お汁粉












「おうおう総司〜〜〜」


「何ですか原田さん、恨めしそうな目して」


「これが恨まずにいられるかってんだ!」







こうして、ある夜沖田総司と原田左之助の対談が始まった。


「お前だけ狡いじゃねえか!」


「何をですか?」


原田のその異様な勢いに、総司は眉をしかめることしかできないでいた。


「これだこれ!」


そう言って総司の膝の前に叩きつけたのは、少し焦げついた一枚の手紙だった。


「げっ?!」


それを一目見るなり、総司は肩をすぼめて顔を赤くした。


そう。


それは。


——「今夜五つ 島原・田之家にて待つ    沖田」


あの時、五郎が神谷清三郎を騙す為にしたためた例の手紙だったのである。


「あ、ああ…あの時の」


総司はいまだ顔を染めたまま、納得したようにその手紙を眺めた。


「『あの時の!!』くうう〜っ一体どんな手を使いやがったんだ!」


これは決定的だとばかりに原田が悔しそうに涙を流すが、総司は全く違うことが気になっていた。


「でも原田さん、これどこから持ってきたんですか?」


お茶をすすりながら、総司は言う。


「神谷が薪にくべている所から飛んできたんだよ。神谷は気づいちゃいなかったがな」


総司はそれを聞くと同時にふう、とため息をお茶にかけた。


「まったく不用心なんだから…」


その言葉を聞くか聞かないかという間に原田は詰め寄る。


「で?どうだったんだよっ?!」


「どうって?」


総司はきょとんとしてお茶をすする。


「どうって、茶屋でやることっつったら一つっしかねえだろうが!!」


その言葉に意図を得たらしい総司は手からお茶をすべらせた。


それをばしっと上手くキャッチする原田。


「っと危ねえ危ねえ…」


「す、すみません」


総司の慌てぶりに原田もにい、と笑って言った。


「いいからさっさと吐けこのやろう!く〜〜っちきしょう俺もしてえなあ〜っ」


そう言ってからかう原田に総司は真っ赤になりながら叫んだ。


「ななな何もないですよ!いやだなあ原田さんたら!」


原田の手中に守られたはずだったお茶ががちゃんという音をたてて、落ちた。


総司はああ〜と声をあげてそのお茶の湯の行方に慌てる。


布巾でごしごしと畳を吹きながら、土方さんにまた怒られちゃいますよ、と一人ごちた。


そんな総司を唖然と見つめる原田。


「何もなかった??」


その言葉に総司は恥ずかしそうに言う。


「ある訳無いじゃないですか〜。なんなんですかもう〜」


「ばっかお前!それじゃあ神谷が可哀想じゃねえか!」


原田は本当に気の毒そうにそう言い放った。


「なんで食べてやんなかったんだ!?」


たべ…って、原田さん!神谷さんを食べ物みたいに言わないで下さいよ」


「あ?もしや初めてで上手くいかなかったとかか?」


「そんなんじゃないですってば〜」


特にその分野について疎い総司はもう困り果てていた。


さすがの総司も、五郎の事をばらす気もしなかったし、言ってはいけない気もしていたのだ。


しかし、考えてみれば、茶屋の座敷に入って何もないというのは、不思議なことでもある。


そこで、総司も、今だけ、原田に話を合わせることにした。


お茶を、ずずーと飲み干すと、思い切って言った。


「わかりました!次こそは神谷さんを食べて帰りますから!!」


「まったくだ!ったく総司はいつもぼーっとしててこっちが苛つくんだよなあ

…首尾良くやれよ!」


ははは…、と渇いた笑いが総司の口内をまわった。









そんな話をした後だったので、総司はその少女の言葉に仰天した。


「沖田先生に食べてほしいものがあるんですけど…」





総司は自分の手足が石のように固まるのを感じた。





—食べて欲しい—





その言葉だけが自分の頭の中をからまわりしているのを感じて。


高ぶる心音を落ち着かせようと、総司は自分に言い聞かせる。


まず第一に、私と神谷さんはそういう仲ではない。


だから、その一言に惑わされる必要は無いのだ、と。


そう棒立ちのまま色即是空を唱えているところに、少女に顔をのぞかれた。


惑わされる必要も無い、という言葉が一気に吹き飛び散乱する。







「お腹、空いてないですか?」


心配そうに、残念そうにのぞき込んでくる可愛らしい瞳。


おもわず、返答していた。


「ぜっ、全然空いています!!」


さっき、原田さんとお菓子を食べたばかりだというのに。


自然と口が嘘をついていた。


「良かったあ。じゃあちょっとでかけませんか?」


