こんな,お話。 その4
01.04.20

その概念

先日テレビを見ていたらやっていたニュースである。

ある先天性疾患に特異的な染色体異常を特定したひとが,その知的財産を特許として登録したと言う。
もちろん個人で登録したわけではない。博士が所属している私立小児病院が特許の登録者である。

この先天性疾患とは,生後まもなくから全身筋肉の萎縮がおこるという致死的な疾患であり,博士の業績によって出産前にこの遺伝子異常の検査をすることにより,優性保護が可能になったのである。

特許登録が為されれば当然特許料が発生する。
特許料の支払いは,その遺伝子検査をするそれぞれの病院に課せられることになる。
聞くところによると,博士を擁する小児病院は,特許料を,契約料と言う形にして一定額の支払いを各使用医療施設に要求してきたと言う。

問題になっているのはここである。
特許料と契約金を要求した小児病院が訴えられたのである。
訴えたのは,その遺伝病を有する子供を二人持っていた両親である。
自分たちの子供は救えないとしても,その病気をもつかわいそうな子供がもう生まれてこないように,と言う願いのもとに,採血や検査など子供たちにとっては苦痛と思われる処理をすることを小児病院と博士に許可したのである。
そんな犠牲的精神により集められたデータに基づいて明らかとされた染色体異常の正体を,金で売るとは何事だ,と言うのが訴えの趣旨である。
各個人に請求される検査料がいくらであるか,年間決めの契約金がいくらであるかは番組ではいわれていなかったが,小児病院側では,特許料は一検査あたり15ドルにも満たないものであると述べているらしい。

染色体異常なんてのは,何番目の染色体にこういう異常があるとわかれば,あとは細胞を取ってきて処理して顕微鏡で見れば終了する。
だからここで議論されているのは「検査方法」ではなく,どの染色体の異常がこの先天病変にかかわっているのかという「情報提供」なのである。
この「情報」は,すでに学術誌に掲載されている。
誰でも読める学術誌に,である。
秘密でもなんでもないのだ。

これをどうにかしてお金稼ぎのネタにしようとすることから,知的財産への特許料という展開になったわけである。

ここまで説明された段階で,あなたはどう思われるだろうか。
確かに医療施設の中には,契約金を払えない(あるいは払いたくない)と言う理由でこの遺伝子検査をギブアップしているところがあるそうだ。
と言うことは一方で検査を受けたくても受けられず,不幸な先天異常の子供が出生してしまったと言う可能性も無いではないのである。

そうなんだが。

いったんわかった染色体異常の有無を検査することは確かにたやすい。
しかし,ある疾病が先天性であることを確認し,46本もある染色体のどの部分に異常があるのかを探し出すことはそうそう容易ではないのである。
博士の研究が染色体レベルのものなのか,DNAシークエンスまでおっかけたものなのかは報道されてなかったし,怠惰なわたしは検索もしていない。
染色体レベルだとしたらまだましであるが,それでも大変なことである。
大変,というのは,学術的なことだけではない。

お金がかかるのである。

比較するのは少々無理があるかもしれないが,米国NIHが音頭とりをして人間のゲノムを全解明したというニュースはお聞きになった方が多いと思う。
あれには,二桁をこす数の研究所が参加している。
そのために新設された研究所も含めて,である。
ひとつの研究所でゲノム解析に用いる設備投資だけでも数千万はくだらない。
さらにランニングコストも設備投資に引けを取らない。
そして人件費である。

ヒトゲノムは科学雑誌で紹介され,誰でも資料として用いられるし,これを足がかりににさまざまな医学技術開発も繰り広げられているが,当然これには科料は無い。
NIHだからである。旧厚生省だからである。あるいはその業績に乗っかって知名度を上げることを目的としたさまざまな企業があるからである。

くだんの染色体異常を同定した博士は私立病院に所属してる。
懸命に努力して,研究を成し遂げた博士はもちろん賞賛に値するが,その博士のお給料も含め,すべての資金はその病院から出ているのである。
ぶっちゃけていえば,モトはとらねばならないのである。
あわよくば儲けを発生させなければならないのである。
あらたな医療研究を発展させる,あるいは日々革新されていく最新鋭の医療設備を装備したいという,しごくまともな心がまえの病院なのだとしたら,それはごく自然なことではないだろうか。
重要な治療法に寄与する情報を分け与えられるのだとしたら,その情報に見合う何かを提供すべきであろう。
金銭がその何かとしてはもっとも簡単な手段であると思われる。

ペニシリンがカビから発見されたのはもちろんすばらしい業績である。
しかし今は時代が違う。
いかに研究従事者の脳みそがすばらしくとも,設備がなければ新たな進歩は望めない。
医療と言う分野は,どこか金銭の介入を嫌う。
金銭を基本にしなければ成り立たなくなっている分野だというのに。

テクノロジーの細分化と爆発的な進歩,そして知識の更新が要求するのは莫大な金銭的基盤である。
それはたゆまず続いてきた人間の知識欲と健康あるいは生命への貪欲さがもたらした当然の帰結だと思う。
医療現場あるいは医療技術開発が要求するその概念は,目をそむけようがどうしようがもう歴然としているものであり,それを俗悪なものとして捕らえるのはあまりに現実離れしていると思う。

その概念とは。

(あなたの)生命の,価格化,である。

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