m e m o
b a c k



2000年7月2日


 cobalt『Mare』購入。

 家出をしてしまったネコ(名前は「マレ」)に捧げられた、非常にパーソナルな作品。サウンドはHoliday Flyerあたりと似ているかな?

 どうでもいいけど、こういうパーソナルな音楽を昼間っから聴いていると、外出したくなくなってくるんだよなぁ。せっかくの休みなのにさ。

■■
 月刊『マンガエフ』が創刊。

 作家陣は『マンガエロティクス』とほぼ同じ。『〜エロティクス』との違いは次号以降に明らかとなるんでしょう。ともかく橋本マモルの作品をひとつでも多く読めるのは嬉しい限りです(次号には登場しないみたいだけど)。



2000年7月3日


 シャワーを浴びるという行為は表面的な穢れを落とすだけでなく、精神的なストレスをも洗い流してくれるような気がします。いや、「気がする」んじゃなくて、事実私はそうなのです。

 と言うのも、シャワーを浴びていると無意識に愚痴を言っていたりするんですよね。でもそれは具体的な愚痴じゃなくて、「んだよぉ、まったくぅ〜」といった単なるボヤキだったりするんですけど。

 ただ独り言の愚痴っていうのは、言った後に空しくなるから困るんだよなぁ(←ワガママ)。



2000年7月5日


 さっきまで一緒に飲んでいたんですけど、なんだかもう全然やる気ないみたいですよ。

■■
 ザ・コケッシーズ『ウィッスル』、村上ゴンゾ『小さな笑い声』、Janis Ian『BETWEEN THE LINES』、以上3枚購入。タンポポ『乙女パスタに感動』が売り切れで、ちょっとフテくされてます。



2000年7月7日


 どうなのかなぁ。

 客観的に考えれば、なんとなく分かるような気もするんですけどねぇ。「レンタル」がこれだけ普及したのは、まさに「ミルクが無料なのに乳牛を買う必要があるだろうか?」という考えに基づくモノだろうし。そういった点では、ここに書かれるようなことも起こりうる地盤はすでにできているとは思いますけどね…。

 ただこのコラム、アーティストが創造するパッケージとしての作品性(物理的なモノを含む)が完全に否定されているところが気になるんですよ。…いや、完全には否定していないのかな?ただ単にそのような部分を評価する視点が書き手にないだけなのかもしれない。

 ま、どっちにしても、今後音楽業界がどう動くのか、一リスナーとしては見守るしかありませんね。でもなぁ、上記のように作品性を評価する視点が欠落している人が多いっていうことこそ、憂うべきことのような気がするんだけど。

■■
 昨日今日とコケッシーズ『ウィッスル』ばかり聴いてますよ。コレってソフトロックが好きな人に聴いてもらいたい作品ですよね。でも、聴いてみて「つまんねーな」と思っても、私のせいにはしないでくださいね☆



2000年7月8日


 『STUDIO VOICE』8月号。「ショーケンと呼ばれた男」ということで萩原健一の特集です。

 しかしその特集なんかよりも、今月号は小記事が非常に充実しているような気がします(あくまでも個人的ですが。)。

 「ひまわり」(観てぇ。)の行定勲監督インタヴュー、SLAPP HAPPYのインタヴュー&美麗フォト、「鈴木爆発」(やりてぇ。)の打ち上げ座談会、シノヤマキシンのインタヴュー。そして相変わらずデカイ弐瓶勉の「MEGALOMANIA」。

 中でもシノヤマキシンのインタヴューは、聞き手=リリー・フランキー・撮影=常盤響ということもあってか、なかなかおもしろいモノになってます。何がどうおもしろいかは明言を避けますが、ヒトコトで言えば(リリーさんもインタヴューの中で言っているけど)「この人は良くも悪くも勉強熱心なんだなぁ」ということ。



2000年7月9日


 午後7時。茜色に染まった美しい空。この空を一緒に見たい、そう思う人が私には5人いる。

 イケナイコトカイ?



