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「蜘蛛の糸・杜子春」 芥川龍之介 ★★★★
---新潮文庫---
十編の短編集。杜子春→金持ちであったが財産を使い果たした杜子春が途方に暮れていると
老人が現れ、大金の埋まった場所を指摘するのである。しかし杜子春はまた財産を使い果たす。
その繰り返しでお金に執着の無くなった杜子春は仙人になることを申し出るが、その道には多くの難関が…。
文豪といえば難しいイメージがあるけれども本書はわかりやすく簡単、というのも少年向けに書かれた
短編集なんだそうだ。魔法を使ったり仙人がいたり不思議な童話のような内容が多く楽しめるし、
何と言っても正直さや愛情が表れた人間賛歌であるような話が多く読後感もとても良い。「杜子春」の
ラストも素晴らしいけれども、優しい他人を見た時に感じる温かさ・心地よさを僅かな枚数で描いた
「蜜柑」が絶品だ。退屈な人生を忘れることができる時間だ。他にも助けを求める犬を見殺しにして逃げた
白い犬が、気づくと体中が黒くなっており飼い主に追い出されてしまい旅に出る「白」という話も面白い。
「トロッコ」も上手い。芥川の名に気圧される必要など無いし中学生でも気軽に手に取ると良いです。
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「羅生門・鼻」 芥川龍之介 ★★★★
---新潮文庫---
八編収録の短中編集。国語の教科書で読んだ羅生門をはじめ、異様に長い自分の鼻を気にして
あくせくする坊さんの顛末を描く「鼻」、芋粥が飽きるほど食べたいと願い生きていた男が、実際に
芋粥を目の前にした際の心持ちを描く「芋粥」などがある。好いた女に「夫を殺そう」ともちかけた男と
持ちかけられた女の心理を描いた「袈裟と盛遠」が短いながら人間の心を巧みについた傑作だった。
ほかに「好色」という短編が馬鹿馬鹿しかった。好色男がホレた女に文を送るも無視され、雨の中を
押しかけても軽くあしらわれて、馬鹿にしやがって!こんな女は忘れてやる!と思い立った男は
どんな女でもウ○コを見てしまえば絶望するだろうと思いウ○コの箱を盗むのだが、その箱には…
という物語。馬鹿な内容といい独白めいた文体といい町田康を連想して笑ってしまった。
「邪宗門」という中編は、都に現れた怪しげな僧が不思議な術を使って人々を恐怖させながらその
宗教を広めていく話。仏教僧と一騎打ちで対決する派手な内容。そこで打ち負かしてしまったところで
もう一つの筋でやり手だと説明されていた若殿様が姿を現れた…と思ったらこの物語は未完らしく
そこで終結してしまった。気になるな。未完なら載せなくてもよかった気がするんだが…。
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「地獄変・偸盗」 芥川龍之介 ★★★★
---新潮文庫---
「地獄変」⇒名だたる絵師の良秀は殿から命じられ地獄変の屏風を描く事になった。
だんだんと気が違えたようになる良秀、モデルが無いと描ききれないと実際に人を焼くことになる。
しかし殿が用意したのは…。絵師としての執念と人間としての情念を、巧みに闘わせたラストが
ゾッとする一編である。燃える車を眺める良秀の表情は恐ろしい。芥川で一番スゴイかも。
「偸盗」⇒沙金に恋する太郎・次郎の盗人兄弟、だが魔性の女沙金は、盗み先に手筈を教え
返り討ちに合わせることで兄を殺すという計画を次郎に持ち込んだ。そして実行の日、次郎の頭に
疑念がよぎる…。最後に残るのはどの形の愛なのか、という一編。二転三転する展開がおもしろく
痛快なラストが待つ娯楽色の強い話。沙金に女の恐ろしさを見た。男は翻弄されるのみだな。
「六の宮の姫君」⇒哀れな人生を歩んだ美女の話。信仰心の無さを最後にチクリ、と。
あと「藪の中」「往生絵巻」「竜」で六編の短編集。最初の長い二編がやはり秀逸だ。
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「河童・或阿呆の一生」 芥川龍之介 ★★★
---新潮文庫---
晩年の作品を集めた六編の短編集。河童世界に迷い込んだ人間が、人間とは違う河童社会の
常識を知っていく「河童」。子供の頃から妻の出産などを経て病的になるなど断片的に自分の一生を
振り返る作者の自叙伝のような「或阿呆の一生」など作者自身の体験が関係あるような一冊。
物語自体を楽しみたい読者が手を出してはいけない芥川ここにありだ。作者自身に興味がないと
キツイね。物語として凄いなぁとか面白いな、とかそういう類では無い。「玄鶴山房」は床に付している
玄鶴の家に囲ってきた女がやってきて家族が険悪になる話だが、看護婦がその様子を見て楽しんだり
内心で家族を馬鹿にしたりと悪意が多く見える作品だ。作者の人生観が表れてるのですかね。
「歯車」という短編が一番好きかな。何を見ても何かを暗示している事柄に見えてしまって
右往左往する主人公。神経症かと思われるけれど焦燥感が伝わってくる作品となっている。
「或阿呆の一生」も「歯車」も死を求めているような匂いがすごく強い。さすが晩年の作だ。
でもまぁ全体的に暗いですね。作品そのものとしてよりも「作者の人生の末期に書かれている」
という前置きが作用してこそ意味を持ってくる短編集だと思う。シブ知(2・7)かな。
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「ダブ(エ)ストン街道」 浅暮三文 ★★★★
---講談社・98年、メフィスト賞---
夢遊病の恋人を探して謎の土地ダブ(エ)ストンに着いた私だが、誰もが迷うダブ(エ)ストンに四苦八苦。
ネクタイをした熊や半魚人、王様に幽霊船、奇妙な存在ばかりの土地で郵便配達人に助けられながら
恋人を探す私が迷い続ける先に見つけた答えとは。恋人は見つかるのか、そして脱出は…。
おもしろ〜い。新しい世界を描こうとすると奇怪になりすぎてグダグダになりそうだがこれは読みやすい。
いろんなキャラクターが登場する不思議の国に迷い込んだ楽しさだ。物忘れが激しい男もトロッコの老婆も
王様に仕えるピエールも、皆さまよいながら通り過ぎるだけの存在なのにすごく楽しい。いろんな話が
本筋に集約されるのではなく、それぞれがそれぞれの物語を持って歩いている感じだ。主人公であっても
ダブ(エ)ストン街道ですれ違いあう物語達の一つでしかないかもしれない。永遠にゴールには
到達しなくとも目標がある限り進む彼らの人生のなんと楽しそうなことよ。個人的にはダブ(エ)ストンの
謎を解き明かそうとしているらしいマイペースな王様とピエールが好みだが、ダブ(エ)ストンに流れる
「赤い影」の噂の真実には一番驚かされた。これは意外な正体であった。唯一ダブ(エ)ストンから
帰還した男のオチにも繋がっててグー。不思議な国を楽しくさまよってみたい人にオススメ。
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「左眼を忘れた男」 浅暮三文 ★☆
---講談社ノベルス・02年---
気がついたら病院だった。意識はあるものの身体は植物状態という状況らしい。しかも左眼が
殴られた拍子に外に飛び出したらしいのだが、左眼の見ている映像が自分に伝わってくるのである。
眼からの映像を中心に展開する話だ。自分では動けない眼は動物やら人やらを介在して移動するのだが
その視点の描写が回りくどすぎ。細かい描写力というより無駄に長い。しかも左眼が移動して得られる
情報もたいしてないので読むのがただただ苦痛な本だった。ストーリーにしてもイマイチで左眼の冒険と
自分の記憶を手がかりとした話が冗長で、視点の変化で自分が揺らぐような感覚をもたらす展開も
興味なしでした。作者曰く「悪酔いする」らしいのだが、ここまで行ってしまうと小説なんて何でもありだし
どうとでも終われるわな。新しい試みはいいと思うけど読む側の立場になってほしいな。オススメせず。
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「弥勒の掌」 我孫子武丸 ★★★☆
---文藝春秋・05年、このミス19位---
教師をしている辻恭一が帰ると妻の姿が無かった。浮気以来冷え切った夫婦仲…家を出たのだろうと
思っていたら近所の人の通報で警察が来てしまう。調べてみると妻が新興宗教に関わっていたことが
知れる。一方妻を殺された刑事蛯原も妻が新興宗教と関わっていた可能性に気づき本部に乗り込む。
ミステリの王道っぽいですね。刑事と教師、妻絡みで捜査をする二人の視点が入れ替わりながら進行し
サプライズも用意されている。そして長さも260Pと控えめ。スラスラと読みやすくてコンパクトに楽しめ
良くも悪くも佳作だ。新興宗教<救いの御手>がどういう団体なのか、また刑事と教師の二つの事件が
どのように絡み合ってくるのかという展開が読みどころ。えっ?これで終わっちゃっていいの?という嫌な
ラストがある意味一番サプライズであった。軽く楽しむシンプルな推理物を読みたい時うってつけの一冊。
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「砂の女」 安部公房 ★★★☆
---新潮文庫・81年、読売文学賞---
昆虫採集のために砂で埋まる村へ訪れた男、一泊の予定で砂に埋まる家に泊まったのだが
翌日縄ばしこが外され閉じ込められてしまう。寝ても覚めても砂だらけの家に、住民の女とともに
暮らし始めた男。毎日砂掻きの労働を迫られる男は何度も逃げ出すことを考えるのだが…。
超名作の誉れ高い本書であるが話は簡潔、砂の家に閉じ込められて脱出を図るというものであり
サスペンスとして楽しめる内容だ。とにかく砂だらけ、空気中に砂が舞ってて口に入るしノドは渇くし
砂を掻く為に生きてるような生活で食器を洗うのも砂…読んでて暑すぎ。砂世界の閉塞感が強烈である。
名作と呼ばれる所以は男の姿に人間性を含ませてそうな部分が多いからだろう。砂に追われてまで
生活するなど理不尽だ無意味だと逃走ばかり考える男と、砂世界で暮らすことが当たり前で充足している
ような女、しかし時間が経ち砂世界に何かを見つけたような心理に男がなっていく。そこが見所なのだろう。
慣れのようであり悟りのようでもある。見る立場によって内と外の関係が崩れたということかもしれない。
簡潔な内容の中にも、色々と暗示が込められてそうなので読む人によって解釈は異なるのかな。
期待ほどストーリー自体に凄味は感じなかったが読みやすい。でも作者の文章ってどことなく苦手。
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「方舟さくら丸」 安部公房 ★★☆
---新潮社・84年---
<核シェルター>である採石場跡の洞窟に住む太った男「モグラ」は、この方舟に乗船する
人物を探していた。ところがデパートでのいざこざから男女三人が船に乗り込むことになってしまった。
さらには侵入者の影。思惑が交錯する船内…方舟に残るのは一体誰なのか?
主人公が馬鹿馬鹿しいやつだった。洞窟に侵入者防止の危険な罠を張り巡らせ、他人の一言にも裏の
知略があるのではないかと勘繰り、自分に有利になるように考えている。そんな細かい洞察が滑稽な男。
…と同時に全員がそんな感じなので相手を出し抜こうとする思惑のぶつかり合いが船内で起こる話だ。
街を掃除する「ほうき隊」など個性的な面々が右往左往する面白さはいいが、そんなことがずっと続くので
いささかダレてしまった。人間とは身勝手なもので個から集団になれば亀裂が生じるのだということを
描いたんだろうか。イマイチ理解してないっぽいな。洞窟を必死に守ってた主人公の結末はなるほどだ。
裏表紙に「現代文学の金字塔」なんて書いてあるけど「ドタバタ喜劇」といったような印象しかないなぁ。
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「暗黒館の殺人」 綾辻行人 ★★★☆
---講談社ノベルス・04年---
中村青司が関わったとされる暗黒館へ江南孝明は訪れていた。ようやく辿り着いた暗黒館でフラフラと
塔へ登ってしまう、そして…。一方、浦登家が住む暗黒館の中では「中也」と呼ばれる青年が招かれていた。
どうやら「ダリアの日」という特別な日らしいのだが…。異形の者に怪しい料理、そして不可解な殺人…。
上下巻で計1200ページ以上の二段組(…長い)。しかも暗黒館は四方に建物があって、その地図が
4ページ分(…そして広い)。まさに大作だ。作者らしい小道具もズラリ。様々なからくりが存在する館
(…中村青司)、異形の者達、代々続く怪しげな一族と儀式(…そしてこの囁き)。たっぷり枚数を使って
館と一族を包んだ怪しい雰囲気を作っている。登場人物全員が狂気じみて見えるのだ、というか実際に
狂気じみている(…私達は蟹)。いかにも怪しげな料理を食べさせられる(…食したまえ!)場面といい
まずはオカルトの空気を楽しむことが本書では大事なことだろう。上巻はゆっくりと進んでイライラしたが
下巻は事件も次々と起こるし隠された一族の謎も明かされていき一気に読めた。ミステリとしても
全体に渡る大きなトリックの他、密室や犯人当てや意外な真相など細かな驚き所がふんだんにある。
何より館シリーズを読んできた読者には嬉しい驚きが用意されているのだ(…ああ、この人は)。
個人的には予想してたより普通。この長さだけにとんでもないサプラ〜イズ!を期待してたが
綺麗にまとまったという感じ。これほどの長さが必要とは思えなかった。館のからくりや、塔の足跡など
様々なことが本格推理の題材として絡むのかと思っていたが本格の面が意外に少なく残念。幻想怪奇や
一族の不気味さのほうに比重が多い印象。それに…暗黒館が意味なくデカすぎってのが最も不満!
