「魔法少女ナナシちゃん!」
連載第171回〜第180回

連載第171回(2003年4月2日)
「実は一部の例外を除いて「誘拐」も親告罪なんだ」
「・・・何だって!?」
 「親告罪」とは被害者の告訴が無ければ罰されない罪のことである。勿論多くの罪は、被害者の申告があろうと無かろうと発見されれば逮捕されることになる。
「そんな馬鹿な!じゃあ、世間で大騒ぎしてる誘拐そうどうはどうなるんだ!?」
「落ち着けよ。身代金・営利誘拐の場合は勿論親告罪なんかじゃない」
「・・・驚かすな」
 黒田が安堵する。
「ちょっと待てよ」
 安宅(あたか)は何かを思いついた風な口ぶりになった。付き合いの長い黒田は一瞬でそれを察する。
「どうした?」
「・・・黒田、ひょっとしたらこりゃ大スクープかも知れんぞ」
「早く言え!」
「成功報酬は約束してくれるな?」
「いいから早く!心配するな。俺が支払いを滞らせたことがあったか?」
「分かった。順序だてて話すからよく聞けよ」
「ああ」
「単なる未成年者略取・誘拐やわいせつ・結婚目的の略取・誘拐の場合はそれは親告罪になる。レイプ犯罪などと同列の扱いだ。事情がプライバシーに深く関わる事柄だけに、刑事裁判でわいせつされた事実を延々延べられたり世間の目を気にする場合には有効だ」
「ふんふん」
「ちなみにこれらは2000年の法改正で、親告罪の告訴期間の制限が六ヶ月と決められていたがこれが撤廃されている」
「つまり訴えたくなったらいつでも訴えればそこから罪が成立する様になった訳だな」
「その通り。ところがこれ以外に誘拐被害者が告訴資格を失う場合がある。刑法229条」
「それは何だ?」
「被害者と犯人が結婚した場合だ」
 黒田の目の前でスパークがはじけた様だった。

刑法229条
 略取され、誘拐され、又は売買された者が犯人と婚姻した場合は、婚姻の無効または取り消しの裁判が確定した後で無ければ、告訴の効力が無い

「・・・ということはつまり?」
「ナナシちゃんは何と言った?『おじさんたちお手柄』と言った」
「・・・なんてこった・・・」
「もしも事務員が“しらふ”だったら婚姻届は受理されていた可能性がある。そうなれば・・・当然逮捕は不可能だ」
「後で連絡する!」
 物凄い勢いで電話が切られた。黒田が風の様なスピードで駆け抜けているのが目に見える様だった。


連載第172回(2003年4月3日)
 そのニュースはメインで取り上げられることは無かったが、何とかワイドショーの1コーナーで紹介することが出来た。ここで「謎の少女」という言葉まで使ったのである。
 黒田はこのコーナーを直接ディレクションした訳では無い。
 放送を見る限りでは、この突飛なお話を荒唐無稽にならないように紹介しきるのはなかなか難しい、というのが正直な感想だった。
 結局刑法229条にも触れることが出来たのだが、「ナナシちゃん」が意図的に婚姻を妨害することによって親告罪の権利喪失を防いだ、という言い方は遂に出来なかった。
 黒田は「ナナシちゃんウォッチ」をブレーンである安宅(あたか)に頼っている。
 草の根で製作されているナナシちゃんサイトではこれをもって「謎の少女」を含めて報道された初めての例であると認定されたらしい。
 大手マスコミのフットワークは余りにも鈍かった。


連載第173回(2003年4月4日)
「すまん。連絡が遅れた」
 申し訳なさそうな黒田の声だった。
「いいさ。気にするな」
「別の局はどうなってる?」
「日付は遅れてるが、スポーツ新聞なんかの三面記事に登場し始めた」
「そうか」
「俺が確認したところでは、昨日は一紙だったが、今日は三誌同時に載りそうだ」
「・・・ということは・・・」
「ああ。現在の朝のニュース・ショーや昼のワイドショーは独自取材を放棄したのかスポーツ新聞の記事を並べて紹介するコーナーばかりだ。間接的に取り上げられる可能性は高まったと見ていい」


連載第174回(2003年4月5日)
「まあ、確かにそうかも知れんな」
「ちょっと基本的なこと聞いていいか?」
「俺に答えられることがあればな」
「じゃあ聞くが、あの新聞の記事の紹介コーナーってのはテレビ局的にはどうなんだ?」
「“どうなんだ”・・・ってのは?」
「あれは現場としてプライドが傷つけられるとかは無いのか?」