少女の嬉しそうな顔に、総司も少し和み、何故かほっとした。


「何処にです?」


少女は輝かしい目をたたえた笑顔で、言った。


「島原にあるお茶屋さんなんですけど。」








総司は、まばたきをする事しか、出来なかった。










総司の足取りは、重かった。


自分の前を軽い足取りで歩く少女の向こうに、寄り添う男女を見つめてため息をついた。


島原の茶屋で食べて欲しいもの。


そのことばかりが総司を混乱させていた。


だから思い切って少女に問うたのだ。


生唾をごくりと飲み込んで。


「ねえ神谷さん、いったい何があるんですか」


すると少女はその足を止めて、振り向いた。


その顔は、恥じらうようで。


恥ずかしいから内緒です


そう言ってのけたのだった。


総司は、もう何も言えなかった。


ただ、自分の中の訳の分からない期待のみが膨らむのを感じて。


—神谷さんを食べて帰ります—


—初めてで上手くいかなかっ—


—茶屋でやるこたあ一つっしかねえだろう—


ぐるぐる、ぐるぐると、総司の中を原田との対談が駆けめぐっていた。










「此処です」


少女がからりと軽い音をたてて中へと入っていった。


そして、総司もそののれんをくぐろうとした。


そののれんの向こうに、少女が店の者に耳打ちしているのを見た。


恥ずかしそうに、そっと、背をのばして。


耳打ちしていた。







するとその店の者がにこにこと笑いながら寄ってきた。


「こちらでっせ、お待たせしてすんまへん」


心臓の音が、やけに体に響いた。


ぎこちなく首をまわして少女を見下ろす。


少女は、そっと、手を添えて耳打ちした。


「用意してきますから、暫く待っていてください」


その花のようなやわらかい声音に、総司は頷くことしかできずにいた。










がららと音がした。


少女の顔がひょこりと覗く。


総司は、案内された座敷で、ずっと、正座したまま待っていたようであった。


「何かしこまってるんですか?」


少女がおかしそうに笑う。


「か、かしこまってなんて、無いですよ」


総司はそう言うのが精一杯で。


少女の足が畳に擦れる音が、少し熱く感じた。


「今日は、ここでゆっくりしましょうね」


自分のすぐ近くに足を崩してそう言う少女を、熱に浮かされたような気持ちで見つめる。


「日頃の疲れも、溜まっていたでしょうから」


少女の唇が、綺麗に動く。


自分の手がぴくりと動いた。


此処には、神谷さんと、私と。





二人きりで。







ここは、茶屋で。







総司が、重く自分の膝に乗っていた手をやっと持ち上げた時であった。





「お待たせしてえろうすんまへん、こちらがおセイちゃんからの贈り物どすー♪」


がらららっと勢い良く戸が開けられて入って来たのは、あの美しいひと。


昔の名を明里、今はお里と呼ばれるあのひとだった。


「わあー、もう温まったんだー!」


「うふふ、いい香りどすなあ」


お里に飛びついてはしゃぐ少女。


丸い木製の卓袱台にその湯気のたった器を置いていくお里。


「沖田先生、見て下さいよー、これ私が作ったんですよ!」


「お汁粉を作りはったんよ、おセイちゃん」


「そうなんです。沖田先生、好きでしょうお汁粉♪」


「屯所に材料が無いからって、私に相談してきたんもんね」


「そしたら此処をお里さんが口聞いてくれたんですよー」


華やかなお里の声と、可愛らしい少女の声が座敷に響く。







総司の耳にも、もちろん、筒抜けていった。


あの時勇気を出して上げた片手はいまだ総司の顔の前に掲げられていた。


総司は、口一文字のまま、これでもかという程顔から汗をたれ流していた。


そこに正座で佇むは、


きっと、島原中で一番哀れな男であろう、沖田総司。


初めて色気を意識した、初夜であった。









まあぼうが待っているからと、お里は退場。



目の前には、さあ食べましょうとにこやかに微笑む少女。
















総司は、お汁粉をすすりながら、言った。






「神谷さん、私は、今度こそは頂いて帰るつもりですからね」






「え?まだ何か食べるんですか?」






「原田さんとの約束を違える訳にはいきませんしね」













夜は、ふける。






お汁粉の、温かな湯気と共に。




















木花翠心様のすてきりくでしたー!!

すてきりくの割にこんなしょぼいもんですみません…。

木花翠心様の作品、読み返してはため息をつかせていただいております。