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「図書館戦争」 有川浩 ★★★☆
---メディアワークス・06年、本屋大賞5位---
公序良俗に反する本は没収だ!というメディア良化法、それに対抗するべく図書館が取った対策は
武装化であった。以前に助けられた図書隊員に憧れて図書館に入った笠原郁は、なぜか自分にだけ
厳しい教官や同室の相棒に支えられながら図書隊員について学んでいく。
頭の中で何度映像化してもアニメになってしまう。そんな感じです。まず設定がおもしろいですね。
検閲に対抗する図書館の勇ましさ、自衛隊より実戦慣れしてるようです。くっだらない理由で本が
没収されるなんて本好きにはキツい状況で、思想の自由を守る図書隊員はカッコイイ仕事人であった。
立候補しようかと思ってしまった。上官が三者三様ながら皆優しさを持っているのが素敵ですなぁ。
特徴はキャラクターが強いこと。主人公が勝気で一本気な女、あとエリート気質な同僚、優しい教官に
豪快な教官、単純な主人公をからかう同僚…キャラも展開も良く言えばツボを押さえているので
読みやすくて読書し始めの人はハマりそう。楽しさという観点では文句なし。逆に言えば
典型的にすぎて渋好みな私などは苦手でした。セリフや言葉遣いからしてアニメでよくありそう。
郁と堂上との関係なんて苦笑いしか出ないよ(笑)作中の表現をするなら「かゆすぎる」。
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「乱鴉の島」 有栖川有栖 ★★★☆
---新潮社・06年、文春5位---
休暇に来たが島を間違えて帰れなくなった(←ありがち)火村&有栖。詩人先生の元に集まる
面々と、飛び入り参加の企業社長。どうやら何かを隠した集まりのようなのだが、部外者の
二人にはわからない。カラスの集まる不気味な島で、やっぱり殺人事件が起こってしまうのだった。
カラスが群がる島に、厭世的な詩人。若くして亡くなった妻。部屋にはカラスの剥製が。
本格ミステリ好きを誘う装置です。島に迷った経緯から子供とのキャッチボールまで飽きさせもせず
のんびりと進むストーリーはさすが慣れたもの。事件の派手さは無いし最後にちろっと明かされる
動機自体は陳腐だが、論理的な解明の手順のうまさや秘密の隠し事とポイントを押さえた
本格ミステリである。無難っちゃ無難な本格なのでサス・パク(2・7)くらいですかね。
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「バッド・チューニング」 飯野文彦 ★☆
---早川書房・07年、このミス13位---
どっかのピンサロの女・加奈子がなぜか自宅で死んでいる。しかも顔以外は皮膚が剥けてて
血と糞尿の臭いが充満。このままでは向かいの汚ねえばばあに見られてしまう。とりあえず
防犯カメラの映像を見ようと管理人のジジイの部屋へ小便を混ぜた酒瓶を土産に持っていく。
終わってる。下劣っていうか低俗っていうか…終わってる。人を見れば罵倒して唾を吐きかけ
嘔吐して射精して殴って、とネガティブな単語しか出てこない。よく使用された単語は小便とか糞とか
エロ語ばかりだろうな。エロといっても男が興味をそそるようなものでもなく巨体なばばあにタマを
掴まれながらまぐわったりとただ引くだけ。一応ストーリーはあるんですけれども、いや、ないかな。
なーんか、どうでもいいっすな。この不快感。ぶっ飛びすぎで記憶に残る一冊かもしれんが…。
ミステリでもホラーでもなく。なんでしょうね、これ。正直読むんじゃなかった。衝撃の(ポイ)だ。
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「空飛ぶタイヤ」 池井戸潤 ★★★★+
---実業之日本社・06年---
赤松運送のトラックの車輪が外れ、主婦を直撃し死に至らしめる事件が起こった。整備不良の疑いで
赤松運送は窮地に立たされる。世間の風当たりが強まり経営も危なくなる中、赤松は若手社員がきちっと
整備をしていたことを知り、ホープ自動車による整備不良という調査結果に疑いを抱く。
財閥系会社のホープ自動車のトラックにある構造的欠陥を隠蔽する、いわゆるリコール隠しが
題材となっている。「加害者」の汚名から遺族に攻められるし銀行は手の平を返して貸しはがし。それでも
赤松が社員のために、またいじめられている子供のためにも奮闘する物語は緊張の連続だった。背を
向けるものもいるけど、信頼して支えてくれる者もいて、何よりも赤松自身が愚直な男であるから応援したく
なるのであった。一方でホープ自動車の内部者や、ホープ系の銀行マンの視点からも事件が描かれて、
多角的に物事を追える点も面白い。一部のプライドばかり高いホープ社員を軽蔑しながらも、うまく社内を
渡り歩かねばならないサラリーマンの気苦労もわかるがひた向きに会社存続に走る赤松の裏でのらりくらりと
されては嫌な気分にさせられるものである。一つ個人的に惜しいと思ったのは、真っ直ぐな男が大企業相手に
立ち向かっていく物語がダイハード的すぎるし、大企業にはこれでもかという悪党エリート野郎がいるし
善悪ハッキリしすぎなキャラが多いかも。題材が社会派のいい内容なだけにエンタメすぎて勿体無い!
でも面白かった。一つの事件にはいろんな思惑や人情が溢れてる。現実もこんなにうまく収まるといいのに。
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「チルドレン」 伊坂幸太郎 ★★★☆
---講談社・04年、本屋大賞5位---
五編の連作短編集。いつも強烈な脇役として登場する陣内君の物語。学生時代に強盗に巻き込まれる
話や、駅前にいる人々が二時間も変わらない不可思議状況に陣内君と友人が遭遇する話、他に家裁に
勤める様になっても変わらないその後の陣内君が二編。自由な陣内君が小さな奇跡を起こしていく。
面白いんだけど物足りない。本書の肝はやはり陣内君の愉快なキャラにあって、それは面白かった。
強盗に縛られつつ歌いだしたり、駅前にいる人々が二時間同じだったなら「失恋した俺のために世界は
動きを止めてるんだ!」と興奮したり、遠慮を知らない言動やすぐに前言を翻す奔放さが知らず知らずの
うちに周りに好影響を与えていく物語は爽快だ。おかしな例え話や印象に残るエピソードも相変わらず
センスがいい。しかしあっと驚く謎解きらしき部分が余りに弱すぎるのが残念。様々な手法があって多彩
だけど表題作以外は大体想像がついた。なので小粒な物語よりは人物造形の面白さが印象に残ったな。
もちろん楽しく読めたし作者らしさも感じるが…あっさりしてるんだよなぁ。もう一押し贅沢が欲しい。
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「グラスホッパー」 伊坂幸太郎 ★★★
---角川書店・04年、このミス18位---
悪党に妻を殺された鈴木は、復讐のため犯人のいる悪辣な会社に潜り込んだ。しかし復讐を
遂げる前に当の仇が車に轢かれてしまう。誰かに押されたように見えた鈴木は犯人を追うことになる。
これをキッカケに鈴木と自殺屋「鯨」・押し屋「槿」ら殺し屋が交錯する物語が始まった。
作者の魅力とされるキャラクターの面白さや会話の洒落っ気、会話も道具も人物もすべてが伏線として
使われてるんじゃないかという無駄のなさである。本書でもそれは顕著。「罪と罰」しか読まない鯨だとか
ミュージシャンの言葉を引用する癖のある上司など愉快である。この技量には毎回感心してしまう。
ラッシュライフのように複数の物語が交互に進んでいく手法で、物語の進む速度も飽きさせないさじ加減。
…なのに作者にしてはイマイチな本書。主役達自身が悪党なので傲慢だってのもありますが、日陰に生きる
世界があって特殊な殺し屋達がいるって設定がねぇ…現実に作者流の不思議な味つけをしたというよりは
少年漫画みたいに思えた。ナイフ使いの少年が活躍するとことかそれっぽい。個々のエピソードは
面白いし印象に残るんだけど、わりと暗めの話のせいかパッとしない読後感なのであった。
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「死神の精度」 伊坂幸太郎 ★★★★
---文藝春秋・05年、このミス12位、文春4位、本屋大賞3位---
六編の連作短編集。人が何らかの事故で死ぬ時、死神がついている。死神は斡旋された相手を
一週間見定め死を実行するかどうかを上司に報告するのが仕事。大抵は「可」、たまに「見送り」。
大好きな「音楽」が存在する人間界になんとか適応し、今日も死神は誰かの死を確認している。
人間に変装して地球で過ごす宇宙人ではないけれど死神はそれに近い。名前は決まっているが
容姿は変わるし痛みも感じず食事も要らない。音楽を偏愛し、人間界の常識や表現からはちょっと
ズレた死神の愉快さが作品を和ませる。『年貢の納め時』と言われて『年貢制度は今でもあるのか?』と
真面目に疑問を持ってトボけた質問をする死神が面白い。作中は「死」が当然頻繁に出てくるわけで
あるが気の利いた会話とキャラクターで、サラッとしてくどくない話に仕立て上げている。人間のすることに
関心が薄く「人間はみんな死ぬ」と冷静に語る死神の目線だからこそ、小さなことに拘泥し、見栄を張り、
憤り、一生懸命になる人間の姿が切なく感じられるようになっている。作者らしい洒落た爽やかさもあり
終盤に別の短編がリンクしてくる楽しさも持っている。前半は強引にすぎて物足りなかったが
「恋愛で死神」「旅路を死神」「死神対老女」の後半三本は物語としてもミステリとしても秀作。
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「砂漠」 伊坂幸太郎 ★★★★
---実業之日本社・05年---
客観的で冷静な北村が大学で知り合った仲間達。超能力が使えたり猪突猛進だったりと
個性的な面々の大学生活。それぞれに恋があり、合コン・麻雀・学園祭などのイベントがあった。
仙台を跋扈する強盗「プレジデントマン」や空き巣との闘い、北村達の砂漠における平和の話。
鳥頭でぎゃははと笑ったり、少し超能力が使えたり、ツンツンした無表情の美人だったり
相変わらず奇天烈なキャラ満載だが、中でも「仕方ない」という態度が嫌いで「自分と無関係な
不幸な出来事にくよくよする」タイプの人間で、日夜世界のために活動する(?)西嶋が強烈。
無意味な行動も多くて実際にいたらウザいんだろうがなぜだか憎めなくて元気づけられる。
米軍の誤爆をビール飲みながら「ひどいよな」なんて学生が言ってることが最悪で、戦争のことを
語るなら苦しみながら悶えながらじゃないと駄目なんですよ!と叫ぶパワフルさ。屁理屈も多いくせに
何か信念を持ってる西嶋の潔さに気持ちよくなっちゃう。冷静な北村が少し変化するのも何か嬉しい。
本書には伊坂作品によくある極悪な種類の人間も出て悲惨なことも起こるけど、全体通して
仲間の良さと、スカッとするようなパワーを感じた小説だ。砂漠(社会)の中のオアシス
(大学)でしか通じないパワーかもしれないけど、その力は嘘じゃない。
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「魔王」 伊坂幸太郎 ★★★★
---講談社・05年---
魔王と呼吸の中編二編収録。念じれば誰かを自由に喋らせることができる能力を持つ男の話と
少ない選択肢なら絶対に当てられる男、二人の兄弟の話であった。群集を誘う力を持つ犬養という
政治家や憲法・武装を巡る日本の立ち位置について、兄は危機感を覚え、弟も考えてはじめていた。
政治色が強いとか今までとちと空気が違う、なんて評価をチラホラ聞いていたのであって心配していたが
何てことはない、作者らしくて面白いじゃないかと思った。超能力を扱う娯楽作といってもいいと思う。
しかし殺人犯や誘拐犯といった「誰か×誰か」の闘いではなくて、時代のうねりや個人の思惑を飲み込む
全体の流れとそれを止められない個人の闘いである点が今までと違うと受け止められるのかもしれない。
全体の流れの象徴が犬養という政治家として表されるが、犬養が敵なのではない。あくまで自分達なのだ。
もう少し「全体の意思」ということを意識する必要があるんじゃないか?というメッセージを受け取れる内容だ。
そして違和感を覚える大きなうねりを前に「だったらオレはこうするまでだ」という作者らしい爽やかな決断も
持っていたと感じた。そういう意味では今までの作品と変わらない面白さだ。小さい頃から物事を考えすぎる
兄とサラッと生きている弟の性格設定もらしくて良い。軽い調子の小気味良い会話がポイント高いのだが
ちょっと純文学テイストが効いた雰囲気も持つかな。そういう意味では逆に作者の純文学っぽいものを
読みたいと思わされる出来だった。娯楽なんだがシブイ。バカ知(7・7)ってとこ。
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「終末のフール」 伊坂幸太郎 ★★★★☆
---集英社・06年、本屋大賞4位---
地球に小惑星が衝突、人類が滅亡することが明らかとなり略奪や自殺など混乱が起こった。
それから数年が経ち小康状態が訪れた。街は穏やかになり残った人々は静かに暮らしていた。
衝突まで残り三年。終わりを知った人々の思い思いの人生が経過していく。八編の短編集。
自暴自棄になったり自分の思いをやり遂げようと思ったり日常を噛み締めて平和に暮らしたりと
それぞれに終末の生き方がある。食卓の焼肉の音や、旧友との会話、日頃と同じ鍛練、終わると
知っていると当たり前なことが大事なものに思えるのは、人間は普段いかに終わることを考えずに
生きているかということですね。諦観と共に日常への愛しさが同居する内容となっている本書。
どんな設定でも伊坂幸太郎の書く登場人物はどこか「スカッとさわやかな風」を持ってるなぁと再認識。
そこそこ現実味があるけどパニックになるほど近くない三年という設定が絶妙。落ち着きをもって
自身の人生を見つめ直す登場人物達の静けさが快感で、大名作ではないのかもしれないけど
ずっと読み続けていたくなるような一冊だった。一つのマンションが舞台として登場するため、
別の短編の人物がひょいひょい顔を出す作者らしい楽しみも健在。気軽に手に取って!
