日 記 ?
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1999年10月4日

 ふにー。最近、せきぐちは疲れています。どれだけ疲れているかというと、間違って逆方向の電車に乗ってしまい、職場に遅刻するくらい疲れています。妄想列車なんて走らせてる体力もありませんよ。

 HPの更新が滞っているのもそのせいと考えてくださって結構です。「です・ます」調で書いているのも気合いのなさと受け取ってくださって構いませんよ。

 さて、あまり頭が働かないので、思いつくままに詩(ぷ。)でも書いてみましょうか。


 -金木犀の香り漂う夜道
 -自転車を走らせ家路につく

 -ミルクを浮かべた珈琲の中
 -僕は泳ぐようにペダルを漕ぐ


 …やめた。その後が思い浮かばないや。

 でも金木犀の香りって昼間まったく気づかないんですけど、夜になると何であんなに香ってくるんでしょうね。疲れた体に染み渡るような、そんな感覚を覚えます。

 ま、これで元気が出れば言うことないんですけど、そうはいかないみたいですわ。

⇒「Nature's Child」
  (『TIMELESS』 ETERITY'S CHILDREN)




1999年10月11日

 1週間ぶりにdiary?書いてます。

 どうも、こんにちは、せきぐちです。29歳です。おニャン子世代です。渡辺満里奈が好きでした。

 いやぁ、ごぶさたしてスミマセンでしたね。disc、あんまり多く書いてませんが、一応更新しました。ホッと一息。

 でもホントはね、Fishmans『98.12.28 男達の別れ』について書こうと思っていて、セコセコとメモったりしてたんだけどねぇ…。なんかねぇ、書けないんですよ。「哀し」くて。

 「悲し」くてではありませんよ。「哀し」くて、です。このアルバムに限らずFishmansを聴いていると、そこはかとない哀しさ、寂しさ、切なさが襲って来るんですよ。

 佐藤伸治の死の影響?いや、それはありませんね。僕はあまり人の死を悲しむことはありませんので。では精神状態?否定はできませんけど、Fishmansにこのような感覚を抱くのは今に始まったことではないんで、それも当てはまらないと思います。

 うん、単純に「哀しい」んでしょうな、たぶん。

 そういえば、マンガ家・古屋兎丸がFishmansとKinksのことを例に挙げながら、こんなことを言ってました。

 『僕が何でそういうのが好きかって言うと、自分に「哀しみ」がないからなんですよ。』

 オールタイムでFishmansを聴くことができ、そしてひとたび彼らのCDを聴き始めると、決して途中で止めることができない私。

 恐らく私は慢性的に「哀しみ」に枯渇していて、それゆえ常に「哀しみ」を欲しているのかもしれませんな。

 「哀しい」こと、募集中。

⇒「いかれたBaby」
  (『98.12.28 男達の別れ』 Fishmans)




1999年10月17日

 『ラン・ローラ・ラン(LOLA RENNT)』を観た。

 ストーリーは単純。恋人マニを助けるため、10万マルクを20分以内に用意する。ただそれだけの話。

 まあ、冷静に考えると、「なぜそんな短時間でそこまで行けるの?」とか「話がいつの間にか戻っているじゃん」とかあるのだが、そんな唐突な展開も不思議と違和感がない。映像と音の疾走感が、観る者にそんなことを考えさせる暇を与えない映画だ。

 全編にテクノが流れる。音楽がこの映画のスピードを増長していることは確かだが、でもこの映画を観て「テクノを聴いた」という感覚は残らないのは、映像自体がテクノであるからだろうか。これだけ音楽が重要な位置を占める映画なのに、音楽が主張しているように聞こえないのは、テクノという音楽の性格上の問題なのか、はたまたせきぐちの体質の問題なのか(テクノが嫌いっていう意味じゃないよ。)。

 でも、マイク・ヴァン・ダイクさん。「テクノが現代文化において必要不可欠になった」(映画パンフより)っていうのは、ちょっと都合良く考えすぎじゃない?だったら現代文化において不要な音楽って何よ?

