字で書かれているのだが、演習を半年やってきたこともあってものによっては天空の城ラピュタのムスカの如く「読める、、、読めるぞ!!」といくこともある。
だが難しいものになるとお手上げである。

 終わってから東京都庁に行き、申請したパスポートを受け取る。
その後Jフォンショップで料金プランを変更しようとしたものの、委任状は用意したが印鑑を忘れて出来なかった。
Jフォンの副回線は基本料金が半額になるが無料通話分も半分で、更に何かにつけ主回線の人の委任状を必要とする。
しょうがない部分もあるのだろうが、実に頭の悪いシステムだと思う。

 今の私の不安は1人2000円で済むような飲みで実は泥酔の手前になっていたA見氏が、今度の院生も交えての飲みでつぶれてしまわないかということである。 2003年07月17日 20時04分32秒

サンヨーオールスターゲーム
 今日もゼミの研究室に籠もり、試験を一つ受けて帰宅。

 家に帰るとオールスターゲームがやっている。
今は木佐貫が投げている。
このピッチャーがA大学時代に大学日本一を始めとして投手に関して獲らなかったタイトルは無く(不名誉なものは除く)、巨人にドラフト1位で指名された選手である。
だが見てみると、痩せ型で、試合でないときは眼鏡をかけているのでより一層ひ弱に見える。
K大がいつも痛い目にあわせられたダイエーの和田はがっちりしているし、いかにもという感じがするのとは対照的である。
だがMax155km/hを記録しているし、一体どこからそんな力が出るかわからない。
和田の投げ方の最大の特徴はテイクバックを大きく取らないことで球の出所を見にくくするところにある。
あのような投げ方ではボールにスピードが乗らないはずなのだが、彼は140後半を出す。
そして変化球も多彩なので、六大学レベルに打てという方が無理がある。
この前和田が4回でKOされたとき、プロは流石だと思った。 2003年07月16日 20時40分49秒

続き
食事の関係上一度打ち切ったので続き。
2限は5人くらいの授業なのに申し訳ないが80分は眠ってしまう。
その後先生の研究室に行き、お湯を沸かしてポットに移す。
なぜそんなことをするのかというと、用務員さんがお湯を沸かしてポットに入れておいてくれるのだが、先生はその水がお気に召さないらしくご自宅から水を持っていらっしゃる。
それを3時のお茶までに沸かしてポットに入れておくのがゼミ代たる私の役目になった。
ちなみにその役職を「茶坊主」というらしい。
4限の前に新たに沸いたお湯をポットに全て移し、試験に臨む。
イタリア語は2年間語学でやったのと、前検定試験の勉強をしたときの遺産のみで挑んだので、穴だらけに終わる。
いつもならゼミ後の1限からで4限は完全に力尽きているのだが、お湯を沸かしたりしていて3限に出なかったので今日はまだ余力があった。
バッタリ会ったN川さんと帰る。 2003年07月15日 22時22分02秒

眠い
 1限に何とか出る。
弓術では風船割が行われ、惜しいところに飛ぶもののついに風船を割ることは出来なかった。
だが江戸時代の文献を呼んでいると名前が出てきたりする、南北朝時代から三十何代に渡って続くO原流弓術の伝統を受け継ぐ先生は一発で風船を打ち抜いた。
流石である。 2003年07月15日 19時57分13秒

眠い
 1限に何とか出る。
弓術では風船割が行われ、惜しいところに飛ぶもののついに風船を割ることは出来なかった。
だが江戸時代の文献を呼んでいると名前が出てきたりする、南北朝時代から三十何代に渡って続くO原流弓術の伝統を受け継ぐ先生は一発で風船を打ち抜いた。
流石である。 2003年07月15日 19時57分19秒

ゼミ
 今日はゼミの先生の研究室で作業。
院生に囲まれて史料を分類する。
江戸時代に書かれた古文書をいじるのだが、どれもシロアリに食われていて臭い。
昼休みには授業のある3年が全員いなくなり、私一人先生と院生に囲まれて食事をすることに。
その後500枚くらいの必要な紙にはんこを押す作業をやらされたりしてから演習の試験。
昼休み先生に「ゼミで演習落とした人はいない」と聞かされていたので安心して臨む。
試験後、1年次のクラ友のK頭氏に会い、Eクセルシオールでだべる。
 
 その後帰宅。
明日はイタリア語の試験だが、まだ何もやっていない。
体調崩したこともあって3回くらい休んでるし。 2003年07月14日 20時24分29秒

暗い日曜日
ジャイアンツ哀悼歌は「暗い日曜日」だった。

 今日も昨日のボールゲームフェスタの手伝いの続き。
とはいえ正式に手伝うということ入っていなかったので昼寝をしたりしてから2時ごろ家を出る。
ついたころには決勝が行われ、すぐ終わった。
片付けや、またポカリスウェット販売を行う。
今日は終いには一本100円である。
その後手伝いに来ていた私の所属しているS会のI野さん、H田さん、T辺でひようらでだべる。
明日は演習の試験がある。 2003年07月13日 19時43分46秒

Ball Game Festa
 今日は私の所属しているS会関連でKeio Ball Game Festaというイベントの手伝い。
9時15分、武蔵小杉駅から電車に乗ってくるM鍋を捕捉。
二つくらい隣の座席に座ったが、私に全く気づいていない。
たぶん1限に行くのだろうが、完全な遅刻のようなので何も言わないでおく。

 10時にミズノフットサルプラザ日吉に着くよう家を出るも、途中で道に迷い時間がなくなり、タクシーに乗る羽目になる。

 大会の受付をやったり、ポカリスウェットを販売したりする。
同じく大会の手伝いで来ていたH会(また混乱が)のI原さんにマイクを借り、試合の実況までする。
その後先日我が家まで来たI先生があの日のことを何も覚えていないということを聞かされる。
そのI先生により「持ってかえるの面倒だから、このポカリスウェット叩き売ってくれ」とそれまで150円で売っていたポカリスウェットを一本130円で売りまわったりする。

 今日は暑かった。
明日は場所を日吉記念館に移して続きがある。 2003年07月12日 22時41分59秒

今日は暑すぎだ。
 起きてからバスに乗り、上野の東京国立博物館へ。
「鎌倉・禅の源流」展を見に行く。
良い展示であった。
そしてチケットショップで本来900円するところのチケットが150円で手に入ったのが大きかった。

 それから学校へ行き、ハゲベッド、ダーマス両氏とJ。
先週のJはとてもおいしく、また行きたいと思わせるものであったが、今日のJは肉は筋だらけで硬く、まずかった。
食していて今すぐにでも吐きたいと思った。
だがタダでさえ汚いJの店内を更に汚くするわけには行かないので何とかこらえる。
今まで3年間で1番まずいと思った。
H軒のほうがずっと美味しいと思った。

 その後外国語学校の授業。
先週私がサボって美術館に行ったのを問われ、
「もし私が授業に出ていたら、美術館は終わってしまっていたんだ」
「でもまだ美術館は終わっていないだろう」
「近いうちに終わるんだ」
「近いうちって言っても先週金曜にわざわざ行くことはないだろう」
「今週末で終わってしまうんだ」という問答が英語で行われる。
最後なのでディベートの際、いろいろと発言するが的を得ていたかは不明。
英語は日本語が一語で済むところを二語必要とする。 2003年07月11日 21時20分43秒

雨の木曜日
 昨日のS−Y戦を見ていて思ったことを書いておこう。
ちなみに私は昔はアンチジャイアンツだったが、ジャイアンツが負けるのに一喜一憂しているのは裏を返せばジャイアンツファンということなので最近はとりわけ無所属である。
とはいえテレビをつければ巨人戦か阪神戦なので、その二つのチームには詳しい。
城石のタイムリーが出てピッチャーが真田に代わり、真田はけん制悪送球、暴投、投げるボールはキャッチャー阿部の差し出すミットと逆方向と打たれるムード全開。
その時カメラは原監督に向けられたが、物凄く不安そうな表情でマウンドを見つめていた。
これではだめである。
トップの指揮官がそんな不安そうな様子では勝てない。
それに比べ星野監督は常に表情は険しいものの、実にどっしりとしている。
真田が苦しみながらも宮本を討ち取ってピンチを断ち切り、更に9回追加点を取った時は流石に巨人が勝ったと思ったが、
翌日新聞を見るとサヨナラ負けとのこと。
去年4連勝して日本一になった時は原監督のやり方が絶賛されたが、負けが込むと仁志と仲が悪いだの文句をつけられている。
芥川龍之介の『杜子春』でも金があるうちは集まるものの、金がなくなると見向きもしなくなる人々の薄情さを杜子春は嘆いている。
話は逸れてしまったが、そして翌日に書くと結果論と思われるかもしれないが、
時々人の表情や雰囲気で先のことがわかることがある。

 昼休みの始まるころに登校。
ダーマス氏に会う。
R同のたまりに顔を出す。
その後ハゲベッド氏と授業。
終わってN垣とPに行く。
N垣とPのマスターが大相撲の話で盛り上がる。
着いて行けん。
琴光喜になぜ二人ともそんなに詳しいのだろう。
上の話につながるが、Pで武蔵丸の取り組みを見ていたが、武蔵丸は物凄く太っていてとても勝てそうに無かった。
現にひどい負け方をし、アナウンサーに「横綱の相撲ではありません」と叩かれていた。

 N垣と別れ帰宅。 2003年07月10日 19時58分31秒

暑い水曜日
 Y村氏からメールが来て目が覚め、その後20分してから家を出る。
Y村氏と昼を食してから3限に出る。
終わってからブラブラし、5限で必要なレジュメをプリントアウトしようとしたら焼き付けておいたはずのCD−Rがうまく機能せず、レジュメを用意できないという悲劇。 2003年07月09日 21時08分28秒

雨の火曜日
ジャイアンツ哀悼歌こと「雨の日曜日」ではない(知らない人は日曜4チャンネルのザ・サンデーを見よう)。
1限に頑張って出た後、3限は文学部人間科学専攻ゼミ説明会へ。
なぜそんなものに出たかということは、
なぜそんなことをウェブで不特定多数に教えねばならないのだという理由の下、割愛。

 その後もいろいろあったがウェブに載せるような面白いことは無かったので省略。
だが今度飲む時K松はきっと面白いものを見せてくれることであろう。
そういえば坊主にするという話を忘れていた。 2003年07月08日 22時02分18秒

ゼミ納会
 8時間睡眠。
演習&ゼミ。
演習は来週の試験範囲とするため休み時間もずっと授業で、ゼミと2時間連続だった。
終わってから前期のゼミが全て終わったということで納会。
楽しく飲む。
M辺氏は相変わらず笑いを提供する。
H井さんが実はなすが嫌いで、「見るのも嫌だ」と先付けのナスに怯える姿に笑う。
そして実は酒にひどく弱いA見氏の目がトロ〜ンとなっているのが1番面白かった。

 その後帰りの電車でイタリア語学習者やイタリアに興味のある人なら知っている、テレビによく出ているダリオ・ポニッシィさんを見かける。
イタリア語検定4級の力で"Scusi, e' il Signore Dario Ponissi?"(すみません。ダリオ・ポニッシィさんですか?)と話しかけてみる。
私が1年の時イタリア語を習っていた先生と知り合いなので話が弾む。
「ダリオさんはテレビそのまんま」という話だったが、
そうだった。
というわけで帰宅。
明日は1限だ。 2003年07月07日 23時00分35秒

