「魔法少女ナナシちゃん!」 連載第161回〜第170回 |
連載第161回(2003年3月23日) 「お前じゃ話にならん!別の奴を呼んで来い!」 男の主張は当然だった。 「あんだとテメェ!そんな態度だと受け付けてやらねえぞ!」 「どうした!」 この酔っ払い事務員の背後から別の人間の声がした。 深夜にやってきた奇妙なカップルに安堵の溜め息が漏れる。 「ちょっと聞いて下さいよ!」 そこには悪夢があった。 新たにやってきたその事務員の手に握られていたのは日本酒のカップ酒の瓶だったのである。 「こいつがこんな書類持ってきやがったんだ!」 最初の酔っ払いが婚姻届を乱雑に扱い、二番手に投げるようにして渡す。 「この野郎!」 二番目の事務員はこれまた乱雑にそれを受け取ると、汚い物を見る様にねめつけた。 「あー、ごりゃだべだな」 もう呂律も回っていない。 連載第162回(2003年3月24日) 「おい!どうなってるんだよ!」 男のイライラは頂点に達していた。 それはそうだ。のっぺらぼうから逃れたらまたのっぺらぼうに出会ったみたいなもんだ。酔っ払いの連鎖である。 「・・・汚い字だなあ・・・。書き直し!」 「はあぁ!?」 「あー、そうだそうだ!」 ふたりして出来上がってしまっている。 「おい・・・いい加減にしろよ」 ドスの効いた低い声だった。殺意すら篭っている。 「あんだぁ?“いい加減にしろ”ぉ?」 「そうだよ!そう言ったんだ」 「そんなこと言ってんのはあんたらだけだよ?こんな夜中にやってきてこんな書類処理しろなんてよお!」 どうしようもない木っ端役人どもだった。 「また明日来いや」 その時だった。 「ちょっと待ったああ〜っ!」 あらぬ方向からヘンな声がした。 連載第163回(2003年3月25日) 深夜にやってきた奇妙なカップルは、予想もしない酔っ払い事務員の手荒い歓迎を続けざまに受けた上に、今度は派手なコスチュームに身を包んだ女の子の歓迎まで受けることになってしまった。 「そこまでよ!大人しくお縄を頂戴しなさい!」 見たところ小学校も低学年という風情である。 その子が、なんとまあ大人びた時代劇の様な言葉を使ってくる。 「・・・ナナシ・・・ちゃん・・・?」 女性の方が小さくつぶやいた。 「何だこのガキは?」 もうイライラも頂点である。男はその女の子にすら殴りかかりそうな勢いであった。 「んんん〜?」 事務員の方も気になるらしいが、入り口では口論相手が居座っているのでどうにもならない。 一体何のために表れたのか?この時点で分かっている者はいなかった。 「事務員のおじさん!書類は受理したの!?」 大きな声だった。 連載第164回(2003年3月26日) 「あなた・・・ひょっとしてナナシちゃん?」 女性の方が声を掛けた。 「あれー、知っててくれたんだ。嬉しいなあ」 何だか照れているナナシちゃん。 「おい、知り合いか?」 「うんにゃ。この子が今噂の・・・」 「そう!」 どん!と自分の胸を叩いてそらす少女。 「あたしが噂のナナシちゃんよ!この世にはびこる悪は許さない!」 また時代劇がかっている。というか変身ヒーローか? 「じゃあ、酔っ払い事務員を退治してくれるの?」 女性が希望に満ちた表情で聞いた。 連載第165回(2003年3月27日) その文言を聞いた瞬間、少女は勝利を確信したかのような微笑を浮かべた。 殆ど同時に脱兎の如く飛び出してきた少女は、カップルの間をすり抜け、事務員室のドアを開けた。 何が起こったのか分からなかった。 「わっ!何だ何だ!?」 酔っ払いの事務員も大いに混乱した。 だが、類稀なる戦闘能力をこれまで何度と無く実証していたこの少女の動きに泥酔状態の一般人が適うはずも無い。 気が付くとその紙は少女の手にあった。 「あっ!テメエ!」 男が叫んでいた。 「ナナシ・・・ちゃん?」 女性はこのところの噂を耳にしていたのであろう、当然自分を助けてくれるものと思い込んでいた表情だった。 「やっぱり間に合ってたみたいね」 次の瞬間の事態は、その場の人間全ての想像を超越するものだった。 “ナナシちゃん”と呼ばれた少女は、さんざんに邪険にされた婚姻届を手にとり、力を入れた。 ビリビリと音がして、その用紙は無残にも引き裂かれた。 連載第166回(2003年3月28日) 「あああっ!」 色んな人の声が交錯した。 以降は、第1次裏付け取材の際に、その場にいた人間から行われたインタビューからの再現である。 深夜の珍入者達はふたりとも悲鳴ともつかない声を上げ、その一枚の用紙が引き裂かれるのを見ていた。 小さな窓のガラス越しであった為に少女に飛び掛ることも出来ない。 泥酔していた用務員二人もまた同様だった。 それまで生意気なカップルをからかっていたが、用紙の破砕となると穏やかではない。慌てて叱り付けるものの、少女は全く動じる様子は無かったという。 この少女を“ナナシちゃん”であると仮定すると、これまでに収集された情報と大いに矛盾することになる。 直接的な暴力事件などで被害者を救済するために出現したり、ストーカーまがいの人間関係を清算するために表れ、“女性の味方”的な働きの目立ったナナシちゃんが、ここでは愛するカップルを引き裂くことに貢献してしまっている。 