2000年7月12日


時間が止まったような場末のストリップ劇場。

生ぬるい空気と生ぬるい匂いが立ちこめる場内。

隅に置かれたビールの自販機からは生ぬるい光。

■■
静寂を切り裂く安っぽいユーロビート。

悪趣味な照明に照らされた張りぼてのステージ。

気怠そうに現れるふくよかな南米系の踊り子。

拍手を強要する柄の悪いアナウンス。

生ぬるい拍手。

ひとつひとつステージ上に脱ぎ捨てられる衣服。

心のない笑顔。

単調なリズム。

単調なステップ。

品のない香水の香り。

単調なリズム。

単調なステップ。

惜しげもなく広げられる×××。

単調なリズム。

単調なポーズ。

無表情な踊り子。

無表情な観客。

床に捨てられたタバコの煙。

こぼれたビールの匂い。

単調なリズム。

単調なステップ。

■■■
唐突なフェイドアウト。

ステップをやめる踊り子。

一瞬静まり返る場内。

申し訳程度の拍手。

申し訳程度の笑顔。

誰もいなくなったステージ。

徐々にざわめきはじめる場内。

ビールを飲み干す観客。

タバコに火を点けるライターの音。

■■■■
静寂と紙一重のざわめき。

永遠に続くかのような淀んだ空気。

静かに流れ出す「true colors」。

囁くようなシンディローパーの声。

Show me a smile then
don't be unhappy can't remember
when I last saw you laughing
if this world makes you crazy
and you've taken all you can bear
you call me up
because you know I'll be there

■■■■■
 以上、今まで生きてきて最も寂しくなった瞬間。かれこれ5年前の話@長町DX劇場。



2000年7月15日


 「自転車が好きだ!」なんて書くと、ネオアコ少年みたいでなんとも爽やかなんですが、信号もない職場への田んぼ道を、行きは炎天下の中、帰りは蚊柱の中、油を注してない自転車を汗びっしょりになりながら漕ぐ様は、ハッキリ言ってあまり格好いいものではなく、決して人様にお見せできるような姿でもなく、それなのに自転車通勤をやめることができないのは、何かを連続して行うこと(この場合はノンストップで自転車を漕ぎ続けること)が、ある意味ナチュラルハイに繋がっているからであって、こんな快感はネオアコ少年にはわからないだろうなぁなんて思ったりもしたんですが、彼らのカリスマ的存在であるフリッパーズ・ギターのファーストアルバム「海に行くつもりじゃなかった」というタイトルは、実は爽やか決め込んで自転車に乗っているうちに、私が感じているようなハイ状態になってしまって、無意識のうちに隣の隣のそのまた隣の街も通り過ぎ、いつの間にか海まで着いてしまってハッと我に返った時に発した言葉なんじゃないのかなどとも思ったりもしたりして、「だからさぁ君達も自転車に乗ろうよ」とワゴンRのフロントにフェイクファーを敷き詰めている人たちに言いたいけど恐くて言えない、こんな私は今月末に30歳になります。

■■
 「甘え」と「遠慮」のバランスをとる。言い方を変れば、「人との距離を計る」ということになりましょうか。今さらだけど、これがなかなか難しい。こちらが許容できる以上の「甘え」をしてくる人もいれば、逆に遠慮してなかなか近づいてきてくれない人もいる。もちろん、こちらから相手に対する距離感も同様のこと。

 このバランスが両者でつりあった時、同性なら「親友」、異性なら「恋人」となるのでしょう。そしてそこに生ずる微妙なズレが、ケンカとか別れとか嫌悪とかに繋がっていくのではないか。…よくわからんけど。

 いずれにしても、そんなことをあまり考えず人と接することができる人って、素直に羨ましいと思います。だって「人との距離を計る」ということ自体、なんだかとても策略的な感じがしますし。

 つーかそもそもこんなこと考え、「難しいなぁ」なんて言っている時点でダメですよね>俺。あーぁ、もっと情熱的にならないとなぁ。



2000年7月19日


 さまざまな人間と接し、時には肌を合わせ、本当に繋がることができる人を探し続ける。

 人間はジグソーパズルの1ピースのようだ、なーんて思ったり思わなかったり。

 だから、性格的に合わない人と無理に接していると、突起やくぼみがボロボロになっていくのかもしれませんよ。

■■
 近所の本屋でオリジナル・サウンドトラック『20世紀ノスタルジア』を購入。新品で500円也。

 この映画の中で原将人監督が描こうとしたのは、「うーさーぎ、おーいし」に代表されるような人間が知識を得た後に刷り込まれた郷愁ではなく、人間という生物を構成する細胞ひとつひとつが元来持っているノスタルジーなのではないかと思うのです。…まったくもって私見ではありますが。