バレーボール
 今日はS会の面子とバレーボール。
余談だが今まで「S会」と称されている団体が3回出てきている。
そのうち1つは私が所属しているが、他は所属していない。
というわけでこのページを見ている方は絶対混乱していることと予想されるのだが、ウェブということでご了承願いたい。
ちなみに私がよく昼を食したりしているY村氏は私の所属していないS会所属で、O部のY村氏とは別人物である。
話は逸れたが、日吉奥の馬場の近くのバレーボールコートへ。
この近くに烏の巣だらけの、まさに悪の枢軸のような森があり、一年の時矢上へと散歩に出た私は帰り道でその森へと迷い込み、そのときバリバリ烏の繁殖シーズンでカラス達は気が立っており、命が危なかった。
そんなことはいいとして、楽しくバレーボールをする。
疲れたが。
去年のクラ友のM浦さんにバッタリ会ったりする。
その後ひようらで食事。
食す。
その後帰宅。
私的には非常に楽しかったが、ウェブに載せるような楽しいことは何もなかったのであとは省略。 2003年07月06日 22時20分06秒

今日は家から一歩も出ていない
といっても引きこもりではない。
演習の課題が思っていたよりはるかに難しく、それでいて用事が無いのでひたすら解いているからである。

 何もドラマチックな出来事が無く、書くことが無いので、この前思ったことを書いておこう。
月曜、テレビ○日で「テレビの力」という番組がやっていたと思う。
その番組は行方不明になった女子大生を探すという企画を行っており、最初はポーランド政府公認という超能力調査で行われた。
その調査によるとその女子高生は既になくなっており、死体は埋められ、犯人はストーカー男ということになった。
超能力者の言葉に従って死体が埋められているとされる場所が調査され、殺したとされる犯人の顔も超能力によって似顔絵が描かれた。
これで調査が続行されれば解決かと思いきや、話はそれる。
突然「女子大生が電話を受けたとわかっている」という山梨県の奥深くへ番組は調査団を派遣し、
さらに日本宗教の予言者とかいう人にも調査を依頼し、
その人によると何と女子大生は生きており、札幌の店で働いているとのこと。
ポーランド政府公認の超能力調査を最後まで信用せずに別の手段を使うのはポーランド政府に対する冒瀆でもあるし、調査の手を広げた結果真相がややこしくなっただけである。
結局テレビにありがちな「八方手を尽くしたが結局見つからなかった」という結論でお茶を濁される気がする。
最初は引っ張りまわされているだけの女子大生の親御さんがかわいそうだと思ったが、あのいい加減さはもしかしたら親御さんもエキストラではないかという感じさえさせる。
女子大生が電話を受けたことが確認されているという山梨県の奥深くで本物の首吊り死体(女子大生ではなかったとのこと)を番組スタッフが発見したことだけがあの番組に真実味を持たせていた。
番組としては死体が発見された場合、警察に通報する結果第一報が新聞やテレビになって自分のところで第一報を報じることができないためにわざと死体が発見されないようにしているのではないかという気さえする。 2003年07月05日 19時19分42秒

マジで暑いぜ
 パスポートの申請のため、新宿へ。
戸籍抄本が必要なので(私の本籍は新宿区)新宿区役所へ。
すると道を一本間違え、歌舞伎町の真ん中で道に迷う。
その昔「行列のできる法律相談所」でプロのホストとして登場した人たちの勤める店を発見したりしながら区役所へ。
抄本を受け取ってから都庁へ行き、パスポート申請を済ませてから大江戸線で大学へ。
実は大学から新宿へ行くには赤羽橋駅から大江戸線が1番速い。
それはいいとして、ハゲベッド氏とJへ。
今日はなぜか物凄く回転が悪く、1時間25分待たされる。
さらに入れ替わりに出て行こうとした客がO部のG藤だったりしてから店内へ。
だがぶたは味は濃くなく柔らかく、スープもちょうど良く、
少し前に盲腸の疑いをかけられたという事実がなければスープを全飲みしてもよいという感じであった。

 その後学生団体ルームにいるとうっちー&バッシーの最強コンビが現れる。うっちーことU田さんはG藤の先輩である。
というわけでU田さんよりG藤はありえない量の砂糖が投入されたコーヒーを渡され、さらにそれを手にこぼして苦しんでいた。
その昔悪の枢軸ドリンクを製作した(過去の日記参照)私も負けじととんでもない飲み物を作ってやろうかと考えたが、十分G藤がかわいそうだったのでやめておいた。

 その後Bunkamuraで行われているミレー展に行って帰宅。 2003年07月04日 22時10分07秒

眠い
 昼ごろ学校へ。
Y村氏と昼を食し、ハゲベッド氏と授業に出る。
戦時中に作られた映画のビデオを見る。
最初の方はしっかりと見ていたが、睡眠時間数時間ゆえ後半力尽き、シャーロックホームズで言えば最後の謎解きの部分、名探偵コナンで言えば毛利小五郎が眠っているあたりを見損ねる。
その後パソコンを打っていると、まっつんことM浦氏の一年時のクラ友のN波氏に会う。
「去年の夏何人かで海行った時、ソンプー(M浦氏はそう呼ばれているのである)1人だけ競泳用水着持ってきた」
という話に、パソコン室故声を殺して笑う。
その後パソコン室を出て、N波氏と帰った。 2003年07月03日 22時52分18秒

この下に書かれていることは全て事実である。
 「飲みすぎたK松が線路に転落した」という事項以外、基本的にこのページに嘘は書いていない。
ウェブである以上公開できないことはあるのだが、そういうことは触れていないだけで嘘は書いていない。
なぜそんなことを言うのかというと、昨日あった出来事があまりにありえない故嘘と思われる可能性も無きにしも非ずだからである。

 前置きはそのくらいにして、さて行ってみよう。
火曜夜遅くまで飲んでいたため、起きてから十数分準備をしたらすぐ家を出て授業。
授業が終わってからY本と待ち合わせをして日吉へ。
今日はS会の会議。
その後その面子+会議に参加したI先生と飲む。
この面子だと11時過ぎ頃まで飲むのはいつものことだが、
昨日は一味違った。
先生が「2軒目行くぞ」と言い、2軒目へ。
その結果、先生は沈没する。
起こしてもびくともしない。
だが体育を教えているだけあって、呼吸は正常体温は平常、
夜遅いからただ眠っているだけなんじゃないかというくらい健康的な泥酔死体であった。
ここで少し話は逸れるが、運動部に所属し半分くらいマネージャー業務もこなしていた(そうなのである)高校時代に若干勉強した人体生理学や、
少し前に取った上級救命技能資格(持っているのである)の知識は泥酔者を介抱する際に大いに役立つこととなる。
てなわけで私も長年いろんな泥酔者を介抱してきたが、あんな健康的な泥酔者は初めてであった。
とはいえお店が閉まるので、てか我々も帰らなければならないので動かすことにする。
するとそのときお店にいた、推定年齢50前半のサラリーマン(O野さんというそうだ)がサラリーマンにありがちな「若い人の飲みはいいねぇ」みたいな感じで先生を送る用のタクシー代を出してくれる。
というわけで数人がかり(かがりではない)で先生を乗せ、まずは同乗者のI野さんが家で下りる。
そして先生の家に向かってくれと言うと、突然起きた先生が「何を言っているY田の家に行くぞ」と言い出し、運転手さんに「あっちの方に行ってください」と指示をする。
先生は我が家に来たことはないはずなのだが、なぜかその指示した方向が合っている。
というわけで日吉から杉並くんだりまで深夜割増料金のタクシーは向かうことになる。
この時悲劇が起きる。
O野さんにいただいたタクシー代が尽き、私が先生を送るために自腹を切る羽目になったのである。
さて我が家に着いたはいいのだが、学生が教授を家に泊めるというシチュエーションがあまりにありえないことに気づく。
それでも来てしまったものは仕方ないので下ろそうとすると、先生は
「これからまた一周したら戻ってくるからいいんだ」とよくわからない抵抗をする。
これを千載一遇のチャンスと見た私は運転手さんに先生の住所を伝え、連れて行ってもらう。
役目を終えた(押し付けた?)私は安心して布団に入った。
先生は今日1限からあるはずなのだが、
無理だったと予想される。
そして最近自分でも職人だと思うのだが、
結構飲んでいても泥酔者を発見すると一時的に酔いが覚める。
介抱が終了するとその酔いは一気に回ってくる。
何が言いたいのかというと、私も二日酔いである。 2003年07月03日 10時25分28秒

月曜
 週の始まりである。
諸事情により相当遅くに眠った後、ゆっくり起床。
学校へ。
演習&ゼミ。
演習は予習が終わりきっていない部分を答えろといわれ、苦しむ。
ゼミは平和に過ぎる。
その後ゼミの先輩のF原さんと話をしたりした後帰宅するに違いない。
明日は一限。
一限ってだけで厳しい。
2003年06月30日 18時19分07秒

試験
 昨日の懇親会の後、日本史学専攻屈指の飲みゼミとして有名な、T中氏が所属するH山ゼミはやはり飲んでいたらしい。
そんなことはいいとして、今日はTOEIC。
今回は自慢じゃないが今までで1番勉強していなかったので、
実力ではなく小手先の技術を習得して試験に臨んだ。
意外と役に立った。
今後の課題は後半の長文を息切れすることなく、正確にそれでいて速く読むことだとわかる。
リスニングは以前より出来た気がする。

 今回も一緒の会場になったゼミ員のM氏と別れた後、図書館に行ったりして帰宅。
帰り道、うちの犬に良く似た犬を連れている人がいると思ったらその犬はうちの犬で、連れているのがうちの親父だったりしたあと帰宅。 2003年06月29日 19時05分49秒

学会
 この度ずっと整理が続けられていた歴史史料の整理がようやく終わり、本として刊行されるということでそれについて今度のK大中心の学会で発表されることになった。
うちのゼミの専門とかぶっているためうちのゼミ員はその学会に出席が必修となったので、
出席すべく大学へ。
13時に始まり、16時半頃まで続く。
学会に出るのは初めてだったので、なかなか勉強になる。
だがふと前を見ると、前の席に座っているMけ教授が眠っている!
さらに1番前で聞いていたO野氏によると、「司会進行をしていたSい教授も時々眠っていた」という驚愕の事実を聞かされる。
終わってからも流れで三田史学会総会というものに出ることになる。
庶務のNま教授は忙しそうに働いていた。
N教授の姿が面倒な仕事を一手に引き受けているゼミの自分の姿とかぶって見えた。
別にそういうのは嫌いじゃないからいいのだが。

 その後北館で懇親会が行われる。
あまり知り合いがおらず、若干日本史の人間や去年語学が一緒だったM氏などがいるだけで微妙だったがうまいものを食べられたのでよし。

 終わってからN澤を拉致してPへ行く。
「お主がうちのゼミに来るのなら、M辺氏のごとく悪の枢軸ドリンク(相当前の日記参照)を飲むことになるぞ」と脅したところ、
本気で心配していてだいぶ面白い。
N澤はあまり食べるものを食べられなかったらしく、私のお金でピラフをガツガツと食していた。

 その後元D会のM田さんN津田さんK澤さんにバッタリ会ったりしてから帰宅。
明日は試験。 2003年06月28日 21時41分18秒

金曜日
 夜遅くまでテレビ○日の「NANDA?!」を見てから○ジの「お熱いのがお好き?」(だっけ?)でヘーゲルの精神現象学について学んだ後、眠っていて汗をかきすぎて7時にのどが乾いて目が覚め、寝不足。

 時計を修理に出したりしてから学校へ。
授業を受ける。
最近英会話の授業では苦戦を強いられている。
というより寝不足だったので一部眠り、流れをつかみ損ねたのだが。

 今日は久しぶりに普通に暑かった。
2003年06月27日 18時48分21秒

眠い木曜日
 2限は30分遅れて出席。
モグリの癖に我ながらいい度胸である。
その後昨日Jに入っていくのを偶然目撃したハゲベッド氏と4限を受ける。

 最近は冷房が効きすぎていてよろしくない。
出なくても電力不足だというのに。
ゼミ&演習の準備が終わっていない。日曜は試験だ。 2003年06月26日 23時58分59秒

