離れ梅
「あの…土方さん」
「なんだ総司」
「非常に言いにくいんですけど…」
「なら言うな」
「……少し私に休暇をくれませんかね?」
梅の和やかなにおいが鼻をつく。
土方は、白い紙に書かれた「梅」という字の上に墨をぼとりと落とした。
今は、二月。
その午後、墨が染み込んだ紙を手に叫んだのは、神谷清三郎であった。
「それで素直に休暇を?!」
「…ちょっと様子がおかしかったからな」
「おかしいですよ!!あの剣好きの沖田先生が道場を離れるなんて!!」
「神谷、お前あのきつい坂の下に梅が咲き始めたのを知ってるか」
「…なんなんですか次から次へと」
「お前見に行ってこい」
「…ようするにそこに沖田先生がいるわけですね?」
「たまには梅を見てこいと言っている」
そういうことに、なったのであった。
一方、その本人はというと、梅の下の小さな宿の軒に、ぼんやりと腰を落としていた。
「はあ…」
ため息をつきながら、梅を見るともなく背中を丸めている。
「お客さん、さっきからため息ばかりついてどうしたんだい」
後ろから、口元のしわを寄せて話し掛ける女がいた。
「いえ…」
総司は、それだけいうと、首のあたりを無造作に掻いた。
「好きな女でもいるのかい」
ひやかしも含めた声色で女はなんとなく言う。
それに過剰反応したのは沖田総司であった。
「なんでわかったんですか!!??」
坂は、遠い。
やわらかな風をきりながら小走りに行くのは清三郎であった。
(沖田先生に、何が)
心なしか緊迫したような顔つきで、先を急ぐ。
(そういえば、このごろ先生おかしかった)
ちょっと俳句をと言って、寝るときはついたてを置くようになったのを思い出す。
が、俳句を書いている様子もない。
次の日になると、いかにも寝ていないという顔をしてついたてから顔を出すのだ。
(馬鹿清三郎!なんではやく気付かなかった!)
清三郎は目に溜まった涙をぎゅっとぬぐうと、また走った。
「あらま、図星かい?」
いかにもおかしそうに吹き出す声を出す女がいた。
「わ、笑わないでくださいよ!!」
真っ赤な顔で叫ぶその男に、またもや吹き出す。
「で、相手はどこの人なんだい」
男の動揺ぶりがおかしかったのか、女は話を聞こうと詰め寄ってきた。
「な、べ、別にどこの人でもいいじゃないですか」
総司はもう姿勢をぴんと伸ばして眉を寄せて、逃げ腰であった。
「いいじゃないか、減るもんじゃあるまいし…相談にのってやってもいいんだけどねぇ」
「相談」という言葉にぴくりと反応する総司。
「べつにいいんだけどねぇ」
総司は、頬に赤みをさしたまま、じろりと女をにらんだ。
そして、ぼそりと言った。
「……お、おなじ道場の」
「道場?」
「え、ええ…まあ」
「道場のおかみかなんかかい?」
「いえ、あの、…えっと」
「まさか」
「いえ!!そ、そういう…訳でも…!!」
「あるんだろ?」
「………!!!!(神谷さんがおなごとは言えない!!!!)」
女は、すっかり総司が衆道の気があると勘違いしてしまったようであった。
清三郎はまだ、走っていた。
(そういえば、この間も)
思い出せば思い出すほど、総司の不信な行動がよみがえる。
風呂に行ってまいりますと、報告をしたら、ものすごく怒られた事があった。
いちいちそんな事まで言わなくてもいいですと。
腹の虫が悪いだけかと思ったが、今思えば機嫌だけで態度を変える人では無かったはずだ。
明らかに最近の沖田先生はおかしかったのに。
気付けなかった自分が、悔しく、情けなかった。
坂の下に、梅と、一件の宿が見えた。
「それで夜も眠れないって訳かい」
女は、おもしろおかしそうに煙を吸っている。
「はぁ…」
「しばらく離れて寝たらいいだろうに」
「それが…やってはみたんですが、その夜後輩が…その、神谷さんのことを」
「え?やられちまったんかい?」
「なわけないじゃないですか!!未遂ですよ、もちろん!!」
半殺しにしておきました、というのは止めて頬を膨らませる。
「もてんだねえお前さんの想い人は」
「ええもう、目が離せないっていうか、」
そこまで、話に花が咲き始めた時であった。
「沖田せんせ〜!!!」
「神谷さん?!」
二人の叫びが、ふいに重なった。
可愛いあの子が、前髪を揺らせて走ってくる。
心なしか、目に涙が溜まっているようでもあった。
総司はそれに気付き、心配をかけてしまったのだと、少し悟った。
梅の下、女は、にやりと、含み笑いを頬にたたえていた。
「沖田先生、何があったんですか?!急に休暇だなんて…!!」
はあはあと息を荒くしながら少女はせきたてる。
「神谷さん、ちょっと落ち着いて…」
「先生が話してくださるまで落ち着けません!!」
少女はその後、無言で総司をにらんだ。
総司は、途方に暮れたような顔をして、そんな少女を見つめる。
宿の中から、女の声がした。
「お客さん!そこで喧嘩されたら見栄えが悪いよ、中に入っとくれ!」
中に入ると、布団が二つ、奇麗にならべられていた。
開いた口の塞がらない総司の顔と、肩を震わせてやまない女を、梅は暖かく見守っていた。
梅にうぐいす。
なにもかもがあたりまえで、やさしかった。
そんな日に。
何故こんなことに?!
