2003年9月
沖縄県石垣島
 石垣島は一番有名な日本の果ての地である。そのイメージと知名度が先行して、知った気になっている石垣島。ただ、そこには独自の文化があるとか、奇麗な海があるとか、そういった認識だけはあるけれど、具体的にその姿を頭に思い描く事は出来ない。日本の果ての地と書いたけれど、正確に言うと、実はそれも違う。日本の有人島で最南端は、石垣島から一時間半ほど船で行った先にある波照間島。最西端は石垣島から、飛行機で30分ほど行った与那国島である。しかし、いずれも石垣島を拠点としてしか、そこにたどり着くことはできない。だから、石垣島はやはり日本にとって、果ての地の一つだと思う。その南の果ての地には、果ての地なりの独特の空気感があった。短いながら4日間の滞在で、おぼろげにではあるけれど、日本の果ての地、石垣島がどういうところなのか、感じる事が出来た。

 余談だが、石垣島が果ての地である事を実感した出来事に、天気予報とラジオ放送がある。テレビで見た、石垣島の天気予報には石垣島と与那国島、宮古島の天気が映し出されるのだが、その地図の左端1/3には、巨大な台湾がどんと居座る。これには驚いた。天気予報の画面に登場する台湾は、八重山諸島の島々にくらべて、あまりに巨大で、その存在感はかなりのものだ。ちょうど僕が滞在中に、台風が発生したのだけど、石垣島の南東で発生した台風は、八重山諸島を横切り、台湾に上陸し、中国に抜けていった。沖縄本島にさえかすりもしなかったこの台風は、全国ネットの天気予報では、ないがしろにされていた。日本のほとんどの人にとって、この台風は関係ないものであったが、僕と台湾人は台風の被害を被った。

 またレンタカーを借りたときに、ラジオを聴こうと思いチューニングをすると、キャッチした放送は、ほとんどが中国語放送だった。きっとこれも台湾のラジオ放送だろう。このカーステレオでは5〜6局の放送を受信できたけれど、日本語の放送が入ったのは、NHK、1局のみである。延々と株価の値段を読み上げていたので、中国語放送を聞きながらドライブをした。僕が聴いていた、若者向けだと思われる、生放送らしきその番組は、電話でリスナーと会話したり最新ポップスらしき曲を紹介したりと、楽しそうに番組は進行していた。飛行機でだって、沖縄本島からここ石垣島まで飛行機で1時間はかかる。沖縄本島より、台湾のほうが近いのだから無理もない。国境はすぐそこなのだ。天気予報を確認し、ラジオ番組を聞いてみれば、それはすぐにわかる。

 さて、石垣島は南の果ての地と書いたが、沖縄県八重山地方にとっては中心地であり、それなりの規模と機能を持っている。八重山地方の離島(西表島、竹富島、小浜島、黒島、波照間島など)へは石垣島を経由してしか行く事が出来ない。小浜島は石垣島と西表島の間にあり、位置的には西表島のほうに近いけれど、石垣島からしか便はない。全ての拠点はこの石垣島だ。他の離島に比べ、経済も交通もかなり発達している。産業は観光産業と農業、漁業が中心といったところだろう。そこそこ生活の利便性もあるので、観光客が石垣島に来て不便を感じる事はほとんどなかろうと思う。宿だって、割と立派なリゾートから、素泊まり1500円のドミトリーまで幅広くある。離島と違って、ちゃんと夜、食事するところもたくさんあるし、コンビニだってある。たくさんのダイビングショップがあるから、金さえ払えばいつでも奇麗な海はすぐそこだし、また、安宿で長期滞在して、のんびり毎日をやり過ごす事だって出来る。実際、そうやって一人で町をぶらぶらしている旅行者も多かった。安宿がたくさんある沖縄は、日本でも数少ないバックパック旅行が出来るところでもある。また、そんな旅人や旅行者を受け入れる、ショップや宿、飲食店の多くの人々は内地からの移住者であり、彼らが石垣島に活気を与えている事は確かだった。彼ら移住者の存在は、石垣島の中でうまく混ざり合い、またその存在は重要な意味を占めているように感じる。