 必要=不要というのは、あくまでも主観的考えですよ。

⇒「當時的月亮」
  (『只愛陌生人』 王菲)




1999年10月22日

 rockin' on japanを初めて買いました。理由は・・・アラーキーの撮った椎名林檎が見たかったから。

 まあ、彼女とアラーキーとの相性は予想されたとおりで、遅かれ早かれ実現されたことでしょう。そういう意味では逆に意外性がないかも。しかし、なんだかんだ言ってもそそられてしまうのは、悲しき男の性。

 看護婦姿の林檎嬢に、真っ赤な口紅を塗った林檎嬢。うーん、いずれも「あざとい」((C)HOPEちゃん)ですなぁ。個人的には、笑顔の林檎嬢が最もエロティックで印象的です。恐らくここらへんがアラーキーの成せるワザ、なんでしょう。

 本人による全曲レビューも読み応えアリです。それにしても彼女が性に嫌悪感を持っていたとは、意外。まあ、そこら辺は表裏一体、ということでしょうか。

 来月発売のビデヲが発売されるらしい。ビデオクリップをまともに観たことのない私。買わずにはいられませんよ。

⇒「アンコンディショナル・ラブ」
  (『歌舞伎町の女王』 椎名林檎)




1999年10月24日

 誰かを好きになると、誰かとは疎遠になる。それは男と女の関係だけではなく、同性同志でもしかり。

 他人に注ぐことのできる愛情のポテンシャルは一定なんですな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は人から嫌われると、こう考えるようにしてます。まあね、これではなーんにも解決しないんだけどね。

⇒「恋はいつも」
  (『MUGEN』 サニーデイ・サービス)




1999年10月30日

 嫌われているなんて思っていたことが勘違いだったらしいということが今日話してみて分かったのだけど昨日までは話をしても普段の笑顔をこれっぽっちも見せずまた僕を見ると足早に立ち去ったりと嫌っている素振りを彼女がしていたことは紛れもない事実であって結局今回の一件で女の子は何を考えているのかよくわからんということがよくわかったせきぐちです。


 -確かめるなんて むだなこと
 -思いつくままに 気の向くままに
 -やればいいさ 時に任せ
 -凡て 時が 解決してくれる

 -あれや これやと 考え込むより
 -顔を 笑いに 戯れさせて
 -のんびりするさ 時に凭れ
 -総て 時が 解決してくれる

 -ときに まかせて
 -ときに まかせて


 …これでほんとにいいのかな。

⇒「時にまかせて」
  (『み空』 金延幸子)




1999年11月2日

 ミュージック・マガジン増刊として、数々の「CD BEST 100」なるものが刊行されていますが、今まで一冊も買ったことがありませんでした。なんかねぇ、既成のカテゴリーばっかで、イマイチ購買意欲をそそられなかったのですよ。

 ところが最新刊。その名も『インドア・ポップ・サイクル』。Van Dyke Parks『Song Cycle』・Beach Boys『Pet Sounds』と、Jim O'Rourke『Eureka』・Tortoise『TNT』とを一本の線で結び、その線に絡んでくるアルバム100枚をレビュー。これは即買い、でした。『インドア・ポップ・サイクル』という造語もなんかキラメキがありますもんね。

 まあ、『Eureka』にVan Dyke Parksの影響が見られるということは今までもいろんな所で書かれていますし、初めて聞く話でもないんですが、ただここらへんを総括的に論じたものは見たことがなかったしね。

 監修は宮子和眞。この人の書く文章はちゃんと筋が通っていて、読んでいても安心感があります。Beatles、Little Feat、Innerzone Orchestraが選外になる理由も明確。たぶん、伊藤英嗣や和久井光司とかが監修だったらめちゃくちゃになっていたでしょうな。実際、和久井氏が監修した「ギターポップなんとか」(他社刊)は、単に自分が好きなモノを並べているだけで、読む気も起きません。人のマスターベーションに付き合っている暇はありませんわな。

