挑戦者:七杜和音

明 聖 の 翼 杖

 ある御方の話をしよう。
 私が長くお仕えしている、あの尊き御方。
 誰よりも気高く、誰よりも聡明な、なのに悲劇の名の元に生きる御方。
 華々しく、とても哀しい話をしよう……。

◇ ◇ ◇ 1 ◇ ◇ ◇

 私があの方に初めて出会ったのは、今から百年ほど前になるだろうか。
 魔技院で僧侶としての資質を認められて僧侶となっていた私は、しかし上位の僧位を望むほどの魔力はなく、人々の心に明聖を宿すための努力を続けていた。
 私の仕事といえば、出産を控えた妊婦の心の不安を癒し、生まれた子供の洗礼を行うこと。あるいは死に臨む老人や病人の手を取り、最期の苦痛を和らげ、魂の旅立ちを穏やかなものにすること。
 人々が僧侶に求める最も素朴な仕事だ。だが私にできる数少ないことであり、私はその仕事に誇りを持っていた。
 だから新しく僧院に来た人物の世話役を言いつけられたときも、特には抵抗を感じなかった。
 高貴な家柄の出で、ゆくゆくは高い地位に就く人物と聞いていた。だから始めから世話役がつけられる。
 そして私が選ばれた。
 私が最も人当たりがよかったからだろう。それ以外には考えたくない。私の僧侶としての資質が……。いや、考えまい。
 私は複雑な思いを押し殺し、私が仕える人物の待つ部屋へと赴いた。
 ゲピート僧院の、私が足を踏み入れたことのないほど奥深い部屋。高位の僧侶しか入ることの許されない部屋。
 私はそこに通された。
 それほど私が仕える人物は破格な待遇を受けているのだ。
「ヘディルでございます」
 私は深く頭を垂れる僧侶の礼をした。それからこの部屋で待っていた人物の一人が、僧院長であることに気付いた。
 私は驚愕を押し殺すのに苦労した。まさか僧院長がいるとは。それだけ私が仕える人物は将来を見込まれているのだ。
「ヘディルよ。彼が新たなる僧侶だ」
 僧院長は少しだけ振り返る。その視線を受けるように、座っていた人物が立ち上がった。
 強い意志の光が私の目を焼いた。私は目を細めてしまったかもしれない。そのくらい強い目だった。
「ヌルヒ・スカトロジーナです」
 若い声だった。
 まだ少年の名残が見える、若い声。
 声にふさわしい若い容貌。いくつなのだろうか。
「ヌルヒ殿はまだ十五歳であられるが、素晴らしい資質を持っておられる。早く僧院に慣れていただくために、そなたは力を尽くして欲しい」
 僧院長の言葉は私の立場を考慮してくれたものだった。だから一層否とは言えない。元より言う権利はないのだが。
 私はふと視線を感じて僧院長から目をそらした。
 ヌルヒ様が私を見ていた。私が戸惑いながら見返すと、にっこりと微笑んだ。
 花のようなという言葉がふさわしい笑顔だった。高貴で、人の上に立つことに慣れた笑顔。それなのに親しげだ。
「よろしく。ヘディル」
 その声は……まばゆいほど明聖に満ちている。
 私は己の境遇を忘れていた。私自身も僧侶として民人の尊敬を受ける身であることを忘れてしまった。
 この方こそ、僧侶の中の僧侶である。
 恭しい僧侶の礼を向けながら、私の心は、まだ若いヌルヒ様にお仕えできる喜びに震えていた。

【『明聖の翼杖 2』以降 随時連載予定】

<戻る>