7月17,18,19の3連休。わたしは山田線・岩泉線という日本でも屈指のローカル線に乗るため、岩手まで赴いた。新潟で豪雨による水害というニュースを聞き、心配したものの、天気予報によると、岩手はさほど雨は降らないということで行くことにした。ただ、雨が降るか降らないか微妙であったため、直前まで宿の予約も新幹線の指定席もとらなかった。当日新幹線の指定席を頼みに行くとすでに満席。これはショックであった。
初日はほとんど移動。朝の7時前に出発して、宮古市のホテルについたのは夜の7時前だった。途中、指定席がとれなかったことによる待ち時間が長かったとはいえ、予想以上に時間がかかってしまった。
2日目、本日のメインの一つである、岩泉線へ向かう。宮古駅を出発し、山田線に乗る。前日、盛岡から宮古へ向かうのに山田線を利用したが、ここの車窓の素晴らしいこと。山を突っ切って行くため、見える景色は緑にあふれているのだ。実にナイスである。
さて、山田線で宮古駅から茂市駅を経て、ここから岩泉線に入る。岩泉線は山田線にある茂市駅から分岐している盲腸線なのだ。茂市駅は新里村という小さな村の中心地であるが、いずれにしてもドがつくほどの田舎である。朝一番の岩泉線は途中、岩手和井内駅までしか行かない。この岩手和井内駅であるが、終点であるにもかかわらず無人駅というすごい所。駅は古い駅舎が残る長閑な感じであった。ただ、駅周辺に民家はあるものの、ドがつくほどの田舎であるというのは否定できない。
しばらく待つと、岩泉線の列車がやってくる。2本目のものはちゃんと終点の岩泉まで向かう。さっそく乗車。岩泉線が日本屈指のローカル線であるためか、鉄道マニアには人気らしい。この日も車内には鉄道マニアが何人かおり、かつ、岩手和井内の次の押角駅でも何人か降りていった。ちなみに押角駅は周囲に何もない山の中の駅で、日常的に利用するのは高校生が1人だけらしい。そういう秘境感がマニアの間では密かな人気とのことだ。わたしも降りてみたかったのだが、鉄道マニアがいたので興ざめし、車窓から眺めるだけにとどめておいた。それだけでも十分すごい駅だというのはわかった。
終点岩泉まで行き、列車から降りた後、すぐに引き返した。なぜかと言うと、この列車を逃してしまうと6時間くらい列車が来ないからなのだ。
茂市駅に戻る。ここから快速リアスに乗って、上米内駅まで向かう。さて、いよいよ本日のメインイベント、大志田駅と浅岸駅への訪問である。大志田駅と浅岸駅というのは山田線にある秘境駅で、山深くにあり、周囲には駅以外何もないというところなのだ。静かでいいところなのだが、何にせよ停まる列車が少なすぎる。浅岸駅は1日5本、大志田駅に至っては1日3本しか列車が停まらないのである。特に大志田駅に停まる列車は朝7時、夜7時半、夜8時の3本だけということで、昼間に訪問するのが困難なのだ。昼間に大志田駅に降り立とうと思ったら、朝の列車でやって来るか、列車以外の手段で訪問するしかない。朝やって来るとしたら、次の列車が来るまでなんと12時間以上も待たなければならないので、「そんなことはできるはずがない」と、わたしは徒歩での訪問を選択したのだった。幸い、大志田と浅岸は隣り合った駅である。歩いていけば訪問はたやすい。そんな風に思っていた。しかしそれは大間違いだったのだ。
まずは、大志田駅の隣にある上米内駅から歩き始める。水筒にアクエリアスを詰め、準備万端である。歩き始めると、どうも天気が悪いことに気づく。予報では雨は降らないとのことだったが、嫌な感じの雲を見るとどうしても尻込みしてしまう。とはいえ、簡単に大志田・浅岸到達を諦めるわけにはいかない。わたしは足を前に進めた。
上米内駅を出ると、すぐに「大志田駅」という案内表示が。まだちゃんとした道路とそれなりの人家があるのだが、ここから大志田駅まではかなり歩かなければならない。
川沿いをひたすら歩く。まだまだ十分に町という感じがする。ここからどんどん山奥へと入っていく。
頼りになるのは地図のみ。しかし、目印になるものは川と橋と線路しかない。これといった装備をしてこなかったわたしにとってはかなりの冒険だと思う。しかも携帯は圏外。冒険だ。線路沿いを歩く。
歩いているとたまに車とすれ違う。本当に「たま」だ。ところがガードレールが壊れていた。こんなド田舎で車が通らない場所であったとしても、起こるときには事故は起こるものである。
「大志田」の地名が見えてきた。大志田駅は近い。普段運動しないせいか、かなり足が疲れていたが、なんとか足を進める。そして出発から1時間半で、ようやく大志田駅へと到着したのだった。地図がなければ駅がどこかわからないような場所に駅はあった。
完全な山の中に駅はあった。当然のごとく、周囲に人気は全くない。
停まる列車は1日3本。もはや笑うしかない。駅前の光景はこんな感じで、かなり高い位置から見下ろすという形。見た感じ普通の田舎っぽいのだが、写真の人家に人の住んでいる気配はなかった。住んでるのか?
