春日俊一編


 人は「普通」を好む。一般的な人間からかけ離れている行動をよくとる人間は非常識な人間、一般的な人間のするような行動をよく取る人間を常識人、と呼ぶ。『普通』の人間を『常人』と呼ぶのもそこからだ。しかし、時に非常識な人間は個性的な人間にもなりうる。そのあたりの線引きは人によって多少の誤差はあれ、大体のことはわかる。要するに「差し引き」だ。例えば、授業中にうるさい人間がいたとする。そいつが笑えることを言うなら「面白い奴」になり、つまらないことを言って騒ぐなら「うざい奴」になる。つまり、授業を真面目に受けたい人間や、静かに寝たい人間にとってうるさくされることはマイナスの要因だ。しかし、それが面白いことならば楽しくなれてプラスの要因になって、プラスマイナスがあわさった結果によってそいつの評価が決まる。人間とは元々そういう、意識していないところでも計算をする狡猾な生き物だ。もちろん、俺もその人間という生物であり、自分自身ずる賢いと思っているし、人よりもひねくれているだろう。だが、俺はそれを自分の『個性』だと思っているし、もしそれが『非常識』だというならばそうやって人に評価を下すのも『非常識』なのではないだろうか。

 普通はずる賢いことは短所だと考えられているが、それはむしろ俺にとっては長所だ。なぜなら、「ずる賢い」とは、『ずるい』が『賢い』からだ。つまり、『ずるい』ことは世間的に短所だ。しかし、『賢い』からこそその短所を隠し通すことが可能である。そういう意味で、常に『賢い』ことしか人にはわからない。これを長所と言わず何を言う?

 さて、俺は春日俊一。その『ずる賢い』人間の中の『ずる賢い』奴だ。俺は自分の顔が気に入っている。女顔ではあるが、整った目鼻立ちなどは他人の受けが良くて色々なことがうまくいく。この顔に生んでくれたことだけは親に感謝している。そう、このこと「だけ」は。

 俺はずる賢いだけではなくひねくれている。俺は人間は計算高くて狡猾な生き物だといったが、もちろん人間は元々素晴らしい生き物だと述べる甘いやつもいるのだろう。例えば、中国の昔の儒家の話だ。孟子という奴は「性善説」という思想を説き、人間の生まれつきの性質は善あって、もし目の前で子供が井戸に落ちたなら人は慌てふためき居たたまれない気持ちになるだろう、と述べたらしい。それに対し荀子という奴は人間の生まれつき悪であり、人間は必ず良いものを求めようとする性質があり、その為には手段を選ばないところがある、と述べたらしい。俺は荀子の言うことはよくわかる。俺も実際に色々と欲しい物があると何とかして手に入れようとする。しかし、孟子の言うことは全く理解できない。もし俺の目の前で子供が死のうが生きようが俺には関係なく、もしそれが俺に何の害も及ぼさないのなら必ず無視するだろう。そして、もしこの時に「助ける」と言う人間は偽善者か世間知らずである。人間とはそういう生き物である。

 話は逸れたが、俺がこうなった原因の8割方は親のせいだ。両親の夫婦関係は完全に冷め切っており、世間体の為に離婚だけはしない。そうしているとストレスだけがたまり、子供に当り散らす。そんな家が好きになるはずもなく、家にいることがたまらなく苦痛になる。しかしうちは一般に言われる『転勤族』であり、友達ができる前に転校してしまう。だから俺には居場所がない。それはそれで楽しいところもあるのだが。

 さて、俺は何度したかわからないくらいの転校をしてきた。そして今日、また転校をする。しかし友達のいない俺には別れを惜しんでくれる奴などいなく、形式だけの「お別れ会」をした。みんな適当な気持ちでガキくさいことだけをすることに「お遊戯『会』」のような『会』とついているのはあまりにもお似合いで少し笑えた。今は1学期の終わりだから2学期からは次の学校だろうか。次の学校のことなど考えていない、というより考える気力もなく、適当になるようになると考えている。実際今まで学校などくだらないものを興味の対象と考えたことはなかった。その理由はまわりの奴らが皆あまりにも子供くさくて付き合う気にもなれなかったからだ。次でもそうだと考えるとやはり考える気力がなくなってくる。家へ帰る前に散々寄り道をして、既に親が寝ている時間に家へ着く。そして着替えて風呂に入ってすぐに寝る。そんなことがもう5年以上も続いていて、自立できるようになる日を心待ちにしている。