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「陽気なギャングの日常と襲撃」 伊坂幸太郎 ★★★★
---祥伝社ノン・ノベル、06年---
演説男・嘘発見器男・スリ男・体内時計女、銀行強盗の四人組が帰ってきた。彼らはそれぞれ
強盗事件や謎の女騒動、会社の同僚に送られてきたチケットなどの謎と出会いそれなりに解決していた。
四人組が銀行強盗を働いた際、誘拐事件に関わるのだが彼らが日常で出会った事件とも関わってきて…。
おもしろ〜い!例によって辞書みたいな注釈つきだった。これまた遊び心があっておもろいし
思いつくまま喋る響野、飄々とした久遠、冷静にそんな会話を受け流す雪子と成瀬のやりとりを
読んでいるだけで笑えてくる。ミステリは出来事やトリックがあとで収斂されるのが醍醐味だけど、作者の
小説は会話自体にそれが生かされてて、勝手な格言を作って読者を笑わせたり雑談の中で出た知識が
あったりすればそれが後々の会話で登場したりする。会話だけでもう洒落てるし目が離せなくなってしまう
技がすごい。愉快痛快、「楽しさ」という点においてはなかなか本書を上回るものはないんじゃないかな。
個人的には一般人との絡みが多い彼らの日常の謎が楽しかった。何も考えずに読むといいです。
だい-にだん【第二弾】①書物や映画などで以前に制作された作品の後を受けたもの。②一作目が
ヒットしたことからビジネス面やファンの希望などの理由で作られる作品のことで、コケるジンクスが
あるため皮肉として用いられる。「あぁ、あれ?映画のスピード---くらい素晴らしかったよ、はは…」
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「フィッシュストーリー」 伊坂幸太郎 ★★★☆
---新潮社・07年---
四編の短編(中編)集。「動物園のエンジン」→夜は動物園で眠り、昼はマンション反対運動、この男に
ついての推理をする話。普通です。「サクリファイス」→別冊で人気の黒澤が主人公。人捜しのために
山中の村へ行った黒澤は、人を洞穴に閉じ込める謎の風習に出会うという話。疑問に思ったことから
一つの推理を思いつく黒澤、一応謎解きか?「だから?」って感じで軽く読むといいです。普通ですね。
「フィッシュストーリー」→30数年前、20数年前、現在、10年後、と個別としてはあまり関係なさそうな
話が展開される。始まりは売れないロックバンドの最期のレコーディングである。自分の声が、自分の
想いが、いつか回りまわって誰かを救うのかもしれない。「ラッシュライフ」の読後にも似た爽快感があった。
ダメな現在も間違いじゃないと肯定してくれる風を送ってくれる。一番気に入った。作者らしい話だと思う。
「ポテチ」→野球選手・尾崎の家に空き巣に入った青年と、その恋人。そこに助けを求める電話が
かかってきた。尾崎の代わりに向かうことに…。これにも黒澤が登場する。読んでるうちにネタは
わかってくるのであるが、空き巣青年の母親も登場し、恋人も交えた軽妙な会話で飽きさせない。
漫画の「タッチ」とかポテチとかプロではパッとしない尾崎選手という小道具を効果的に使ってくるなぁ。
何気なくさわやかな風を送ってくる。作者の人気の秘密は、きっとこの風だ。
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「ゴールデンスランバー」 伊坂幸太郎 ★★★★★
---新潮社・07年、山本周五郎賞、本屋大賞、このミス1位、文春2位---
青柳はその日、仙台で旧友と再開していた。昔話に花が咲くが旧友は突然「お前は陥れられている。もうすぐ
何かが起こってお前はオズワルドにされる」と告げる。そしてパレード中に首相暗殺。なぜか警察は青柳を
標的に追ってくるのだった。「とにかく逃げろ!」旧友の言葉を胸に青柳は訳もわからず走り出した。
小さい頃に得体の知れない何かに追われている夢を見ることが度々あって、捕まったら終わりだと
いうように必死で草むらや町を逃げてる夢なのだけど、あの恐怖感・切迫感に似たような物語ですね。
監視システム「セキュリティポッド」もあり、携帯も知人はすべて押さえられ、過去に会った人すら
回し者だったり…そんな巨大な思惑に八方ふさがりで立ち向かう一人の青年、ハリウッド映画さながらの
直球である。物語自体は一本の太い木なんだけどその周囲を彩る枝葉が華やか。逃亡しながら過去の
思い出が舞い込んできて、そしてその過去が様々な人間を動かして現在の青柳に力を与えていく。
脇役も魅力満載、元彼とその子供や連続刺殺犯にいたるまで関わる無駄な脇役が皆無なほどの濃さ。
そこで感じられるのは、逃亡者・青柳がいろんな思い出や信頼を持って生きているのだということ。
だから青柳の疾走感とともにいつもの清々しい風を感じてニヤリと嬉しくなるのだ。「個人VS巨大な流れ」や
情報に翻弄される者への批判など「魔王」っぽいかなという点もあるけど、基本はノンストップの逃亡劇。
過去を交える手法だけど惑わせる構成より引っ張る構成という感じ。人物の会話や癖、思い出が
他の人の物語を支えるいつもの手腕が発揮され、エピローグで最高潮に。おもしろくて快い気分で
本を閉じる瞬間を迎えること間違いなしである。超オススメ!バカパク(10・10)満点だぁ!
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「モダンタイムス」 伊坂幸太郎 ★★★☆
---講談社・08年---
先輩が仕事の途中で姿を消し後を受けたSEの僕と大石だが、相手先も仕事内容も謎が多いため
調べを進めた。どうやら以前に大量殺戮事件の起こった「播磨崎中学校」と「個別カウンセリング」や
特定名をネット検索するとチェックしてくる機能で、検索すると酷い目に遭うケースが多いのだった。
「魔王」世界の何十年後かの話で、特殊な能力がちらっと出ます。井坂好太郎なる友人の作家と
大石倉之助と拷問屋の男と世にも恐ろしい僕の妻が活躍する物語である。ネット検索を
チェックするからには、武装集団による殺戮が起こり永嶋丈という用務員の活躍により解決した
「播磨崎中学校事件」の裏に何かある、と思い調査するもどこかで監視されてるのか襲われるわ
拷問されるわ。相手が「国家」という大きな存在の手先みたいな輩で、それに抗いながら逆襲する話。
「魔王」と「ゴールデンスランバー」を足したような雰囲気ですね。世の中には“そういうことになっている”
ことが多くて、個人には全体像は計り知れなくて、どんどん想像力が無くなっていく。でもそんなんで
いいのかよ。見て見ぬふりでいいのかよ。そんなメッセージを振り撒きながら進んでいく。僕達が辿り
着いた先にも国家の親玉がいるんじゃなくてシステムの一部があるだけなんだ。って社会や国の
得体の知れなさを匂わせている物語だと思った。しかしおもろいかっていうとイマイチ。調査して
真相が少しずつわかって…という単純な構造でいつもみたくスピード感がないしエピソードの
絡まりが少なくスカッとさわやかな風が来ない。国家のシステムとか同じ説明が多すぎる気が…。
※上記の単語で検索すると講談社によるニセモノ出会い系サイトあり(笑)。読後にどうぞ※
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「ぶらんこ乗り」 いしいしんじ ★★★☆
---理論社、新潮文庫・00年---
今はもういない私の弟のノートが見つかった。頭が良くて話を創作するのが上手かった弟、
事故で声が傷つけられ、動物と話ができるようになったという弟。大人びて不思議なぶらんこ乗り
だった。残された弟のノートには今までの家族の生活と様々な物語が詰まっていた。
姉の語り文体で綴られる風変わりな弟との回顧録のような話で、合間に何編も弟が創作したらしい
短い童話が挿入されているのだが、これが絶品だった。一編はすぐ終わるのに淡々とした物悲しさが
漂う童話らしい簡潔さは上手い。中でも「歌う郵便配達」が最高傑作だ。本編より面白い気がする(笑)
本編の方はラストシーンこそ清冽で印象的だが全体的にはそれなりに優しい話という印象で、童話で
見られる才能からすればもっと凡庸ではない物が書けると思うんだが期待しすぎだろうか。しかし
全体と通じて不思議な感覚のある小説だった。夜にブランコにやってくるらしい動物や、半身の毛が
抜けていて伝言板のように落書きされる「指の音」という名の犬、そして頭のいい弟…この物語自体が
大きな童話であるように感じられるような感覚がある。不思議な匂いの新しい風を運んでくる作家だ。
平仮名が多いので児童文学なのであろうが大人も十分楽しめる。
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「絵描きの植田さん」 作=いしいしんじ 絵=植田真 ★★★☆
---ポプラ社・03年---
事故によってほとんど耳が聞こえなくなった絵描きの植田さん、ある時隣の山荘にイルマとメリの
母娘が移ってきた。元気な娘のメリと仲良くなった植田さん…しかしある時メリが森で遭難してしまう。
十人読めば十人とも「温かくていいお話ですね」と言ってしまいそうな内容。植田さんの住む村は
純朴な人々ばかりで、優しさと綺麗な鳥たちと自然に囲まれた生活…と人間の理想を絵に描いたような
不快な所が一切ない環境が描かれる。物語も温かいし作品中で登場する植田さんの絵が挿絵として
登場するのも面白い。植田真氏が主人公「植田さん」のモデルってことなんでしょう。そんなに長くないので
読みやすいし、癖のない暖かな話なので苦手に感じる人はいないんじゃないかな。小中学生でも
楽しめると思う。ただ普通にいい話すぎてずっと心に残ることはなさそう。以前に読んだ
「白の鳥と黒の鳥」↓では圧倒される想像力という凄みがあっただけに今回はやや物足りなかった。
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「白の鳥と黒の鳥」 いしいしんじ ★★★☆
---角川書店・05年---
19編の短編集。宮沢賢治っぽいと聞いていたが、なるほどと納得してしまう想像力に溢れた小説だ。
「緑」「茶」「桜」などの色や花が意識を持ち、花見客を前に愚痴を言い合う(緑は青が嫌いらしい(笑))という
設定がおかしい「緑春」のような話があるかと思えば、村人が次々と顔を盗まれるという騒動を描いた
奇妙系の話もあったし、オカマの生活の一部を切り取っただけのような短編もあった。私のお気に入りは
最初の「肉屋おうむ」、動物の鳴き真似がうまい肉屋のオヤジと「ラー!」しか言わない息子…親から子へ
繋がることの力強さを童話風でサラリと書いている。19編とも「不思議と不気味」が入り混じった
様々な世界が詰まった玉手箱のような短編集だ。前半は作者の想像力が行き過ぎなのかサッパリ
わからない話が多くて眠かったが総じて楽しめた。自由すぎるのが欠点だが、一編ごとに夢の世界を
漂っているようで味わい深い感触をもたらした。想像力の固まりのような短編集である。
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「雪屋のロッスさん」 いしいしんじ ★★★★
---メディアファクトリー・06年---
三十編の短編集。長くても10ページないんじゃないかな。小粒の連続劇であった。
一つに一つの主人公。タクシー運転手、風呂屋、ポリバケツや街道が主役なんていうのもあって
童話のような作者の世界が広がります。「こんな人がいて、彼の人生ではこんなことが起こって
彼はこうなりましたとさ」といった感じで、心理描写を減らし主人公達の人生に起こった事実のみを
淡々と語る寝物語のような感覚に浸れる。臆病者の見張り番が失敗したことで人を死なせてしまい
深く後悔し自分の人生をかけて立ち上がる気高さを持つ物語、八百万の神々の声が聞こえるがために
生活が大変な神主さんのおかしな物語、津波に家族を失われて以降海辺に暮らし玩具を造り続ける男の
一生の物語などなどみんな自分だけの「やるべき仕事」を持っててそれが生き様って感じに思える。
各エピソードも面白い。不思議・愉快・寂しい物語、いろいろあるけど作者特有の人生を達観したような
落ち着いた視点が童話風の作風に合致してるんだろう。 たった2ページのじゃがいもの話にここまで
じーんと来る作家なんて他にいるだろうか。一編一編はやわらかな気持ちで気軽に読めるのに
結構印象に残る一冊である。ところで「なぞタクシー」の最後の答えは「マトリョーシカ」と
想像してるけどそれでいいんでしょうか??ロシアっぽい名前だし。陳腐すぎますかね〜?
