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沖縄本島の本来の姿が見え始めたのは、滞在二日目であった。天気は朝から雨だった。最終日、海岸でのんびり日光浴を企んでいたのだけど、どうやら予定を変更せざるをえなさそうだ。朝、僕は一人で朝食をとっていた。朝食はやはり、ペンション然とした朝食だった。おいしいパンに、たっぷりのバターとジャム、ふっくらとしたオムレツには品のいいケチャップがかかっている。新鮮なレタスとトマトにしゃきっと引き締まったウインナー。ちゃんと煎れられた、いい香りのコーヒー。これがペンション然とした朝食だ。他の客は、朝食さえ取らずに「お世話になりました。」とペンションを後にしていた。みんなカップルだった。食堂でひとり、食事をとりながら、彼らが去っていくのを横目で眺めていた。彼らがいなくなり、また静かになった食堂で、宿のお母さんに今日の僕の行き先を相談すると、海洋博記念公園を薦められた。そこには日本最大の水族館があるらしく、最近の沖縄の観光地では一番良いという。一人で水族館というのもどうかと思ったが、何はともあれ、やりたいこともないわけだし、地元の人の勧めに従うことにした。雨の中、車を出し、国道58号線を北へ向かう。海洋博記念公園は沖縄本島の北部にある。那覇からは100km、ここ、恩納村からも50kmはある。
水族館はとてもいいところだった。最初の水槽では、沖縄の海が再現されていた。それは、僕が石垣島や座間味でみた海の中と同じ魚や珊瑚で作られていた。その美しさに、客はみな感嘆の声を上げる。「うわぁ、奇麗だねぇ。こんな海見てみたいねぇ。」と横に立つ中年の女性は叫んでいた。正直、この水槽よりも、本当の海のほうが透き通っていて、奇麗だったことを見て取った僕は、わずかばかり優越感を覚えた。さらに横のカップルが「すごいねぇ、こんなところに潜ってみたい。」「さすがに、海の中は、こんな水槽みたいにうまくは出来ていないだろう。」という会話をしていた。違うんだな。本当の海のほうがもっと奇麗で、もっと魚がいるんだなと、また僕は優越感に浸る。しかし、彼らがそう思うのも無理はない。座間味の海は、本当に信じられないくらい、奇麗だったのだ。想像を超えている。だから彼らも想像が出来ないのだ。そんな水槽を通り過ぎ、水族館の中をさらに見てまわった。一人で水族館をまわるのは悪くなかった。人に合せることなく、自分が見たいだけ、自分が見たい魚を見ていられた。イルカのショーを子供に混じってみた。楽しかった。珍獣、マナティーの姿もカメラ収めた。圧巻は黒潮の水槽。その中には巨大なジンベイザメやマンタがゆったりと泳いでいた。水槽の中にはアジだかなんだかが群れを作ってグルグルと泳いでいた。どれだけ見ても飽きなさそうな水槽だった。また敷地内には琉球文化を知ることの出来る施設やエメラルドビーチと呼ばれる海水浴場もあり、ゆっくりしようとおもえば、1日潰せそうないい場所だった。この公園はお勧めである。やはり、地元の人の情報は確かだ。
車に戻った頃、雨はすっかりあがっていたので、もともとの予定だった万座ビーチへ向かった。ところが行ってみると、この万座ビーチ、なんと有料。駐車料金も取られるとのこと。帰りの飛行機までも、そんなに時間があるわけでもないし、金を払ってまで行きたいわけでもないので、すごすごとUターンし、金武町へ向かった。金武には米軍駐屯地があり、そこで生まれた料理「タコライス」発祥の店があるという。キングタコスというその店は、なかなかの有名店で、僕もここに来るまで、何人かの人にキングタコスに行くことを薦められていた。タコライスとはメキシコ料理、タコスの具を使った食べ物で、ライスの上に挽肉を敷いて、チーズをその上にふりかけて、さらにレタスを載せた、かなりジャンキーな食べ物。僕もここに来るまで知らなかったのだけど、沖縄の店にはよくメニューに載っているメジャーメニューだ。ちょっと気が効いたところだと、レタスのさらに上にトマトがのっていたりする。朝食を摂ったのが8:30。今は14:00だから、お腹はけっこうぺこぺこだ。途中で何度も沖縄そばの看板に心を奪われそうになったけど、なんとか我慢して金武へ到着。キングタコスは米軍駐屯地の門の、程近くにあった。しかし、この街、まるでアメリカである。沖縄が一時、アメリカ領であったことは、頭では理解していたけれど、この町並みを見るとさすがにその実感が湧いてくる。僕が訪れた昼間はまるでゴーストタウンのようではあったけど、きっと夜は米兵で賑わっているんだろう。その異国感と、ちょっと荒廃した感じは、ちょっと恐い感じさえした。