 都会からの移住者にとって、ひとつのコミュニティーに飛び込む事を前提とすると、沖縄本島は大きすぎる。特に那覇は大都会だ。あれでは、内地の都市と変わりはない。かといって本島の周りにある離島は、その経済の中心が那覇である事には変わりない。それぞれの離島は、ただの離島でしかない。本島の付属品のようだ。それに比べて、本島から遠く離れた石垣島は、別の国のように自立して存在している。自分が、今後の人生を送る「新しい世界」として、ふさわしい、環境と規模を持ちあわせている。また、なにより、ここは果ての地であるから、都会での生活から逃げたくなった時に、出来るだけ遠くに行きたいと思った時に、頭の中に思い浮かびやすい。そしてたどり着くのが石垣島でもある。旅行者が多く、通り過ぎる大勢の人の中に、この八重山の大自然の絶対的な魅力と、その首都としての石垣島のちょうどいい規模に魅了される人は少なくない。もともと観光産業が盛んな島でもあるし、移住者も石垣島を愛したうえで流れてくるから、島の人(元々の島の人から、移住して島の人になった人も含む)は内地からの訪問者に慣れているし、寛容である。知らない人同士が話をする事も、この島では自然である感じがした。そういった風潮があるから、一人で歩いていても、あまり寂しさを感じる事はない。皆、話掛けてくれ、逆にこちらが話掛けても、もちろん嫌な顔などしない。同じような旅行者がたくさんいるし、それを受け入れてくれる宿がある。その宿の人たち。お店の人たち。みんな暖かであり、ゆとりがあり、それぞれの幸せへの確信のようなものと、そこに至るまでのドラマのようなものを持ち合わせていた。僕が短いながら滞在した石垣島での印象は、日本の端っこを生活の中心に選んだ人たちの、ドラマの集積地、そんな感じだ。

 本島で、米軍兵を相手とするショーパブでソプラノサックスを吹いていたという、もう軽く60は超えている爺さんは、商店街の中にある飲み屋のマスターで、店の奥に一泊1500円のドミトリーを営んでいる。音楽の道をとった事で家に勘当され、いまここにいるのだという。そこの飲み屋で、料理を作る30代後半の女性は、東京から単身、移り住んでもう18年だという。まるで最初からこの島に生まれたような人だった。その飲み屋で隣になった、50代中盤の体つきのいいおじさんは、石垣島生まれ。中学を出て、東京を含めた関東圏の建築現場で働き、10年前に石垣島に棟梁として戻ってきた。趣味は手品で、15枚のコインが、手の中で14枚になったり、16枚になったりするやつが十八番だ。(僕は1時間近く、14〜16枚のコインを、何度も何度も数えさせられる羽目になる。)。石垣生まれの寿司屋の大将は、特上で2200円の寿司を軽快に握り(うまかった。)、僕の「この白身は何?」の質問に、「あ、それナポレオン。」と当たり前のように答える。恐る恐る、カンパチのような魚を指して「これは?」と聞いてみると「あ、それはカンパチ」。ほっ。他の飲み屋のお母さんは、石垣生まれの石垣育ち。本当かどうか分からないけど、石垣島から出たことはないという。内地の事はなにもわかりません、と得意げに豪語する。このお母さんに会いに、みんなここに来るのだ。その店で三線を取り出し、歌い出したグループは、みな内地の出身だという。ダイビングショップで働く、真っ黒と日に焼けたスタッフたちは、ほぼ間違いなく内地の人間だ。いろんな人に会い、話したけれど、彼らには、この場所を選んだ事に対する確信と、この土地への愛着という点で共通していた。他の島の、内地の人たちは、季節労働的に、夏のみその島にいるという人が多かった。石垣の人たちは、石垣に家を持っていた。彼らは内地の生活ではなく、この石垣島の生活を是としたのである

 だから最初は、人に会うたびにどこの出身かを聞いていたけれど、途中からそんなことはどうでもいいと思って、聞くのをやめてしまった。ここにいる人たちは、みな石垣島の人であり、石垣島を愛しているのだと解かってきたからだ。それは、言葉からのみでなく、その人たちの佇まいそのものから染み出て来ている。日本の中のどこを探したって、こんなに確信めいた心持ちで、多くの人から住む場所がとして選ばれているところはないように感じる。彼らは旅行者の僕に、今、石垣島に住んでいる事がどれだけすばらしいかや、それがどれほど自分にあっているか、内地の忙しい生活がどれほど馬鹿らしいかを、とうとうと語る事で、今の自分を正当化しているに過ぎないかもしれない。そういう面もきっとある。きっと、そんな人々にも悩みや葛藤はあるのだと思う。でも、それでも、住む場所にここを選んでいることに、それなりの誇りがあるから、それが言えるのであり、表情は柔らかで、幸せの確信があるように見えるのだろう。たった4日間の滞在で、何もわかるはずはないが、印象というものはある。その主観的な印象は上記の通りだったというだけだ。石垣島は、八重山諸島の首都であり、その石垣島という国を選んだ人々が多くいて、現地の人とうまく混ざり合い、独特のコミュニティーを作っていて、みな、確信を持って石垣島を住む場所に選び、その喜びの空気が、町の雰囲気を良いものにしている。そんな人たちには、それぞれにここに落ち着くまでのドラマがあり、そのドラマを、毎晩誰かに語り掛けているのかもしれない。あるいは、その人たちは、僕の周りの人たちと何も変わらないのかもしれないとも思う。ドラマなんて、誰にでもあるものだし。ただ、それをちょっとだけうらやましい気がしていた僕の目に、そういう風に映っただけかもしれない。そのドラマは、僕にはどれも素敵に聞こえたのは、ただの気のせいなのだろうか。そんな石垣島には、いつもブラブラと旅行者が訪れ、通り過ぎ、時には誰かがそこに留まる。今日もまた。