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「BG、あるいは死せるカイニス」 石持浅海 ★★★
---東京創元社・04年---
優等生の姉が殺されて発見された。しかも服をはだけられまるでレイプされたような姿だった。
人間は皆女性として生まれ、その後一部の優れた女性が男性化するという女性が大多数を占める世界では
女性のレイプ被害などあり得ないのに…一体なぜ?そして事件の周りで聞こえるBGという言葉とは?
デビュー以来三作連続でペンション・飛行機・水族館と閉ざされた舞台を設定し警察の介入なしで
内部の人間による本格によるドラマを作ってきた作者であるが、本書は毛色が違った。学校が
舞台だがそこに留まらず、より複雑なSF設定を使ってきたのだ。上記の通りの女性主流の何とも
不思議な設定を生かしてのミステリだ。といっても女子校って感じしかしないので読みにくくはない。
しかし前三作に比べると本格としての魅力は半減したように感じた。本格の魅力といえば様々な
事実の断片をキレイなパズルとして組み合わせる見事さにあるが本書では確実性に欠けるような
言葉尻を捕まえるような部分が推理の多くを担うので美しさが少なく思えた。前三作のほうが
美しかったです。設定に喰われた感がありますね。ただ本書は本格以外にも設定の面白さがあるので
興味を持てそうなら読んでもいいかもしれない。女性がどう感じるのかも私にはわからないし。
女性ばかりの世界、男性化する女性…個人的には宝塚を想像して不気味に思えたぞ。
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「セリヌンティウスの舟」 石持浅海 ★★☆
---光文社カッパノベルス・05年---
荒れた海で遭難したことをキッカケに信頼が生まれたダイビング仲間の六人。うち一人が青酸カリを
飲んで自殺した。しかしその後集まった残り五人は当時の写真を見て疑惑の海に落とされた。
青酸カリのキャップが閉まっている…。これは何を意味するのか。自殺なのか?協力者はいたのか?
今回はマンションの一室を舞台にした会話中心の推理劇である。一つの事件について議論が
続く駆け引きや疑心は本格推理らしくて毎回おもしろい。が、本書はイマイチ。まず遭難した六人の
信頼しきった関係という世界が観念的すぎでサッパリ共感できないし、遭難して一体感を感じたことで
得られたらしい「死に魅入られた」感覚ってのもサッパリ。推理の手掛かりも根拠が薄すぎ。恋愛関係
でもなきゃ女性の胸に手を当てづらい…って何すか。脈を調べりゃいいんじゃないの?それに死が
かかってんだからそこまで拘泥しないよ。スラスラ読めるし続きは気になるんだけれども同じような
議論ばかりで先に進まなくてつらい。動機も展開も納得できないことだらけだし〜すごい消化不良。
「推理劇っぽい作風が好き」ということ以外は、ファンであってもあまり褒めるところが無くて困った。
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「扉は閉ざされたまま」 石持浅海 ★★★★
---祥伝社ノンノベル・05年、このミス2位、文春5位---
大学の同窓会が開かれることになった成城にあるペンション。後輩の新山を殺害することを
計画通りに実行した伏見。外部からの侵入を拒否する密室を前に、メンバー達は新山の安否を
気遣うばかりであった。果たして伏見の完全犯罪はなるのか?そして密室の狙いとは…?
著者お得意の「特定の場所における推理劇」である。本格ミステリらしさだけ取り出したような
シンプルな面白さが魅力だ。本書では犯人の視点から描かれるスタイルのため犯人当てとは違うが
魅力は損なわれていない。閉ざされた扉の内側をメンバー達が推理していくだけなのだがその過程が
面白いからだ。犯行の様子まで冒頭から細かく明かされ、犯人は仲間内で話す時に一字一句にまで
気を遣い、一つの事実を突き詰めれば一つの事実が浮かび上がる。こうした過程を細かく説明するのが
上手いからだと思う。さらには犯人の計算高さと仲間の観察眼という冷静な二人の対決がスリリングで
魅力だった。犯人は明かされていたけど「密室の意味」という解答が待っているのも楽しみの一つ。
シンプルに美しく…重さは全然ないけど毎回「こういう推理劇っていいな」と思える。結局のところ
最後まで扉を開かずに走りきったし飽きることなく読めた。本格推理が好きな人にはうってつけ。
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「顔のない敵」 石持浅海 ★★☆
---光文社・カッパノベルス、06年---
七編の短編集。うち六編が地雷関連の物語。地雷を知ってもらうためのイベントで再現された
地雷原、音が鳴る仕掛けのはずが本物が紛れ込み主催者の一人が死んでしまう…「地雷原突破」。
各地に残る地雷と、それを除去するNGO団体に対する作者の思いが伝わるような短編集であるが
ミステリ度でいうと貧弱でないかな?謎解きの理屈は合っているけど、いつものことだけど動機に
納得がいかないし(笑)そんなことをしなけりゃならんという説得力が無いというか…うそ臭い。
地雷除去という素敵な活動をしているのに反面で自分勝手な考えを起こすし人を殺しちゃうし、
なんだかんだ人が死んでるのに前向きにまとめるのも嫌だぁ〜!地雷が登場する特異な環境や
エレベーターの中で一人が刺殺される状況など、本格らしい面白い設定はいいんですけどねぇ。
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「君の望む死に方」 石持浅海 ★★★★
---祥伝社ノンノベル・08年---
余命6ヶ月と宣告された社長・日向は、研修の名目で4人の社員と知人を保養所に招いた。
毎年お見合い目的で開く研修だが、今回は殺害の動機を持つ社員・梶間に自分を殺させる
目的もあった。それとなく舞台を整えた日向だったが、その舞台に違和感を持つ女性が現れた。
前作「扉は閉ざされたまま」と同じタッチの表紙、内容以前にこれが何となく好きです。
今回も変化球。1ページ目で人が死んでいると通報があったことのみ示されて、残りはそこに
いたるまでの過程だけ。有能な社員同士をくっつけようという目的ながら、研修だと思っているから
いいとこ見せようと頑張る社員もいて、その横では殺そうとしたり殺させようとしたり、その意図に
気づいたり…と各々が腹の内を隠しあってるところが、大したことが起こらなくても面白く読める。
人を殺す重みやリスク、殺される恐怖などをまったく排除して、計算や推理のみが淡々と展開される
前回同様の舞台劇のようなところがサバサバしたところが読みやすくて好ましい。
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「羊の目」 伊集院静 ★★★☆
---文藝春秋・08年---
夜鷹の女が産んだ武美は侠客の家で育てられた。浜嶋組の有望株として侠客の掟を
信じる武美。親のために組のために人を殺し続けた。関西の四宮組との抗争を経て武美は
アメリカへ渡る。生まれついての侠客だった武美は何を信じ、どこへ行き着いたのだろうか。
全部で七編あって独自の物語となっているのだけど、どこかで武美が登場する。ある人は
男気に感銘するし、ある人は恐ろしい男だと思い、ある人は迷える子羊だと思う。様々な視点から
映し出される武美の内面ははっきりとはわからない。キリスト教に触れ、信じてきた掟と罪の間で
悩んでいる様子も窺えるが深くは描写されない。遠巻きに見ているような感じで、武美の凄まじい
生涯を描いている。流れ流れてついにはアメリカの刑務所の奥の独房で保護され、刑務所内で
修羅を生き抜いた日本の殺し屋がいるという伝説まで生んだから気づけば規模のデカい話である。
しかし章によっては武美がほとんど出ない章もあるので、武美の生涯プラス時代を生きた侠客達の
世界を並行して描いたとも言えそうだ。親と子、抗争、裏切り、出し抜き。相手を逃がさない執念。
黒々とした裏の世界の昭和である。そこが主人公の武美を突き放しすぎた感があって物足りなく
思えた部分もあった。あえてそう書いてるんだろうけど、親を信じることに迷いはないのかとか
晩年の武美は何を思って礼拝堂を築いたのか、迷いか決意か胸の内をもっと知りたいと思った。
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「虐殺器官」 伊藤計劃 ★★☆
---早川書房・07年---
テロの脅威により個別の認証が厳しくなった近未来。アメリカの暗殺部隊のシェパードは各地で
頻発する虐殺を止める暗殺指令を続けていた。しかし毎回虐殺に関わっていながら逃れている
ジョン・ポールという人物がいた。彼はなぜ、どうやって虐殺を引き起こすのか。
どこへ行っても認証が必要というSF世界。軍でも空からの着地の際は人工筋肉がクッション材の
役割をし、戦闘においては肉体的にも精神的にも苦痛を和らげたりできる。そんな世界観だけでも
楽しめる人はいるかも。ジョン・ポールの虐殺の謎を追いながら、母を命を絶ったことで、殺すことと
責任について思考するシェパードの懊悩もつづられていく。ドライに仕事をする派手さを持った本だけど、
思索の方が際立ったかな?虐殺に関するアイディアは面白いけど、物語を素直に楽しめなかったな。
何よりも軍事系の言葉が面倒くさい。戦闘継続性技術(パーシステンスインコンバット)みたいなルビが多数。
SOCOM、PMF…ええい、面倒くさい!途中からそれが何だったかわかんなくなったよ。
軍事系のSF系みたいなのが好みの人には合うのかな?私は性に合わん。
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「袋小路の男」 絲山秋子 ★★★
---講談社・04年、川端康成賞・本屋大賞4位---
高校の頃に出会った小田切孝が好きな私。向こうにそんな気は無いのだが、恋人でもない
状態のままダラダラと十年程も友人のような関係が続いていった。表題作の続編含む三編。
二人の関係は友人のようなもので清らかで素敵な関係に聞こえるかもしれないが、小田切孝は
主人公の好意を知りつつおちょくっているようであるし、そんな小田切を好きであり続けこの関係でも
いいのだと思う主人公も共感できなかった。というかやや不愉快。 女性とちょっと変わった男性の関係は
女性作家がよく書く構図で、私としてはあまり見分けがつかんのだが本書も特出した印象がなかった。
むしろ全然関係ない「アーリオオーリオ」という短編に魅かれた。哲という男性が姪っ子と文通する話で
宇宙や星を介在したやり取りで姪っ子が変化していく過程の話である。やけに純粋さを残す姪と
それに付き合う叔父という関係、そして星の話、ほほえましくて清らかである。三編で160Pすぐ読める。
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「逃亡くそたわけ」 絲山秋子 ★★★
---中央公論新社・05年---
病院にいると狂ってしまう。精神病院を抜け出すことにした「花ちゃん」とそれに付き合わされる
「なごやん」の二人。幻聴は聞こえるし追われてるであろう不安もあるけど、九州を車で逃げることに。
直木賞落選記念に読んでみた。主人公二人の性格が面白く作られていて、時折見られる間の抜けた
会話がおかしい。九州大好きな花ちゃんに名古屋生まれなのに東京に拘るなごやんの対比がしょーもなくて
笑いを誘う。内容はずっと逃走劇だが、名所を回ってたり差し迫った雰囲気はなし。大事件というほどの
事件もないが、精神に変調をきたしたり食い逃げしたりする程度のトラブルはいっぱいだ。どこかとぼけてて
だらだらと進む感じが長嶋有の小説を思わせる雰囲気。小道具や会話など所々は面白いんだけれども
ストーリーに単調な感があるのは否定できないか。だから何なの?って言われればそれまでである。
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「世界の終わり、あるいは始まり」 歌野昌午 ★★★
---角川書店・02年---
子供が誘拐され少額の身代金を要求してくる事件が続いていた。いずれも子供が殺害される
残虐な手口であった。会社員の富樫は息子の部屋から誘拐事件にかかわる物を発見してしまい
息子に対する疑惑を強めていく。そして疑惑が高まり、富樫は頭の中で逃げ道を探リ始める。
うーん。長いわりには結末での納得は少ないなぁ。息子への疑惑で頭がいっぱいになった
父親が脳内シュミレーションする内容だけれど、途中から「まさかこのままこんな感じで終わるん
じゃないだろうな」という予想があって、特に裏切られるわけでもなかったので残念。疑惑に膨らんだ
父親の想像はどれも恐ろしいけどね。あってほしくはないけどありえる「まさか」なのでリアルで怖いです。
でもやっぱりアイデア勝負が先行してる感が否めないかも。なんかもったいないです。
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「沈黙」 遠藤周作 ★★★?
