北海道・宗谷本線徒歩の旅 4日目(5/31)
ー美深〜音威子府ー

ついに旅は4日目を迎えた。この日は朝起きても昨日の朝ほどの回復はなかった。3日間の疲れが想像以上にわたしの身体に重くのしかかっていた。

この日の歩行予定距離は31キロ(駅間距離から算出)。昨日より10キロ以上も短いのだからだいぶん楽だろうと思っていた。ゆえにこの日は5時くらいに起床した。だが、それは大きな間違いだったことがすぐにわかった。朝から足の動きが悪い。筋肉痛も予想以上にわたしの身体にダメージを与えていたようだ。これはかなり苦戦しそうだというのはすぐにわかった。

まずは、昨日、美深に到着したのが夜遅かったため、訪問できなかった美深駅を訪問。まだ朝早く駅員さんも配置についていない。入場券を買わずにホームへと入った。





美深町の中心駅である。他の宗谷本線各駅よりは立派だが、都会の駅に比べれば小ぢんまりとした感は否めない。でも、個人的に駅舎はかなりすてきで、わたしは好きである。

さて、早速歩き始めたのだが、足の裏の痛みが一夜では全然回復しておらず、ペースが悪い。それでも昨日の終わりごろよりはまだマシな方であったが。

国道40号線を歩き、次の初野駅に到着した。もうすでにかなり厳しい。



踏み切りのすぐそばに初野駅があった。相変わらずの板切れホーム。それにしても宗谷本線各駅を訪問して常に思ったのだが、なぜ小駅は微妙に集落から離れたようなところにあるのだろうか(特にこういった板切れホームの駅)。周辺に家々はあるのだが少なめで、ちょっと離れるとまずまずの集落があったりする。よくわからないが、時代の変化なのだろう。不便な宗谷本線の駅周囲に住んで列車を利用するよりも、便利な国道40号線の周囲に住んで自家用車を利用する方がいいに決まっている。

まだ歩き始めて1時間くらいしか経っていなかったが、もう昨日の終盤くらいの辛さになっていた。早くも歩いては座り、歩いては座りの繰り返しになっていた。
オイオイ、大丈夫なのか俺? まだ20キロ以上あるんだぞ。この辛さが20キロ以上も続くと思うと耐えられんぞ。
朝も早いし、この日は平日なので友人連中も仕事をしているはずだ。電話作戦も使えない。肩を落としつつ、両足を動かし続けるしかなかった。

続いて向かうは紋穂内(モンポナイ)駅。必死こいて足を進め、ようやく駅近くまで到着したはいいが、困ったことが起こってしまった。駅近くの民家に犬がいて、わたしに吠えてくるのである。普通に犬小屋にいるだけというのなら問題ないのだが、つながれているものの鎖がかなり長く、道路の真ん中ぐらいまで出てきている状況。おいおい、さすがにこれは怖い。今のわたしは瀕死の状態である。万が一のことがあったら逃げることは不可能である。困った。駅に通じている道は一本だけで、駅に行くにはどうしても犬のいる道を通らなければならない。わたしは悩んだ。
悩んだ結果、わたしはひとつの方法を思いついた。確かに駅までの道は一本しかない。だが、

「線路があるではないか!」

線路の上を歩けば確実に駅に着ける。幸い、紋穂内駅のすぐ近くに踏切がある。踏切から線路に侵入し、駅を目指せばいいのだ(
注:よい子は真似しないでね)。これで犬の危険を避けられる。列車と遭遇する危険はあるが、見通しのいい線路なので、最悪線路沿いの茂みに避難すれば大丈夫のはずだ。宗谷本線は列車本数も少ないし。そう思い、実行に移すことにした。



線路の上を歩く。スタンドバイミーを彷彿させるこの光景。あの名曲が頭の中に響いてくる。調子に乗って「ロリポップ」を歌ったりもする(笑)。枕木の上を歩いたのだが、アスファルトの上を歩くのに比べ衝撃が少ないため、足は幾分楽だった。

300メートルほど歩き、紋穂内駅に到着した。



相変わらず貨車駅で旅愁はあまりないが、苦労と思案をめぐらせて辿り着いただけに達成感はひとしおだった。

足がかなり痛かったため、腰を下ろし、しばらく休憩し、「さあ、もと来た道(線路)を歩いて戻るか」と歩き始めたその時、謀ったかのように踏切の音が鳴り始めた。焦ったわたしは急いで線路を走って紋穂内駅へと戻った。この時はホンマに焦った。
普通列車がやってきて紋穂内駅に停車した。わたしは恥ずかしいので待合室の中に隠れていた(←う〜ん、完全に不審者だな)のだが、幸い誰も列車からは降りてこず、誰も乗らなかったので、笑い者にならず、一安心であった。