雨のち晴れ
 3週間ぶりに出た昨日のイタリア語の授業では「すみません火曜日は具合が悪かったんです」とイタリア語で言ったところ、誤解を招いた。
イタリア語で上記の文はMi scusi. Sono stato male ogni Martedi.
なのだが、私の発音がよろしくなかったのでSono stato al mare. と聞こえた模様。
下の文章は「私は海にいました」という訳。
つまり「海にいたので授業に出られませんでした」と言ったと思われたのである。
stato male
stato al mare
で間違いが生じた。
ちなみにstatoは英語のwas、maleはbad、mareはseaとなる。

 授業前先生の研究室に寄る用があり、そのせいで授業に遅れる可能性があったので前日N澤に席を取っておくよう言った。
だが先生は会議らしくおらず、私は授業の数分前に教室に到着。
するとN澤は遅れて入ってきた。
けしからんことに席を取っていない。
ということでN澤を後ろのほうへ追放し、K見さん(匿名にすると同じだが、野球部のエースではない)の隣に座らせてもらう。

 授業後バッタリ会ったY村氏とラーメンを食し、その後授業。
眠かった。
授業後外国語学校の人たちと一緒に帰った。
外国語学校は下は15歳から上は70以上まで、年齢層が幅広い。 2003年06月25日 20時43分20秒

ゼミの翌日の1限は辛い
 ゼミの準備で月曜の状態が万全でないと翌日1限に出るのは本当にきつい。
4限は後半力尽きていた。
4限が終わるとF島K藤両氏に会い、一緒に帰る。

 その後Bックオフにて数時間立ち読みをし、100円の本を買ってから場所をLソンに移し、Bックオフになかった部分を読んで帰宅。

 そろそろ時間がたったので、K松を坊主にせねばならん。 2003年06月24日 22時29分55秒

区の図書館に本返してない
 ゆっくり起きてから学校へ。
今日はゼミに演習があり、必要なので辞書を二冊ほど鞄に入れる。
その結果鞄が非常に重い。
今週はまだ発表が来ないのでやや楽。
ゼミが終わってからM辺氏、H川さんと帰る。
と見せてPに寄り、だべった後学校に戻っていろいろする。
今日は体育会の集まりというものがあったらしく(K見さんもゼミの途中で抜けていた)、どこかで叫び声や、若き血が聞こえた。
その後駅でバッタリ会ったM好さんと井の頭線に乗り、帰宅。
M好さんは「TOEICためしに一回受けてみたけど、650点くらいだったよ」と言う。
勉強して2回目にして600点を超えた私より普通に良い(ウェブなので一応得点は伏せる)。
今度の試験まで一週間ないのだが、前日の土曜日は学会に出るため直前に模試をしている時間もないかもしれない。
それでも目指せ700点。 2003年06月24日 00時03分18秒

最近あまり暑くない
 昨日は所用によりふらりと出かけ、最寄ではない駅から歩いて帰ろうとしたら道に迷い、Hしに「迷った」とメールしたら向こうも電車をなくしかけているという緊急事態だったことを知ったりしつつ交番を見つけ、地図で現在地と我が家の位置を確認してから何とか帰った。 2003年06月23日 10時42分44秒

今夜は熱帯夜
 久しぶりに具合が悪いわけでも、何の予定もない土曜日。
ゼミの発表の準備をし、昼寝をし、映画ウォーターボーイズを観る。
水泳部の面々は裸で踊ったり泳いだりしても問題なく引き締まっている。
私も運動せねばと思う今日この頃。
課題で出された古文書をうちの母親に読ませてみたところ、
S城大学文学部史学科出身で学芸員資格も持っている母親は熱心に読んでいる模様。

 5月に受けたTOEICの結果が返ってきた。
50点アップ。
リスニングが平均並になっていた。
次の試験は来週の日曜。
だが前日は三田史学会という学会に出席することが決まっている。
終わってから懇親会なる、要は飲みまである模様。

 うちの母親に「読むためにくずし字解読辞典を探す必要があるから眼鏡がないと困る。探して」とキレ気味に言われる。
見せなければ良かった。 2003年06月21日 23時55分55秒

暑い
 今日から渋谷駅を夜1時に発車するバスが運行される。
うちの駅を経由して吉祥寺まで行く。
井の頭線の終電は12時38分だが、
このバスのおかげで1000円払えば最大1時まで渋谷にいることが出来るようになった。
かといって沈没したY竹にあまり頼られても困る。
そしてO倉さんのようにあたかも我が家を第二の家かのように考えられても困る。

 午前中は病院に行きまたも採血される。
どうやら盲腸というほどのものでもない、薬を飲んでいれば治るレベルのようである。

 図書館にこもった後S本氏に会ったりして授業。
今日は英語ディスカッションだったが惨敗を喫する。
その後帰宅。 2003年06月20日 21時31分41秒

超音波検査
 大学近くの病院に行き、お腹に謎の反固体のものを塗られ超音波検査を受ける。
結果は、、、、最初は風邪が原因で病院に行ったら盲腸かもしれないと言われたということは、盲腸の痛みがきっかけで病院に行ったわけではないということである。
何を言いたいのかというと、
盲腸だとしてもあまりに進展してなさ過ぎて盲腸かどうかわからないということであった。
というわけで明日も検査が待っている。

 その後卒業アルバムのゼミ撮影に行く。
3年生はなぜかM辺氏と2人しかいない。
授業に出て、その後図書館でデータベース検索して必要だとわかった資料をコピーしたものの、どこかに紛失したりして帰宅。 2003年06月19日 21時45分44秒

久しぶりに更新
 ここ数日は酒を飲んだり体調を崩したり葬式に出たりずっと寝込んでいたりしていたが、
やっと少しはまともになったので更新。

 昼ごろ学校へ。
J新聞のS本氏に会う。
彼の所属する専攻はゼミナール委員会というものが存在し、今年から私の所属する専攻にもゼミナール委員会ができるという話だったのだがいつの間にか流れていたという話を聞く。
とはいえゼミナール委員会が何をしているのかといえばソフトボール大会の企画くらいしか知らないので、
私の専攻ではとりわけ必要ないということなのであろう。

 3限に出たあと、三田駅近くの病院へ。
採血される。
更に明日は超音波検査をすることになる。
その結果5限に遅刻。
5限(英会話)の先生は私の注射跡を見てドラッグを打ったのかとアメリカンジョークを飛ばしてくる。

 授業後、図書館でゼミの準備をして帰宅。 2003年06月18日 21時30分11秒

雨の金曜日
 歩けるようになったので学校へ。
2日も寝込んだのは久しぶりである。
ちなみに記録を見てみると、去年は6月8日に行われた第四十九回六旗の下にを最後まで見終わった後体調を崩し、日曜のバイトに行けなかった。
去年と同じペースである。

 月曜以来の授業に出る。
ハゲベッド氏は隣で熟睡していた。
私はこの二日間ひたすら眠っていたので、久しぶりに木曜の授業を全く眠ることなく突破する。
それにしても今日は蒸し暑くて最悪な気候であった。
眠っていたせいで全くゼミの準備が出来ておらず、
この二日間を取り戻さねばならぬ。 2003年06月12日 22時53分10秒

夏風邪
 今日は1限。
しかしゼミの後翌日に必要な準備が終わっていなかったため寝不足。
その結果月曜も病院に行くくらい具合が良くなかったのが、家を出てから一気に悪化する。
1限に向かおうとするも無理と判断し、図書館3階のソファーで横になり休息。
新聞を取り替える司書の人には何この人という目で見られるがそんなことを言っている場合ではない。

 昼休みにゼミの打ち合わせをした後、4限まであるのだが調子が頗る悪いので帰宅。
夏に風邪とはいけていない。
高温多湿の夏は感想を好むウィルスにとってはオフシーズンのはずで、夏風邪とはいわば真冬に海の家が繁盛しているようなものである。
しかし風邪を引くのには原因がある。
冬場は風邪を引かないよう家に帰ってからのうがい手洗いは欠かさないが、夏は風邪など引かないと思っているので布団をしっかりかけないで寝たり、薄着だったりと油断しているのである。
工事現場の転落事故は高いところより低いところでよく起きるのと同じ原理である。
明日も学校は無理な気がする。 2003年06月10日 21時47分51秒

ゼミ
 8時間睡眠。
Y村氏より「暇?」というメールが(おそらく昼飯の誘い)くるも家におり、その後学校へ。
ゼミ。
そろそろ発表が回ってくるので、うちのゼミが日本史学専攻屈指のエグゼミに戻るのは時間の問題のようだ。 2003年06月09日 21時47分45秒

塾長杯
 あまり見られていないようだし昨日のことなので更新が面倒なのだが、一応更新。
 
 昨日は塾長杯バレーボール大会の手伝いに行った。
結論から言うと、大会はつつがなく終了してよかった。

 その後ひようらで飲む。
T島がオカマ疑惑をかけられるなど荒れた。
その後も凄まじかったがウェブで公開してもろくな事がないので、
それに居合わせた人はウェブで見なくても十分わかっているし、
居合わせなかった人は私が文字にしたものを見たとしても誰だこの人ってなるだけなので公開はしないでおく。 2003年06月09日 11時00分12秒

土曜
 日吉へ。
ひょんなことから手伝うことになった塾長杯バレーボール大会の準備。
暑い中日吉記念館やらを走り回るのはえぐい。
 
 終わってから飲む。
N川さんがまたもつぶれたりし、さっき帰宅。
てか明日は早いのに、どうなる塾長杯!? 2003年06月08日 01時06分45秒

金曜
 ハゲベッド氏のお誘いで3週連続Jへ。
本当ならばダーマスも来るはずだったのだが「12時半に起きた」などとひよったことを言われる。
大ぶたを食す。
お母さんと子供の家族連れが来ていた。
お母さんは右手を怪我して包帯をしており、左手で食べていた。
よく考えるとおそらく利き腕ではない左手を使ってまで、よりによってJを食べるのだから見上げた根性である。
もっと他に食べやすそうなものもあるはずである。
そしてお母さんはいいものの、小学校低学年くらいの子供にJを食わせちゃいかんよと思う。
子供の発育に重大な問題を引き起こすのではないかと他人事ながら心配。

 その後O部のH陸氏にバッタリ会い、第五十回六旗の下にのチケットを買わされる。
しかも手違いにより1枚多く買わされる。

 授業に出てから帰宅。
今日は暑かった。 2003年06月07日 00時23分33秒

木曜
 今日は体育に出ないで溜まった勉強をこなし、学校へ。
行きの道でO部のH陸氏に会う。
Y村氏といいH陸氏といい早慶戦2戦目でのG田の起用について「G田は悪いピッチャーじゃない」という。
だが納得いかん。
理由は述べたとおり。
更にK口はやはりそうだと思っていたが、O海も怪我をしていたことを知る。
どこのチームもほとんどエースが右投手で、
さらにアンダースローまでいて、そりゃY田やS岡や左打者がガンガン打ちまくるはずだ。
4限は聞いていて面白いのだがなぜか眠ってしまう。
その後帰宅。たまには早く帰る。 2003年06月06日 00時28分50秒

S蹊高校
 今日は5限のみなので自然起床後のんびりしてから学校へ。
授業後、話し合いを途中で切り上げ吉祥寺へ。
S蹊高校で一年間同じ部だったM本氏、2年間同じクラスだった、Y竹とJに行ったH田氏と合流して飲む。
高校時代のクラスメートやら懐かしい話をする。
そのうち高校を卒業後高校のすぐ近くに住んでいる私の部のM本氏(今日はM本氏二人出演)を呼ぼうということになり、呼ぶ。
40分後、来る。
続けて飲む。
用事によりM本氏が帰った後、M本H田両氏とビリヤード。
5年ぶりくらいにビリヤードをする。
残り5分くらいになり、後一回9ボールをやろうということになる。
だが時間がないため、急いで打つために白い球の行方を追ってビリヤード台の周りを走り回る我々。
ビリヤードって疲れるスポーツ(アジア大会でも競技と認められているのだからスポーツである)なんだと知る。
 その後分かれて帰宅。 2003年06月05日 01時02分03秒