総司は頭まで布団をかぶって「かんべんしてください〜!」とぼやいていた。
「神谷さん、あっち行っててくださいよ!」
耐え兼ねたようにがばりと起き上がって叫ぶ総司。
その目の前には、剣の鞘を畳につきたてて正座をしている清三郎。
「だめです。今日は私が見張りをしていますから、沖田先生はしっかり寝てください。」
がんとして動かない様子である。
「も〜神谷さん、なんでそんなとこで正座なんか…」
「だって、沖田先生何者かに狙われているんでしょう?!」
「はいっ?!」
「すっとぼけたって駄目です!!さっきあの女の人に聞いたんですから!」
「ええ〜?!」
「だから、今日はずっとついててやってほしいって頼まれたんです!い、いつのまにかあの女の人とそんな仲良くなったんだか知りませんけど!!」
セイは、少し顔を赤くして、ぷいと顔をそらした。
「………」
(もしかして何ですか、あれですか?りん気ってやつですかね?)
(もう、あの人も余計なお節介してくれたもんですねぇ…)
(っていうかなんでそんな可愛い反応を今ここで?)
(男の部屋に二人で…って、意識してるんですかね、この子は)
(細いなあ、神谷さんて…)
そんなよこしまな想いがすごい勢いでかけめぐったあと、総司はかろうじて自制を保って言った。
「神谷さん、お願いですから、今日のところは、私衛館へ帰っていただけませんか?私も明日帰りますから」
反応が、無い。
「神谷さん、わかりました?」
まだ、無い。
「…?神谷さん?」
総司が、不信そうにセイの顔をそぞくと、そこには大粒の涙がこぼれていた。
ぽろぽろ、ぽろぽろと落ちていく涙。
それを、総司は、時が止まったようにみつめるしかなくいた。
涙にうつる、ほのかな梅のにおい。
「…神谷さん?」
総司は、もう一度、やさしく問い掛けた。
セイは、無言で涙を流していた。
まだ、初春の涼やかな風が二人の頬をなでる。
どこからか、鳥の鳴き声。
その声を共に、総司は、無造作に膝をセイのほうへずらすと、涙を、ぺろりとなめた。
セイは、その行動に驚きもせずに、ただ涙を流していた。
そんな意外な反応に、総司は少し眉をあげると、セイのあごに手を添えて、少し顔を上げさせた。
すん、とセイが鼻をすすった。
「神谷さん、意外と冷静」
総司は少し意外そうに言った。
「何がです?」
セイはそう、やっと口を開けた。
「…え、や…、ほら、今の、その」
逆に、総司が慌てだしてしまっていた。
「だって、前も同じようなことありましたから」
「へ???」
「覚えてないんですかぁ?」
あきれたように言うセイ。
犬じゃあるまいし、そんなこといちいちしないでくださいとぶつぶつと言う。
「い、いや覚えてますけど…って、それとこれとは状況がちがいますよ」
「状況?」
風が、ふわりと一枚の紙をさらっていった。
かさかさとぱさついた音がゆるゆると遠ざかっていく。
「ええ、ここには神谷さんと私が二人です」
「?」
セイは意味がわからないという顔をする。
「ていうか、こんな話をしている間に、私の理性が無くなってしまったようなので、お付き合いお願いしますね、神谷さん」
総司はふふと笑って、人差し指をセイの首すじをつたわせた。
セイは、ますますわからないという、不信な顔をする。
それを、総司は、少し満足げに、眺めた。
梅が、咲く。
それは、なにか思うげに、新しい季節を呼ぶように。
紙が一枚、空にはためいて、消えた。
無駄に長い!!
何故!!
って聞いてどうする…