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廖化




廖化は「演義」の名脇役だ。

いつも関羽や諸葛亮、姜維という三国志屈指の英雄のそばにいる不思議な存在。

「正史」では蜀書の宗ヨ伝にほんのオマケに「廖化伝」があるだけ。

字は元倹。黄巾賊の残党として登場。(すでに年齢不詳)関羽の五関突破の時のこと。

山賊をしていた廖化は関羽の子分にしてもらおうとするが断られる。

 

時は過ぎて、劉備が益州入りする頃に、軍を率いて投降した廖化はようやく劉備軍の仲間になれた。

そのまま荊州に関羽とともに残る。関羽は呉に敗れ、荊州は呉に取られた。

廖化は麦城まで関羽とともにあるが、成都へ援軍を求める使者となり、関平の援護を受けつつ呉軍の囲みを突破し劉備に報告している。

 

次に廖化が登場するのは諸葛亮の北伐の時。第一次の時は左軍の副将。

その後のキ山の戦いの時、姜維とともに司馬懿を追いこむ重要な役割を担う。その後司馬懿の本陣を狙って、司馬懿を大敗させた。

 

そして続いて廖化が登場したのは姜維の北伐の時。(すでに老年。八十歳以上のはずだが)

なんと蜀の延煕十六年の魏討伐の時には張翼とともに先鋒を務めている。

廖化は魏将徐質と対戦するが、かなわずに逃げ帰る。

しかし廖化は魏兵に変装して、なおも司馬昭の本陣に攻め込むが、この時も邪魔が入って失敗。

五年後、再び姜維が魏討伐に向かうと、またもや先鋒を務める。

魏将はトウガイ。彼は姜維が陣比べを挑むが、廖化がこれを罠と看破する。

姜維は廖化の忠告どおり兵を配置して、わざとトウガイの策にはまったふりをして大勝利。

しかし蜀は滅び、廖化は洛陽への道程の途中、病気で死んだと言う。これは「正史」も同じく記す廖化の最後だ。

 

年齢不詳の廖化は、実に「正史」の記述にも謎が多い。

まず彼は廖淳という別の名がある。荊州で関羽とともに呉に送られることとなった廖化は、

どうしても蜀に帰りたくてわざと自分は死んだという流言をまいた。

そして老母を連れて西へ向かった。名はいつ変えたかは不明だが、

あるいは廖化と廖淳とは親子か兄弟なのでは?そう考えると、この恐るべき長寿も納得できるのだが。