S
2003年06月05日 00時54分10秒

ゼミが休みっていいね〜
 2限が休講だった。
今年は取っている授業が少ないため、
掲示板を見ても意味ないことから掲示板を見る習慣がなくなっているのである。
その時間本当なら授業があるはずのゼミ員のM辺氏に出会い、だべる。
ゼミ合宿で私の作った悪の枢軸ドリンク(高麗人参酒+すりおろしりんご。この世のものと思えないくらいまずい。究極のバツゲーム)をかけたじゃんけんゲームで見事3連敗してM辺氏は3杯飲んだという話になり、
「そんなドリンクを作るお前が悪の枢軸だ」と罵られる。

 その後S会のY村氏に三田付近の酒屋を教えてくれと言われていたのでJの裏にある酒屋に行く。
酒を買った後A布ラーメンに行き、もう帰るだけという事でにんにくもやしキムチねぎを決行する。

 Y村氏と別れた後N塚T内両氏に会い、一緒に帰る。 2003年06月03日 19時58分55秒

早慶戦
 今日は早慶戦である。
D会の面子と待ち合わせ、入る。
気になるオーダーは、、、、「1番、センター、T中君」
T中!?なぜ昨日もタイムリーを放ったM田に代えて主将だが先発出場はほとんどないT中を使うのかと疑問が。
さらに「ピッチャー、G田君」
誰?
Kスポを見ても載っていない。
更に投球フォームを見ると、何とアンダースローである。
私は今日絶対に勝てないどころか、惨敗を確信した。
それが結果論でないことは今まで私がこのページで書き込んだことを見ていただければすぐにわかるはずだが、一応理由を。

 1、ここ一番の、負けたら優勝されてしまうという大一番に今まで一度も投げたことのない、経験のないピッチャーを起用した
 昔西武の黄金時代を築き上げた森氏は「日本シリーズの勝ち負けは第一線の先発で決まる」と著書で記している。
大一番というのは投げるピッチャーの心理状態などがチームに影響を与えるため、最も活躍した若手よりも経験豊富な選手を起用するのが良いそうで、
そう考えると去年の日本シリーズの先発に完全に戦列を離れていた松坂をいきなり起用した伊原監督の采配はピッチャーのチームに与える影響からすると完全にミスだと言うことが出来る。
それでも伊原監督は帰ってきた松坂に期待したのだろうが、
上記の条件を踏まえると2年生(さっき調べた)で試合出場もなくカケラの経験もないG田の起用がいかにありえないものであるかがわかるだろう。

 2、左の強打者が多いW大相手にアンダースローの起用。
 アンダースローというのはボールの手から離れる位置の関係から、右投手なら左打者、左投手なら右打者が絶対的に有利になる。
○カベンでもアンダースロー(阪急のピッチャーにして現中日監督の山田久志の投球フォームをモデルにしたと言われている)の里中相手に西武は全員左のオーダーを組んでいる。
とまあそれは漫画だが、
Y田T谷T内ら左の強打者をどう封じるかは早稲田攻略のための絶対条件であるはずなのにG田が投球練習を始めたとき、私はわが目を疑った。

 3、今まで出ていない選手使いすぎ
 監督はもう消化試合だと思っていたのだろう。
聞いたことのない選手がたくさん出てきた。
今まで試合に出られなかった=実力がないということなので(現に代走でおそらく今季初出場してその後守備についたM上はエラーしている)、
そんな選手を使って勝てるのかって話。
O崎は凡退ばかりで盗塁は許しまくりだったし。

 試合はダブルスチールで1塁ランナーへの送球が若干逸れながらも3塁ランナーがホームへ突っ込まず1塁ランナーが犬死したり、ワイルドピッチで2点取られたりとチグハグぶりを発揮して終わった。
それにしても気になるのは、K大投手陣が次々と打ち込まれていく中で結局最後まで左投手が出てこなかったことである。
左投手の重要性は述べたとおりで、
K口が復帰できていない可能性は高いがO海は何をしているのだろう。
そんな悪いピッチャーじゃないはずなのでやはり怪我か。
H岡はO部のH陸氏曰く「使えない」とのことなので除外。
やはり監督が代わることが勝利への1番有効な手かと思われる。
唯一の明るい材料は今期スランプに陥っていたH川の最後の打席でクリーンヒットが出たことである。 2003年06月03日 00時04分01秒

早慶戦
 今日は早慶戦である。
D会の面子と待ち合わせ、入る。
気になるオーダーは、、、、「1番、センター、T中君」
T中!?なぜ昨日もタイムリーを放ったM田に代えて主将だが先発出場はほとんどないT中を使うのかと疑問が。
さらに「ピッチャー、G田君」
誰?
Kスポを見ても載っていない。
更に投球フォームを見ると、何とアンダースローである。
私は今日絶対に勝てないどころか、惨敗を確信した。
それが結果論でないことは今まで私がこのページで書き込んだことを見ていただければすぐにわかるはずだが、一応理由を。

 1、ここ一番の、負けたら優勝されてしまうという大一番に今まで一度も投げたことのない、経験のないピッチャーを起用した
 昔西武の黄金時代を築き上げた森氏は「日本シリーズの勝ち負けは第一線の先発で決まる」と著書で記している。
大一番というのは投げるピッチャーの心理状態などがチームに影響を与えるため、最も活躍した若手よりも経験豊富な選手を起用するのが良いそうで、
そう考えると去年の日本シリーズの先発に完全に戦列を離れていた松坂をいきなり起用した伊原監督の采配はピッチャーのチームに与える影響からすると完全にミスだと言うことが出来る。
それでも井原監督は帰ってきた松坂に期待したのだろうが、
上記の条件を踏まえると2年生(さっき調べた)で試合出場もなくカケラの経験もないG田の起用がいかにありえないものであるかがわかるだろう。

 2、左の強打者が多いW大相手にアンダースローの起用。
 アンダースローというのはボールの手から離れる位置の関係から、右投手なら左打者、左投手なら右打者が絶対的に有利になる。
○カベンでもアンダースロー(阪急のピッチャーにして現中日監督の山田久志の投球フォームをモデルにしたと言われている)の里中相手に西武は全員左のオーダーを組んでいる。
とまあそれは漫画だが、
Y田T谷T内ら左の強打者をどう封じるかは早稲田攻略のための絶対条件であるはずなのにG田が投球練習を始めたとき、私はわが目を疑った。

 3、今まで出ていない選手使いすぎ
 監督はもう消化試合だと思っていたのだろう。
聞いたことのない選手がたくさん出てきた。
今まで試合に出られなかった=実力がないということなので(現に代走でおそらく今季初出場してその後守備についたM上はエラーしている)、
そんな選手を使って勝てるのかって話。
O崎は凡退ばかりで盗塁は許しまくりだったし。

 試合はダブルスチールで1塁ランナーへの送球が若干逸れながらも3塁ランナーがホームへ突っ込まず1塁ランナーが犬死したり、ワイルドピッチで2点取られたりとチグハグぶりを発揮して終わった。
それにしても気になるのは、K大投手陣が次々と打ち込まれていく中で結局最後まで左投手が出てこなかったことである。
左投手の重要性は述べたとおりで、
K口が復帰できていない可能性は高いがO海は何をしているのだろう。
そんな悪いピッチャーじゃないはずなのでやはり怪我か。
H岡はO部のH陸氏曰く「使えない」とのことなので除外。
やはり監督が代わることが勝利への1番有効な手かと思われる。 2003年06月03日 00時01分18秒

38年ぶりの5月の台風
らしい。
今年で100周年を迎える早慶戦を歓迎しているのか、単に手間を増やさせているだけなのか。
私が目覚めた時点で既に中止は決定していた。
というわけでぽっかり予定に穴が開く。
部屋を片付け、昼寝をしてから飲みだけは天候で中止ということはないので行く。
D会の飲みに参加するのは久しぶり。
荒れる。
てか日韓サッカーがあったためか、聖地Kズン亭は超満員。
テーブル席では補助席まで使われている。
邪魔である。
2次会はカラオケ。
歌う。
Jr氏(N島ではない)がジュディ・オングを振り付きで(何を以って正式に振りと言うのかは今回問わない)歌う。
だいぶ面白い。
大爆笑。
その後解散。
幹事の二人はお疲れ様。
帰宅。
明日は試合をやりそうだ。

 早慶戦が2勝1敗でKが勝ち点を挙げて決着となった場合の優勝決定戦のスケジュールが発表された。
先に2試合を行うM大が2連勝したらその場で優勝。
決まらずに延びた場合大学選手権出場はくじ引きで決まるらしい。
グズグズである。 2003年05月31日 23時58分34秒

明日は台風?
 自然起床。
ハゲベッド氏にJに誘われたので、向かう。
今日は体調もよいので普通に食す。
苦しくない。
ただ暑かったが。
食した後ベンチでだべる。
3年にもなると会話の話題はゼミになりやすい。
その後授業。
授業後、Mなおさんに誘われMきこさんと3人で飲む。
流石70カ国以上を訪れたMなおさんは博識である。
いろいろためになる話を聞く。
水田文化の日本でリーダーとなる人間に求められたのは天候などの知識や経験豊かな年長者であったのに対し、
狩猟文化の西洋でリーダーとなる人間に求められたのは高い能力であり、
年齢は関係なかった。
それ故日本社会が年功序列化し、西洋社会が実力本位となったのだという話に感服。
島国ゆえ他国の攻撃を受けにくく、争うといってもたかだか同族同士だった日本は大陸の他民族との戦いの歴史を知らず、
同じ考え方の同族同士とは違う、キリスト教とイスラム教のように話し合ったところで全く分かり合えない人々もいるということに気づいていない。
それ故日本の外交は弱いという結論に達する。

 その後解散し、今日から神宮球場に乗り込むS会に差し入れをするのを忘れていたことに気づいたので渋谷で栄養剤を購入して神宮球場へ。
Y村氏に渡した後、神宮球場ゴルフセンターで打ちっぱなしをしようかと思ったが約100球3000円とのことなのでやめる。
やはり打ちっぱなしは数人で行って割り勘がよい。 2003年05月31日 00時24分31秒

早慶サッカー
 今日は主にS会のメンバーと早慶サッカーを見に行く。
ちなみにS会というと私が所属しているものも、所属していないものもあるのだがウェブである以上匿名にせねばならないし、
その辺は山田でも安田でも蓬田でも柳田でもY田になるのと一緒だということでご了承願いたい。

 K大ソッカー部(日本にサッカーが根付く前からK大はサッカーを始めたため、当時つかわれたローマ字読みにより近いソッカーという言葉が伝統ということで今も使われている)は昨年2部落ちし、2部でも連敗しているようなので期待はしていなかったのだが行くということなので一緒に行くことにした。
だがW大もそこまでサッカーには力を入れていないようなので、試合は結構互角。
私も今まで陸上野球ラグビーアイスホッケーラクロスボートボクシングアメリカンフットボールといろいろな大学スポーツを見てきたが(O部のY村氏と友達になったのは早慶アイスホッケーだった)、サッカーは初めてであった。
思っていたより調子がいいかと思っていたが、ゴールキーパーのクリアミスから点を取られ、それが結局決勝点となった。
ソッカー部が2部でも連敗している理由がよくわかった。
いままでK大の体育会には期待をしては裏切られてきたので期待してはいけないのはよくわかっているのだが、
母校ゆえどうしても期待してしまうのが哀愁を誘う。
それになまじ調子が良い、今日はいけると思わせるのがタチ悪い。

