携帯電話のアラームが鳴った。時刻は午前3時半。本日の旅を始めるため、はやくもわたしは動き出さなければならなかった。なぜならこの日の目的地である美深までの距離は44.4キロ(駅間距離から算出)。今回の旅の中で最長距離を歩かなければならないのがこの3日目だからだ。
昨夜、旅館のオバチャンには実に世話になった。朝早いので挨拶をしていくことができないのが残念ではあるが、叩き起こすわけにはいかない。お礼として、部屋に2100円ほど残していった。「昨日はありがとうございました。薬代として置いて行きます。またいつか士別に来た際には寄りたいと思います」といった内容の手紙をつけて。2100円というのは中途半端だが、100円は手紙と1000円札の重しがわりだ(笑)。
↑早朝の士別駅前通り
出発は朝4時前。意外と明るい。このあたりが北海道と本州の時差の違いであろうか。
士別駅前から国道40号線に復帰し、ひたすら北へと向かう。地図によればここから、下士別、多寄、瑞穂の3駅まではひたすら国道をまっすぐだ。道が本当にまっすぐなので、これほどわかりやすいものはない。開拓時代の正確な区画整理が実にありがたい。
下士別駅に向かう途中、夜明けを迎える。普段、なかなか日の出を見る機会がないので意外に新鮮なんだよね。
まっすぐ歩き、下士別駅に到着。
市の中心駅である士別駅の隣の駅でありながら、この閑散とした雰囲気。早朝とはいえ寂しい。地方都市なんてこんなもんなんだろうな。特に最近では5つ以上の町や村が合併して市になるケースが多いから、市といっても規模的には町や村と変わらないからね。
それにしても、士別よりも北にあるにもかかわらず、「下」というのはどういうことか? 実は地名の上下というのは川を基準に決められているからなのだ。士別よりも川下にあるから「下士別」というわけ。東西南北は関係ない。
しばらく佇んで、次の多寄駅へと向かう。
3キロほどまっすぐ歩き、多寄駅に到着。ひたすらまっすぐの道だったので、特に見所などは覚えていない。無人駅ながら、それなりにしっかりとした駅舎だった。駅近くには士別市役所の多寄出張所や郵便局、学校などもあり、それなりの集落である。
まだひたすらまっすぐ歩く。区画整理されたまっすぐな道でわかりやすい。地名にも○○線といった名称が使われていて実にわかりやすい。多寄駅の所在地は三十六線。事前に調べた情報によれば、次の瑞穂駅の所在地は三十一線。交差点を5つ抜ければ次の瑞穂駅ということだ。わかりやすいことこの上ない。
この道は国道40号と道道239号の重複区間。この区間は割と長く続く。なぜ重複しているのかはよくわからない。管理とかはどうしているのだろうか。国と道が半分ずつ維持費を出しているのか。いささか興味がある。それにしても「道道(どうどう)」っていう言い方は面白いよね。
国道沿いに神社発見。多寄神社という名前の神社らしい。写真で見てもわかるかと思うが、実に風情のある神社だと思う。この雰囲気が好き。
やがて、三十一線の地名に辿り着いた。予想通り駅はそこにあった。
「瑞穂駅」。女性の名前がついている駅名(ま、もともとの由来は違うのだろうが)は少なく、駅ノートを見る限り、同名の瑞穂さんが結構訪れているらしい。彼氏と2人で訪れたりとか、ちょっとしたデートスポットにもなっているようだ。
昨日、歩き終えた時には、もう音威子府に行くのは諦めようというくらい足が痛かったのだが、この3駅を訪れる限り、足の痛みはそれほどでもない。オバチャンからもらった湿布薬と、寝る前に足に巻いたキネシオテープの効果だろう。予想以上に楽だった。
瑞穂駅を出てしばらくすると風連(フウレン)町に入る。先に訪れた和寒と並ぶ素敵な名前の町。響きが実にいい。でももうすぐ隣の名寄市と合併しちゃうんだよね。地元民ではないが、こういう素敵な名前の自治体がなくなるというのは悲しいものである。ま、名寄市風連町という形で残っていくんだろうけど。
しばらく歩き、風連駅に到着。朝の8時前だが、もう4時間ぐらい歩いたことになる。
通学の時間帯ということもあって風連駅に女子高生らしき少女がいた。こういった田舎町にもちゃんと子供がいて日常生活を営んでいる。当たり前といえば当たり前なのだが、旅の中で地方の町の日常風景を感じたというのは、なかなかにいいものである。
風連駅のホームは、花畑が美しく、名前同様に素晴らしい駅であった。地元の人に愛されているというのがよくわかる。
駅前の国道を歩いていると、地元の中学生らしき少女から「おはようございます」と挨拶をされる。知らない人に挨拶をするというのは、町全体がひとつの生活共同体で、そこにいる人はただの旅人であっても家族同然ということだろう(言い過ぎ)。実に素晴らしいと感じた。名前同様人々の心も美しい町だと感じ、今回の旅では、とりわけこの風連町に対する印象が強い。
