長距離通勤者の悲哀
その14 境 界 帰る時間はいつもより少しだけ,遅い。 小ぬか雨が降っている。汚れているらしいフロントに対向車のランプが乱反射するのが少しだけ,うっとおしい。 ほぼいつもどおりの仕事内容をこなしてきたけど,夕方飛び込んできた仕事のせいで,それから一気に知識を詰め込んだ。 帰るためにクルマを出したとたんカーラジオから流れてきた曲が耳につく。いやな思い出のある大好きな曲だ。 さっき携帯のメール受信のアラームが鳴った。誰だろう。待っているメールがないわけでもないけれど,荒らされて舞い上がった澱が邪魔をして携帯に手が伸びない。忘れていた期待がよみがえってきて,受信者を確認するのが少しだけ,怖い。 クルマをゆっくり流して,高速の入り口のカーブを曲がる。 合流しようと思ってバックミラーを除くと,後続車は誰もいない。 三車線の直線の高速道路,前も後ろもクルマが一台も居ないのに気が付く。 誰も,いない。 こんなにこの道は暗かっただろうか。
しばらく走ると,標識が見える。毎日見慣れた標識なのに,違和感がある。 気温はそう低くない。フロントにあたるのは力のない小粒の雨である。路面が凍結しているわけがない。 わかっているのにアクセルを踏む足がゆるむ。 ここは,何処なんだろう? ふと浮かんだ疑問にどきりとする。 怖い。 あそこまで。あそこへ行けば,日常が戻ってくる。 先行車につくと同時に,トンネルに入った。オレンジ色の光があふれて,水の切れたウインドをこするワイパーが悲鳴をあげた。 あれは,なんだったんだろう。
日常はいつも,少しずつ何かが違う。 あちらがわの入り口は,多分すぐ近くにあるのだろう。
少なくともその境界は,すぐ近くにある。 そう実感した雨の日だった。 |