 その後渋谷で飲む。
12時過ぎまで飲む。
N川さんが腰砕けになり、駅まで運ぶ。
終電帰宅。 2003年05月30日 01時30分32秒

面倒なので今のうちに更新
 昨日は結局3時半ころまで起きていた。
というわけで起きたらすぐ出ないと間に合わない時間。
出て3限。
その昔「授業でスクリーンとか使うときがあったらいじって」といわれていたが、
今日は使ったもののいじったのは専門の学生だった。
先生は当初は誰もいじってくれる人がいないものだと思っていたようだが、
実はそういったものをいじる専門の学生という人が待機しているので、
それをご存じなかった模様。

 3限後Pにて昼。
5000円で払うと、マスターに「どうも」とあわやすべて取られるところであった。
明日も体育は出る模様。
2003年05月28日 15時51分13秒

火曜
ゼミの翌日に1限入れたのはだいぶ失敗だったようだ。
1限で弓を打った後、2限を1時間ほど眠る。
久しぶりに一時間の大台を突破した。
3限は出るのをやめようか迷ったが一応出る。
4限は出なかった。

 その後田○と飲む。
少し前あまり深いことを考えずに「飲もう」といったら承諾され、実現と相成った。
卒業式の後の園遊会の日に悪の枢軸と化した私がワインと日本酒を飲ませた結果、田○はなぜかホテルのドアのストッパーを片手にホテルの部屋を徘徊していたという話に笑う(飲ませるだけ飲ませて私は○同の会場へと移動していたのだった)。
 その後帰宅。
なぜかずっとスパイダーソリティアをやっていたのでもうこんな時間。
明日は3限から。 2003年05月28日 02時26分57秒

眠い。
ゼミの準備のため朝8時まで資料を作ったりし、10時まで仮眠を取ってから学校へ。
O、Y両氏と打ち合わせ。
やることが多いので、O氏はまたも3限に出損ねる。
今年は月曜を演習とゼミだけにしたのはだいぶ正解だったようだ。
発表は思っていたよりスムーズに進む。
だが他のゼミ員が発表している最中に眠くなるのは一体なんでなのだろう。

 その後F島、Kふお、T’z、Rい各氏と楽しく飲む。
いろいろ話す。
6時半頃飲み始め、11時頃店を出る。
その後帰宅。明日は1限から。 2003年05月27日 00時26分38秒

眠い。
ゼミの準備のため朝8時まで資料を作ったりし、10時まで仮眠を取ってから学校へ。
O、Y両氏と打ち合わせ。
やることが多いので、O氏はまたも3限に出損ねる。
今年は月曜を演習とゼミだけにしたのはだいぶ正解だったようだ。
発表は思っていたよりスムーズに進む。
だが他のゼミ員が発表している最中に眠くなるのは一体なんでなのだろう。

 その後F島、Kふお、T’z、Rい各氏と楽しく飲む。
いろいろ話す。
6時半頃飲み始め、11時頃店を出る。
その後帰宅。明日は1限から。 2003年05月27日 00時26分22秒

テスト
 今日はTOEICのテスト。
昨日模擬をやったところ長文読解がほとんど時間もかからずそれでいてほとんど出来たので、
昨日と同じペースで臨んだところ時間が全然足りず、残り10問くらい問題を見もしないで答案を埋める結果になる。
今回の敗因は苦手分野ばかりやって得意分野をやらなかったので得意分野が伸びなかったことと、
昨日の模擬で油断したことである。
しかもリスニングで"He is〜と流れる瞬間にくしゃみをした輩がおり、1番肝心な部分が聞き取れない。
さすがにもう一度流してくれたが。

 その後ゼミ員のM尾氏(その昔モナリザのネクタイを送られ、実は結構気に入っていたほうではない)の劇団の公演を見に干菓子大学へ。
ゼミの先生の講演でも眠る私だが、非常に面白かったのでしっかりと見ていた。
満足して帰宅。
だが土曜日遅くまでスパイダーソリテリアなどやっていたツケを払う時は着々と近づいているようで、
まだ明日のゼミと演習の準備が終わっていない。
今日は眠れるのだろうか。 2003年05月25日 22時41分34秒

土曜
 うちのゼミの先生のページがやっと更新され、やっと我々もゼミ員になれたようである。
先生の写真は更新されていない。
一体何年前のだろう(見ていませんように!)。
 明日のTOEICの勉強をした後、区の図書館で調べもの。
調べなければならないがどうしてもわからない部分を図書館の司書さんに相談したところ、
司書四人位で調べるという大掛かりなものになるも結局わからず。
その他調べもの。
うちの区の図書館は資料室というものがあり、
『日本産カミキリ辞典』などという公立機関でなきゃ誰も買わないような本もあって私のマニア心をくすぐる。
ちょっと読んでみたりするが面白くない。
その後帰宅。 2003年05月24日 19時59分20秒

ゼミである。
 打ち合わせのため朝から学校へ。
O氏と打ち合わせをした後、ハゲベッド氏とJへ。
最近弱っているので、小にも苦戦する。
昨日が誕生日だったので、ハゲベッド氏がJ代を出してくれる。
ごっつぁんです!!
その後図書館にこもり、授業に出る。
終わってからまた図書館にこもり、もう暗くなってきた。
今日こそ何時に帰れるだろう。

 私の周りで一番初めに結婚と言い出すのはいったい誰だろうとか最近考える。
K大はK大生同士で学生結婚をすると、その後の学費が半額になるという。
そのことをうちの姉に話したところ、姉の母校S蹊大学もそうだという。
両親がその大学の出身なら、必然的に子供をその大学にいれようとするからだと考えられる。
実に長い目で見た投資である。
2003年05月23日 19時48分27秒

ゼミである。
2003年05月23日 19時43分39秒

木曜
最近タイトルが簡単すぎるな。
今日で21である。
10代後半からあまり年齢を意識しないようになり、昨年20ということで改めて年齢を考えたりする機会を持ったりしたが、
20を超えてしまったというのはまた新たな気持ちにさせてくれる。
そろそろ周りが結婚とか言い出すような気がする。

 今日は体育のバレーボールの授業に潜入した。
久しぶりに激しく動いたところ、だいぶ弱る。
やはり衰えは隠せない。
それに引き換え酒は飲んでいるので、今にNHKの英会話に出てくるコーパス君のようなお腹になりそうでちょっと心配である。
その後ゼミの調べものをしたりして10時半頃電車に乗る。
急行から各駅停車に乗り換えた際、体育の着替えを入れた袋を車内に忘れる。
すぐに気づいて駅で問い合わせたところ、吉祥寺駅にあるということなので吉祥寺に向かう。
というわけでだいぶ時間をロスし、先程帰宅。
ゼミの資料作りが全然進んでいない。 2003年05月22日 23時46分01秒

水曜日
1限に出るO倉さんによって7時に起こされる。
O倉さんを送っていった後、大学へ。
ゼミの仕事をしたりしてから所用により芝浦まで。
田町駅から徒歩十分とのことだが、K大→田町駅→芝浦と片道で20分かかる。
往復40分。それだけで4限の時間はだいぶ消費される。
ゼミの仕事等でまたも昼飯を食い損ねたので、3時頃A布ラーメンへ。
ここは美味しいと思うが、時間が時間だけに誰もいない。
店としても仕込み時間だけに迷惑であろう。
ということは単純に考えて3時頃も列が出来ているJはA布よりもはるかにおいしいと言うことになるが、
ことがそう単純ではないのは昨年春秋連覇を果たしたW大のW田がどうしても勝てなかったH大によく勝ったK大が5位だったのと同じ論理である。

 その後外国語学校の授業。
終わって外語飲み。
さすがに外国語学校は学生の年齢層が幅広く、大学1年から70以上までいる(高校一年生もいるが、飲みには来ていなかった)。
70以上のMおさんがモーニング娘。他女性アイドルに非常に詳しいのに驚く。
MさんがT中大臣がゼミをやっていた時のゼミ内カップルで、
T中大臣が仲人という話にもだいぶ驚く。
他にも70カ国以上を訪れたというMおさんの話など、いろいろ勉強になる。
最近ゼミという非常に狭い世界に漬かっていたため、
改めて他の世界を見るよい機会であった。 2003年05月22日 00時33分39秒

火曜日追加
 体育の弓道では、最初は的に当たっていたがトイレに行きたくなったあたりから急に的中率が下がる。
まさに弓の乱れは心の乱れ、心の乱れは家庭の乱れ、、、(中略) にんにく入れますか?という感じである。

 その後図書館でゼミの資料を作っていると、S会のMもとさんから「重大事件発生。日吉で会議です」というメールが届き、行くことに。
8時頃日吉到着。
だが、重大事件というのは嘘で、みんなで飲みたいための口実だったとわかる。
おのれ!と思うが折角なので日吉で飲む。
11時半頃まで飲む。
その結果O倉さんが終電をなくし、またも我が家に泊まることが決定する。
先程我が家到着。O倉さんは私の布団の上で熟睡しているようである。 2003年05月21日 01時40分38秒

ゼミだゼミだゼミだ〜
 高校時代と大学時代どっちが多く勉強したかと聞かれれば、迷うことなく大学時代と答える。
社会人になってからも、「社会人ってこんなに暇なんだ」なんて言葉を吐けそうな気がする。
なぜこんなことを言うのかというと、ゼミの新たな課題が出されて非常に忙しいからである。
さらに日曜は英語の試験である。

 週で唯一の1限。
2限は一部熟睡。
昼休み、Y村氏に会い山食でハヤシライスを食す。
山食といえば辛いカレーだが、ごくまれにハヤシライスなどというメニューがあることもあるのだ。
というわけで食す。
その後授業を二つこなし、旧図書館にこもってゼミの資料作り。
大雨になっている模様。
今日は何時に帰れるだろう。
2003年05月20日 18時28分13秒

ゼミ
 昨日寝ようと思ったら課題があるのに気づき、3時になっても終わらないと言う悲劇を生んだ。
昼ごろ学校に行き、Y氏とゼミの発表の打ち合わせ。
直前に必要なものが刷り上り、ゼミ。
先週は13の事柄を調べたが、来週までに新たに20の事柄について調べるよう言われる。
やるしかないようだ。
ゼミが終わってベンチでパンを食しているとA見O野両氏に会い、帰る。
帰りの電車でO氏のゼミの先生の話で盛り上がる。
同じことを言うのでも、うちのゼミの先生が言うのとO氏のゼミの先生が言うのとでは全然印象が違う。
それが人柄と言うものだ。 2003年05月19日 21時17分31秒

ゼミ
2003年05月19日 21時13分55秒

日曜
 所用により朝から学校へ。
夕方、O部の連中に会う。
O部の1,2年はなぜか私に会うと立ち止まって挨拶していく。
そんなことはいいとして、彼らは六大学野球とアメリカンフットボール早慶戦の応援に行っていたらしい。
野球は勝ったからいいものの、アメフトは惨敗だったようだ。
K大アメリカンフットボール部Y二コーンズはその昔5年連続全国制覇をしたこともあり、
関東一部リーグ残留はしているものの、他大学の強化政策によって今やその戦いぶりは貧租で見ていられない。
ましてや相手は関東代表で甲子園ボウルにも出場するW大○ッグベアーズである。
さぞかし惨敗を喫したことであろう。
出来ることならW大の観客席で見ていたいものである。
スポーツ科学部設立と教授会の理解が深まったW大のスポーツの躍進は目ざましい。
正月のK学院大学相手のラグビー大学選手権決勝は実に見ていて面白いものであった。
そんな相手を「永遠のライバル」などということにして惨敗を喫するために挑むのだからK大も身の程知らずである。
そういえば野球の早慶戦も近い。 2003年05月18日 23時37分59秒

土曜
 のんびり起床。
月曜の発表の準備と英語の勉強と昼寝。
私も野球ばかり行っているほど暇を取れなかったので、
「行くかも」と言ったO部のY村氏には悪いが試合が行われている頃は疲れて昼寝をしていた。
わが第二の母校R大学の敗戦を見るのはなんか申し訳ないが、
一応第一の母校が勝ってこそである。
てか別人でも匿名表記にすると全部Y村氏だ。
それは山田でも安田でも蓬田でも全部Y田になるのと同じ原理であるな。
もしくは全部M田なのと同じか。 2003年05月17日 19時44分02秒

