ひとびとの話 その1 情報公開 世間にはいろいろな研究所というやつがありますが、わたしの勤めている研究所はその中でも屈指の弱小研究所であります。 その弱小研究所に無茶言うな、と思ったんですが、昨年某学会を主宰するはめになりました。
学会といっても、専門学会なんでそれほどでかいもんじゃないんですが800人程度の出席者を抱え、某市公民館だか市民センターだかを借りて三日にわたりやったんですね。
人員がでるのはうちの部署だけですから、わずかに十数人。それも会議主催なんてド素人の人間達ばかりですから、いわゆる学会屋さんを頼むわけです。そのうえ、知り合いの研究所や大学から人をかき集める。
そして、人を各チームに分け、それぞれのトップにうちの人員を配置する。 どんなチームがあったかというと、本部、受け付け、会場係、スライド映写係、タイムキーパーなんかに加え、ロビーの飲み物の世話までするのでお茶係なぁんていうのまでありました。
会場は二つ。発表者が舞台の上に立ってスライドを映写しながら話をする口演会場というやつと、発表者が作ってきたポスターをはってみんなが見て回る示説会場。
示説会場の方はいったん準備してしまえば手がかからないんですが、口演会場はそうは行かない。
まずスライド映写をしてやらなきゃいけない。発表者の持ってきたスライドを受け取って順番通りちゃんとセットして映写してやる。大体一人あたり10枚強。ワンクール20人。間違えたらしばき倒される。
次にタイムキーパー。発表者は8分の持ち時間を与えられるのだが、一般に長引きます。発表者が話し始めたらストップウォッチで時間を計って持ち時間が終わるとブザー鳴らしたりする。その後の質疑応答もひたすら時間を計り、ずれにずれていく時間を把握して座長(司会者)の先生に質疑応答時間をカットしてもらったり、休み時間や昼飯時間を調整する。
ま、なんだかんだとスタッフは忙しいんですよ。全体の掌握は本部がしてまして、そこから各係に連絡が行く。 この連絡、以前は連絡係ってのがいて走り回ってたんですが、今回の学会では頼りになる学会屋さんが素敵なものを持ってきてくれた。
トランシーバーですわ。ベルトに本体をつけて、イヤホンをつけて、マイクで語る、アレ。
わたしら素人集団は盛り上がりましたね。なんかプロっぽじゃないですか?子供がおもちゃ与えられたかのようなはしゃぎぶりでありました。 このトランシーバー、受信は常に開放で、マイクはその都度スイッチを入れるというものでした。 ですから、まず話したい相手の名前を呼んで、返答が返ってきたら要件を言うのですが、会話はトランシーバー持っている全員に聞こえるわけです。 「○○さん、応答願います」 「はい、○○応答しました、要件どうぞ」 職場でためぐちきいてる人間たちの会話がこんな感じになります。
「こちら会場係○○、スライド係○○さんお願いします」 「はい、こちら○○、要件どうぞ」 「スライドのピント修整してください。ややオーバーです」
一方では 「お茶係○○さん、いますか」 「はい、どうぞ」 「ロビーのポットなんですが、あまりなみなみお湯を入れないで下さい。あふれて危険です」 「はい、善処します」 なんなんだよおまえら、みたいな会話が展開されているのです。
そんな緊迫感のない通信が行き交う中で、突然、真剣な声がはいってきました。 「事務局長の○田部長、至急応答願います」 受付の女の子の声です。返答はありません。 「○田部長、シンポジストの外人さんが受付にいるんですよ、早く応答してください!」 海外からお招きしたお客様です。主催側の責任者がお迎えせねば格好がつきません。そのうえ相手は日本語を解さない。受付の彼女は必死になっているようです。
しかし応答はない。 「○田部長!応答してください!」 数人の研究員がとりあえず受付にいってみようか、と会場から腰を挙げかけた時、部長の返答がはいってきました。
「お?おれだ、おれ」 「どこにいるんですか!すぐ来てください!」 「すぐ…は行けないよ、待ってくれよ」 なにやら妙に押し殺したような声でした。 受付の子はぶちきれました。 「いいかげんにしてください。時間は言ってあったでしょ?何してるんですか!」 「だからあの」 「どこで何してるんですかって言ってるんです!」 「ちょっと、だって、その」
部長の声はしどろもどろです。受付の女の子は実は研究員たちがひそかに恐れている厳しい女の子なのです。それも絶好調に怒っている。わたしたちは固唾を飲んで会話に聞き入っていました。 「とにかくすぐにきてください!」
「だから五分まってくれ」 「いったいどこでなにしてるんですか!」 マイクがハウリング起こすほどの金切り声でした。部長は一瞬黙り、観念したように言いました。
「便所…う○こしてる」 |