 閑話休題。

 まあ個人的には、Van Dyke Parksの『Song Cycle』も、Jim O'Rourkeの『Eureka』も、非常に大好きなアルバムですから、CD100選にピックアップされてくるヤツも半分以上が持っている(+聴いたことがある)ものでしたけどね。

 とはいうものの、かなり得るものがある一冊です。高橋健太郎、山本精一、宮子の三者対談もおもしろいし。一通り読んでみて、せきぐちはLibby Titusが聴きたくなりました。読者にこういう感覚を抱かせれられれば、この本の刊行は一応成功したと言えるんでしょうな。

⇒「Another Time」
  (『PRESENT TENSE』 SAGITTARIUS)




1999年11月5日

 以前付き合っていた女の子が結婚するらしいです。本人から聞いたんですけど。

 こういう時って、なんかジェラシー感じちゃうものなのかと思っていたんですけどね。全然、ですわ。

 ただ、つい最近まで復活を望んでいるような態度をみせていながら(せきぐちにその気はなかったんだけど)、結局は見合い結婚だなんてさぁ…。この変わり身には正直舌を巻きますよ。とほほ。

…ま、いいや。

⇒「All The Children Sing」
  (『HERMIT OF MINK HOLLOW』 Todd Rundgren)




1999年11月9日

 「STUDIO VOICE」では毎月、ある一つのテーマについて3,4人が寄稿するコラムがある。その3,4人にはライターやアーチストといった、いわゆるSV読者が共感しそうな書き手が選ばれることが多いのだが、偶に何でこんな人が?という人が書いている時がある。

 で、そのコラム。今月号のテーマは「誰でもいいから」。

 ライター、写真家・詩人、回転屋(?)に並んで、ある美術館の学芸員が寄稿している。20代後半の女性。

 他の3人の女性と学芸員の彼女を線引きする理由。それは職業だけではない。文章を読めば一目瞭然。4人の中で明らかに浮いているのだ。書いている内容が「どこにでもいる女性」なのである。

 「あなただけと言って、いったいいくつの恋をしてきたのだろう。私だけと思い、わずかばかりのプライドをぶらさげてきた。これだけだからと覚悟を決めて、必死になって仕事をした。今だけだからと落ち着かせて、無理をして乗り切った。」

 働く女性に共感を呼びそうな文章。web上でもこんな文章はよく見受けるね。実際、自分のまわりにもこういう人ってたくさんいるし(ていうか、読んでいてある女性の顔が浮かんだんだけど。)。

 ただ、「STUDIO VOICE」という雑誌を媒体としてこのような文章が世に出たことに対して、私は驚きを隠せない。何か不意をつかれたような感じなのだ。あまりに自分に近い存在の文章なので。

 「近いだとぉ?男のお前に何がわかる!」との批判も聞こえてきそうだな。わかんないけどさ、自分の生活にリアルであることは確か。少なくとも、4人の中では。

 「STUDIO VOICE」を読んでいて、こんな感覚を抱いたのは初めてだ。こういった雑誌から接種する「情報」と実際の自分の「生活」との距離。考えてみると意外にあるんだなと今さらながら実感。

 頼むよSV。僕にもうちょっと夢を見させてくれ。

⇒「What I Meant To Say」
  (『EMOTICONS』 Ben & Jason)




1999年11月11日

 うぅ。・・・さむいです。だんだんと布団から出るのが億劫になってきました。

 こうなってくると、聴く音楽のほうでも冬支度がはじまりますね。せきぐちの場合、この季節になると無性に聴きたくなるのが、STRAWBERRY SWITCHBRADE『STRAWBERRY SWITCHBRADE』とRED BOX『THE CIRCLE & THE SQUARE』、いずれも80年代中期を代表する(と個人的には思う)エレポップ(?)作品です。