 次の日、ようやくといった感じで引越しの準備が始まった。もう手馴れた物で黙々と自分の物だけを荷造りしていく。共有物は俺の役割だ。その間にほとんど会話はなく、よく聞く「引越し特有のワクワク感」というものは味わったことはない。それは恐らく「未知なる土地への期待と不安が入り混じった感情」と「非日常的なことへの歓喜」、そして「日常的な家族との関わり」からくるものではないだろう。そのどれもない俺に引越しが楽しい物になるはずがないのは当然と言えば当然なのだが…

 そして準備が済むと各自自由時間、というより勝手に何でもしろと言う感じだ。仕方がないのでパソコンでメールでも立ち上げてみる。一通のメールが来ていた。送信元は相良…あいつだ。俺が以前、あまりにも家へ帰ることが嫌で夜に繁華街を歩いていた時、少し荒れた感じの俺に注意する大人はいなく、警官にさえ気をつけていれば特に怖い物はなかった。その時のことだ、ふと目が合うと、普通はそのまますれ違ってしまうのにそいつは近寄ってきてなぜ子供がこんなところにいるのか問いただしてきた。無視して通り過ぎようとすると腕をつかんで離さなかった。そして生意気にも説教を始めた。人生について、人間の愚かさ、醜さ、そして素晴らしさを俺に熱心に説いてきた。俺と大して歳も変わらないようなやつに説教をされるのはすこし腹が立ったが不思議と反抗する気にはなれず、そのうちに奴の経験についてなどに進展して、俺の未熟さを説いた。そいつは、よく大人が言う「環境のせいだ」とか「君が悪いんじゃない、まわりの大人のせいなんだ」などというわかったような口は聞かず、何度も俺個人について責めて諭して納得させようとした。俺はその説教に全く感動も共感もしなかったが悪い気はせず、それ以来メールだけではあるが付き合いを続けてきた。未だにあいつが夜に繁華街にいた理由に関しては不明だが、それ以来お互いを認めている本音の付き合いが俺には初めてでそれを切る気にはなれなかった。

 そしてメールを見てみると、
「最近調子はどうだ?俺はとうとう成功した。ついに社会で認められる存在になったんだ。この喜びは正確には伝わらないかもしれないが一応お前には伝えておこうと思ったのでメールを送ってみた」
とあった。「成功した」と言われても何に成功したのかがわからなかった。それだけ興奮しているのだろうか。頭はいいがそこだけが彼の唯一の弱点だ。熱血漢、という感じだろうか。頭に血が上りやすい単純な奴とも言える。
「それはよかった。俺はまた引越しだ。今度は銘仙中学と言うところ。もういい加減に興味はないが、とりあえず義務教育だけは済ませておくつもりだから行っておこうと思う。あんたの『やりたいことが見つかるまでは勉強しておけ』というセリフに従うわけではないが、とりあえずやりたくないことだけはある。それは親に側にいることだ。そういう意味でも俺は一人で生きていくことを身につけようと思う」
と返信しておいた。銘仙…そういえば相良と出会ったのもそのあたりだったな。今回引っ越すところは以前住んでいたことがある家の側だ。だからといってどうというわけではないがその辺の地理を知っていると、色々と動きやすい。家に長くいるつもりはさらさらないので。

 そしてついに2学期が始まった。俺は職員室へ向かって担任の高橋という奴に会った。見た感じ体育教師、実際も体育教師、というわかりやすい奴で、こういう奴はいい成績をとって大人しくしていればいいので楽だと思った。そして始業式の朝礼。お決まりの行事が終わった後、転校生の紹介で俺が朝礼台にたった。普通はこういうところで緊張するものなのだろうが、場数を踏んでいる俺は緊張は全くなかった。そして別に興味があるわけではないのだが俺が入るはずの2年4組を見てみた。ごく普通の奴らが並ぶ中、偶然2人の男子が目に入ってきた。一人は優等生風の少年。学級委員らしい彼はどことなく相良の顔に面影があったが、着衣や顔つきから見る雰囲気が全然違ったので他人の空似か、と思ってすぐ目をそむけた。そしてもう一人はさっきからずっとこっちを見てくる奴。さしたる特徴があるわけではなく、どこにでもいそうな感じだが、なぜか違和感を感じた。何がおかしいのかはよくわからなかったが、間違いなく何かがおかしいことは確信していた。そして彼からは何か他の奴らとは違う大人びた印象を受けた。彼とならば毎日の生活から「暇」の文字は消えるような気がした。そう、何をするのも面倒なような気だるさと何でも出来るような天才のオーラが同居した彼ならば。