そんな金武の町の中にあるキングタコスに入ると、店の中は暗く、内装もぶっきらぼうなものだった。よく、学校の近くにあるたこ焼屋兼駄菓子屋の趣である。中には60代の女性が3名ほどと、20代の女性が1人。取り仕切っているのは60代の女性だ。この店の佇まいは結構意外だった。もっと若い人たちで賑わっているような、元気な店を想像していたけれど、なんだかおばあちゃんちみたいだ。よくよく考えると、タコライスが登場して数十年。その発祥の店なのだからそれも当たり前だとすぐに納得したけれど。さっそく、タコライスを注文して待つ事5分。出てきたタコライスは、驚異的な量だった。量の多さも、噂には聞いていたのだけど、いくら僕がお腹ぺこぺこだといっても、これは食い切れないかもしれない。ご飯と挽肉とチーズとレタスで作った山が、僕の前にどかんと置かれた。山の高さは20cmほど有りそうだった。よくよく見てみると、他の人が注文したハンバーガーもとんでもない大きさをしているし、フライドチキンだって300円というわりには、気が狂ったような量が入っていた。タコライスを先に食べ始めている人たちも、食べきれずに残していたり、2人で一皿を分け合ったりしていた。コーラの入れ物も相当にでかい。アメリカンサイズってのはこのことだ。何はともあれ、山のように盛られたタコライスを食べ始める。これは、うまかった、冗談抜きで。味は見た目通り、かなりジャンキー。チーズも濃厚な味のものでジャンキー。挽肉にもなにかたくさん香辛料が入っているよう。複雑で濃厚な味がチーズと絡まりあって、その濃厚さをレタスがさわやかに緩和する。チリソースやケチャップをかけて、ジャンキー度はさらにアップ。しかも、日本人には白米だよねぇ、といいたくなるくらい白米とこのジャンキーな具との相性が良いのである。たまに、味の濃いものを食べる時に「白い飯が欲しい」という声を聞くが、まさにその要望に応えたかのような、よく出来た食べ物。それがこのタコライスである。ここに来るまでに、いろんなところでタコライスを食べたけれど、ここのタコライスは量だけでなく味もダイナミックで一番旨かった。金武町にはこれしかないけれど、わざわざこれだけ食べにここに来る甲斐もある白モノだった。僕はなんとか、タコライスを全部平らげることが出来た。やっぱり残しては心持ちが悪い。また、沖縄に来た時は訪れたい、と素直に思えた。ここもまたオススメである。その後、偶然駐屯地がお祭りをやっていたので、基地内に入ってみた。基地の中はまるでアメリカだった。映画館があり、スーパーマーケットがあり、野球場やフットボール場まであった。沖縄の米軍駐屯地としての側面を垣間見る事が出来た。ちなみに、この駐屯地に入る事が出来るのは年に数回しかないらしい。通り掛かりの僕としては珍しいものが見られてラッキーだった。
その後、首里城に行って、レンタカーを返却して、僕の沖縄旅行は幕を閉じる。首里城も、ただの観光地だろうと高をくくっていたけど、ここも行って良かったと思う。首里城には琉球というひとつの国があったという事実を感じさせるものがたくさんあった。この島では1400年代の頃からひとつの国が出来て、独自の文化を築いていた。インドネシアや中国と長崎を結ぶ中継貿易を盛んに行い、アジア各国の文化を吸収していった。この国は明治政府が、領土の明け渡しを迫るまで存在していたのだ。珊瑚に囲まれた、この美しい島での独自な生活が、日本に乗っ取られずにそのまま残っていたらどうなっていたのだろうか。今とあまり変わらなかっただろうか。少なくとも、今の那覇の街は、本土の大都市と何も変わらない。その姿に少なからず失望を覚えた。沖縄ってもっと違う国のようなところだと思っていたのだけど。昔からの文化は利便さに駆逐されやすい。気がつけば、世界中の全ての街が同じ顔つきになっているかもしれない。文化は守らねばならない。それ程に現代が生み出した大量生産的町並みの駆逐力は強いのだ。竹富島で見たような、沖縄独特の建物は、石垣島でも、座間味でも、本島でも見る事は出来た。しかし、全体として、きちんとその姿を守っているのは竹富島だけだった。そうやって、意識的に守る事で維持している。あれを全部こわしてしまうと、もうとり返しはつかないのだ。新しく、同じ物を作っても意味は半減。いや、それ以下だろう。それはもう、博覧会のパビリオンのようなものでしかない。首里城で見た、琉球の歴史。第二次世界大戦の悲惨な過去。その後の米軍支配と、現在。最後に少しずつ垣間見る事になった。最初、印象の良くなかった沖縄本島にも、きっと見るべきものがたくさんあるのだろうとは思う。それは次回に譲り、その時にちゃんと沖縄と向かいあえたらなあと思う。沖縄は違う国であったのだから、違う国であって欲しい。沖縄の人は本土の事を「内地」や「大和」と呼ぶ。僕も沖縄を、ひとつの国であって欲しいと願う。いろんな歴史を持つ沖縄に、1泊2日しかしていない僕が、なにを言っても失礼にあたるような気はするけれど。
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