---新潮社・66年、谷崎潤一郎賞---
日本に行っていたフェレイラ教父が棄教したという情報がローマ教会に入った。フェレイラの弟子達は
師を探すため、そして布教のため日本を訪れることにした。しかしキリシタンが厳しく弾圧された日本では
信徒達が拷問を受けるような状態。それでも沈黙を続ける神にロドリゴは信仰心が揺らいでしまう。
あぁ難しい。どこまで理解しているか怪しいものだ。主題は「神の沈黙」…信仰心を持つ者たちが
卑劣な拷問を受けても沈黙する神への疑惑や、誰かを命がかかった状態での踏絵などに対する
司教の懊悩が描かれる。ただ私は一神教の教徒ではないので司教の心理が理解しにくかった。
正は普遍であり日本でもキリストは正であると言うほどの自信を持っている一方、司教でさえ信仰の
根源である神に対する苦悩があるという矛盾点が理解しがたいのだ。信仰とは命を賭して守るべきもの
なのか、命あっての信仰であり何かのためなら許されるのか…そんな揺れ動く心理描写はうまいのだが
結局一神教ではない日本人の目でしか感じられず痛感するほど理解はしてないような感じがした。
同様に沈黙への疑惑の恐ろしさも背教の心理もやはり漠然としかつかめなかったようだ。なので
踏絵の時の声や、沈黙に対するロドリゴの答え(最後の)は都合の良い解釈に思えてしまったのだが
これもキリシタンにとっての切実な悩みに対する作者の勇気ある一つの回答ということなのだろうか。
考えることは多々あったが自分にはこの本を理解するだけの宗教そのものに対する理解に乏しい。
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「夫婦の一日」 遠藤周作 ★★★
---新潮社・97年---
五編の短編集。表題作→夫の身体が心配で占い師を訪ねた妻。鳥取を訪れないと悪いことが
起こるから一緒に鳥取へ行こうと夫に言う。しかし夫婦ともにカトリック、「そんな所へ行って
どうする」と夫は妻を叱るのだが妻は折れない。困った夫は神父に相談に行ったのだが…。
表題作以外では人間の闇に苦悩する主人公の話が多い。親類の男が行った残酷な行為に対する
心理・欲望が自身にもあるのではないか、また老いて醜くなった自分が若者へ嫉妬する気持ちから
蹂躙したくなる心理などを描いている。しかしそこは遠藤周作。「どうして神は…」というキリスト教的な
悩みへと変換してしまう。その辺がキリスト教ではない者にはピンと来なくて困惑した。一体宗教とは
苦悩に対する闘争やら逃走やら判らなくなる。最後の「日本の聖女」は細川ガラシャを描いたもの。
キリスト教の弾圧に対する姿勢について、棄教のふりをして内心闘うか棄教せず細々生きるかの対比や
日本におけるキリスト教思想の違和感など「沈黙」でも扱われた題材があった。プチ沈黙というところか。
五編とも短くわかりやすい。作者に苦手意識のある人にも取りやすいと思うがやや物足りない感もあり。
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「野火」 大岡昇平 ★★★☆
---創元社(新潮文庫)・52年、読売文学賞---
敗戦が見えていたフィリピンで、田村一等兵は隊から追い出されてしまう。死を覚悟して歩き出し
病院の前で屯する者達と行動を共にするが、やがて散り散りになる。飢えと空腹に苛まれながら
彷徨ううち死にかけの将校と出会う。オレが死んだら食ってもいいぞ、と田村に告げて死んだ。
現在戦後生まれの古処誠二が戦争小説を書いているが、その先駆け、現役世代の戦争小説である。
極限ではあるが、体験したから書けるその心理が冷静に綴られている。死を覚悟した時、通っている道に
もうこの道は二度と通らないことを感じ、生きることとは繰り返すことを意識する事だという感覚が
印象に残った。これは人肉ではないかという予期をしていながら「猿の肉」を食べてしまう心理などは
信仰や倫理と、生存への意識の対立なのだろう。極限では何を正しいとするのか、それが一人一人の
行動に直結することが読める。厳しい特殊環境でないと浮き彫りにならない人間の思想というものが
読める点が戦争小説の秀でた点だと思う。殺すこと、食べること、生き残ることについて様々な思考が
存在するなか主人公がキリシタンの思想を持っていることが引っ掛かった。多くの日本人にはピンと
来ないのではないか。結局「神はなぜ…」という信仰に帰結してしまう。やはりどうも苦手である。
もし信仰の薄い日本人だったらどう思考するだろう、そのほうが私は知りたい。
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「孤独か、それに等しいもの」 大崎善生 ★★★☆
---角川書店・04年---
五編からなる短編集。「その八月の日の朝、私は確実に何かを失おうとしていた。」久しぶりの
大崎作品だがのっけから作者特有の静かで柔らかな文章が染み渡る。一行ずつちゃんと読まされて
しまう感覚は大崎善生でしか味わえなくて好みなのだ。内容も作者らしい題材が多く、昔死んだ
ボーイフレンドの思い出や「魂の籠」に捕らわれていると感じ塞いでしまう女性など追憶と葛藤を
現在・記憶を交互に静かに描いている。まるで客観視しているような目線が良い。捕らわれた過去を
自分で処理しようとする内面をうまく描いた短編集だ。…さて、とりあえず褒める箇所を褒めてみたが
実は私の読後感はスッキリしなかったのだ。喪失さえも美しい文章と穏やかな視線で浄化させる感覚を
もたらす作者だがこの短編に登場する人物の苦しみ嘔吐する姿が痛々しすぎたからかもしれない。
ラストが良くても全体の重さを覆せなかった感じだ。共感もしづらかったし。ところで本書には今までと
大きく異なる特徴がある。短編五つのうち三つの主人公が女性なのだ。今までの生真面目で
不器用な男性像が好きだったせいか、私は「九月の四分の一」以前の作品と比べると本書は
イマイチなのだがひょっとしたら女性ファンにとっては入りやすいのかも。どうだろうか?
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「ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶」 大崎善生 ★★★
---新潮社・05年---
四編の短編集。どれも主人公は若い女性で、短期間つきあった男の言葉や存在が心に残る話。
茫洋としていた時期に波紋を残していった男の思い出が、ヨーロッパの風景をバックに描かれる。
う〜ん、タイトルがずんずん長くなり内容がずんずんイマイチになっているような気がする。
主人公が女性であることが要因なのか心情が浸透してこないんだよなぁ。まず何故にその男達に
魅了されるのかが全く分からない。文章の静けさは確かに作者なんだけど比喩連発は好かない。
エロ描写も今回は全然意味が伝わらなくて単なるエロ女なのではと思えたぞ。綺麗な文章の向こうに
「死」や「暖かな記憶」が見えると良いんだけど…本書はそういう深いテーマが何もないように思えた。
印象的なヨーロッパ風景や熱帯魚の話といった小道具も勿体無い。ものすごく普通な印象。
本書の短編「キャトルセプタンブル」は「九月の四分の一」の姉妹編でファンには嬉しい。
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「スワンソング」 大崎善生 ★★★
---角川書店・07年---
同じ会社で由香という女性と付き合っていた僕は、アルバイトの由布子に魅かれ付き合い始める。
由香の視線に耐えかね精神を病んだ由布子の世話をし続ける僕。由香と由布子と僕は三角関係の
出口がわからぬまま消耗していく。三人の気持ちはいつ暗闇から脱却できるのであろうか。
ハッキリ別れずぐねぐねと別の女に惚れる主人公も気に食わないし、辛いことがあると自暴自棄に
なっちゃってレタス食ったり体を売ったりする女も気に食わない。なんかもう勝手にすれば?と
言いたくなる奴らなんである。いくらなんでもセリフが気障ったらしすぎるしな。かゆいわ。さすがに。
しかし物語の構成や、祖母が切る薔薇や双子の魂などエピソードの絡め方なんかは良い頃に
似てたかも。しかしプライドのせいかネチネチ引きずったり、内へ内へ暗い方向へ引きこもって
鬱々とされても「どうして人間ってこうも切ないのかしら」などとはならない。「みっともないから
やめろや」と言いたくなるのである。登場人物が優しいふりをするだけでやってることはちっとも
誠実ではなく自己中なので共感しにくい。文章の雰囲気である程度ごまかされて読んじゃうけど。
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「撓田村事件-iの遠近法的倒錯-」 小川勝己 ★★★
---新潮社・02年---
村の伝説のように下半身が千切られた死体が木の上で発見された。被害者は東京から転校してきた
朝霧家の親戚の中学生。狭い村の中で起こる事件に、過去の出来事の関係者も多く存在していた。
朝霧家の血筋を巡るトラブルなのか、まったく別なのか。騒然とする中第二の事件が起こる。
きっとこれは横溝正史ファンにはオススメなんだろうなぁ。言い伝えに村の中の大きな一族だしなぁ。
昭和初期かっ!と突っ込みを入れたい。でも個人的にNG。詰め込みすぎじゃないのかなぁ。人が多くて
さらにそれが誰の血筋を受け継いで…とかって図にでも書かんと覚えれんし、それを推測して解明せよ
なんて無理だろう。見立て・オカルト・過去の事件の真相まで絡んでややこしすぎる。死体の見立てにしたって
無理矢理くっつけたみたいな真相だもんね。だから何なの?って。てんこ盛りのわりに必然的にすべてが
リンクしてないのが残念。横溝っぽい作風ではあったが主人公が少年で誰のことが好きで、でもあの子は
誰が好きだから…といった甘酸っぱい雰囲気もありましたね。智明君とその周囲のクラスメート達の
関わりがとてもホントっぽくて素晴らしいと思った。くだけた雰囲気のよそもの男もいるし、堅苦しくなくて
文章自体はグイグイ読める。キャラクターのわかりやすさとかミステリと無縁のところでハイレベルな作品。
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「ぼくらはみんな閉じている」 小川勝己 ★★★
---新潮社・03年---
若い男と寝ている自分の妻にしか興奮しない夫は盗撮を始めるが、男が別れるつもりだと知り
凶行に走る「視線の快楽」、巨乳の女に惚れた男は、犬と呼ばれて女に飼われはじめる。
女の咀嚼したものを食べる男は、女無しでは生きられなくなり…「乳房男」など九編。
冒頭から老いた父の看病をしている娘なので油断して読んでたら「父の苦しむ姿を眺めるのが
楽しいのだ」などと言い出していきなりドス黒い作風に取り込まれちゃった。基本的に九編とも
誰かが狂ってる内容でした。欲望や妄想のブレーキが壊れたらどうなるかっていう話ばかり。
ひどすぎない程度には十分グロいと思うけれども、読みやすくてさらっと読めてしまいました。
「胡鬼板心中」だけ昭和の最初の頃の話で芸術家としての業に取り付かれた男達が描かれて
ちょっとシブい内容でいいかも。自分の母親と同じくらいの年齢の太った女性と酔って寝てしまい
女性がストーカー化してどこへも出没する「好き好き大好き」が一番ありそうで怖いかも。
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「密やかな結晶」 小川洋子 ★★★★+
---講談社・94年---
その島は突然に何かが消失する場所。鳥・楽器・本…消失した物を見ても人々は感慨も記憶も
思い出も感じなくなる島だった。そうして島からは次々と物がなくなっていった。島には記憶を
保ち続ける者達もいたが、彼らは秘密警察による「記憶狩り」によって捕えられてしまうのだ。
喪失することが当たり前で、喪失したものの記憶がないから悲しくはない。「喪失の悲しみ」の喪失は
悲しいことだろうか(ややこしい…)。人は思い出があるから悲しく、そしてそれを制御して前に進まねば
ならないが、喪失と同時に忘れるのはもっと寂しいことではないのかなと本書を読んで感じた。記憶を持つ
我々は何もないことを一番恐ろしくて寂しく思うのかもしれない。作者は本書で普段は悲しいだけの喪失を
違う角度で表現してみせた。不思議な島の魅力と、喪失への複雑な思いが存分に味わえた一冊である。
島の雰囲気が静かな筆致で描かれ、作品の背景が無音なのだろうと感じられる文章の質感が漂う
見事さもあった。あと代表作「博士の〜」でも感じたが、作者はおじいさんの描き方がうまいようで
本書でもとても素敵な老人が登場した。淡々とした物語の中で彼の謙虚な優しさは際だっていた。
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「寡黙な死骸 みだらな弔い」 小川洋子 ★★★★☆
---実業之日本社(中公文庫)・98年---
心臓を入れるための鞄を製作する職人の葛藤、拷問博物館を訪れた女性、そこで働く男の一生、
ホテルの紹介記事を書きに来た男と謎の老婆の一時、11存在する物語が所々で絡み合う連作集。
この感覚好きだな〜と思わずにやけてしまう静けさだ。死や遠い過去が絡むためかもしれないが
文字から静謐な世界観が滲み出ている。すべての短編が無音であるように感じられ、ゆるく優しい反面