連載第167回(2003年3月29日) その直後にまたその場の誰もが想像も付かない出来事が現出する。 すぐ外に回転灯を点灯させた車が止まった。 そこからドアが開くまでの時間は数十秒は無かった、と事務員は証言している。 その場にいた全員が、この活劇に新たな登場人物が齎されることを感じたその瞬間、また“ナナシちゃん”と思われる少女は先手を打って動いていた。 事務員専用のドアを出て、またぞろそのカップルと同じフロアに降り立つ少女。 この時点で男の方が迫り来る危機を動物的勘で察したらしかった。 身を乗り出していた事務員の1人がこの時点で踏み込んでくる制服警官の姿を確認している。 出口に向かって突進しようとする男の足元に少女が立ちはだかった。激突する二人。 連載第168回(2003年3月30日) このドタバタに関しては、あまりに突飛な出来事なので、事務員は何が起こったかこそ把握しているが、その意味などは全く分かっていなかった。 事務員は定年直前と言ってもいい50代後半で、深夜に小学校低学年程度でしかない女の子がやってきたことにも理解が及ばない段階だったのだ。それが見るからに体格のいい男の正面に立ちはだかろうとする行為自体が理解不能だった。 普段は華麗な技裁きで相手を投げ飛ばすことが多い「ナナシちゃん」であるが、この時は相当に揉めた。 推測だが、恐らく逃走をくい止めることが第一の目的と化していたからでは無いかと思われる。また、男も普段は対決姿勢になるであろうナナシちゃんとの対峙では無く、“振り切って逃げる”ことが第一目的だった。 ナナシちゃんは男の足にしがみついて止める。 それによって前方に思いっきりつんのめり、今まさに制服警官が入ってこようとするガラスの扉に思いっきり手をついた。 割れはしなかったが、かなり派手な音が鳴り響いた。 連れの女性は悲鳴を上げている。 制服警官が入ってきたのは同時だった。 少女の体重はどう考えてもそれほど重いはずは無いのだが、大地に根が生えたかの様に男の足を捕まえたまま離さなかった。 この場で幸運だったことが少なくとも2点ある。 1つは駆けつけた制服警官が機転の利く中堅であったことである。 普通暴れている程度では逮捕まではしない。 だが、コスプレまがいの格好をしているとはいえ、年端も行かない少女を足蹴にしている様に見えたのである。 そして最大のポイントは、記憶力が良かったことである。 翌日のベタ記事には、逃走を続けている誘拐犯人逮捕の報が小さく載った。 勿論記事は「ナナシちゃん」のことには触れられていなかった。 連載第169回(2003年3月31日) 「もしもし」 普段の声だった。 「あー、こちら安宅(あたか)」 「分かってるよ」 黒田の声だった。 「どうした?元気が無いぞ」 「いや、別にそういう訳でも無いんだが・・・徹夜に近い様なもんで」 「いつものことだが」 「そうなんだがね」 黒田はとあるテレビ局に勤める新進気鋭のディレクターである。報道の立場から「ナナシちゃん」の正体を追っている。 今電話しているのは安宅(あたか)という自称引きこもりで、黒田の知恵袋と言える存在である。 自称引きこもりの安宅は決して表に姿を現す事無く、常に黒田とは電話でのやりとりになる。その膨大な知識量は殆どの人間を圧倒するものがある。 「今朝のニュースは知ってるか?」 「知ってる」 「あの、誘拐犯逮捕の話だが」 「まあ、ナナシちゃんだろうな」 「その通りだ」 間髪いれずに黒田が答える。 「どうして分かる?」 「裏を取った」 連載第170回(2003年4月1日) 「・・・裏を取った・・・?」 流石の安宅も少し驚いた口調である。 「ああ」 「お前がか?」 「そうだ」 「・・・それじゃあ睡眠時間も少なくなるわな」 「まあ、そういうことだ」 只でさえ忙しいテレビ業界の人間が、新聞記者よろしく地道に報道の「裏」を取るべく足を棒にして探し回っていればそれは睡眠不足にもなろう。 「事務員が見たのは間違いなくナナシちゃんだと思う。こっちが見せたこれまでの証言に基く想像図にもぴたり一致してる」 「見上げたもんだな・・・しかし気になるな」 「何が?」 「その事務員って大丈夫なのか?」 「地位がか?」 「ああ。ベタ記事・・・というか笑いものにされる類の三面記事ではあるが一部では結構話題になってるぞ。相手が相手とは言え勤務中に泥酔はマズイ」 「まあな。風の噂では市役所は世論に負けて首を切る用意もあるらしいが・・・それより安宅」 「何だ?」 「どう思うこの事件」 「・・・まあ、ナナシちゃんのこれまでの事件とそれほど違うとは思えないんだが」 「いや、俺は違うと思う」 「どの辺が?」 「事務員によると誘拐されていたその女性は“ナナシちゃん”という名前を知っていたらしい。そして別れ際にナナシちゃんは改めて言った『おじさんたちお手柄だね』ってさ」 「・・・腑に落ちんな」 「だろ?どちらかと言えばナナシちゃんは弱者の味方だった」 「分からんが、その女性は保護するに値しないと判断したのかも知れん」 「どういうことだ?」 |