「古墳日誌」第八号




これらの文章は僕の日記をもとに書かれています。
少し加筆はしていますが、最小限にとどめています。
そのために文章の流れがあまりにもスムーズではない個所が多々ありますが
その辺はご了承願いたいです。

もう少し大々的に加筆及び変更を加えてもよいのですが
この日誌の趣旨が「個人的に」僕と古墳との係わり合いのもつ歴史と意味を問う、
と言うものなのであえてそのような方針を貫いているのです。


1999年7月1日(木)曇り

古墳に行って、ドラムのパッドを叩いて練習した。
さきたま古墳公園の北東の隅にある東屋の下で。

芝生の上で無数の老人達がゲートボールをしていた。
東屋の屋根の裏にすずめの巣があってすずめが盛んに巣にえさを運んでいた。

少し暗くなってから、小さな女の子が父親に連れられて散歩にやってきて、
ドラムのパッドを叩く僕をじっと見ていた。
女の子は
「ねえ。あれ太鼓?」 と父親に聞いて父親は答えに窮していた。

父親に手を引かれながら去り行く女の子が、僕の方を興味深そうに何度も振り返るので、
僕は女の子に笑いかけたが、女の子は僕の笑顔を無視して、
僕と練習用のパッドをじっと見ているだけだった。


7月25日(日)晴れ

午後7時に古墳に行った。
丸墓山古墳の頂上からきれいな夕焼けが見えて、
北東方向にある羽生の上空に雷雲が発生していてピカピカ雷光が輝いていた。

丸墓山の頂上で僕はタバコを一本だけ吸いながら、
この時にとりつかれていたハイデガーのいう存在と現存在について考えていた。
人間の存在と時間についての思索。

それから「早朝マラソン」についても考えた。
「早朝マラソン」は人のあだ名のことです。

帰りにコンビニで線香花火を買って帰った。


7月27日(火)晴れ

夜の10時半にI君(早稲田大学法学部三年で中学の同級生)と古墳に行って飲んだ。

古墳の森を明るい月が照らすと、古墳の森は一層暗くひっそりとしていた。
僕達は丸墓山古墳の頂上の南側の階段に腰掛けて、そんな風景を独り占めしていた。

月は手を伸ばせば届きそうなくらい近く感じられた。

ガスコンロを持って行ったので火をつけて、するめをあぶってビールを飲んだ。

結局この日は明け方まで飲んで帰った。


8月1日(日)晴れ

日が暮れてから古墳に行ったが人がたくさんいた。

丸墓山古墳の上から眺めると、行田の市街地の方で花火が上がっていた。
南の方を見ると南の方でも1ヵ所で花火が上がっていた。
遠くから見る花火は音と光がばらばらでひどく小さく見える。
けれども僕は丸墓山古墳の上から遠くで上がる打ち上げ花火を見るのが好きだ。
それは疎外感と孤独感の微妙なコラボレーションに基づくのだろう。
人が光を見るとき、その人はその人が見ている光の中には存在し得ないのだから。

南の空にはさそり座が横たわっていた。


8月2日(月)晴れ

古墳に行きマムシを探したがいなかった。
丸墓山古墳の上には男女四人がいた。

僕は1人でまばらな行田の街の光を眺める。
花火は上がっていない。
夏の静かな夜だった。


8月16日(月)晴れ

次の日からゼミ合宿だった。
「夕方古墳に行った」と記録に書いてあるだけだ。

この年の夏、僕は「早朝マラソン」と「コオロギ男」に出会った。
「コオロギ男」はゴキブリそっくりだったので
「ゴキブリそっくりだ!」
と僕は彼に言ったのだけれど、その一言が彼をひどく傷つけてしまったみたいだ。
時として本当のことを告げることは、人をひどく傷つけてしまうことがある。
そして人を傷つけたことに後で気が付いて自分も傷つくのだ。


8月19日(木)晴れ

ゼミ合宿から帰ってきて、ひと休みしてから古墳に行った。


8月23日(月)晴れ

「夕方古墳に行った」と書いてあるだけだ。


8月26日(木)晴れ

もうすっかり秋だった。
丸墓山古墳に登ると蚊に刺された。


8月27日(金)晴れ

ランニングを軽くしてから自転車を漕いで古墳に行く。
丸墓山古墳の上で思索を練ろうと思ったが蚊がたくさんいて集中できなかった。
こんな状況じゃあ、カント先生も音を上げたに違いない。


8月28日(金)晴れ

ここ数日でもうすっかり秋の気配だった。

丸墓山古墳に登るとカップルがやってきた。
僕が高校生の頃には古墳に来るカップルはほとんどいなかったが、
近頃本当にカップルが増えた。
僕はカップルから丸墓山古墳の頂上を死守すべく日夜、
蚊に刺されながらも励んでいた。


第九回古墳日誌に続く。