金曜
 昼ごろ学校に行き、調べもの。
ゼミ員のO氏が来てからは共同の発表の打ち合わせ。
その後授業。
ディベートをつつがなく済ませる。
その後図書館で調べもの。
N澤を呼び出してゼミに関する資料を渡す。
N澤の不意を突いてプラスチックのファイルで一撃を加えようとするも、寸止めでやめておく。
N澤に「Y田さんのせいでY村さんまでそんなことをするようになってしまったので、
やめてくださいよ」と言われる。
図書館を出ると昨年度語学のクラ友のMり氏に会い、一緒に帰る。 2003年05月16日 22時15分58秒

金曜
 昼ごろ学校に行き、調べもの。
ゼミ員のO氏が来てからは共同の発表の打ち合わせ。
その後授業。
ディベートをつつがなく済ませる。
その後図書館で調べもの。
N澤を呼び出してゼミに関する資料を渡す。
N澤の不意を突いてプラスチックのファイルで一撃を加えようとするも、寸止めでやめておく。
N澤に「Y田さんのせいでY村さんまでそんなことをするようになってしまったので、
やめてくださいよ」と言われる。
図書館を出ると昨年度語学のクラ友のMり氏に会い、一緒に帰る。 2003年05月16日 22時15分56秒

福沢先生ウェーランド〜
 今日は福沢先生ウェーランド経済書記念講演、だったかに行った。
確か1867年5月15日はあの有名な、戊辰戦争が行われて鉄砲玉が飛び交う中においても福沢諭吉が慶応義塾においてウェーランドの経済書を用いて授業していたという日であり、慶應義塾を象徴する出来事といわれている。
というわけで5月15日は毎年それを記念して講演が行われる。
今年の講演は私のゼミの教授である。
それもあったが、
日本で最初の演説が行われたという重要文化財の演説館という建物に入ってみたいというのもあった。
というわけで4限に出ず講演へ。
K見さんやA見氏らに会う。
面白かった。
「日本文化は韓国のコピー」などという偏見が平気でまかり通る韓国の食文化を支える唐辛子が、
実は日本を経由してもたらされたのだと知ったら韓国の人はどのような反応を示すのだろう。 2003年05月16日 00時10分59秒

授業。
 3限から。
隣に座ったN澤をいじめたりしつつ3限を終え、Y村I藤両氏と大学付近の蕎麦屋に行く。
その後二人と別れ、5限に出てから院棟4階にて諸所話し合い。
その後素材屋にて飲む。
中ジョッキを4杯くらいしか開けていないのに、
何だかんだいってそこそこ酔う。
今週飲んでばかりだ。
Hりさんは私が飲んでいる時間を練習に費やしているのだろう。 2003年05月15日 00時43分50秒

火曜
 ゼミの発表が一段落し、1限に出る。
今年は火曜以外全て授業が4限からか5限からなので、
学校に朝からいるという感覚が久しぶり。
ここ最近の睡眠不足もたたって2限は熟睡。
3限は4限の課題をやろうと思っていたのにビデオを見るため電気を消される。
久しぶりに早く帰れるので学校を出ると、織田に向かうところのハゲベッド氏とT中氏に会う。
渋谷まで一緒に行き、その後私はブックファーストで有意義に立ち読みをする。
その後帰宅。 2003年05月13日 20時31分07秒

今日やったこと
 学校行く。
O、Y両氏とゼミの打ち合わせ。
授業。
以上。 2003年05月09日 22時38分57秒

すっかり疲れた
 気晴らしに書いておこう。
明日も授業は1つしかないが明日くらいには峠を越えたいものだ。

 余談だが我が家のパソコンにはWンドウズメディアプレーヤーが付いており、
Mガンエレファントの音楽が流れている。
私は結構何でも聞くが1番よく聞くのが邦楽の男くさい、激しいロックか、スカとかそんなジャンルのグループである。
Mッシェルはその昔ライブにも行った。
古くは○ルーハーツから、最近はK島をよく聞いている。
私の音楽の趣味は周りにするとちょっと意外らしい。
別にそれでもいいのだが、
「民謡とか聴くと思ってた」とか言ってきた野郎は殺そうかと思った。 2003年05月08日 23時50分17秒

すっかり疲れた
 気晴らしに書いておこう。
明日も授業は1つしかないが明日くらいには峠を越えたいものだ。

 余談だが我が家のパソコンにはWンドウズメディアプレーヤーが付いており、
Mガンエレファントの音楽が流れている。
私は結構何でも聞くが1番よく聞くのが邦楽の男くさい、激しいロックか、スカとかそんなジャンルのグループである。
Mッシェルはその昔ライブにも行った。
古くは○ルーハーツから、最近はK島をよく聞いている。
私の音楽の趣味は周りにするとちょっと意外らしい。
別にそれでもいいのだが、
「民謡とか聴くと思ってた」とか言ってきた野郎は殺そうかと思った。 2003年05月08日 23時49分35秒

昨日は家に帰らなかったとかでなくて久しぶりに更新しなかった。
いかに私がゼミに時間をとられているかということである。

 今日も昼ころ学校へ。
旧図書館でパソコンを打つ。
授業は休講だったのでしたことはそれだけと言い切ってもいいくらいなのだが、
後は一緒に発表するO氏と打ち合わせをしたくらい。
最近はゼミのことで頭がいっぱいである。
パソコンの打ちすぎで視力を失いそうだ。
日々パソコンに向かっているくせにページを更新できないくらい忙しいのだと思っていただければ幸いである。
2003年05月08日 20時56分36秒

ゴールデンウィークが終わってしまった
 昨日8時に寝るも3時にのどが渇いて目が覚め、結局寝不足。
学校へ行き、ゼミ員と今度の発表の打ち合わせ。
終わるのか?
その後もずっと旧図書館でパソコンを打ち続ける。
使うものこそノート鉛筆からパソコンプリンターになったが、この勉強量は完璧に受験生だ。
てかTOEICも近いのにそっちまでやっている暇がない。
結局ゴールデンウィークはほとんど休むことなく終わってしまった。
パソコンの打ちすぎで目が疲れる。
2003年05月06日 20時41分06秒

月曜
 家に祖父が来る。
その後祖父を父親が車で送り、渋谷のTヤにCDを返さなければならないので車に乗ることになる。
なぜか猛烈に車酔い。
祖父母の家のトイレでG。
その後もだいぶ気分が悪い。
帰ってから布団へ。
朝まで酒飲んでいたのが悪影響を及ぼした模様。
るろうに剣心の斎藤一の言葉を引用すると「くぐり抜けてきた修羅場の数が違うんだ」という感じで(違ったらすいません)、
3年にもなると幾多の修羅場を乗り越えてきた経験があるが、
3年になって運動量がガクッと減ったこともあるのか衰えは隠せない。
というわけで本格的にグッタリする。
高校のクラスメイトのH田氏と飲む約束をしていたのだが断念せざるを得なくなる。
8時に就寝。 2003年05月06日 06時02分05秒

平和な日曜日
 野球へ。
合計9人ほど○同の人が。
会うのが結構久しぶりな人もいた。
野球は思わぬK大の弱点が露呈され、7回くらいまで苦しい戦いを強いられる。
その後やっとこさ打線がつながり、Y城の弾丸ライナーのホームランなどで勝った。
その後Y村氏とそばを食い、I藤氏も現れる。I藤氏はあんみつを食らう。
二人と別れてから学校へ。
だがパソコンが使えず、やろうと思っていた課題が全然できず。
その後織田フィールドへ。
結局居残り合宿は一度も参加できず、飲みにだけ参加する人間にも○同はやさしい。
最近はそんなに激しくないかと判断すると排出せず吸収するため、思っていたより激しい飲みと化すと苦しい戦いを強いられる傾向にある。
というわけで二次会のカラオケあたりでは苦しい戦いを強いられた。
余談だがこのページが思っていたより多くの人に見られていることを知る。
その中にはその昔掲示板で伏字ではあるがほぼ名指しで「悪の枢軸」と非難した人もおり、webの影響力は大きいので気をつけねば。

 その後終電を失ったK林Hしの両名を我が家に泊めることが決まる。
ゼミ合宿で買ったたこわさびがあったので、それと海苔と日本酒を出してきて年寄りくさい飲み方を教える。
いろいろ話す。
O部のG藤がHしの予備校時代の友達だということを知る。
さらにうちの高校の後輩がHしと同じクラスだということを知る。
3時半頃K松にメールすると、
なぜか起きている(謎)。
そんなこんなで朝を迎える。
K林がうちの母親に受ける。
私が女兄弟に囲まれ、共学→男女比4:6の文学部なので男兄弟→男子校→男女比9:1の理工学部のK林のことを驚いていた。
先程二人を送っていった。 2003年05月05日 10時44分39秒

試合に勝ったが勝負に敗れた。
 今日は東京六大学野球春のリーグ戦T大ーK大の試合を見に行く。
K松をおびき寄せておいたので、待ち合わせて明治公園近くのH軒へ。
かごに入れて置いてある刻みねぎをガッシとつかんでK松のどんぶりに投げ入れてやろうかと思ったが、
K松がねぎは入れないとのことなのでやめておく。
相も変わらずうまくもなんともない。
気持ち悪いくらい背油が入っている。
歯ざわりの悪いチャーシューが食欲をなくさせる。
ならなぜ食べるのか、という話だが、一種の儀式のようなものである。
世の中うまい=食うだけでないことも多い。
K松に「まずいだろ」と聞くも私のお金なのでまずいとも言えず、返答に困るK松。

 その後○同の面子と合流。
Y茸氏、S谷氏、N嶋、H本氏が現れる。その後Dちゃんも合流する。
球場へ。
試合は初回からヒットを連発され、ピンチの嵐。
逆にこっちはヒットが出ないし。
M田のHRで1-0で勝ったが、こっちはヒット3本、T大は8本、さらにエースK見が9回突如運ばれて降板するなどの散々な内容であった。
これもやはり「俺が来ると必ず負ける」と豪語していたH本氏の力によるものであろう。 
 その後別れて帰宅。
ゼミの課題は終わらない。 2003年05月03日 22時37分59秒

今日も外語あるよ
 題名の通り、学校へ。
田町駅でI村さんに会う。
その後図書館に行き、レジュメ作りの続き。
合間に生協に行ってカップ麺を買い、お湯を入れたところあまり熱くなく、とんでもなくまずいものに仕上がる。
そんな不快な感情を抱えながらも外語の授業。
その後旧図書館で史料を探す。
終わらない。
受験生時代を思い出した。
9時に大学を出て、帰宅。 2003年05月02日 22時56分19秒

 某J新聞に「ビールとほとんど味が変わらず、それでいて安い発泡酒の増税には反対だ」みたいな内容が書かれていた。
全く何を言ってんだって話で、ビールと発泡酒の味は全然違う。
ビールに比べて発泡酒は猛烈に美味しくないし、
値段の違い以上の開きがあるとさえ思う。
それはいいとして、手っ取り早く儲けようという浅はかな考えの下に発泡酒の増税が決まり、今日から施行された。
税収不足を補いたいのはわかるが、過度の税金は逆に消費を止め、経済の活性化を抑える。
日本史チックな話をすると、初の戦国大名北条早雲は当時多ければ七割八割とるのが当たり前だった年貢率を三割にし、善政を敷いたので国が活性化して五代にわたる北条氏の基礎を作り上げた。
武田信玄も年貢を抑えたことで甲斐国は発展した。今でも山梨県民は武田信玄を神として祭っているらしい。
楽市楽座令を敷き、商業経済を活発化させた織田信長も成功者である。
「消費を増やしたいなら税金を安くすることが必要」(井沢元彦氏の著作より)
目先の利益にとらわれて不況を促進するような政策は勘弁してもらいたい。
タバコにも同じことが言えるが、私は嫌煙者なのでタバコの売り上げが減ってもあまり気にしなかったりする。 2003年05月02日 01時03分50秒

