「古墳日誌」第ニ号




1998年4月14日

この日は、記念すべき2回目の古墳での酒盛りを決行した日であります。 雨が降っていて、 午後の8時30分にI(友人)とともに古墳に向かいました。 途中のコンビニで酒とつまみを入手してから、傘を差しながら自転車をこいだ。 雨のため、 当初の予定であった「丸墓山古墳の頂上で飲む」というのを変更して、 丸墓山古墳から南に伸びる桜並木の砂利道の手前にある東屋で飲むことにした。 東屋は池の前に建てられていて、30メートルほど先には、 忍藩藩主が代々葬られているという墓場がある。 近くに明かりは無く、雨の夜なので暗かったが、 この日の闇は、雨の降る夜にしては明るめの闇だった。 (夜にいろいろなところを徘徊してみると、 闇の暗さにもいくつかランクがあることに気が付く) 池の上にはうっすらと霧のようなものがかかっていて、少し不気味だった。 しとしとと降る雨音がえんえんとしていて、 闇の中からアゲハチョウの幼虫の触覚の匂いのような生臭い匂いがしてきたが、 やがて消えた。池のほとりに沿って、植えられている柳の新緑の枝が、 雨と霧とに少しかすみながら、生暖かい春の夜風にゆれていた。

突然、池の真ん中の方で不自然な水音がした。 さっきから、池でウシガエルが鳴いていて、 鴨がバシャバシャ泳ぐ音は聞こえていたけれども、 その音はいずれの音とも違っていた。 水の中を、人がゆっくりと歩いているような水音だったので、 僕も「幽霊かな」と思ったけれど、事の真偽は分からなかった。 僕はその夜、何ら怪しいものには遭遇しなかった。 酔った耳に池の上に降る春のしとしと雨の音は心地よかった。

しばらくすると、 どこからともなく人懐っこい猫が現れてIのひざの上に飛び乗った。 猫は尻尾が途中で切れていて、切れ目を触ると嫌がった。 僕がつまみをあげると喜んで食べた。

帰りは「さきたま緑道」を通って帰る。 「さきたま緑道」の黄色っぽい色をした街灯に照らされた満開の桜があった。 ソメイヨシノはもうとっくに散ってしまっていたので、 違う種類の桜なのだろう。 いつのまにかしとしと雨はやんでいた。


6月17日(水)

4月14日からこの日まで、 記録は毎日記されているがその中に「古墳に行った」との記述を発見することはできなかった。 僕はそれなりに忙しい学生生活を送っていたようである。 さてそれではこの日の記録。

この日の僕は、夕方に自転車をこいでさきたま古墳に行った。 空は一面うっすらと灰色の雲に覆われていて、 太陽の周りの部分だけが円く明るくなっていた。

さきたま古墳群の中に生えるクヌギの木には樹液がしみだしていて、 カナブンと蟻がたかっていた。 この日は丸墓山古墳の東方にある稲荷山古墳(鉄剣で有名) のさらに東にある前方後円墳の将軍山古墳が最近整備されたようなので行ってみることにした。

将軍山古墳の内部は展示場になっていて、 将軍山古墳の断面をそのまま見ることができたり、 将軍山古墳から発掘された石棺が展示されていた。 石棺の材料となっている石は、 千葉県の富津市から荒川をさかのぼって運ばれたものらしい。 その証拠に、石棺の表面には貝が掘った無数の穴があった。

この展示場は受付に一人女の人がいるだけでほかに職員は見当たらず、 おまけに古墳の下に作られた展示場なので薄暗く、 さらにこの日は僕のほかに誰も人がいなかったのでものすごく不気味だった。 展示場の一番奥にいるときに、 どこからとも無く「パキーン」 という音が場内に響いたので僕は走って出口兼入り口まで走って逃げた。 受付の女の人は、 何事も無かったような顔をして(多分なんでもない音だったのだろう)一人で、 机の上の書類をいじっていた。

それではまだまだ続く。