日時 : 3/10(金)〜3/13(月) 9時から18時まで、

最終日は17時まで

場所 : k2ギャラリー  k2ビル3階  

大阪市都島区東野田町2-9-7

JR京橋駅より、徒歩3分


「卒業設計」   見ること、       

         ・ THE CURRENT OF TIME (森の時)

  ・ what a wandaful world

            ・ すべての人が単純にすばらしいと感じる

<主題> 見る場所の提案

<副題> 公園への建築的試み


<設計の意図、指針>   見るという事(見る、観る、視る)

 建築で、人の感受性を高める。いろいろな事を本当の意味で見られる場所を設計、五感によって、物事の存在や動きを認識し、よく注意して観察、判断する。そこで、また、新たに何かを試みる。

 視線に、見えにリズムを与える。

     見える。見かける。目に留まる。見つける。見る。見こらす。見定める。

     見入る(じっと見る、見つめる、見とれる)

     <見え方>見せる、見る方法、見えにくい、見え隠れ、見落とし、見渡す、見晴らし、見晴らす。

 そして、見い出す。自分で実際に確かめる。転じて、自分の判断で処理する。

               見極める。見比べる。見分ける。

 それらを、見返る、繰り返し見る、何かを見つける。結局、See,Sight,Watch                   

<敷地の説明>

   [計画地] 兵庫県西宮市仁川町6丁目近辺の丘陵地

   [周辺の状況] 甲山森林公園、仁川植物園、仁川ピクニックセンターなど

   [地域性] 街を見渡す丘陵地、人々が休日を過ごす諸施設への経路

   [歴史性] 弥生時代の住居あと、古墳などがあったが、その殆どが住宅地の開発により破壊されている。

<テーマ>

  大きな流れ、時の流れの中の”一瞬”に身を置いている自分という存在に気づき、日常のとぉーとぉーと流れる日々に、実は日常こそが大事な生きている瞬間、一生の短さ、時間の大切さに気が付く場所の創造

 やわらかな時間の流れる場所の創造

<コンセプト>

 公園には、木下のベンチやパラゴラの下、芝生の上など、様々なルームスペースが存在し、そこでは、人々がのんびりとした時間を過ごしている。

 でも、騒がしかったり天候(気候)の影響を受けやすく、本を読んだりするには、あまり適さないように思われる。

 図書館や美術館では、本を読んだり考え事をしたりできるが、規律の中で人々は、あまり、自由に個人の時間を過ごしているとは、思えない、

 もっと、家にいる時のように、自由に寝転がって本を読んだりジュースやお茶を飲みながら、本を読んだり、考え事ができる場所が欲しい、

 「なら、家にいれば良いじゃないか」という意見もあるだろうが、現代の日本で、本当に個人の家で、静かな自分の時間が保証されているとは言えない。工事の音、自動車、電車の音、また、様々な暮らしの中での煩わしさから開放される事は、不可能である。

 そこで、公園という場所自体を、建築によって人々が自由に自分の時間を過ごす事ができる場所を構成し、提供していきたい

<手法>

         1,とどまらない流れ、動き、視線、気持ちに一瞬、何らかの静けさを与えてやる。

         2,雄大な景色、景観の中に個を感じる事で、時間が瞬間止まったような気がする。

         時間を心に伝える何より大きな物は、その物の現状であり、存在である。

<建築として>  

 この敷地の景観は、東西で大きく2つの表情を持つ、東側は足下の仁川渓谷に面し、景観的には近景に甲山、遠景には六甲山系を望む大自然、西側は、大阪平野に広がる大都市である。

 この敷地は,本当に様々な表情を持っている。そこで、建築によって感受性を高め、見るという事について、考えてみた。ここは、一つに起伏に富んだ地形であること、2つめに古墳、住居跡等の存在、これらを考慮しながら、土地の持つ様々な良さ(要素)を引き出し、訪れる人々にリズムを持って「見え」を体験してもらい、全てを見つめ直す場所を提供していく

 ここは、幾つかのゾーンから構成されている。それらが、互いに関係しあい、また、その周囲の風景の間に、極めて多くの関係を作り出している。

 一つ目は、エントランス的な役割をするゾーン、この敷地と普段の社会との接点となる場所、ここは、この作品全体のスタイルを小さくまとめている。そこを、通った後、尾根の部分を周回して最初の建物へ向かいます。

 尾根を、まわりきると、そこで全体の配置、感じが一気に見え、そこで、驚きが生まれます。脅威は、美に通じる最初の感覚だから、最初に持ってきています。ここは、この作品の最初の部分なのです。ここの敷地全体を望める場所です。

 そして、この中は、この土地に来るまでの長い急斜面を上ってきた人々が一端、落ち着き気持ちを変化させる場所です。また、山の脇の平坦で長いその建物の中で、一筋の窓の光から森の音に耳を傾け、風を聞き取ります。奥には、光の射し込む場所が配置され人の探求心を高め、人を導きます。ここで、完全に視界的にも都市からの心の切り離しをねらっています。

 ここを抜けると階段の空間になってます。ここで、探訪者は、再び外に出て次の建物を間近に見、最初とは、また違った印象を受けるでしょう。階段は、一度、折れています。見返りの演出、一気に上がろうとする人も、いるでしょうが、疲れた人は、恥ずかしがらずに景色を見るという事を装って休むかもしれません。

 次に、2つめのゾーンでは、人の感受性を豊かにする場、自然に返る場所です。できれば、自分に対して問いかけ、そして、自分で自分に答えを与えるような場を提供しています。ここでは、自然にあふれた森の中のテラス、自然のままの林、奥には、渓谷を望む展望台があります。

 ここに、この建物と次の建物をつなぐ橋があります。ここは、狭間の空、見え隠れ、間見えにくい、見落とし、左手には、禁断の空間「いらずの場」があります。これは、自然の流れを人工的に切る事で、人はいらずを認識すると考え配置されています。

 そして、3つめのゾーン、展望、見渡しを中心に見渡す、見晴らし、見晴らす事をテーマに、設計されています。

 このなかで、見ると言う事に対して、幾つかの建築的表現を模索しています。

 この敷地のなかでは、基本的に自然と建築とは、常に微妙な関係で向き合い接触し、人々は、そこで自由に時間を過ごせるように、敷地全体で自分のいる位置、周りの状況、時間の流れを把握できるこように、安らぐ場所を

いることで。しかし、幾つかの領域で禁断の空間「いらずの場を」置くことで敷地全体に空間的にも、景観としても、リズムを生むようになっている。壁と列柱はそれらの領域と、秩序と方向を認識させ

 僕は、今回、卒業設計を行う上で、建築がこのように、くつろぎの場を提供するのに図書館であるとか、美術館、公共の何かを行う場と言うのではなく、ただに街の人々がその空間でくつろぎ、その場所で各々の時間を過ごせるような場所を想像できれば良いなという考えでいました。

 また、建築を公園として利用するには、やはり、普通に公園として土地が利用されている以上に建築物であるからこそできうる事を何か提供していかなくてはいけないと思っています。

          1,

          2,

 自然は何も語ってこない、その場その時に、そこにある存在自体がすべて、そこに何を感じ、どのように心を動かすかは、その人の自身の捉え方のみである。

 空も谷も、陽の光と風の中に、現在、存在し何も語らずにそこにいる。メッセージは、すべての物に自分が価値として与えているにすぎない。物は自然は何も語らないから。

 
<主な施設>

    事務所、カフェ(大、小)、渓谷のパネル展示