陽炎












伝ヘル相手ノ居ナイ

哀レナ言ノ葉タチ

現在モ未ダ僕ノ眼前ニ漂ッテ

舞イ散ル花弁ニ憧レテハ

時折ソノ耀キヲ増ス

モウ僕ハ、哭クコトモ出来ヌ







陽炎





——どうすれば彼の人が喜びの色を浮かべ、どうすれば彼の人が慟哭するのか。

知っているんですよ、私は。



夏の暑さ、冬の寒さ、どちらをとっても厳しい、此処、京の都。

そして今、時季は春。

日が長くなるにつれ、風が暖かくなるにつれ、人々の心も解れていく様であった。

—新撰組屯所。

長身で浅黒い肌の男、一番隊組長沖田総司は、局長の傍で咲き乱れた桜を眺めていた。



「冬は冬で、私は楽しいんですけどねぇ」

そう呟いて、好物の金平糖をつまむ。



「春の匂いを感じた途端に、早く来ないものかと恋しくなるんです。」

——欲張り、ですよねぇ。

また一つ、金平糖をつまむ。

しかし、そのまま口には持っていかず、眼の高さまで持ち上げた。

片眼を瞑り、幾分眩しくなった陽光に透かして見る。

淡い光が、微かに桜色に染まった。



ねぇ、と傍らの人の方を向き、



「局長の為ならば、私は笑って死ねます」

——ふふ。

ふわりと微笑み、そう告げれば、彼の人は、喜色と寂寞とを行き来する。



「総司…」

「何です?」

「有難いが、くれぐれも自分の命を軽く扱ってくれるなよ」

「わかってますよ。だって、私の命は局長をお守りする為に在るのですから」

「…」

「そう易々と逝くことは出来ません」

「総司…」

——これ以上は悲しませるだけ、ですかね。



眼前の男は、大柄な体躯と厳めしい顔に似合わず、お天道様のように優しい心を持つ。

奉公に出され、心根も弱く、泣いてばかりだった幼い自分を「偉いぞ」と抱き上げてくれた。

鬼が、泣いた。

優しい、涙を流して。

その大きく温かな手は、今も昔も変わらない。

だからこそ、命を捧げても構わない、と思った。

だが、其の優しさ故に総司の言葉を素直に喜べないこともわかっていた。

だからこそ、其の人を前にして口に出すことは殆ど無かった。



——全く…どうしたんでしょうね、私は。

それじゃあ、私はこれで、と腰を上げようとした、その時。



「沖田先生ー?何処にいらっしゃるんですかぁー」

男所帯の屯所に似合わぬ、幼子の様な、…少女の様な、高い声が届く。



「神谷の声じゃないか」

「ええ」

「…あの子には、この季節が似合うな」

「…はい」

目を細め、未だ己を見つけ出せないでいる人物を見遣る。



「沖田先生ー?」



くるくると変わる表情、風に舞う花弁の様に動く体。

それは、幼さ、という理由だけでは説明がつかないものであった。

その人物—神谷清三郎と呼ばれる人物、実は、女子であった。

本名、冨永セイ。

寒さに耐え忍び、そっと息づいているのが冬ならば、春はあらゆる生命の息吹を嫌でも感じる季節。

女子が成長し、その体で別の命を育む様に、春の温もりは万物を育成してくれる。



「本当に、春の様な人ですね」

「総司、どうせまた稽古の約束でも忘れてるんじゃないのか?早く行ってあげなさい」

「わかりました。それでは、失礼します」

すっと立ち上がり部屋を後にすると、セイの下へ、ゆっくりゆっくり、足を運んだ。



そう言えば、昨晩セイと約束をしていたことを思い出した。

稽古、では、なかったけれど。



———「神谷さん、明日の巡察は朝でしたよね?」

「はい。一番隊は午後から非番ですから」

「では、明日は外出して昼餉を取りませんか?」

「え…っ?」

眼を丸くさせ、頬を薄ら染めて。

セイの顔は少女のそれに戻り、総司を見た。



「どうしたんです?眼が落ちそうですよ?」

くすくす、と心底可笑しそうに肩を震わせる男に、



「いえっ!べ、別にっ、何も…っ!!」

慌ててそう告げた。

「なら決まりですね」

「はい」



「あーっ!やっと見つけた!!」

セイがこちらを見て、駆け寄ってくる。



「もうっ、彼方此方探したんですからね!」

——大変でしたよ!何笑ってるんですか!?