そろそろ腹も減ってきたので、上川風連店のセブンイレブンを発見したので、中に入り、おにぎりとから揚げを購入した。次の駅のホームで食べようと、東風連駅を目指す。
田園地帯をひたすら歩き、東風連駅に到着。足がやや疲れ始めてきた。朝はそうでもなかったものの、昨日の疲れはかなり大きかったらしい。
東風連駅ホームに腰をかけ、若干遅めの朝食をとる。たまに車が通ったりして、変な旅人に奇異な視線を送ってきたりするが、ホーム自体に人はおらず、実に気分がいい。板切れホームでなく、割と新しい感じのホームだったのもよかった。
東風連駅を過ぎると名寄市に入る。風連町は本当に小さな町だった。
名寄市内のアカシア並木を歩く。名寄市は高校もあったりそれなりに大きい市だ。といっても3万弱の人口しかいないのではあるが。
名寄駅に到着。昼前ぐらいだったろう。駅前はなかなかに広く。さすがに市という感じがする。入場券を買って駅ホームに入り、写真撮影をさせてもらった。本来なら列車の到着する何分か前ぐらいから改札を始め、ホームに入れるようになるのだが(永山駅ではちょうど到着したころに列車が来たので、待たずに入れた)、今回は列車が来るのがしばらく先ということもあって、無理を言って、本来なら入れない時間帯に入らせてもらった。感謝。
駅前に薬屋があったので、靴擦れとマメ治療のためにバンドエイドを購入した。
名寄を過ぎたぐらいでかなり足に痛みが出始めた。筋肉痛の痛みより、足自体の痛みの方が強くなっている。正直、筋肉痛の痛みなんか大したことはないと思えるようになった。足の裏がアスファルトに圧迫され、痛みが出ているのだ。走るよりも歩く方がしんどいんじゃないかと思えるようになってきた。走っていると、歩くときが実に楽に思えるが、歩いていると、歩いていること自体がつらくなってくる。立ち止まることが楽だという感覚なんて生まれて初めて味わった。立ちっ放しの仕事をしていると立っているだけでも辛いということがあるが、今回の旅では、立ち止まれることが実に楽に思えた(もちろん、座っていればなおのこと楽なのだが)。
それでも足の痛みをこらえながら黙々と歩く。ただひたすら歩くだけの旅というのは、いろいろなことを考える時間ができ、割といいものだと思うが、いかんせん、何を考えていたかとか記憶になかったりする(笑)。
名寄市の郊外に出たあたりで日進駅に到着。宗谷本線によく見られる板切れ一本のホーム。どれもこれも似たり寄ったりに思えるかもしれないが、駅周辺の人々の生活はそれぞれに異なっている。見た目は同じでも味わうものが微妙に違うのだ。これは実際に現地に行ってみないとなかなかわかりづらい部分もある。
日進駅を立ち去り、次の智東駅へ向かう。
智東にはまっすぐ進めばいい。ちなみにこの道は冬季には完全閉鎖されると案内板に書かれてあった。そのため、次に訪れる智東駅は、冬季は全列車が通過する秘境駅となっている。
智東への道に入ると、極端に人家の数が減った。今回の旅の中でこれほどまでに人工物が何もない場所に来たのは初めてだった。いかに北海道といえども国道沿いの歩行がメインだったからだ。さすが冬季閉鎖になる道だけのことはある。見るがいい。この見渡す限り何もない自然に囲まれた風景を。とはいえ、道路沿いには畑があったりするし、ちゃんとした道がついているので、割と頻繁に車は通過するのだが。
かなり足が痛くなり、休み休み前へと進む。この頃になってくると、いかに足の痛みを和らげるように歩こうか試行錯誤しながら歩いていたような気がする。わざと少し早足で歩いてみたり、大股で歩いてみたり、カニ歩きをしてみたり(笑)。
川沿いの道を歩き、天塩川の雄大な光景が拝める。まさに智東駅までの道は360度自然を感じることのできる道であったといえる。車がやや多いのが気になるのではあるが、かといって車が少なければ、寂しすぎて怖かったことだろう。
そして、疲れと痛みに耐えながら、ついに智東駅到着。周囲に人家が一軒もない完全なる無人地帯に駅はあった。いったい誰が利用するのだろうか。貨車を改造した駅舎もペンキがはがれており、いい味を出している。写真の階段部分に腰を下ろし、しばし休憩。
ゆっくり滞在する余裕もなく足を進めなくてはならない。なんせ今日の目的地である美深までは、あと4駅を通過しなければならないからだ。疲れた身体に4駅というのは結構きついものである。
しばらくは何もない道が続く。単調な道のりで飽きてくるのだが、ときおり聞こえる轟音に警戒する。銃声のような発破音のようなでかい音。何の音なのか気になりながらも先を急ぐのだった。
そしてようやく冬季閉鎖道路を抜け、ぽつぽつと人家が見え始めてきた。これまで無人地帯を歩き続け、不安が大きかっただけに安心感が戻る。
