日 記 ?
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1999年8月18日

  -髪を染めたいと思ったことがあった。
  -髪の色が変われば、何かが変わると思った。

  -でも多分、何も変わらない。

  -自分の裸をよく見てごらん。
  -下腹から股間にかけて生えている毛。
  -必要以上に黒々とした太い毛。

  -そこには本当の自分がいる。

  -君はその毛を染めることができるかい?

 以上、赤い毛のお嬢ちゃんを見て思ったこと。アンタ、どうせ陰毛黒いんでしょ。

⇒「Golden Hair」
  (『The Madcap Laughs』 Syd Barett)




1999年8月28日

 せきぐちの生まれ故郷は栃木県。

 祖父江孝男の『県民性』(中公新書)という著書によれば、栃木県人は、
①県民全体のまとまりが甚だ悪い。
②発展性がない。
③地味で目立たない。
④初対面の印象が悪い。
⑤世渡りが下手でお人好し。
⑥以上のようにあまり目立つ面がない。
⑦ただ、真面目で堅実な点は長所として強調できる。
だそうです。

 祖父江氏はこの著書で、風土性やら、歴史的背景(幕藩体制とか)やら、統計データやらを引き合いに出して論じているのだけど・・・。

 まあ、否定できない部分もあるけどさぁ、「目立つ特徴がないのなら、ここまで書くことないじゃん」というのが、元栃木県人としての率直な感想。

 そもそもこの著書、他県に比べて、栃木県についての文量は甚だ少ない。お隣の群馬県が12ページ弱にわたって論じられているのに対して、栃木県は1/3ページほど。もっと酷いのは神奈川県で、なんと4行ですよ!

 多分こいつ、調べている場所に精粗がある。いや、統計データ上での特徴が挙がらない県について、なにも書けないところをみると、栃木県そして神奈川県については何も調べていない。

 分かんないなら、「全国の県民性」なんて大風呂敷を広げるな。印象だけで書くなら、誰にでもできる。

・・・。

 すまん、ちょっと書きすぎた。30年近く前の著書に今さら何を言っているんだろ、俺。でもねぇ、表現には責任をとらなくちゃねぇ。

⇒「Mother Sky(short version)」
  (『Cannibalism 1 & 2』 CAN)




1999年8月29日

 昼過ぎ、無性にコーヒーが飲みたくなって家を出た。

 100m程歩いたところで雨が降ってきた。面倒くさいのでそのまま歩いていたが、さすがに雨が強くなってきたので、仕方なく近くの古いマンションの軒先で雨宿りをすることにした。

 雨が止むのを煙草をくわえながら待っていると、道行く人が奇異の目で僕を見る。そうだよな、確かにアヤシイかもしれない。今時雨宿りする人なんていないもんね。

 雨の日も快適に買い物ができるようにと、商店街は競ってアーケード、アーケード…。今や仙台なんてアーケード銀座だよ。まあ商店街にとって、雨は客足が鈍る最大の要因だもんな。しようがないのかな。

 東京には空がない、と智恵子さん言ったらしいが、もはや街には、空なんて必要ないのかもしれないっすね。

 煙草5本吸い終わっても、雨は止まず。諦めてマンションの軒先を出、どしゃ降りの中、自販機で缶コーヒーと煙草を買って家路についた。

⇒「電話線」
  (『Japanese Girl』 矢野顕子)




1999年9月2日

 私のまわりにいる女の子。

 普段は気丈に振る舞っているのに、僕と2人きりになると、「ふにゃ〜」と崩れるようにしゃがみ込む女の子。

 「彼とセックスしているとき、お腹が鳴るんだけど、どうしてなんだろう?」と、彼氏でもない私に聞く女の子。

 私の家にやってきて、ひたすら肩もみをさせる女の子。

 誕生日プレゼントに春画をくれる女の子。

・・・・・

みんなみんな、フツーの女の子。

⇒ 「駄目な僕」
  (『Pet Sounds』 Beach Boys)




1999年9月11日

 7の月が何事もなく過ぎ、末法思想もちょっぴり薄れてきました。もちろん、異常気象とか手歩丼とか、恐ろしいものってまだまだたくさんあるけどね。

 望月峯太郎『ドラゴンヘッド』8巻が9月6日ようやく発売されました!7の月にビデオ発売をあわせた『アルマゲドン』に比べれば、発売の衝撃度は薄いよなー、なーんて思ったりもしましたが、読み始めればそんなのまったく関係なし。大王ことなんてすっかり忘れ、「世紀末」という響きがあたかも涅槃のように聞こえるようになってきていたせきぐちを、再び不安な世界に引きずり込んでいきます。