さて、今度は同じ失敗は繰り返すまいと、時刻表をチェックし、紋穂内駅に列車がやってこないことを確認(通過する特急列車の有無についても厳重に確認をした)。改めて線路の上を歩き、ようやく紋穂内駅訪問を完了することができた。まったく、駅に行くのになんでこんなに苦労しなければならないのか。
ちなみに、宗谷本線には、かつて上雄信内(カミオノップナイ)という駅があり(現在は廃止)、この駅は周囲を私有地に囲まれており、駅に通じる道もなかったため、駅に行くには線路を歩いていくしか方法がないという珍駅であった。そのような駅になぜ駅としての役割を求めたのか理解不能である。

気を取り直して歩き続けるが、かなり足が痛い。まだ訪問したのは2駅だ。地図を見てみると、紋穂内駅の近くに道の駅がある。ここに行って一休みしよう。そう思い、重い足取りで歩く。

道の駅まではゆるやかな坂道。普段ならさほど苦にならない程度の坂だが、今のわたしにとっては拷問に近い。歩いては休み、歩いては休みで、ようやく道の駅に到着した。ジュースを買って水分補給する。それと、どうやらここに温泉施設があるというのを発見したので、温泉に入ることにした。しかし、今回の旅では負担を避けるため、荷物を極力持たないようにしてきた。入浴道具など持って来ていない。当然余分の着替えもない。そこでわたしはお土産屋で、Tシャツ(比較的お土産っぽくないめだたないもの)とタオル、それと日焼け防止用に帽子(今さら日焼け防止しても無駄なんだけど)を購入した。

準備が整い、温泉に入ろうとするが、10時からでないと入れないことを知り、がっくりする。時間は9時半くらいだったので、しばらく待つことにした。休憩にもなるし、いいだろう。しかし、朝5時に出発して5時間近く歩いているのにここまでの歩行距離は8キロ程度。ペースはかなり落ちている。

10時になると速攻で温泉に入る。ま、温泉につかるというよりは、身体を洗っただけというのが正しい。だが、顔を洗うのがかなりつらい。顔はすっかり日焼けでひりひりしているからだ。冷水でタオルを冷やして、軽く拭くぐらいだった。

結局、ろくに温泉を堪能することができず、道の駅を後にした。

1時間以上休んだが、足の痛みは全然変わらない。それでも我慢しながら歩き続ける。つらい中、大いに役立ったのが、道の駅で買ったタオルだった。濡れタオルがわたしをかなり癒してくれた。当初タオルを持って来なかったが、やはりタオルは必需品だと痛感した。次は絶対にタオルを持参するようにしたい。



紋穂内駅から約7キロ。ようやく次の恩根内駅に到着した。もう駅の印象なんて忘れちまっている。というより、疲れたわたしには駅の雰囲気を味わう余裕すら消え失せてしまっていた。

ひたすら歩き続ける。国道40号線を再び外れ、人気のない道へと入ってゆく。次の豊清水駅はこの先にある。



道沿いには花が咲き乱れており、美しい光景なのだが、いかんせん蜂が多い。凶暴なスズメバチこそいなかったものの、やはり刺されるのは嫌だ。神経を尖らせながら歩く。だが、足も痛いので、蜂がぶんぶん飛ぶ中、座り込まなくてはならなかった。途中、蜂を避けようとして急に動いたため、靴擦れを悪化させてしまった。痛いことこの上ない。

痛みに顔を歪ませながらも豊清水駅に到着。



かなり立派な駅舎が建っており、列車交換もできる。しかし、駅周囲に人気はまったくない。駅舎の中にはきっぷ売り場の跡も残っていただけに、昔は駅員がいたのだろう。それにしてもこの廃れ具合はすごい。豊清水にいったい何があったのだろうか。



駅を出ていきなり目にする光景がこれだ。完全に廃墟と化している牧場。風にふかれて野ざらしになった家がガタガタと音を立てている。かなり怖い。地方の過疎化がますます進行している現状を見るのはさすがに辛い。宗谷本線沿線ではかなり衝撃的な光景の部類に入るだろう。都会に住んでいる人間がどうして想像できようか。駅を出て目の前が廃墟という驚愕の光景を。

気を取り直して豊清水駅を後にする。国道40号線に復帰して歩き続けると、ようやく音威子府村に入った。とはいえ、最終目的地である音威子府駅はまだまだ先だ。



国道とはいえ、完全なる山道。人家はほとんどない。幹線のため、交通量はけっこうあるのだが。



しばらく歩き、国道から外れたところに天塩川温泉駅を発見。音威子府村の観光名所のひとつ・天塩川温泉の最寄駅として開業した、宗谷本線の中ではかなり新しい駅である。駅舎の新しさと対比して、周囲の緑溢れる光景は実に絵になる。この駅の写真は今回の旅の中でもベストショットである。