とりあえず、待合室に入り、駅ノートを眺める。さすがにこの秘境感はマニアにはたまらないようだ。結構な量の書き込みがあった。だいたいの人は19時36分着の宮古行きで盛岡からやって来て、20時15分発の盛岡行きで帰るというパターンで訪問しているらしく、わたしのように徒歩で来る人はほとんどいないようだった(列車以外で来るとしても、車やバイクが多い)。
20分ほど滞在した後、今度は隣駅の浅岸駅へと向かうのだった。
大志田駅を出発すると、すぐにこういった砂利道になる。どうやらハイキングコースらしい。ただ歩くだけのわたしにとってはただの悪路ということで苦労した。しかし、こんな砂利道でもごく稀に車が駆け抜けてゆく。ここしか通る道がないのだろうか。おそらく、こんな山奥で一人で歩いているわたしを見て奇妙に思ったに違いない。
だんだん疲労がたまってきて、このあたりから写真を撮る気力がなくなってくる。足が悲鳴を上げているのがはっきりとわかった。普段運動しないわたしに計20キロの行程はかなりきつい。しかし、行程も半分を過ぎているので、もはや先に進むしか選択肢はない。今から引き返しても待っているのは同じような景色と秘境駅「大志田」だけだ。これから先目指すものも同じなのだから、とにかく進むしかないのだ。もう何も考えず、ただ足を前に進める作業を繰り返すといった感じだった。この辺りでは周囲の緑を愉しむ余裕も、鬱蒼とした山の暗さに対する恐怖感も何もかも消え去っており、ただ、頭の中には「疲れ」しかなかった。汗をかくせいで、喉はひたすら渇く。とはいえ、「渇き」はあるものの「飢え」というものは感じなかった。この日は朝からパン2個しか食べていなかったのだが、それでも飢えを感じなかったというのはそれだけ疲れと渇きが大きかったということだろう。終盤にはきつい上り坂が待っていた。ここは最後の気力を振り絞りなんとかクリアした。きつい。坂道を上り下りし、ひと山越えたところで、ぽつぽつと人家が見え始める。
しかし、見えてきた家々はほとんどが廃屋らしく、人気はまるでなかった。さすがにこんな山奥に住み続けるのには限界があったのかもしれない。3つ目の写真は幼稚園だか公民館だか、それなりの公共施設っぽかったが、当然のごとく人気がない。昔はこのあたりも賑わっていたのかもしれない。
そして、大志田から歩くこと2時間40分。ようやく浅岸駅へと到着した。もう汗はびっしょりで、魔法瓶のアクエリアスも完全に空になった。
こちらの駅名標は古かった。それにしてもこんな山奥でも「盛岡市」なのだから笑ってしまう。
列車本数は大志田より多い5本。とはいえ、駅周囲の雰囲気は大志田と大差ない。2本の差はいったい何なのかとつっこみたくなってしまうくらいである。ひょっとしたら大志田よりは浅岸の方が多少利用者がいるのかもしれない。「大志田通過」と当たり前のように書かれているのには哀愁を感じる。
浅岸駅でしばし、静寂を味わいながら物思いにふけって1時間ほど時間を過ごした。聞こえる音は川のせせらぎと鳥のさえずりのみ。これほど静かな駅が日本にもまだまだたくさんあるのだと思うと、まだまだ日本も捨てたものではないと思った。
3日目はひたすら移動日。宮古駅から山田線の海ルート、釜石線を経由して盛岡まで行き、新幹線で帰ることにした。途中、両石(りょういし)、洞泉(どうせん)、上有住(かみありす)などの味のある駅があったが、時間がなかったので降りることなく通過のみ。
とにかく、筋肉痛で疲れたが、楽しかったです。