ひんやりとした手触り…さらに国籍も時代さえもハッキリしないような感覚。文字だけでこの空間を作れる
作者の力量は素晴らしいと思う。冷蔵庫で死んでいる子供の、博物館をやめゴミで埋もれた部屋で
甥の訪問を喜ぶ老人の、思い出の中の母親の、なんと厳かで儚いことだろう。気づけばこの世界に
ドップリ浸かってしまっていた。電車が停まってる間に男が回想するだけの話もあるし、人を殺すゾッと
する話もある。でもテンポも感覚も不変なのが悦楽をもたらす本書。各編が短いこともあり読み始めたら
止まらなかった。さらに本書には面白い仕掛けも存在する。それは物語同士の微細な繋がり具合である。
子供を亡くした女性が洋菓子店を訪れた話があったと思えば、次の短編はその洋菓子店の店員が顔を出し
ある短編の中ではある短編が誰かの創作小説となっている。一つ一つは独立だが脇役としてまた道具として
各短編が繋がっているのが不思議な感覚だ。小川洋子の世界と短編好きにはもってこいの奇妙な一冊。
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「まぶた」 小川洋子 ★★★☆
---新潮社・01年---
八編の短編集。「飛行機の中で眠るのは難しい」→私は飛行機の中で隣席の男に話しかけられた。
男は以前飛行機で出会った老女の話を始める。彼女は異国の文通相手の墓参りの帰りだった。
文通相手は自分を偽っていたけれど、老女は幸せそうだった。「バックストローク」→水泳の背泳ぎ
専門の選手だった弟が、ある日を境に左腕をピンと上げたままになってしまう。弟はプールに
入らなくなった。弟の水泳が生き甲斐だった母はおかしくなった。数年が経ち、血行が悪く黒ずんでも
弟の腕はそのままだった。私が二十三になった誕生日、プレゼントに泳ぐ姿が見たいと弟に言った…。
作者らしい冷ややかで柔らかい世界である。気持ち悪い場面や人の死が扱われるけど全体的に
非常に静かな小川節である。料理教室での排水管の清掃、年の差カップルとまぶたの切られた
ハムスター、匂いを収集する彼女の秘密…不思議と冷酷が漂う短編集である。起承転結を求める
読者は「だから何だ」と思うかもしれない。しかしこれが作者の味。奇妙な物語を切り取って一枚の
絵画に収めたような、短い物語の一場面だからこそ人間の生の温かさや、逆に寂しさを僅かに
感じられることもあるのだ。もちろん一枚の絵画としても味わい深いのだけれど。評価は三ツ星半。
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「ブラフマンの埋葬」 小川洋子 ★★★
---講談社・04年、泉鏡花文学賞---
彫刻家や演奏者など様々な種類の芸術家達が集まる場所で管理人の仕事をしている僕、
怪我をした動物がやってきた。僕はそれにブラフマンと名付け一緒に暮らすことにした。
物語の意図が特にわからず、ただそこにぽつんと存在するような作者特有の世界観。
無国籍なイメージ。<レース編み作家><ホルン奏者>といった個人の無さ。ブラフマンの末路や
娘に対する思いが遂げられない<僕>の大人げの無い発言などちょっとした毒も感じられる。
小川ファンには慣れ親しんだ雰囲気だ。この味わいは好きだけど、一冊の本としてはパワー不足
じゃないかな。描写だけで正体が明かされぬブラフマンが気になります。短いのですぐ終わる。
起伏も少ないしね。小川ファンが小腹がすいたときにつまみぐいするくらいでいい作品。
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「ミーナの行進」 小川洋子 ★★★★
---中央公論新社・06年、谷崎潤一郎賞、本屋大賞7位---
しばらくの間、叔母の家で住むことになった朋子。その叔母の家は豪邸、ドイツ人の祖母と
元気なお手伝いの米田さん、病弱なミーナ、そして池にはカバのポチ子…。五輪の男子バレーに
淡い初恋、ミーナの書くマッチ箱の物語、芦屋で過ごした思い出は朋子の心に変わらずに存在する。
家は豪華だが綴られる出来事はごくごく普通のことだったりする。しかしこの頃の出来事というのは
しっかりと根を下ろすものである。仲良かった子や家族との出来事や熱中していたことの記憶が
温かく紡がれていくのだ。家族全員、起こったことすべてが完成された一枚の写真のような思い出
なんだろう。職務に忠実だったタイワンザルのエピソードが、カバのポチ子の背に乗り登校する
ミーナの姿が、流れ星を見にいった夜が、そっと閉まっておきたいマッチ箱のように大事な記憶。
素敵な家と家族達に囲まれた朋子が羨ましい限りである。何かと記憶に関して書く作者だが本書は
真っ当な温かい思い出という記憶を描いた。ひねりはないけど上手いからね、文句は出ないさ。
しかしポチ子はかわいいなぁ。でもずっと芦屋で暮らして幸せだったかなぁ。どっちなんやろなぁ。
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「夜明けの縁をさ迷う人々」 小川洋子 ★★★☆
---角川書店・07年---
グラウンドの片隅で椅子の上に逆立ちし続ける曲芸師と野球少年の些細な関わり、エレベーターで生まれ
そこに住みエレベーターボーイとして働くEB、流した涙を楽器にかけると音色がよくなる涙売りの女と
関節を鳴らす男の恋などを収めた九編。同じ世界に住む別種の世界の住人、人の世界に立ち入らずに
互いに影響しあう作者特有の心地良い奇妙な空間ですね。何か目的のためだけに生きてる童話のような
登場人物も多いが、どこか寂しげで冷酷だ。エレベーターボーイはそこでしか生きられないし、さびれた家に
住んでいた曲芸師は野球少年にライト前へのヒットを与えただけかもしれない。指圧師に作家だった祖父の
話をして死んだ女は、指圧師の人生を何も変えてはいない。ただ何かを語っただけなのだ。でもその誰かの
物語は確実に誰かの中に蓄積されていく。そんな物語作家としての雰囲気がある、夜明けの前の薄暗がりが
よく似合う短編集である。全体的に奇妙系の話に終始するが、本書は野球ネタが二つあった。最近増えてる?
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「僕たちの戦争」 荻原浩 ★★★☆
---双葉社・04年---
サーフィン中に波にのまれた健太が目を覚ました先は戦争中の日本だった…そして一方では戦闘機で
墜落した吾一が戦争で負けた五十年後の未来で目を覚ましていた。そっくりな二人は周りに気づかれず
互いの時代で過ごすことになってしまうのだが…。片や飛行隊のシゴキ、片や戦争の終わった日本。
御国のために死ぬことを望む吾一とアルバイトもやめてゲームクリエイターになりたい健太という対称的な
二人が対称的な時代へ移動する話だ。戦争を扱っていながら作風はコメディのようだし、トントン拍子に
話が進むので楽しんで読める作品だと思う。例えば吾一が現代語の「だっせ〜」を聞いて「覇気を出せ」の
略だろうと解釈するなど可笑しさが多い作風だ。しかし吾一が「これが守ろうとした日本の未来か」と思うなど
シビアな言動もある。古処誠二に比べると戦争の重みはなく、作風の軽さと題材の重さというチグハグさが
気になったし、健太のキャラもTVで扱われる「最近の馬鹿な若者」の典型的な造形で作者のあざとさを
感じたのがイマイチ。なので入りにくかったけど中盤以降は面白くて一気に読めたね。特攻させられそう
になる健太、恋人を好きになりつつ元の時代に戻りたい吾一、一体どうなることやら。ラストは印象的だ…
スッキリしないけど。だって(ネタバレ)健太が戻ったら赤ちゃんに関して必ず一悶着あるだろうから(終了)
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「明日の記憶」 荻原浩 ★★★★
---光文社・06年、本屋大賞2位---
「誰だっけ?あの人、ほら、あれに出てた俳優…」50近くになって名前が咄嗟に出なくなった。
広告代理店に勤める佐伯は日に日に変調をきたす自身の記憶にとまどっていた。検査を受けた結果
告げられた意外な病名。もうじき娘が孫を出産するというのに…佐伯と記憶との静かな闘いが始まった。
「アルジャーノンに花束を」「博士の愛した数式」の名作二つと似た雰囲気を持つ作品であるが
本書は現実的なのである。実際に起こる病名があり実生活で起こる困難が描かれる。会社で働く佐伯の
困惑ぶりにはゾッとさせられる。取引先との約束自体を覚えていないのだから。私もド忘れをよくするだけに
怖くなりました。これから理解できなくなる、ということを最初のうちは理解できることが悲しいんですよね。
誰にでも通ずる悲しさだけに好き嫌いはない話だろうが、過去の名作に比べるとあっさりしてるかも。
淡々と優等生的にラストで締めたというか。「記憶」を扱うには小川洋子のほうが一日の長がある気がした。
実際にレーガン元大統領(04年永眠)がこの病気であることを告白しました。彼も危惧したとおり家族にも
多大な負担を強いることになる病気である。本書での気丈に振る舞う妻・枝実子の姿も心を揺さぶります。
誰でもなりえる病である。恐ろしいけどこの病を少しでも理解するのもいつか、誰かにとって重要になるかもね。
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「サウスバウンド」 奥田英朗 ★★★☆
---角川書店・05年、本屋大賞2位---
上原二郎の父・一郎は元過激派らしい。官には従わないという信念を持って問題ばかり起こす。
学校も納税も必要ないと言って憚らない。そんな恥ずかしい父親はいるし、学校では友達を介して
不良に目をつけられるし、父の知人の怪しげな同居人が増えるし二郎の生活は波乱ばかりだ。
前半は東京での生活、後半は沖縄へ移住してからの生活と二部構成になっている。大人には
理解されない子供の世界を楽しんだり苦しんだりする二郎が中心で、父親は変人だが偏屈で迷惑な
存在という印象が強いままだ。そして後半は一変、家族で沖縄へと移住するのである。助け合う島の
人々と溢れる自然に囲まれて不便を感じながらも居心地の良さを覚えていく二郎達、東京では何も
しなかった父親も鍬を手に取り働き続けた。前半の学校に盾突く父は面倒だが、後半はホテル建設に
反対する父が頼もしい。味方に回ると痛快な男なのだ。大立ち回りをするけど生き方を変えないところは
カッコイイ。「立場で生きる大人になるな」ってセリフが素敵であった…迷惑な男には違いないけれど。
本書は都会から島へ移行し、小さい事の拘泥から脱却して自分らしく生きることの解放感を与えてくれる。
楽園を信じて何者にも屈せず生きていけたら…そんな夢を見させてくれる。小説とはいえ物事がうまく
運びすぎだが後半は元気をくれる内容なのは間違いなし。都会の女だったのに島へ来てから父のように
弾けて豪快な女になる二郎の姉が個人的には笑えたなぁ。しかし沖縄を美化しすぎなところが何か嫌かも。
二郎すぐに適応しすぎ。さすがに東京→沖縄の島はキツいだろぉ。嫌な面もあるだろうさ。
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「平面いぬ。」 乙一 ★★★☆
---集英社文庫・03年---
四編の短編集。見た者を石に変えてしまう妖怪?「石の目」の物語や、はじめという女の子がいるという
作り話をしたら自分には実際にはじめが見えるようになる「はじめ」、余った布で作られたために他の
四体とは違い不恰好で子供に好かれないぬいぐるみの話「BLUE」などファンタジーホラー四作。
やっぱり乙一の味は寂しさにある。「石の目」では山に入って失踪した母を捜す男性、「はじめ」では
幻覚としてしか存在しないとしっているはじめ、「平面いぬ」では家族が癌にかかって余命幾許も無い。
特に「BLUE」はどうしようもない違いで邪険にされるBLUEが悲しい、一生懸命に努力しても無駄なことで
綺麗なぬいぐるみ仲間から馬鹿にされて虐げられるのが悲しい。しかし家族内で浮いている弟と
ぬいぐるみ内で浮いているBLUEが微細に繋がり合う展開が小さな灯りとして胸に沁みるのだ。
どうしようもなく寂しい事ばかりだけど寂しさの中に美しさや絆を一瞬煌かせて昇華してくれるのが
乙一の好きなところだ。意外とこういうのを書く人はいない。様々な非現実的な設定、昔話のような
ファンタジーのような童話のような感覚がする。四作とも派手ではないけど乙一らしい秀作揃いだ。
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「ZOO」 乙一 ★★★★☆
---集英社・03年、このミス20位、文春8位---
10編の短編集。全体的に奇妙系だが様々なタイプの魅力が詰まっていると言っていいだろう。
無痛症の男が血まみれになり、輸血用の血液を家族中で探し回るドタバタ劇「血液を探せ」は
笑えるし、世界でたった一人残った制作者の「死」を見取り埋葬するために作られたアンドロイドを描く
「陽だまりの詩」は真相が読めてても強い哀切を感じてしまう。一番インパクトがあったのは、いきなり
謎の小部屋に入れられた姉弟がある法則に基づいて殺されてしまうことを知る「SEVEN ROOMS」だ。
真相を不必要とする閉塞と死の恐怖に映画「CUBE」を思い出した。ラストには絶句。コメディ・ホラー・
本格・SF…いろいろなタイプが詰まった一冊だが、ブラックな内容の話でも描かれる人物が
