11月2日 日曜日 世界で一番うまいもの


 今まで28年間生きて来たなかで一番おいしかったものは何と聞かれたら、みなさん何と答える?僕も社会人になってお金を持つようになり、多少贅沢なものを食べたりもした。神戸で食べた神戸牛や、築地市場の寿司、高級フランス料理店のフルコース。どれもものすごくうまいけど、結局のところ学生時代に50円くらいで食べたある食べ物を超えるものに出会ったことがない。その世界で一番うまい食べ物について。

 その食べ物に出会ったのは海の向こう、タイでのこと。24歳の時に初めて訪れたタイのバンコクで、僕は道に迷っていた。タイでは日本と同じように、一般的に英語は通じない。英語が話せるのは、観光客がくる場所にいる人か、ちゃんとした教育を受けている人くらい。前の晩にバンコクへ到着した僕は、その3日後にはスペインのマドリードへ飛び、その後ジブラルタル海峡を渡りアフリカ大陸を目指すことになっていた。安い航空券だったので、スペイン行きの便への乗り継ぎが悪く、時間が結構あった。ついでなので中継点であるバンコクの見物することにしたのだった。

 バンコクについた日は、カオサンロードという安宿街に泊まった。カオサンロードは白人や日本人を中心に、世界中から旅行者が集まってくるところ。良くも悪くも旅行者にとってはバンコクの象徴的な場所だ。そこで僕は観光客狙いの、たちの悪い輩につかまり、随分ひどい目にあったりもした。晩飯に食べたタイカレーは信じられないほど辛くて、そしておいしくなかった。店からは大音量で流れる白人音楽。他の店では、大きな画面で映画を流したりしていて、オープンテラスでは、白人がそれを眺めながらフレンチトーストを、ナイフとフォークを使ってちまちまと食べたりしていた。僕はその日のうちにタイが嫌いになり、1日でも早くスペインへ発ちたくなってしまったが、あいにく僕の航空券では3日後までこの国にいなければならないことになっていた。寺や遺跡に興味はない僕は、ガイドブックから「人体解剖博物館」なるものを発見し、そこを目指していたら道に迷ったのであった。

 僕が道に迷ったところは、観光客が大勢いるようなところではなく、英語が通じそうな人も歩いていなかった。そこで僕は大学生の女の子に道を尋ねるのだけど、その子がその後3日間に渡る、僕の短いバンコク滞在を変えることになった。彼女は「人体解剖博物館」に一緒に来てくれたうえに、ひとつひとつをつたない英語で解説してくれた。彼女はその博物館を所有する大学の学生だったのだ。そこを出た後も、市場でタイの食べ物をごちそうしてくれたり、屋台でデザートを買って食べたり、チャオプラヤ川を船で渡ったりした。主な観光地である寺院などにも全部連れていってくれた。日も暮れてきたので、いくら言っても足りないお礼を言って見送ろうとすると、彼女は明日も案内するから、9時にここにまたこいと言う。あまりの親切さに気が引けたけど、遠慮してもしょうがないと思い、彼女の好意に甘えることにした。

 次の日、彼女は自分の大学の寮に来いと誘ってくれた。男子学生を紹介するから、彼等の部屋に泊めてもらえばいい、という。これもまた面白そうな話なので、ひょいひょいとついてゆく。移動手段はタイの人たちしか乗っていない乗り合いトラック。タイ語ができないとこれには乗れないわけで、観光客など一人もいない。カオサンロードとは全く違う、生のバンコクの姿がそこにあり僕は愉快な気分になっていた。大学につくと、彼女は僕を構内の売店に連れていってくれた。そこは軽食が食べられる屋台みたいなところで、おばちゃんが手際良く、いろんな料理を作っていた。僕のためにも何かが注文されたようだったが、タイ語の分からない僕はただただ待つしかない。出て来たのはチャーハンだった。これが、まさに僕が今までの人生のなかで食べたもののなかで一番うまいものである。

 注文の前に「おなかすいたか?」と聞かれた僕は「すいた」と答えたもんだから、チャーハンは3つも出てきたのだけど、その3皿を全て平らげてしまった。チャーハンは胃をはみ出し、のどのその辺まで来ていたが、これをうまいと言わず、何をうまいと言おう、という凄まじい旨さを誇るタイチャーハンの攻撃に、僕の満腹中枢は破壊されていたのかもしれない。チャーハンを噛み締め、一口飲み込むごとに、舌がその味を再び求めてくる。それに反応して、手は無意識にチャーハンを口に運び、噛み締め、飲み込み、求め、運ぶ。これの繰り返し。食い終わった後に、その食べた量に自分で飽きれたほどであった。それ以来、僕はタイフードの虜となり、東京でも色んなタイ料理レストランへ行ったのだけど、未だあの日の売店で食べた30バーツほどのチャーハンを超える味には出会えずにいる。

 話は現在に戻る。今日は、僕の知人がタイ料理の店を開いたというので、神奈川県は湘南の葉山に行ってきた。そこで料理を作っているタイ人の腕は相当に良かった。都内でもいろんなタイ料理屋に行ったのだけど、今日行った店の料理が、日本で食べたタイ料理のなかで一番うまかった。その味は、僕がタイの大学の構内でチャーハンを食べた時の感覚を呼び起こし、それに連なって、5年前のバンコクでのいろんな出来事が思い出されたのだった。ほんとは、もっと色んなことがあったのだけど、ここに綴るにはちょっと長過ぎるので、今日はこのへんにしようと思います。ちなみに、そのレストランの場所は、葉山の長者ヶ崎というところにある。天気が良ければ、夕日が水平線に沈んでいく風景が見られる。サンセットビーチってやつですね。うまい料理にビール。最高っすね。日曜日の夜はふけてゆく。

長者ヶ崎の夕日です

土曜日へBack! / Diary Topへ戻る

Home