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楽進




楽進、字を文謙といい、魏の誇る勇将の一人である。

しかし、同じ伝にまとめられている張遼ら四将と比べると、いまいち影が薄い。

楽進は曹操の挙兵時から従っているため、名前は知られているが、その功績の面はあまり知られていない。

そこで今回は楽進の一般的にはあまり知られていない戦功や事績を紹介してみようと思う。

 

楽進が曹操に仕えての初仕事は意外にも記録係であった。

仕事の内容から考えて、これから文官の道を進むのかと思われたが、

軍事の才を曹操に見出され、軍の仮司馬となり、武官の道を進むこととなった。

楽進の武官としての戦功は、まず呂布征伐に始まる。

そして張バクの弟の張超征伐、続いて袁術配下の橋ズイ征伐等に参加し、これら全ての戦いで一番乗りの戦功を立てている。

光栄が出版した『DaGama』という雑誌のなかで、投稿者の一人が彼のこの功績を称えて「炎の一番槍」という異名をつけた。)

そしてこの後も楽進は、猪突猛進ともいえる勢いで敵を打ち破ってゆく。

 

しかし、彼が主将に任命されることはあまりなく、他の武将の副将として戦に参加することが多かったようだ。

おそらく大軍を率いての戦術眼は、他の武将達に一歩遅れをとっていたのではないだろうか。

現に袁紹の甥の高幹が守備する上党を攻撃した際、敵兵の首級を多く挙げなからも、これを陥落させることはできなかった。

 

だがこの点を除いても彼が野戦の猛将であることに変わりはない。

楽進はこの戦より前の官渡の戦いで淳于瓊を斬り、袁譚の立て篭もる南皮攻略戦では、またも一番乗りの戦功を立てている。

206年に曹操が献帝に上奏して褒め称えた武将は、後に関羽を破って名を挙げた徐晃や諸葛亮を恐れさせた張儁乂ではなく、

張遼・于禁・そして楽進の三人であった。

 

史での楽進の活躍はだいたいこんなところだ。

演義では張遼のおまけの様にしか書かれていない楽進も、

正史の方では他の武将に負けないくらい大きな戦功を立てているのが良く分かる。

特に正史の中で一番乗りという文句が多用されている所を読むと、

いつも軍の先頭を切って敵陣に果敢に斬りこんで行く楽進の姿が目に浮かぶ様ではないか。

 

陳寿は楽進の特徴を「小柄で肝っ玉が激しい人物」と評している。

このことから『蒼天航路』で描かれている楽進が、案外実像に近いのではないかと私は考える。