 転校生とは、普通とは違う雰囲気をもっていて、大抵最初は人気者になれる。しかしそれも考え物で、いつもならば家へ帰るまでの時間が潰せるので大歓迎なのだが今回は事情が違った。気になる奴がいるのだ。彼とピンポイントで近付けるように出来るだけ目立たないような努力をした。自己紹介でもほとんど喋らず、動作一つ一つも全て近寄り難いような雰囲気を作り出し、それ以降も教師の言葉に熱心に耳を傾けている演技をした。それでもやはり『転校生』というイメージは拭い取れず、学校が終わると俺の周りに輪が出来た。くだらない、何度も聞いたような質問が続いてうんざりした俺は、礼だけするとそこからすぐに立ち去った。そして例の「彼」に追いついた。名前は調べてある。確か庄野だ。
「庄野君だっけ?帰る方向同じだから一緒に帰ろう」
と、極力明るい声を出して言った。根暗っぽい彼には同じく暗くなるのではなく、逆に明るくしていった方が良い。そしてわけがわからないという顔をしている彼に再び声をかけた
「ああ、クラスの中で見た僕は嘘。猫をかぶっているんだ」
と言った。こういう友達が少ない彼には、「君にだけ教える秘密がある」という感じにするとより信頼を得られて近付きやすいと思った。これは一種の賭けで、裏表がある不気味な奴と思われたら全てが終わってしまったが、そんなことはなく何とかうまくいった。そして少し友好的な態度をとってくれた彼にずっと話し掛けて仲良くなっていった。

 さて、そんなこんなで彼と仲良くなったわけだが、俺は別に「友達ごっこ」がしたくて彼に近づいたわけではない。俺は毎日を楽しみたいだけだ。何でも出来るやる気のない人間の庄野を俺の思うままに遊んでみたい。そういう考えから俺は彼と付き合い始めた。そして俺が演技を始めてしばらく経過したある日、いつものように二人で昼飯を食べていると、突然喋るのをやめて考えるフリをした。そして心配する彼をよそに、そのまま黙った。彼は不思議そうな顔をしたが、そこで突っ込んで聞いてはまずいと考えたのか、あえて彼も黙っていた。そして悩んだ末か、下校するときにやっと事情を聞いてきた。
「さっきから黙ったままだけどうしたんだ?何でもいいから話してみろよ」
チャンスだ。ここを逃したら次はない。俺は極力言葉を選んで口を開いた。
「僕は、両親の都合でよく転校してきたんだ。友達と呼べる存在は多分庄野君が初めてだと思う。だけど、今回もクラス内ではまだ怖くて他の人には話し掛けられない。楽しい毎日、僕が目指すのはそれなんだ」
と。もちろんこの中の言葉に嘘はない。さて、これに対して彼はどう反応するか。ここでうまくかかってくれればいいのだが…
「俺が作ってやる、楽しい学校、楽しい毎日。学校へ来ることが面倒じゃなくて、休みの日が嫌になるくらいの学校にしてやる。」
効果覿面。予想以上の回答がきた。まさかここまでとは。我ながら自分の演技力に感服した。俺は正直彼と付き合っていて楽しかったが、それは普通の友達付き合いが楽しいわけではなく、単純に彼の変化が楽しいと感じたのだ。そう、さっきも言ったが俺はひねくれている。そしてお礼もそこそこに、また彼の思っている『普段の俺』に戻った。