 巻を追うごとに「東京」の状況が徐々に解ってはくるものの、決して結末が読めない展開。終わりまで一気に読ませるところは相変わらずです。

 この作品の最大の特徴は、なんと言っても突然挿入する真っ黒のページ。このページが突然目に飛び込んでくると、結構ショッキングなんだよね。これは読んだ者にしか解らないだろな。

 10月にはなんと9巻が発売!それまで世界が終わらなければいいんだけど…。

⇒ 「Light Flight」
  (『Basket of Light』 PENTANGLE)




1999年9月14日

 「あのね、この間、友部正人さんと食事したんですぅ。」

 めちゃくちゃ嬉しそうに僕に報告するY子さん。よかったね、友部さん、大好きだもんね。

 「で、どんなこと、話したの?」
 「や、別にフツーの話・・・。」

 Y子さんのことだ。自分のペースで、いろんな「フツー」の話をしたんだろう。うらやましいなぁ。

悲しいかな、僕は「フツー」の会話が苦手だ。

⇒ 「Foolish Love」
  (『RUFUS WAINWRIGHT』 Rufus Wainwright)




1999年9月18日

 椎名林檎『無罪モラトリアム』について書かれているサイトは数多ある。そんなサイトをみると、結構な割合で言及されているのが、3曲目の「丸の内サディスティック」。私もこの曲にはかなりやられちゃっているクチで、アルバム購入以来、浴びるように聴いている。

「将来僧に成って結婚して欲しい」
「毎晩寝具で遊戯するだけ」
「青 噛んで熟(い)って頂戴」

 「丸の内サディスティック」にはそんな不可解な歌詞が散在している。椎名林檎特有のエロティシズム(というかサディズム)が隠されているようにも思えるが、正直言って理科系のせきぐちにはよく分かりません。

 歌詞の意味。実際に歌を聴いていると、さらに分からなくなる。「まいばしんぐぅでー、ちゅうーっぎっすーだけぇー」としか聞こえない歌い方。ラ行は巻き舌。耳で聞いただけで上のような漢字があてられるなんて、誰が思う?

 恐らく、意味なんてそんなにないんだろうと思う。椎名林檎は、言葉のリズムと同音異義語の微妙な発音の違いを嗅ぎ分けて、歌詞をつくっているのではないだろうか。たぶん、本人は意識していないだろうけど。

 だから「ベッド」ではなくて「寝具」。「遊ぶ」ではなくて「遊戯する」。さらには「そう」ではなくて「僧」。「いって」はなくて「熟って」。

 まさに「日本語英語的リズム」。中学生の頃、英語の意味なんか解らずに聴いた、海の向こうの音楽。耳に聞こえるままに歌った歌。まさにそのままでしょ。

 椎名林檎の魅力。それは「言葉」に秘められたているんじゃないかな、と思う今日この頃なのだ。

⇒ 「丸の内サディスティック」
  (『無罪モラトリアム』 椎名林檎)




1999年9月19日

 先日、ある女友達と一緒に本屋に行った。お互い同じ本を買うことが目的だった。

 お目当ての本を一緒に探しまわる二人。その本は新刊だったので、数冊が平積みされて置いてあった。僕と彼女、一冊づつ手に取り、レジに並ぶ。

 その時彼女はこう言った。「私たち、仮面夫婦みたいだね。」

 その瞬間、僕は彼女と別な生活をしているということに今さらながら気付いた。

⇒ 「Yellow Roses」
  (『The Best of HERON』 HERON)




1999年9月25日

 散りゆく花のすがたよ
 遙かに遠い あの日が
 そぞろに今はなつかしい
 いとしい花よ

 朧な月のあかりよ
 微かな甘い 香に
 つかれし胸もときめく
 仄かなひかり

 やさし乙女の夢は
 淡く消え行く夢
 うるむ瞳に ああ儚い夢よ

 いくたび春はかえれど
 おもいはめぐる乙女の
 のぞみにみちたあのころ
 かえらぬあの日

 やさし乙女の夢は
 淡く消え行く夢
 うるむ瞳に ああ儚い夢よ



合掌。

⇒「散りゆく花」 淡谷のり子
  (野川香文作詞/服部良一作曲・編曲)