1日30分
親が清水の舞台から飛び降りる思いで購入したと言うフラットピアノの前に、私は毎日必ず30分は座る事を義務付けられたのです。まだ7歳の幼い手にピアノの鍵盤は重い。満足な音が出なくても当然なのに、それ以上を望む母なのでした。生まれつき左利きの私はピアニストにするには大きな欠点を持っている!それは主旋律より伴奏の音が大きくなってしまう事だ!左手の方が力が強いので右手が負けてしまうわけだ!母は口を酸っぱくして幼い私に克服しなくてはならない課題を言い続けます。ピアニストなんてどうでもいい、ピアニストって何する人?ピアニストってそんなにすごいの?幼い私は馬耳東風で毎日過ごしてましたが、それでも真面目な子だったので1日30分の練習だけは守っていたのです。
これだけ書くと青白い顔をして外にも出ずピアノばかり練習している女の子に思われそうですが、その頃になると私も大人しいだけの女の子じゃなくなっていました。
小学校に入って世界が広がった私はだんだんと積極的な子供になっていたのです。背が高くて所謂大柄な子供だったのでクラスでもどうしても目立つようになっていましたし、根が男っぽいので男女問わず
年齢問わずで、暇さえあれば外遊びばかりしていました。夏休みは毎日のように学校のプールに通って、白いのは歯だけじゃないのか?と思うくらいに真っ黒に日焼けしていました。当時はTVゲームやPCなんて存在していない時代ですから、娯楽と言ったら天気のよい時は外遊び、悪い時はマンガ読んだりリカちゃん人形遊びくらいのものでしたが、幼い私は完全燃焼で毎日遊んでいました。それでも30分のピアノ練習だけは休まず続けていたのは、私に反抗心がなかったからでしょうか?
そんな勤勉な私を襲った一つのショッキングな出来事はオトナになるまでトラウマになって残る事になってしまったのです。
初めての反抗
その日私は友達の家で遊ぶ約束をして、学校帰りにその友達を連れて家に戻りました。ランドセルを置くために家に寄って、その足で友達の家へ出かける計画だったのです。
○○ちゃんの家へ遊びに行ってもいい?
一応母親の了解を得なくてはいけないと思った私は気楽に母に聞きました。
母は絶対ダメ!だと言ったです。
今までならあっさりOKを出していた母がどうしてこの日に限ってダメだと言うのか、私は理解できませんでした。
「遊ぶ前にピアノの練習をしなさい。」母は厳しく私に指示しました。
「遊んでからちゃんとやるから・・・。」私は必死にお願いしました。
外ではお友達が、まだか?まだかと待っています。どうして遊んだ後じゃダメなの?私は○○ちゃんと
遊びたいのに?お願いだから遊びに行かせて!何度も訴えても母の気持ちは頑なでした。
今までどんな時にも親の言う事を聞いていたいい子ちゃんの私は、この日初めて抵抗らしい抵抗を
したのでした。
私は反対する母を振り切って外で待っているお友達のところへ行こうとした・・・。
すると母は思いっきり私の手を引っ張って外へ行かせないようにしました。
幼い私が大人の母の力に勝てるわけがありません。何度も引っ張られ、ズルズルと私の体は家の中へ戻されてしまいました。それからの私はただ泣く事しかできませんでした。
「○○ちゃんごめんね。ナギちゃんはピアノのお稽古があるから今日は遊べないのよ。」
そうお友達に言うと、母はピシャリと玄関の扉を閉めたのでした。
どうして?どうして私だけ遊べないの?
こんな辛い思いをしてどうしてピアノの練習をしなくちゃいけないの?
私にとってピアノってなんなの?そんなに大切なものなの?
泣きながらピアノの前に座る私の隣で、まるで監視するように見守る母を私は始めて憎いと思いました。そして子供ながらに思ったのです・・・。
私は子供にこんなひどい事をする親にはなりたくない・・・。
もし自分がお母さんになったら、絶対こんなひどい事はしない・・・。
自分の子供に憎まれている事など知らないかのように、母は普通に振舞っていました。その日もスケジュール通りの30分レッスンをこなせば自分の仕事は終わったと感じたのか、何もなかったかのように
普段通りの生活をする母。そんな母を見るとますます私は憎しみを感じてしまったのです。
そして母をそこまで恐ろしい者にさせてしまったピアノも、だんだん面白くない物、苦痛な物になっていったのでした。でもまだこの段階では私は外見上はいい子だったし、1日30分の約束を守って練習に励む日々は淡々と続くのでした。
語らせてお品書きへ