連載第175回(2003年4月6日)
「そうだなあ・・・こう言っちゃ何だけど考えたこと無かったよ」
「そういうもんか」
「とにかく忙しいからな。目の前の仕事をこなすのが精一杯なんだよ。極度の緊張感と睡眠不足の中で、何とか上司に怒られない様にすることばかり考えてるってところかな。まあ、本当はそれじゃいけないんだけどな」
「・・・」
「それは分かってるんだが、現実問題なかなか難しい。ましてや現場の一番下っ端からそれを言い出すなんて出来ないだろうな。それにこう言っちゃ何だが、これで損をする人間は・・・殆どいないだろう」
「というと?」
「紹介してもらうスポーツ新聞にとっても悪くないし、そもそも視聴者もここまで定着しちまうとそうした情報も欲しくなってくる。そしてまあ・・・テレビ局としても手間が省けるしな」
「お前らしくも無い言い草だな」
 安宅は不満そうである。
「実際には映像ソースも取ってるし、むしろスポーツ新聞の方が添え物さ」
「ふむ」
「今の俺の関心は、ナナシちゃんが次にどこに出現するか、だよ」


連載第176回(2003年4月7日)
 かれには日記を書く習慣があった。
 将来についての不安もあったが、それよりも自信と希望のほうが上回ることもあった。
 しかし、明日にも襲ってくる間違いのないリアルな現実が恐ろしかった。
 現実って何だろう?と思った。


連載第177回(2003年4月8日)
 その日はいつもと違っていた。

 ポケットの中には親の財布からくすねた札束が握られている。
 自分の意志で持ち出した物では無い。
 最初の1回を踏み出すまでには巨大な逡巡があった。
 そして、その1回を突破してしまうと、後はもう転がる様だった。
 この数週間の間、何回タイムマシンにのってあの時間に戻りたいと思っただろうか?
 八木義男は憂鬱な帰宅の途についていた。


連載第178回(2003年4月9日)
 その道をまっすぐ進むかどうかを悩んだ。
 事情を知らない人間は言う。
 “いじめられそうになったら逃げればいい”と。
 そんなことを言う人間は死ねばいいと思う。
 そんなことが出来れば苦労はしないのである。
 むしろそれによって“逃げようとした”事実を咎められるのである。
 翌日に転校してしまうのでもない限り、思い切った行動など起こせやしないのである。
 延々同じ人間と向き合わなくてはならない狭いムラ社会の中で、我慢しなければならないことは沢山ある。
 成功確率が90%を越えていなければそんな行動を起こす積りは無かった。いや、100%だったとしても行動しなかったかもしれない。


連載第179回(2003年4月10日)
 
義男に限らずいじめられっ子というのは濃密な人生を生きている。
 目の前の道を見て逡巡すること数秒。文字にすれば短編小説を上回る思索が頭の中を駆け巡った。
 今は目の前にあのいじめっ子たちがいない。
 いないということは、今日は気まぐれを起こしていじめに来ないのかも知れない。
 ということはマトモに帰ることが出来るかもしれない!
 その可能性を考えれば、少しでも引き上げるためには早足になることが必要だ。
 しかしもしも“早足になろうとしている”ことを影から見咎められたりしたら・・・いつもにも増して激しい仕打ちが待っていることは明白だった。しかしタッチの差で逃れることが出来るかもしれない。
 しかししかし待てよ。もしも今日、振り切って帰ってしまったら明日以降に一体どんな仕打ちが待っているのか・・・。
 行動を起こすのなら、こうして考えている隙に一歩を踏み出すべきだった。
「おう!」
 それは死刑宣告を告げる声だった。


連載第180回(2003年4月11日)
 体内の血が音を立てて引いていくのが分かった。
 振り返るまでもない。そこにはいつものいじめっ子たちが集合していた。
「どこ行くんだ?ん?」
 中人人物の松だった。
 表情は笑顔なのだが、これが油断ならない。
「いやその・・・」
 ひゅん!と目の前を拳が通り過ぎる。
「わっ!」
「おっと・・・あぶねえあぶねえ。駄目だろうがそんなところにぼさっと立ってたら・・・」
 明らかに威嚇、そして脅すためのパンチだった。
「あ、あれなんだ?」
 わざとらしい声の次の瞬間、身体が浮き上がった。
 強烈な蹴りが腹部にめり込んでいた。