 で、どんな音かというとですね、「スコットランドの富豪の大家族が、レンガ造りの家の暖炉が燃えさかる部屋で、ファミコンをやっているみたいな音楽」なんですね。あ、これ、10年前のPOP IND'Sに載っていたRED BOX評そのままなんですけど。

 2つの作品両方にプロデューサーとして参加しているのがDavid Motionという人なんですけど、90年代には鈴木慶一やCharaのアルバムにも参加していて、ここでもまたエコーを効かせた素晴らしいアレンジを聴かせてくれています。

 David Motionについて知りたいなと思って、all music guideで検索したんですけど、なんか手に入りにくいのばっかりですね。彼に関する情報をお持ちの方、是非ともせきぐちに教えてください。さらにこの冬のお供となるようなものがあれば、探してみますので。

⇒「For America」
  (『THE CIRCLE & THE SQUARE』 RED BOX)




1999年11月13日

 椎名林檎のビデヲ『性的ヒーリング 其ノ壱』(東芝EMI/TOVF-1310)購入。どこかで書いたことあったかもしれないけど、動く林檎嬢は初体験。

 いまさら感想もなんなんですが、5曲の中ではやはり、林檎嬢の白い胸元からはじまる「ここでキスして。」のオリジナルバージョンが秀逸ですね(胸元が、ではないです。)。

 シンプルながらも息をつく間もなく最後まで観させる構成・カメラアングルはもちろんですが、なんと言っても彼女の目・口・手の動き一つ一つが観る者を釘付けにします。彼女の歌っている姿こそが最も映像的に映えるということは、「ここキス」別バージョンと見比べれば言わずもがな、でしょう。

 ところでこのビデヲ、単なるPVの寄せ集めかと思ってあまり期待していなかったんですが。・・・やられましたわ。クレジットにない曲がこんなに収録されているんだもの。PVは見たことあるからといって買わないとはっきり言って損をしますよ。マジで。

⇒「****」<シークレットトラック>
  (『性的ヒーリング 其ノ壱』 椎名林檎)




1999年11月15日

 みなさん、同棲してますか?私はしてません。ていうか、同棲する相手もいません。

 昨日、同じ職場のある女の子と朝4時過ぎまで飲んだのですが、その娘は現在彼氏と同棲中らしく、いろいろと面白い話を聞くことができました。

 とは言うものの、たわいない話ばっかで、あまりよくは覚えていないんですが、『私、一人では生きていけないし』という彼女の言葉に、「こんなふうに正直に生きていけたらなぁ」なんて羨ましく思ったりして。

 でもなぁ、同棲はイヤ、だなぁ。

⇒「レモンを買おう」
  (『くうきこうだん』 空気公団)




1999年11月17日

 『cokkie scene』は文字が小さすぎます。号を重ねるたびにどんどん小さくなっていってます。最新号なんて1㎜にも満たない文字が並ぶページもあります。ここまで書いて気付きましたが、最新号、ほとんど読んでません。

 いや、別にいいんですよ、文字が小さくても。こんなこと書いている私も、10年前は『POP IND'S』をむさぼるように読んでましたし。ましてや、このHPの文章だって決して自慢できるもんじゃないし。

 ただ、この雑誌でひっかかるのは、シリーズ化しつつある「ライターとはなんだ!?」「音楽雑誌とは何だ!?」と銘打った対談なんですよね。これまた小さい文字&1ページ6、7段組というとんでもない割付けなので、あんまり読む気が起きないのですが、斜め読みしたところでは、かなり「熱い」んですよ。

 その対談では、俺はこんなに使命感に燃えてライターをやっている、音楽雑誌を作っているということが延々と語られているんですな。その情熱がどれほど読み手に必要とされているかは、まずは置いておいて。