喉が渇いたので、自動販売機でジュースを購入し、腰を下ろして飲んでいると、2人の気さくな兄ちゃんが「どこから歩いてるんですか?」と声をかけてきた。Tシャツ1枚でリュックを背負って、普段歩行者など見かけないような道で歩いている人を見かけて不思議に思ったのだろう(その2人の兄ちゃんも車に乗っており、休憩のため、自販機でジュースを買おうと思っていたらしい)。わたしが「旭川から」というとメチャクチャ驚いていた。そりゃそうだろう。先の智東駅の時点で、旭川からの距離は85キロに達している(駅間距離から計算)。常人であれば歩こうと考える距離ではない。その兄ちゃんたちは、「僕らだったら1日10キロも歩けませんよ」などと言いながら(それくらいは歩けるやろ)、本当に吃驚しているような感じだった。
「がんばってください」という激励の言葉を受け、兄ちゃんたちは来るまで去って行った。わたしもジュースを飲み終えると旅を続けるべく歩き始めた。
次の目的地は北星駅。これまたすてきな名前の駅。だが、道の都合上、いったんその次の智恵文駅の近くまで行って引き返さないと北星駅に辿り着くことができないのだ(というよりそれが最短距離といった方が正しいか)。先に次の智恵文駅を訪れてから北星駅に行ってもいいのだが、どうせ北星駅に行った後戻ってこなくてはならないのだから、順番に訪れることにしよう、と思い、先に北星駅へ。
もうかなり疲れ切っていたが、なんとか北星駅へ到着。板切れ一枚のホーム。周辺にはわずかながら人家があり、秘境感は全くなかった。この駅で夜空を眺めればさぞ美しい星空が見えるんだろうな、と思ってはいたが、こんなところで夜まで待つわけにはいかない。それが今回の目的ではないから。先を急ぐ。
北星と智恵文の間は2キロほどと比較的短い。そのため、来た道を引き返すというのはさほど苦ではなかった(もちろんつらいことに変わりはないんだけどね)。
智恵文駅近くは割と家の密度が高かったが、なかには既に廃屋と化している家もあった。北海道の田舎というのは過疎化が進んでいるのだな、と改めて思った。兵どもが夢の跡ではないが、かつて希望に満ちた大地が寂れていくというのは、物悲しさを覚えてしまう。
智恵文駅に到着。貨車で作られた待合室。誰かが描いた絵がどこかわびしい。
足はかなり痛く、薄暗くなってきていた。でも、このあたりは駅間距離が比較的短い。なんとか日が沈むまでには美深に辿り着こうと急ぐ。急ぐといっても足が痛いため、どうしても休み休みということになってしまうのが辛い。
苦労しながら智北駅に到着。これまでの板切れホームや貨車駅と違ってなかなかしっかりとしたホームと待合室。薄暮れ・周囲の風景と相まってなかなかいい写真が撮れた。
ちなみに智北・智東の名の由来である、「智」というのは「智恵文」のことらしい。智恵文集落の北にあるから智北、東にあるから智東。それだけのことだ。
さらに足を進める。このあたりでは疲れと暗さのため、風景の印象はさほどない。
南美深駅到着。もうかなり夜も更けかけてきていた。ネコがいたので、ネコ好きのわたしは嬉しかった。警戒していたが、うまく写真におさめることができた。
できあがった写真はけっこう怖い(笑)。
さて、夜も遅くなったが、美深まではあと3キロ弱。ようやく本日のゴールかと思いながら、痛い足をひきずりつつ、歩き続ける。
南美深駅を出て、国道40号線へ復帰しようとしていた頃、突然携帯電話が鳴った。友人からであった。たいした用事ではなかったが、5分弱ぐらい話をして切る。
ここで思いがけない発見をした。しゃべっている間、歩いていても大してつらくはなかったのだ。友人としゃべることで、相手にその意識はなくても、わたしはかなり励まされていたに違いない。しゃべっていないときの辛さに比べ、しゃべっているときの辛さはかなり緩和されていた。これはいい。かなり歩くのが辛くなっていたし、7時を過ぎて辺りも真っ暗になっていたので、つまらないと思っていたところだ。片っ端から友人に電話をかけまくってしゃべりながら歩こう。そう考えた。そういうわけで、わたしの旅について知っている友人に電話をかけ、歩き続ける。ガタ落ちしていたペースはかなり上がった。
そしてようやく美深町の中心部へと入った。
宿泊施設を探し、中へと入る。時刻は8時ちょっと前だったが、この日見つけた宿泊施設は8時で受付終了というところだった。実にラッキーだった。というより、友人と電話しながら歩いていなければ8時までにこの宿泊施設に辿り着けなかったに違いない。友人たちに感謝した。
それにしても朝3時半から夜の8時まで。途中多少休憩が入ったとはいえ、1日16時間半も歩いたということになる。俺にはこんなに根性があったのか。どこか他人事のような感じであった。
昨日と同じように残りわずかのキネシオテープを足に巻き、マッサージをして眠りについた。
万歩計の歩数は66601歩。昨日より4000歩程度多いだけだが、数字以上に苦しい1日だった。