小さなディスプレイ

私がデジタルシンセサイザーが好きな理由の一つに、あの小さなディスプレイの存在がある。バックライトのついた小さな液晶ディスプレイはフルデジタルシンセサイザーの登場以前から有るにはあったが、YAMAHA DX7の登場以降、ディスプレイ無くしてシンセサイザーに非ず、といっても良いほど殆どのデジタルシンセサイザーにくっついている。

部屋の明かりを全部消して、あの小さなディスプレイの放つ光を眺めながらわずかにその光を反射する鍵盤を弾いて「おぉブレードランナー」なんてアホなことを言っている人間は私一人ではないと思うが、私が好きな点は、あのディスプレイには少ししか情報が映せないというところだ。特に80年代後期から90年代初めのデジタルシンセサイザーはアナログシンセサイザーに比べて一つの音色(おんしょくと読むのだ)を作るのに莫大な量のパラメータ(設定)を必要としている。対して、当時は液晶の値段も高く、どのメーカーも小さな液晶しか搭載していなかった。またグラフィックを表示できる液晶も有るにはあったが、ゲームボーイ並の情報しかそこには映し出せない。だから莫大な量のパラメータのほんの一部分を切り取って、そこへ映し込んでいるのだ。膨大な情報の一部分!そこが何ともそそられるポイントだ。平らな壁に穴が空いていたらとりあえず覗いてみたくなるだろう、それと同じ様なドキドキワクワクする感覚がそこにはある。私は今情報を把握している、しかし把握しているのは莫大な隠された情報の一部でしかない、このディスプレイの奥には膨大な量の私の設定した情報が存在し、鍵盤をトリガーすればそれらの情報は強烈無比なスピードで電気信号へと変換されスピーカのコーンを揺らすのだ、オォ、こんなに興奮することが他に有ろうか、いや無い、と思わず反語を使ってしまいたくなるほどあの小さな光を放つディスプレイは興奮させてくれるのだ。

また、Rolandは昔からどうもそういうある種フェチな人間の気持ちを理解しているらしく、今から10年以上前、MC-500というシーケンサ(自動演奏装置と思ってくれたらOK)の膨大な演奏データを一音ずつあの小さなディスプレイに映し出して変更を加えていく作業のことを「マイクロスコープエディット」と名付けていた。マイクロスコープ!マイクロとスコープ!果てしなくサイバーな臭いのする「マイクロ」と言う言葉だけでは飽きたらず何となくミリタリーでスパイっぽい雰囲気とハイテクとローテクの高次元な結合を思わせるスコープ!コレには当時中学生だった私は一発でやられた。はっきり言って、コンピュータのでかいディスプレイに多くの情報を一気に映せた方が、能率は格段に良い。当時からコンピュータをシーケンサとして利用することは出来たのだ。ところがRolandはその小さなディスプレイの不利さをネーミングだけで突破した上にフェチ野郎の羨望を集めるものにしてしまった。スゲェぞRoland!バンザイRoland!さすが完全プロ仕様Roland!No.1を越えるRoland

最近では自宅でシーケンサ専用機を用いる人も少なくなり新機種が発売されることも無くなった。殆どがパーソナルコンピュータに取って代わられてしまったのだ。多くの情報を一気に把握できるのは確かに便利だが少し味気なくも感じる。ちらりと見える方がモロ見えよりそそられることだって有るだろう。また、デジタルシンセサイザーの膨大な量のパラメータはドンドンと減って行く傾向にある上、それらをコンピュータから制御・管理する環境も入手しやすくなってきたが、それも少し悲しい。

ところが最近になってまた熱いメーカーRolandからMC-80という新製品が発売された。シーケンサ専用機の新製品だ!へー、そんなの作ってすぐに生産打ち切りになったって知らないよ、と思いながら広告を見ていると「マイクロスコープエディット」の言葉が有った!ウォー、うれしいぜ!まだそう呼んでいたのか!ディスプレイは昔の機種に比べ20倍ほどの情報を表示できるようになってはいるが、未だマイクロスコープ!いいぞその調子でフェチ心をくすぐってくれ!とは思ったが、欲しくはならなかった。コンピュータのでかい画面で曲の構成から、複数トラックの演奏情報の詳細をつかめる環境に慣れてしまっている私にとっては99,800円は高すぎる買い物だ。ただ、もしこの機械が白いボディーで、システムディスクによるアップグレードが可能で、コンピュータの様なキーボードを備え、なおかつ名前がMC-500Mk.3だったりしたら2台は買っちゃったのに、完全フェチ仕様には後一歩届かなかったぜRoland

1999.06.08

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