虐げられる側であることなど作者ならではの哀しみが全体を包んでいるのも魅力の一つだろう。
様々な発想や設定…それ自体はどこかで見たことがあっても、寂しい視線が含まれることで
感じられる独自の世界観はとても新鮮に思えた。作者の「GOTH」を読んだ時は出てくる異常な
人間の感覚が悪趣味としか思えずまったく楽しめなかった自分だが本書は大好きである。
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「失われる物語」 乙一 ★★★☆
----角川書店・03年---
六編の短編集。他の短編集で出版されたものを再編集したもの。唯一「マリアの指」は書き下ろし。
表題作→事故に遭い右腕の感覚のみが残った男の物語。感覚だけを通した妻とのやり取りという
静かな物語だが最後の男の決断に孤独と優しさがあり作者らしい一作。「しあわせは子猫のかたち」は
人付き合いが苦手な大学生と引っ越し先に住む幽霊との交流話、世の中を生きにくいと思っている
主人公というキャラは個人的にツボ。その弱々しさは何かを受け入れる強さでもあるような感じが
好きだな。幽霊との交流で心がほどけていく過程が温か。作者もあとがきでいうように「暗いところで…」
と似てますね。一応ミステリ仕立てでもありました。他の「傷」や「手を握る泥棒…」は中高生向きで
読みやすいんだけど安易に上手くまとめちゃってるので物足りないというか型にはまりすぎかも。
もっと凄いものが書ける作者だと思う。「マリアの指」は轢死してバラバラになったマリアの指を
手に入れた僕が、マリアの友人らを通して自殺の真相に迫っていく話。暗くて地味かな…。
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「銃とチョコレート」 乙一 ★★★
---講談社・06年、このミス5位---
お金持ちから宝石等を盗む怪盗ゴディバ、対する名探偵ロイズとの闘いが紙面を賑わしていた。
他の子と同様リンツもロイズに憧れている一人だった。父の形見から謎の地図を見つけたリンツは
ゴディバと関係がある地図だと考えロイズに手紙を出した。すると名探偵は本当に現れて…。
表面上はリンツ少年の大冒険と紹介することになるんだけども、カカオの苦味も含まれている。
ハッキリ善VS悪でもなく、悪人が愛すべき者でもない。ヒーロー探偵ロイズはできた人間ではないことが
わかってくるし、リンツと行動を共にするのは悪党小僧である。結果的に助けられたり褒められたりすれば
悪党小僧への見方も変わるけど、その後すぐ殴られたりするのだから読んでて裏切られる感じがする。
もっとワクワクするか単純に「悪」に憤慨したいよね、子供って。スカすのが狙いだろうがあんまり
楽しめなかったなぁ。宝の地図とかゴディバの予告状とかもヒントをもらって読者への挑戦みたいな
謎解きができれば楽しかったのにな。大まかな結末は読めてしまうけど細かい仕掛けが眠っているのは
驚き。予想以上に伏線があったことに気づかされました。その仕掛けもいい気分にはならないけど。
普通それで殺そうとするかよ。さらに普通もらったパンを捨てるかよ(笑)。ホントに悪いなぁ。
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「The Book」 乙一 ★★★★
---集英社・07年---
あまり表立って紹介されないが実は相当数ファンがいる漫画「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズ。
その第四部を乙一が小説化したのが本書だ。スタンドという具現化した超能力が登場するし
原作ファンで想像できる人じゃないとわかりにくいかも。というより池の亀とか、トニオさんとか
鉄塔に住む男とか「圧迫祭り」とか物語上あまり重要じゃない小道具や単語が原作マンガに出るもの
ばかりなのでファンじゃないと意味わかんないかもね。物語の内容は、密室の家の中で交通事故に
あったような死体が発見されて、スタンド使いなんじゃないかってことで康一や仗助ら杜王町の
メンバーが捜索する話だけど、主人公はその犯人。本のスタンドを持つ彼の奇妙な生い立ちと
彼の目的が徐々にわかる仕組みになっている。その他に小汚いビルの隙間で生き延びる女性という
乙一らしい寂しい残酷さがあるところもうまく引っ張りますね。ただファンとしては仗助や露伴の
喋り方に違和感があったりピンとこないし、何よりあり得ないポージングやズキュウウウンなどの
擬音の見た目の凄さがジョジョの肝なので小説化されるとジョジョ的には魅力が薄れるなぁと思った。
彼のスタンドそのものと思われる茶革風のこの本そのものがカッコイイ。
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「霧の橋」 乙川優三郎 ★★★★★
---講談社・97年、時代小説大賞---
殺された父の仇を討ち帰国した江坂与惣次だが、帰る場所はすでになく刀を捨てて惣兵衛と名乗り
紅を扱う商人の道を歩みはじめた。家族に支えられ、大きな店の陰謀に負けじと紅屋を繁盛させる。
しかしもう一人の父の仇が現れた。捨てきれぬ武士の心は、妻おいととの距離を作ってしまう。
おもしろいっ。小売業と問屋や仲買との利害関係を巡った商売の駆け引きの面白さ・怖さが前半の流れとして
読者を引っぱる。商売に関わる者でなくともわかりやすいし笑顔の裏での駆け引きにはハラハラする内容。
そしてその根底を流れる惣兵衛の心の動き、武士の心を押し殺し商人として生きるために懸命な惣兵衛の
思いがもう一つのメイン。いい具合に同時進行なのである。都合のいいキャラもおらず皆が自分の思惑で
動いていることが伝わり未来を予想できない商売や人生の雰囲気がうまく描かれている本書であるが
そんな隙間で憤ったり同情したり嬉しかったり、小さな感情がリアルで、小説の肝ってこれだなって感じた。
そしてラストの心の果し合いとも呼ぶべき情景は静かながら圧巻の一言。武士の心を現すということは
妻に背を向ける意味もある。父の仇を討って筋を通すのか、本当に刀を捨てて、煮立つ鍋の横でおいとが
菜を刻むような他愛もない風景を守るのか。武士と商人の己の決闘であった。商人として生きた数年、
父のことやこれからの商売のこと、今までのすべてがラストの決断に結実する素晴らしさといったら。
おいとの名を呼ぶ惣兵衛の一言だけに万感の思いが詰まって思わず目頭が熱くなった。本書は作者が
デビューしてそんなに経たぬころの作品だがこの文章力は何だろう。三十年のベテランみたいだ。
商売の怖さに胸を痛めたり、ふとした因果で死に関わった母子のことを忘れまいと生きる惣兵衛の
優しさの描写が具体的で上手すぎる。さりげない夫婦間の機微が手に取るようにわかる。うまっ。
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「椿山」 乙川優三郎 ★★★☆
---文藝春秋・98年---
四編の短編集。表題作→才次郎は同じ私塾の同輩と喧嘩沙汰に。けしかけられた喧嘩だったが
相手の身分が上であるために平身低頭することとなる。武士は偉くならなければ何も言えない…
そう思った才次郎は努力の末に出世を叶えた。しかし地位と名誉と引き換えに何かが変わっていた。
四編とも生きる辛さに満ちた物語だ。金銭のために女郎まがいの仕事に売られた女、小言を
言われ続けた義母が惚けてしまい介護に苦悩する女など、まぁ人生とは辛いものよと思わされる。
それでも登場人物はある程度割り切って生きているところが作者らしさかもしれない。しかし前向きで
力強いとは言えない向きも感じた。「白い月」では博打ばかりの夫に何度も尽くし追い込まれている
とよに、また「待ってくれ」と頼む友蔵…てんでダメ男であって、さすがにとよも「今度も待ってたら
本当の馬鹿だ…」とまで思うのだが内心では希望を持っているように描かれるのだ。私には不毛の
道へ誘う甘い考えだと思えた。友蔵は帰らない気がする。そんな絶望と隣り合わせのような希望って
かえって残忍だと思えた。表題作「椿山」は、才次郎が若かりし頃に嫌っていた大人のように自身が
変貌していく様子が淡々と描かれていく。ふとした時に昔の自分のような子供に襲われたことから
昔の自分と今の自分の姿を見定める物語だ。その刹那より正しい道へ歩き出す才次郎の行動には
勇ましい正義があった。しかし才次郎の変化や、親友・家族との関係、出世にいたる動向など
時間をかけてより丹念に描ける長編向きの作品であることは間違いなくいささか勿体無いかも。
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「喜知次」 乙川優三郎 ★★★★
---講談社・98年---
小太郎の住む日野家に花哉という妹がやってきた。身分は違うが親友と呼べる猪平・台助の二人と
成長していく小太郎、一揆や派閥争いで苦しい藩を救う立派な武士を目指すのだが、そんな折に
派閥争いで猪平の父が暗殺される。藩と、親友と、花哉への思い、少年の成長を清く描いた作品。
立派な武士になるため大局を見通さねばならないが、藩の派閥争いのとばっちりで苛酷な立場に
立たされる親友などの個人を無視もできない。そんな板挟みに喘ぎながらも小太郎はどちらのことも
真摯に考えていくので読んでいて清廉な気持ちになっていく。何と言っても台助・猪平との友情が熱い。
幼少時代の握り飯や、他国へ移る友を見送った二本松、元服の際に猪平が持ってきたスルメなど
振り返ると色々あったが身分など吹っ飛ぶ思いがあった。知己と呼べるほどの関係に胸が熱くなる。
暗殺・仇討ちなど緊迫感もある内容だけど、藩の派閥争いに関する説明が多いので、印象としては
政治的で大人のシブみだ。乙っつぁんが初見の人には地味に映るかな?ファンにはチェックして欲しい。
読後は小太郎の人生に思いを馳せて心が洗われるから。ところでタイトルの「喜知次」とは小太郎が妹の
花哉につけたあだ名である。小太郎の密かな心の支えだった花哉だが、本書ではわりと脇役でした。
小太郎と花哉の兄妹がどうなるかも見所のひとつ。こいつぁ切ねぇです。人生ってやつぁ切ねぇ。
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「芥火(文庫改題・夜の小紋)」 乙川優三郎 ★★★☆
---講談社・00年---
五編の短編集。「夜の小紋」→小紋の引き染めに魅せられた由蔵は、色挿しをするふゆとともに
型彫師として生きたいと思ったが、兄が急逝したことにより実家の魚油問屋へ戻ることになる。
そして十年、兄の子が成長を遂げた頃、知人から教えられある小紋を目にすることになる。
今とは違う時代、男は家のためが優先され、女は男ほどの地位がなく男次第ということも多かった。
作者の小説によく登場するしがらみの中で生きる者達が本書も登場する。「芥火」では体を売って
生きてきたかつ江が囲われてきた男から離縁された時を描いているが、涙ながらの苦労が
主眼ではなく覚悟としたたかさである。「夜の小紋」ではふゆ、「柴の家」ではふきという女性が
それぞれ色挿しと焼物という職に邁進する姿が描かれる。裕福ではなくても自分の人生における
指針を持っている女達が力強く描かれている。本書においては男が弱々しく感じられてしまった。
しかし簡単に強くなれるわけではない。「妖花」のさのがそうだ。仕事で留守がちな夫が他に愛人を
作っていたのだが、ただでさえ日頃の生活に不満だったさのが家族を見つめなおそうとするまでを
描いている。現代なら即離婚→慰謝料ってところなのだがそうはいかないのだ。力強さの裏側は
痛さと繋がっている。地味だが何ともシブい時代小説だ。ただ文体がパターン化してるのか
「〜というのは皮肉でしかなかった」とか、かぶる文があるのが残念。シブ知(8・5)くらい。
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「かずら野」 乙川優三郎 ★★★★
---幻冬舎・01年---
奉公とは名ばかりで体を売られた菊子、しかし主が息子に殺される事件が起きる。菊子は
主の息子・富治と夫婦のような関係になり共に身を潜めて暮らす。ささやかに暮らして少しでも
罪滅ぼしができれば良い菊子と、金を求めて堕落する富治。罪を抱えた二人は共に地方を流れる。
味わいですなぁ。菊子の悩ましい心の内をじわじわとこれでもかと綴っていく本書。
読者としてはじれったさを感じてしまう。菊子はダメ男の富治を蔑んだり諦めたりするほどなのに
最後のところで見放せない菊子に苛立つのだ。同じ罪を背負っているという思いなのか、同じ道を
堕ちて行くと決めているようなのである。幼馴染みの静次郎が手を差し伸べたりしてくれるのに
それに応えずに堕ちて行く。別にアンタは悪くないよ、と教えたくなるほどだ。罪の意識なのか
富治への哀れみなのか。「人は生きてきたように死ぬ人を傷つけて自分だけ幸せにはなれない」
だから罪深い自分たちはなお真っ当に生きるべきという菊子の闇の深さが知れる言葉である。
ラストシーンの「鹿波」もまた圧巻で見逃せない。菊子にとって富治は、自分の人生の罪を
映す象徴でそれを見て生きてきたのかもしれないと最後の叫びを聞いて思った。
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「生きる」 乙川優三郎 ★★★★+
---文藝春秋・02年、直木賞---