 そんな「ノスタルジー」が、遠山杏(広末涼子)の歌う「ニューロンシティの夜」などのチープなテクノポップという体を為し、音像として耳に届いてくる。初めはとても違和感を覚える(映画を観たときもそうだった)のですが、聴き込んでいくうちに「これしかない」というような確信めいたものになぜか変わっていくのです。

 この理由は、溶けるほどにこの作品を聴かないと解明できそうにありません。



2000年7月21日


 8月23日、松田マヨのミニアルバムがリリースされるらしいです。デイジーとどのような違いが出るのか、楽しみですね。

■■
 ナンバーガール『SAPPUKEI』とキリンジ『君の胸に抱かれたい』を購入。

 「君の胸に抱かれたい」はタイトルからも察せれるように、キリンジにしてはめずらしくストレートなラブソング。しかもかなり舞い上がった(少し妄想の入った)ラブソングなのです。

 -逃げ去る恋をつかまえた
 -君をこの胸でつつみたいんだ
 -愛されんだ、そうだよ 夢じゃないのさ
 -ほおづきをほおばる君の頬に僕は感じる

 「愛されんだ」とか言いながらも、結局は「I surrender」。この言葉だけで、恋に溺れる哀れな男が浮き彫りになってくるようです。



2000年7月24日


イメージ。

私のイメージ。

一般的な私のイメージ。

   *

不機嫌そうに煙草を吸う。

ぶっきらぼうに話す。

視線を合わせない。

いつも怒っている。

   *

「どうせ私のことなんかなんとも思ってないんでしょ?」

   *

全ては誤解。

■■
 電気グルーヴ『イルボン2000』とハイポジ『性善説』を購入。あと今さらながら、松本次郎の『ウエンディ』も。



2000年7月25日


 昨日、今日と、2連休。

■■
 仙台市博物館に特別展『国宝 平等院展』を見に行く。

 この特別展の目玉は、平等院鳳凰堂内に懸けられている雲中供養菩薩像52体が一体ずつ展示されていること。一つ一つの仏様はさほど大きくないものの、やはりこれだけ集まると「圧巻」としか言いようがありません。ふくよかなお顔も、一つ一つ表情を変え、見ている者に安堵と幸福を与えてくれます。普段頭上に懸けられている仏様を目の高さで見るっていうのも、なかなかよいものですね。

 ただ、下向きの仏様も中にはあって、ライティングの関係でお顔がよく拝見できなかったのが残念でした。



2000年7月26日


 ナンバーガール『SAPPUKEI』と電気グルーヴ『イルボン2000』。

 2つを交互に聴いても全く違和感がないのは、共に覚醒作用のある音楽だからなんでしょうね。おかげで僕は今、アドレナリンが分泌しまくってます(多分)。



2000年7月27日


 -暗闇が支配するのは夜の間だけ
 -朝の訪れとともにそれは姿を消す
 -明るい陽差しはいつもちょうどいい時期に訪れる
 -この灰色の日々もいつかは終わる

 -すべては移り変わっていく
 -すべては過ぎ去っていく
 -すべては移り変わっていく
 -すべては過ぎ去っていく

 (George Harrison「All Things Must Pass」/対訳:山本安見)

■■
 30歳になりました。…いや、別に今が灰色ってわけじゃないんですけどね。



2000年7月31日


 『マンガエフ』9月号購入。

 福山庸治や松本次郎の連載物は今後を期待させる展開だし。読めるとは思ってなかった橋本マモルも読めたし。町野変丸はお決まりの「あ〜んチコクチコク」だし。今月号もなかなか充実しております。

 中でも今月号で特に気に入ってしまったのは、南Q太「トラや」と安原麻理絵「BODY&SOUL」。

 「トラや」は、<僕だってもうそんながっついた年じゃないし。>という言葉の裏に見え隠れする欲望がなんとも愛おしく、読了後には「チキショー」と意味もなく声を上げたくなる(しかも半笑いで)、そんな作品。

 「BODY&SOUL」は読み切り形式での連載であるからか、創刊号ではあまり印象に残らなかったのですが、彼女が描こうとしている世界観がだんだんとハッキリしてきて、今後ますます癖になりそうです。