 あのー、伊藤英嗣さん。そんなに使命感に燃えているんだったらさぁ、もーちっと読みやすい雑誌にしてくださいよ。

 彼曰く、「載せたいものが、あまりにたくさんあるから。」とのこと。もう大人なんだから、情報の取捨選択ぐらいしてほしいものです。

⇒「今朝少しそう思った」
  (『くうきこうだん』 空気公団)




1999年11月19日

 メガネをかけている女性が好きです。
 そう、せきぐちはメガネフェチです。

 ロングスカートの似合う女性が好きです。
 そう、せきぐちはロングスカートフェチです。

 福島訛りの女性が好きです。
 そう、せきぐちは福島訛りフェチです。

 だけど。

 惚れっぽいこの性格は如何ともし難く、実際はどうでもよいんだと思います。

⇒「FUZZY SUN」
  (『halfway to a threeway』 Jim O'rourke)




1999年11月21日

 野蒜港!野蒜港ですよ!

 120年前、宮城県鳴瀬町に2年間だけ存在した日本で初めての本格的洋式港ですよ!横浜港ができる10年前の話ですよ!でも、台風で突堤が流されちゃいましたよ!続けてやる予定だった第二期工事は断念されちゃいましたよ!ちゃんと成功していれば、日本経済の二極構造が一変したかもしれないですよ!

 ということで「野蒜築港120年フォーラム」に行ってきました。めちゃくちゃ感動しました。いや、興奮したと言ったほうが正しいかもしれません。だってですよ、もうないんだもん、この港。←せきぐち的にはかなり重要。

 フォーラムはまず、文化庁建造物課長の基調講演からはじまり、野蒜港の調査報告、当時の土木技術のレポートと続き、最後はパネルディスカッション。パネルディスカッションでは、なぜ築港が断念されたかを冷静に分析する土木の先生のお話がとてもよかったですね。

 しかしこの野蒜港、史的重要度と知名度とのギャップはいかがしたものか…。結局このフォーラムの聴衆も、大半が関係者らしき人ばっかりだったしね。土曜日だというのに、みんなネクタイ絞めてるんだよ。ラフな格好してたのは私と鳴瀬町から来た爺さん婆さん連中だけ。

 まあ、近代化遺産を残そうなんて声があがりはじめたのは、ここ数年のはなしですから、啓蒙のノウハウが不十分であることはしょうがないんでしょうけど。

 ともかく、無責任なことを言わせてもらえば、港が完成しなかったことが、かなりの財産なわけですよ。ポジティブに考えるとね。できなかったことに対する反省点も多いと思うんですけど、めったにありませんからね、こんな例。だから、これをこのまま廃墟にしておくのは、かなりもったいないわけで。何らかのカタチで知名度をあげていかないとイカンですね、これは。

 じゃ、どうすりゃいいのさ、ということですが。

 まだ、わかりません。申し訳ないけど。ただ、野蒜港跡をテーマパークにすることだけが結論じゃないと思いますよ。今言えるのはそんだけ。

⇒「Debra」
  (『MIDNITE VULTURES』 BECK)




1999年11月26日

 楽しいこともない。
 つらいこともない。
 嬉しいこともない。
 悲しいこともない。
 腹立つこともない。
 笑えることもない。

 何も特別なことがない一日。

 こんな日などいつか忘れる。




 きっと人生の半分はこんな日なのかも。




 だから生き急ぐ必要はない。

⇒「今日を生きよう」
  (『24時』 サニーデイ・サービス)




1999年11月29日

 小室哲哉曰く、『セオリー通りにヒット曲を作るのは、もうぼくじゃなくてもできる。』。

 筒美京平曰く、『小室君のメロディーを聞いた人が「どれも同じだよ」なんて言うでしょう。でも、僕だって「誰に書いている曲も、みんな同じじゃない」と言われていたと思うんです。(中略)メロディーが時代と合っ手、商品になっていく時というのはそういうものなのかもしれませんね。』。

⇒「恋のルール・新しいルール」
  (『恋のルール・新しいルール』 Pizzicato Five)