「古墳日誌」第十号




最近物凄く忙しい。
なぜだかは分からない。
それに忙しいことに理由が無くてもあまり困らない。
むしろ大抵の忙しさには理由が無い。
忙しいから忙しいのだ。

忙しくなるとあらゆるものが忙しくなる。
心理的にも金銭的にも物理的にも、存在的にも忙しくなってひいひい言い始める。
この世の全てのものが自分をせかしているような気がします。

というわけで第十回目の古墳日誌です。


1999年9月30日(木)

中日優勝。
東海村放射能漏れ。
丸墓山古墳の頂上でビックリマンチョコを食べた。


10月12日(火)晴れ

暑い日だった。
日が暮れてから古墳に行くと、丸墓山古墳の頂上に白い痩せた若い猫がいたので遊んだ。
人懐っこい猫だったが、撫でてみると骨が剥き出しで痛々しかった。
とてもいい顔をした猫だった。
たまに闇の中に何かの気配を感じると、
すばやく僕の手を逃れて丸墓山古墳の階段を駆け降って行き、
しばらくするととぼとぼと戻って来た。


10月13日(水)曇り

ランニングをしてから古墳に行って、丸墓山古墳に登る。


10月16日(土)曇り

このごろ記録の記述がひどく淡白で、
この日も「ランニングをしてから古墳に行った」と書いてあるだけだ。
古墳に行くのは夕方で、大抵ほとんど日が暮れて暗くなってきた薄闇の中をもぞもぞと、
間違った方向に進化してしまった節足動物のようにぎこちなく丸墓山古墳に登っていた。
秋は僕にとって心理的にハードな季節だ。
この頃も僕は大変な問題にぶち当たっていた。

丸墓山古墳の頂上の暗闇中で、まばらな街灯を眺め、
さすがに衰え始めた虫達の鳴き声に耳を傾けて、ひたすら沈思黙考。


10月20日(水)雨後晴れ

久々に日の照っている時間に古墳に行く。
埼玉県北地方のどかな田園風景に西に傾いた柔らかな日の光が差していた。
光は柔らかかったが太陽そのものは燦然と輝いて、西の空にあった。

丸墓山古墳に登り、少し色づき始めた古墳の木々を眺めた。
しばらくすると、小学生が3人白い画用紙と絵の具を持ってスケッチにやってきたので、
僕は丸墓山古墳を降り、稲荷山古墳に登ることにした。
稲山古墳は鉄剣で有名な前方後円墳だ。
戦前は農家の私有地で、そのときに前方部分は埋め立てように取り去られてしまったので、
後円部分しか残っていない。
丸墓山古墳の北東部に位置する小さな前方後円墳。

稲荷山古墳の頂上から巨大な丸墓山古墳を眺める。
太陽の逆光で丸墓山古墳は大きな台形の影になっていた。
しばらくすると、老人が三脚に取り付けられたカメラを担いで登ってきて、
稲荷山古墳の頂上に三脚をセットした。
三脚をセットすると老人は僕に
「日没は5時ごろだったっけか?」と聞いたので
「ええ。恐らくそうです」と僕は金のファイアをちびちび飲みながら答えた。

いつのまにか太陽は丸墓山古墳の裏側に隠れてしまっていた。
秋の夕日がとてもきれいだったけれど僕は日没を待たずに稲荷山古墳から立ち去った。


11月3日(水)

10月22日から10月30日までの記録は無い。
とてつもない哲学的な問題にとらわれてしまい、
ずっと考えていたら微熱が下がらなくなってしまった。
本当に熱が下がらないので「ひょっとしてこのまま死ぬのかな?」とも思ったが、
往々にしてこの種の病は時が経つとけろりと治ってしまうものである。

この日は釧路公立大学で中高時代の友人であるKが帰ってきていたので、
高校時代の友人で明治大学のTと推薦で法政に入ったひとつ学年が上のYとで
真夜中に丸墓山に登った。
さすがにこの時期の深夜ともなると肌寒くなってくる。
暗い夜空に、少しだけ星がでていた。
Kが持参したガスコンロでお湯を沸かしてインスタントコーヒーを作った。
丸墓山古墳の頂上の南側の階段に銀マットを敷いて、その上に座りながら飲んだ。

みんな就職について考え始めていて将来の話になった。
「よく分からないけれど、人生について明確なことなんてあまりないんじゃないかなぁ」
と誰かが言った。

3時とか4時とかそういった時間に帰った。


12月9日(木)晴れ

11月10日から12月4日までの記録は書かれていない。
なかなか深い溝にはまり込んでもがいていたので記録を書くことができなかった。
恐らく何回かは丸墓山古墳に登って
ファイアを飲みながらいろいろなことについて考えたとは思うが、
実際に何についてどんな風に考えたかについて証明するものはない。

5時過ぎに古墳に行って丸墓山古墳に登った。
すでに日は沈んでいて、赤黒い夕焼けだった。
何年か前にフィリピンのピナトゥボ火山が噴火した年も
ジェット気流に乗った火山灰の影響で物凄い赤い夕焼けが見られた。


12月11日(土)晴れ

夕方、カメラを持って古墳に行く。
空がとても澄んでいて、少し紫がかった空には細く鋭い月が白く光っていた。

稲荷山古墳に登り、丸墓山古墳を眺めた。
丸墓山古墳は黒く大きな影になって、
西の空に沈殿してゆく太陽の残光のオレンジ色に切り取られていた。
鼻腔いっぱいに冷たく澄んだ空気を吸い込むと鼻のふちがかじかんでくる。
宵の空に突き刺さっている鋭利な月。

僕は三脚にカメラを取り付けて、
自動露出で西の空に残された夕空に切り取られた丸墓山古墳のシルエットを写真に収めた。

稲荷山古墳では昭和初期に所有者によって削り取られた前方部分の修復工事と、
堀の部分の埋め立て工事が進んでいた。
僕としては稲荷山古墳をそのままの状態で保存して欲しかった。
ほとんど埋められてしまった堀に僅かに残った水溜り。
その狭い水面に、今まで見たことも無いような色に染まった空が写っていた。
僕はこの風景をとどめておこうと、
月も一緒にファインダーに収めてから自動露出のシャッターを押した。

西の方に富士山が、まだ微かに太陽の光を帯びている空に埋もれていた。
この日の夕空と宵闇は本当に今までに見たことの無いタイプのものだった。
とにかく凄いとは思うのだけれど、どこが凄いのか、
それが自分にとってどのような (良いとか悪いとか、きれいとか汚いとか、やる気が出るとか出ないとか)
意味をもつのか説明できない性質のものだった。
ありとあらゆる要素のベクトルがさまざまな力で、
さまざまな方向へと働いているのだけれど
そのまったく反対の種類のベクトルが、それぞれの逆の方向へ同じ力だけ働いているような。
作用がそれと等量の反作用によって解消されているというような、そんな古墳の夕暮れだった。
心の中心に向かって心自身が物凄い力で収縮されるような感覚が残った。


今回はこの辺で。 また次回。