季節のお話 その6

さ・く・ら

東京の桜は今、二分咲きといったところでしょうか。枝の先のほうから、我慢できなくなったようにつぼみがほころび始めています。

毎晩犬を連れて散歩に行く公園が、周囲を桜に囲まれていますので、満開になるとなかなか壮観です。

桜、と聞いてどういうイメージを持ちますか?

入学式?お花見?春?

確かに春を象徴する、花ですよね。

そしてすごく日本らしい、というイメージがあるのではないでしょうか。

嫌いなわけではけしてないんですけど、わたしは結構苦手、なんですよ。この花。

昼間はいいんだな。ああ、咲いたね。きれいだね。それで終わる。

夜でもね、花見の名所の上野公園(ローカルか?)なんかですと、ちょうちんがぶら下げれられて、屋台が出て、そこここに酔っ払い集団がいて、歓声だのカラオケだの大騒動になっている、そんな状況は失笑はしますが嫌ではない。もちろんその集団の中に自分が入っていることもあるわけだしね(笑)。

では何が苦手かと言うと。

それこそ静かな、人の気配のない公園かなんか。夜、いくつかある街灯が桜の花を夜空を背に浮き立たせている、そんなビジョン。

枝はほのピンクの花弁におおわれていて、風が流れるとひらひらと花びらが舞う。桜の花びらは軽いから、照明にきらめいてふわりふわりと生きているかのように舞い散ってきて、土の上に落ちる。

圧倒的な花盛りなのに、桜には香りがしない。あくまで視覚だけにうったえる繚乱の花盛り。ひとつひとつの花はあまりに儚いのに、この数はどうだろう。これだけ咲かせて、惜しげも無く手離していくプロセスにはほとんど狂的なものすら感じませんか(あぶねぇかな)?

こんな中に立っていると、自分の感性のバランスが崩れていくような気がする。崩れたバランスが、散ってゆく花びらと一緒に崩壊してしまうような気がする。

健全な精神状態のときでも、満開の桜に周りを囲まれて一人でいると何か居たたまれないような焦燥感を感じるから。誰かに近くにいて引き戻してもらいたいような、そんな気分になる。その焦燥感を、ぎりぎりまで抑制して花の中に立っているのも、これが結構嗜虐的でよかったりもするんですが(う、やっぱあぶねぇ・・・)。

多分満開は今週半ばか週末あたり。そのころ自分がどんな感覚にいるかはまだわからないけど、とりあえず犬の散歩コースからあの公園は外しておこうかな。今のところはそうした方がよいような気がしてます。

もう少し経って、若葉が吹き出してくれば、桜の木のこの妖怪じみた幻惑もあっさり払拭されて、間違いなく命の息吹、みたいなさわやかなイメージにとってかわるんですけどね。

美しすぎる花をつける桜の下には死体が埋まっているっていうのは、何に書いてあるんでしたっけ。

どこで読んだ言葉かは忘れてしまったけど、毎春、この言葉を思い出します。

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