ぷぅ、と膨らませた其の頬は、ほんのりと桜色に染まっていた。



「まるで子犬の様ですね」

従順で、素直で。

待ち人を見つけた途端に、尻尾を振って駆け寄ってくる。

それはそれは、嬉しそうに。

顔いっぱいに、幸福感を浮かべながら。



「…っ!!わ、私は子どもではありませんっ!!」

「はいはい、立派なお侍さんですもんね?」

「そうです!」

そして、セイは、



「立派な武士となり、」

彼の言葉を紡ぐ。



「先生をお守りするのですから」

——何故。

同じ言葉なのに、胸がざわつく。



「沖田先生の為ならば、私は笑って死ねます」

総司が近藤にしてみせた様に、セイも柔らかく笑った。



「…沖田先生?」



——人は、如何にして己の価値を見定めるのだろう。

——人は、如何にして生まれた意味を知るのだろう。



「私は」

「はい」

「一体、何故此処に居るのでしょうね」

「…?」

「何故、この時代に生まれ」

「…お、おき」

「何故、この国に生まれ」

「せんせ…?」

「何故、人を殺めて」

「沖田先生っ!!」

がし、と両の腕を掴まれた。



思いの外、強く感じたその力に、我に返る。

耳の後ろをがしがしと掻き、涙を浮かべて見上げてくるセイに言う。



「はは、すみません。神谷さん」

「先生…」

「ほら、春になると、人は少しおかしくなるものでしょう?」

——珍しく、考え事してしまいまして。

ふわり、と。

また笑った。



「でも、矢張り苦手な様です」

さぁ、お花見に行きましょうよ。

そう告げる声が、何処かに溶けて消えてしまいそうだった。

こんなにも、暖かい日差しを受けて、此の人は、微笑みながら立っているというのに。



——胸が、ざわつく——



袖を、腕を、握っていた筈の両の手は、いつの間にか、一回り大きな掌の中にあった。



——先生の大きな掌は、何物にも代え難い温もりを持っているというのに…



其の瞳が揺らぐのを、セイは初めて知った。







引っ張られる侭に、総司の後をついて暖簾をくぐった。



「いらっしゃい」

「あぁ、沖田です。すみませんが…」

「へぇ、沖田はんどすな。ちょっと待って貰えますやろか」

「はい」

直ぐ、お持ちしますさかい。

店主と思われる、初老の男性が調理場の方へと消えた。



「先生?」

「何です、神谷さん?」

「此処で、昼餉を頂くのではないのですか?」

あんなにも、席は空いているのに、と指をさす。



「実はですね」

途端、総司は悪戯っ子の様な表情を浮かべた。



「えらいすんまへん、お待たせしました」

店主である。

手には、風呂敷に包まれた角ばった物。



「あぁ、有難う御座います。では」

「いつもおおきに。お気をつけて」



訳も分からぬうちに送り出されたセイは、挨拶も忘れ問う。



「え?え?な、何ですか?それは…」

「花見弁当、ですよ。こっそり頼んでおいたんです」

「お弁、当?」

「何が入ってるんでしょうね?早く食べましょう」

そう応えると、総司は足を速めた。

ぐい、と、心なしか、其の手にも力を込めて。



「ちょっ…!先生!」

セイの胸の動悸が速まったのは、その歩く速さからか、それとも…——







どれ位、そうしていただろうか。

突然、眼前に桜の霞が現れた。



「ほら、着きましたよ」

ひょい、と隣の顔を覗き込む。

あれ程の速さで歩きながら、少しも息が乱れていない。



一方。

「せ、先生…っ!は、はや…」

息を切らした、己よりも背の小さな人物。

総司は繋いでいた手を解き、もう片方の手も包みから離すと、今度は後ろからセイの両頬に添えた。



「御覧なさい」

すっ、とセイの顔を上げてやる。



「…」

触れた掌から、息を呑む様子が伝わった。

「綺麗、でしょう?」

「…はい」



花は桜木、人は武士。

潔い様の喩えである。

時が来れば、惜しみなく可憐な花弁を散らす桜の様に。

——己も命を散らせよ、と。



「先生」

「何ですか?」

「花弁でも、良いですね」

「…?」



大切な者の為に、風になりたい、と口にした貴方に。

私は、見えない風の存在を知らせる草になりたい、と。

そう、今は亡き彼の人と話したことがある。



「風に吹かれ、桜の花弁の様に潔く」

「散って、逝きたいと?」

「はい」



先生、貴方の運命に吹かれて、私は散って逝きたいのです。

他の何者の為でもなく、只、貴方の為に。



総司は、そっと息を吐き、座りましょうか、とセイを促した。

「お弁当、食べましょう」

そう声を掛け、若草色の風呂敷を解いていく。



「先生、元気、ありませんね」

「そうですか?お腹が空いている所為でしょう、屹度」

「ふーん…」

「さぁ、早く食べましょう。お腹が空きすぎて」

——死んじゃいます。

自ら口にしようとしたその言葉に、どきり、と胸が。

「…先生?矢張り変ですよ?」

何処か体調でもおかしいのですか?