ゼミって忙しい
 今日はハゲベッド氏と上野毛で待ち合わせてG美術館へ。
この美術館はゴールデンウィークの間だけ「国宝 源氏物語絵巻」を公開する。
昨日Jに並んでいる列の途中で私が言い出し、急遽決まる。
美術館へ。
混んでいる。
非常に面白い展示であったが、展示を見ている間私は往々にして自分の世界に完全に入ってしまうので、ふと気づくとハゲベッド氏を見失ってしまっていた。

 その後ある意味こっちがメイン?の上野毛Jへ。
私は四店舗目であり、ハゲベッド氏は絶対に私より頻繁にJに行っているのだが、すべて本店のためこれが初遠征となる。
生卵なんてメニューがあるのでそれも頼む。
こっちのほうがお店、という感じがし、本店のように店主がうさんくさくなかった。
「野菜」と言ったところ野菜と麺が1:1くらいになって感動。
その代わり本店の要領で麺から片付けていったところ、野菜が後半になって余るという皮肉な結果を招く。
生卵は下のほうの麺を引っ張り出した際にいやおうなしに沈められ、その後若干黄色いものが見えたりしたがいつの間にかスープと完全に同化し、スープをさらににごらせただけだった。
小ぶたなど楽勝過ぎたのでスープ前飲みを決行し、店を後にする。
ハゲベッド氏も満足だった様子。

 その後ハゲベッド氏と別れ、私は買い物。
この前落とした上着に代わる上着を購入。
昔脱税事件で開幕からしばらく試合に出ることのできないM本の代わりとしてY球団がNハムからS石を補強した感じを思い浮かべていただければわかりやすい(余計わかりにくいか)。

 家に帰ってからバッティングセンターなどに行った。
そういえば高校の時によく行ったバッティングセンター、二本立て上映の映画館、釣堀などに最近は行っていなかった。

 サッカーの攻めていながらなかなか点が入らない展開にイライラしつつ、その後ゼミのレジュメ作り。終わるのだろうか。 2003年05月01日 21時59分52秒

休みでも外語はあるよ
 昨日ハゲベッド氏からJのお誘いが来たので学校へ。
ゼミの調べ物をしたりしてからハゲベッド氏と合流して並ぶ。
大ぶたを食す。
あれはうまいものなのかどうか未だによくわからない。
その後調べ物の続き。
その後外国語学校の授業。
学習に対するモチベーションの高い外国語学校は大学が休みでも祝日でない限り授業がある。
日本語の講座では、先生が授業に遅れてきたりすると学生が怒り出すこともあるという。
終わってからもゼミの調べ物。
疲れて学生団体ルームに逃げると、S会のY崎さんに会う。
「これから六本木ヒルズ行くから」
私の登録しているバイトの社員の物真似をすると「マージッスか!?」という感じ(だれもわからんね)。
というわけで歩いて六本木ヒルズに行くことに。
着く。
建物は高いし地下は深い。
パスタをおごってもらう。
しばらくウロウロしてから別れて帰った。 2003年05月01日 00時15分27秒

ゴールデンウィーク初日
 昨日の帰り道、元ルナシーの真矢が飲み屋の前で電話しているのを見た。
その後飲み屋に入っていった。
見た目的には真矢だったが、とはいえ地元の駅で真矢が飲んでいるとはどうも思えないので、
もしかしたら似ているオッサンかもしれない。

 昨日寝たのが4時だったため、
ゆっくり起床。
衣替えをし、またもスパイダーソリティアにはまる。
なぜかどうしても中級がクリアできず、
昨日の夜とあわせて23連敗くらいする。
だれか勝ち方を教えてくれ〜。
今日はそんなこんなで終わりそうだ。 2003年04月29日 16時05分50秒

凹む日。
 今日は4限からなので神宮に野球を見に行く。
愛塾心のない私は塾歌を歌うのが面倒なので試合開始ちょうどに到着。
観客が驚くほど少ない。
黒服の数が観客と同じくらい。
ポイント稼ぎのために買ったM製菓の○けのこの里を食べながら観戦。
先頭の早川が二塁打で出たのに次がバントに失敗して2アウトランナーなしになり、次打者がヒットを打つなどのチグハグぶりを発揮しながらも先制点を取る。
そろそろ行かないとゼミが始まるという時間になり、出ようとすると逆転される。
さらに間に合うギリギリの電車に乗りそこね、麻布十番駅からダッシュ。
暑い。
あまりに急いだせいで脱いでかばんに入れていた上着をどこかに落とす。
だいぶ凹む。
その後バッタリ会ったU田氏を拉致し、Pへ。
ゼミやらの話をする。
8時半くらいまでいて、その後渋谷でCDを借りたり立ち読みをしたりしてから帰宅。
明日は休み。ありがたし。 2003年04月28日 23時29分37秒

吉祥寺
 朝から夕方まで学校に行く用事があった後、吉祥寺へ。
飲む約束をしていた。
面子はY茸、K松、Dちゃん、Yう。
だがYが体調悪いとかで帰る。
お大事に。
O将へ。
楽しく飲む。
K松に飲んでもらう。
いつの間にかY茸、Dちゃん私Y茸によるK松包囲網のようなものが出来ており、「とりあえずK松はこれ飲まないと」と私が言うと、
Dちゃんが「これ飲まないとK松全額負担だから」とかそんな感じになって守りに入ろうとするもK松は飲む。
K松がビールがだめだといっては日本酒を用意し、
K松は「もう飲みませんよ!」(K松を知っている人は彼の口調を頭に思い浮かべながら読もう)を連発するも
何だかんだ言って飲む。
だいぶ面白い飲みに仕上がる。
吉祥寺駅でY茸Dちゃんと別れ、私とK松は電車に乗る。
K松は電車に乗ろうとして線路に転落する。
と書こうかという話をしていたらK松に
「嘘はいけません」と注意される。
「明日は1限があるんですよ」を連呼しつつもK松は電車に乗り、
もう家に着いた頃か。
1限に出るのはやや難しいかと思われる。 2003年04月27日 22時14分04秒

野球観戦
 東京六大学野球春のリーグ戦に行くことにする。
S会のY村氏と待ち合わせ、神宮へ。
M大はエースでK大に絶対的な強さを誇るI場が先発でない。
驚く。
前のほうには○同の人々がいたが若干離れていた。
最初のほうは相手のミスで進んだランナーも三振ゲッツーで生かせなかったりしたが、フォアボールで出てたまったランナーをタイムリーで帰し、
4点を先取した。
その頃S会の人々が来たとのことなので、
Y村氏と共にそちらの席に移動する。
で、観戦。
K大は先発U田を3回でノックアウトした後もスクイズなどでこまめに加点し、
危なげない試合運びで勝利を収めた。
勝つなんてカケラも思っていなかっただけに、意外すぎるのであった。

 その後Y村I藤両氏と共にH軒でラーメンを食らい、帰宅。

 今日I場が投げなかったのは怪我としか考えられない。
K大に絶対的な自信を持っているであろうI場を初戦に持ってくれば2戦目に負けたとしても3戦目に中1日でI場を投入することが出来るのに対し、
明日I場が投げるとなると3戦目にもつれこんだ場合、
誰が投げるのかということになる。
明日I場が投げるのであれば、
初歩的な采配ミスとしか思えないので、
そう考えると怪我、
もしくは物凄く調子が悪いと考えるのが一番妥当かと思われる。 2003年04月26日 20時35分35秒

雨の金曜日
O倉さんを送った後、学校へ。
ゼミの先輩に会ったりしてから5限へ。
英語ディスカッションだったが、考えては来たのにタイミングをはずしてあまり喋る機会なし。
悔いの残る結果となる。
たまにはさっさと帰る。
ゴールデンウィークも近い。

 明日は対M治戦。
K大がいかにI場を苦手としているかは書いたとおり。
雨が降らなければY村に誘われたこともあり、行く予定だが勝ちは期待していない。
T大がW大に勝つ可能性並に勝ちは期待できないと思っている。
ただ5年前、T大はW大から勝ち点を挙げているので偶然の偶然で勝つ可能性はあるかもしれん。
そうなったら実力不足を補って余りある運ということで優勝も期待できるかもしれない。
K松には毒舌といわれたが、一応母校は応援しているつもり。
ただ戦力分析が客観的で冷静すぎるのである。 2003年04月25日 21時14分17秒

ぬるい飲み
 木曜。
のんびり起き、4限をPと受ける。
その後日吉に行き、諸所話し合い。
新研究室棟というものの中に入った。
快適な建物だ。
三田の研究室棟よりずっとすごい。
その後飲む。
ここ最近新歓コンパとかであまり多く飲む機会はなかったが、
昨日はだいぶ飲んだ。
処々の理由により体育の先生もいたが、
全体的にだいぶ飲む。
日吉で12時くらいまで飲む。
O倉さんがつぶれ、
電車もなくなって我が家に収容することが決まる。
日吉から電車に乗ると、生死の境を彷徨っているのではないかと思えるくらい苦しんでいるお父さんを発見する。
かばんも持てなくなっており、皆で笑う。
すると近くにいたサラリーマンにもう少し静かにして欲しいといった旨のことを言われる。
彼の言うことは正論であったが、
よく見ると彼はモーニングなど読んでいる。
彼が降りた途端「あんな偉そうなこと言ってたけど読んでたのたかがモーニングじゃん!もっと真面目な本読めよ!説得力ないよ」と批判の嵐。
渋谷で降りる。
お父さんは降りられなかった。その後どうなったかは不明。
渋谷駅到着の時点で12時35分くらい。
イノヘッド(ハゲベッドではない)の終電は38分なので、
瀕死のO倉さんを連れて若干急ぎ、無事に乗る。
立っているのも辛そうに見えたのだろう、
ニコラス・ペタスに似た外国人が「どこで降りますか?」と声をかけてきて、席を譲ってくれる。
O倉さんと共に座る。
O倉さんが駅のトイレからしばらく出てこないなどのアクシデントを抱えつつ、
帰宅。
その後ひたすら就寝。
朝が来て、O倉さんが起きてから駅まで送っていった。
長い一日だった。 2003年04月25日 11時57分35秒

上野
 今日は開校記念日ということで休み。
今まで通っていた学校は開校記念日とか、誕生日とか、命日などで休みになることはなかった。
夏休み中とか、国民の祝日だったからとかそんな事情もあったのだろうが、
それにしてもF澤はいい日に学校を作り、いい日に死んでくれたものだ、
などと言ったらバチが当たるだろうが、
F澤は唯物論者(超自然的な力の存在を認めない、宗教的なものの存在を認めない人)なのでバチがあたるはずがない。
信心深い私の感覚ではバチが当たるのだが、
少なくともF澤の霊魂によってバチが当たるというのは
論理的でない。
何せF澤は神社の神聖な石をただの石と取り替えたが、バチなど当たらなかったと自伝に書いているくらいなのだから、
F澤の死んだ日が休校なのはありがたいと彼の作った学校に通う私が言うのは
彼の教え、考えに忠実であることの証であるといえよう。
彼の考えには批判的ではあるが理解はしている私。
 と、前置きが長くなってしまったが、
平日の休みということで上野にある博物館へ。
京都に行ったときは修復工事中でみられなかった西本願寺の展示をみた。
物音一つしない静かな場所で展示をみるのが好きなので平日にしたわけだが、
私の天敵である、修学旅行生らしき輩がいる。
「てめえらに仏像のありがたみがわかるか!」と言いたくなるも我慢。
重要文化財や国宝のありがたみを知らない若年層が騒いでいても我慢。
だが展示は非常に良かったので満足。
今日は5限がないので練習に出ようと思っていたが、
ついつい展示を見るのに時間をとられ、
博物館につく頃には雨が降り出していたこともあって結局行き損ねる。
その後帰宅。 2003年04月23日 20時56分31秒