 俺の中で考えている構想は、俺に入れ込みすぎてダメになってしまった、ダメな彼女に吸い取られた男のような庄野の変化を見る予定なのだが、それがもし横から邪魔が入ると全てが終わってしまう。俺はそこで一抹の不安を感じた。1クラスに大抵1人はいる「勘のいい奴」が俺の本性に気付くとまずいことになる。そもそも「勘のいい奴」とは表現が適切ではない。「勘」ではなく「経験則から来る洞察」だ。それは頭が良かったり先見の明がある奴によく見受けられる特殊な技能のようなものだ。今までは特に誰とも付き合ってこなかったから誰も何も言ってこなかったが、今は庄野と付き合っていて、もしおせっかいな奴が俺の内面に探りを入れてきた場合どうなってしまうんだろう。そしてそれが一番危ないと思われたのは学級委員だ。彼は最初に抱いた印象は外れていなく、俺の知っている相良の弟だった。兄貴譲りなのか、頭が良くておせっかいで勘が鋭い。彼が一番危ないと思った。できるだけ彼には近づかないつもりだったが、ことは起きてしまった。そう、いつものように二人で昼飯を食いに行こうとしたとき、相良に呼び止められたのだ。
「君達はいつも昼休みになると決まってどこかへいなくなるが、一体どこへいっているんだ?」
と、余計な詮索をしてきた。このクラスで全く喋らない俺はここでも黙ったままでいると、庄野が前に出て反論し始めた。
「余計なお世話だ。俺達がどうしていようと勝手だ」
「そうはいかない。学級委員として有事の際には責任をとる義務があるんだ。せめてクラスメイトの行動くらいは把握していないと不安だ。それに、転校生が一人だけと付き合っているのはクラスに馴染みづらいので出来れば避けたい」
「そういう無駄な責任感を持つ暇があったら机に向かってお勉強でもしているといい。クラストップを維持しつづけるのは大変だろ?」
「話をそらさないでくれ。これは僕の為だけじゃない。先程述べた『有事の際』に一番辛いのは僕じゃない、君達なんだ!」
「だからどうした。俺達は自己責任で行動している。そうやって学級委員という立場で好きなだけ権力を振りかざすのは勝手だが、それならそうとはっきり言え!お前の自己満足なのに善人面して他人に干渉してくるな!はっきり言って迷惑なんだよ!」
最初は二人とも冷静だったが、終わることにはお互い真っ赤な顔になって怒鳴りあっていた。もうこの時点で既に勝敗は喫した、と俺は思った。
「君はそう考えていたのか。僕は真剣にクラスのことを考えていたのにその様に思われていたのは残念で仕方がないよ」
とだけ言い残して相良は去った。これはどちらにせよ庄野に勝ち目のない話だった。まわりからの評価、がある限りは。これを見た俺は「もう限界かな」と思った。こんなことがあったあとに庄野と付き合っていても面白くない。堕落していくつもりが、既に相良によって彼は落ちるところまで落とされた。もうこれ以上はだめだ。俺がしっぺ返しを食らう。そろそろ潮時だと思った俺は彼に冷たい態度をとるようにした。そして不思議に思った彼が俺に話し掛けた。
「僕が原因で相良君は庄野君を憎むことになった。僕は不幸を呼ぶ。それなら僕はトオイトオイドコカへイクベキナンダ…」
と、心にもないことを口にした。不幸を呼ぶ、というよりはわざと不幸を呼んでいるわけだが。棒読みにした最後の一文は俺の久々の本心だった。存在を消し去ってしまいたい。生きていることに意義を感じない俺はそう思って言ったのだ。
「それがなんなんだ。あんな奴との関係なんて俺は全然構わない。逃げる必要ないじゃないか。」
と彼は必死になって反論してきた。面倒だがここで突き放すか。
「それに…庄野君、『楽しい学校を作る』って言ってたのにケンカしたから…」
「だからなんなんだよ、あれは仕方ないだろ。俺はあいつに非があると思ったからそういう行動に出ただけだ。お前との関係が崩れたくなかったから、そのまま仲良くしたかったから、俺が護ったんだ。」
「でも、そんなの『楽しい学校』じゃないよ!他人といがみ合ってまで僕は庄野君と仲良くしたいとは思わないんだ!」
とだけ言って俺はそこから走り去った。嘘ばかりで塗り固められたセリフ、なんだか不思議な感じがして走り去ったのは演技のつもりだったが少しだけ本能もあったような気がした。

 つまらない。おもちゃを取り上げられた子供のような感じで、相良がとてつもなく憎かった。彼からも何かを取り上げてやろう。そう思って兄を考えてみた。彼にとって絶対である兄がいなくなったらどんなものだろうか。せっかくの『トモダチ』を奪った彼には丁度良いだろう。そう思って相良とのすれ違い様に一言、精一杯の憎しみを込めて一言つぶやいた。
「余計なことをしてくれたな。せっかくの僕の『トモダチ』をなんてことをしてくれたんだ。そう、君にもあげよう。不幸を一握り…」
その3日後、俺は形式だけの手紙を家に残して家を出た。そして俺は親、学校、その他社会的に束縛されて然るべきものからの制約を全て振り払って自分一人で生きていくことを選んだ。そして俺は闇夜へ消える…


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