春とはいえ、未だ少し寒いですから気をつけないと。



見当違いとはいえ、心配そうに慌てているセイの袖を引く。

「お腹が空きすぎて、頭がぼんやりしてきましたよ」

「は??」

「神谷さんったら、昼餉は何時までお預けなんです?」

「あ、す、すみません」

「ほら、この人参、花の形してますよ。可愛いですね」



——ぐぅぅ…

セイは安心したのか、急に空腹感を覚えた。



「…!!!!」

「先ずは、花より団子、ですね」

くすくす、と笑う総司。

恥ずかしそうに俯くセイの頬は、桜よりも幾分か紅く染まった。



隊には、京の味を気に入らない人間も居るが、此の二人は別であった。

「如何です?」

「とっっっっっても、美味しいです!有難う御座います」

「私が拵えたわけではありませんがね。でもお口に合った様で良かったです」

「皆さんにも、食べさせてあげたいですね」

こんなに見事な花見日和の空の下、桜の下で、大切な仲間と。



死と隣り合わせの日々が常。

心根の優しいセイは、平穏な時を独り占めする気にはなれないのであった。



「そうですね。今度は皆で来ましょうか」

お花見に。

「はいっ」

総司の言葉に、セイは満足そうに肯いた。



二人の間を、風が、吹き抜けた。

花弁が、隣のセイの周りをくるくると舞う様を見た。



——本当に、どうかしているのかもしれない。

今年も、また、この季節を迎えられたことだけでも充分である筈なのに。



「神谷さん」

総司は静かに箸を置いた。



「はい」

「本当の事をお話しても良いですか?」

「本当の事?」

「怒りませんか?」

「伺ってもいないのに、わかりませんよ」

変な先生、とセイは笑った。



「本当は」

風が、吹いた。

「私の為なんかに、貴方に死んで欲しくはないのです」

桜の枝が、大きく揺れた。



——胸が、ざわつくのは何故でしょう——



「本当は」

桜の、花弁が舞い落ちる。

「生きたい、と願う私が居るのです」

——欲張り、ですね。



一瞬、静寂が訪れた後、再び口を開いて。



「…貴方と、もっと生きてみたいと…」

小さく、小さく、其の言葉は零れ落ちた。



また、風が。

今度は、強く、吹き上げた。



「先生」

地に積もっていた花弁が、再び宙に舞い上がる。



「矢張り、怒りますか?」

いつもの調子に戻り、おどけた様子で振り向いた先には、



「ならば、強く、強く、風を起こして」

「…」

「決して地に落ちることの無い様、花弁を、舞わせていて下さい」

桜の精が、己を見つめていた。



風がなければ、花弁は、直ぐに地に落ちてしまう様に。

「先生の傍に居ることで、私は己の命の尊さを感じるのです」



貴方を守る事も、貴方と共に剣を振るう事も、貴方と他愛も無い時を過ごす事も。

私に、命の鮮やかさを教えてくれる。



「だから、先生」

どうか、揺るがないでいて下さい。

風が迷えば、大きな凧も、小さな花弁も、迷ってしまうから。



「泣き虫さん」

「神谷清三郎という名があります!」

両の眼を紅く染めて。

「帰りましょうか」

——寒く、なってきましたよ。

手を繋いで、仲間の下へ。



「それとも、もう暫く眺めていましょうか」

「手を繋ぐだけでは、寒いです」

「おやおや、甘えん坊さんですね」

「先生が、」

消えそうで、怖い。



その言葉は、風に溶けて、消えた。

セイは、総司の腕の中。

——二人の姿は、やがて、春の夜の闇に溶けた。







ただ広い平面に

僕と君が立った時

それは大地となった



右も左も分からない

そんな空間の中で

僕と君は出会った



ひたすらに

自分の足跡だけが

過去の道標となり



ただ広い大地は

僕等の足跡によって

道となる



ここからどこへ行くか

そんな問いは愚かで

ただ明らかなのは

僕等が此処で出会い

僕等の道は 此処で

交わったということ


























あさの文章は娯楽の読み物ですが、

猫柳様の作品は小説です!

テーマがあるこの作品をもう一度読んでみてくださいね☆

てたまにはまじめに!

これからはまじめ人間に!(無理)