授業が4つも
1限から。
営業努力して、1限の遅刻を5分で済ませる。
体育では弓を打つ。
なかなか面白い。
今まで陸上競技ではゆっくり長くでやってきたが、
弓は一瞬に全ての力を込める。
まったく逆である。
3限は先週の80分睡眠に比べ、40分睡眠くらいに押さえた。だいぶ営業努力。
今日は家に親戚が訪れ、4時間近く話をして先ほど帰っていった。
 明日は開校記念日とかで休み。いい日に開校してくれたものだ。 2003年04月23日 01時08分16秒

風が強い
 昼ごろ学校へ。
Kと会い、だべる。
その後Kは授業に行き、私は図書館1階レファランスルームで調べもの。
その後演習。
「前回の問題を出来た順に座ってもらう」とのことだったが、先生の隣になって閉口。
黒板見るにも私だけいちいち振り返らないといけないし。
その後ゼミ。
終わってからも今度の発表の打ち合わせなどですんなり帰れず。
やっと終わって教室を出ると、物凄く強い風が吹き荒れていた。 2003年04月21日 21時33分48秒

バイトである
昨日はその後新歓コンパがあった。
やはり一年生は若い。
うちの高校出身の人が何人かおり、中学の時同じ部だった奴もいた。
外語の授業で一緒のH君がいたのにはびっくりした。
そういえば彼は今年から大学生なのだからいてもおかしくはないわけだ。
1次会で飲んだ後、二次会はカラオケ。
ここ最近カラオケによく行っている気がする。

 で、今日は6時に起きて試験監督のバイト。
早起きは辛い。
仕事自体は楽。
教授のように教卓に座り、マイクを使って試験の指示をするのはなかなか爽快であった。
ただ、周りがみんな大学生同士でペアを組んで仕事していたのに、私のパートナーがなぜかおばちゃんだったのには閉口であった。
  2003年04月20日 20時52分15秒

日吉と三田へ
 健康診断を受けるべく日吉へ。
私にとって日吉といえば、Mリーンである。
というわけでK松とN嶋を呼び出す。
というか昨日のうちから声をかけてあったが。
Mリーンへ。
ナポリタンを注文する。
出てきた後に思ったが、前ここに来たときも同じ注文をしている。
失敗したと思った。
やはりカルボナーラにしておけばよかったか。
その後健診。
視力検査で、12は見えるのになぜか8が見えないなどのなぞを残しつつ終える。
K松は「体重が増えたのはMリーンのせいではないか」と言うも、
確かにその可能性は否定できないものの、
だからって昨年比4kgはないから、と思う。
 
 その後三田へ。
K田さんに今度授業で使う、教室においてある機材の使い方を習う。
これで万全。
 その後パソコン室へ。隣でS氏がパソコンを打っている。
2003年04月19日 15時17分43秒

今日は暑いよ
ゆっくり起きて部屋を片付け、学校へ。
猛烈に暑い。
途中で会ったA倉氏の話だと、25℃くらいになるとのことで凹む。
外国語学校の授業。
ディスカッション。
油断すると内容を聞き逃すので手が抜けない。
そして来週はいよいよ我々。
何がたのしぅてリーダーなどと思うが、決まってしまったものは仕方ない。
今日は本当に暑かった。 2003年04月18日 23時16分53秒

暑い
 昼ごろ学校に向かうと、大学内に献血車が。そしてその前に見慣れた人が。I橋さんである。「そのまま真っ直ぐ進んで」と言われるも、私が2月に献血していたためまだできないということになって免除された(1度献血をするとしばらくの間できないのは本当だが、それが2ヶ月なのか3ヶ月なのかは私は知らない)。すると近くにS本さんも。よく働く方々である。
 履修の仕方でわからないところがあったので学事センターへ。その後授業。大人気の授業のため、先に教室に荷物を置いておいたが置いておいたのが実は隣の教室で、意味がなかった。ハゲベッド氏の隣に座らせてもらった。
 その授業では『支那の夜』という昭和15年に上映された映画を見る。その映画は日本人兵士と中国人女性のラブロマンスを通じて描かれている当時の日本の考え方を見るという目的で見させられたが、ストーリーが崩壊していた。兵士と中国人女性が結婚した直後、招集がかかって兵士は軍用船に乗る。するとその船を中国の便衣兵(ゲリラ)が襲い、兵士は帰らぬ人となったということが女性に伝えられる。悲しみにくれる女性だが、女性の名前を呼ぶ声が聞こえる。その声は少しずつ大きくなり、何と死んだはずの兵士が右腕に三角巾をして現れ、二人は感動の再会を果たして終わる。「日中戦争当時、日本は戦争をしつつもどこかで中国との和解を望んでいた」というのが趣旨だと教授は言っていたが、それにしても何の説明もなく復活だけを果たす兵士の姿にはあきれてものが言えなかった。ふざけるのもいい加減にしてもらいたい。 2003年04月17日 23時07分13秒

毛利就寝粉屈す
もう履修申告っス
と打ち込んだらあんな変換が出た。ナメているとしか言いようがない。
 図書館でゼミの資料を借り、家に帰ってからゼミ員名簿作り。そして履修申告。うちの専攻はB欄記入というものがあるのだが、今年は法学部の授業も取ることにしたので履修するにもB欄の記入する番号がわからない。履修に失敗したらだいぶ笑えないので、明日聞かなければ。
 
2003年04月16日 22時19分17秒

もう履修申告っすね
 火曜は授業が4つ入ることが決まる。
 3限の授業は講義要綱を見ると他専攻の人にも興味深いものに見えるらしい。というわけで先週は結構多くの人が聞きに来ていた。実際一回授業を見てみた今週は、、、、、。他専攻の人は正直である。私はとらないと卒業できないのでとるが、80分眠った(10分は教授の遅刻その他である)。
 その後バイト。今日は入ったばかりの新人が2人いた。その結果私が当然わかっているものだと思っていることがわかっていなかったりして、雨の平日なのにとても混んだりしたこともあって非常に疲れ、ドタバタしてその結果私が板前に烈火のごとく怒られたのであった。
 バイトが終わり、休んでいると店内に鼠が乱入する(飲食店街の裏には往々にして鼠が住み着いている)。するとねずみ捕りが持ち出される。必死で逃げるねずみを板前が囲い込み、ねばねばするねずみ捕りで鼠は捕獲される。あのねずみ捕りを見ると私が小学校くらいのときに住んでいた家は鼠が出るのであれが置いてあったこと、そしてそれを私が踏みつけてひどい目にあったこと、日曜の朝起きてみるとそれに半死半生の鼠がかかっていてかなりの衝撃を受けたことなどが思い出された。
2003年04月16日 15時55分25秒

これから
ゼミ活動が忙しくなる模様。共同で発表する人と日程の打ち合わせをしたところ、私の隙間だらけの時間割にだいぶびっくりされる。それを補って余りあるほど忙しくなりそうではあるが、、、、。
 書き込めなかったのは容量が大きくなりすぎたのが原因の模様。
2003年04月14日 23時24分21秒

日曜
 3次会(カラオケ)も残りわずかになり、寝部屋で眠っていた新入生達が目覚めると寝部屋は歌い部屋へ。なぜかそこはH間氏が仕切る。「TMしばり」と称してTM Networkの曲しか入れてはいけなくなる。そしてそれらの曲が続いた後、H間氏はAまに入れたい曲を振る。Aまが言った番号をH間氏が入れたところ、なぜか「貴方につくします」という曲が入る。「H間さん違いますよ!○○○○(番号)ですよ」とAまが言い、H間氏が入れなおすと今度は「ブルーライン大坂」という曲が入る。そんなことをやっていると画面がフリーズし、時間切れとなる(ちなみに、Aまが入れたかった曲は「SOUL LOVEだった様子)。
 朝5時頃解散。帰りの井の頭線は朝から大騒ぎしている外国人がたくさん乗り込んでいて、なぜかつり革を吊るすパイプに足を引っ掛けてぶら下がるという常識では考えられないことをする(目撃者、N川N嶋)。最初騒ぐ外国人に周りの乗客は白い目を向けていたが、ぶら下がり始めたあたりから皆興味津々という感じになる。あのパイプは推定身長190cmの外国人が全体重を預けても大丈夫ということが判明する。
 帰宅し、仮眠を取ってから神宮球場の東京六大学野球リーグ戦へ。K松とY茸がいる。その後Kんさんも来る。
 試合は、絶対負けると思っていたが何と勝った。勝ったがH大はバントを何度も失敗するなどミスを連発してK大のミスにつけこめなかった。
 渋谷でラーメン(K松だけカレー)を食してKんさんと井の頭線へ。お互い熟睡し、私は寝過ごして吉祥寺に着く。そこでKんさんと別れる。
2003年04月14日 23時22分26秒

新歓
 ○同の総会。ギリギリになるも遅刻せず出席。
 その後新歓。集合時間までハゲベッド氏、M浦氏、H間氏でVチェ。H間氏はエスプレッソを頼む。M浦氏が「エスプレッソってどうゆう意味?」とたずねると、H間氏は「急行だよ」と答える。少し考える時間があった後、気づいた私が「そりゃexpressだよ」と突っ込む。爆笑の渦。だがH間氏は「急行の中で入れたコーヒーだと思っていた」となおも粘る。
 新歓へ。一年生とそこそこ話す。二次会はまさに修羅場。テーブルにGをする者、ぶっ倒れて頭で皿を割る者、コップを割る者、壁を殴る者などいろいろいる。トイレに行ったE角が済ませている途中のK松に後ろから抱きつき、全く身動きできなくなってあせるK松は面白かった(後に確認したところ、二人ともそのことを覚えていないらしい。E角には「お前誰だよ!」などと3年に対するものとは思えない暴言を吐かれるもそんなことで私は怒らない。速やかに彼らを処理した)。居酒屋バイト3ヶ月目の私の経験とノウハウは汚物や食器等の破片の処理に大いに役立つ。勝手に丸盆やおしぼりを借りて勝手にまとめたゴミを出した。
 その後三次会へ。
2003年04月14日 23時21分33秒

新歓
 ○同の総会。ギリギリになるも遅刻せず出席。
 その後新歓。集合時間までハゲベッド氏、M浦氏、H間氏でVチェ。H間氏はエスプレッソを頼む。M浦氏が「エスプレッソってどうゆう意味?」とたずねると、H間氏は「急行だよ」と答える。少し考える時間があった後、気づいた私が「そりゃexpressだよ」と突っ込む。爆笑の渦。だがH間氏は「急行の中で入れたコーヒーだと思っていた」となおも粘る。
 新歓へ。一年生とそこそこ話す。二次会はまさに修羅場。テーブルにGをする者、ぶっ倒れて頭で皿を割る者、コップを割る者、壁を殴る者などいろいろいる。トイレに行ったE角が済ませている途中のK松に後ろから抱きつき、全く身動きできなくなってあせるK松は面白かった(後に確認したところ、二人ともそのことを覚えていないらしい。E角には「お前誰だよ!」などと3年に対するものとは思えない暴言を吐かれるもそんなことで私は怒らない。速やかに彼らを処理した)。居酒屋バイト3ヶ月目の私の経験とノウハウは汚物や食器等の破片の処理に大いに役立つ。勝手に丸盆やおしぼりを借りて勝手にまとめたゴミを出した。
 その後三次会へ。
2003年04月14日 23時21分31秒

ゼミ
今日からゼミ開始。K頭と大学内でだべった後、授業を受けたりする。そういえば明日は履修申告。
2003年04月14日 23時08分10秒

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