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今まで見た町や村の中で、圧倒的に平和で、圧倒的にゆっくりと時間が流れている場所。それがあまりにも平和的に美しいので、まるでこの町はよくできた映画撮影用のセットかなにかのようにさえ見える。ウソミタイ。沖縄よりさらに1時間ほど飛行機で南にある石垣島から、船で10分。圧倒的に透き通った海に囲まれた、ここ竹富島はその独自で、かつ美しい町並みが有名な島。この島の町並みを、大学の都市計画の授業で見たことがある。大学の講義室のスクリーンに映し出された竹富島の風景は、あまりに美しく出来過ぎていて、現実のものとしてよりも、なんだか桃源郷か何かを見るような気持ちでそのスライドを眺めた記憶がある。 道は白い砂で覆われ、家の石垣は浜で拾ってきた珊瑚の固まりのようなもので構成されている。くねくねと空に向かって枝を伸ばす「でいご」の木の活力は、この島の静かな生命力の象徴のようだ。正方形の平面を持つ家は一階建ての平屋で、その屋根は決まって赤レンガ。そして、いろんな顔をしたシーサーがその上でにらみを利かす。町にはハイビスカスやブーゲンビリアが咲き乱れている。当然のように咲き乱れている。当然のようにすべてがそこにある。 この独自の町並みは、努力によって守られているようでもあるし、変化する必要がないからそのまま残っているようでもある。自転車を借りて島を一周した最初のイメージも、やはり大学の講義室で初めて竹富島を見たときの印象に近かった。よくできた映画撮影用のセット。ウソミタイ。あまりに慌ただしい僕の日常と正反対にある竹富島というひとつの世界が、うまく頭にはまってこないのか、順応できないのか。当然のように平和的なのが信じられないのか。僕が汚れているだけなのか。ここに住むと、僕も平和的に過ごせるのだろうか。などと、なんだか疑り深くなってしまう。僕が汚れているだけなんだろうなぁ。 見かける人々は、皆、島の外から来た観光客で、僕と同じくレンタサイクルに乗って島を一周(30分くらい)し、花の写真を撮り、町並みの写真を撮る。海で写真を撮る、海で日光浴をする、泳ぐ。この島でできることはそのくらいなのだ。これだけ観光客がいればありそうなものだけど、土産物屋のようなものもない。稀に民家にまぎれて、なにか小物を売っている店もあるが、きっと東京かどこかからここへ移り住んできた人がやっているんだろう。決して目立っているわけでもないし、この島の雰囲気を壊しているわけでもないけれど、その存在は少しこなれ過ぎているようにさえ思えた。そこくらいこの島は無垢なのだ。 天気はついた直後は晴れていたものの、その後はあいにくの曇天だった。それでもここの海は奇麗だった。曇りでも奇麗に見えるほど美しい海。晴れていたら、もっと気持ち良かっただろうか。海に入ると、どこまでも遠浅で、どこまででも歩いていけそうだった。曇り空なのに、海はエメラルドグリーン。晴れていたら何色になるのだろうか。昨日見た天気予報ではここの天気は晴れだったのに。浜に来る前に民宿の人に聞いたのだけれど、どうやら台風が発生したせいらしい。その雲が石垣島を覆っているのだ。本当は竹富島に泊まるつもりだったのだけど、明日は船が出ないかもしれないとのことだったので、浜には2時間ほどいて、夕方の船で石垣島に戻ることにした。 体と頭がようやくこの平和的な島に順応しはじめた頃に、石垣島行きの船は桟橋へやってきた。竹富島の晴れた空や、静かすぎるであろう夜や、僕が順応できた後の平和的時間に心残りを持ちつつ、僕は船に乗った。船で石垣島に戻ると、そこはまるで大都会のようだった。お店がたくさんあって、3階建ての建物があって、人がたくさんいて、車が走っている。飛行機で石垣島に着いた時には、随分田舎に来たなと思っていたのに。その時と同じ人の量、車の量なのだけれど。それほどに、竹富島には何もなかった。竹富島では何も起こらなかったけど、ただ奇麗だった。ただ平和だった。ウソミタイに。間違いなく。 |
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