とはいえ、天塩川温泉まではここから徒歩15分(もちろん健康な状態での話。今のわたしの状態なら倍以上かかるだろう)。そのうえ、音威子府方面から離れた方向になるため、かなり時間を無駄にすることになってしまう。美深温泉は通り道だったから入ったが、さすがに天塩川温泉にまで回り道して入ろうという気力はわたしにはなかった。ただひたすら先を急ぐのみだった。

緑に囲まれた小道を歩き続ける。しばらく歩くと集落が見えてきた。咲来(サックル)集落である。ちゃんと小学校もあることから、それなりに人も住んでいるのだろう。だが、後にインターネットで咲来小学校を調べてみたら、厳しい過疎化の現状を痛感させられた。新一年生が1年ぶりに入学。しかも一人だけ。悲しい。悲しすぎる。これが過疎地帯の現状か。かなり歪な人口ピラミッドになっているんだろうな、この音威子府っていう村は。こういうところで育った子供はどういう大人になっていくんだろうか。普通の町中で育った子供とこういう過疎地で育った子供との育ち方の違いについて研究している人はいないものだろうか。

咲来集落の中を歩く。ごく一部のエリアだけはそれなりに家も立ち並んでいるのだが、予想どおり老人ばかり。そんな中、リュックを背負い、濡れタオルを片手に足を引きずりながら時折腰を下ろしながら歩いているわたしを見て彼らは怪訝な表情を浮かべている。視線が痛い。これまでたいして気にならなかったのだが、なぜかここではかなり視線が気になっていた。

咲来集落の過疎ぶりを裏付けるものを発見してしまった。咲来郵便局の跡地である。つい先日廃止されたばかりの小さな郵便局だった。まだ民営化されてもいないのに廃止されてしまった郵便局の跡地を見ると、この咲来に住んでいる人たちがかわいそうでしょうがなかった。なんか見捨てられた集落という感じだった。いや、でもそれは単なる思い過ごしかも知れない。ここに住んでいる人たちはみんな幸せだと思っているかもしれない。理由ははっきりと説明できないが、自分の生まれ育った集落にずっと住んでいけるなんて素晴らしいことじゃないかとも思う。そう、先に訪れた豊清水駅前の牧場主に比べれば絶対に幸せだろう。そう信じる。
しかし、郵便局が民営化されたら、本当にこのような過疎地の郵便局は廃止されていくのだろうか。わたしは今後も時間があれば過疎地を旅し、郵便局の行く末を見に行きたいと思う。

話がやや脱線したが、ようやく咲来駅に到着した。





咲来を過ぎれば次はいよいよ音威子府。最終目的地だ。あと一息、頑張ろう。必死で自分自身を鼓舞する。

かなり足が痛い。もう限界に近いかもしれない。圧迫の影響で足の裏の細胞が壊死していきそうなくらい痛い。

夕方になった。このままのペースで歩き続けたら音威子府に着くのは9時を回るかもしれない。苦しい時には、そう電話だ!
友人に電話をかける。近況や旅の状況などを話しながら歩く。ペースは一気に上がった。やはり友人の声に励まされ、予想以上の力が出るのだろう。気づけば30分以上会話をしていた。予想より大幅に早く、8時前には音威子府村の中心部に到着した。やった。





木造駅舎の音威子府駅。小さな村の駅なのだが、実にすばらしい駅。たいした観光地はないが、住んでいる人に愛されそうな駅であり村だと思う。

音威子府駅前にある旅館に宿泊した。ようやく着いたんだ。余韻にひたるのも忘れ、布団に潜り込んだ。

翌朝早く起き、旅館で朝食を食べた。この旅行の中で、はじめてまともな時間に起き、まともな朝食を食べた。ご飯に味噌汁、焼き魚という質素な日本料理ではあったが、達成した後ということもあっておいしさは格別だった。旅をしてきてよかったと思った。

4日間かけて歩き抜いた130キロ以上の行程を特急はわずか数時間で駆け抜けていった。車窓を眺め、これまでの足跡をこの目で確かめたかったが、疲れのあまり、列車内でうとうとと眠りについてしまっていた。

旅は終わった。すべて終わった。いや、すべて終わった訳ではない。歩いたのは宗谷本線の半分に過ぎない。そう、音威子府は旅の終着地点であり、新たな旅の出発点でもあるのだ。またいつか音威子府から続きを歩く。今回の旅は新たな旅の序章なのだ。
そんなことを思いながら、帰途についた。

応援してくれたみんな、ありがとう。
そして、ありがとう俺、どういたしまして俺。


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