×ひとりごと×
ふと、最近思うこと。
世界が汚いからこそ人間は生きていけるのかもしれない。
だからと言って進んで汚すのもどうかと思うけど。
きっと綺麗過ぎると生きていけないんだろうな。
セイギという言葉。
私はあまり好きじゃない。
いや、寧ろ、嫌い。
あまりにも残酷な言葉だと思うから。
人は誰しも自分の正義を持っているものだから。
それを誰かに押し付けようとする奴はうざいだけ。
まあ、でもその世間一般の「正義」と呼ばれる
「秩序」なるものがあるからこそ
世界は未だ壊れずにそこそこうまいこと循環しているのだろうね。
世間一般の「正しい」も必要だと言うこと。
人は「自由」を求めるけれど
さて、一体どれだけの者がその意味を理解しているのでしょう?
書く言う私も判ってない。
何もかもが「自由」なら「秩序」を失ったら
「自由」などと言っていられなくなるんだろうな。
もしも、そうなった時それでも人は「自由」を求めているのだろうけどね。
人間ってどこまでも欲張りだから。
「今から何もかも自由です。」
と言われたら
大抵の人間は呆然とそこに立ち尽くすしかなくなるように思う。
縛られるものがあるからこそやれ、自由だのって言ってられるんだろうね。
もしかしたら一番の贅沢なのかもしれないな。
知らないうちに誰もが手に入れているもので
見えないものだから尚更に求めるんだろうな。
それが明確な形として目の前に曝け出されたら頭を抱えることも無かろうに。
何もかも「自由」というのは楽しくなさそう。
それは何もかも「思い通り」と同じこと。
だって「思い通り」じゃないからこそ誰かといるとき
「あったかい」と感じたり「楽しい」と感じたり「つらい」と感じたりするんだろうと思う。
全てが「思い通り」だときっと本当の「自由」を見失うだろうから。
そう思うと「思い通り」じゃない
「不自由」な世界も捨てたもんじゃないと思いません?
・・・・ダメ?
0:59 2002/12/17
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>>talk to oneself