宗次郎
それはある夜の出来事であった。
一番隊の部屋はいびきと寝言が絶え間なく響いており、その音を感知する者は他にいなかった。
めりり、という不審な音に気づいたのは、神谷清三郎、その人であった。
しかしもう遅かった。
目を開けたときにはもう、それは堕ちてきていて。
ものすごい音で襖の「戸」が降りかかってくるのをただ見つめることしか出来なかった。
ものすごい音が屯所に響く。
「わぷっ!!」
その少女の声の隣からがちん、というような固い嫌な音がした。
その下敷きとなったのは、その少女と…隣で眠っていた、沖田総司その二人であった。
その音に慌てて襖の戸から這いずり出ながらも叫ぶ少女。
「沖田先生っ?!」
そして少女は顔を青ざめる。
その襖の戸の角が、丁度良くその人の頭に当たっていたのを見て。
ずりりとその戸を必死でどかすと、その人は既に目を回していた。
ばたばたと廊下を走る騒々しい音が屯所に響く。
「何があった?!」
一番に駆けつけた土方歳三に、少女は泣きながら言った。
「沖田先生が…沖田先生が…!」
それから三日。いっこうに目を覚ます気配のない沖田総司は、布団の中で眠り続けていた。
その隣では、三日間一睡もしていなかった少女が、その布団の上に顔を置いて寝入っていた。
隈の出来た目を閉じて、涙をつたわせたままで。
そしてその一粒が布団に吸い込まれていった時、その布団がもそりと動いた。
「……?」
布団が少しずつずれて、少女は少し傾いたが、そうとう疲れていたのか起きる様子はない。
沖田総司が、目を覚ましたのである。
まだ開ききらないその瞼をしばたかせ、総司はきょろきょろとあたりを見回した。
そして、自分の腹の上で気持ちよさそうに眠る少女に視線を落とした。
何を思ったか、総司はその大きな手で少女を揺さぶった。
その感触に、少女はすごい勢いで起きあがった。
目を、丸く開いて。
そして。
その目から、ぽろぽろと涙をこぼした。
ため込んでいた不安を一気に吐き出すような表情だった。
「沖田先生…良かった……!もうこのまま目を覚まさないかと…っ」
その少女をじっと見つめる総司。
じっと、目を見開いて。
その綺麗な涙を見て、やっと言った。
「お母様やミツねえさまたちは何処?」
「…おか?」
「貴方は、誰?」
薬湯をついだ湯飲みが割れる音が、屯所に響いた。
その音に反応したの近藤、土方、それに原田藤堂永倉などと様々なメンツが駆け込んでくる。
「総司が起きたのか?!」
その猛者達が駆けてくる様子に、あの沖田総司が涙を目に溜めて叫んだ。
「いや————っ!!!鬼————っ!!!」
小さな少女に飛びつく総司。
目を丸くして石のように動かない少女。
「おに????」
藤堂がその姿にあぜんとして立ち止まった。
総司は、なおも叫ぶ。
ぶるぶると震えながら、少女にひしとしがみついて。
「食べないで!!宗次郎はおいしくないですからっ!!!」
「………宗次郎?」
その聞き覚えのある名前に反応したのは、息を切らした、土方と近藤であった。
薬湯が、畳に染みていった。
医者にも診て貰った。
が、どうしてこんな事になったのか、わからないと首を振られた。
何時までこの状態が続くのか、それも勿論、わからずじまいであった。
ただ、総司が子供に還ってしまったらしい事と、それが近藤勇、土方歳三に出逢う前の記憶であ
るという事がわかった。
元来泣き虫であったその姿は皆を唖然とさせた。
「わああああん、行っちゃ嫌!」
でかい図体で惜しみもなく泣きすがるその姿は滑稽でもあった。
今の宗次郎にとって、ただ一人の見方は清三郎だという判断を下されたらしく、
清三郎の後を付いて離れない。
沖田先生…いちいち抱きつかないでくださいよ
そう言いたい神谷清三郎はとまどいながらも幼子を諭す。
「だめですよ、私はこれから巡察なんです」
それでも宗次郎は諦めずに泣き続ける。
「もう、困ったなあ…沖田せん…じゃない、何だっけ?」
清三郎は自分よりも大きい背格好をした子供の涙を拭いてやった。
「…宗次郎です…」
くすんくすんと泣くその人に、ため息をつく清三郎。
「宗次郎…呼びつけしちゃってもいいのかなあ…?なんか変な感じ…」
困ったように眉を寄せる清三郎を涙ながらも見つめる宗次郎。
そこへ、土方が歩み寄ってきた。
素早く清三郎の後ろへと身を隠す宗次郎。
がたがたと震えている様子が、清三郎の背中を握る手を通して伝わった。
宗次郎は、この神谷清三郎以外の人間は「鬼」と決めつけてしまっているようであった。
土方と清三郎は、同時に重いため息を吐いた。
「神谷、今日は巡察休め」
「…はい…そうですね」
「しばらくそいつの面倒を見てやってくれ」
