私のお稽古遍歴(2)


少女フレンドが読みたい

娘を目立つ子にさせたい!
母親の野望のままに、操り人形化していた私のピアノ教室通いが始まった。
先生は母親と同年齢で、小学校の先生をする傍ら毎週土曜の午後は自宅でピアノを教えていた。これって 法律的にどうかな?と今なら思うけど、当時は全然許されている事だったのかな?
レッスンタイムは土曜の午後。1人10分程度の手抜きレッスン。普通なら「こんなんで上達するの?」 って不思議に思うところだが、そこは田舎のピアノ教室。オトナもピアノレッスンはこんなものよって 信じて子供を通わせてたんだよね。個人、個人で、時間の予約をされているわけでもなく、土曜の午後から ず〜っと来た者順にレッスンを受けてました。
教室に行くと普通は先客がいてピアノのレッスン中だった。混んでいる時は私の前に2〜3人待機中。 手持ち無沙汰だった私が暇つぶしに手に取ったのは今では懐かしい週刊少女フレンドだった。年長さん の私がちゃんと字を読めたかどうかは覚えてないけど、初めて接したマンガは私にとって夢と空想の甘美な 世界だった。

少女フレンドが読みたい・・・。ピアノよりそちらが目的でイソイソと教室に出かけていく私。運よく待機中の 生徒が多いと、今日はラッキーだな!と嬉しかったものだ。毎週最新刊を楽しみにしているのは私だけでは ないから、最新刊を他の生徒が読んでいることもよくあるパターン。そんなときは、早く読み終わらないかな・・・、 その前に順番回ってきたらどうしよう?とハラハラドキドキ。
先生の方も、待ち時間にマンガが読めるピアノ教室を売りにしてたのじゃないかな?少なくとも私は 先生の魂胆にまんまとハマった生徒の1人だったわけだ。

カワイよりヤマハ!

一方、肝心のピアノはどうだったのか?目立たない、何の取り得もない引っ込み思案な私だったけど、 これがどうしたものか?問題なくレッスンについていく事ができた。本来音楽が嫌いじゃなかったのだろう・・・ 自分でもレッスンは楽しかった。赤のバイエル、黄色のバイエルと、スルスル課題曲をクリアしていく私は、 母親にとっても嬉しい誤算だった。
何故なら、母親は自分はとても器用な人間で、その娘は誰に似たのか?すっごい不器用だと決め付けていた からだ。誰に似たのか?と言うより、ハッキリと父親に似て不器用だと暗に言いたい母なのだが。(オトナになった 今では、私の方が母親より器用な女なのだけど)

田舎のちっぽけなピアノ教室で、教えている先生もどこまで音楽教育を受けていたのかわからない。 冷静に判断すれば極めてレベルの低い世界・・・その中で母親は娘に親バカな期待を抱きだした。 この子はこのまま続ければ、ピアニストになれるんじゃないか?少なくとも有名な音大を出てピアノの先生に なれるんじゃないか?井の中の蛙、大海を知らずとはまさに当時の母である。小さな、小さな、井戸の中で、 母親はピョンピョン興奮していた。

母親の意気込みは、まずピアノの購入から始まった。私が小学校に入学して間もなく家にフラットピアノが やってきた。それまで私はオルガンで練習していたのだけど、オルガンでは指タッチも違うし指の力もつかないと 判断した母親は清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入を決意したのだった。ごくごく普通のサラリーマン家庭に はフラットピアノを現金で買えるわけがなく、もちろん月賦。(当時はローンなんて洒落た言葉は使わない)

母親の競争心を煽る存在は環境だった。まず、父方の私の従姉妹2人がピアノを習い始めていた。私より 5歳上のKちゃんのために家には既にフラットピアノがお輿入れしている状態。その2人に音楽の才能 があっていずれはピアノの先生になるだろうと、従姉妹贔屓の父は事あるごとに自慢する。それが癪にさわって 仕方のない母だったのである。考えてみれば母のムカツキも当然だと思う。自分の娘より姪御を自慢する 男なんて、普通じゃない。余談だが、その従姉妹2人は父の予想通りピアノの先生になった。2人とも 特別才能があったわけではないが、名古屋の3流音大へ進みご近所でコジンマリとピアノを教える先生になった。 他に取り得がないのでその道しか選べなかっただけだと意地悪な母は散々けなしてたっけ。 だけど今では、2人ともその仕事も引退して特別何もしないで生活しているようだ。

ご近所の環境もすさまじかった。前にも触れたが、私の近所には同じ歳の女の子が私以外に 3人いて、リカちゃんハウスを片手にお互いの家を訪問したりお誕生会を開いてプレゼント交換をしたりして、 まぁまぁ仲良く付き合っていた。(小学生になってからは私も普通に女の子と遊べる子になっていたのだ)
3人とも私と同じピアノ教室へ通っていた。近所のピアノ教室と言えばあの先生の所しか選びようも なかったのだが。その中でもAちゃんの家庭は父親が高校教師、母親も小学校の図書館のおばさん(たぶんパート)という 教育一家で、家にはすでにピカピカ黒光りしているフラットピアノが置いてあった。
Aちゃんに負けちゃだめ!
Aちゃんのピアノはカワイだけど、ウチはヤマハ!
母親は口を酸っぱくしていつもAちゃんのピアノとウチのピアノの違いを言い続けていた。カワイより ヤマハの方が上なんだと・・・。何を根拠に上下を決めていたのかわからないけど、さんざん母のメーカー論を 聞かされていた幼い私は、トヨタ・日産より先にカワイ・ヤマハの名前を覚えたのは言うまでも無い。

そうこうするうちに、残る2人の女の子(Bちゃん&Cちゃん)のお家もピアノを購入。世はお稽古戦争の時代に 突入していくのであった。




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