「安穏河原」「早梅記」表題作の三編による中編集。表題作→死んだ藩主に世話になった者が忠誠を
示すために腹を切る「追腹」を禁じられた又右衛門。腹を切らないことへの周囲や家族からの
嫌悪の視線。それでも生き続けた又右衛門が晩年に人生を振り返って見出したものとは…。
追腹を切らずに生きる又右衛門は、禁じられた手前追腹は切らないと考えるが世間の目は冷たい。
「早梅記」では独身の武士が奉公に来ている女性に焦がれるが、結婚すれば身分違いであることで
出世に響くのは必至だし縁談を持ってきた上司の顔を潰すこともできない…表題作に限らず本書の
主人公は個人と社会の間で揺れ動いている。板ばさみにあっているのだ。藩主が死んだんだから
お前も死ねと言わんばかりの「追腹」は理解できないが、どちらも現実に似た事例は多々あるだろうし
読んでいて主人公の立場には身につまされてしまった。しかし社会の波に流され苦しんだ主人公が
最後に訪れた暖かさこそ本書の最も優れた箇所に思えた。それは「社会がどうあれ個人の中にある
誇りや拠りどころを支えに生きた」者に存在する凛々しさに主人公が直面した時だ。決して社会に
対する諦めではなく力強さを備えた凛々しさに思えた。主人公と同化していた私はその美しさに
胸打たれ、目が覚めるような感覚がした。いつの時代も流されない物を持つ人間ってカッコイイと
思えるんだなぁ。そうなりたいもんだ。三編ともに終盤に感情的な場面を作ったのは強引だけど
寂しさの中にも光が見える感覚は好きだな。これぞ「小説」って感じがする。満足でした。
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「五年の梅」 乙川優三郎 ★★★★☆
---新潮社・00年、山本周五郎賞---
殿様の食が細くなり、責任がかかる台所奉行の藤九郎を救うため助之丞は自らを顧みず殿様へ諫言。
結果、謹慎処分となった。藤九郎を助けはしたが藤九郎の妹・弥生を妻にしてやれず別れ別れになった。
気に病みながら無為な日々を過ごす助之丞だったが、数年後、弥生が嫁ぎ先で不幸でいることを知る。
五編の短編集。人間の浅薄さが上手い。小料理屋の女に惚れ込み金を持ち逃げした男や金銭のこと
ばかりで妻子をないがしろにした挙句逃げられる亭主…腹を立てて誰かに当たったり昔のことを
根に持ったりする人間臭い描き方が現代人から見てもリアルだ。そしてその浅薄さゆえ人は窮地に
陥っていくのだが、そこから上を向く力強さと優しさが本書には満ち溢れている。間違いを犯した人も
過去を後悔する人も、正しい道に気づいていくのだ。これが暖かくも鮮烈だ。自分のことばかりだった
人間が誰かのためにやり直し生きていく。これは誰しもが持つ「後悔」に対するエールだから普遍的な
感動を持つんだろう。「小田原鰹」では花の良さに気づくのに六十数年かかったと感慨を覚え、人生の
終りに真人間として輝いた。「蟹」では百姓を助けるため、川の氾濫を止められず責任を取らされた
岡太の生き方が清々しく、過去を気に病みながらも岡太に魅かれる再婚妻の心の機微が単純な
内容のわりに沁みる。「五年の梅」では昔妻に出来なかった弥生とやり直そうと、ぬかるむ道で手を
貸すため振り返った助之丞が、その道のりに人生を思うラストが感涙ものである。まさに梅の花のような
時代小説らしい気品が漂う傑作短編集だ。後半の三編が特に絶品。時代物を読まない人にもオススメ。
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「冬の標」 乙川優三郎 ★★★★
---中央公論新社・02年---
時は幕末、明世という少女は南画の世界にのめり込んだ。しかし両親には理解されず時代の波もあり
馬島家に嫁ぐこととなる。そして時が経った。家に仕えてきた明世は絵への情熱を失ってはいなかった。
師の葦秋、同輩の修理らと出会い、明世は時代に逆らい自分の生きていく道に踏み出していく。
我を通せば角が立つ。流されれば我を失う。どちらを選ぶかは生きていく上で難しいことである。
本書の主人公明世は、嫁いで家を守るのが当然という世の中で「真っ当」に生きていた。しかし年を取り
果たして自分にとって「真っ当」だったか、という考えが強くなっていく。絵を失って生きることに意味があるかと
思うのだ。年を重ねるにつれて失えないものが増える人生で、そのように考えられる明世が羨ましくもある。
本書には様々な人物がいた。家に仕えて生涯を終えた者がいた。商売に生きた者がいた。藩の政治を
変えんとする男達がいた。時代の流れや、生活のため、そんな波が幾つも存在するのだ。しかし明世には
進みにくい道を切り開くほどの純粋な思いがあった。それはワガママという範疇を超えた思いである。
絵というものが明世にとっての生きにくい時代の標だったのだろう。「あなたには絵があっていい…」
他人にそう思えるほどの存在が、明世の人生を正しいものに変えていた。標があれば人はまっすぐに
歩いていける。時間のある限り何かを追い続けることのできた明世は清々しいほどの一途さであった。
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「武家用心集」 乙川優三郎 ★★★★
---集英社・04年、中山義秀賞---
八編の短編集。武士として生まれた者、そしてその家族が様々な荒波に揉まれ悩んだり
成長したりする姿を描いている。上役からの無理な命、遠距離恋愛の果ての破局、出世争いで
上下に分かれた二人などの中で、いつの世も変わらぬ人間の心がある。ゆっくりと己の心を
見定める登場人物に感情移入してしまうのだった。どんな状況でもこのように自分の進むべき方角を
見定められたら素晴らしいと思う。題名からして男臭いイメージかもしれないが全然違う。各編は
短めだし女性が主役の内容も多いので普段読まない女性にも入門編として薦められるかもしれない。
↓好みを二編紹介↓
「田蔵田半右衛門」→昔の失錯により閑職で過ごす半右衛門のもとに位の高い実兄が尋ねてきた。
上意による暗殺指令であった。上意に背くか、家の末のためにもやるか。半右衛門は迷いつつ
相手の事を探るのだったが…。乙川節である。勇気を出して信じる道へ進む半右衛門、冴えないけど
最高!「しずれの音」→兄夫婦になかば押し付けられる形で寝たきりの母を預かった寿々と周助、
特に周助は義兄夫婦への憤りと介護の苛立ちが募っていった。そして姑の吉江自身がそのことを
一番つらく思っていた…。何とつらい話だろう。疎まれる母親もだが、お人好しなだけつらい目を見る
寿々夫婦、不公平に憤りが湧いてくる。しかしお人好しで何が悪かろう。覚悟は必要だけど
良心に従うことが人間らしさなのである。最後の走ってくる夫・周助の姿は涙が出る名場面だ。
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「むこうだんばら亭」 乙川優三郎 ★★★
---新潮社・05年---
八編の連作短編集。銚子の海辺にある町で飲み屋「いなさ屋」をやっている孝助とたか、そこに関わる
様々な人間達。海に家族を奪われても海に生きる漁師、身を売るしかないような貧苦にあえぐ女、
甲斐性のない男とともに流れてきた女、世間の荒波に揉まれる者達の一時の生を映し出した短編集。
暗いなぁ。いなさ屋で飲みながら過去を話してるだけで暗い。身を売った話ばっかだし…海に出るのは
危険だけど魚が獲れなきゃ生活できない。いつ大波が来て死ぬかもしれない海上を漂うような登場人物が
多かった。孝助も「いなさ屋」のかたわら、金が必要な状況の女に仕事を斡旋する商いもしている。
そういう時代だったということなんだろう。仕事を求めるほうも斡旋する孝助も苦しい思いをしている。
苦しいながらも答えを出して生きていく物語が作者は得意だが、本書では明るさまでは感じられない。
力強く生きる人間の賛美というより、力強く生きるしかない悲哀という側面ばかり感じてしまった。
様々なことを諦めてしまっているような心象も多くて気が滅入ってしまう。苦しかった時代をありのままに
丹念に書いた渋い小説だが乙っつぁんの中では暗い部類に入る。過去を振り返る地の分が多かったので
展開という意味でもちょっと地味。個人的には苦手だったなぁ。
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「月の影 影の海」 小野不由美 ★★★☆
---講談社文庫・00年---
ごく普通の高校生・陽子は突然ケイキという男に連れられ異国へ来てしまう。大きな獣達と
格闘を強いられ、人間達からは「海客」と呼ばれ捕らえられてしまう。信じるものもなく異界を彷徨う
陽子、この世界は?ケイキは?なぜ陽子はこちら側に来たのか。ファンタジー巨編の扉がいま開く。
異界で苦しむ陽子の闘いと本シリーズの世界観の解説といった趣きの内容で、もっといろんな
展開があるのかと思ったけども、本書は説明の部分が多くまだまだ予告編といった風情。十二の
国が存在し、それぞれ治める者が違うために「海客」に対する扱いも違う。王や麒麟、妖魔や神仙もいて
…まさにファンタジーですな。国名をはじめ漢字が多いので中国古典を連想する世界。今回は巧国と
雁国がほとんどだけど、これから別の国も出てくるんだろうな。このシリーズが面白いか否かは続編を
読まないとまだ何とも…。本書の前半は様々な闘いに明け暮れ逞しくも冷酷になっていく陽子の
辛い冒険であるが、後半登場したネズミの姿をした半獣の楽俊がカワイイ存在で物語が
落ち着いた。ヒゲをそよがせて一人称「おいら」ってのがまた…。再登場を期待だ。
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「黙の部屋」 折原一 ★★
---文藝春秋・05年---
美術誌の編集者・水島は仕事の合間に訪れた店で運命的な出会いをした。白黒を基調とした
「石田黙」という画家の絵であった。ネットの検索や名鑑にも記載の無い「石田黙」。気になり調査する
水島だが、最近ネットオークションで石田黙の絵が度々登場するようになったことに気づく。
物語の軸となるのは黙の絵にとりつかれた水島が黙に迫っていく過程であって、こちらが大半。
流れの中で黙の作品が少しずつ挿絵で登場します。黙にのめり込みオークションで必死になる
シーンは面白いし、別の理由から黙を探す人物とのロマンスもあったりするけれど、そんなに
驚くような展開は無いかな。たまに挿入される監禁されているらしい画家の話、こちらは「俺は誰だ…
俺は…俺は石田黙」と懊悩しているばかり。双方ともにダラダラ続いてどんどん退屈になってしまった。
ミステリとしても伏線が処理されてないし、あれは何だったんだろうという点が多くてスッキリしないね。
石田黙を紹介するなら他の方法があったと思う。何もこんなややこしい構成にして無理矢理な
事件を作らなくても良いんじゃない?不自然だよ。結局は黙の魅力もそれほど伝わんなかったし。
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「夜のピクニック」 恩田陸 ★★☆
---新潮社・04年、本屋大賞1位---
読んでから大分時間が経ってしまっているのでうまく思い出せませんが、イマイチでした。
内容は高校で行われる「歩行祭」という一昼夜歩き続けるだけのイベントのみ。歩くだけなんだけど
いつもと違う感覚があって思い出として刻まれるような甘酸っぱい感じの小説でした。異母兄弟同士で
普段は口を聞かない二人がいたり、去年の歩行祭の時の写真に写っていた謎の少年が現れたり
誰と誰がくっついてどーのこーのとか他愛無いことで盛り上がる一日だけの内容。この青春臭さが
人気なんだろうけども私にはイマイチでした。こんな複雑な人間模様のドラマみたいな高校時代は
全然身近に感じられなかった。感想は特に無しって感じで読了。これが本屋大賞かぁ…。
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「ユージニア」 恩田陸 ★★★
---角川書店・05年---
金沢の名家、当主の還暦祝いに贈られた飲料に混入された毒物により十七人が死亡した。
十年後、関係者の一人が事件を再度調査し一冊の本にまとめた。生き残った盲目の少女、
事件を追う刑事ら関係者達の眼から幾重にも事件は語られる。はたして事件の真実とは何なのか?
語り手が変わっていく構成で事件が語られ、少しずつ事件の様子や関係者の内面が浮き彫りに
なっていく。ミステリというとヒントがあり伏線があり結末が説明されるのが一般であって「事実」という
無機質さで構成されるものだが、本書では生き残った盲目の少女を中心として一つの方向性を持って
事件が明確になっていくけれども、明らかにならぬ謎の事実や思わせぶりな台詞などがあるし
なおかつ常に誰かの主観であることで、推測や決定的ではない事実などの不安定な材料によって
彩られていく点が特徴的だ。思いはあるけど決定打が無い…答えを出せないまま事件当時に
取り残されている関係者達と同じように、読後はあの夏から脱け出せなくなる感じがする。
恩田陸らしい怪しさ・妖しさを持った本ではあるが、ミステリ好きな私は答えが出したいと思った。
第一章から地元・金沢なのでニヤリとしたけれどもそんなに描かれませんでしたな。ちっ。
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