そう言って去る土方の背中は淋しそうであった。
いつもまとわりついてくるその存在に拒否されて、少し淋しくもあるのだろう。
近藤が、土方の反対を押し切って江戸へと繰り出し、医者を捜しに行ってしまった事もあり、
淋しさもひときわ大きいらしかった。
そうして、清三郎は、宗次郎の面倒見役へと決定してしまったのであった。
しかし、その時はそんな苦労をするとは思ってもみなかった。
巡察の予定が無くなった清三郎は、洗濯物を取り込みながら、汗をぬぐう。
いまだ裾をつかんで離さない、その人を見て、またため息をついていた。
夕刻。
宗次郎はむずむずした仕草をしながら言った。
「ねえねえ、宗次郎はお風呂に行きたいです」
「ああ、お風呂はね…あの廊下を行った突き当たりだから、行ってらっしゃい」
洗濯物をたたみながら、清三郎はやさしく言ってやった。
しかし、その言葉に宗次郎はびくりとした。
目を丸く、大きく開けて。
「…ひとりで?」
そう言った。
その言葉の意図がつかめず、清三郎は眉を寄せて振り向く。
その顔に、また涙を溜める宗次郎。
そして、ふるふると震えながら言った。
「宗次郎は、一人でお風呂に入ったことが無いです」
カア、とカラスが鳴いた。
何故こんなことに。
清三郎こと、花の乙女セイは、そのいい歳したその人と風呂へ来ていた。
「わあ!宗次郎!!ここで脱がないでお願いだから!!」
そんな叫びが脱衣所に響く。
「どうしてですか?」
そんなあどけのない無邪気な声も聞こえる。
「じゃ、じゃあ私は此処で待っていてあげるから、早く入ってきなさい!!」
もう顔を真っ赤に染め上げた可哀想な少女は目をつぶりながら叫ぶ。
「一緒に入ってくれないんですか?」
「当たり前でしょう!!」
泣き声が、屯所中に響いた。
ものすごいわめき声に、皆が耳をふさぐ。
脱衣所には、貼り紙が貼られた。
「風呂掃除中、邪魔スルナ。風呂ニ入ルベカラズ」
かぽーん、と風呂に音が響く。
風呂から聞こえる二人の声。
「お姉さんだったんですか?」
「宗次郎、見るなとあれほど言ったでしょう〜〜??!!!」
カラスが、木の上であくびをしていた。
一番隊の部屋には布団が敷かれ始めていた。
いちはやく敷かれたその布団の上につっぷす清三郎。
疲れ切った顔をして、はあああと重苦しいため息を長く吐いた。
その疲労の原因は、やはり隣の布団の上で、枕を手に抱えながら正座していた。
もじもじとして。
清三郎にはこの後の展開が解りきっていた。
その幼い子供を横目で見て、諦めたように言った。
「一緒のお布団に入ってもいいですか、でしょう?」
宗次郎は、嬉しそうに笑って、こくんと可愛く頷いた。
「どうぞお入りクダサイ」
清三郎はもうどうでもいいと言う顔でぽんぽんと自分の敷き布団を叩いた。
宗次郎は、するりと布団の中へと潜り込み、嬉しそうにえへへと笑った。
まわりの一番隊の唖然とした目ももう気にせずに、二人は目を閉じた。
沖田先生、はやく帰ってきて下さい。
そうぼんやりと思いながらも、清三郎は眠りへとついていった。
疲れ果てた清三郎を眠りにさそうのは造作も無いことであった。
一番隊の部屋はいびきと寝言が絶え間なく響いていた。
月は高くあがり、寒々しい光をたたえている。
布団が、もそりと動いた。
寒い。
清三郎はそう思ってうっすらと目を開けた。
「宗次郎…今度は何…」
目を擦りながら眠そうに言う清三郎。
しかし、返答が無い。
不審に思って、視線を上げる。
そこには。
耳まで顔を赤く染めたその人がいた。
「…?」
清三郎は、不審そうに眉をしかめる。
「どうしたの、宗次郎?」
沈黙。
やっと、その人が口を開いた。
「…かっ…神谷さん…」
その声は震えていた。
ぎゅうと、布団を握りしめている。
「沖田先生……?!」
少女は目を丸くした。
「戻ったんですか?!」
沖田総司は、答えない。
ただ、顔を赤く染めて口を一文字にして閉じていた。
「ああ、良かった…局長も、みんなも安心してくれますよ」
清三郎は、総司と同じ布団の中で可愛く息を吐いた。
総司は、まだ黙っている。
「もう私は疲れちゃったので寝ますね…明日ゆっくり説明しますから。」
ころんと清三郎はまた体を横たえた。
総司は、いまだその布団を膝までかぶって座りながら、固まっていた。
その少女の可愛い姿を見つめながら。
神谷さん。
一部始終、しっかりはっきり覚えているなんて、とても言えないのですが。
その男の思惑を、少女は、知るよしもない。
なんと野本はるだ様から絵を頂きました!ステキです!
こちらへどうぞー!
リナ様りくでしたー。
宗次郎…かわいいですよね〜!
もう!
ゼッタイしごいてやる!!!(違う)