と な り の 建 築 考
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大工職人の見る夢は

 いわゆるフツーの住宅。と思いきや複雑に入り込む屋根・前後に張り出す下屋などを一つ一つ見ていくと、内から外へと発されるエネルギーに圧倒されてくる。形態的にもかなりフクザツで、施工者はかなり腕の立つ大工とみた。自分の作る建築をはじめから三次元的に構想できたのだろうな。

 建築は鉄筋コンクリートが普及して以来、外側から内側を決定していくという設計手法が中心となっている。この場合、自ずと建築が空間を規定することになるのだがこの住宅はまったく逆だ。今度見に行った時に、下屋が一つ増えていたとしても、この建築の本質はまったく変わらないだろう。

200m from my room.

(19990705)



モダニズム礼讃

 片流れ屋根と下見板貼の壁が、A・レーモンド「夏の家」を彷彿させる住宅。おそらく以前は住宅としては使われていなかったものと思われる。形態から考えて昭和初期〜30年頃の建築かな?

 一切の装飾がそぎ落とされる外観に反して、ベランダの鉄棧、内窓の格子模様など、随所にきめ細かいデザインも見られる。

 それにしても今の感覚で見ても、まったく古くささが感じられないのはなぜだ?おそらくこの建築が、建築として非常に純化しているからではないだろうか?

600m from my room.

(19990705)



薄れゆく記憶の中で

 美空ひばり・手塚治虫が死んだとき、「昭和という時代が終わった」と言う人がいた。

 これを建築(あるいは街)に置き換えてみよう。仙台という土地に限った場合、私見ではあるが、建築的にみる「昭和」とは「レジャーセンター」だったのではないかと思う。錦町公園の中で仙台のスポーツ文化に貢献してきたその建物は、昭和20年代の建築とは思えぬほど斬新なデザインをしていた。まさに「伊達」であったといえるであろう。しかしレジャーセンターは今年の4月にそ任務を全うし、取り壊しの憂き目にあった。

 画像の建築は「レジャーセンター」に比べれば、規模的にもちっぽけな「昭和」かもしれない。しかし保存運動の視点において「昭和」が忘れられている今、このような建築こそ、記憶から抹殺してはいけないのだ。

800m from my room.

(19990705)



箱の中から手を伸ばせ

 人の嗜好が様々な方を向いている現在、万人の認める建築なんて存在しない。でも、その結果として、最大公約数的な建築が蔓延してしまう。

 その最たるものが分譲マンション。誰が住むのかわからない。そんな状況で設計は始まる。さらに合い言葉は「ローコスト」。そして完成すれば管理規定とか何とかで、がんじがらめ。そんな「箱」、どこがいいの?

 左の画像は、いわゆるマンションじゃない、公共住宅。箱の中から溢れ出てくる生活感。バルコニーの原形をとどめない改造。もし自分が住むんだったら…。様々なリスクはあるだろうが、こっちのほうを選ぶと思う。

800m from my room.

(19990822)



よみがえる風景

 古い醤油屋。表通りの柱に打ち付けてある妙なもの。

 店先にちょこんと座っていたおばあさんに聞くと、これは馬を繋いでおくための輪であるとのこと。昔は馬を連れて店に来た人が、売買中はここにその縄を縛りつけておいたらしいです。

 今となっては車がひっきりなしに走っている店の前の道路も、その昔は馬がポクポクとのんびり歩いていたんですね。もちろん、舗装なんかしていないだろうし、ちょっと風が吹けば商品は埃だらけになったんだろう。大変そうに店先を掃除する主人の姿が目に浮かびます。また、道の幅は今よりも狭かったそうだから、道行く人の声が往来に響きわたっていたんでしょうね。

 …そう思った途端、周りから聞こえてくるエンジンの音で現実に引き戻されました。

 こんな小さな鉄輪から、いろんなものが見えてくる、こんな私は夢想家なんでしょうか?

3,000m from my room.

(19991115)